シロ ◆lxPQLMa/5c_00話中編

Last-modified: 2008-08-15 (金) 15:25:17

 夢・・夢を見ていた。それは俺が・・いや僕がまだ小さくて、両親の愛情を一身に受けただ世界の輝きを
謳歌していた頃。気付いたら母さんのおなかがぽっこりと膨れていた。

 

 「お母さん太ったの?」
 何も知らない僕は拙い知識を総動員して思いついたままに尋ねていた。母さんは笑いながら「家族が増え
るのよ。」と教えてくれた。

 

 「家族?」
 家族というのは父さんと母さんと僕の事ではないのか。そんな疑問を口にする。
お母さんはまた笑いながら「シンもお母さんのお腹の中から出てきたの、シンにも妹ができてお兄ちゃんに
なるのよ。」と、ゆっくり順を追って伝えてくれる。

 

 「だからお兄ちゃんがしっかり守ってあげてね。」

 

 享受するだけ、受け取るだけだった僕がはじめて頼られたのだ。何をしゃべったかなんて覚えてないけど
とても気分が高揚したことだけは覚えてる。妹が生まれるのはうれしいことだ。

 

 「名前!名前はなんていうの?」
 「マユっていうのよ可愛いでしょ。」
 「ほんとだ可愛い名前・・僕もそっちがいい。」
 母さんが困った顔をして笑っていた。この日から母さんのお腹に耳をあてたり、手でなでてあげたりする
事をしているとマユが動くのがわかった。びっくりしてつい手を放してしまった。思ったよりやんちゃな子
かもしれない。

 

 それからそんなに間を開けず母さんが病院に行っちゃった。父さんもマユの話ばっかりだ、でも僕もマユ
が生まれてくるのは楽しみだったから一緒にはしゃいで家の中を走り回っていた。
 「楽しみだよなーシン!」
 「うん!楽しみー。」
 「ほんと楽しみだよなー、おい!」
 「うん!楽しみ!」「おーい!」「はーい!」「おい!」「はい!」「おい!」「はい!」「おい!」
「はい!」「おい!」「はい!」
手のひらと手のひらをたたき合う。最高にハイってやつだ!

 

 その日父さんが慌てて僕を迎えにきた。
 「急げシン、マユが生まれるぞー!!」
 僕は急いで保育園の先生にサヨナラのあいさつをして父さんと一緒に病院に向かった。父さんと僕は母さ
んがいるという大きな部屋の前でぐるぐると犬のように回っていた。それを見た看護師さんがぎょっとして
落ち着くよう話しかけてきてくれた。

 

 父さんは看護師さんに身振り手振りで自分がどれだけ心配しているかと熱弁していた。
 「だからね、私と妻の出会いは・・・」
 「はあ、ですから・・・」
 子供の僕にも分った、看護師さんはとてもイラッときていたはずだ。父さんがあまり手を振りまくってい
るので、前テレビで見た千手観音の手みたいに、たくさん手があれば便利だろうと思って、たくさん手が生
えてくるようにハウメアの神様にお願いしておいた。

 

 そうしていると「おぎゃあああああああああ」と大きな声が響いてきた。
 「あっ!」
 同時に父さんが世にも形容しがたい表情で振り返る。
 「うわ!」
 実はこっちの方がインパクトがあった。ちくしょう、僕は父さんが少し嫌いになった。

 

 母さんとマユが大きな部屋から出てくる。母さんが「マユに挨拶してあげて」というと、胸がドキドキし
てきた。先生が僕の前までマユを連れてきてくれた。とってもちっちゃくて、そのちっちゃなちっちゃなそ
の手で僕の指を握ってきた。
 「うわぁ!!」
 胸がポカポカと暖かくなる。そして僕は口を開く。

 

 「マユ、ぼ・・・・・・・・・・・・」

 

 そこで夢から浮上し始める。こんな事ずっと忘れていた。この後僕は・・俺はなんと言葉を紡いだのだろ
う。それだけがどうも曖昧で思い出すことができなかった。

 

 そして優しい悪夢は終わりを告げる。本人も気付かないうちにマユのその小さな手が暗闇へ向かおうとす
るシンの心を引きとめていた。無自覚ではあるがシンこそがマユの絆に守られていた。

 

 余韻に浸りながらゆっくりと目を開く。目が覚めたのでトダカさんに朝のあいさつに行く。本当は家族を
亡くした子供たちは専用の施設に集められていたのだが、トダカさんは俺がコーディネーターであることと、
例の事情を知っているから特別に俺の面倒を見てくれていた。

 

 俺は忙しい中トダカさんが戻ってきた短い時間を使ってできるだけ話をした。話をする必要があった。目
の前に連合が迫っている。彼らのコーディネーター排斥思想が根深いことは、ニュースで連日のように紹介
している事件を見ていればいやでもわかる。気にならないはずがなかった。

 

 もう国は守ってくれない、いや最初から当てにしてはいけなかった。あいつらは・・奴らは無責任にも自
爆し責任を放り出して、自分たちの身内だけが逃げ出したのだ!もっとやり方はあったはずだ!でもあいつ
らは命より理念を選んだ。その理念が俺の家族を!すべてを奪った! みんなを見捨てて

 

 “理念の生贄”にしやがった!!

 

 「オーブゥ!!アスハァー!!」
 そう呻くようにつぶやいた声には暗い熱がこもっていた。事実はそうでなかったかもしれない。だが俺に
とってそれこそが真実だった。覆ることのない真実だった。

 

 一度傾いた感情の天秤は戻らない。

 

 トダカはシンの言葉を否定するようなことはしなかった。オーブがシンの家族に限らず本土も守れず蹂躙
され、多くの犠牲者を生みだしたのは事実であったからだ。そして自分は後方支援とはいえ国を守護するべ
き軍に属していたのだから。

 

 遺体は衛生上の問題のためにご丁寧に軍隊の人達が処理したらしい。向き合って送ってやることもでき
なかった。“処理”その言葉がひどく重かった。家族が物として扱われてしまったことがたまらなく悔し
くて・・・・。家族の墓、俺には墓一つ建ててやることもできないまま永遠に別れることになった。
 楽しい1日になるはずだったその日は地獄の釜が開いた日として歴史に刻まれた。

 

 「うっうっ・・・・うぅマユ・・」
 フラッシュバックする赤い景色に沈んだ両親の映像。そして腕がない事にショックを受け“痛いー痛い
よー”と泣き叫ぶマユを幻視する。

 

 (泣かないで、お兄ちゃんの腕でも何でも欲しい腕をあげるから・・・望みの腕をあげるから。)

 

 生々しい記憶が匂いを伴って、ぬらりとした触感を伴ってシンに纏わりつく。不意に震えだす体、携帯電
話を握りしめうずくまって波が去るまで必死に耐える。優しい思い出がシンを苦しめる、でも優しい思い出
がシンを守っていた。

 

 トダカには小さな体で震えながらただ耐えている悲痛な姿を見ていることしかできなかった。少年は他人
に触れられることを嫌った。その理由のいくつかには見当も付いていた。だからせめてできる限り長い時間
近くにいてやりたかった。責任や義務とかそんなもの関係なくそれが少しでも救いになると信じて。

 

               ***

 

 オーブは中立“だった”。だからテレビに流れる情報も多少地球よりなところもあったけどプラントのこ
とも結構公平に見て評価を下していたように思う。それでもプラントに対する否定的な意見はもちろんない
わけじゃなかった。彼らはニュートロンジャマーを投下して10億人にも及ぶ人間を殺したのだ。死んだの
は弱い人間。貧しい国で日々を暮らすなんの力ももたない子供や老人。そのニュースは地球で知らない者は
いない。

 

 けどオーブはエネルギーに関する致命的な打撃は回避できたから、オーブの国民感情としてはひどいと思
う事はあっても切実さは足りないという国の背景があった。俺もその例に漏れることはなかったためプラン
ト行きに他の国の者ほど嫌悪感を抱くこともなかった。

 

 「トダカさん、俺プラントに行こうと思うんです。」
 少年のいきなりの発言にトダカは驚いたが同時にどこか納得もしていた。だがこの戦争のさなか国の補助
も投げ捨てて何の助けもないなか、たった一人で一度も行ったことのない土地で生きていく。それも今まで
平和な国で“守られ”平凡に育ったごく普通の少年が。老婆心が鎌首をもたげる。
 だが連合が迫っている今の状況ではその選択もやむなしと判断し、苦悶の末に手続きを一手に引き受ける。

 

 あれから数日が過ぎ今辺りは夕暮れから夜に差し掛かろうとしていた。連日の激務に仲間から進められ、
わずかだが休暇をもらって家の椅子に腰かける。

 

 家に帰りついて目についた机の上に置いてあったシンからの手紙。
 それには今までの生活での礼がしたためてあった。その手紙の中には気を使ってトダカが隠していたこ
とまで書かれてお礼を述べていた。

 

 手紙を読み終わり椅子に深く腰をかけなおす。
 「子供は細かいところまでよく見ているんだな。短い間だったが子供のいない私には君との生活は新鮮
なものだったよ。どうか元気で・・・元気でいてくれ。」
 自分の中の弱い考えを無理に押し殺し、庇護の手を振り切って異国へ渡る少年。それは無理に自分を追
いつめているようにも見えてトダカには辛かった。
 おそらくあちらに渡ってしまったら連絡も取れなくなるだろう。1人の人間が消え広くなった部屋で再
び少年が笑えることを願う。
 薄闇に沈む部屋の中、普段飲まないアルコールをちびりちびりと飲みながらトダカは少年の門出を祝った。

 

               ***

 

 シャトルを前にして立ち止まる。すべてが突然すぎて自分の立っている地を見失いそうになる。オーブ
を去ろうという今、失ったものが不意に蘇る。そういえばあの時別れた友達
 「また明日」
そう言って別れたのに・・・、なんて残酷な一言だったんだろうな。あいつ等に明日などなかった。俺だ
けがその明日を生きている。

 

 最後にもう一度だけ振り返った故郷。思い出ならいくらでも浮かぶ、一週間だって語り続けられる。か
けがえのないものすべてが消えた世界で自分だけが生きていく。
 「さよなら・・・俺のオーブ。」

 

 その一言で寂しいと感じた心をつぶしたとき、不意に涙一粒と一緒に自分にもわからない何かがこぼれた。

 

 一人ぼっちの少年は旅立った。背中に一人の軍人の惜しみない応援をうけて。わが子を離さんとする
地球の重力さえ振り切ってその身は空へと。

 

               ***

 

 アナウンスが流れ目的地が近いことを告げる。
 (思ったより早かったな)
 窓の外を見ると砂時計型のコロニーがそして誘導灯が、来訪を歓迎しているかのように瞬いているのが
見えた。

 

 プラントの港にシャトルが入港する。
 プラントに着いてタラップを降りたシンの姿には、もう以前の優しげな雰囲気は見られなかった。その
色に見合わぬ穏やかさを湛えていた紅の瞳は攻撃的な紅で塗り固められていた。

 

 未知の場所で今までと違い、たった一人で生活する不安は幸いな事になかった。なぜならやるべきこと
はいくらでもあったし、すさまじい感情の波が彼を埋めつくしていたからだ。なにより弱い自分ならあの
場所でたたきつぶした。

 

 まず最初に入国審査を行う。必要なものを提出し手持無沙汰になったので周りを見回してみたが、少な
くとも見回したなかには俺のような年ごろで一人で来ている者を見つけることはできなかった。
 入国許可をもらいようやく港を出る。今まで見たこともない程長いエレベーターを下り最初に見た風景
はシンの度肝を抜いた。口をあけ放ち間抜けな顔をしていたかもしれない。そこには地球では決して見る
ことのできない風景が広がっていた。
 「空が・・・地面がつながって・・・」 
 一言でいえばそこは閉じた世界だった。限られた土地、限られた空気、限られた水、何もかもが閉じてい
る小さな世界。すべてが人工物でかためられ、そしてそこに住む作られた人間。

 

 「これからここで過ごすのか」
 改めて自分の置かれた状況を再確認する。

 

 難民が集まる仮設の住居に行き、そこで手続きを行い証明書と部屋の鍵を受け取る。部屋に入って簡易ベ
ットに寝転がり頭の中でこれからのスケジュールをたてる。
 人間らしく生きていく上で一番大切なことだが仕事をどうするか。そのことに関してはもう決めていた。
金を得る手段と力を得る手段は一致している。後はそのための手続きだが、適性を見てもらうためアカデミ
ーの受付に行く必要がある。
 (明日から忙しく・・・)
そうしてシンの意識は眠りへと落ちていった。

 

 次の日目を覚ましてから積極的に行動をはじめる。
 アカデミーの受付に行く途中で見つけた町にあるネットサービスを利用しプラントの基本的な事柄を
検索する。
 検索の結果どうやらプラントでは、コロニー1基を1区、10区を1市としており、プラント全体で12市あ
りそれぞれの市によって相当毛色が違うようである。新型の天秤型コロニーであり砂時計型の底辺の部
分が居住地となっている。
 「へー。だからあんなエレベーター長かったのか。」
他に人がいるにもかかわらず思わず感心の声を上げる。

 

 それぞれのコロニーに特色・個性がある。アプリリウス市は天文学、マイウス市は応用機械工学、セ
プテンベル市は電子工学・・・・・・・・・・
 「・・・この辺はまあ後々覚えていけばいいよな。うん、優先順位ってものがあるし。」真剣な顔で
ヘタレな発言をかます。
画面を閉じ町中を見回しながら歩きだす。

 

 歩きながらふと目にとまった店の商品を見て悲鳴を上げる。
 「こんなものが・・・この値段あり得ない。オーブじゃせいぜい・・・。」
 最初は戸惑う事ばかりだった。物の価値観・価格・環境から来る基本的な常識がまるで違うのだ。こ
こは地球にあるどの国とも違っていた。シンにとって比べられる基準がオーブ一つしかないわけだが確
かにここは地球とは違っていた。

 

 アカデミーの受付にたどり着き、他にも入隊希望で来ていた幾人かの人と一緒に簡単な説明を受ける。
アカデミーは軍学校だけあってオーブで通っていた学校とはまるで違っていた。習うものすべてが即実
務に結びつく。かわりに教養を満たすようなものは極端に少なかった。
 「好都合だ。」 
 教養、娯楽なんて余裕があって初めてできる事だ。今俺にそんな余裕なんか必要ない。
シンはそういったものを無駄と切って捨てた。

 

 プラントに渡って数日のうちに数多くの手続きをして日にちが過ぎる。
 数日後に届いた適性検査の結果、特に問題ないようで無事入隊することができた。
連絡を受けて決意を新たにする。

 

 「俺はここで力を手に入れる。」

 

 住居は難民用の仮設住居からアカデミー生用の寮に移ることとなった。コロニーには土地は限られてい
る。そのため部屋も最低でも2人部屋が基本となっていた。寮で相部屋となった少年があいさつをしてく
るため一応俺も挨拶を返したのだが、それ以来2度とあいさつしてこなくなった。
 「なんでだ?」
どうやら自身の眼つきの悪さ態度の悪さは顕在意識に上ってはいないようである。

 

 そして本日より俺のアカデミーでの生活が始まることなる。
渡された予定表に沿って行動を開始する。

 

 広い講堂に数多くのコーディネーターが一同に整列している。その表情はどれも厳しいものばかりだ。
そして自分もきっとそんな表情をしているのだろう。

 

 一人の壮年の男性が壇上に上り演説を始める。
 「まずはじめに皆さんにお祝いの言葉を述べたい、入隊おめでとう。これから君たちの新しい生活が始
まるわけだが、この時世だ、その生活は辛いことも多いことと思う。だが辛さに負けることなくその生活
を糧として邁進していただきたい。君たちこそがプラントの未来であり、その未来を守る要となる防衛を
担う人材で・・・・・・」
 (ご立派な内容だ)
その演説の内容を聞き流しながらなんとなしに目を彷徨わせていると、金の長髪が目についた。
 「・・・・・・・誰だか知らないけど大胆な奴だな。」
いくらザフトが軍と違い義勇兵を建前としているとはいえ、そういう要素がないわけではないし、これか
ら激しい訓練に明け暮れる事はわかり切っているのに長髪とは。女性であるならまだともかく男で・・・
こうも堂々としていられるとなんかこっちの方が間違っているみたいだ。

 

 “長髪で何が悪い?”そんなふうに逆に問いかけられた気分になる。だがまあシンには特に関係ない。
その事は彼の意識からすぐに忘れ去られることとなる・・・はずだった。

 

 アカデミーに入って最初にやることは、これから必要となる基礎的な体力をつける事であった。オーブ
にいたころマユのために水泳を習っていたのがここにきて役に立ってくれた。人並み以上にアウトドア派
だったおかげで思った以上には体は動いてくれる。だがプラントのコーディネーターというのは想像以上
だった。
 彼らは初期能力値が異様に高い。そのためある程度の事を努力なしでこなしてしまう。グループの中で
後ろから数えたほうが早い位置を走りながら、彼らの唱えていたコーディネーターの優位性が事実であっ
たことを痛感する。教官の罵声が飛ぶ。想いの強さに体がついてこない。それでも体を無理やりに動かし
ていじめ抜く。
 「まだ・・まだやれる。」
折れそうな体に言葉で鞭打ち砂ぼこりにまみれて走り続ける。

 

 ようやく今日1日の基礎訓練から解放され食堂へと次々に人が集まってくる。その足取りは誰も彼もひ
どく重い。
 シンも席につきそれなりに時間もたったがその手はなかなか動かない。
 「食いたく・・ないな。うえっ。」
 目の前にある定食はそれなりに美味しそうではあるが飯がのどを通らない。しかし明日も訓練は続くの
だ。自分にそう言い聞かせ体のためにも無理やりに水で流しこむ。当然味なんてわかるはずもなかった。

 

 ふらつきながら部屋に帰ると相部屋の少年はもう寝ていた。今日はまだ宵の口ではあるが意識を持続さ
せる余裕もなくベッドに倒れこむ。そして意識はすぐに途切れた。

 

 次の日も走る走る走る。教官の罵声に追い立てられるように走り続ける。腹筋、背筋、腕立て伏せ、
他にもたくさん。万遍無く鍛えられていく。連日のように飽きることなく繰り返していく。

 

 そしてある休日、目を覚まし起き上がろうとして小さく声が漏れる。
連日の体力作りに体が悲鳴を上げ猛抗議してくる。極度の筋肉痛、だが体がいくら悲鳴を上げようとシ
ンの脳はその信号を無視しさらに過酷な訓練を申し渡す。
 脳は伝える“力を・・・力を手に入れろ”と。
シンは素直に従い休日ではあるが訓練に赴いた。



 アカデミーで教員が少し早めの口調で説明をしている。
現在は体力作りと基礎的な座学が並行して行われている。今は座学の時間である。内容に関してだが基
礎的と言ってもそれはあくまでプラントでいう基礎であり、それはシンからすれば高いレベルであった。
 「どこが基礎なんだよ。」
ぶつぶつと文句をいいながらノートが文字で埋まっていった。

 

 そして時間はまた体力作りの時間へと移り変わる。
 どこからか視線を感じる。
見回してみるといつも前を走っている奴が得意気な顔でこちらの様子を確認しているのに気付いた。
 (気に食わない。)
追いつこうと思いペースを上げようとするが体は反応してくれなかった。

 

 現在プラントで抱えている問題なのだが、能力が低い者は見下される傾向にある。能力の高さはコー
ディネーター心のより所でもあるのか、とにかく高い能力値に価値を見出している人間が多かった。も
ちろんそれがすべてではないとはいえ、そういう考えが根付いているのも事実だった。

 

 そんな能力偏重主義を掲げる連中との差はそう簡単に埋められるものでもない。シンのコーディネー
トはナチュラルと大して変わらない。だから能力は一朝一夕で目に見えて上がるものでもなく、思うよ
うに伸びを実感できないでいた。今はまだ何もかもが不足している状態である。特に座学の方はオーブ
での教育水準をはるかに上回るプラントでは苦戦を強いられた。

 

 「だからなんだ。いい訳なんかどうだっていい。」
 それでもシンはそんな事は些事に過ぎないと断じて見向きもしない。ただひたすらプログラムを消化
していく。だれも気付かなかったがその数は群を抜いていた。文句ならやるだけやり切ってから言えば
いい。それがシンのスタンスだった。わき目も振らずこなしていく。

 

 シンのスタートラインはずっと後ろだった。それを笑っていた彼らはいずれ追いあげられる恐ろしさ
を味わうだろう。

 

               ***

 

 またいくばくかの時が過ぎる。
 アカデミーではかなり短いスパンでテストが行われる。講義の内容を確実に詰め込む必要があったし、
さらには生徒たちのモチベーション維持にもつながるためである。

 

 男性教員の平坦な声が教室に響く。
飛びそうな意識を無理やり繋ぎ止め教本に意識を集中する。だが教員の声がシンを眠りにいざなう。
 「人が頑張ってる時に眠らせようとするな!」
そんな理不尽な感想を抱く。
 だが連日の体力作りで疲弊した体では抵抗しきれずしばし意識はとんだ。次に意識が戻った時に

 

 「・・では今説明したような内容がテストされるからよく勉強しておくように。」
驚愕の内容が教員の口から語られた。あまりにもタイミングが悪かったとしか言いようがない。



 初めての成績が発表される。当然のように数えるのは下からの方が早かった。

 

 「なまっちょろいな。」
 「今回は楽だったと思うけどね。」
 「地球の奴はこんなもんだろ?同じコーディネーターとは思いたくないね。」
 「おいおい、彼頑張ってんじゃない。あんまりいじめんなよ。」

 

 どの顔にも優越感に満ちた笑みが張り付いている。

 

 彼らは成績が発表されてからだんだんと相手によって取る態度の違いが顕著になってきた。自分の順位
が分かる、あなたと私の優劣がはっきりするのだ。それは自分の価値を実感するまたとない機会であり、
自分の優越感を満足させられるものだった。

 

 この成績発表を機に増えた出来事がある。
わざと聞こえるように話される影口。基本的に成績の低いものを中心に影口は叩かれた。
特にシンはその態度の悪さもあいまって標的の代表格であった。

 

 「オーブのお坊ちゃんには空気が限られているなんて感覚は分からないだろうな。」
 「水の貴重さを認識してほしいね。蛇口をひねればいつでもなんてここじゃ通用しないんですよね。」
 「食べるものに不自由することもなくて空腹の辛さも知らねえか。ぬくぬくと育ったもんだ、うらや
ましい。」
(地球育ちが。プラントに住む俺たち真のコーディネーターの苦しみがわかるかよ。)

 

 「土地が狭いと心まで狭くなるみたいだな。ほんと口だけは達者だ、口をコーディネートされたのか?
壇上でスピーチでもしてろよ!」
(仲間でつるんでるあんたらに仲間を皆殺しにされて帰る場所もなく一人異国で生活するやつの気持ち
が分かるかよ。)

 

 いじめている連中にとって唯一つ誤算だったのが、その甘たれであるはずの地球育ちが誰より貪欲で
攻撃的であったことだろう。
 この場にいる者は誰もが被害者である。本来なら被害者どうしが辛さを分かち合い、助けあう事が出
来る。それが人の美徳だ。だがアカデミーの少年たちは情報の偏った広報の影響もあり自分たちこそが
被害者だという意識が強くシンを敵としてしか認識していなかった。

 

 「ぐはっ。」
ぱっと見で目立たない腹部を殴打される。
 連日の訓練で疲弊した体は思うように動いてくれない。目でとらえている拳が突き刺さる。
 「弱い奴はへいこらしてればいいんだよ。」
先程のやり取りがヒートアップし目立たない校舎裏に移動し喧嘩が始まっていた。

 

 (ちくしょう。)
 殴りかかってもこちらの拳は空を切るだけで余計に体力を削っていく。複数人による打撃はこちらの体
を打ちすえる。
 (ちくしょううう。)

 

 もう足が動かなくなっていた頃に体重を乗せた一撃がヒットする。
 それでも決して後ろは見せずに前のめりに倒れる。それは意識したわけではない。これは間違いなく
シンの性だった。

 

 連中が去った後ようやく体が動くようになってきた。
 口元は切れ血の混じった唾を吐く。
 体には痣がいくつも刻まれている。
 ふらつく足で木に寄りかかって呟く。
 「ちくしょう・・・ 強くなってやる。あんな奴らより・・もっとずっと。」

 

 「なにがコーディネーターだ。肉体的にはともかく精神構造はナチュラルとどんだけ違うってんだよ!」

 

 シンの中に人種的な差別はない。自分もコーディネーターであるにもかかわらずこんな発言をしたこ
とがそれを裏付けていた。彼にとって両者とも人類という同じカテゴリーであり違いなどなかった。認
めたがらないだろうが、そこにはオーブで育った感覚が根付いていた。

 

 周りの行動はシンの傷ついていた心をガリガリと削っていった。削られた心を潤す出来事もなく心は
さらに荒んでいった。そして荒んだ心は力への欲求をさらに加速させていくこととなる。

 

 他人の痛みなど知ったことではない1番痛いのは自分たちなのだと声高に叫ぶ連中。ここはシンにと
って牢獄だった。
 だが心と引き換えに力は増していく、際限なく増大していく。今までもこれからもずっとずっと。

 

 こんな出来事を数多く経験してシンの認識が固まる。
 アカデミーの奴らは!あいつ等は自分たちこそが被害者だという意識が強い。そのくせ他人の痛みが
わからない奴が多い。その被害者意識は他人に対する態度に如実に現れている。
シンはこのように認識する。

 

 だがシンのこの意見はあくまで彼の視点であり正しくもあり間違いでもある。
年齢が低いことは視野が狭いこと、そのため自分の事情を押し付けることで精いっぱいだ。さらに終戦
直後という状況下、この年頃の少年たちに広い視野を求めることは酷だろう。そしてそれはシンにも言
えることであった。

 

 アカデミーでは容赦なくコーディネーターがもつ能力重視の歪みがシンを取り巻いた。
身を守るためにまず肉体的に強くなることは急務だった。それが心を守ることにもつながった。

 

 よりのめり込んでいく。力を求めて、訓練に没頭していく。

 

               ***

 

 日にちが過ぎても規模の大小を問わずいじめは続いた。ちょっとした嫌がらせ的なことから直接的な
暴行までやることはいつも同じ。能力は高くともそれが精神にまで比例することはなく、それはいまだ
未成熟と評するしかないものだった。シンがぼこぼこな顔をさらすなんて事はしょっちゅうだった。
 「あの・・・大丈夫?」
 パンッ
 「あっ・・・」
 心配して差し出してくれた手をはねのける。心配してくれる人間も受け入れることはない。心配して
くれる奴も心の底じゃどう思ってるかわかったもんじゃない。アカデミーの奴らに何一つ信じられるも
のなんてなかった。
 大抵シンに絡んでくる連中はグループであったためシンは群れることを嫌い始めた。グループを組む
やつは弱い、そんなイメージを植え付けられていた。そしてだんだんと一匹狼の雰囲気を漂わせ瞳は険
しさを増していった。

 

 シンほどではなくとも他にもいじめを受けているやつはいたが、そういった者は耐えられずアカデミ
ーを去っていった。
 いじめに関係なくその訓練の厳しさからやめていく者もしばしばみられた。
 そんなアカデミーで毎日を過ごしながらも、地道にこなし続けた基礎訓練が実を結び始め、シンは着
実にその実力を伸ばしていた。




 そんな日々が続く中一つの転機が訪れる。
厳しい訓練、その憂さを晴らすためにシンに突っかかってくる奴は多かった。そういう連中は決まっ
て一人の奴を狙う。シン自身目つきが鋭くフレンドリーに話しかけようと邪険にされるだけであり反
感を持っている者も多かった。つい先日まで戦争中だったのだ、気が立っている人間は多い。自然そ
ういった連中の標的となった。

 

 そう、その日もそうだった。

 

 陰気な建物の影、人目につかない場所で数人の少年たちが剣呑な雰囲気を醸し出している。
1人の少年が乱暴に突き飛ばされる。

 

 「おい、おまえオーブ出身なんだってな。」
 「よくもまあ恥知らずにも逃げ出して来れたな?身の程を知れってんだ。」
どれもこれもニヤついた顔、数の有利に自分を大きいと勘違いした奴ら。

 

 今日は天候制御の情報で午後から雨が降ると町中の電光掲示板に表示されていた。
それに合わせて空の映像もそれにふさわしいものに変化していく。

 

 空が曇りあたりが薄暗くなる。

 

 5人の少年たちがシンを取り囲む。
 「なあ、土下座ってのを見せてくれよ。俺1度みてみたかったんだよな。」
 シンはすたすたとその相手の前まで歩み寄る。
 グループの連中は最初から変わらぬニヤつきを隠そうともせず、そのさげすみに満ちた目を向けて
くる。
そしてシンが立ち止まった次の瞬間

 

 相手の髪の毛を乱暴に掴みその頭を地面に叩きつけた。
 「これが土下座だよ。お勉強になっただろ。」

 

 一瞬の静寂の後、怒号が巻き起こる。
 「てめえーー!!」
 「ぶっ殺す!」
 激情に駆られた少年たちが怒涛の勢いで襲いかかる。
 シンは周りを取り囲むように突っ込んでくるうちの一人に狙いを絞って、タックルをくらわせ囲いか
ら抜け出す。だが性格なのか、すぐにその場から逃げだすような真似はせず別れている2人の方へ向か
って殴りかかる。

 

 フルスイングの一撃に1人の少年が派手に壁に叩きつけられて倒れる。
 (あたる!あてられるぞ!もう1人にも一撃くれてやる!)
胸の内で喝さいを上げそのままの勢いで殴りかかろうとする。

 

 その瞬間後ろから2人がかりで両腕を拘束され、もう1人が後ろから首を絞めあげてきた。彼らもコー
ディネーターなのだ身体能力の高さはナチュラルの比ではなかった。動けない様子を確認して残りの連中
が怒気を振りまいて寄ってくる。パンチが腹にめり込む。腹筋を引絞ってそれに耐えるがもう一人が顔面
を殴りつけてくる。口の中が切れてもう慣れ親しんだ鉄の味が広がる。
 その少年たちの暴行はそれまでの鬱憤を晴らすかのように止まらない!何度も何度も鈍い音が響き血が
飛び散り地面におちる。

 

 体中に刻まれた打撲や内出血の跡。
複数人によるそれはもはや喧嘩というよりリンチであった。

 

 ぽたり、頬に雨粒があたる。
予報通りしとしとと雨が降り始める。
ようやく解放されたシンはぬかるんだ地面に投げ出された。

 

 「どうだ!オーブ野郎。」
 「あんまり調子こいてんじゃねえよ。オーブの甘たれ坊ちゃん。」

 

 顔は腫れあがり鼻血がながれ呼吸を阻害する。全身を泥が汚し力なく横たわっている。この少年たち
の感覚からすればシンはこの上なくみじめなはずだ。
 だがこれだけ痛めつけられても泥にまみれても、シンの眼からギラギラした凶暴な光が消えることはない。
 「うぅぅ・・・」
 呻き声が聞こえる。
 帰ろうとしていた少年がニヤつきながら振り返ると、この暗闇の中この上なく不吉な紅い眼がギロリ
と睨みつけてくる。そして悟る。さっきの声は断じて呻き声などではない、それは唸り声だと。

 

 「何なんだよこいつ・・」
 暗闇すらこの眼を、この燃えるような紅い眼を際立たせるための引き立て役に感じる。1人の少年が
馬鹿な妄想を振り払ってそのイラつく眼を閉じるために手を伸ばす。

 

 その瞬間!シンは獣の如く飛びあがり相手の指の一本を喰いちぎった!!!

 

 「ぎゃああああああああああああああああああああ!いてえ!いてええええええ!!!!!!」
 絶叫が辺り一面に響き渡る。
何人かの友人が驚いて駆け寄る。

 

 ぺっ
 狂気さえ感じさせる表情でその食いちぎった指を吐き捨てると同時に
 シンは連中が混乱状態から立ち直る前に相手の急所をぶち抜く!顎を!みぞおちを!人中を!肝臓を!
その一撃には殺意すら込められていた。少年たちは突然の出来事になすすべもなく地面に転がる。

 

 連中が倒れうめき声が重なる中たった一人その場で立っている。
 「ふう・・ふう・・・・」
その体からはとめどなく蒸気が立ち上っていた。

 

 先ほどとは真逆の光景。胃液をはきながら涙をこぼしてうずくまっている少年。鼻をへし折られ気絶
している少年。指を食いちぎられた腕を押さえ絶叫している少年。
 これはもう喧嘩の域を超えた惨事であった。

 

 「負けない負けてたまるか!」
 泥と血を雨が洗い落としていく。けがをした箇所が熱を持って疼きだす。
足りないまだまだ足りない。

 

 「もっともっと力を・・・力、力、必要なのは力だ!」

 

 雨が降る。しとしとと降っていた雨はいつの間にかその勢いを増して豪雨となっていた。
そんな雨でふさがれた視界の中でもその紅い瞳は異彩を放っていた。



 この事件は公にはされなかったが人の口に戸をたてる事は出来ず生徒たちの間に口コミで広がって
いった。
 この1件を境にシンに対してちょっかいを出そうという連中は目に見えて減った。こんな狂犬のよう
な人間を好んで相手にしたがるような奴等がそうそういるはずもない。誰もかれもがかかわり合いにな
ることを避けるようになった。

 

 人との出会いが人を変える。良くも悪くも。この出来事を遠い未来でシンがどう判断するのかはわか
らない。アカデミーでの生活はまだ始まったばかり。