Tier 4 ソビエト連邦 中戦車(課金戦車)
スペック
HP | 565 |
---|---|
車体装甲厚(mm) | 35/30/16 |
最高速度(km/h) | 70 |
重量/最大積載量(t) | 19.54/21.3 |
実用出力重量比(hp/t) | 27.78 |
本体価格(ゴールド) | 2,500 |
戦車パッケージ
A-32 (2,500G) |
詳細
パッケージ名 | エンジン | 武装 | 履帯 | 砲塔 | 他 | ||||||||
出力 | 弾種 | 貫通力 | ダメージ | 総弾数 | 弾代 | 発射速度 照準時間 精度 | 旋回速度 | 砲塔装甲 | 旋回速度 | 視認範囲 | HP | 通信範囲 | |
A-32 | BD-2 | 76 mm L-10U | A-32 | A-32 | 565 | 71-TK-3U | |||||||
540 | AP HEAT HE | 66 75 38 | 110 110 164 | 72 | 30 7G 38 | 14.29 2.29 0.44 | 40 | 35/35/35 | 40 | 320 | 440 |
解説
- 概要
Tier4ソ連プレミアム中戦車。
あの傑作戦車T-34の直接の原型となった車輌。
そのため外見は1940年型のT-34に酷似している。 - 火力
- 装甲
- 車体
前面35mm.側面30mm.後面16mmの傾斜装甲を持つ。
正面なら60mm以下の貫通力の砲弾であれば弾けるが、それ以上には容易く貫通されるのであまり当てにしないほうが良い。 - 砲塔
全周35mmなので撃たれたら貫通されるものと考えよう。
- 車体
- 機動性
540馬力を発揮するBD-2を搭載。
70km/hという最高速度と併さってMTとしては過剰とも言える機動力を発揮する。
ただし旋回は最高速度と比較してやや不足しているので曲がりきれない等に注意すること。 - 総論
何かと比較対象になるのが76 mm L-11を搭載したA-20。
火力はAPの貫通力で2mm劣るものの、発射速度、照準時間、精度、更にはHEのダメージで勝っている。
装甲も全体的にこちらの方が厚く、機動性も最高速度と旋回性能ではやや劣るものの、エンジン出力はこちらの方が上なので殆ど差は無い。
視認範囲や通信距離は劣っているものの、このTier帯であれば立ち回り次第でどうにでもなる程度の差である。
入手方法
入手するためには、一定の期間(2016/01/29-2016/02/05)に販売された下記のバンドルパックを購入する必要があった。
- A-32 (2,900G)
A-32、熟練度 100% 搭乗員、ガレージスロット x1 - A-32 Loaded (3,250G)
A-32、熟練度 100% 搭乗員、ガレージスロット x1、プレミアムアカウント ( 7 ) - A-32 Fully Loaded (4,100G)
A-32、熟練度 100% 搭乗員、ガレージスロット x1、改良型射撃装置、中口径戦車砲用装填棒、プレミアムアカウント ( 7 )
史実
A-32はソ連の試作戦車です。BT-7の後継として、A-20と共にトライアルにかけられました。
主砲はA-20が45mm砲M1934を搭載していたのに対し、A-32は76.2mm砲L-10を搭載していました。
赤軍装甲戦車局は1937年8月にハリコフ機関車製造工場に対し、「武装は45mm砲または76mm砲、装輪・装軌併用の構造を採用し、装甲厚は車体25mm、砲塔20mmで傾斜装甲」の新型快速戦車の開発を指示しました。
A-20設計時にコーシキン技師は、スペイン内戦の戦訓を独自に分析し、新型戦車にはより大型な車体と強固な装甲、そしてより強固な陣地を打ち破れる砲が必要であると考え、車体を大型化するとともに装甲厚を30mmに強化、主砲を76mm L-10に強化したA-30の開発も並行して進めます、この時は装輪併用を用いていましたが、T-28の足回りをトーションバーに替えたT-29の製作経験から、装輪併用のメリットが薄いと判断してこれを取り払い、A-32としました。
なお、この時採用された傾斜装甲はBT-SVシリーズでの試験データが参考にされているそうです。
1939年5月、ハリコフ機関車工場が大急ぎで双方の試作車を仕上げました、クビンカの試験場で性能試験を受けたA-20とA-32は試験の結果、後者に軍配が上がっています。
その理由はA-20は主砲の45mm砲では威力が小さいことと、装輪併用にメリットが見い出せなかったことに加えて、重装甲で履帯のみでもA-20と同等以上でBT-7の機動性に迫る性能が出せるA-32に負けて採用されませんでした。
同年8月に、T-32としてA-32が採用されますが、フィンランドとの戦争で苦戦を強いられていたソ連軍は、A-32ではまだ性能不十分と決定を下した後に、赤軍機甲戦車局によって生産計画を破棄されました。
これに応じてすぐに、A-20を設計したコーシキン技師と彼の設計グループによりA-32の再設計が行われ、主に装甲厚を1.5倍の45mm、主砲をより長砲身の76mm L-11とする案を提出、A-34として開発が進められました。
試作車の完成を待たずに、1939年12月に制式化が受理されて、T-34となり生産認可が下ります。
こうして、T-32は正式採用となったT-34に主力戦車の座を交替されることになりました。
コーシキン技師は開発・試験の課程で生じた軋轢や、政治的プレッシャーによる無理が祟り、T-34の量産車が軍に引き渡された1940年9月に42歳の若さで亡くなっています。
なお、CS版ではタンクアタック?に本編に先駆けて登場し、プレイヤーが扱える車両となっています。