Т-44-100

Last-modified: 2018-01-19 (金) 08:19:28

R122_T44_100-min.png

Tier 8 ソビエト連邦 中戦車

公式紹介ページ

スペック

HP1,350
車体装甲厚(mm)90/75/45
最高速度(km/h)52
重量/最大積載量(t)33.5/37.0
本体価格(ゴールド)7,800
修理費(シルバー)

パッケージ

T-44-100
(7,800)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
T-44-100V44100 mm LB-1T-44-100T-44-1001,350730
620AP
APCR
HE
190
247
50
250
250
330
56252
11G
252
8
2
0.35
51120/100/10048380

解説

史実

T-44は、T-34の後継となるT-43試作戦車の85mm砲搭載型をベースに開発された戦車で、オブイェークト136の名称が与えられていました。
計画発足は1943年末のことで、1944年2月から本格的に開発が開始され、設計はT-34-85中戦車と同じくニジニ・タギルの第183ウラル戦車工場のA.A.モロゾフ主任技師を中心に進められました、車体の小型化と単純な箱形構造で、エンジンを横置きにしてスペースを切り詰める手法が取られているというものでした。

車体前面装甲板の左には前方視察用のバイザー付きスリットが設けられ、操縦手席上部にはペリスコープ付き乗降ハッチがあり、懸架装置はT-34中戦車まで用いられていたクリスティー式サスペンションより安定性が良く、内部スペースを取らないトーションバー式サスペンションを採用することなどを主要コンセプトに開発が取り組まれ、車高を下げ転輪は片側5組とされ、装甲を車体前面上部が120mm60度、車体前面下部が90mm45度、車体側面75mm90度、車体後部45mm90度、車体下面20mm、車体上面15mm、砲塔前面90mm、砲塔側面90mm20度、砲塔後面75mm12度、砲塔上面15mmと強化していました。

砲塔はT-34-85中戦車のもののネック部分を無くして装甲を強化したものを用い、主武装はT-34-85中戦車と同じ54.6口径85mm戦車砲ZIS-S-53を引き続き使用していて、副武装は7.62mmDTM機銃2挺を装備しています。
エンジンはV-44ディーゼルエンジン(520馬力)で、最大時速51km/h、燃料搭載量は500リットル+増加燃料タンク150リットル、航続距離300kmというものでした。
1944年7月には制式採用が決定、1944年11月から1947年までに1,823両が生産され、その内終戦までには945両が完成、幾つかの親衛戦車旅団がT-44中戦車に編制換えとなりベルリン攻防戦開始時には70両が実戦投入可能な状態にありましたが、ソ連軍指導部は敗北しつつあるドイツに向けるよりも、戦後の西側陣営との新たな対決に備えて本車を装備した部隊を温存することとし、前線に送るのをやめて温存する決定を下しています、戦後は北朝鮮や中国等に備えて極東に配備されました。

T-44を運用する上で比較対象に選ばれたのはアメリカからレンドリースで供与されたM26中戦車で、色々テストした結果、T-44は装甲貫徹で劣っていることが判明し、これがきっかけでT-54の開発に至りました。
T-44は主に変速機の不調が多く、1960年代にT-54/55とパーツ共用化を図った近代化改修が行われて改善され、砲安定装置を受けたものがT-44M/Sとなりました。 1960年代以降は二線級部隊に配備されたものの、訓練等の用途で少なくとも1970年代末までは使用していたらしいですが、1980年以降に全ての車両が一線から退き、一部はトーチカとしても使われていたそうです。

本車は採用早々から主武装の強化が求められ、試作型の1モデルにT-44-100またはT-44Vがあります。
艦砲を原型とする高初速の56口径100mm戦車砲D-10Tや、IS重戦車シリーズと同じ43口径122mm戦車砲D-25Tの搭載が試みられましたが、T-34-85中戦車から受け継いだ改良型砲塔は、砲塔リング径や内部容積がこれらの戦車砲搭載には不充分でした、そこで新設計の車体幅を超える砲塔リング径を持つ新砲塔にリニューアルして、100mmライフル砲D-10もしくはLB-1を搭載したタイプを試作し、最終的にはD-10搭載型(防楯中央部から砲塔上面が盛り上がっている)が採用されました。
その他、装填手用ハッチに12.7mm重機関銃DShKを装備し、厚さ6mmの装甲スカートを装着していました。
後にオブイェークト137と呼称され、これがT-54となりました。

T-44は、以後のT-90に続くソ連軍戦車の車体の雛形となるような戦車といえますが、登場の旬を逃してしまった故に、T-54の登場までの中継ぎ役に甘んじてしまった、という評価を受けることが宿命とされていた戦車でした。

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