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一期一振

Last-modified: 2017-08-13 (日) 17:47:04
25番
私は、一期一振。粟田口吉光の手による唯一の太刀。藤四郎は私の弟達ですな。一期一振(いちごひとふり)太刀粟田口
ステータス(MAX)
生存48(55)打撃49(64)
統率52(66)機動30(30)
衝力42(51)範囲
必殺30偵察30(33)
隠蔽25兵装備スロット3
装備可能刀装
軽歩/重歩/盾/軽騎/重騎
ランクアップチャート
一期一振一期一振 特(Lv25)
刀帳説明
私は、一期一振。粟田口吉光の手による唯一の太刀でございます。
吉光は短刀の名手でして、弟達はおおむね短刀です。
主だった豊臣秀吉は私を自分に合わせて磨上げて、今の姿になりましたが……
その頃の思い出は、大坂城と一緒に焼け落ちました。

※ステータスは刀帳に表示されている初期値のもの カッコ内の数値は錬結・内番で強化できる限界値

CV:田丸 篤志、イラストレーター:シキユリ(クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

現在の入手方法

過去の入手方法

イベント報酬


ステータス

他の刀剣男士との会話

その他

  • ボス到達のボイスの「オンテキはこの奥に。ご準備を」について、尊敬語としての「御敵」と単語としての「怨敵」で解釈が分かれる。
    正確な記述は公式の発表を待ちたい。詳しくはコメント過去ログを参照。
  • 以前は入手時のボイスとして誤ってボス到達時のものが設定されていたが、2015/02/03メンテナンスで修正された。
  • サービス開始当初は「本丸(負傷時)」のセリフは二種類存在したが、2015/02/18時点で一種類しか再生されなくなったことがユーザーにより確認されている。
    なお、消されたセリフは「ああ……炎が、何もかもが!」(←要反転) 今後再び聞けるようになるかは不明。

小ネタ Edit

  • 江戸期には三作の一人に数えられ、短刀作りの名手と謳われた粟田口吉光の太刀であり最高傑作と言われる。
    • 吉光は太刀を一振りしか作らなかったわけではなく、吉光作の太刀は他にも「櫂切吉光」や「御刀吉光」など何振りかある。中でも最高峰の太刀とみなされたため、室町時代にこの号が冠せられた。
  • 額銘、身幅の広い鎬造(しのぎづくり)、鎌倉時代中期の太刀に多く見られる猪首切先、地鉄(じがね)は小板目、刃文は直刃(すぐは)を主体に、細かい波状の乱れが入っている。
    • 猪首切先とは身幅に比べて短く詰った切先のこと。一度の刃こぼれでさえ研ぎ直しが利かないため、貞応から弘安までの五十数年で姿を消している。
    • 額銘とは磨上げて銘がなくなる場合、銘を切り取って茎(なかご)に新しくはめ込むこと。このことから「額銘吉光」の異名を持つ。
  • 秀吉により磨き上げられたという豊臣関連の史料は存在しない。刀剣の古文書にもこの説は載っていない。あれば追記をよろしくお願いします。
    • 享保名物帳には、大阪城落城のさいに焼けたので焼き直させたとき2尺8寸3分(約85.8cm)あったものを2尺2寸8分(約69.1cm)に磨りあげ銘は額銘にしたとある。*2
    • 大正二年刊行の詳註刀剣名物書にも、焼き直しの際に磨上げて入銘になり元は2尺8寸3分あったとある。*3
  • 宮中祭祀・新嘗祭で使用されることとされている。*4
  • ログインセリフは、豊臣秀吉の有名な辞世の句より。「露とおち 露と消えにし わが身かな 浪速のことも 夢のまた夢」

来歴

  • 戦国期、越前朝倉家の重宝となっていたが、朝倉家没落後、中国の覇者毛利家に移った。
  • 天正18年(1590年)に豊臣秀吉が毛利邸に臨んだ折りに彼を見つけ、しつこく所望したためやむなく毛利輝元より献上された。秀吉は一之箱に納めて秘蔵した。
    • 秀吉の刀係として管理にあたった本阿弥光徳*5の編纂した『太閤御物刀絵図』*6では生ぶの姿*7であり、一期一振が磨上げられた時期は秀吉が齢六十を目前に控えた文禄3年以降と判断できる。
    • 秀吉が死去する3年前、文禄4年の大友本には生ぶの姿が描かれている。
  • その後、大坂夏の陣で焼けてしまう。しかし徳川家康は越前康継に打ち直しを依頼。めでたく復活することとなる。
    • 打ち直し(焼き直し・再刃)とは、高熱で刃文が失われた状態から再び焼きを入れ、刃文を復活させること。刀は一度高熱で焼かれてしまうと強度が著しく損なわれるため、打ち直した刀は斬ることができない。
      ただ、重宝として代々伝えられる名刀群は合戦で使用する武器ではなく、観賞するために作られた芸術品である。
  • 元和元年(1615年、大坂の役後)の『埋忠寿斎本』には磨上げて額銘になったものが載っている。
  • 尾張徳川家に伝わっていたが、1863年に尾張藩主徳川茂徳から孝明天皇に献上され、以後は皇室御物となっている。

キャラクターデザイン

コメントはこの奥に。ご準備を。 Edit

鍛刀成果の報告はレシピ報告に、
ドロップ報告に関してはステージドロップ内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。

2015/02/02に設定されました当wikiガイドラインに基づき、入手・ダブり報告【のみ】・未入手の愚痴【のみ】のコメントはおやめ下さい。

ガイドライン周知のため、暫定的に折りたたんであります。




*1 メンテナンス後〜メンテナンス前
*2 日本刀大百科事典粟田口一期一振項
*3 名物焼失之部P.210
*4 宮内庁『御物調書』1989年
*5 本阿弥家は刀剣の鑑定と研磨を専門とする一族。13代光忠は『享保名物牒』を編纂
*6 文禄3〜4年編
*7 打たれたままの姿のことで磨上げなどが行われていないこと