クロスデスティニー(X運命)◆UO9SM5XUx.氏 第082話

Last-modified: 2016-02-22 (月) 23:51:21

第八十二話 『オペレーション・オケハザマ』
 
 
どこまでやるか、という線引きは難しいところだった
できるだけ、家族のいない者。しがらみのない、身軽な人間を選ぶ。それが最後の良心だろうか

「おい、これ全部そうなのかよ?」
ミネルバの通信室である。ウィッツが、ぺらぺらとファイルをめくっていた。その周囲にも山と積まれた資料がある
「そうだ。片っ端からな、印刷してもらった。ザフトの全将兵、そのファイルだよ」
ハイネは言いながら、読んでいた資料を置いた

ダイダロス基地にやってきてから、最初にやろうと思ったのはこれだった
裏切りの人選、である。なにしろ人数がこちらは致命的に足りない
わずかでもザフトから切り崩せるのなら、やっておくべきだった
敵味方になった戦うぐらいなら、裏切ってくれる方がいい

(ラクスのヤツ……)

ハイネはふっと息を吐いた。偽のデュランダルに疑問を持つ人間のほとんどは、ラクスに寝返っている
つまり、ザフトで寝返りそうな人間はもうその時に寝返ってしまっているということだ
ただ希望はあり、デュランダル派ともいうべき人間がザフトにまだいくらか残っている
ハイネのターゲットはそれだった。

イザークやタリア、またデュランダルやジャミルを交えて裏切りの人選は慎重に進められた
元ジュール隊、元ヴェステンフルス隊、あるいはデュランダル子飼いともいうべき人間たちが選ばれた
ただ、工作の実行はすべてハイネに一任されている。潔癖なところがあるタリアなど、こういうやり方に必ずしも賛成ではないのだ

それでもハイネは腹を据えた。ここまでくれば、悩んでも始まらない

「アビー」
「はい」
「これだ」

ハイネは、オペレーターのアビー・ウインザーに資料を見せた
元ヴェステンフルス隊を中心に、約21名。すべてMSパイロットである
艦ごと寝返らせるのが一番いいが、リスクも大きい。ここはMSパイロットだけに声をかけるべきだった

「これを……どうしますか?」
アビーが、いつもと変わらぬ冷静な口調でたずねてくる
「普通のメールで送ってくれ。宛名は議長だ。
 フィルタにかからないように、確実に届くようにな。できるだけ痕跡が残るのが望ましい」
デュランダルは、プラント最高評議会の特殊アドレスを使うことができる
それが、このメールが他ならぬデュランダルからのものであることを証明するだろう

アビーが、黙って作業を始めた。キーボードが鳴る音だけが、しばらく部屋に響く

「なんでわざわざ、痕跡を残すようにすんだ?」
ウィッツが読んでいた資料を戻し、ハイネを見てきた
「痕跡が残れば、ザフト内部から裏切りの嫌疑がかかるだろう。そうすれば、送られた人間も軍にいづらくなる
 裏切る気がなくとも、やがて裏切らざるを得なくなるのさ」
「へぇ。悪党だな、おまえも?」
「かもな」

ハイネはあえて笑って見せたが、どうせ戦うならMSに乗り込み、部隊を率いて真正面からぶつかる方が好きだった
こういうやり方はどうも気分がよくない。それもまた事実だ

「ハイネ」
キーボードを操作していたアビーが、急に手を止めた
「なんだ?」
「秘匿回線で、侵入されています」
「なに! どこからだ? クラッキングか?」
「いえ。ただ呼びかけだけを」

アビーが、両耳にかけていたヘッドホンを外し、ハイネへ渡してくる
意を悟り、ヘッドホンをかけてみた。聞き覚えのある声……

『聞こえるか。ミネルバ。聞こえるか。もう猶予はない』
「こいつ……!」
ハイネは奥歯をかみ締めた。かつて自分の上官だった男の声で、今は敵の軍人だ

「誰だ?」
ウィッツが、そばにやってくる。ハイネはかぶりを振った
「虎だよ。……応答しろ。こちらはザフト『FAITH』、ハイネ・ヴェステンフルス。応答しろ」
『聞こえるか、ミネルバ……』
「チッ。アビー、回線繋げてくれ。できるな? よし、いい子だ……。聞こえるな、砂漠の虎」

かすかなノイズが入り、それが収まるとヘッドホンから聞こえる声がクリアになった

『ほう。ハイネか。ちょうどいい人間が出てきたな。これがアスランだと厄介なことになった』
「秘匿回線で侵入までしてなんの用だバルトフェルド」
『いやなに。ちょっと交渉事をな』
「交渉だと?」
『そうだ。まずはとっておきの情報を一つ、伝えよう。要衝機動要塞メサイアは、我々オーブ軍が制圧した』
「……!?」

ハイネはすぐにヘッドホンを外し、ウィッツを見た

「なんだよ?」
「ウィッツ、議長とアスランに走ってくれ。メサイアがオーブ軍によって落とされたという情報が入った
 すぐに真偽の確認をするように、と」
「あん?」
「とにかく急いでくれ!」
「ったく、わーったよ」
ウィッツは不承不承うなずくと、通信室から出て行った。再びハイネはヘッドホンを装着する

「なにが望みだバルトフェルド」
『さて、なにから話したものか、ね……』

バルトフェルドの、思わせぶりな口調。いらだちそうになるのをハイネはこらえた

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「あ」
ユウナが声をあげる。デュランダルはポーンでクイーンを取った。これでキングの周囲は丸裸である

—————まだまだ
「……なるほど、お強い」

ユウナは腕を組んだ。これで戦略は一から建て直しである
ミネルバの遊戯室で、チェスをやっていた。デュランダルに誘われたのだ
ユウナはダイダロス基地でそれなりに動き回っているが、こういう息抜きも必要だった

「それにしても、どうも僕はこのクイーンというやつが苦手でしてね」
—————ほう。また、なぜ?
デュランダルが、例のキーボードとパネルで返事をしてくる。車椅子の彼にも慣れてきた

「ラクスを連想させますから。クイーンは強い。全方向に動き回れる、チェス最強のコマだ
 まさに彼女じゃないですか?」
—————そうですね。言われて見れば
「そして戦略の要でもある。これを見るたびに、僕はなんとなく嫌な気分になるんですよ」
—————心中察します
「いえ、お気遣いなく」
—————しかし、クイーンというものは。確かに戦略の要ですが……

言いながら、デュランダルはクイーンのコマを手にとってみせた
かつては震えが止まらなかったと言う彼の腕は、今も小刻みに揺れている

「なんでしょう?」
—————クイーンを取ったからといって、勝負が決まるわけでもない
「……それは、そうです。キングを取らなければ終わらない」
なにを言いたいのか、一瞬ユウナははかりかねた

—————ラクス・クラインばかりを世界は見つめている。我々も含めてね。それは怖いことですよ
「勝負を決める、キングが他に居ると?」
—————ロード・ジブリールがすべての元凶であったのなら、話は楽なのですがね
        私はあの偽者に脅威を感じる。ラクス・クラインほどの威圧を感じないだけに不気味です
        それに、この状況下でプラントを取りまとめているのも見事なものだ。とっくに崩壊していておかしくないのに
「敵を褒めるとは、余裕がありますね。僕にはとても」
少し皮肉の混じった話し方になった。それを察したのか、デュランダルは苦笑する。包帯から見えた口元は、わかりやすい

空気が漏れる音。遊戯室のドアが開き、二人の男が入ってきた。ハイネ・ヴェステンフルスとアスラン・ザラだ

「代表。お耳に入れたいことが」
アスランが血相を変えている。頬が紅潮し、興奮状態にあるようだ
「アスラン、もう動いてもいいのかい? 君は医務室で寝てたはずじゃ……」
「寝ている場合ではありません」

アスランはユウナのそばにやってくると、耳元でささやいてきた

—————オーブ軍から、和平交渉の申し出がありました

瞬間、ユウナは目を大きく見開いた。一、二、三、腕時計の秒針が時を刻む
軽く頭を一つ叩き、冷静さを取り戻そうとした

「和平だって?」
声が震えている。ただそう思った。自分の声だった
「はい。接触してきたのは、アンドリュー・バルトフェルド」
「本当か。本当にそんなことを言ってきたのか?」

いくらか、信じられない気分だった。疑う気持ちの方が強いが、バルトフェルドと言えばオーブ軍の実質的な総司令官である
その男が言うのなら、間違いはない。だがそれでも信じられない

—————ハイネ。本当かね、その申し出は?
「はい、議長」
—————妙だな……。ラクスは、外交交渉を行ったことなどほとんどないはずだが……
「確かに」
ハイネという、デュランダルの側近がうなずく。言われて見ればその通りだ
ラクスは政治的な交渉をほとんど行わない

—————よほど窮しているのか……。ユウナ代表、いかがしますか?
デュランダルがこちらを見つめてくる。彼も、かすかに当惑しているようだ。包帯からのぞく目が怪訝そうである
「……アスラン。オーブ軍は、誰との交渉を望んでいるんだい?」
「どういうことです?」
「僕か、デュランダル議長か。それとも大西洋連邦大統領ジョゼフ・コープランドか
 誰をテーブルにつかせて、話し合いをしたいのか。それを知りたい」
「ユウナ・ロマ・アスハご本人です」

言われ、ユウナはすぐに立ち上がった。かすかにデュランダルへ目配せする

「失礼、議長。僕は席を外します」
—————構いませんよ
「チェスの続きはまた……。アスラン、ついてきて」

言うと、アスランが追従してきた。ダイダロス戦後に過労で倒れたが、今は血色もいい
ここでアスランに抜けて欲しくはなかった

ミネルバを出て、ヤタガラスに戻る。ドックでの修理はかなり進んでおり、もうたいていの行動はできるだろう
しかし美しい漆黒の装甲も、かなり傷が目立っていた

ヤタガラスのゲストルームに戻る。一番広いところだ。ここが、今のユウナの宿舎である

「どうしたものかなぁ」
机に座ると、ユウナはため息をついた
「オーブ軍の申し出ですか?」
「ああ……。この期に及んで和平交渉など、馬鹿げた申し出だけどね。君はどう思う?」
「受けるべきではないと思います」
きっぱりとアスランは言った
「受けるべきじゃないか……」
「彼らはオーブを戦争に巻き込んだ張本人ですよ。まして、オーブ首長を簒奪しているのです
 どんな大義で動いているかは知りませんが、そんな犯罪を許しておくわけにはいきません
 ましてここでラクスを生かしておけば、また混乱が起きます。彼女に法の裁きを受けさせるべきですよ」
「……そうだけどね」

言って、ユウナはまたため息をついた

「迷っておられますか、代表?」
「アスラン、ラクスを許せないのは僕も同じさ。できれば、この手で殺してやりたい。その憎しみはどうしようもなくある
 いや、今の僕にとってなにより強い感情かもね」
父の声、トダカの声。あるいは、国を奪われた屈辱。それはどうしようもなくて、消えない

「……」
「だが……同時に僕はラクスが怖い。たまらなく怖い。こんなことは、君にしか言えないけどね
 僕はどうしようもなく国民に人気がなかった。ははっ、これでもけっこう頑張ったんだけどね
 けれど、ラクスはいきなりやってきて、僕からオーブ首長の座を奪い、それに関してほとんど非難がでない
 国民の人気も圧倒的だ。誰がそんなことをやれる? 僕には逆立ちしたって無理だ
 ちょっと人に言われたんだ、『ラクスと敵対する者は、その瞬間から悪に変わる』って
 あながち、それも大げさじゃないかもしれない」
「しかし……」
「そう、しかしだ。ここで僕が旗を降ろすわけにはいかない。オーブに平和をもたらすまでは、ギブアップできないんだ
 ただ、もしもだよ。和平交渉がオーブに平和をもたらすものなら、それを僕は選択しなければいけないと思う
 ……ラクスとも、やりあわなくてすむしね」
「では、交渉をお受けになるので?」

アスランの顔に、不満がある。その感情はユウナもよくわかった。わかりすぎるほど、わかっている

「迷っている」
「代表」
「ただ、わかっているのが……僕がラクスと講和してオーブに戻っても、国民は僕を受け入れてはくれないだろう
 僕が本当にオーブへ戻るには、オーブ首長ユウナ・ロマ・アスハとして戻るのなら、ラクスと戦って勝つしかない」
「では、戦いましょう」
「……アスラン」
「今回の和平交渉、正直なところ不信な点があります
 なぜオーブ代表キラ・ヤマトの名ではなく、バルトフェルドの名で行われているのか
 案外、彼の独断で行っているのかもしれません」
「根拠は?」
「議長もおっしゃってましたが、ラクスがそういう政治交渉を行ったことはないのですよ
 それをここに来て曲げるというのはどうもおかしいかと」
「うかつには乗れないということか?」

ユウナは腕を組んだ。戦うということの方が、すっきりと割り切れる。しかし和平交渉も魅力的だった
戦わずにすむなら、それに越したことはない

「俺は危ないと思います。バルトフェルドが独断で行っているのなら、この交渉は絵に描いた餅ということになりかねません
 それに、ラクスはやらないでしょうが、ラクス大事のクライン派が交渉の場に出てきたあなたを暗殺すると言うことも考えられますし」
「……よし。交渉は秘密裏に進めてくれ。ただし平行してオーブ奪還作戦を進める」
「代表」
「はねつけることもない。しかし信用しすぎることもない。こっちはこっちでやろう。ヤタガラスに皆を集めてくれ
 ロンド・ミナやミネルバクルーもね。できれば大西洋連邦の軍人もゲストで呼んでくれ」

ユウナが言うと、アスランはにやりと笑った

「始めるのですね、オペレーション・オケハザマ」
「ああ」

オケハザマ、桶狭間。旧世紀の日本において、織田信長が今川義元の圧倒的な大軍を寡兵で打ち破った戦いである
オーブ奪還作戦。今の自分たちにはふさわしい名だと、ユウナは思っていた

「長期戦になるよアスラン。ひとまず人選を進めよう」

アスランがうなずく。ここからだ。必死で種をまいてきた。工作や情報戦をこれでもかと行ってきたのだ
ガロード・ランやシン・アスカの英雄化も進め、レクイエム破壊という正義も行った
それでもラクスの人望には及ばないが、やるだけやってみせる

恐怖は、それでも消えない。膝の震えもあったが、ユウナはどうにか平静を装った

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アスランやユウナが去って、すぐにハイネは情報収集を行った
大西洋連邦にも情報を提供し、偵察を飛ばしてもらう。それらすべてを終えるのに、けっこう時間がかかった

ミネルバの廊下で、デュランダルの車椅子をハイネが押す
電動の車椅子なので、本当は押さなくてもいいのだが、デュランダルはこういうことを好んでいた

「議長」
ハイネは、声をかけた
—————なんだね、ハイネ
「先ほどの申し出ですが、どう思われます?」
—————ラクスの、か?
「はい」

ハイネも気になってはいた。和平どうこうは政治家の仕事であるが、軍人である自分に関係のある話である

—————ネオジェネシスは破壊されているらしいな

「まだ不確定な情報ですが。連合の偵察部隊によると、間違いないそうです」
—————あれを作ったのは私だが
「存じています。連合の核攻撃に対抗するためでしたか」
—————うむ。もしもあれが健在であれば、私の方から和平の申し出を行っていたかもな
「なぜです?」
—————宇宙要塞メサイアは、要塞でありながら宇宙を動き回ることができる
       すなわち、どこにでもジェネシスを向けられるということだ。つまりあれが月に向けられれば、我々は降伏するしかないのだよ
「……しかし、そんなことをすれば」
—————ラクスはそんなことをしないだろう。だが一部の部下の暴走と言うことにすればすむ
「そんな無茶が……」
—————彼女には許される

ハイネは沈黙した。認めたくないが、その通りだ。シンとの問答や、プラントの議会制圧で彼女は失態を演じているが、
さほどの批判を浴びていない。それどころか彼女のやってきたことは、本来、全世界から非難の声があがるほどの大失態のはずなのだ

「どうすればいいのでしょうか。ラクスを……」
—————困った存在だよ。人気と力を持ちすぎ、なおかつ狡猾さがないというのは
デュランダルが車椅子に揺られながら、憂鬱そうに頬へ手を当てた
「……」
—————ラクスを、誰かが殺してくれないものかな
       あるいは、キラ・ヤマトと共にどこか遠い世界にでも行ってくれないかな

ハイネは答えなかった。どう答えていいのかわからなかった