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No73 敷波

Last-modified: 2017-09-19 (火) 10:33:50

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基本データ Edit

画像基本情報
敷波.pngレアリティ
ゲーム内名称敷波翻訳名称敷波
所属/艦級大日本帝國海軍/綾波型二番艦
本名敷波(しきなみ)Shikinami DD-46
進水日1929/6/22
身長118.5m
体重1680英t(1707t)
出力50000shp
(50693PS,37285kW)
イラストレーター肝性腦病
艦種駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久15/15火力10/30
装甲5/20雷装27/77
回避41/81対空12/42
搭載0対潜20/50
速力38.0kt索敵5/15
射程10
最大消費量
燃料15弾薬20
艦載装備
0日本三年式12.7cm連装砲
0なし
装備不可
装備不可
強化経験値 (火力/雷装/装甲/対空) 0/30/5/0解体資源
(燃料/弾薬/鋼材/アルミ材)
2/4/3/0
改造チャート・ 改造に必要な物資(燃料/弾薬/鋼材/ボーキサイト) 必要な改造コア 種類/数
敷波敷波改(Lv44) (200/500/300/0 駆逐改造コア×4) 
 
SD
Ship_girl_73.png
 

セリフ Edit

セリフ
 
 

艦種紹介 Edit

日本版特況燭瞭麋峇蓮F歎振鄰犂呂凌緻椋鄒鑁塾呂詫ソ┐世、対空や対潜能力が欠けていた。1935年敷波は強度上昇の改装を行い、1942年艦隊と共にミッドウェー海戦に参加し、その後特型駆逐艦の大半はガダルカナル島の戦いに投入された。敷波もその一隻だった。戦役が終わった後、主に護衛任務を務めた。1944年9月に撃沈された。
中国版特II型驱逐舰2号舰。特型驱逐舰虽然有着较强的水面作战能力,但是缺乏对空和反潜能力。35年敷波号进行了甓强度的改装,42年随队参加了中途岛海战。此后特型驱逐舰大多都投入到了瓜岛前线,敷波号也不例外。在瓜岛战役结束后她主要执行护航任务,于1944年9月战沉。
 

入手手段/ドロップ海域 Edit

 

性能や運用について Edit

  • 初期から入手できる標準的な駆逐艦で 改造が実装されている
  • 改造によって覚えられるスキルは自身を対象とした魚雷戦・夜戦でのクリティカル率アップの効果をもつ“水雷魂”
  • 決して悪い効果ではないが姉妹艦の綾波に比べると少し物足りない

ゲーム内において Edit

  • 自身を地味な子と称する引っ込み思案な人。綾波と比べて戦歴が地味だからだろうか。
  • 提督に対し恋情を抱いているようで、所々にその想いが出る。
  • ノーブラ
  • 改装すると、見た目が少し成長する。
     

元ネタ解説 Edit

艦型吹雪型一等駆逐艦12番艦(綾波型2番艦)
名前の由来敷波 頻りに寄せる波2代目
建造所舞鶴海軍工廠(京都府舞鶴市)

大日本帝國海軍が建造した綾波型(特況)駆逐艦二番艦。1928年7月6日、第46駆逐艦として舞鶴要港工作部で起工。8月6日に敷波と改名する。
1929年6月22日に進水を果たし、12月24日に竣工。呉鎮守府へと編入され、第19駆逐隊所属となった。
1930年9月29日、機械室の海水消防「ビルヂ」管装置の改良に着手。12月末日までに工事完了するよう命じられている。10月8日には一号ターボ発電機油冷却器引き出しポケットの新設を行っている。
1932年2月7日、呉舩下流第一錨地に停泊していた敷波の錨が潮流に流されて亡失する事件が発生。同月23日、第19駆逐隊司令が報告書をしたため、当時の状況を詳しく解説している。
同年6月2日、佐世保工廠にて敷波用の推進器及び推進軸の製造が開始する訓令が下った。翌1933年10月9日、換装作業が行われた。

 

1935年2月28日、訓練のため有明湾を出航したところ、姉妹艦の狭霧と接触し艦首を損傷する。3月2日、呉へ入港し10日間の修理が始められた。
1936年2月26日、二・二六事件が勃発。大海令第一号が発令され、敷波ら第二艦隊は大阪湾の警備に従事した。
1937年6月、盧溝橋事件で日華事変が勃発すると敷波も出撃。8月には呉松上陸作戦を、11月5日には杭州上陸作戦を支援した。作戦終了後の12月1日、予備艦となり最前線から退く。
予備艦として内地で日々を過ごしたあと、1941年2月から3月にかけて華南沿岸の封鎖作戦に従事。
日米開戦の時が迫る11月5日、敷波はマレー攻略部隊に編入され、海南島へ進出。戦備を整える。

 

そして1941年12月8日、運命の大東亜戦争開戦を迎える。敷波はマレーに上陸する部隊を乗せた船団を護衛し、コタバルへの上陸支援を行った。
また、英軍機の爆撃を受けて大破炎上した輸送船淡路丸の乗員を姉妹艦とともに救出。
12月23日、コタバル行きの輸送船団の護衛を完了。カムラン湾を経由して28日に馬公へ戻った。しかしまだまだ船団護衛の仕事は続く。12月31日、カムラン湾から出発するバンコク行きの船団を護衛。

 

年が変わって1942年1月9日、便乗の陸軍兵を輸送船ぱなま丸へ移譲。1月23日、輸送船団を護衛してカムラン湾を出発。ピストン方式で、兵と物資を前線へと送り届ける。
2月10日、カムラン湾を出撃。龍驤を護衛しながらパレンバン攻略船団の護衛やバンカ湾の連合軍船舶の攻撃に従事。翌日、サンジャックに回航。
2月25日、重巡鳥海の警備艦として占領したばかりのシンガポールへ回航。28日からはバンタム湾に部隊を上陸させる輸送船団の護衛につくが、
3月1日にABDA艦隊の生き残りである重巡ヒューストンと軽巡パースが殴り込んでくる。すぐに護衛の重巡最上や三隈、駆逐隊が迎撃しパースは撃沈。ヒューストンも魚雷を喰らって航行不能となる。
この時、敷波だけが一連の攻略作戦で戦果を挙げていなかった。それを不憫に思った最上と三隈は満身創痍のヒューストンを敷波に差し出した。この好意を受けて敷波は艦隊から離れ、
皆が見守る中、止めの魚雷1本を放った。放たれた魚雷はそのままヒューストンの船体に吸い込まれていき、命中。瞬時に大爆発が起き、ヒューストンは撃沈。報告書でも敷波の戦果とされた。
この海戦を以って連合軍艦隊はほぼ壊滅となり、東南アジアの制海権は帝國海軍の手中に帰した。

バタビア沖海戦で戦功を立てた敷波と最上と三隈は後の昭和17年12月8日、山本五十六長官より感状を賜った。

戦闘で至近弾を受けて推進器を損傷、速力が24ノットに低下したが引き続き船団護衛に従事。3月8日、サバン島のタタラジャ上陸作戦を支援。
3月15日にはアンダマン諸島の攻略を支援している。続く21日、ビルマ攻略作戦を支援。次々に敵拠点を制圧し、勢力圏の拡大に尽力した。4月11日、シンガポールに帰還。
開戦からずっと前線を駆けてきた敷波だったが、ようやく本土に帰還する事が許された。4月18日、シンガポールを出発して北上。4月22日に内地へ帰投し、呉で入渠。整備を受けた。
5月27日、ミッドウェー作戦参加のため柱島を出撃。6月5日のミッドウェー海戦では戦艦大和以下の主力艦隊を護衛したが戦闘は生起せず、何も出来ないまま踵を返した。16日、呉に帰還。
6月21日、人員輸送艦として長良や浜風とともに柱島を出発。翌日、横須賀に入港した。30日、第11駆逐隊の面々とサンクレメンテ丸を護衛。
7月2日、奄美大島に寄港。メルギーに進出してインド洋作戦の準備に取り掛かっていたが、ガダルカナル島へ米軍襲来の報が届き中止。
特設給油船2隻を護衛してメルギーを出撃し、マカッサルを経由して8月21日のソロモン諸島北方で艦隊と合流。そしてそのまま24日に生起した第二次ソロモン海戦に参加する。作戦後、ラバウルへ帰投。
争奪戦が激化するガダルカナル島を維持するため、ショートランドに進出。9月4日に一木及び青葉支隊1000人を揚陸。6日に駆逐艦有明とともにヘンダーソン飛行場を砲撃し、8日には米軍を砲撃している。
9月20日、ガダルカナル島へ物資を輸送中、連合軍機の空襲を受けて小破し乗員1名が負傷する。その後も鼠輸送は続き、兵員や物資を運び続けた。
10月26日に生起した南太平洋海戦では最前線には赴かず、後方のショートランド近海で哨戒任務に就いた。

11月12日には第三次ソロモン海戦に参加。14日、軽巡川内に率いられ南下。軽巡1隻、駆逐艦2隻の小規模な艦隊だったが、敵の側面から攻撃するべく本隊から離れて行動。
夜空には雲が多く、月光は遮られ視界は悪かった。浦波、敷波、川内の順で静寂の海を行く。すると前方に敵艦隊を発見。艦影は2隻以上、大型艦を含む強敵であった。敵の正体は米海軍のリー少将の部隊であった。
この情報はすかさず本隊に通報された。敷波たちは敵艦隊に肉薄。敵も気づいたのか、砲撃を浴びせてくる。敷波の魚雷や砲撃は未だ射程圏外なのに敵は砲撃してくる。
敵は20cm砲を携えた巡洋艦かもしれない、という推測がなされた。右へ左へ回避運動を行うが戦況は不利だった。川内が煙幕を張り、その煙に紛れて一度北方へ退避した。
敵艦クヴィンの照明弾が海域を照らすが、何とか振り切れた。結局ヘンダーソン飛行場への砲撃は失敗に終わり、敵の脅威は依然残り続けた。

12月17日、姉妹艦とともに水上機母艦日進を警護してトラックを出発。呉へと向かった。10日後、呉到着。

 

1943年1月3日、修理完了。この頃になると帝國陸海軍はガダルカナル島防衛に見切りをつけ、西のニューギニア防衛に注力し始めた。そこで第20、第41師団を増援で送り込む事に決定。
しかし今回輸送を担当するのは海軍。陸軍の輸送船は使えないため、船舶集めに苦労した。特設巡洋艦だけでは足りないため、特設砲艦や特設水母まで投入。第三水雷戦隊からは敷波が参加、護衛を担当した。

1月7日、敷波は丙1号船団第3分隊を護衛してパラオへ向かう。続いてウエワクに兵員を上陸させた。アメリカ軍がソロモン方面に戦力を集中させていたため、妨害なく輸送成功。
陸兵に一人の死傷者も出ない完璧な輸送となった。1月30日からはガダルカナル島からの撤退作戦を支援。
2月19日、スルミ輸送に従事。2月21日、ラバウルを出港後ニューブリテン島ガスマタに航空機を輸送する五洲丸を護衛。献身的な活動を続ける敷波に突如悲劇が襲う。

3月1日、ラエに向かう船団を護衛していたところ、ダンピール海峡で米軍機と豪軍機約150機の襲撃を受ける。敵はスキップボミングという新しい戦法を仕掛け、
護衛していた輸送船8隻が撃沈、護衛の駆逐艦も3隻が沈没し2隻が大破するという目を覆いたくなる惨状が広がった。波間を漂う生存者にも銃撃が加えられている。
この惨劇を生き残った敷波は、攻撃の間隙を縫って司令官の木村少将と乗員を救助。司令代行を務め、全軍撤退を命じた。しかし愚かにも命令を無視した朝潮がその場に留まって撃沈され、被害が拡大。
攻撃の手が止んだ3日、敷波は救援に現れた伊号潜水艦2隻とともに生存者を救助。その後、カビエン近海で合流した駆逐艦初雪に2700名を託し、燃料補給ののち反転。
現場に舞い戻り、救助活動を再開。沈没した荒潮の乗員と漂流者140名を救助して捜索を打ち切った。3月4日15時、カビエンに寄港し軽巡川内から燃料を補給した。
3月7日、ラバウルを出港しショートランド経由でコロンバンガラ島へ兵員輸送。この輸送を最後に第19駆逐隊は南西方面艦隊へ編入。任地を東南アジアに移した。
3月17日、呉に入港。入渠して次なる作戦に備えた。4月9日、呉を出港。水上機母艦日進を護衛してダバオに寄港した。日進の護衛をここで終え、敷波はスラバヤへ向かう。
6月6日、重巡足柄の護衛として出撃し南西海域にて哨戒を行う。7月26日、スラバヤを出港し、船団護衛。バリクパパン、タラカン、パラオ、バリを経て、8月13日にスラバヤへ帰投。
9月20日、第19駆逐隊は損耗していた南西方面艦隊第16戦隊に転属。10月9日、シンガポールに入港し整備を受ける。
12月25日、船団を護衛しながらタラカン、バリクパパン、サンジャックに寄港。続いてアンダマン諸島へと向かった。

 

1944年1月23日、アンダマン諸島へ兵員を輸送する第16戦隊を護衛中、軽巡北上が被雷し航行不能となる。鬼怒が曳航を担当し、敷波はそれを護衛した。2月27日、サ号作戦に参加するためバンカ海峡に集結。
作戦会議を行った後、3月1日にバタビア港を出撃してインド洋へ進出。通商破壊を開始した。輸送船不足のため敵商船はなるべく拿捕する方針が採られた。駆逐艦は作戦の中核を成す重巡の掩護を担当。
獲物を求めてインド洋を遊弋したが、戦果は利根が沈めたビハール号だけであった。17日、作戦終了。
4月26日、シンガポールに入港後整備。28日にシンガポールを出港し、船団護衛。スラバヤ、アンボン、ビアク、メナド、タラカンに物資を送り届けた。
5月29日、第一次渾作戦に参加。第16戦隊の面々とともにバリクパパンで部隊を編成すると、ダバオへ進出。ビアク島を目指して兵員輸送に従事したが敵空母出現の誤報により中止。
一旦ソロンに回航し、体勢を立て直す。6月8日、第二次渾作戦に参加。僚艦とともに一丸となってビアク島を目指すが、道中で敵機の銃撃で爆雷が爆発。乗員2名が死亡し、4名が負傷した。
さらに連合軍艦隊の迎撃に遭い、輸送は失敗。バチャンへ引き返さざるを得なかった。
やがて米軍がマリアナ諸島へ来襲。大本営は渾部隊参加の艦艇に原隊復帰を命じたため、渾作戦は終了した。敷波は各拠点を経由し、7月12日にシンガポールへ入港した。
7月18日、マニラからシンガポールへ向かう軽巡大井を護衛して出発。その道中、米潜フラッシャーの雷撃を受けて大井が沈没。生存者368名を救助する。
22日、シンガポールへ回航。25mm機銃を増設している。8月1日、シンガポール沖で座礁事故を起こし損傷。16日に応急修理を受けるが、本格的な修理のため本土へ回航される事になった。
ついでにヒ72船団の護衛を命じられる。

 

9月6日にシンガポールを出港。ヒ72船団を護衛して門司港を目指す。9月12日、海南島東方250海里の地点で米潜グロウラーの雷撃を喰らい轟沈。生存者120名は海防艦御蔵に救助された。
1944年10月10日、除籍。

 

1972年9月11日、呉海軍墓地に敷波の慰霊碑が建立された。合祀者は167名。

 

国別艦種一覧表

国別艦種一覧表

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • ヒューストンのページて読んだけどヒューストンを魚雷で仕留めてるんだな。敷波ちゃん恐ろしい子! -- 2017-01-08 (日) 11:11:18
    • 当時、敷波だけが戦果を挙げてなくて、可哀想に思った最上と三隈が瀕死のヒューストンにトドメを刺す機会をあげたんやで -- 2017-01-08 (日) 12:28:31
  • 駆逐は3スロ化出来るだけで活躍するし特型なので、主力が入渠中はリリーフとして出撃。地味な仕事をコツコツやるいい娘です。 -- 2017-03-01 (水) 18:42:35
    • まさにいぶし銀 -- 2017-03-24 (金) 08:34:53
  • 声帯の妖精さんがついてからまともに起用してみたけれど思ったよりアグレッシブね、この娘。 -- 2017-06-17 (土) 03:44:00
    • 提督に優しく、敵に厳しい兵器の鑑 -- 2017-06-17 (土) 04:15:14
  • 紐パン -- 2017-07-18 (火) 00:42:13
    • 地味で目立たない私なのに気にかけてくれてる提督のために…と考えた末の行動が紐パン装着とか発想がぶっ飛びすぎてて愛おしくなる この娘絶対ムッツリスケベだゾ -- 2017-07-23 (日) 21:17:31
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