愛知急行電鉄

Last-modified: 2020-03-10 (火) 18:46:45
会社名愛知急行電鉄株式会社
会社ロゴデザインΑιχηικψυψκο
空想鉄道No.No.87671
創立者大野伴睦
ページ作成者神宮寺友葉
創立日1870年10月10日
起業資金4106万円

概要

愛知急行電鉄株式会社(あいちきゅうこうでんてつ、英:Aichi express electric railroad co., Ltd.)は、愛知県、岐阜県を基盤とする大手私鉄である。通称、愛急(あいきゅう、I.Q、I9)など。老舗企業の1つで、民営鉄道としては、日本で名古屋鉄道に次いで4番目の歴史を持つ。本社は愛知県名古屋市熱田区金山町1丁目2号3番、金山駅の南口からすぐのところに置いている。中京圏では名鉄の穴を埋めるように路線を敷いている。

路線

愛知県と岐阜県に路線を保有する。

公式には路線名に愛急を冠するが、ここでは割愛する。

・大垣本線(愛急大垣~豊橋)
大垣~名古屋のシェアをJRから奪うために、岐阜羽島~名古屋(~井ヶ谷新町)を複々線区間として整備している。外側が特急線(ミュースカイ~快速急行)、内側が各駅線(急行以下)。

・新城線(小田渕~新城~???)

・豊田線(赤池~東岡崎)

・安城線(井ヶ谷新町~碧海古井)

・知多線(神宮前~内海高校)

・豊丘線(河和~師崎)

・一宮線(愛急清洲~名鉄一宮)

・岐阜線(名鉄一宮~玉ノ井~名鉄岐阜)

・羽島線(岐阜羽島~美乃坂本)

・愛知環状線(岡崎~中岡崎~北野桝塚~瀬戸市~高蔵寺~勝川~名古屋~新舞子~常滑~西尾~岡崎)(法律上では高蔵寺~勝川はJR中央本線の、中岡崎~北野桝塚は愛急大垣本線の、常滑~新舞子は名鉄常滑線の線増扱い)
もとは、常滑~碧南が愛急知多線(旧)、碧南~岡崎~東岡崎が愛急三河線であったが、国鉄岡多線が失敗して第3セクターになった時に愛急が買い取り、中央本線の高蔵寺~勝川、城北線の勝川~枇杷島に直通して枇杷島~名古屋を新設、更に当時のあおなみ線(新舞子まで繋がっていた)に直通して環状線を形成

・多治見線(右小田井~土岐市~)

・関線(高蔵寺~関)

・名古屋環状線(太田川~前後~徳重~藤が丘~小牧~岩倉~一宮~津島~弥富~太田川)

廃線
・三河線(岡崎~東岡崎)

歴史

ここでは、まずは、愛急の元となった大垣急行と三河急行の2つの目線から記述する。

大垣急行1930年まで
1894年10月1日 大垣と名古屋市内の連絡を目論み大垣急行軌道が成立する。現在の大垣本線の名古屋~大垣間の元となる。
1895年1月3日 大垣本線の枇杷島~羽島の認可が、軌道線ではなく鉄道線でしか下りなかったため、その日のうちに会社名を大垣急行鉄道に変更して、すぐに着工。
4月17日 下関条約で得た2億2222万両(史実では2億両ですがこの世界では日本が調子に乗って賠償金を増額した)のうち222万両を各鉄道会社に分配されて33万両を獲得し、調子に乗って大垣ー羽島の認可が下りる。
1896年 2月3日 羽島線の認可が下りる。
3月4日 羽島線着工。
1897年11月3日 突貫工事で全線開通(羽島線も)。
1900年9月29日~10月1日 複線化工事のため全線通行止め。
10月2日 複線で開通。
1901年4月1日 ダイヤ改正で高速を設定。
1924年10月1日 尾西鉄道を買収。
1928年4月20日 三河急行からの依頼で名古屋駅を合体して乗り換えの利便性の向上を図った。
1930年10月4日 大垣急行側が三河急行との合併の為、三河急行合併準備を設立
1930年12月31日 大垣急行と三河急行が三河急行合併準備に吸収される形で合併。三河急行合併準備は愛知急行に社名変更。
三河急行1930年まで
1820年10月1日(旧暦) 日本でいち早く欧州風の物、即ち鉄道を作ろうと考える徳川家斉が西洋(オランダ経由)から鉄道の技術を持って帰らせる。
1824年~ 鉄道に関する技術者や情報を搔き集める。
1835年10月10日(旧暦) 唯一協力してくれた三河藩に実験線の敷設命令を出す。
1840年5月5日(旧暦) 実験線開業(軌間は1000mm)
1860年1月4日(旧暦) 実験線のデータを元に旅客用に改造。
1862年1月4日(旧暦) 鉄道のデータを海外船と密にやり取りしていたとしてその償いとして、開国宣言。
1862年5月15日 暦にずれがあるとして1863年から新暦を採用することにする。その日、イギリスとある程度近代化が進めば、対等な外交をする約束をこじつける。この年、金と銀の交換比率を1:5から1:15に変更。
1870年10月10日 日本で初めての旅客鉄道となる東岡崎~豊橋間開通。この時三河急行が成立。
1872年1月1日 不平等条約無くして、イギリス、アメリカ、オランダ、中国、フランス、ドイツと国交を結ぶ。
1874年5月15日 軌間を1067mmに変更。
1880年3月7日 双単線から複線に変更、同時に分岐器や信号機を導入。
1894年5月15日 東岡崎~井ヶ谷新町の免許を取得する。
1900年10月7日 別会社の金山~井ヶ谷新町~安城の免許を受け取る。ついでに金山~名古屋の免許を取得する。
12月31日 東岡崎~井ヶ谷新町が開通。
1904年4月5日 井ヶ谷新町~名古屋が開通。
1907年8月31日 井ヶ谷新町~安城が開通。安城~碧海古井の免許を取得する。
1908年4月4日 井ヶ谷新町ニュータウン計画により、井ヶ谷新町駅の拡張工事開始。
11月5日 三河線東岡崎~碧南の免許を取得する。
12月3日 安城~碧海古井が開通。常滑~碧南の免許を取得する。
1909年1月8日 豊田線東岡崎~豊田中央の免許を取得する。
1910年3月27日 豊田中央~東岡崎~碧南~常滑が開通、同時に路線名を三河横断線と変更。さらに臨時快速を運行。
1913年2月14日
愛知急行1945年まで
執筆中
三河高速電鉄1945年
1945年3月3日 社名を三河高速電鉄に変更
11月5日 尾張民の猛烈な反抗に対して社名を愛知高速電鉄にすることを提案すると、乗合自動車はどうするんだということで、愛知高速交通とすることを決定。
愛知高速交通1963年まで
1945年11月5日 社名を愛知高速交通に変更
愛知急行電鉄現在まで
執筆中

関連会社

愛急には子会社として

・北九州電気鉄道交通課

・愛急電気電子

・岳南鉄道

・愛急バス

・愛急静岡バス

・愛急ま~と♪

がある。
また、子会社ではないが静岡鉄道を介して富士市交通局との関係がある。

愛急バスと愛急静岡バスは1980年に合併して愛急東海バスとなった。愛急東海バスは2005年に再び愛急バスと愛急静岡バスに戻っている。

直通運転している鉄道

・名古屋鉄道(樽見鉄道)

名古屋鉄道との直通は愛急羽島線~岐阜羽島~名鉄羽島線~名鉄竹鼻線~愛急岐阜線(又は名鉄名古屋本線)~名鉄岐阜市内線~名鉄岐阜市内線揖斐支線~名鉄揖斐線~名鉄谷汲線(又は樽見鉄道線~本巣)
もしくは名鉄西尾線吉良吉田~碧海古井~愛急安城線

・JR東海
 
JR東海との直通は特急ひだみのの内一号~臨時百号のうち一部が直通する

経路はJR名古屋~高蔵寺~愛急関線~関~岐阜鉄道越美南線~美濃白鳥~岐阜鉄道下呂線~飛騨萩原

・浜松高速鉄道

普通、区間急行、区間特急を除く全ての列車が新浜松まで直通

乗降客数上位

愛急名古屋
愛急大垣
神宮前
東岡崎
金山
井ヶ谷新町

運行形態

他会社との関係

車両

特急ひだみの