Tier7 アメリカ 戦闘機 North American P-51D Mustang
性能一覧(v2.1.11)
項目 | 初期状態 | 最終状態 |
---|---|---|
火力 Gun Armament | 12 | 20 |
爆装 Bombs and Rockets | 0 | |
抗堪性 Survivability | 8 | 9 |
耐久値 Hit Points | 280 | 300 |
速度 Airspeed | 51 | 55 |
最適高度最高速度(km/h) Top Speed at Best Altitude | 670 | 710 |
最大降下速度(km/h) Maximum Dive Speed | 850 | 900 |
機動性 Maneuverability | 63 | 64 |
一周旋回時間(s) Average Time to Turn 360 deg | 10.9 | 10.8 |
横転率(°/s) Rate of Roll | 140 | |
最適速度(km/h) Optimum Airspeed | 462 | 483 |
失速速度(km/h) Stall Speed | 160 | |
高度性能 Altitude Performance | 71 | |
最適高度(m) Optimum Altitude | 2,200 | |
上昇率(m/s) Rate of Climb | 130.0 | 135.5 |
フラップ | あり | |
ブースト時間(s) | 12 | |
本体価格(Cr) | 1,300,000 |
装備
武装
翼内機銃 | ダメージ/秒 | 発射速度 (rpm) | 有効射程 (m) |
4x 12.7 mm AN/M2 (W) | 54 | 750 | 572 |
---|---|---|---|
6x 12.7 mm AN/M2 (W) | |||
6x 12.7 mm MG-53-2 (W) | 62 | 800 | 593 |
その他の項目
名称 | 耐久値 |
P-51B | 280 |
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P-51D | 300 |
名称 | 馬力 (hp) | 冷却方式 | ブースト時間 (s) |
V-1650-1 | 1,300 | 水冷 | 12 |
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V-1650-3 | 1,490 | ||
V-1650-7 | 1,695 |
1 | Pilot |
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派生軍用機
解説
- v2.0
- v1.9
Tier7 アメリカ 戦闘機。
P-51Aから始まるP-51 3兄弟の真ん中。
ほぼP-51Aの上位互換と言っていい性能で、速度高高度ともに同Tier帯としてはトップクラスの性能を持っており、高高度で同Tier相手の戦闘では比較的優位に展開できる。
同Tierの日本機ソ連機の性能、特に火力が以前のTierに比べ相当上がっており、一瞬で落とされかねないので、低高度では出来るだけ戦わないように。
機銃の換装には改良胴体を先にゲットしなければならない。
最終的に最大6丁の12.7mm機関銃を搭載可能だが、それでも同Tierに比べ火力不足。
同格の多くが20mm以上の機関砲を3門以上搭載可能な事を考えると瞬間火力はTier最低クラス。
他の機体の様にワンチャンスで一気に削る事が出来ないので、しっかりと当てて行こう。
特にヘッドオンではほぼ勝ち目がないので回避したいところである。
Bf 109 GやI-220が相手だと中々苦しい戦いを強いられる。
とはいえ、適正高度が低い他の機体よりは断然マシである。
Bf 109 GやI-220とのサシなら4000mまで上がってから索敵を始めよう。
敵が3500m以下にいたなら割と優位に立てる。
BOTが投入されているので状況が変わっている。
パッチノートに記載が見当たらないようだが、弾薬費が若干引き下げられた。
ver1.9.0からStandard弾に限り、弾薬費は無料になっている。
史実
P-51は、アメリカのノースアメリカンにより製造されたレシプロ単発単座戦闘機である。愛称はマスタング (Mustang)、あるいはムスタング。
第二次世界大戦の半ばにイギリスのロールス・ロイス マーリンエンジンを搭載した後は、大きな航続力、高高度性能、運動性を与えられ、多くの戦功を残し、最高のレシプロ戦闘機とみなされている。
1939年に第二次世界大戦が勃発してすぐに、イギリス及びフランス政府は共同で合衆国内(ニューヨークのマンハッタン)に、サー・ヘンリー・セルフを長とする英仏購入委員会(Anglo-French Purchasing Commission) を設立した。この委員会はドイツによるフランス占領後はイギリス単独の機関となった。セルフが抱えていた多くの仕事のなかには、イギリス空軍のためにアメリカの戦闘機製造を組織化することも含まれていた。この時点では、完成ずみのアメリカ製航空機のうちで、ヨーロッパの水準に達しているものは皆無だった。カーチス製のP-40 ウォーホークだけがいい線を行っていたが、工場は最大限稼働していたにもかかわらず供給は不足していた。
1940年2月25日、セルフはノースアメリカン (NAA) の社長 "ダッチ"・キンデルバーガーに「カーチスからライセンス供与を受けてP-40を作れないか」と尋ねた。ノースアメリカンは既にAT-6 練習機のイギリス向け輸出型、ハーバード I を生産しており、その品質はイギリス空軍でも高く評価されていた。3月のある日の午後、キンデルバーガーは主任設計士のエドガー・シュミュード[1]に相談した。シュミュードはかねてから戦闘機設計の構想を抱いていたため、戦闘機の自社開発は出来ると答えた。キンデルバーガーのヘンリー卿への回答は、「ノースアメリカン社は、同じエンジンで、もっといい航空機を、より短い製作期間で、初飛行させることができる」というものだった。そして、5月29日、ノースアメリカン社とイギリス空軍の間に契約が交わされた。
出典
P-51 Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/P-51_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
NA, I-220 61%, 51D 50%, 109G 50%
RU. I-220 56%, 51D 52%, 109G 48%
EU, I-220 57%, 51D 52%, 109G 49% -- 2015-06-02 (火) 10:08:40