Tier 5 ソ連 中戦車(プレミアム)
スペック
車体装甲厚(mm) | 45/45/40 | 本体価格(ゴールド) | 2,300 | ||
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最高速度(km/h) | 前進 | 55 | マッチング範囲(戦闘Tier) | 5~7 | |
後退 | 20 | シルバーボーナス(%) | 48 | ||
隠蔽率 | 静止時 | 0.29 | 経験値ボーナス(%) | 45 | |
移動時 | 0.22 | 搭乗員経験値ボーナス(%) | 無し |
パッケージ
FG T-34 2,300G |
詳細
パッケージ名 | エンジン | 主砲 | 履帯 | 砲塔 | HP | 通信機 | |
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出力 | 下記参照 | 車体旋回速度 | 砲塔装甲 | 通信範囲 | |||
出力重量比 | 地形抵抗 | 旋回速度 | 視認範囲 | ||||
FG T-34 | V-2-34 | 76 mm F-34 | T-34 mod. 1943 | T-34 mod. 1940 | 680 | 9RM | |
500 | 42 / [32.31] | 52/52/45 | 525 | ||||
16.94 | 1.0/1.3/1.9 | 46 | 365 |
※車体旋回速度の実質値は通常地形、操縦手熟練度100%で計算。スキル及び超信地旋回の可否は考慮していません。
主砲性能 | |||||||||||
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名称 | 弾種 | 弾代 | 貫通 | ダメージ | 発射速度 | AP弾 DPM | 照準時間 | 精度 | 総弾数 | 最高角 最伏角 | |
76 mm F-34 | AP APCR HE | 80 6G 48 | 125 156 39 | 115 110 165 | 12.77 | 1,469 1,405 (APCR) | 2.30 | 0.38 5.41 2.45 | 70 | +26 -8 |
※先頭のセルの色は対応するパッケージの色となります。
解説
- 概要
ソ連プレミアム中戦車
実在したソ連の女性戦車兵「Мария Октябрьская(マリア・オクチャーブリスカヤ)」が搭乗していたT-34中戦車である。
性能はT-34 M1942パッケージから微調整を加えたものになる。- 付属搭乗員:Мария Октябрьская
実在の女性戦車兵。
戦闘中に車輌の修理を行ったというエピソードにちなみ、最初から「メンテナンス特訓」のスキルを所有している。
- 付属搭乗員:Мария Октябрьская
- 火力
- 76 mm F-34
F-34とは名ばかりで、性能的には76 mm S-54と同じ。ただしT-34の物より発射速度が下がっている。
基本的にはバランスの良い砲だが、DPMが低くAPCRを使うと更にダメージが低くなり扱いづらい。
照準時間や俯角は良好なため、使い勝手は悪くない。
- 76 mm F-34
- 装甲
名前は初期砲塔と同じだが、形状や装甲は位置は改良砲塔と同じ。
車体についてもT-34と同一であり、同格以上に装甲は通用しにくい。 - 機動性
砲塔が本家の改良砲塔(T-34 mod. 1943)と比べて400kg重くなっているため、出力重量比が僅かに落ちている*1。
その分履帯の性能が良く、悪路での機動力が改善されており、総合的な機動力にそれほど差は無い。 - 偵察性能
視界が強化されM4に肉薄する値になっており、より偵察がしやすくなっている。
元々隠蔽は良好なので、軽戦車の代わりに偵察をすることは十分可能だろう。
また、新たに迷彩を施す事も可能。 - 総論
機動力の安定性と視界が強化され、偵察に重きを置いたT-34といったところ。
主砲が扱いづらいのので、支援をメインに行動していこう。
史実
Мария Октябрьская(マリア・オクチャーブリスカヤ)
マリア・オクチャーブリスカヤは第二次世界大戦中、「Fighting Girlfriend」と名付けたT-34の操縦手として戦闘に参加し、ソ連邦英雄の勲章を受賞した女性です。
元々は電話交換手でしたが、大祖国戦争の初期(1941年)に夫が戦死した事を知り、復讐のために軍隊へ入隊しようと試みます。
その時には36歳とやや高齢で、過去に頸椎結核を煩っていた事もあり、徴兵検査所では入隊を拒否されてしまいました。
しかし、それでも諦めきれない彼女は私財を投げ打ってT-34製造のために寄付をし、自分が製造を手伝った戦車に乗せる機会を与えるようスターリンに直訴する手紙まで書いています。
そして、驚くことにスターリンは彼女の要求を承認したのです。
1943年10月、5ヶ月の戦車訓練を受けたマリアは「Fighting Girlfriend」と名付けたT-34の操縦士としてソビエト軍に入隊し、晴れてソビエト初の女性戦車兵となりました。
最初は周りの兵士もプロパガンダの一環かジョークと思っていましたが、1943年10月21日、スモレンスクでの初陣で周りの評価は一転します。
彼女が乗るFighting Girlfriendは機関銃数丁と大砲一門を撃破しましたが、ドイツ軍の攻撃により履帯が損傷し動けなくなってしまったのです。
その時、彼女は戦車から飛び出して車輌の修理を行い、この勇敢な行動が称えられて、軍曹に昇格しています。
しかし、1944年1月17日、ヴィテプスク周辺での戦闘でまたしてもドイツ軍の攻撃で戦車が行動不能になってしまいます。
すぐさまマリアは戦車から出て、戦火の中で修理を行ったのですが、その際に榴弾の破片が頭部に命中し、その負傷が原因で1944年3月15日に亡くなりました。
彼女は妹への手紙に「私はろくでなしどもを叩きのめしている。彼らは私を激昂させる。」 と残しており、復讐に燃えた人生でありました。
同年8月、戦闘中での勇敢な行動を称え、ソ連はマリアに対し「ソ連邦英雄」の勲章を授与しています。