Pz.Kpfw. III Ausf. A

Last-modified: 2017-02-20 (月) 17:51:21

PzIIIA.png

Tier 3 ドイツ 軽戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP200
車体装甲厚(mm)14/14/14
最高速度(km/h)68
重量/最大積載量(t)14.6/15.45
本体価格(シルバー)35,000
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
Pz.Kpfw. IV Ausf. A
(1,250/41,000)
D.W.2
(5,020/170,000)
Pz. III A
(1,500/35,000)
PzKpfw IIIA (2cm)
(1,085/14,400)
PzKpfw IIIA (5cm)
(2,775/32,520)
PzKpfw IIIC III
(2,435/27,110)
PzKpfw IIIC II
(0/1,920)
Pz.Kpfw. III Ausf. J
(3,800/138,000)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
Pz.Kpfw. III Ausf. AMaybach HL 108 TR3.7 cm KwK 36 L/46.5PzKpfw-III-Ketten Ausf. APzKpfw-III-Turm Ausf. A200310
320AP
APCR
HE
40
74
18
36
36
42
1560
2G
6
26.09
1.70
0.46
4014/14/1444320
PzKpfw IIIA (2cm)Maybach HL 120 TR2 cm KwK 38 L/55PzKpfw-III-Ketten Ausf. BPzKpfw-III-Turm Ausf. A200415
350AP
APCR
23
46
11
11
4003
1G
122.45
1.60
0.56
4414/14/1444320
pzKpfw IIIC IIMaybach HL 108 TR2 cm KwK 38 L/55PzKpfw-III-Ketten Ausf. APzKpfw-III-Turm Ausf. A200310
320AP
APCR
23
46
11
11
4003
1G
122.45
1.60
0.56
4014/14/1444320
PzKpfw IIIA (5cm)Maybach HL 120 TRM5 cm KwK 38 L/42PzKpfw-III-Ketten Ausf. BPzKpfw-III-Turm Ausf. C240455
440AP
APCR
HE
60
96
25
70
70
90
7630
5G
18
24
2.29
0.47
4430/30/3035320
PzKpfw IIIC IIIMaybach HL 120 TRM2 cm KwK 38 L/112PzKpfw-III-Ketten Ausf. BPzKpfw-III-Turm Ausf. C240455
440AP
APCR
39
51
11
11
4003
1G
136.36
1.39
0.44
4430/30/3035320

外観

1_Pz.Kpfw._III_Ausf.A.jpg
Pz.Kpfw. III Ausf. A - 3.7 cm KwK 36 L/46.5
 
3_PzKpfw_IIIA_(2cm).jpg
PzKpfw IIIA (2cm) - 2 cm kwK 38 L/55
 
2_PzKpfw_IIIc_II.jpg
PzKpfw IIIC II - 2 cm KwK 38 L/55
 
4_PzKpfw_IIIA_(5cm).jpg
PzKpfw IIIA (5cm) - 5 cm KwK 38 L/42
 
5_PzKpfw_IIIc_III.jpg
PzKpfw IIIC III - 2 cm KwK 38 L/112
 
同じ3号戦車でも量産車で採用されたトーションバー式サスペンションではなく相対的に低い車高が特徴。

解説

史実

第一次大戦後の再軍備計画で装甲部隊の創設者ハインツ・グデーリアン上級大将(当時は中佐)が提案した対戦車用戦闘車と支援戦闘車の二種類で、対戦車用戦闘車として開発されたのがPz.Kpfw.III。支援戦闘車として開発されたのがPz.Kpfw.IVである。
1935年後半、兵器局はMAN社、ダイムラー・ベンツ社、ラインメタル社、クルップ社の4社に対し開発を指示、ヴェルサイユ条約により軍備に様々な制限を受けていたドイツは主力戦車であるPz.Kpfw.IIIに秘匿名としてZW(Zugfuhrerwagen-小隊指揮官車)と命名した。
車両開発には訓練用の戦車による演習やスペイン内戦での実戦によってもたらされた戦訓により先進的な技術等が取り入れられた。
1.歩兵部隊が既に対戦車砲として37mm Pak 35/36 L/45を装備していたので主砲には対戦車能力を更に重視した3.7cm KwK 36 L/46.5を装備するが、将来5cm砲の搭載も考慮したターレットリング径を確保。
2.高速を発揮できるサスペンションとしてトーションバー式を装備。
3.送受信可能な無線装置を全車に装備し、戦車間の連携を確保。(これは第一次世界大戦ではコプレンツ第3電信大隊に勤務していたグデーリアンが無線を重要視した為と言われる)
4.砲塔内に砲手、装填手、戦車長の3名。車体前部に操縦手、無線手の2名での運用。これによりそれぞれの役割が明確化し、以降の戦車の搭乗者の人数の基本となった。

最終的にダイムラー・ベンツ社が採用され量産が開始された。
1937年に10両のプロトタイプ(15両説もある)が完成したが、その内の8両が第1~第3装甲師団に配備され、1939年9月1日、第二次世界大戦の引き金となったドイツによるポーランド侵攻へ運用された。
しかし能力不足を理由に1940年2月には実戦部隊から引き上げられた。
プロトタイプの特徴として足回りに試行錯誤が見られ、このA型ではコイルスプリング式を採用。転輪が片側5輪、上部転輪が後方2輪のみとなっておりB型以降と比べても見分け易い。
pzkpfwiii_ausfa.jpeg

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