No75 Z16/元ネタ解説

Last-modified: 2018-12-17 (月) 01:24:34
所属Kriegsmarine
艦種・艦型1934A型駆逐艦
正式名称Z 16 Friedrich Eckoldt
Zerstörer Sech zehn (ゼヒ ツェーン 6+10)
名前の由来Friedrich Eckoldt(1887-1916) ドイツ帝国海軍少佐 ユトランド沖海戦で魚雷艇V48を指揮し、戦死している。
起工日1935.11.4
進水日1937.3.21
就役日(竣工日)1938.7.28
除籍日(除籍理由)不明(独Schlacht in der Barentssee/英Battle of the Barents Sea(バレンツ海海戦)1942.12.31沈没)
全長(身長)121.0m
基準排水量(体重)2270英t(2306.4t)
出力Wagner式重油専焼缶6基Wagner式蒸気タービン2基2軸 70000PS(69042.4shp)
最高速度36.0kt(66.67km/h)
航続距離19.0kt(35.19km/h)/2700海里(5000.4km)
乗員323名
装備(建造時)12.7cm45口径SK C/34単装砲5門
3.7cmSK C/30機関砲x4(2x2)
2cmC/30機関砲x6
53.3cm四連装魚雷発射管2基8門
爆雷投射機4基
爆雷投下軌条6基
装甲なし
建造所Blohm + Voss, Hamburg
(ブローム・ウント・フォス社 ドイツ連邦共和国ハンブルク市)
  • Z16はドイツ海軍の1934A型駆逐艦(Z5型駆逐艦とも)の12番艦。
    ブローム・ウント・フォス社のハンブルク造船所にて1935年11月14日に起工、37年4月21日進水(3月とする資料もある)、38年7月28日に就役した。
  • 1934A型はヴェルサイユ条約による制限を受けて開発された1934型駆逐艦(Z1型)の性能に満足できなかった海軍が新たに設計した駆逐艦である。
    1934型と比較して凌波性向上などが設計に反映されている。
  • 姉妹艦合わせて12隻が建造されたが、第二次世界大戦の激戦によりうち7隻が戦没している。
    それでも5隻は大戦を生き延び、フランス・ソ連・イギリスに賠償艦として引き渡されている。
    もっとも、Z16は世界大戦を生き延びる事は出来なかった。
     
  • 就役から1年後の1939年、第二次世界大戦が勃発。
    ドイツ海軍の海上部隊の一員としてZ16は活躍していく事となる。
    以降、Z16はイギリス近海での機雷敷設作戦に従事している。
  • 1940年、ドイツ軍によるノルウェー・デンマーク侵攻を目的とするヴェーザー演習作戦が発動。
    Z16はドイツ艦隊のグループ2の一員として、アドミラル・ヒッパーと共にトロンハイムへと向かっている。
    ヴェーザー演習作戦終了後も、Z16はその後のドイツ海軍の作戦行動に引き続き参加している。
  • 1941年6月22日、ドイツ軍のソ連侵攻により独ソ戦が開始されるとドイツ海軍は連合国の他にソ連とも戦う事となった。
    また、ソ連へと向かう援ソ輸送船団に対する攻撃も行われ、Z16は北極海の戦いにも参加している。
     
  • 1942年12月31日、Z16はついに最後の時を迎える。
    援ソ輸送船団であるJW51B船団への妨害任務のため、ドイツ海軍はZ16を含む水上艦部隊を派遣。レーゲンボーゲン作戦の発動である。
    アドミラル・ヒッパーを筆頭に、装甲艦リュッツオウ、Z16やZ31を含む6隻の駆逐艦で構成された艦隊はイギリス艦隊を攻撃した。
    ノルウェーの北岬沖バレンツ海で繰り広げられたこの戦いこそ、バレンツ沖海戦である。
  • 対応するイギリスの護衛艦隊は駆逐艦6隻、コルベット2隻、掃海艇1隻、武装トロール船2隻と戦力は不十分であった。
    しかし、護衛対象である輸送船団を守るべくイギリス艦隊は果敢に反撃した。
    海戦の開始から3時間後、イギリス艦隊の増援として軽巡シェフィールドとジャマイカが到着。
    ドイツ艦隊は深追いを諦め、艦隊には退避命令が下った。Z16もこの命令に従った。
  • しかし、Z16はここで致命的なミスを犯してしまう。敵である軽巡シェフィールドを友軍のアドミラル・ヒッパーと誤認したのである。
    Z16はシェフィールドに迂闊にも接近、多数の6インチ砲弾が撃ち込まれ、Z16はバレンツ海に散っていった。
    生存者はなく、乗員341名全員が戦死している。
    • なお、このバレンツ沖海戦での敗北は新年早々、華々しい戦果を期待していたヒトラーを激怒させた。
      この時のヒトラーの怒りは凄まじく、レーダー元帥の海軍総司令官辞任まで発展している。
      さらにヒトラーはこの敗北で水上艦に対して完全に失望しており、全ての海上部隊解散、並びに全水上艦を解体せよと命令を下そうとしている。
      無論、レーダーの後任であるデーニッツ大将からの説得もありこの命令は撤回されたものの、ドイツ海軍の士気に響いたのは言うまでも無い。