No40 クインシー/元ネタ解説

Last-modified: 2018-06-15 (金) 17:13:30
所属United States Navy
艦種・艦型ニューオーリンズ級重巡洋艦
正式名称USS Quincy (CA-39)
名前の由来City of Quincy アメリカ合衆国マサチューセッツ州ノーフォーク郡クインシー市
起工日1933.11.15
進水日1935.6.19
就役日(竣工日)1936.6.9
除籍日(除籍理由)不明(第一次ソロモン海戦/Battle of Savo Island 1942.8.9沈没)
全長(身長)179.0m
基準排水量(体重)9950英t(10109t)
出力Babcock & Wilcox重油専焼缶8基Westinghouse式蒸気タービン4基4軸 107000shp(108484.1PS)
最高速度32.7kt(60.55km/h)
航続距離10.0kt(18.51km/h)/14000海里(25928km)
乗員指揮官103名 乗組員763名
装備(1942)8inch55口径三連装砲3基9門
5inch25口径単装高角砲8門
3ポンド単装砲2門(礼砲)
1.1inch Mk.1機関砲x16(4x4)
エリコン20mm機関砲x12
艦載機x4
装甲舷側:3~5inch 甲板:1.25~2.25inch 砲塔:1.5~8inch バーベット:5inch 艦橋:5inch
建造所Bethlehem Shipbuilding Corporation, Fore River Shipyard, Quincy, Massachusetts
(ベスレヘム造船フォアリバー造船所 アメリカ合衆国マサチューセッツ州クインシー市)
勲章Navy Combat Action Ribbon
American Defense Service Medal(Fleet clasp)
American Campaign Medal
Asiatic Pacific Campaign Medal(13 stars)
World War II Victory Medal

就役と太平洋戦争前まで

  • ニューオーリンズ重巡洋艦6番艦。艦名はマサチューセッツ州クインシーに因む。
    その名前を持つ艦としては二代目。名前の元となった場所であるクインシーのフォアリバー造船所で建造された。
    起工は1933年11月15日、その2年後の1935年6月19日に進水。1936年6月9日に就役した。
  • 就役後まもない頃のクインシーは大西洋方面で活動した。
    その後、クインシーは1936年のスペインの内乱にも介入している。
    この介入はアメリカの権益保護を目的としており、国際救助艦隊に所属したクインシーは難民490名の輸送に従事した。
  • スペイン内乱への参加後、クインシーは太平洋に居場所を移し、平時の演習活動等を行っている。
    また、南米各国への親善訪問なども行ったが、ヨーロッパでは政情が悪化、戦争が始まろうとしていた。
  • 1939年、第二次世界大戦が勃発。
    クインシーは北大西洋へ派遣され、偵察任務を行った。
    その後、アメリカへ帰還したクインシーはオーバーホールの後に巡航任務へと従事。
    南米への訪問や、予備役兵の訓練艦として使用された。
    この間、第二次世界大戦は悪化の一途を辿り、ヨーロッパ戦線ではナチスが快勝を続け、破竹の進撃を続けていた。
    アメリカも黙って見ているわけにはいかず、空母ワスプを含む艦隊と共に1941年中頃に中立パトロールを実施した。

太平洋戦争とクインシー

  • 1941年9月にはデンマークを偵察。大西洋で活動中だったクインシーだったが、この時反対側の海で新たな戦いが勃発。
    1941年12月8日、大日本帝国海軍が真珠湾を奇襲攻撃、太平洋戦争の勃発である。クインシーは新たな戦い巻き込まれた。
    これによりアメリカは第二次世界大戦へと参戦、実戦を迎えたのである。
  • クインシーは太平洋の戦いへと投入され、第18任務部隊に配属。
    1942年6月、ガダルカナル島争奪戦支援のため同島に進出、クインシーは艦砲射撃を実施した。
    8月7日にはルンガ岬へと砲撃し、日本軍の軍事施設に被害を与えた。また、海兵隊の上陸支援を行い、重巡の豊富な火力を発揮した。
    そして、運命の第一次ソロモン海戦が始まろうとしていた。

第一次ソロモン海戦での最後

  • 1942年8月8日。ガダルカナル島に展開した海兵隊を支援するため、連合軍は物資の揚陸を急いでいた。
    劣勢に立たされた日本側はこれを阻止するべく、ガダルカナル島へ三川軍一中将率いる日本海軍の第八艦隊が突入を敢行。
    後に第一次ソロモン海戦と呼ばれる戦いの始まりである。
  • 8日夜。クインシーは米重巡シカゴ、姉のアストリア、妹のヴィンセンス、豪重巡キャンベラ、駆逐艦2隻と共にサボ島とフロリダ諸島の間にいた。
    そこへ、第八艦隊が突入、両軍の間で夜戦が発生した。
    第八艦隊から照射された探照灯がクインシーを照らし出し、クインシーの姿が闇夜に浮かび上がった。
    だが、クインシーは日本艦隊を味方と誤認し、識別信号を出した事で対応が遅れてしまう。それが命取りになった。
    鳥海から砲撃を喰らい艦載機に引火。さらに砲弾が誘爆し、一気に火だるまと化し、致命傷になった。
    僚艦と共に撤退を図ろうとするクインシーであったが、間が悪く別ルートから迫ってきていた古鷹天龍夕張と遭遇。雷撃を受け沈没は確実となった。
    沈没が時間の問題となる中、クインシーは最期の力を振り絞り主砲を発射、鳥海に命中弾を与えた。
    しかし不発弾で小破の損傷しか与えられず、損害は海図室を破壊したに留まった。
    失意の内にクインシーはソロモン海へと沈没。この戦いで艦長を含む370名の乗員が戦死、167名が負傷した。

余談

  • 第一次ソロモン海戦で、日本海軍はわずか2隻の重巡の損傷に留まり、連合国艦隊はクインシーを含む4隻の重巡を失った。
    日本海軍にとっては水雷戦隊の強さを世に知らしめる勝利ではあったものの、本来の目的であった補給の阻止は失敗した。
    結果、連合国は戦略的には勝利し、ガダルカナル島での戦いを有利に進める事に成功した。
    その後も周辺海域では幾度となく連合軍と日本軍との間で戦闘が繰り広げられ、多くの艦が沈んでいった。
    後にこの海域はアイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)と呼ばれ、今なお太平洋戦争の激戦地として語り継がれている。
  • クインシーの沈没後、1943年にはその名前を冠した三代目クインシー(CA-71)が就役している。
    こちらはボルチモア級重巡洋艦であり、第二次大戦を生き延び朝鮮戦争にも従軍した。

小ネタ

  • スキルの一つ「旗艦殺し(無意)」はおそらく第一次ソロモン海戦におけるクインシーのエピソードを元にしている。
    三川艦隊からのサーチライト照射により、日本艦隊の砲撃に晒されて満身創痍となったクインシーが放った砲撃が、三川艦隊旗艦の鳥海に命中した事が由来とされる。
    だが、砲弾は鳥海の海図室に被弾したのみで砲弾は炸裂せずクインシーの攻撃による損傷は軽微であった。だがしかし、鳥海が旗艦であったことや海図室の隣に詰めいていた人員の事も含めるとかなり危なかったとも言える。
    このスキルの固定ダメージ値が少ないのもそのエピソードに由来しているのかもしれない。