「マザーバンガード……?」
降下してくる青い艦を見て、トビアはあっけにとられたように呟いた。
横に立つベラも、息をするのさえ忘れてその艦を見上げている。
『ベラ・ロナを、FAITH及び新鋭艦の艦長に任命する。
なお、ミネルバの一部クルーを除く在オーブザフトは第一傭兵部隊"クロスボーンバンガード"への転属を命ずる』
在オーブのザフト軍にデュランダルから辞令が下ったのは、わずか二日前のことだ。
自信はないが、艦長候補という"設定"になっているベラがそれを断れるわけはない。
「ロナ艦長でありますか?」
不意にかけられた言葉に、トビアと、ベラが振り向く。
「オーブの……いえ、クロスボーンバンガードのアスラン・ザラであります」
そこには一人の青年が立っていた。オペレーション・トロイホースの会議に居た、額の広い青年である。
そのアスランが直立不動で立っていた。
それを見て、ベラがくすりと笑う。彼のあまりに生真面目な挨拶がおかしかったのだろう。
「……どうしましたか?」
困ったような表情を見せ、すがるようにトビアを見てくる。
「そんなに堅苦しくしないでいいってことですよ」
助け舟を出すようにトビアが言って、にこりとする。
「僕はトビア・アロナクスです。よろしくお願いします、アスランさん」
言って、アスランに手を差し伸べた。
「それにしても……ねえ」
マザーバンガードの艦長室。座り慣れた椅子で、ベラは腕組みをして座っていた。
「沈んだはずですよね……マザーバンガード……」
不思議そうな顔で、ベルナデットが呟く。
マザーバンガード。"クロスボーンバンガード"の旗艦にして象徴。
絶大な機動力に火力、さらに防御力を誇る、浮沈艦となりうる要素を兼ね備えた艦。
そしてなにより……沈んだはずの艦。
愛する人を助けに出撃した時、ベラは確かにマザーバンガードの自爆スイッチを入れたのだ。
しかし、この艦の自爆装置は作動していなかった。
「……どういうことなのか説明していただけますか?デュランダル議長」
睨みつけるように、デュランダルが映った通信モニターへと顔を向けるベラ。
「デブリ帯で拾った艦が君の言う"海賊船"に似ていた。それでは信じてもらえないかね?」
困ったような顔で、デュランダルが答える。
怪しい、怪しくないで言えば間違えなく怪しいだろう。
広大な宇宙空間とは言っても、無傷の戦艦が簡単に落ちていてたまるものか。
だからこそ思う。
「嘘を……疑っても仕方ないでしょうね」
嘘をつくなら、人間はもっともらしい嘘をつくものだ。
ならば、バレバレの嘘に聞こえるこの弁明は、かえって嘘ではない可能性が高くなる。
「信じろってことかしらね……」
通信が切れると同時に、ベラは嘆息した。
自分たちの境遇からして信じられない状況なのだ。一つや二つ、信じられない出来事があってもさほど気にすることではない。
無論、手放しで全てを信じるわけにもいかないが。
「こんな時、彼やキンケドゥならどう言うのかしら」
ベラの頭の中に飛来するのは、マザーバンガードの"本来の"副艦長と。そして、愛する人と。
「悩んでも、仕方ないか……」
一見すると自棄になっているともとれる言葉を吐き、立ち上がる。そして、
「艦長……?」
「行きましょう、ベルナデット。半日後にはザフトのパイロットが来るわ。歓迎の準備よ」
普段の彼女には似合わぬ、いたずらっぽい笑みを浮かべて、そう言った。
「艦長はここです」
トビアの示したものは、艦長室の入り口にしてはやけに重たい扉であった。
部屋というよりも、なにかの工場の入り口に見える。
「なんか……秘密兵器絶賛生産中って感じの扉ね……」
「戦艦で?どっちかというと、悪い魔女が変な薬作ってそうだぞ……」
「気にするな。俺は気にしない」
笑顔のトビアを前に、シン、ルナマリア、レイが三者三様の感想を口にする。
「どうしました?」
「な、なんでもないわ」
あたふたしながらルナマリアが手を振って答えた。
「……?ベラ艦長、ミネルバクルーの皆さんです」
不思議そうな顔をしながら、トビアが扉を開く。
一番最初にシンたちの視界に入ってきたのは"煙"だった。
続いて、部屋を覆わんばかりの熱気が、トビアと三人を襲う。
「あら、早かったのね」
緊張して身構える三人と、それとは全く違った雰囲気の声。
きょとんとして立つ女性が、煙の向こうに見える。手にはなにかを持っているようだ。
「私がマザーバンガードの艦長、ベラ・ロナです。パンでもいかが?」
唖然とする三人に、フランスパンを持ったベラはそう言った。
「くそっ……」
アウルは倒れたザフト兵を踏みつけながら、吐き捨てるように言った。
ミネルバの資料室。鍵をかけた扉の前で、アウルは現状を整理していた。
どうやら、自分はアビス共々ザフトに捕まっていたようだった。
"相棒"たるアビスは、別の艦、マザーバンガードなる戦艦にあるらしい。
さらに、今のミネルバには禄なMSがいない。赤いザクウォーリアが一機、搭載されているだけなようだ。
「逃げられないか、ちくしょう……」
つとめて冷静に呟き、さらに思考を巡らす。脱走し、連合の勢力圏に逃げるには足の速いMSが必要だ。
さらに、オーブは島国。海を渡るには、水中移動能力を備えたMSが必要となる。
「アビス……あれさえあれば」
ここに居ても連合のパイロットとして、最悪の場合はスパイとして処罰を受けるだろう。
行動は早いほうがいい。僅か五分前に、このミネルバが出航するという艦内放送が入った。
「迷ってる暇なんかねえか……」
ペンダントを握り締める。写真に写った"知らない女性"が力を与えてくれる気がした。
『それでは、明朝に』
「ああ、君たち"クロスボーンバンガード"のオーブ駐留のタイムリミットは明朝だ」
我ながら下手な芝居だな。胸中で呟きながら、ユウナはモニターに映る、ベラという女性に視線をやった。
オーブの理念は、"侵略をせず、侵略をさせず"である。
例え連合が攻め込んでこようと、オーブ軍は積極的自衛権の行使、つまり敵地への侵攻をするわけにはいかない。
「政治は……大変ですね」
あのいけ好かないアスランから概要は聞いているのだろう。ベラがそう言ってくる。
オーブは、他国への攻撃はしない。だが、オーブを追い出された"海賊"が他国を攻撃するぶんにはオーブの責任にはならない。
それがたまたま、"オーブを攻撃しようとした他国"であっても。そして。
「ところで、東アジアは今、割れているらしいね。ホンコンシティなんかは親プラントがかなり多いらしい」
たまたま呟いた独り言を、海賊の頭領が傍受しても、それはオーブの預かり知らぬことである。
確かに屁理屈ではある。
だが、政治なんてそんなものさ。
モニターから目を逸らして、ユウナは自嘲の笑みを浮かべた。
「ネオ……わたし……なにか大切なことを忘れている気がする……」
「大丈夫さステラ。もうすぐホンコンシティだ。最悪の場合は戦わないといけないかもしれん。早く寝ろ」
「うん……」
目をこすりながら言うステラを、苦々しく見つめてネオは答えた。
ステラの向かう先にはガラスで覆われた三つのベッドがある。
一つはステラが今横になろうとしてるベッドで、残った二つのうち一つは緑色の髪の青年が眠っている。
そして、もう一つのベッドには主がいなかった。
「アウルか……助けられりゃいいんだけどな」
ぽつりと言ってから、ずれ落ちかけた仮面を直す。
ステラと、スティングの"仲間"であった少年。そして今は二人の記憶に存在しない少年。
「アビスを取り戻さないと、ステラとスティングを"あれ"に乗せるはめになっちゃうからな……」
ステラが寝たのを確認してから呟いて、ネオは肩をすくめた。
その声は、ひどく悲しそうに聞こえた。
JPジョーンズの艦橋から超高層ビルの光が見えた気がした。
ホンコンシティはもうそこまで近づいていた。