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和泉守兼定

Last-modified: 2017-10-10 (火) 23:38:44
91番
刀は見た目だけじゃねえが、見た目が良くて損することもねえ。武器が一個多いってことさ和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)打刀兼定
ステータス(MAX)
生存50(58)打撃49(64)
統率48(63)機動30(30)
衝力40(50)範囲
必殺35偵察30(32)
隠蔽25兵装備スロット2
装備可能刀装
投石/軽歩/重歩/盾/軽騎
ランクアップチャート
和泉守兼定和泉守兼定 特(Lv25) → 和泉守兼定 極(Lv70)
刀帳説明
オレは土方歳三が使ってたってことで有名な、和泉守兼定だ。
……つっても、オレは評価の高い二代目兼定じゃなく、十一代目か十二代目が打った刀だけどな。
まっ、侍の時代の終わりの、その最先端だったんだ。生まれに文句はないね。
公式特設サイトの紹介
室町時代、東国随一の名工兼定の作であり
新撰組副長 土方歳三が愛用したと言われる打刀。
美と実力の両立をテーマとして生きている。
気が短いのは元の持ち主のせい。

※ステータスは刀帳に表示されている初期値のもの カッコ内の数値は錬結・内番で強化できる限界値

CV:木村良平、イラストレーター:白峰(クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

小粋な格好をしている彼は見た目と実力のどちらも極めている。少し短気なところも。堀川国広との赤いピアスは相棒の証でしょうか…(公式ツイッター本丸通信より)

現在の入手方法

過去の入手方法

キャンペーン報酬


ステータス

  • レアリティ3の打刀であり基礎能力はレアリティ2の打刀よりも高く、能力値配分は太刀に近い。
    • 太刀から打刀へ刀種変更されたため。
  • 遠戦の攻撃力は装備者の攻撃力(打撃値、レベル補正、昼夜の補正全て込みで)と比例関係と目されている。投石を用いるならばレア3打刀の高い打撃値が強みとなるだろう。

他の刀剣男士との会話

その他

  • ゲーム開始当初は太刀として実装されていたが、2015/07/22のメンテナンスで大倶利伽羅同田貫正国とともに打刀へ刀種変更が行われた。
    • それに伴い装備可能刀装、夜戦補正が打刀のものになった。さらに必殺が+5され、ランクアップ前後ともに35になった。
    • レアリティ、ランクアップするレベル、手入に要する時間と資源量、刀解で得られる資源量は変更されていない
    • 太刀であった頃は関わりの深い池田屋の記憶への出陣で力を発揮しにくい状態だったが、これにより夜戦でも活躍が可能となった。同日に実装された二刀開眼を堀川国広と発動する姿は、土方歳三の愛刀同士の面目躍如といったところか。
  • サービス開始当初「本丸(負傷時)」のセリフは二種類存在したが、2015/02/18時点で一種類しか再生されなくなったことがユーザーにより確認されている。
    なお、消されたセリフは「くっそ…次はこうはならねえぞ!」(←要反転) 今後再び聞けるようになるかは不明。

小ネタ Edit

  • 「兼定」とは、特定の刀の号ではなく、室町後期から江戸末期にかけて代々受け継がれてきた刀工の名で、彼等の打った刀もそう呼ばれる。
    • 代々の兼定のうち2名が「和泉守」の官位を拝領しており、彼等や彼等の打った刀が「和泉守兼定」と呼ばれる(詳細は後述)。
    • 初代は美濃の関鍛冶で、四代目が当時の会津の領主に招かれ会津へ移り住んだ。このため関住の初代から三代目までの兼定を「関兼定(せきのかねさだ)」、以降の会津住の兼定を「会津兼定」と呼んで*1区別することがある。
    • 土方歳三資料館に現存の和泉守兼定は会津藩お抱えの刀工、十一代目会津兼定(友弥兼元)作。
  • 文久三年の時点で土方歳三が所持したとされる和泉守兼定(詳細は後述のため省略)の大きさは二尺八寸と、当時の刀としてはかなり長い。近藤勇が郷里に宛てた手紙の文中に土方の差料が兼定であるとの記述がある。
    • 文久三(1863)年十月二十日付、土方歳三の義理兄佐藤彦五郎へ宛てられた書簡に「和泉守兼定二尺八寸」と記されている*2。同書簡に堀川国広の記述も確認できる。
  • 「二尺八寸」であったという書簡に対し、現存している兼定はニ尺三寸一分六厘と約五寸(約15cm)短い。書簡の内容が事実ならば、土方は兼定を二本所有していたことになる。土方歳三資料館に現存する和泉守兼定は会津十一代兼定の作と伝えられるが、研究者によっては同じ刀工が十二代目と数えられる場合もあり、ゲーム中で「十一代目か十二代目」と濁しているのだろう。
    ...
  • 一般に土方歳三はもう一振り、二尺四寸八分の和泉守兼定を所持していたといわれる。元治元(1864)年六月五日の池田屋事件後、刀研師源龍斎俊永の覚え書に「和泉守兼定 二尺四寸八分 右刀之定ヨリ後ノモノ」の記述がみえる。しかし、彼が記した「覚え書」は現存せず、近年の新撰組研究において「源龍斎俊永」という人物もその「覚え書」も創作であるとされている*5
  • 大隅守廣光*6の記した「刀剣注文簿」に新選組から刀の注文を受けたことが記されており、話が飛躍し和泉守兼定の注文もあったとされるが、これは間違い。正しくは、慶応三年一月四日に新選組名義で六振りの注文と、同年二月十九日に島田魁*7から一尺六寸の脇差の注文を受けた記録である*8
  • 現存する和泉守兼定の拵えは、柄は白鮫着せ黒糸巻き、滑り止めの為に漆が塗ってある。菱の数が十八半と小さく細かいのは幕末の流行り。鞘は茶の石目塗りに牡丹唐草と鳳凰の文様を抜き出し、縁頭・栗形・小尻は鉄地無文と武用専一が偲ばれる。鉄地木瓜形の板鍔に七夕図の彫物。目貫には美濃風の枝山椒図が使用されており、全体をみても洒落た拵えである。
    ...
  • 本人が言っている通り、土方の愛刀であることで有名。土方の写真に写っている刀がこの兼定である。
    ...
  • 司馬遼太郎の『燃えよ剣』では浅草で「之定」を入手したことになっているが、これは司馬遼太郎の創作である。会津藩主松平容保公から下賜されたのではないかといわれている。
    ...
 
  • ログイン時の読み込み中のセリフは新選組の局中法度の一つ、「一、士道ニ背キ間敷事」から。
    • 局中法度に違反すると粛清されるのは有名な話だが、武士の生まれでない隊士が多い新撰組をまとめ上げるためには不可欠な決め事でもあった。粛清のほうが倒幕志士を殺した人数より多かったとも揶揄されるが……
  • 「目潰しだ!」というセリフは斬り合いの際、土方が砂を蹴りあげて敵の目潰しをしたという逸話から。
    • 土方歳三は特別剣術の技術が高いわけではなく、上記の他にも相手に石を投げつけて怯んだ隙に羽織で首を絞めるなど、荒々しい喧嘩殺法を得意としていた。
       

キャラクターデザイン

  • 着物の鳳凰の柄は前述の拵えに由来か。
  • 肩から掛けているのは羽織風のマントであり、山形模様はあるが袖はついていない(図録に詳細あり)。
  • 同じ兼定銘である歌仙兼定とは衣装デザインで共通部分が多い。
  • 紋は土方歳三をあらわす左三つ巴にアレンジを加えたもの。
  • 黒髪に浅葱色(水色)の瞳など、相棒である堀川国広との共通点も見られる。
  • サービス開始に先立ち全身画像が公開されている。(公式ツイッター本丸通信より)
  • 刀剣乱舞一周年記念イラスト(公式Twitterより)

かっこ良くて強い!最近流行りのコメント Edit

鍛刀成果の報告はレシピ報告内に、
ドロップ報告に関してはステージドロップ内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。

2015/02/02に設定されました当wikiガイドラインに基づき、入手・ダブり報告【のみ】・未入手の愚痴【のみ】のコメントはおやめ下さい。

ガイドライン周知のため、暫定的に折りたたんであります。




*1 代数カウントは別で、会津初代は関の四代目に相当する
*2 日野市ふるさと博物館(2003年5月1日発行)『新選組のふるさと日野―甲州道中日野宿と新選組―』62〜63ページに書簡の写真あり
*3 小島江留武・川島貴敏(2012年10月1日刊行)『會津十一代和泉守兼定』図録 泰文堂
*4 http://www.geocities.jp/ntooma/index.html
*5 菊地明(2013年5月27日初版)『新選組謎とき88話』PHP 109〜115ページに詳細あり
*6 大隅守廣光…本名川井幸七、会津11代兼定の門弟。作刀は元治〜慶応年間のものしか残っておらず、維新後は形跡不明。
*7 島田魁(1828-1900)…新撰組隊士
*8 霊山顕彰会(1995年4月1日刊行)『霊山歴史館紀要』第8号「刀工大隅守廣光について」3〜15ページ参照
*9 土方愛(2005年5月11日初版オンデマンド版)『子孫が語る土方歳三』117ページ参照
*10 守屋毅(1978年7月)『日本美術工芸』478号「つくりもの考」7
*11 佐藤玉陵(俊宣)(1850-1929)…土方歳三の甥、佐藤彦五郎の嫡男。
*12 菊地明・伊東成郎編(2014年9月21日初版)『新選組史料大全』今昔備忘記(抄) 中経出版 875ページ
*13 橋本清淵(道助・政直)(1845-1905)…小島鹿之助の甥。小島鹿之助は近藤勇の義兄弟で、土方家とは親類筋にあたる。
*14 菊地明・伊東成郎編(2014年9月21日初版)『新選組史料大全』両雄士傳補遺 中経出版 896ページ
*15 佐藤晃(1941-)…佐藤玉陵の孫、佐藤彦五郎のひ孫。
*16 佐藤晃(1972年9月25日初版)『聞きがき新選組』新人物往来社 152ページ
*17 菊地明・伊東成郎・山村竜也編(2013年11月10日初版)『新選組日誌下』新人物文庫 906〜907ページに詳細あり
*18 菊地明(2011年11月10日初版)『土方歳三日記下』筑摩書房 490〜491ページに詳細あり
*19 ニ代目兼定、生没年不明、美濃関の人。関鍛冶を代表するひとり。1504〜1528年頃に活躍した。銘は「濃州関住兼定」「和泉守藤原兼定」を用い「定」をウ冠の下に「之」と銘したので「之定」と呼ばれる。『日本国語大辞典』『日本人名大辞典』引用
*20 日本刀剣保存協会(2014年刊行)『刀剣と歴史』719号16ページ・720号18〜19ページに兼定の系列図あり
*21 小島江留武・川島貴敏(2012年10月1日刊行)『會津十一代和泉守兼定』図録 泰文堂でも確認可能
*22 小島江留武・川島貴敏(2012年10月1日刊行)『會津十一代和泉守兼定』図録 泰文堂の6ページに「拝領口宣書」の写真あり。これに「文久三年十二月四日 宣上日 藤原兼定 宣任和泉守」を確認できる
*23 前掲注*2
*24 前掲注*3