Tier 2 フランス 軽戦車
スペック
HP | 140 |
---|---|
車体装甲厚(mm) | 40/20/20 |
最高速度(km/h) | 24 |
重量/最大積載量(t) | 12.35/12.8 |
本体価格(シルバー) | 3,900 |
パッケージ
┏ | FCM 36 (25) (350/) | ||||
┣ | ━ | AMX 38 (/41,000) | |||
FCM 36 (/3,900) | ━ | Char léger Modèle 1936 FCM (170/) | ┻ | FCM 36 bis (275/) |
詳細
パッケージ名 | エンジン | 武装 | 履帯 | 砲塔 | 他 | ||||||||
出力 | 弾種 | 貫通力 | ダメージ | 総弾数 | 弾代 | 発射速度 照準時間 精度 | 旋回速度 | 砲塔装甲 | 旋回速度 | 視認範囲 | HP | 通信範囲 | |
FCM 36 | Berliet MDP | 37 mm APX SA18 | FCM 36 | Tracteur RN.3 | 140 | 290 | |||||||
91 | AP APCR HE | 29 46 18 | 30 30 36 | 102 | 0 2G 6 | 23.08 2.0 0.5 | 39 | 40/40/40 | 31 | 280 | |||
Char léger Modèle 1936 FCM | Berliet ACRO | 37 mm SA38 | FCM 36 | Tracteur RN.3 | 140 | 290 | |||||||
95 | AP APCR HE | 34 67 24 | 40 40 45 | 102 | 14 2G 8 | 21.43 2.0 0.48 | 39 | 40/40/40 | 31 | 280 | |||
FCM 36 bis | Berliet Ricardo | 37 mm SA38 | FCM 36 bis | Tracteur RN.3 | 140 | 290 | |||||||
105 | AP APCR HE | 34 67 24 | 40 40 45 | 102 | 14 2G 8 | 21.43 2.0 0.48 | 42 | 40/40/40 | 31 | 280 | |||
FCM 36 (25) | Berliet Ricardo | 25 mm Raccourci mle. 1934 | FCM 36 bis | Tracteur RN.3 | 140 | 290 | |||||||
105 | AP APCR | 46 68 | 27 27 | 150 | 5 2G | 26.09 1.8 0.43 | 42 | 40/40/40 | 31 | 280 |
解説
- 砲
兄弟分ともいえるH35、R35と同じ砲を装備できる。
ただし、DPMでみるとH35>R35=FCM36である。
一方、俯角はR35同様かなり深くとることができるが、仰角は10度しかとれない。
- 装甲
本車のみ40/20/20で均一でない。
側背面ともに傾斜装甲ではあるが、同格よりやや劣る。
一方、正面装甲は幾つかあるスリットが弱点となっているものの、十分な厚みがある。
- 機動性
実用出力比でみると、H35>FCM36>R35となっている。
この3種にあっては比較的マシなほうだが、このTier帯にあっては非常に鈍重である。
また、砲塔旋回速度も鈍いため、快速軽戦車との接近戦闘は厳しい。
- 総論
このように、本車は、大戦初期仏軽戦車3種の中間的な存在であり、この3種のなかでもやや欠点が目立つ。
傾斜装甲を活かすためにも、高所から撃ち下ろされるシチュエーションは回避すべきである。
特に、側面を高所から撃たれると、機銃すら貫通してしまう。
(他2種に比べて)側背面の意外な弱さを考えると、装甲を過信せずじっくり戦うスタイルが望ましい。
史実
FCM 36はRenault R35、Hotchkiss H35とともに採用・量産された軽歩兵戦車である。本車は他の2種と比べはるかに高価であった。しかし、避弾経始を考慮した全溶接構造、燃費がよく火災になりにくいディーゼルエンジン等、他の安価な軽歩兵戦車にない先進性をもつため、今後のフランスにおける戦車開発の試金石としての役割を期待された。
本車は、ドイツがラインラントに進駐し戦争の機運が高まったため、制式化前の1936年5月26日に100両が発注され、その後1936年6月5日にフランス陸軍に制式採用された。しかし、戦車開発の試金石という本車の性格上量産は急がれず、初号車の納入は1938年5月2日、100両目の納入は1939年5月2日と緩慢なペースだった。軍はさらに100両の追加発注をしたが、FCM社が本車の価格を2倍にすることを要求し、かつ同社の生産能力がB1に割かれ余裕がなかったため、本車の生産は打ち切られた。
1939年3月から4月にかけ、本車を中心とする4e BCLと7e BCL(Bataillon de Chars Légers:軽戦車大隊)がセダン近郊で編制された。8月25日の動員でBCC(Bataillon de Chars de Combat)と改名、9月3日の開戦により、編制上いくらかの改組を受け、セダン防衛を任とするフランス第2軍の装甲予備戦力となった。1940年5月10日から始まったフランスの戦いにおいて、ムーズ川を渡河しセダンに橋頭堡を築いたドイツ軍に対し、7e BCCが反撃を実施した。この戦闘で、FCM 36は独軍装甲車をいくらか撃破した。しかしIII号戦車?に対しては、その主砲は無力であった。一方III号戦車もFCM 36の装甲を貫徹できなかったため、両軍戦車は接近して激しく撃ちあうこととなった。その結果、FCM 36の増加装甲が衝撃で剥げ落ち、脆弱部を貫通される事態となり、仏軍は本車を放棄し退却せざるを得なくなった。その後、FCM2個大隊はストンヌ(5/15)、エーヌ(6/9,10)と転戦し、ほぼ全車両が失われた。
撃破、放棄されたFCM 36のうち37輌がドイツ軍に鹵獲され、Panzerkampfwagen 737 FCM (f)と名付けられ後方警備や治安維持に利用された。このうち10両が1943年にFCM 36 Pak 40? に改装された。
参考資料
http://ja.wikipedia.org/wiki/FCM36
http://combat1.sakura.ne.jp/FCM36.htm