神の恩寵

Last-modified: 2009-07-06 (月) 20:55:20

 産声を上げたばかりの小さな国にとって、剣のかけらの調達と、守りの剣の結界にかまわず侵入を試みる低級の蛮族からの防衛は死活問題だ。そして、その両方ともを実現するのが、冒険者というフットワークの軽い人種である。
 だから、主が、とうとう本懐を遂げ、先祖の地に剣を安置し──
「これまで、ご苦労であった。何でも褒美を取らす」
 そう言ったとき、……何でもと大見得を切ったその懐事情ももちろん知り尽くしていたから、迷わず即答した。
「冒険者の宿を、ひとつ、くださいな」
 
 始めてみれば客あしらいは思ったより大変な仕事ではなかった。今や冒険者の間では英雄的な扱いを受けるに至った領主、彼女に随行していたルーンフォークだということは特に宣伝したつもりはなかったが、雰囲気というものは伝わってしまうものらしく、そのために一目を置かれたということもあったかもしれない。
 むしろ不向きだったのは掃除や仕出しなどの細々(こまごま)とした仕事の方で、はたきの代わりに銃を、お盆の代わりに盾を持ち歩いていた生活から上がったばかりの身には、詮ないことではあった。
 
 手っ取り早くその辺からコボルドの2、3匹でも見繕ってこようかと考え始めた頃、主が自分ともう一人、剣を奪還する旅の道連れとしていたルーンフォークを街の地下の施設に呼びつけた。とは言え男性型の彼は、主の城で執事めいたことをしていたからそれで同伴してきているだけで、その時は二人に揃って申しつけられる用だとは考えていなかった。
「お店の噂、お聞きしてますよ。結構派手にやってるようじゃないですか」
「派手たぁご挨拶だねェ。あんた方と一緒に出歩いてたときと、あたし自身は何も変わっちゃァいないつもりだけど」
 彼は稼働年数こそ自分と同じ程だろうが、最初から冒険に同行していたこちらの目から見ると、いまいち頼りないという印象をぬぐえずにいる相手だった。だいたい蛮族を倒したり、こんな地下の遺跡にやってくるのに真っ白なタイと手袋を身につけているというのはどうなんだ。
 ただ、魔動機師としての手腕や知識は確かで、自分や主を初めとする旅の仲間がそのために命を拾ったことも一度ならずあった。そんなわけでいちおう一目置いてはいるのだが、それを言葉に示すつもりは毛頭ない。
「久々に顔を合わせたからといって、じゃれ合うことはなかろ。それよりお前達、これは何だと思う」
 主に促されて見たものを、見間違うはずもない。自分や目の前の相手も確実にお世話になったはずの、ルーンフォークを生産するためのジェネレーターだった。
 状況の飲み込みが早いことは、自負していた。
「父親になるってェ面かね、これが?」
「……何をおっしゃるんですか。ガーネットさんが母親になるってことの方が、よっぽど意外性に満ちてます」
 そんなわけで、柘榴石亭の一人目のウェイトレスは誕生した。
 
 燃えるような赤い瞳に髪だから、ガーネット-柘榴石-。
 生真面目な顔に、あつらえたようなマジックアイテムのそれを掛けていたから、リュネット-眼鏡-。
 そのふたりの娘だから、ジャネット。
 それらすべてを名付けたのは主であり、今は領主の彼女だった。
 
 

      ┏━━━━━━━━━━━━━━
    ┌─╂──
   ━┿━┛   神 の 恩 寵
  ──┘

 
 
 現代に生き残っているジェネレーターに、生み出すルーンフォークを細かくデザインする機能など備われてはいない。そんなことは織り込み済みだ。
 しかし……
 確かに自分の苦手な裁縫仕事や日々の掃除、洗濯、片付けや細々としたものの修理などには驚異的な能力を発揮した。それこそ、機械のように。だが、次から次へと舞い込む依頼の処理や、酒場にたむろする冒険者の扱いなど、応用力を要求される仕事には、どうひいき目に見ても、向いていなかった。
 そして、いつも真剣そのものからぴくりとも崩れない表情。
 今も荒くれどもにからかいの言葉を投げられ、あの子は、真顔のまま首を傾げている。
「ったく──、あれじゃァたとえ、辛そうにしてたってアタシにゃあ、毛の先ほどもわかんないじゃあないかい!」
 
 どうせ城下のジェネレーターのプロモーションも兼ねているのだ。次の年にはもう少し大人びた風情の、ふわりとした銀の髪と緑の瞳を備えた娘がジェネレーターから目を覚ました。
 二人目の娘は、マーガレットという。
「まァた、安易に名前を付けてくれちゃって」
 そう抗議すると、領主は肩をそびやかす。
「何をお言いだい。旧い言葉で真珠、という意味があるのさ。母親が柘榴石だし、珠のような娘だからね」
 
 銀髪の娘は立ち居振る舞いも、笑顔さえもそつなく身につけており、酒場では男たちの熱狂で迎えられた。
「かあさん、『白鯨』さんとこ、たしか今日で一年になるでしょう? わたしからって言って、少しつけてあげていい?」
 いたずらっぽい光を瞳に宿らせてそんなことを聞く、呼吸の読み方は自分譲りだ。その向こうに、屋根裏の雨漏りを直していた姉娘が修理道具を手にしたまま、軽々と梯子を飛び降りてくるのが見えた。
 馴染みのパーティーが早速それを捕まえて声を掛ける。
「なんだ姉ちゃん。あんた相変わらずかい? そんな男がするような仕事してんなら、母ちゃんの手伝いなんかやめて俺等みたいに冒険者になりゃいいんだよ」
 
 
 眼鏡のルーンフォークが、柘榴石亭の扉を破らんばかりに開け、足音を鳴らして怒鳴り込んできた。
「貴方、何を考えているんですか!」
 この男がこんなに慌てるのを見たのは初めてかもしれない。気が波立ってても表面上は冷静な振りだけ保つ、そういう男だと思っていた。
「何ってェ……なンのこと言われてンのかわかんなくっちゃあ、答えられないじゃないか」
「何を……!」
 カウンター越しに強く、にらまれた。同じように面食らっていたマーガレットが何かを思い出したように厨房に駆けていく。
「貴方と私の間に、どの程度の共通の話題があるというのですか……!」
 荒い息の合間に吐き出される声、ぱたぱたと駆け戻ってきた娘が冷たい水を満たしたコップを差し出す。それを礼も言わずにつかむと、勢いよく煽って彼はそのまま、一息に言った。
「どうして行かせたんですか!」
 それで、もう一人の娘のことを言っているのだ、とわかる──否、わかっていた。
「どうしてってェ……それがよいと思えたから、に決まってンじゃァないか」
 だから、ことさらに悠然と、なぜ男がそう慌てるのかまったく判らないというように、腕を組む。
「そんなこと……、貴方はあんな苦労を娘にさせたいとでも」
 その言葉はさすがにかちんときた。苦労……、数少ない共通の話題とやらの一つをその2文字で済ませるのか、この男は。
「ご挨拶だねェ」
 カウンターを出て、勢いで半開きになっていたままの扉を静かに開け直し、
「言いたいことがそれだけなら、帰った帰った。アタシにも暮らしってェもんがあるんだよ。営業妨害って言葉を知らないのかね?」
 
 
 その後しばらく、宿には客の冒険者以外には誰も現れなかった。一度だけ、主の使いが、現在は執事であるところのルーンフォークが拗ねきっているから顔を見せろと便りを寄越したが、そんなものに時間を割くつもりはなかった。掛け値なしに自分は忙しいのだ。
 懐かしい顔が、ばかに大きな荷物を抱えて現れたときには、既に数ヶ月を数えていた。
 
 遣いをやったら呆れるほどの早さで父親は姿を見せた。庭でこっそり服の乱れを直しているのが窓越しに見えて、こちらは忍び笑いが止まらなかった。
「お父さん、ただいま。これ」
 真顔で渡されている茶色い液体の瓶は珍しい……少しグロテスクなものが閉じ込められた、薬酒だという。ガーネットも同じものを一瓶もらって開けたところだった。
「……もっと他のものはなかったんでしょうかね」
「嫌ならマスターにでもやりゃァいいんじゃないかね? 喜んで飲み干すと思うがね」
 きっと、微妙な表情のあんたを肴にね、と思ったが、即座に否定が返ってきた。
「誰がそんなことしますか」
「ん。領主さまには、こっち」
 何かの包みが用意されている。……気が回るようになってきているのだな、と思わされた。
 
 冒険者の軽口を受けたあの日。ジャネットは、帳場の母の前に立った。
『お母さん。冒険者、って、何すればいいの』
 名前は光る石のようでなくても、その瞳によぎっているものを、自分は見間違えないと思った。
 だから、行かせた。
 大人たちの狭い掌のうちで、珠のように慈しまれる娘は、一人だけでいいのだ。
 
「しかし……、あの子もなんだねェ。妹みたいにアタシの社交的なところと、アンタの気の効くところを受け継いでてもよかったのに……」
 帰ってきたか、と馴染みの荒くれ共にもみくちゃにされている姉と、にこにこしながら給仕をする妹を遠目に、ガーネットは茶色いグラスを揺らす。
「アンタのクソ真面目なところと、アタシの……」
「仕方ないでしょう。……神の恵みとはそういうものです」
 ルーンフォークの自分たちに、神とはナンセンスな。唐突に出てきた単語に男の顔色をうかがうと、眼鏡の奥の瞳が瞬きを返した。
「……ご存じではなかったのですか? 領主様が付けた、あの子の名前の意味ですよ」
「……はァ」
 気の抜けた声が出た。だが男は、構わない。
「まあ、そんなことは些細な問題です。……それに」
「……何さね?」
「私には、どちらもかわいい娘に違いありませんよ」
 気づいた時には、男の背を思いっきり、叩いていた。
「なァに恥ずかしいこと言ってんだよこの人は! そんなのアタシにもそうだって、決まってんじゃないか!」
 眼鏡のルーンフォークは、思い切りむせた。
「ちょっと貴方、力くらい加減してくださいよ!
 まったく、あの子の怪力は母親譲りですね」