Tier 7 アメリカ 中戦車
スペック
車体
HP | 1,000 |
---|---|
車体装甲厚(mm) | 64/51/38 |
最高速度(km/h) | 56 |
重量/最大積載量(t) | 28.79/30.0 |
本体価格(シルバー) | 1,340,000 |
修理費(シルバー) |
戦車パッケージ
パッケージ名 (必要経験値/購入シルバー) |
┏ | Pershing (98,100/2,403,000) | |||||
T20 (55,500/1,340,000) | ━ | T20 Pre-pilot T20(105) (13,800/79,900) | ┳ | T20(90) (41,550/153,500) | ┫ | |
┗ | T20(105) (29,050/112,800) | ┛ |
詳細
パッケージ名 | エンジン | 武装 | 履帯 | 砲塔 | 他 | ||||||||
出力 | 弾種 | 貫通力 | ダメージ | 総弾数 | 弾代 | 発射速度 照準時間 精度 | 旋回速度 | 砲塔装甲 | 旋回速度 | 視認範囲 | HP | 通信範囲 | |
T20 | Ford GAA | 76 mm Gun M1A1 | HVSS T48 | T20D1 | 1,000 | 395 | |||||||
520 | AP APCR HE | 128 177 38 | 115 115 185 | 70 | 96 7G 68 | 14.29 2.29 0.43 | 37 | 88/63/63 | 44 | 370 | |||
T20 Pre-pilot T20(105) | Ford GAA | 76 mm Gun M1A2 | HVSS T51 | T20D1 | 1,000 | 395 | |||||||
520 | AP APCR HE | 128 177 38 | 115 115 185 | 70 | 96 7G 68 | 18.18 2.29 0.40 | 37 | 88/63/63 | 44 | 370 | |||
T20(90) | Ford GAN | 90 mm Gun M3 | HVSS T51 | T20D2 | 1,100 | 615 | |||||||
560 | AP APCR HE | 160 243 45 | 240 240 320 | 48 | 255 11G 255 | 6.38 2.29 0.37 | 37 | 88/63/63 | 42 | 390 | |||
T20(105) | Ford GAN | 105 mm SPH M4 L/23 | HVSS T51 | T20D2 | 1,100 | 615 | |||||||
560 | HE HEAT | 53 101.59 | 410 350 | 36 | 166 10G | 7.50 2.29 0.55 | 37 | 88/63/63 | 42 | 390 |
解説
史実
M4中戦車を主力として大量投入したアメリカ陸軍ですが、元々歩兵の支援を目的とした75mmM3砲だったために、火力不足が否めず、アフリカ戦線でチュニジアにドイツ軍がティーガーを投入すると、ただでさえドイツ軍の火砲に対して損害の多かったM4も、将来的にヨーロッパ戦線を見越すと不安要素を払拭するに至らないことが解りました。
というのも、アメリカ参戦当初、陸軍地上軍管理本部(AGF)はドイツ軍戦車に遭遇するのは稀であると楽観し、たとえ損耗があっても数で押し切れると予想していたためでした。
しかし、少数のティーガーで多数の損耗が出るとなると、M4シリーズを根本的欠点から改ためる必要性に迫られ、その結果、T20の開発が1942年5月にスタートしました。
そもそも、既存の実現可能な技術で堅実かつ迅速に、という縛りで開発されたM3中戦車をベースにしたM4だけに、航空用星型空冷エンジンを車載したため、大柄で避弾率の高い車体を、T20では、より低姿勢の車体にするべく戦車用フォードGANV8エンジンのみに改められ、避弾経始を取り入れたものになりました。
T20はM6重戦車で使われたパーツや技術が多く流用されており、砲塔はM4と酷似したものを使用しておりましたが、主砲はM6の主砲として使われた3インチ砲を改良した76mmM1A1を搭載、M6で採用されたツインディスク・トルクコンバーターと2個の渦巻きスプリングを水平に取り付けたボギー形式(HVSS)サスペンションをそのまま使用しました。
1943年5月に完成したものの、並行開発されていたT23が先に完成し先行量産を取り付けることになり、T20はテストのみで開発が終了されることになりました。
また、生産性を考慮して、ツインディスク・トルクコンバーターをM4と同等の変速機に置き換えたT22も同時開発でありましたが、結局、T20/T22/T23共にM4の性能を上回るには至らなかったことと、AGFがM4の性能で十分という考えに固執していたため、そこで開発は打ち切られ、1943年10月にはT25とT26の試作重戦車の開発に移行されることになりました。
しかし、T25もやはりAGFにより性能不適切とされ、T26の開発が進められることになったのは、1944年になってからのことでした。
なお、砲塔は76mm戦車砲搭載のM4A1シャーマンが、対戦車砲としてはいいが、歩兵支援では榴弾の威力が低いと失敗兵器扱いされた事に対して、設計部が意地でも認めさせようとT20の砲塔を載せてM4A6というサブタイプを20両ほど仕上げています。
しかし、本当に失敗兵器だったのは、砲そのものではなく76mm用榴弾だったというオチで、比較対象として引き合いに出された75mm榴弾より弾頭重量の軽さと炸薬の少なさが原因でした、ですが、この榴弾を用意した試験を取り仕切る軍部と、失敗兵器扱いした機甲軍試験部の落度だった事は遂に棚上げされたままとなっていました。
さらに、AGFはこれら76mmと75mmでドイツ戦車相手には十分とこだわり続け、それより大口径砲の搭載を最後まで拒んでいました。
載せてるのヘルネコ砲だし、素早く要所を抑えるなら充分な足じゃないかな -- 2017-05-13 (土) 05:40:23