8月危機(2ちゃんねる閉鎖騒動)

Last-modified: 2022-06-06 (月) 22:30:38

 2001年8月25日1時49分。
 当時の2ちゃんねる運営チームではひろゆき氏についで知名度の高い人物でもあった常連ユーザーの「夜勤氏」が「みんなはさーん」(みんな破産)という書き込みをする。その後2ちゃんねる内の掲示板が次々と閉鎖し閲覧も書き込みもできなくなり、2ちゃんねる始まって以来の深刻な閉鎖危機が到来する。
 この掲示板閉鎖はいっせいに行われたものではなく段階的なものであり、そのなかで25日の朝まで残っていた「UNIX板」に2ちゃんねるのユーザーが集まって今後についての相談が催されることになった。

 この問題は当時すでに世界有数と言えるほどのアクセス数を誇るようになった2ちゃんねるのサーバー許容量が限界を迎えたことに端を発しており、サーバー運営費の確保が非常に困難になっていたことが原因としてある。それまでにも幾つかのサーバートラブルや制限問題は起きていたが、この8月25日をもって全体的にピークに達してしまったのである。
 これらの問題を解決できる方策も技術も当時の2ちゃんねる運営チームは保持しておらず、なすすべもなく閉鎖(というより自然消滅)してしまったということになる。


 さて、UNIX板の「UNIX(ユニックス)」とはWindowsやMacと同様のパソコン用オペレーティングシステム(OS)であったがいわゆる玄人向けのOSとされており、一般向けとは言いがたいOSだったためにUNIX板の住民も多くはなかった。このことが結果的に閉鎖騒動においても後回しにされ、対策を練る時間が確保できたことにつながっている。

 その残された島でもあるUNIX板でも名案が出ずに閉鎖をただ待つというなか、「Perler」という人物が2ちゃんねるの改善策としてとあるcgiの書き込みコードを公開する。このコードは非常にシンプルながら絶大な効果を期待されるものであり、さらにこれを見た複数のUNIX板の住人、またはパソコンやサーバーに詳しい匿名の有識者たちがこぞって改善案を提出し合うことになった。
 2ちゃんねる運営チーム側からは夜勤氏が主に彼らと掲示板上でやり取りをしながらcgiをはじめとした作業に入り、前代未聞のオンライン匿名共同ワークグループが確立された。




 これには実際のプログラマーや専門家だけでなく、まったく知識はないけれど応援をしたいという2ちゃんねるユーザーも含めた未曽有の数の人々が一丸となってUNIX板に集結。夜勤氏だけではお先真っ暗状態であった2ちゃんねるサーバー問題が多数の手により救済され、「軽量化」「転送量」の大問題に立ち向かったのだ。

 そして8月25日同日の23時、数多の協力と運営チームの寝ずの取り組みにより見事に2ちゃんねるの掲示板はひとつずつ復旧を開始。最終的にPerler氏の「動いてるみたいですね。なんか嬉しいな。」というさりげない一言をもってこの8月危機は幕を閉じた。


 もっとも、サーバー問題はこれで完全解決したというわけではなく以後も慎重に監視を続けるということが義務付けられてしまった。2ちゃんねるの使用を有料化すればその資金をサーバー運営費に充てることもできたが、当時のひろゆき氏を筆頭とする運営チームの意向としては有料化は考慮に入れていなかった。(実際、2ちゃんねるビューワーなど一部の課金システムはその後構築されたものの、基本的には無料で利用できる匿名掲示板としての形のまま2ちゃんねるは最後まで運営された)

蟹は甲羅に似せて穴を掘る

 この事件を経て2ちゃんねるのread.cgiに改善と改造が施され、2ちゃんねる専用ブラウザの普及に力が入ることになる。また、避難所となった2ちゃんねるの外部掲示板が複数作られて以後も運営されることになる。この仕組みは5ちゃんねるになった現在でも継続されており、あまりにもサーバー負荷が高い場合は「人大杉」という文字とともに閲覧も書き込みもできないような表示がされるようになった。

 そのほかでは匿名同士が協力し合い未曽有の窮地を救い出したというある種ドラマのような展開は、これがたったの1日間の出来事であることも含めていまでも伝説として語り継がれることになる。これらは言ってしまえばマニアたちがパソコンと睨めっこしていただけであり『電車男』などのように一般向けの映画や小説としてできないような話だが、それがかえって2ちゃんねるらしい伝説として残り続けた。


参考:8月危機 | Monapedia | Fandom
参考:2ちゃんねる事件-Suite1-
参考:【実録】 2ちゃんねる最後の日!!: ネタ・ヴァレー