その一

Last-modified: 2009-08-30 (日) 01:42:04

 窓から差し込む陽射しに、男はゆっくりと意識を覚醒していった。

 そして完全に意識は覚醒し、ゆっくりと男の目が開かれる。

 

「ん……っ」

 

 だが、目覚めてすぐの彼にとって、この陽射しは眩しすぎたらしい。

 反射的に動いた腕でその陽射しを防ぐための廂を作っていた。

 

「おはようございます。ご主人様」

 

 果たして、いつの間にいたのだろうか。

 不意に脇から聞こえたのは、女の声と窓を開け放つ音だった。

 

 開け放たれた窓から吹き込んだ風が男の頬を軽く撫でる。

 それで、男はやっと廂にしていた腕をどかし、その声の主の姿を認識した。

 

「昴か……」

「はい」

 

 昴と呼ばれた女は、軽く微笑を浮かべる。

 

「今、何時だ?」

「七時四十六分、四十九秒です」

「秒数はいい、秒数は。というか何で即答で秒数まで出せるんだ」

「これもメイドたる者の勤めですから」

「いや……何か激しく間違ってるからな、お前」

 

 少なくとも、そんなスキルを持っているメイドがいるなんて聞いたことはない。

 っていうか普通の人間はそんなことは出来ないと思うのだけど。

 

「そんじょそこらのメイドと一緒にしてもらっては困ります」

「地の分まで読むな」

 

 ため息一つ吐きながら、男はベッドから下りて立ち上がる。

 そして伸びをしながら、横に立つ昴へと問いかけた。

 

「今日の予定はどうなっている?」

「はい。本日は十一時よりぽん社長との面談。後、同じくぽん社長との食事会になっております。また、その他に幾つかの書類が届いておりますので、そちらの方にも目を通していただきます」

「ぽんさんか……。久しぶりだな」

「そうですね。かれこれ、半年振りでしょうか?」

「それぐらいになるな」

 

 昴から着替えを受け取りながら、男は半年振りに会うことになった友人といっても過言ではない人物のことを考える。

 

 この財閥とも無関係ではない会社の社長である、病院坂迷路。

 本人はそう呼ばれるよりはあだ名で呼んで欲しいというので、皆は『ぽん』と呼ぶが、由来を知っているものはあまりいなかったりする。

 昔は幾度かぶつかり合ったりはしたものの、今では丸く収まって手を結んだ関係になっている。

 それ故に、こうして時折会談や食事会をするのも珍しいことではなかったのだが、今回は向こうの都合で、こうして半年近い時間が空いてしまったのだ。

 

「あぁ、そうだ。ならば、流も連れてくるように頼んでくれるか? 小雨は毎日会っているだろうが、私の方も久々に会いたいからな」

「かしこまりました。後ほどそう伝えておきます」

「頼んだ。それじゃあ、私は着替えるから、先に食堂で待っていてくれ」

「はい。既に食事は出来ていますので、出来るだけ急いでくださいね」

「……主人を急がせるメイドっていうのも、レアだと思わないか?」

「気のせいだと思います」

 

 そう男の言葉をいい笑顔で一蹴し、昴は部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

 

「おや、サメ坊ちゃま。今お目覚めですか?」

「さっき昴に起こされてな。それで、秋蘭はどうしてこっちに?」

「先ほど昴に頼まれましてな。小雨お嬢様を起こしに行くところです」

「……本当、メイドにしては人使い荒いよな。あいつは」

「それを知っていて、昴を雇ったのでしょう。サメ坊ちゃまは」

 

 口許を軽く持ち上げて、そう秋蘭は笑った。

 さすがは長い間傍で執事をやっていただけあって、こちらの考えはお見通しらしい。

 皆までは言わないが、きっとサメが思っていることまで既に見抜いているのだろう。

 先代からこの家に仕えてきただけはある、ということか。

 

「まぁな。無駄に他人行儀になられてもやりにくいから、確かにあれぐらいの方がやりやすいよ、私は」

「左様でしょう」

 

 予想通り、とでも言いたげな口調だった。

 だけどまぁ、別に悪い気分はしないのは、そこに変な悪意とかが込められていないからだろう。

 ……いや、執事にそんなもの込められてもいやだけど。

 主従関係崩壊直前の状況だ、それは。

 

「それでは、私は小雨お嬢様を起こして参りますので、ご主人様は食堂へ。昴が待っております」

「分かった。また後でな」

「はい」

 

 もう随分な年のはずなのに、秋蘭は真っ直ぐに伸びた姿勢のままでその場を後にした。

 その姿を見て、サメはちょっとその秘訣とかを知りたい、とか思ってみたのは秘密である。

 

 だけどきっと、その裏には数え切れないほどの苦労があったに違いない。

 残念ながら、今もこうして昴や秋蘭に甘えている状態では、そこに至るのは難しいのだろう。

 

 そう判断したサメはそこで考えるのをやめ、食堂へと足を運ぶのだった。