Tier 9 ソビエト連邦 重戦車
スペック
車体
HP | 1,700 |
---|---|
車体装甲厚(mm) | 120/80/60 |
最高速度(km/h) | 50 |
重量/最大積載量(t) | 49,96/50,91 |
本体価格(シルバー) | 3,531,000 |
修理費(シルバー) |
戦車パッケージ
パッケージ名 (必要経験値/購入シルバー) |
┏ | IS-7 (189,200/6,100,000) | |||||||
IS-8 (164,700/3,531,000) | ━ | T-10 (67,800/245,000) | ━ | T-10A (122,450/395,700) | ━ | T-10M (137,750/552,200) | ┛ |
詳細
パッケージ名 | エンジン | 武装 | 履帯 | 砲塔 | 他 | ||||||||
出力 | 弾種 | 貫通力 | ダメージ | 総弾数 | 弾代 | 発射速度 照準時間 精度 | 旋回速度 | 砲塔装甲 | 旋回速度 | 視認範囲 | HP | 通信範囲 | |
IS-8 | V-12-5 | 122 mm D-25T | T-10 | T-10 | 1,700 | 440 | |||||||
700 | AP APCR HE | 175 217 61 | 390 390 530 | 30 | 1,025 12G 608 | 5.08 3.40 0.46 | 28 | 201/148/50 | 26 | 380 | |||
T-10 | V-12-5 | 122 mm BL-9 | T-10M | T-10 | 1,700 | 625 | |||||||
700 | AP APCR HE | 225 265 68 | 390 390 530 | 30 | 1,025 12G 608 | 4.75 3.40 0.40 | 30 | 201/148/50 | 26 | 380 | |||
T-10A | V-12-6 | 122 mm BL-9 | T-10M | T-10M | 1,800 | 730 | |||||||
750 | AP APCR HE | 225 265 68 | 390 390 530 | 30 | 1,025 12G 608 | 4.88 2.90 0.40 | 30 | 201/148/50 | 26 | 400 | |||
T-10M | V-12-6 | 122 mm M62-T2 | T-10M | T-10M | 1,800 | 730 | |||||||
750 | AP HEAT HE | 258 340 68 | 440 440 530 | 30 | 1,065 13G 630 | 4.88 2.90 0.37 | 30 | 201/148/50 | 26 | 400 |
解説
- 砲
- 122mm M62-T2
最終砲。BL-9を全体的に高性能にしたもので、今までの砲と比べると非常に使い勝手が良い。
Tier9HTとして十分な貫通・単発火力・DPMを持ち、照準時間が短くなり精度も改善されている。
ただし、他国も順調に砲性能を向上させていることから、あまり特徴の無い砲性能となっている。
またHPが1800となり、なんとか同格HTワーストを抜け出した。*1
- 122mm M62-T2
- 防御面
正面装甲に若干の強化こそあるが、それ以外はほぼIS-3より装甲が薄く、傾斜も緩い。
車体背面装甲はIS-3と同値である。
特に前身ではかなりの硬さを誇った砲塔が、減厚と傾斜の緩和によって、安心できる硬さではなくなっている。
車体正面にあるドライバーハッチと、その直下の左右の窪み、また砲塔天板が弱点。
そしてやはりIS-3と同じく昼飯はしてはいけない。
- 機動性
ISシリーズらしく機動性は相変わらず高く、重戦車としては比較的機動性が高い部類に入る。
- 総論
装甲は薄くなっているので、敵と正面から戦うのはやや苦手だが、他国戦車には決して見劣りしない攻撃力や視界とその俊足を生かして戦おう。
俯角が少なく、ちょっとした段差でも苦労することに注意。
戦う場所を良く考える必要がある戦車だ。
史実
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(大祖国博物館に展示されているT-10M)
T-10(テー・ジェーシチ)は、1950年代にIS-2・IS-3・IS-4の後継として開発・量産された重戦車である。
ISシリーズの最終生産型かつ、ソ連最後の量産型重戦車でもある。
「Тяжелый танк-10」の略称であり、「重戦車10型」の意味。
・開発
1944年頃、のちにT-10の大元になる計画が立てられたが、当時はIS-6やIS-7の開発が優先されて中止となっていた。
それから時間を経て1948年になると、この重戦車の開発はチェリャビンスク工場で再始動された。
当初の目標は、同工場が設計開発していたIS-4(Object 701)の近代化改修であり、内部パーツを交換して車重を60トンから50トンへと軽減する事を計画していた。
これはIS-4やIS-7が大重量化し過ぎていた事が問題視されたためである。
具体的な作業は1949年3月から開始され、コーチン技師が主導して最初期のObject 730(Объект 730)がチェリャビンスク工場で設計された。
これはIS-4に続く戦車なのでIS-5?の名が付けられたが、紛らわしい事にIS-5という名は「IS-2の改良型(Object 248)」にも使われており、混同しないように注意したい。
ここで設計されたIS-5(Object 730)は当初の目的から外れ、IS-3および開発中だったIS-7の設計を取り入れた新戦車へと変貌していた。
トランスミッション・サスペンション・エンジンなどの各所が全面的に更新され、新設計の砲塔は様々な装甲厚が提案された。主砲には従来の122 mm D-25T戦車砲を装備し、新型の電気機械式装填補助装置が付与される計画だった。
1949年4月、このIS-5(Object 730)のモックアップと資料がモスクワへ送られ、軍部や産業界の代表らによって審査され、改善項目が提示された。
この改善要求によりデザインが更新され、1949年5月に試作車輌の製作が承認された。しかし、コーチン技師らは新型戦車の製造ラインを組織化する組立作業書の作成に手間取り、文書が完成したのは1949年6月下旬になってからだった。
ゆえに試作車輌の開発が遅延してしまったが、コーチン技師は1948年8月の締め切りに何とか間に合わせるため、急遽IS-4を改造してお茶を濁す事にしたのであった。
まずIS-4の砲塔を取り外し、モックアップの重りを代替品とする事で、重量を強引に60トンから50トンに軽減させた。エンジンはIS-4のV-12を改良したものが予定されたが、この時点では旧式のエンジンが搭載されていた。また、Object 730のパーツの大半はIS-7の試作車輌で試験されたと言われている。
本当のIS-5(Object 730)は1949年7月30日に1つ目の車体が製作され、2つ目の車体がチェリャビンスク工場で製作されたのは8月9日だった。この時点で一部のパーツがまだ未開発またはテスト中であったため、試作車輌は1949年9月中旬にようやく完成したのであった。おそらく上層部にはIS-4の改造車体で誤魔化して時間を稼いだのだろう。
2つの試作車輌は1949年9月に工場試験を受けたが、これらの試験は失敗に終わった。
具体的にはトランスミッションに問題があると判明し、6速ギアと新設計の8速ギアの両方が試験され、新しいデザインの優位性が示された。
1950年3月には改良された3つの試作車輌が製造され、4月には試験を受けて良好な結果を出した。1950年夏頃には追加で10輌の試作車輌が製造された。
・量産
その後、IS-6およびIS-7計画が完全に不採用となると、このIS-5(Object 730)はIS-8へ改名された。
1950年末~1951年初頭には生産開始となる予定であったが、搭載予定のV-12-5 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジンが実用上および生産設備の整備上にも問題があると露見した。
このエンジンの生産・供給は他の戦車生産との兼ね合いから、現在のトルクメニスタン共和国に建設された工場が担当する事になっていたが、技術基盤の面で困難に直面していた。その為、エンジンの安定供給の目処がなかなか立たずにいた。
そこでコーチン技師はIS-9やIS-10といったさらなる改良型の設計と称して責任逃れに走っており、1952年12月にようやく量産が見えてきていた。
1953年3月5日、ヨシフ・スターリン書記長が死去すると、ソ連内におけるスターリン批判に伴い「IS(ИС)」の名が問題視された。
新しい最高指導者フルシチョフの名からНХ-10(NKh-10)またはНХ-1(NKh-1)とする事が提案されたが、これはフルシチョフ本人によって却下され、結局はT-10(Тяжелый танк-10)として採用された。
1953年~1966年まで量産され、 チェリャビンスク工場では1953年~1962年まで、レニングラード工場では1957~1966年まで生産された。
T-10の製造数の1589輌と言われており、約8000輌とする資料は誇張とされている。
生産車の大半は1957年から量産された改良型のT-10Mであり、1960年代には初期型のT-10もT-10Mに近代化改修された。
・その後
従来のソ連重戦車より重装甲でありながら馬力に余裕のあるエンジンを搭載したために機動性が高く、無理な小型化を目指さなかったために車内容積には余裕があり、これまでの重戦車に比べると実用性は改善されていた。優れた大火力と重装甲により、T-54/T-55?の支援戦車および陣地突破用戦車として独立重戦車連隊に装備されていた。
しかし、火砲と対戦車ミサイルの発達の前に装甲の優位が失われ、主力戦車(MBT)がこれにとって代わっていった。
T-10はソ連軍のみで運用され、同盟国への供与は行われなかった。実戦参加は1968年のチェコ動乱の時のみで、その際も本車による戦闘は記録されていない。
1980年代に入ると前線部隊からは引き揚げられたものの、予備兵器として実働状態を維持したまま保管されていたが、1993年には全ての車両が除籍された。
第一線で運用されなくなった後は、中ソ国境に配置されトーチカとして利用されていた他、少数が除籍後に鉄道局や戦車工場で重牽引車として使用されている。
コメント
- この戦車の結論の部分が弱点やマイナス評価しか書いてないかな?なんか悲しい... -- 2016-04-23 (土) 03:00:31
- そんなネガキャンされる程の戦車でもないんだがな、中戦車より遅いとは言うけど、加速鈍いだけで普通に中戦車に追従出来るし、主砲だって精度0.37とE75と同レベルの精度、単発は50低いが連射速度が高いからDPMがそこそこ高い、運用上よくかち合う同格MT相手なら単発の交換なら有利に立てる -- 2016-04-23 (土) 08:35:15
- やはりこの戦車はこのティア帯にあってない気がする -- 2016-05-09 (月) 23:31:29
- 装甲の薄さのせいで重戦車に求められる前線構築っていう仕事ができないからね、しょうがないね -- 2016-05-10 (火) 00:41:18
- そんなネガキャンされる程の戦車でもないんだがな、中戦車より遅いとは言うけど、加速鈍いだけで普通に中戦車に追従出来るし、主砲だって精度0.37とE75と同レベルの精度、単発は50低いが連射速度が高いからDPMがそこそこ高い、運用上よくかち合う同格MT相手なら単発の交換なら有利に立てる -- 2016-04-23 (土) 08:35:15
- ソ連まともな戦車作ってから戦争終わって... -- 2016-05-10 (火) 01:18:35
- ⬆にわか丸出しの史実解説ご苦労さん、 -- 2016-06-15 (水) 18:43:45
- 煽るなら繋げろ あと今更ひと月まえのコメに返してどーなるんですかねぇ -- 2016-06-15 (水) 19:00:21
- そもそもこいつは史実で言う所のKV1sのような装甲を薄くした戦車じゃ無いですし.しかも史実欄のとこに砲塔正面200mmって書かれてるけどT10Mになったら250mmに増圧されてるしそもそもこの戦車史実では車体上部傾斜込みで273mmですし、てかこのゲームでは弱体化されてるんですよね、そもそも配備されたのは切り込み部隊だし装甲減らした奴使ってどうすんだか...自分の妄想も入り混じった史実じゃなくてwiki引っ張ってくりゃいいんじゃ無いんですかね?それにIS8MじゃなくてT10Mだし -- 2016-06-19 (日) 20:52:41
- 煽るなら繋げろ あと今更ひと月まえのコメに返してどーなるんですかねぇ -- 2016-06-15 (水) 19:00:21
- この史実解説欄作った人はただIS8をdisりたいだけだという事がわかった -- 2016-06-28 (火) 22:53:01
- 元はIS-8でもゲーム内ではT10に変わってるんだから直した方が良くないか。 -- 2016-07-27 (水) 21:38:08
- せやな。関連するリンク全部直すの大変そう。 -- 2016-07-27 (水) 22:11:35