《第22話:痛みでさえ通じあえば》

Last-modified: 2020-10-12 (月) 20:53:35

 雲一つない秋晴れ、支給されたダッフルコートを羽織っていてさえも身震いしてしまうほど冷たく強い北風吹きすさぶ11月18日。
 響達がレ級艦隊を撃破し、また金剛ら佐世保主力艦隊が沖縄にてヴァルファウを爆発四散させてから丸2日が経った、その夕刻のこと。
「キラさん、どうしたのこんなところで。風邪引いちゃうよ?」
「――っえ、ず、瑞鳳!? 君、まだ寝てないとダメじゃないかっ!?」
 佐世保鎮守府軍港の桟橋に腰掛けていると、背後から可愛らしい少女の声がして。

 
 

 振り向けばそこには意外そうな顔で金糸雀色の瞳を瞬かせ、亜麻色の髪を潮風になびかせる瑞鳳がいた。

 
 

 それは一度失ったと思った、でも沢山の奇跡と努力が重なって実現した、やっとの思いで再び目にすることができた姿。そして同時に、今のキラにとっても意外としか言いようのない姿でもあった。
 どうして。
 絶対安静でいなければならない彼女がどうして、薄緑色の検査衣一枚っきりでこんなところに?
 明石の尽力により彼女が響と分離し、軽空母としての身体を取り戻せたのは今朝のこと。夕焼けに照らされる少女の姿に一瞬心奪われたキラだったが、その身を想えばこそ少し語気を強くして注意するのもやむを得ないことだった。まだ歩くのだって辛いはずで、事実彼女の顔は遠目にでもわかるほど青ざめていて。
 それに、艦娘はめったに体調を崩すことはないと聞いているが、あんな薄着でこの寒風は堪えるに違いない。あの廃墟から脱出する時はそこまで気が回らなくて今更なのだけれど、風邪を引くなんて心配はこっちの台詞だとも思う。
 つまり瑞鳳は医務室のベッドにいなきゃいけない身なのだ。無理をしてはならない身なのだ。だというのに、何故?
「君こそどうしてこんな……。それじゃ良くなるものもならないよっ」
「キラさんだって人のこと言えないわよぅ。怪我まだ治ってないんでしょ? なのにストライクに乗って、急がなきゃってのはわかるけど傷口開いちゃったらどうするのよ」
「……ぅ。……それは、まぁ、うん。そうだけどさ……」
「わっ、目の隈すっごいよ? 汗もひどいし……」
「……それこそ君もだよ。もっと自分を大切にしなきゃ……」
 もっとも瑞鳳の指摘通りにキラもキラでかなり無理をしているのだから、一方的に相手を注意できる身ではないのだけれど。
 深海棲艦に海に沈んだままのデュエルや右腕を奪わせるわけにはいかないと、まだ怪我が治りきっていないにも関わらず隻腕のストライクに乗ってこれを回収、つい今しがた佐世保に帰還したばかりのキラが、実は全身に走っている痛みを我慢しているのは事実で。白状してしまえばこの桟橋に座っていた理由は、医務室に戻るだけの体力が無かったからというのが正直なところだ。艦娘並の驚異的回復力を獲得しているものの、やはり即死一歩手前の大怪我を負っていた身体を動かすのは無茶でしかなかった。
 もっと自分を大切にだなんて、どの口で言えるのか。
 そんなわけでお互い、誰かを心配している余裕なんてなかった。なのに今はこうして出会い頭に心配しあって、それがなんだか滑稽でおかしくて、揃って苦笑する二人であった。
「ヒトのこと言えないね、僕達。……でも君だって本当に無理しちゃいけないんだ。一緒に戻ろう?」
「うん、そうね。……、……」
「瑞鳳……?」
「……キラさん、ごめんなさい。それでも、ちょっとだけここに居させてほしい、かな」
 ともあれ自分のことは棚上げにして瑞鳳を医務室につれて行こうとしたキラだったが、けれど彼女が不意に見せた儚げな微笑みを、弱々しく告げられた願いを無碍にすることはできなかった。
 直感。
 少女がどうしてここに来たのか、勘でしかないけどなんとなく解るような気がした。
 ならばゆっくり自分の隣に腰掛けようとする瑞鳳を止めるなんて、ましてや彼女一人をここに置いて立ち去るなんて、できるわけがなくて。キラはせめてと自分のコートを彼女の肩に羽織らせると、思いつくまま問いかけていた。
「風に、当たりたかった?」
「……ん、そんな感じ。すごいねキラさん、わかっちゃうんだ?」
「いや……多分そうなのかなって。だったら僕も、ここにいるよ。まだ風に当たってたい気分なんだ」
「そっか……、……ありがと。ごめんね」
 それはきっと、とても自然なことのように思えた。だから体調が心配ではあるけれど、彼女の気が済むまで、どんなに寒くたって痛くたってこのまま一緒にいることにした。
 それからしばし、さっきまでのちょっとした言い合いが嘘のようにしんみりとした雰囲気で、二人して茜色の海を眺めるばかりの沈黙が続いた。こうして何もしないでいられる時間というものは、貴重だ。自分達とはまた別のところで死闘を制した榛名達のおかげで戦況は膠着し、療養と修理に専念できるようになった今の環境は響と瑞鳳にとってこれ以上なく僥倖と言えるだろう。
 彼女達には――いや、誰にとっても、こうした穏やかな時間は必要なのだから。
「……なんだかね、不思議だなって」
 果たして、どれほどそうしていただろうか。
 時間の感覚が曖昧になっていた。短かったのか長かったのか、そんな些細なことは全然意識していなくて。いつの間にか瑞鳳の頭がキラの肩に預けられているあたり、身体の感覚も曖昧になっていたらしい。
 我に返ったキラは、彼女の肩を抱き寄せることで、ポツリと話し出した少女の声に応える。変わらず穏やかに遠くを眺める金糸雀色の瞳に、話を聞くという意思を伝える。

 
 

 瑞鳳はきっと、話をするためにここに来たのだ。
 すると言葉は、堰を切ったように訥々と溢れた。

 
 

「……こうして……ここにいられること。……だって私の身体、本当になくなっちゃったのに、本当に死んじゃったんだって思ったのに、だけど今こうしていられるのが……不思議で」
 意を決した告白なんかじゃない、定まらない思考がそのまま言葉になっているような取り留めない響き。
 やっぱり、と思った。
「響と一つになれたのは嫌じゃなかったのよ。生きていられるなら、あの娘が受け入れてくれて、あの娘を支えられるのならそれでもいいかなって。……でも、身体がないって感覚はやっぱり怖くて、それでみんなのおかげで元に戻れて、戻れたらね、一人でベッドで眠ってるだけなのも……怖くなっちゃって。いてもたってもいられなくなって、そしたらキラさんがいて……」
 それは弱音だった。
 当たり前だと思った。むしろあんな体験をして気丈に振る舞えていた今までこそが、その本音を隠していた今までこそが、彼女の強がりだったのだと。響のことを人一倍想う彼女だからこそ、文字通り一心同体になったからこそ、仮面が砕けた響にこれ以上余計な重荷を背負わせたくない一心で、強がらなければならなかったのだ。
 肉体が喪失しているという恐怖に、一人で立ち向かわなければならない孤独。
 それは散る間際の花の、届かない叫びにも似て。
 死にかけて命の大切さ学びました人体って不思議だね、とかいうありふれた単純な話ではない。艦娘が不思議な存在であることはもはや言わずもがなだが、瑞鳳は一度完全に消滅し、そこからの復活を遂げた。奇跡なんて言葉すら生温い、きっと世界で一人だけしか知らない、余人には想像することすら難しい未知の感覚を、瑞鳳は一人で背負ってきた。
 今ある自身の肉体すら、実感できなくなってしまうまでに。
 だからここに来たのだ。ジッとしているのに耐えられなくて、この世界に在る己の存在を確かめたくて、元が物言わぬ艦艇だった頃からの居場所だった海に、潮風に触れたくて。
「瑞鳳……」
 誰にも言えない心中。それをわかるだなんて口が裂けても言えないけれど。でも程度の差はあれどそれは、自分が何故ここにいるのか不思議に思う気持ちは、キラにも覚えがあったから。そんなものをいつまでも胸の内に留めていてはいけないと知っているから。
 自分こそが受け止めなければと思った。
「……えっと、あの……いきなり一人で沢山喋っちゃってごめんね?」
「ううん、僕でよかったら幾らでも聞くよ。……いや、聞かせてほしいよ」
「……ありがと。……うん、話せてちょっとスッキリしたかな。私、誰かに話したかったのかもね」
「そういうものかもしれない。話してみるって本当に大事で……」
 本来ならキラに言えることなんて、たった一つもありやしない。知ったようなことを、気の利いた台詞なんかを言える立場じゃなかった。今更また自己嫌悪に耽るつもりはないが、あの時護れなかったという事実は不変なのだから。
 でもやっぱり、どうにかしたいという想いは溢れるばかりで。今は彼女の弱音を受け止めてあげることだけが、ささやか過ぎるけど精一杯で。
 だからこそより一層、できることをしたいという気持ちが強まった。
 もう同じことは繰り返さない。奇跡の連続で今があるのなら、今度は絶対にみんなを護り抜いてみせると誓おう。この気持ちが少しでも伝わればいいと、この体温が伝わればいいと、キラは瑞鳳の肩をさらに強く抱きしめた。
 それからもう暫く、二人で穏やかな海を見守り続けた。会話もなく、視線も合わせず、互いに前だけを眺めて。抱きしめて触れあった肌に、確かな熱を感じて。まるで世界の一部に成ったかのようにして。
「……」
「……」
 さざめく波の音、潮の匂い。
 隣には苦楽を共にした女の子。
 ――ふいに、懐かしいと思った。既視感。唐突に脳裏に蘇る情景に、キラは目を細める。
 するとすぐに思い至った。あぁ、そうだ。こうしているとまるで時間が、オーブの孤児院で過ごしてたあの頃に戻ったかのようで。海を眺めてばかりで、己の生をゆっくり確かめるだけの日々を追体験しているようなのだと。そう、こうしているといつも誰かが、今の瑞鳳のように隣に寄り添ってくれていて――
 幻覚。隣の瑞鳳に重なるように、ぼんやりとした誰かの影。ふわりと包み込むように微笑む影。思い出せない、影。痛烈に襲いかかる、胸を締め付けるような強い喪失感。
 気付かず、キラは一筋の涙を零した。
「……あれ?」
 あれは、誰だったっけ?

 
 
 
 

《第22話:痛みでさえ通じあえば》

 
 
 
 

「ちーっす木曾、榛名。夕飯持ってきたよー。今晩は鈴谷特製超美味スーパーカレー!」
「おいおい自画自賛にも程があるだろ。だがナイスタイミングだ鈴谷、助かる」
「ありがとうございます鈴谷。……っわ、美味しそう……!」
「つっても瑞鳳(づほ)のよりか数段劣るけどね実際のトコ」
 同時刻。
 急ピッチで復旧作業が進められている福江基地、そのブリーフィングルームで行われた首脳会議が終わったタイミングでやって来た鈴谷を、木曾と榛名はホッとした笑顔で迎えた。
 お腹が空いてたから、ではない。かつて自身の艦載偵察機がウィンダムに墜とされ、響達四人をMIAと認定するほかなかった不甲斐なさに自責の念を感じていた鈴谷が、元の調子を取り戻してきたと見受けられたからだ。
 響達が存命であることは、基地に居残っていたボロボロの【阿賀野組】によって全員に知らされた。でもだからってすぐに全員の心が晴れるなんてことはなく、ヴァルファウ追撃戦を終えてからの鈴谷は積極的にみんなのサポートを引き受けて忙しく過ごすようになった。作ってきてくれたこの自称超美味スーパーカレーも、主計課の手伝いの一環である。
 そうしたい気持ちは同現場に居合わせた木曾と榛名にもよくわかるし、忸怩たる思いも共有していたから、身動きできない二人の分まで働いてくれた彼女には感謝していた。しかし同時に、やはり思い詰めていやしないかずっと気がかりでもあった。
 それがこうして冗談を言えるぐらいには回復してくれたのだから、安心した。その瞳と声音、顔色、そして自称なんてものじゃない、これまでで一番の出来映えを予感させるこのカレーがなによりの証拠だと思った。
 そんな二人の生温かい心境と眼差しを悟ってか、鈴谷は一瞬明後日の方向へ顔を逸らすが、
「……罪滅ぼしのつもりだったのに、でもさっきキラに会って。謝ろうとしたのに逆に気にしないでって、大丈夫だからって言われちゃってさ。だったらいつまでも落ち込んでられないじゃん」
 最後はニカッと笑いながらそう言ってくれて。
 それが嬉しくて、榛名は胸の内につっかえてたモノがなくなったような爽快感を覚えた。
「そうでしたか、キラさんに……。ですが鈴谷、罪滅ぼしのための手伝いだとしても暁さん達言ってました、貴女がいてくれて良かったって、救われたって。そこのところも素直に受け取ってあげてください。榛名達も貴女に動いてもらってとても助かりましたし、ねぇ木曾?」
「あぁ。みんな、お前に感謝してるよ。流石は鈴谷だってな」
「ちょっ!? ねぇ普通そんなこと真っ正面から真顔で言う!? なんかめっちゃ恥ずかしくなってきたんですケドぉ!?」
 鈴谷の顔が真っ赤になったところで「いただきます」と唱えカレーを一口。思った通り、謙遜する必要なんてまるでない、素晴らしい出来だ。
 こうなると平和だった頃の雰囲気が蘇ってきたように思えて、頬を緩ませる二人。途中で何度も心臓が凍るような思いをしたし、これからもまだまだ不透明なのだから「終わりよければ全てよし」とは言えないけど、この今という時を迎えられて良かったと本気で思う。
 それもこれも全て、皆の頑張りがあったからこそだ。
「うん美味しい。今までで一番ですよ、すず――」
「あー! これさっきの会議の資料!? 見せてもらってもいーかなッ!?」
「――……ぇ、ええ。それは配布用のものですし……。ふふ、ごめんなさい鈴谷、そんなに恥ずかしがるなんて思わなくて」
「うぅ~! 褒めてもらうんは嬉しいけどさぁ、でも流石に言い過ぎだってば~!」
 その頑張りをまるっと記述したものこそが、さっきの首脳会議で作成し、鈴谷が話題逸らしに手に取った配布用資料である。
 元から興味自体はあったのだろう、暫く自分の顔を隠すように資料を広げていたが次第に黙々と読みはじめて。榛名と木曾が食べ終わる頃になると、鈴谷は資料前半に記述されていた響達の対MS戦と対レ級戦の戦闘詳報を読み終え、すっかり真面目モードになっていた。

 
 

 ここからは、復調した三人によるミーティングの時間。

 
 

 先の会議で話し合った内容、つまりは佐世保艦隊の現状と、これからの予定を確認するべく、全員で資料を読むことにする。
「うはぁ。話には聞いてたけど、すっごいね響達は……よくもまぁ……」
「そうだな……、……ごちそうさま。本当によく生きて帰ってきてくれたよ、アイツらは。前代未聞、驚天動地の連続……生還を信じていたオレでも正直、俄に信じられなかったぐらいだ」
「二度はないでしょうね。だからこそ榛名達は、もっともっとしっかりしなくてはいけません。過ちを繰り返さないためにも、みんなの頑張りに報いるためにも。……ごちそうさまでした」
「お粗末様。つってもまた専守防衛でしょ? こっちから打って出られないわけだし」
 結論から言ってしまえば、佐世保艦隊はまた防備を固めることになる。
 11月10日の全体会議で決定した方針と体制をそのまま続行する形だ。即ち、各艦隊がローテーションで佐世保鎮守府と福江基地を往復しつつ邀撃に専念することで制海権を保つのである。
 しかし、その方針は当時だからこそ採択できたものではないかと、鈴谷は朧気になりつつある記憶を探る。
 あの当時は他鎮守府の態勢が整い次第、全鎮守府連合艦隊による台湾近海解放作戦が発動する予定で、それまでひたすら耐えればなんとかなるという一応の勝機があった。しかし現実はどうだ、偵察衛星撃墜事件に端を発した西太平洋戦線の混乱で全世界がてんやわんや、とても連合艦隊の結成などできる情勢ではなくなってしまったと鈴谷は認識している。
 もはや待っていれば助けがくる状況ではないのだ。
(だったら、防衛に専念っていつまでさ? ったくもう、こんな弱気になるの鈴谷のキャラじゃないってのに)
 確かに、戦況そのものは10日当時より良くなっている。
 量産体制が整ったアンチビーム爆雷と高精度対空ビーム機銃という新型防御兵装のおかげで、佐世保の艦娘は少人数でも巨人【Titan】を討ち取れるようになった。しかも先の追撃戦で厄介なヴォルファウを破壊し、敵主力を壊滅にまで追い込み、また結果論だが敵のモビルスーツ2機を撃墜したうえで【軽巡棲姫】にも大ダメージを与えた。おそらく敵はこれ以上の損耗を嫌って、向こう数日は消極的な動きになるだろう。
 対してこちらも高速哨戒艦【いぶき丸】を喪い、多数の艦娘が大破したが、それだけだ。既に損傷は8割まで回復しているし、これからL計画でストライクがデュエルと同時稼働するようになれば、全艦娘の特装型艤装への改装が執り行われれば、戦闘はより楽になるだろう。
 しかし、しかしだ。
 敵戦力の全貌は未だ、未解明なのである。
 響達を撃墜しかけたモビルスーツが、まだ沢山いるかもしれない。あの【軽巡棲姫】のように、また他の【姫】が参入しているかもしれない。討ち取れるようになったとはいえ【Titan】もやはり厄介な敵に変わりなく、まるで姿を見せないスカイグラスパーとやらも不気味だ。

 
 

 世界の混乱が収まってまた連合艦隊が結成できるようになるまで、一体いつまで自分達は待たなくちゃいけないのか?
 響達がやられたような、モビルスーツによる索敵範囲外からの奇襲に怯えながら、いつまで?

 
 

 どんなに防備を万全にしても不安は尽きず、はやく打って出て終わりにしたいという焦燥感に駆られてしまう。もしかすると既に敵戦力は現佐世保艦隊だけ攻略できるまでに削られているのでは、という激甘な希望的観測を持ってしまいそうになる。古来より防衛側のほうが有利なものだと解っているというのに。
 加えて、致命的な問題点はまだ他にある。
 資料中に厳然たる事実として書き連ねられたそれに、やっぱりと思いつつも眉を顰めた。
「……うげ、思ってたよりヤバい数値出てんじゃん。下手すりゃ半月保たないんじゃないこれ?」
 資源不足。
 戦闘に不可欠な燃料弾薬が足りない。特に、魂の情報を転写することで艦娘の装甲や弾薬を構成する特殊万能物質、霊子金属が底をつきそうになっていた。油の一滴は血の一滴、弾丸の一発は……何に相当するかは知らないが、これでは近いうちに戦えなくなる。
 原因は考えるまでもない。激戦に次ぐ激戦に、新兵器の開発、艤装とモビルスーツの修理――こんなことをハイペースで続けていれば消費は嵩む一方で、鎮守府が産出する分だけでは供給がまるで追いつかなくなってしまっているのである。
 因みにここで余談だが。
 鎮守府が艦娘専用の軍事施設として機能するようになった理由は、霊子金属が自然産出することただ一点に集約される。そもそも第二次大戦から半世紀以上が経った現代では、旧大日本帝国海軍由来の施設のほとんどが解体され、鎮守府という単語そのものも時の流れとともに人々から忘れ去られていた。
 しかし深海棲艦と艦娘の登場に伴って、世界中で一斉に、かつての艦艇と縁の深かった土地が霊子金属を産出するようになった。日本国においてはその土地こそが横須賀、舞鶴、呉、佐世保の旧四大鎮守府跡地であったことから、既にそこを拠点としていた海上自衛隊の施設を間借りする形で艦娘専用施設を建築、後にこれを艦娘達の要望に従って鎮守府を呼称するようになった、という経緯がある。
 閑話休題。
 兎にも角にもこのままではジリ貧だ。
 すぐにでも他鎮守府から物資を譲ってもらいたいものだけれど、この戦局では困難に違いなく。資源が無ければ戦うことも儘ならず、ストライクとデュエルを十全に稼働させるどころか、全艦娘の特装型艤装への改装も不可能。座して死を待つのも同義。かといって此方が節約して勝てるほど敵は弱くない。
 更に言えば、資源不足はこの鎮守府だけの問題ではないのである。生活物資を輸入に頼っている島国にとって、陸路と空路では到底肩代わりできない圧倒的輸送力、海路は文字通り生命線。だというのに台湾を押さえられ、戦線を乱されたままの戦況が長期化すれば、ただでさえ減少している国民の過半数が死ぬ。鎮守府の敗北は国の死に直結する。 
 正直言って詰んでいる。一体全体、どうやって切り抜ける算段なのか。
「そんな顔するな鈴谷、次のページを読め。うちの提督もその問題を解決するために動いてくれている」
「榛名達に差し伸べてくれる救いの手が、途切れたわけではありません。希望はまだありますよ」
「え、マジで。またまたぁーそんな都合良く打開策なんて出るわけ――マジだったわ」

 
 

 前言撤回。
 なんか凄いことになってる。割とどうにかなりそうと素直に思う鈴谷は、割と単純な少女だった。

 
 

「オレも驚いたがな……大規模輸送作戦に、日本、アメリカ、ロシア共同の第二次ヘブンズ・ドア作戦。背水の陣の一発勝負だが、うまく行けばこの苦境を終わらせることができる」
「二つの作戦は既にスタートしているそうです。なので榛名達はこのまま燃料弾薬を惜しまず、みんなを信じて全力で護り切りましょう」
 直接の反攻作戦、ではない。ないが、この混乱を鎮めて戦局を激変させるだけの流れが既にできあがっているという。成功すれば形勢逆転、一気に攻勢に出られるようになる。
 たった3日だ。
 3日後の11月21日まで耐えれば、勝機が来る。
 これならきっと、なんとかなる――いや、そうなるまで持ち堪えてみせようという気概を持てる。
「響達の修理は間に合わないだろう。そして鍵を握るのはキラだ。作戦を万全にするためにも、生きて帰ってきてくれたアイツらのためにも、オレ達がここで音を上げるわけにはいかないぞ」
「……おっけ。そういうことなら死に物狂いでやってやろうじゃん。そろそろ名誉挽回したいし、実際ここで頑張んなきゃ鈴谷達の立つ瀬ないしね」
 コツンと拳を打ち合った三人は、真剣な顔でしっかり頷きあう。
 これまで、こういう雰囲気になっては希望を砕かれてきた。なんとかなると思った瞬間、思わぬ窮地に追い込まれて絶望してきた。その度に、誰かに助けられてきた。いい加減このループから抜け出す時だ。
 勝機を掴んだ暁には、今まで溜めに溜め込んできた借りを返してやろうという決意の現れだった。
「よし。そうと決まれば早速オレ達も明石の手伝いに行くぞ。アイツももう休まなせなくちゃいけないからな」
「そだね、それに将来的には鈴谷達だけでストライクの整備とかできるようになんなきゃだし」
「あ、ちょっ二人とも!? その前にお皿を洗わないと駄目ですよ!」
 また、若干気の早い話だが、もしも全てがうまく行ったら。
 その時は秘密裏に温めていた計画を惜しみなく披露してやると、木曾は密かに笑った。

 
 
 

 
 
 

 アメリカ合衆国フロリダ州のケネディ宇宙センター。
 同国カリフォルニア州のヴァンデンバーグ空軍基地。
 ロシア国アルハンゲリスク州のプレセツク宇宙基地。
 日本国鹿児島県の種子島宇宙センター。
 以上四ヵ所が、この世界に現存しているロケット打ち上げ射場である。かつてこれらの射場から一斉に新型偵察衛星を打ち上げた作戦は、ヘブンズ・ドア作戦として人類史に刻まれている。天国への扉という名の通り、この作戦の成功により対深海棲艦戦線は劇的に改善していった。
 そして今、全世界では再び衛星を打ち上げるための準備が着々と進行していた。
 第二次ヘブンズ・ドア作戦である。
 この乱れに乱された戦線を安定化させるための、逆転の一手。
 その詳細と真髄はまた後に語るとして、日本国ではこれを決行するための前準備として種子島宇宙センターへ資材を集積し、更にその延長で、資源不足に陥った佐世保鎮守府も救う大規模輸送作戦が発動している。横須賀鎮守府、舞鶴鎮守府、呉鎮守府を発った輸送船団は種子島を経由し、11月21日に佐世保へ入港する予定だ。

 
 

 これに便乗して佐世保入りすべく、呉のシンと天津風も慌ただしく準備に追われていた。

 
 

「おぉーいシーン、デスティニーの収容終わったよー。あのパーツもコンテナにぶっ込んでいいのー?」
「あー、全部頼むっ! ……いや北上っ! そこのストライカーパックは最後に積むから指示出すまで放っててくれ! 他の連中にも徹底!」
「あいよ~。あっ、夕張ー、暇ならこっち手伝って~」
「暇なわけないでしょ! あぁ天津風、これアクチュエータにエラー発生してて。どうする?」
「これは……これも放置ね、佐世保でやるわ。夕張さん、次はこの武装群のチェックお願い。たぶん道中で使うことになると思う」
「了解、だったらこっちでテストまでしとくわ」
 シンが自由に動けない理由、わざわざ影武者を立ててまで福江基地に密航した理由はこれまでに語った通りだ。
 だからこれは千載一遇のチャンス、これから呉を発つ輸送船に彼とデスティニーを忍び込ませれば、奇しくも元々予定していた日付の通りに堂々と大手を振って――とまではいかないが後顧の憂いなく佐世保へ行くことができる。
 ならば過日に佐世保から託され、呉で複製量産したMSのパーツや新型兵装類もついでに全部輸送しようと、呉の工廠は玩具箱をひっくり返したような騒ぎになっていた。霊子金属をはじめとした補給物資を満載したコンテナの山の隣に、次々と新型兵装入りのコンテナが積まれていく。改めて、あの物量と重量を移送できる艦船とその航路の重要性がわかる光景である。とはいえ、だ。
 作業も準備も一段落ついて万事快調。
 出航予定時刻までまだ余裕があることだし、ここらで一旦休息を挟む頃合いだろう。人も機械も艦娘も休める時に休まなければならないし、時には無理矢理にでも休まなければ。
「ふぅ、この分なら間に合いそうね。シン、そろそろプリンツが戻ってくるし、あたし達も休憩しましょ」
「……ああ」
「……? シン?」
 そんな中、みんなの中心となって指示を出していたシン・アスカがぼんやり小さく呟いた。
「佐世保か……遂にこの時が来たってヤツなんだろうケド」
「実感湧かないって顔ね。まぁ、お忍びで行ってきたばかりだものねアナタは。ぶっちゃけ二度手間って言えばその通りだわ」
 らしくなく気の抜けた様子で頭を掻くシンに対し、天津風もちょっとした溜息で応える。
 この世の人間全員を信用できさえすれば、わざわざこんなコソコソと回りくどいやり方をせずとも良かったのだが、あいにく様々なリスクを鑑みればそうも言っていられない。川内の先導ですぐ行けたところへ再び行くために3日間もコンテナ内で待機していなければならないのも、仕方ないがその一環だ。
 この世界はいつだって、苦労している者に優しくない。
「悪いな。お前達が色々手を尽くしてくれたからって、わかってるんだけどな」
「気持ちは理解できるもの、仕方ないわよ。それより明日からコンテナ生活なんだからちゃんと準備しとかなきゃ駄目よ」
「……やることなくて暇そうってのは言っちゃ駄目か?」
「雑誌なりゲームなり借りなさい。っていうかアナタもアナタで働きずくめなんだから、この機会にゆっくり休んどきなさいな」
 制約だらけで制限だらけの生活を送っている青年としては、ぼやきたくもなるだろう。だがそう言っていられるのも今のうちだと少女は肩を竦める。
 敵はどこまでも一筋縄ではいかず、予想を超える怪物ばかり。この大規模作戦も必ず成功する保証なんかないし、成功したとしても艱難辛苦が待ち受けているに違いない。佐世保が万全となって、シンとキラが力を合わせたとしてもきっと、この世界は更なる試練を与えてくることだろう。
「ここじゃ不自由なことばかりだったけど、次は魑魅魍魎が跋扈する最前線よ。これまで以上に忙しくなるんだから覚悟しとかなくちゃ」
 対して、シンは首を振った。横に。

 
 

「問題ないだろ。俺がなんとかするさ、すぐに」

 
 

「……大した自信ね」
 その言い草は少々鼻についたが、しかし当のシンは大真面目で、それも傲りや増長とは程遠い静かな面持ちだったから、天津風は狐につままれたような貌になった。
「そんなんじゃない。そういう心の持ちようが大事だろ、この世界は」
「それって」
「お前が教えてくれたことだぜ、人の想い次第だって。そして自分で切り拓いてやるって思っとけば案外なんとかなるもんだって、俺はもう信じることができる。だったら最後まで信じてみるさ、お前の言葉」
 かつて天津風が投げかけてくれた言葉を思い出しながら青年はその紅い眼差しを、工廠の隅に設置された霊子金属変換炉へ向けた。ちょうど再構成されたばかりの武器弾薬類がベルトコンベアに乗って排出されていて、中には、本来ならばこの世界で製造できないはずのアンチビーム爆雷も混ざっていた。
 魂の情報、記憶の情報が刻まれた霊子金属は、あのようにして望まれた形に成る。
 艦娘の装備も弾薬も艦載機も、その魂に近しいモノであれば原理原則を無視して心の思うままに製造できる。キラのストライクを媒介にコンバートしたフェイズシフト装甲やビームガンも、託された設計図と共にセットすれば複製量産できる。そういう不思議に支えられているのがこの世界だ。
 言うなれば心が具現化する世界、心を視覚化できる世界。艦娘と深海棲艦はその象徴、極致であり、一例だ。
 人の世は、人の言葉と想いでできている。言霊というやつだ。厳しい未来が待っていると構えれば構えるほど厳しい現実になるし、その逆も然り。
 これはC.E.であっても例外じゃないと、どんな時でも心の持ちようだとシンは考えるようになっていた。「俺が終わらせる」なんて大胆不敵どころか身の程知らずな大言壮語も、それに基づいたものだ。
 良くも悪くも、人の言葉は世界を変える力を持っているのである。
『この国の正義を貫くって……あんた達だってあの時、自分達のその言葉で誰が死ぬことになるのか――ちゃんと考えたのかよッ!?』
『議長を裏切り、我等を裏切り、その思いを踏みにじろうとする。それを許すのか? お前は言ったろう? そのためならどんな敵とでも戦うと!?』
 ……良くも悪くも、だ。考え無しで放った言葉はいずれ己を穿つ弾丸になることも、忘れてはならない。
 昔は若かったなと苦笑いしながら、シンは瞳を閉じてこの世界での出来事を反芻する。現在の己に至る経緯、己が成したこと、ほんの数週間前までは想像だにしなかった経験の数々を。
(心の持ちよう。そうだよ、結局はそうでしかないんだよな。じゃなかったらこの俺がここまでやれたはずがないんだ)
 C.E.じゃ、シン・アスカは軍人としても人間としても碌なモンじゃなかった。ハッキリ言って問題児だった。
 それでもザフトのトップガンだったから、腕を信用されて、最前線で戦い続けた。おそらく遺伝子的に適任だったから、その求められた役割のままエースパイロットとして戦った。踊らされていたと言ってもいい。
 新地球統合政府で副隊長をやってた時も同様で、求められてたのはパイロットとしての腕。現場で戦う戦士、それ以上でも以下でもない。世界最強と謳われる力を持っていても、世界を変える力を持っていても。
 だというのに、ここで成したことは?
(たぶんやっと、この世界で俺は信頼ってヤツを手に入れた。きっと真っ当な人間として褒められるべきことをやってるんだって思う。そんなの俺にとっちゃ上等過ぎるだろ)
 行動してなきゃ気が済まない性分はそのままに。
 もとより忙しい艦娘達に無理を言って、デスティニーの修理を手伝ってもらった。そのおかげで偵察衛星撃墜事件に端を発した、西太平洋戦線の混乱を切り抜けることができた。キラがMIAと知れば佐世保へ密航して、彼ら四人を救うキッカケになれた。艦娘達とお互いを助け合い、信じ合うことができた。
 その末に今、シンという男は呉の中心として動くようになっていた。さっきまで工廠であくせく指示を出していたのは、他ならぬシンだった。
 不慣れで大変だけど、遺伝子的適性なんて皆無なことばかりをやっているけれど。
 信用で繋がって戦っていたパイロット時代よりも、自身の思うままにやりたいようにやって、一人の人間として信頼を勝ち取っている。そのキッカケがあの日、天津風とプリンツ・オイゲンと共に街へ出たあの日であるのならば。彼女達の言葉が己という男を変えたのならば。傷つけて揺れることしかできなかった男がここまで変われたのならば。
 そしてあのキラだって。護りたいものばかりが護れなかったあのキラ・ヤマトだって、今度は全員を護って生還したのならば。彼も同じように佐世保で信頼を得ているのならば。
 ならばこそ、C.E.での戦争を経て、この世界での生活を経て辿り着いた答えだった。
 心の持ちよう。変われることを恐れず、そう確信して信じることになんの躊躇いがあろうか。自分が終わらせるぐらいの気概でいるぐらいが、ちょうど良いのだと思った。
「それにな天津風。お前が居るってんなら、俺はなにも心配してないんだよ」
「……まったく、保護者も楽じゃないわね? こうと決めたら一直線で周りは大変なんだから」
「頼りにしてるっての、相棒」
 故に何も問題はない。この大規模輸送作戦も第二次ヘブンズ・ドア作戦も、後の真なる作戦も、なにもかも。
 それに実際に世界が好転しようとしているならば、流れに乗らなきゃ損というものだ。今という時に不安に呑込まれれば折角の勝機を逃しかねない、先の発言は少女に落ちつつあった影を払う意味合いも含めていた。
 ほとんど無意識に天津風の頭にポンと手を置くと、そこで前を通りかかった二人の少女――阿武隈と由良といったか――が良い香りを振りまくトレーを手にしているのを見て、自分もかなり空腹であることに気付いた。今日になって初めて時計を確認すれば、もうけっこうな時間だった。
「ハラ減ったな。食堂でなんか食うか?」
「……」
「……? 天津風?」
「ッ!? な、なんでもない! なんでもないったら!?」
「ハァ? なんだよいきなり……なんだお前、熱でもあるのか?」
「ないわよ熱なんて! あぁもう、この朴念仁!」
 それから何故か数時間ほど天津風が口を利かなくなるというトラブルがあったものの、かくして呉の準備と覚悟は整った。各ロケット射場の準備も順調であるとの連絡も入り、残る問題は佐世保の防衛だけに絞られた。
 更に時を経て、もうすぐ日付が変わる頃になって。
 居残りの呉の艦娘達に見送られて、シンとデスティニーを積んだ輸送船が、抜錨した。

 
 
 

 
 
 

「ねぇ、キラ。わたしね、キラにお願いしたいこと、あるんだ」
「キラさん、私も。私もお願いしたいこと、あるの。これはね、私と響で話し合って決めたことだから……だからね、どうかこのお願いをきいてほしいです」
 そして、佐世保鎮守府にて。
 世界の動向、シン達の思惑を提督から聴いた二人は、今や全信頼を寄せる男に身をも寄せながら懇願した。
 言葉が世界を変えるなら、その言葉で己自身を変えるように。もう後悔しないように、護りたい全てを護れる自分になれるようにと希望を込めて、願いを解き放つ。変われることを恐れずに、ただただ一途に。
 奇しくもその眼差しは、再び立つことを決意した影のような少女のソレに似ていると、キラは思った。
Верный(ヴェールヌイ)の艤装。あれの封印を、解きたい……だからわたしの手を握っていてほしい」
「ストライクを……貴方の力を、私にください。この二つが私達の、お願いです」
 響の真なる力と、瑞鳳の新たなる力。
 その二つが今、世界に産声を響かせようとしていた。

 
 

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