第121話 『私があなたを救ってあげるわ』
==========================
「結局—————」
ジョージの全身は汗で濡れていた。それでも平静を装って、コクピットから降りた。
待っていたのは、腕を組んだルチル・リリアントだった。
「あなたに助けなんていらないのね」
「……」
「なんでも出来るのね、あなたは。
戦闘中にMSのOSをハッキングして乗っ取るとか、もう人間じゃ無いわ」
「違うな、ルチル」
ヘルメットを脱いだ。汗が、軽い重力に引かれてゆっくりと落ちる。
「なにが?」
「私は、なんでも出来るようになったのだ。
そのために万の努力を重ねて来た」
「あらそ」
「君に礼は言っておく。
D.O.M.E.が助けに来るだろうとは思っていたが、君の参戦は予定外だった」
「……嫌な男」
「だろうな、私も生まれて来なければ良かったと、よく思う」
すると、ルチルが大きなため息を吐いた。呆れを吐き出した、そんな雰囲気だった。
「ジョージ、あなた。
人を憎むとか考えないの?」
「どういう意味だね?」
「あなたは悪意がなさ過ぎる。殴られただけでも、人を殺したいと思うのが人間よ。
どうして人に、敵意や憎悪を抱かないの?」
「バカな、私は聖人ではないよ」
「でも少なくとも、まともじゃ無いわ」
「………ルチル、君は」
ノーマルスーツを脱ぎ捨てた。
そして、右手の平をルチルに突きつける。
彼女は、少しだけ驚いた顔になった。
「私が完璧な人間だとでも思っているのか?」
右手は、汗に濡れ、今もなおしたたり落ちている。
命をすり減らすような戦闘は、緊張だけで水分をすべて奪ってしまうほど、過酷なモノだった。
「私は人間だ。君が人間であるようにな」
腰を落とした。一斉に震えが来る。
まるで発作のように、抑え付けていた恐怖はやって来た。
歯を食いしばって、耐える。
「……」
ルチルは、呆然とこちらを見下ろしていた。
「私の未来は、暗闇に彩られている。ルチル、君と同じ程度には。
ニュータイプで無くとも、それぐらいはわかる。
私ほど歪な生命もない……きっとろくな死に方はすまい」
「……」
「それでも、望まぬ未来を拒むだけの強さは持ちたい。
私の世界に混乱をもたらさぬために、私はコーディネイターとして人類を繋ぎたい。
そういうことを、望んではいけないのか?」
「……」
「人が幸せを願ってはいけないのか?
不幸を避けるために、全力を尽くすのは愚かなことか、ルチル・リリアント」
ルチルの心をえぐっているのは、わかっていた。
彼女は自分に訪れる不幸を知り、それに怯えきっている。
しかし、運命は逃げてどうにかなるものなのか。
立ち向かってこそ、ねじ伏せることもできるのではないか。
「言いたいことは、わかるわ」
ルチルが、視線を落とした。それで、はっと胸を突かれる。
彼女がまだ、少女だったことを思い出した。
「せめて君の事情を話してもらうわけにはいかないのか、ルチル?
なにもわからなくては、力になることも出来ない」
「ありがとう」
ルチルが、少しだけ泣きそうな顔で笑った。
なにかが通じた、そんな気もした。
「でも話せないわ。そういうあなただからこそ、話してはいけないと思う」
ルチルの年齢を思い出す。それと比較すると、彼女はずいぶん大人びているような気もする。
彼女は、よく把握できない。踏み込んでも、逃げられていくような気がする。
「……話せない理由も、話せないのか?」
「それは……。
……。
私が、あなたを救うからよ」
沈黙の後、ルチルはおかしそうに笑った。
その笑みの理由に気づいたのは、なにもかも終わってからだった。
==========================
『怒っているかい?』
「別に」
月基地の工場で、機械類を漁っていた。
理論は完成している、後は実践をやればいい
「試されていることぐらいはわかっていたし、ああいうやり方も嫌いではない。
怒ることがあるとすればD.O.M.E.、君が私の力を疑ったことだ」
『……』
「私は、出来ないのであれば素直に出来ないと言う。
勝算があるから出撃したのだ。
あのGビットとルチルは、いらぬ援軍だった」
『それはすまない。しかしジョージ、一つ訂正させてくれないか?』
「訂正?」
『ルチルは自らの意思で出撃している』
「ふむ……」
とんとんと、自分のひたいを叩く。
心のどこかで、そんな気はしていた。
「D.O.M.E.、それは宇宙革命軍が敵だったからではないのか?」
『違う。
彼女の、ジョージ・グレンに対する感情は、君が思う以上に複雑だ。
それは愛憎というもので片付けられないほどにね』
「なる、ほどな。
いや……単純な憎悪でないなら、救われる」
工場から、使えそうなものを一通り集め終わると、それでパソコンを組んだ。
パソコンというより、スパコンと呼べる物で、これぐらいのものが無ければ時間跳躍の計算は出来ないのだ。
幸い、使えそうなものはいくらでもあった。
D.O.M.E.はここでMSの自主生産もしているらしく、設備のレベルも自分がいた世界とは比べものにならないものだった。
数日の時をかけ、タイムマシンとでも呼ぶべきものを造り上げていく。
理屈は、わかっている。それを逆転させれば、理論は確定する。
あとは実践のみ。
細かく分析してわかったことだが、自分が作ったものは小さな時間を飛ぶことは出来ないらしい。
1日後、1年後、という単位での移動は無理なのだ。
どれだけ小さく飛ぶ時間を狭めても、とんでもない時間を飛ぶことになる。
推論だが。
あの忌まわしいヒゲのロボットが、文明を断絶する周期。
それ以内の時間は飛べないようだ。
つまり、自分たちが生きている、自分たちの世界の時間と歴史は変えることができない。
神の見えざる手、というモノだろうか。
タイムマシンは不老不死と同じく禁断の技術だが、この推論ならばそこまで危険な代物では無いと言うことになる。
時を飛ぶというより、違う世界を行き来するのと同じ感覚になるだろう。
油にまみれた軍手を、口でくわえて外す。
肉体労働と頭脳労働を強いられているて、疲れるが、充実感があった。
2階にある、通路を見上げる。
ルチルが頬杖をついて、不思議そうにこちらを見つめている。
もうドートレスは直っていて、地球に帰れるはずだが、まだ彼女は月にいる。
「ジョージ」
ふと、彼女が声をかけてきた。頬杖をついたまま、相変わらず不思議そうな顔で。
「なんだ?」
「あなたって、いくつなの?」
「30だが?」
「うっそ」ルチルが、大きく目を見開いた。「20ちょっとにしか見えないわ」
言って、けたけたと笑う。
「一応、完全なボディとして設計されたからな」
苦笑いで、返す。
あの老人が、そういう外観を望んだ。ただそれだけのことだ。
「優しいのね、やっぱり」
なぜか、笑うルチル。妙に機嫌がいい。
「どうかな」
ルチルの豹変に戸惑いながら、段差に腰を下ろして息を吐く。
「彼女はいるの? それとも奥さん?」
「どちらもいないよ。あんまりモテ無くてね」
カネ、地位、名誉、どれもある。言い寄ってくる女は、少なくなかった。
しかしあまり女には近づかないようにしていた。
家族を作れば、弱味が出来る。そうすればあの老人は容赦なくその弱味を使ってくるだろう。
「だと思ったわ」
ルチルが、当然という顔で笑う。
「そんなに女っ気が無さそうに見えたかな」
「違うわ、運命だもの」
ルチルは笑っている。
その口の端が、少しだけ震えている。
まるで年相応の少女だった。
「ジョージ・グレン。
私が、あなたの運命だもの」
==========================
何度も、夢を見た。
想像を絶する苦痛の中。
希望すらなく。
人が考える限りの残虐を与えられ。
私が死ぬ夢。
最初は夢だと思い込もうとして、しかし自分がニュータイプだと悟ってからそれは避けられぬ宿命だと知った。
私は戦争のためにそうやって殺される。
それも予知の中で知った。
私は戦争を憎んだ。争いを憎んだ。
それは平和を願うというような美しい心からではなく、私に危害を加えるものとして、戦争を憎んだ。
しかしどれほど憎んでも、運命は私の予知通り進んだ。
両親はわずかなカネで私を軍に売り渡し、私が『あの結末』を迎える準備は着々と進んでいた。
施設では大切に育てられた。
ニュータイプの軍人として、厳しく教育された。
その日々にあったのは、ただ吐き気をもよおすような嫌悪感だけだった。
「強い力のニュータイプはね、運命の人がわかるのよ」
その人はそう言った。
名前を知らない。
研究番号0012。あるいはそれがその人の名前だった。
30も半ばの、優しげなおばさん。頭がすべて白髪に変わっているのが、研究対象だった頃の名残だった。
ただもう立つことも出来なくて、ずっと病室のベッドで寝たきりの生活を続けている。
「ニュータイプとして生まれてきて、良いことだってあるのよ。
運命の人がね、出会った瞬間、ぱっとわかるの。
ええ、そう。
ニュータイプだけが、世界で一番素敵な恋愛をする資格があるのよ」
その言葉が救いだったのかどうか。
私にはわからなかった。
恋愛になんて興味はわかなかったし、男性はむしろ嫌忌すべき対象だった。
しかしその頃から、まだうすぼやけだった私の結末に、色彩が加わった。
私は戦争のために『殺される』
けれど、その死で私は誰かを『救う』
結末の全体像が、それで少しずつ見えてきた。
私が見ている結末は、ただ一部分に過ぎなかったのだと。
ジャミル・ニート。
目がきらきらした少年だった。
しかし出会った瞬間、この子は私など及ばないほど不幸な目に遭うと悟った。
そう思った瞬間、少年を抱きしめていた。抱きしめながら、私は多分、初めて誰かのために泣いた。
ジャミルは、少年らしく言葉を詰まらせながら、戦争を終わらせますって言っていた。
私は、泣き笑いでうなずくことしかできなかった。
頑張ってね、と。
そう言い返すしかできない私の、なんて卑怯なことだろう。
私はやはり戦争を憎んだ。
そうしなければ私は、結末に押し潰されそうだった。
それでも私は、できる限りの努力をしようとした。
D.O.M.E.に会うのがそれだった。
世界中のすべてを握っているとも言われる、D.O.M.E.。
それならば、きっと未来を変える術を知っているだろうと。
私は新型機の訓練にかこつけて、脱走した。
結末は、知っての通り。
そして私は、運命を突きつけられた。
一目、その顔を見て、私はすべてを悟った。
彼こそが私を結末に導く人なのだと。
綺麗な顔、うるさい口、そしてバカバカしいほど……高潔な心。
私は彼を拒んだ。殺そうとすらした。
しかし彼は私を憎むことなく、説教を返すだけだった。
それも、本当にバカらしいのだけど、私のことだけを思ってこの人は説教をしていた。
嫌だった。
その背を見るのが、その目を見るのが。
あなたは、世界を変えるという。
あなたは運命を変えるという。
それは、とてもとてもたやすいことだとでも言うように。
でも突きつけられる。
この人は本当に世界を変えていく。
それほど彼が手にしている力は絶対で、そして彼の人格は高潔だった。
ニュータイプとオールドタイプを繋いでみせる。
あなたがそう言った時、私は泣きそうになった。
私はそういう救いを求めていたのだと。
ニュータイプが人類の革新じゃない世界。
ニュータイプが、当たり前のようにオールドタイプと暮らせる世界。
ああ、私は本当にそういう世界を願っていたのだと。
あなたはそれを作ると言った。
結末の全像が、埋まっていく。
私の望み。私の未来。私の運命。
私はその絶望を、きっと自ら望んで選択したのだと。
彼の名を呼ぶ。
「私があなたを救ってあげるわ」
かちり、となにか音がする。
きっと未来が変わる音。
その、本来流れるはずだった時間が、なにか別の流れに変わった瞬間。
「君が? いや、私よりも君の……」
私がしたことも忘れて、ただ私を案ずるあなたの顔。
おかしいわ。
「あなたに勝利をあげる。あなたが、どうしても倒せない相手を、倒す力をあげる」
「それは……ええと、どうも」
ジョージは、戸惑っている。
だろうね。私だって、結構いっぱいいっぱい。
恥ずかしさで、死にそう。
あなたに力をあげる。
いつかジョージ・グレンの輝きが力を失い、それでも立ち上がる時。
あなたの再戦は敗北に終わるから。
それを勝利に変える力をあげる。
あなたが語った理想は。
きっと私のなにかを救った。
信じられないと思うのだけれど。
私はそれだけで救われた。
「しかし、私はなんの代償を君に支払えばいい?」
笑い出したくなるぐらい、この人は律儀だった。
今すぐ力をあげるわけではないのに。
「じゃあ……」
顔が紅潮する。自分の考えに、自分で驚く。
口に出したい。出そう。勇気。振り絞って。
行け。
「生涯、私だけを好きでいて。絶対に他の女を見ないで」
「え……」
「私はずっとあなたに振り回されてきたの。今までも、きっとこれからも振り回されていくわ。
ううん、私の人生はあなただけだった。だからいいでしょ。
こんなに苦しんできたんだから。
私があなたの運命なのよ。だから……」
「……」
「死ぬまで、私だけを愛して。
元の世界に帰っても、どれだけ離ればなれになっても、永遠に私だけを想っていて」
「……あ、いや」
恥ずかしさ。
目が、回りそう。
ジョージが、少し気まずそうに頬をかいている。
当たり前の反応か。きっと、私がなにを言っているのかもよくわからないに違いない。
「ま、いいだろう」
あっさりと。
彼は、世界を変えることや、運命を変えるのと同じ軽さで、生涯私だけを愛することを承諾した。
「本当?」
「それが君の救いになるなら。
DNAと一身上の都合、妻をめとるつもりもないしね。
しかし、いったい君になにが……わぷ」
駆け寄って、抱きついた。
なぜか泣いていた。
「ありがとう、ジョージ。この世の誰より素敵よ。
ジョークは下手だけどね」
「ははは、帰ったらジョークの勉強でもするさ」
まるで彼は、子をあやすように私の頭を撫でる。
きっと、意味がなにもわからないに違いない。
それでも、いい。
きっとこの人は生涯、私だけを愛する。
ニュータイプの力なんていらないけれど。
それが確信できるところだけ、この能力に感謝する。