No67 深雪/元ネタ解説

Last-modified: 2022-11-18 (金) 21:09:41
所属大日本帝國海軍
艦種・艦型吹雪型駆逐艦
正式名称第三十八号駆逐艦→深雪(みゆき)(1928)
名前の由来→深雪 深く積もった雪の美称
起工日1927.4.30
進水日1928.6.26
就役日(竣工日)(1929.6.29)
除籍日(除籍後)1934.8.15(1934.6.29沈没)
全長(身長)118.5m
基準排水量(体重)1680英t(1707.0t)
出力ロ号艦本式重油専焼缶4基艦本式蒸気タービン2基2軸 50000shp(50693.5PS)
最高速度37.5kt(69.44km/h)→34.5kt(63.89km/h)(1935)
航続距離14.0kt(25.93km/h)/5000海里(9260km)
乗員219名
装備(建造時)50口径三年式12.7cm連装砲3基6門
九二式7.7mm機銃x2
61cm三連装魚雷発射管3基9門
爆雷投下軌条x2
装甲なし
建造所浦賀船渠社 (現 住友重機械工業浦賀造船所2003年廃止 整地後民間に売却予定) (日本国神奈川県横須賀市)
  • 1923年に計画された一等駆逐艦として、1927年4月30日に浦賀工廠で起工。1928年6月26日、進水式を迎える。当初は第38号駆逐艦という名前だったが同年8月1日に深雪と改名する。
    • 進水後も着々と工事が進められたが1929年2月12日、東京湾で試運転中に伊24と衝突し推進器を損傷。竣工が延期となった。この頃から不幸の片鱗があった。
  • 1929年6月29日、加藤艦長の指揮下に竣工。吹雪型駆逐艦四番艦として産声を上げた瞬間だった。竣工後、呉鎮守府第2水雷戦隊第11駆逐隊に編入。
  • 同年8月2日、山口県湯谷湾で第12駆逐隊の夜戦射撃曳的艦を務めていたところ、実弾が2発命中する不幸に見舞われる。舞鶴工廠で修理が行われた。8月23日、出渠。
  • 1930年4月24日、セルター甲板及び同側壁の補強新設の訓示が下る。5月17日、深雪用の短艇製造の許可が下る。
  • 1931年10月10日、呉工廠に入渠。缶の換装工事のため一時的に予備艦となる。翌年7月8日、完工。
  • 1932年12月1日、第二艦隊第二水雷戦隊第十一駆逐隊へ編入。
  • 1934年4月7日、再び呉工廠へ入渠。重油の取り入れ管装置を新設。
  • 1934年6月29日、第11駆逐隊の司令駆逐艦として済州島南方で演習していた深雪。当時は霧が深く、各々僚艦との位置が掴めない状況だった。そんな中、突然轟音と衝撃が襲った。
    駆逐艦が突っ込んできて、深雪の左舷中央部に衝突する。原因は視界不良だった。特型駆逐艦は強度に問題があったため会心の一撃となってしまう。
    • 艦橋直下46番ビーム付近で船体を両断され、哀れ真っ二つに。前部はそのまま漂流、駆逐艦初雪叢雲が曳航準備をしたが濃霧で行方不明となり沈没と推定。
      後部は軽巡那珂が確保。佐世保まで曳航しようとしたが、浸水が激しく途中で放棄されて沈没。乗員3名が死亡し、2名が行方不明になる大参事となった。8月15日、除籍。
      奇しくも竣工から丁度5年の日だった。
  • 7月1日、艦が沈んでしまったため須山海軍機関特務少尉は被服を全て失った。このため海軍省からネクタイや長靴、手袋、短剣、トランク、夏シャツ、毛布などを臨時支給された。
    8月15日には亡失した酒保倉庫の物品を補填する1496円13銭が支給。9月12日、失った士官室食卓の補償が行われた。
  • そのため大東亜戦争はおろか第二次世界大戦の勃発すら見ていない。実装艦の中で最も早い死である。