シロ ◆lxPQLMa/5c 氏_毒持つ蝶よ 棘持つ華よ_前編

Last-modified: 2009-07-04 (土) 23:27:34

 海を見渡せる小高い丘。
髪をさらう潮風が心地よいアクセントとなっている。
空は緋のグラデーションで染め上げられ白い雲も今だけは濃淡様々なアカに染まり空を飾りつけた。
人を魅了してやまないなんとも美しい夕焼けの日。
刻一刻と色が移り変わっていく、そんな一日の中でも希少な時間・・・

 

 昼と夜の交差する斜陽の狭間に、二人は出会った。

 

 あたりに人影のない静かな丘より海を眺めている女性が一人。
そんな女性にラフな服装をした一人の青年が近寄っていく。
まっすぐに近付いて行くその足取りが、青年の目当てが決して夕日などではないという事を物語っていた。
 女性も気付いているのだろう。タイミングを見計らって振り返ると同時に青年も立ち止まった。
近すぎず、かといって遠すぎもしない・・・さじ加減一つでどうとでも転ぶ、そんな距離。
微妙な均衡の様なものが生まれた雰囲気の中、青年は軽く注意でもするかのように言葉を発した。

 

「あんたみたいな重要人物がボケっとしてるもんじゃないぜ。」

 

 青年の瞳は今日の夕日を映したような深い緋色の瞳。
今女性の背後にある太陽の種火を与えられたかのようないずれ夜へと消えゆく激しい瞳だった。
 その瞳が向かう先は桃色の髪をなびかせたたおやかな女性。

 

「・・・私を、殺しますか?」

 

 鈴を転がしたように心地よく耳に残る声。だがその内容は声に見合わない不吉さを醸し出していた。
彼女こそは今や世界にその名を知らぬ者はいないプラントの議長にして平和の歌姫だというのに。
 しかし彼女の一言は仕方のない事だろう。穏やかな風に言葉を紡いではいるが、
今目の前にいるのは彼女にとっての敵の代名詞のような存在なのだから。

 

「一言目からずいぶんな言い草だな。」
 問題の青年は白い肌、そして艶はあるがあまり手入れのされていない黒髪が特徴的であった。
よく見れば確かに少年時代の面影は見てとれる。だが・・・その身に纏った雰囲気が
少年時代とのつながりを断絶させていた。
紳士的な態度とは裏腹に立っているだけで滲み出てくるものがある。

 

 同一線上で繋げようにも今の彼は・・・・・あまりに険呑に過ぎた。

 

 かつては感情的だと非難されてきたそれはやすりに、砥石にかけられはるか鋭く研ぎ澄まされた。
ムラのあった感情は方向性を得て純化し、身も凍る殺意となり変わったのだ。
 研ぎ澄まされた感情は落ち着いたということではない。
今も感情は凍ってなどいない、なおも熱く心を焦がす。
事実女性に話しかけた穏やかな言葉と裏腹にその内心は・・・まるで焼けた鉄だ。

 

「悲しい事ですけど、あなたは私を嫌っているのでしょう?」
女性は無意識にそんな穏やかさの中に潜む彼からの敵意を感じ取っていたのかもしれない。

 

「・・・・・・・・・・・。」
青年には彼女の落ちつき払ったその顔がひどく気に食わなかった。
 彼女を煌びやかに飾る幾つもの華々しい肩書。
だがそんな肩書も青年の立場から見れば容易に裏返る。
 彼女を崇め奉るもの、信者とも言い替えられそうな熱狂的な支持者・・・
彼から見れば誰も彼も吐き気を催した。
今までもその実を伴わないうわべだけの小うるさい口をいくつも塞いできた。
それでもうるさい言葉は止まない。いつまでも、いつまでも耳元で繰り返す。

 

 なら・・・どうして、くれようか・・・・・

 

「歌姫には歌姫にふさわしい幕引きがある。それはここじゃない。そんなの幸せすぎるだろ?」
 それはあまりににこやかな問いかけ。
「今日ここに寄ったのは俺の気まぐれだ。あんたの顔を見ておこうと思ってな。」

 

 いつまでその面を保てるのか 見せてくれよ・・・そんな暗い愉悦が今の彼の胸中には満ち満ちていた。

 

「モニター越しにならいくらでもあるんだけどさ、やっぱ直接間近で見なきゃわかんない事もあるからな。」
 そういって青年は女性の顔をじろじろと無遠慮に見つめた。
「あら、あなたの目から見て私はどうでしたか?」
他人の視線には慣れているのか、シンの無作法を特に気にした様子も見せず
女性はむしろ親しげに問いかける。
「ん? ああやっぱり俺の選択は間違ってなかったよ・・・直接会ってみて確信できた。」
皮肉を込めた言葉と共に青年は身を翻した。
「・・・・そう、ですか・・」
女性は青年の返答にどこか悲しげに眼を伏せる。

 

 両巨頭の邂逅。その邂逅はわずかに数分で終わるかと思われた。
だが、青年は数歩歩いた先でピタリとその歩を止めた。
そしていぶかしがる彼女に振り返らぬままにたった一つの単語を投げてきた。

 

「やめとけ。」
「なにを・・?」

 

内容が漠然とし言葉の示す範囲が広すぎる。
彼の発言が何を指しているのかすぐには理解できなかった。

 

「10人程度じゃ俺は殺せない。」

 

その一言につながるまでは。

 

「「「「「「ッッ!!!!!!」」」」」」

 

 いくつもの心臓が跳ね上がった。
その一言はそれだけの衝撃を含んだ一言。ひそませていたSPの人数に合致していた。

 

 「はあ・・・」
青年はこれ見よがしにがっかりしたように溜息をつき片手で頭をがりがりと掻き毟る。
「ちょっと挑発されたくらいで、あんな殺気をだだ漏れにするような半端者程度があんたの護衛か?」
その口調には失望のほかに明らかに嘲るような響きが混じっていた。
 目に見えぬ・・・耳にも聞こえぬ動揺の波が静かに人の心に波紋を落とす。
 青年の眼が不意に細まった・・・かと思うと、周囲の温度は急激に落ち込んだ。

 

「使えねえな。」
侮蔑のつぶやきは殊更彼を酷薄に見せた。

 

 その一言を引き金にそこかしこからオートマチック拳銃のスライドを引いた音がしてくる。
この場には一転して暴力の匂いが漂った。

 

                    ***

 

 青年にもその音が届いているはずなのだが彼はいまだ何の動きも見せていない。

 

(ふん、凄腕とのことだが・・・所詮持ち上げられただけの男だろうが! 
 ラクス様と我らを侮辱した罪、その命で贖ってもらおう。“当初の予定通り”にな。)

 

 いの一番に岩影から飛び出しトリガーを引こうとして・・・標的たる青年と目があった。

 

 彼の顔に張り付いていたのは嘲笑。
まるで自分が来るのがわかっていたかのように体ごとこちらに向き直り、
それどころか腕さえ組んで睥睨していた。

 

(・・ッ!・・なぜ?!)
止まる・・・体が停止する。予想のものとまるで違う姿に・・・
そして何より見透かされる感触に体は戦慄と共に硬直した。
 青年は腕組みをほどきこちらに向かって“ゆっくりと”歩いてくる。
銃を向けられるという彼の置かれた現状を鑑みるにそれはあまりに常軌を逸した行動だった。

 

「な、なめてんのかッッ!!」
怒りと共に硬直は解けた、もう引く指に躊躇もない。
引き金を引くのはいい、ただあまりに遅い。愚かな選択だ。
彼を一足の内に飛び込める位置まで近づけるラグをつくってしまったこと。
それはあまりに致命的だ。

 

 シン・アスカの視界に入るという事・・・
それは表情、呼吸のリズム、筋肉の動き、視線の向く先、そのしぐさの細部までを見通されるという事。
 彼にとって・・・戦場に身を置き続けてきた彼にとって、銃を向けられるというのは至極当たり前の事。
そこに何一つとして慌てる必要などない。濃密な経験が彼にありとあらゆる対処を可能にした、
すでに勝利は約束されている。
 今の状況において何に注意を払えばいいのか、答えのすべては自分の内にあった。
戦場の空気も、人の体の構造もとうの昔に熟知している。

 

 すでに術中

 

 銃を向けている相手に向かい歩くという青年の行動は男の行動範囲をさらに狭めていた。
激昂しての発砲はタイミングをさらに単純化させたのだ。
男の体はいたるところから主張している、
今から撃つぞ、と。

 

あまりに変わらない彼らの行動に笑みすらこぼれる。

「あんたら・・・救えねえよ。」

 

かわす事など造作もない。そして2発目はもう・・・ない。
 発砲による意識の間隙を縫い瞬時に沈みこんだ体は、地を這うように男の懐に滑り込んだ。
彼我の距離は瞬時に埋まり、拳はみぞおちに突き刺さっていた。
「ごはぁッ・・ッ!!」
胃液を吐きながら落ちゆく意識がかろうじてとらえたのは・・・自らの銃を奪う悪魔の姿。
「俺の銃で・・・」
そこまで言って意識は落ちたが、言葉の続きなら容易に想像できる。

 

 “俺の銃で・・・仲間を殺すつもりか?”
 「そうだよ。」

 

もう聞こえていないであろう男に・・・いや、それどころかもう2度と会う事もないであろう男。
だからこそ律儀に言葉を返した。

 

 青年は気を失い崩れおちる男の身体を抱えたそのままに、自ら的になるかのように
悠々と障害物のない場所へと歩み出た。
しかし銃撃は来ない。これ見よがしに隙を見せている相手に、ただの一つも。
「どうした、撃たないのかよ? 俺は撃てるぜ。」
気絶した男を盾にしたままに青年は呆れたように棒立ちの男たちを撃つ。
適当な照準で放たれた弾丸は数人の手足の機能を奪うにとどまった。
彼らはすぐに元いた物影に身を隠す。
「あの野郎ッッ!!」
忸怩たる思いであった。
ラクス様を守るための盾である身体はあろうことか犯罪者を守るために無様をさらしている。
寝食を供にした仲間が、笑い合った仲間が! 
彼らにとってこれ以上の屈辱はなかった。

 

「どうした撃ちづらいか? そうだよな・・・清廉潔白な歌姫の護衛が
 捕らわれた仲間を気にしないで銃を撃ちこむなんてやっちゃいけないよな・・・」

 

呆然と立ち尽くしているラクスをチラリと見やり理解を示したような言葉を吐く。

 

「本人もみていることだし・・・なら、少し撃ちやすくしてやるよ。」

 

青年はそういったかと思うとひどく優しげな目つきで抱きかかえている男のこめかみに
銃をあてがい・・・そして・・・

 

 「や、やめッ・・!!」

 

    タァァン・・

 

叫びもただ空しいだけ。
懇願? だから? 
青年はなんのためらいもなく発砲した。

 

(皮肉だな、あんたらが教えてくれたんだ。ためらいは仲間を殺すってな。)

 
 

    ドサッ・・
黒服の男が地面に倒れ伏し、仲間の数人が一斉に各所から姿を現す。

 

“この男は生かしておいていい人間ではない!”

 

彼らはもう任務の枠を超えた使命感じみた覚悟と共に飛び出した。

 

    ニィ・・
笑みと共に鋭い犬歯が覗く。
「どこまでも期待を裏切らないいい人だな、あんたらは。」

 

青年は足元に転がる物言わぬそれを化け物じみた脚力で蹴り飛ばす。
一人のSPが頼れる先輩であった彼を反射的に抱き止め支えきれずに倒れこんだそのとき、
彼はそれに気付いてしまった。

 

     チッチッチッ

 

 「え・・・?」
狐に化かされるとはこのようなことだろうか? 
呆気にとられひきつり歪む表情。彼が見たのは・・・

 

「嘘だろ・・・こんなの人間の所業じゃねえ・・」

 

蹴り飛ばされた男の胸にあったのは、無情に破滅への時を刻む秒針。

 

――人間爆弾と化した同僚の姿。

 

「ブービートラップってやつだ、じゃあな。」
何の温度も感じない別れの言葉。

 

「みんなッ逃げッ・・・」
最後の言葉は爆音にかき消された。受け止めた後輩、
そして折り重なった形になっている後輩のフォローに彼らの近くに寄った数人が、
諸共に爆発に巻き込まれ炎の中に姿を消した。

 

 (あ、ああ、あの野郎! 仲間を抱きかかえて盾にしている間に小型炸薬を仕込んでやがった!!)

 

 煮えくりかえったハラワタ。大切な仲間、それを一度に奪われた。
仲間意識をこそ利用されたのだ。許せるはずもない。
 (ゆるさねえ・・・必ずあい・・)

 

「あんたもさ、そっちにばかり注意を向けてちゃ護衛は務まらないだろ。」

 

全身を氷漬けにされたような焦燥! 言葉にも温度はある。
彼の耳に届いたのは死神纏う極北の風。下方からぞっとする言葉が届けられた。
 全身が粟立ちアラートをかき鳴らす! とっさに急所を守ろうと動き始めるが・・・
そこで終わりだ。彼の拳はなお速い! 
地をしっかりつかんだ足より腰に伝達したエネルギーは背筋を巻き込み加速に加速を重ね、
機械じみた正確さを持って顎をぶちち抜く!!

 

 結果など語るまでもない。男はあっさりと体の自由を奪われていた。
しかしそれでもせめて警告を。

 

 「こ、こにッ・・」

 

     グチュ・・・
 喉を、握りつぶされた。

 

 「グェ・・」
激痛が身を蝕む! 体の自由を奪われた現状において眼球だけが動き偶然にも青年の顔をとらえた。

 

 その瞬間、痛みも忘れた。
 紅いのに…あんなに紅いのに、氷よりなお冷たい瞳。

 

そんな矛盾をはらんだ瞳が見下ろしてくる。意思はもう声にならない。
仲間を守るための警告の声は風に散りただヒューヒューと空気だけが漏れる。
炎を囲んで周囲にいる仲間の眼と鼻の先で自分は死にかけている。それなのに・・・

 

それなのに、誰も“気付いていない”
爆発の余韻がこの危機的状況の認識を遅らせた。

 

それは本当にわずかな時間。だが青年にとって生死を分かつに余りある時間。

 

 たった今、爆風を浴びながら青年の口元が歪んだ・・・
それが男の見た最後の光景・・・
その瞬間にあっさりと天秤は傾き勝敗は決したのだろう。

 

 奪い取った2丁の拳銃からマガジンに残された弾丸の数とイコールの炸裂音!

 

 虚ろな空、群雲流るる紅天に、音は高らかに鳴り響いた。

 

続く