Renault Otsu

Last-modified: 2017-08-27 (日) 20:39:22

Renalut_NC27.png

Tier 1 日本 軽戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP110
車体装甲厚(mm)30/30/22
最高速度(km/h)23
重量(初期/最終)(t)8.01/8.5
本体価格(シルバー)0
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
Ha-Go
(110/3,000)
Chi-Ni
(150/3,900)
R. Otsu
(0)
Otsu-Gata Sensha
(--/1,900)
I-Go/Chi-Ro
(-/-)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
Renault OtsuRenault L437 mm APX SA18Renault NC-27Renault Kou10090
60AP
APCR
HE
29
46
18
30
30
36
2400
2G
6
24
2.29
0.54
4618/18/1635250
Otsu-Gata SenshaMitsubishi A475VD37 mm SogekihouRenault OtsuRenault Otsu110350
75AP
AP
HE
32.79
48.59
18
45
45
55
12014
2G
8
17.64
2.70
0.50
4820/20/2035280

解説

史実

日本陸軍は、機械化のために大正9年(1920年)ルノーFTを購入しました、ルノー甲型戦車として主に運用実験に賦されましたが、満州事変や上海事変ではハルピン付近で補給戦車として活躍した程度でした。
輸入されたルノーFTことルノー甲型は、自動車隊、歩兵学校、騎兵学校、歩兵学校教導隊戦車隊などに配備されています。
この、ルノーFTが陸軍参謀達に「安い軽戦車を大量導入すればいい」という考えを植えつける要因となったのでした。
ルノーFTを大量に作ったものの、第一次大戦の終了で大量のデッドストックを抱えたフランス・ルノー社は、不要になった中古と併せて、バーゲンセールのような破格で世界に向け売り出しました。
この時、日本は追加を含めて十数両を輸入していましたが、24km/h程度の速度では決して軽快とはいえず、運動性も悪く故障も多いと言う評価が下されています。
何しろ、10km走っただけでエンジンの分解整備をしなければならず、自走は諦めてトラックでの積載で現地まで運んだと言うそうです。
おまけに、中古のためか常にどこかが故障しており、実際には時速4km/hも出ればいい方だったそうです。
こうなっては、第一次大戦の傑作戦車も老いたる駄馬となり下がっていたのでした。

もはや、旧式で信頼性もないルノーFTは破格ゆえの安かろう悪かろうだったので、新品戦車の大量購入を要望する日本に対してルノーは、何としても大量の中古のデッドストックを捌かせようとしますが、日本はここで折れ大量購入をあきらめて13両の追加に止め、自国生産の道に踏み切ることになりました。
安いだけで旧式で将来性もない戦車でなく、万難を排して国産化するべきとして、同時期に購入していたイギリス・ヴィッカース社のMk.C戦車を参考に試製1号戦車の開発をスタート、年号が昭和になった1927年に完成させています。
奇しくも、同じヴイッカース製戦車を元にした、ソ連のT-26と対峙することになるのは、もう少し先のことになります。
しかし、国産に踏み切るのは良かったものの、開発などには時間がかかるために完成までの間、その繋ぎとしてルノーに新型を打診します。 ルノーは大量の在庫処分に懸命でしたが、日本側は旧式はいらないと拒否します。
そこで、1927年にルノーFT17の改良型でシュナイダー社とルノーが試作した「ルノーNC27(27年式新型戦車の意)軽戦車」を一個中隊分(10両)購入しました。 これによって、FT17をルノー甲型、NC27を乙型と分類しました。
後に、NC1ともいわれます。 本車はこの乙型を使用しています。
NCはNouvelle Char(ヌーベル シャール)、フランス語で新戦車を指します。
早速さまざまなテストを行い、エンジンの過熱と脆弱な懸架装置の問題によるため故障が発覚、特に電気系統の故障が多く致命的と評価されました。
日本陸軍はこの性能に満足できず、技術本部でこれを補強した上で、サスペンションの改修や尾体を付けて超壕幅を1.5mから2mに強化など、改良を重ねましたが、これにより重量が試作時の7.9tから8.6tに増え、最大速度は18.5kmから18kmに低下してしまいました。
NC27軽戦車はルノー乙型戦車として配備され、満州事変で初陣を飾りましたが、開口部から銃弾が飛び込んだり、足周りのトラブルが多発したりして、結局は日本が開発した八九式中戦車に取って代わられることになり、昭和9年には姿を消しました。
全長4.41m、全幅1.71m、全高2.14m、自重7.88t、全備重量8.5t、武装は37mm砲または機銃1丁。
装甲厚は車体前面30mm、側後面22mm、底面11mm、上面6mm、砲塔全周20mm、砲塔上面8mm。
カタログスペックでは、エンジンはルノー直列4気筒ガソリンエンジン(60馬力)で、最大速度18km/h、燃料搭載量140リットル、航続距離100kmを発揮。
乗員は砲手と装填手を兼任する車長と操縦手の2名でした。

ちなみに、昭和7年(1932年)に起きた第一次満州事変に実戦投入されていますが、八九式中戦車と臨時派遣独立戦車第二中隊を編成していましたが、中には「八九式の方が優秀だった」と息を巻いてルノー乙型を酷評していたそうです、それは後発で作られた八九式が上回るように作られているので、比較するには正しい評価とは決して言えないでしょう。
IMG_0704.JPG
御殿場宿にて駐車するルノーFT、他にホイペットなども随行していた。

コメント

  • 遅い…なにもかも。特にレティクルのくっぱぁぁ加減は驚くレベル。狙撃砲は、ぼさっとつったってるnoobを狙おうw -- 2015-02-26 (木) 07:18:00