子連れダイノガイスト_第8話

Last-modified: 2008-09-16 (火) 20:32:52

子連れダイノガイスト 第八話  宇宙に吹く旋風

 

 折り重なった木々の濃い緑が、黒ずんで見えるほどに深い森の奥に、巨費を投じて設けられた豪勢な屋敷があった。敷地内には美しい水面をたたえる人造の湖や、肥沃な土をたっぷりと孕んだ山が、かつて人と機械の手で作られていた。
 四季折々の花が、屋敷の主人の趣味によって毎年姿を変えながら飾る庭園は、今は赤い薔薇で覆い尽くされている。妖精の吐息の様にあるかないかの風には、薔薇の香りが乗り淡い赤色に染め上げているかのようだ。
 王権華やかなりし中世ヨーロッパの君主たちが、生涯の一事として取り組んだ成果の様に途方もなく広大で、計算されつくした迷宮の様に入り組んだ麗美な庭園であった。
 純白の乙女の石像が抱えた水甕からとうとうと流れる清水が満たす噴水や、瀟洒な細工がびっしりと覆いつくした柱に支えられた東屋、額に見事な角を持ったユニコーンや神話の中の乙女や妖精たちを人の手と石を肉体にし、時を越えて再現した石造群。
 訪れたものがどんな身分や階級に位置しようとも、感嘆の溜息を零さずにはおれまい。ただ一点、この庭園の欠点をあげるならば、その美を楽しむ屋敷の主人の不在であるだろう。
 屋敷の主は、その地下に誂られた一室にいた。たっぷりと空間の余裕を持たされ、本物の黄金と水晶を惜しげもなく散りばめたシャンデリアの光に照らされながら、屋敷の主ロード・ジブリールは、ブランデーをグラスへと注ぎ、その芳醇な香りを楽しんでいた。
 三十代半ばか、前半ほどの酷薄な印象を与える男だ。数世紀にわたる歴史を持つジブリール家の当代当主として、連綿と伝わってきた支配者としての傲慢と威厳を持ち、またロゴスの一員としてその辣腕を奮って地球圏の経済を動かした影の支配者の一人でもある。
 薄い紫の紅を引いた特異な色の唇には、とびきりの秘密を打ち明ける直前の子供のような無邪気さと、親の目の前で幼子の命を笑いながら奪う残虐さが腕を組んでいた。
 現ブルーコスモス盟主でもあるロード・ジブリールは、背後の無数のモニターを振り返った。十を超えるモニターが飾られた壁に向かって歩み、モニターの前に置かれた長椅子に腰かけた。 
 翡翠、琥珀、紫水晶、数多の宝石が彩る長椅子の悠々と腰を下ろし、傍らの象牙の台にブランデーの瓶を置いた。足を組み、不遜と傲岸と威厳とが三等分された顔でモニターに映る老人達と向かい合った。
 本来ならユーラシア西部の国の、どこまでなだらかな緑の丘が続く大地に建てられたコロニアル様式の邸宅で開かれる筈の会合は、本来の歴史とは異なる相違点故に、今こうしてモニター越しの集いへと形を変えていた。

 

「まったく、大変な事になりましたな。まさか、あの忌わしき墓標が、この青く美しい大地に落ちようとしているとは」
『DSSDをはじめ各国も気付き避難や対策に奔走しておる。プラントからも地球各国に警戒を呼び掛ける声明が出されたしな。流石、というべきか相変わらず動きが速い連中だ』
「ギルバート・デュランダルですか、ジェネシスで我らを滅ぼさんとした狂人パトリック・ザラではなく、NJを落とした大虐殺者シーゲル・クライン寄りという話ですが、まあそのうち化けの皮が剥がれるでしょう。
ところで、なぜ、あんな無様で馬鹿な塊が、今、私達の上に落ちようとしているのかまったくもって悪夢のような出来事について、話を進めさせていただいても?」

 

 阿る様でいて、その癖老人達に対し一切の敬意を抱かぬジブリールの声音に気付いているのかいないのか、老人達の一人が口を開いた。顔からしてモンゴロイド系だろう。

 

『前置きはいいよ、ジブリール。先の大戦の痛手に引き続き、ユニウスなんぞに落ちられては数十年単位で地上の復興は遅れてしまう。それは困るのだよ。故に我らも今、動いている真っ最中なのだ。余計な話は省いてほしいね』
「これは失礼。今、私の手のものを動かしてユニウスを動かした屑どもが何者かを調べさせてはいます。“一体、何故、誰がこんな事を?”その答えを、いずれ、いえもう間もなく無知で純真な民衆に教えるためにね」
『真実を捏造するつもりかね?』

 

 つまりは、誰がユニウスを落としたにせよ、それは宇宙のバケモノ共の仕業だと、どのような手段を以てしてでも真実をねじ曲げるつもりだと、言外にジブリールが宣言した事を指摘したのだ。
 それを受けてジブリールは笑う。見たものをどこまでも深く暗い所へと誘うような笑みであった。たぶん、人はそこに悪魔を見るだろう。

 

「いえ、いえ、そんな事は一言も申し上げてはいません。ただ、やがて立ちあがり突然の災厄から顔をあげる人々に、なぜこの様な悪魔の所業の如き災いが起きたのか、誰がそうしたのかを教える必要が、義務が、我々にはあると申し上げているまでですよ」
『やれやれ、まだユニウスが落ちたわけでもないのに、そんな先の目算をしているのかね? 場合によっては戦争をするだけの体力が残らんぞ? すべてと言わず“いくらか”だけが落ちたとしても正規軍は復興と救助で動かせんだろうに』
「そんな時の為のファントムペインです。それに地上の被害は月の艦隊には関係ありますまい? そして生き残った人々には我々が導を示してやらねばなりません。
憎しみという愛で括り、まとめ上げ、怒りを、悲しみを、憎しみを、すべてあのコーディネイター共にぶつけるためにね!」
『ふぅむ。まあ、構わんが……。先の戦争、大した利益にはならなかったが、今度はそうならぬとよいがね。私はジブリールの考えに賛同しよう』

 

 老人達の一人が鷹揚に頷くと、それに習うように他のメンバー達も肯定の意を示しモニターの中から姿を消してゆく。部屋に残ったのは最年少のロゴスメンバーだけだ。
 ジブリールはようやく手で弄んでいたグラスを傾けて、琥珀色の液体を喉の奥へと流しこんだ。焼かれる喉の感触が心地よい。前ブルーコスモス盟主ムルタ・アズラエルから引き継いだ空のバケモノを根絶やしにする崇高な使命を、ようやく果たす時だ。
 今もなおブルーコスモスメンバーの中に多くのシンパを持っているアズラエルが、突然引退を表明し、国防産業連合理事や大財閥の総帥としての仕事に没入するようになってからのブルーコスモスは消えゆく蝋燭の灯火のようだった。
 もともとブルーコスモスとは自然環境保護などの思想だ。それが開戦前後のコーディネイターの犯罪行為や反プラント理事国運動やテロで、地球全土に広がったプラントのコーディネイターに対する憎悪を食らう形で勢力を増大させた。
 皮肉にもこれに最も“貢献”したのが、プラントの穏健派とされていたシーゲル・クラインが議長を務めていた頃のプラントだった。
 非理事国、理事国、中立を問わず地球全土にエネルギー危機をもたらしたNJの投下で地上人類の一割が死亡し、もはやプラントのコーディネイターへの憎悪はとどまる事を知らない。
 今回起きたユニウスセブンの落下などという、屈辱に等しい事態も奴らの仕業にしてしまえばいい。空の上から神になったかのごとく自分達人間を見下ろすバケモノ共に、人類全体の尊厳に関わる重大事の責任を取ってもらうのだ。
 ジブリールは飲み干したグラスを床に叩きつけて割るや、すぐさま壁に備え付けられた通信機に手を伸ばした。不世出の職人の手によって巨大な水晶から削りだされたグラスは、床の上で散らばり、家屋一軒分の価値をゼロにしていた。

 

「私だ。ガーティ・ルーのネオに命じろ」

 

          *          *          *

 

 ミネルバもまたユニウスセブン落下の方がプラント評議会から伝えられ全速力で現場へと急行していた。
 アーモリーワンを訪れていたオーブ代表カガリ・ユラ・アスハとプラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルも、この緊急事態に下船する時間を惜しみ、いまだ乗船したままだった。
 本来ならば強奪されたセカンドステージの新型機三機を奪い返すべく、ボギーワンと名称したガーティ・ルーを追う筈だったのだが、デュランダル宛てに届けられた緊急事態を告げる知らせが、それを中断させた。
 宛がわれた士官室で、デュランダルは白皙の顔に険しいものを浮かべていた。デスクに座り、PCの画面を睨むように見入っている。背後のベッドには開けられたアタッシュケースが一つあった。
 アルダに伝えられたポイントで、レイが回収してきた品だ。中には瓶詰めの錠剤が四瓶とその成分表や製造方法が記録されたデータディスクが収められていた。今デュランダルが見ているのは、レイに与えられた薬の製造方法だ。

 

「これは……どこでこの薬を? それを言えば、彼が生き残りガイスターにいる事自体もそうか……。それに、今はユニウスの方が優先だな」

 

 私人としては、実の息子の様に思っているレイの宿命を克服するこの薬と、友でありレイの肉親と言うべき存在であるアルダへの思いが強く心を揺さぶったが、今の彼はプラント二千万の人々の上に立つ人間であった。
 今デュランダルはミネルバの足を止め、ガーティ・ルーの追撃ではなく、落ち行くユニウスセブンへと向けさせている。
 ユニウスセブンの地球落下によってもたらされるであろう被害は、最も端的なところで、今もなおプラントが地球側に依存している食糧や地球の環境でのみ産出される鉱物資源などだろう。
 ユニウスセブンの破壊前後に端を発した先の大戦から二年が経過した今も、プラントは自分達の力だけでは日々の食事を賄う事も出来ずにいた。
 理事国に禁じられていた食料生産関連の施設は、まだ理事国の隷下にあった頃から秘密裏に行われてきたが、先の大戦や食料開発に関するデータを蓄積していたユニウスセブンが破壊された事で大きく後退した。
 さらに戦争で疲弊した国力、不足する人員とプラントの社会そのものを危ぶませる要因が重なり、遅々として進んでいない。自分達で糊口を凌ぐ術を確保できていない以上必然的に、地球及び地球人類の滅亡はプラントの滅亡にもつながる。
 プラントのコーディネイター達の中には自分達進化した人類の英知を結集すれば、食料問題や生殖能力の低下といった問題も解決できるとうそぶくものもいるが、そんな不確定で曖昧な可能性を妄信するものは少ない。
 というより出生率の低下は厳重に一般市民には隠されていたが、先の大戦時にラクス・クラインが国家反逆罪によって身を隠していた折に、ゲリラ放送でプラント市民に暴露してくれやがったせいで、今ではプラントの全市民が知ってしまった。
 おかげで種族としてのコーディネイターの未来に不安を覚える者がどれだけ増えたことか。その後始末もしなければならなかったアイリーン・カナーバ前議長や、今その後始末の引き継ぎをしている自分の苦労を少しは知ってほしいものだ。
 あのピンクの歌姫には。
 ただ、それよりも問題なのは、妄信している類の連中がプラントの上層部に未だに多い事と(前大戦末期のパトリック・ザラなど)、その問題に行き着く前にナチュラルに対する偏見や憎悪で思考を停止してしまうものが多い事だ。
 今、ユニウスセブンを落とそうとしている者達も、その後にどのような事態が巻き起こるか考えているのだろうか? 地球に住むナチュラルを憎むコーディネイターの同胞か、はたまた地球連合内での勢力争いが飛び火したものか。
 あるいは、ナチュラルやコーディネイターという括りを超えた思想で繋がった第三の勢力の仕業か。いかに明晰なデュランダルの頭脳といえどもその答えは、導けそうにもなかった。

 

「しかし、ユニウスセブンの監視は徹底させていたはずだが……ザフト内部にも内通者がいたという事か……」

 

 男のものとしてはいささか線の細い顎に指を添えながら、デュランダルは人差し指で左の鼻の付け根をとんとんと叩いた。考え事をする時の癖だ。
 ユニウスセブンの地球落下の危機というのは、実は今回が初めてではない。前大戦時、ユニウスセブンを安全な軌道に乗せる作業を複数のジャンク屋に依頼したが、事故でユニウスセブンが地球への落下軌道に乗った事があった。
 幸い作業をしていた一人のジャンク屋の活躍によってユニウスは、数百年単位の安全軌道に乗ったのだ。それ以降、プラントやジャンク屋ギルド、地球連合宇宙軍が、それぞれ程度の差こそあれユニウスセブンの監視を行っていたはずだ。
 仮に実行犯が旧ザラ派と括られる超過激派のザフト兵だとしても、デュランダルの知る限りそれほどの装備と規模を持った組織はいないはずだ。地球連合にしてもそれを行っても得よりも損の方が大きいはず。
 地球連合の自作自演、あるいはジャンク屋ギルドの工作? それとも姿をくらましたクライン派の象徴ラクス・クラインの仕業か? はたまたデュランダルも知らぬプラント内部の謎の秘密結社の所業か?

 

「いかんな。話が飛びすぎだ」

 

 どこまでも飛び火しそうな自分の考えに苦笑し、デュランダルは大きく息を吸って椅子の背もたれに体重を預けた。
 コーディネイターにとって悲しくも忘れてはならぬ痛みの墓標“ユニウスセブン”。まさかそれがわずか二年の月日で、もう一度あの青き星へ落ちる災厄へと舞戻ろうとは。
 それはたとえ神であろうとも予測し得なかっただろうと思う事で、デュランダルは気休めにした。自分は神でも悪魔でも無いこの身と権力と知恵で、この事態を乗り切らねばならぬのだから。

 

          *          *          *

 

 舞台は再び地球に戻り、今は東アジア共和国の経済特区として扱われている旧日本国首都東京に接する東京湾に建てられた、人工都市ヌーベルトキオシティの一区画が慌ただしさを増していた。
 ヌーベルトキオシティの支配者にして創設者である旋風寺コンツェルンの保有する、宇宙開発関連の巨大施設がその現場だ。小型から大型シャトルの打ち上げも行える施設で、シティ本土から遠く離れた洋上に建設されている。
 百階建ての巨大ビルや旧式の打ち上げ式多段ロケットが立ち並び、最新式の超電磁推進シャトル、また小型マスドライバーの建設や開発が終日行われ、旋風寺コンツェルンが企画する遠大な計画の為の一歩が刻まれている場所だ。
 だが、今回ばかりは常と一風変わった作業をこなさなければならぬらしかった。旋風寺コンツェルンの保有する青戸工場から運び込まれた二両の車両と、巨大という他ないSLの化け物を搭載したシャトルの搬入作業が慌ただしく行われていたのだ。
 本来、それら《マイトウィング》《ガイン》《ロコモライザー》と名付けられた超最先端科学の申し子らには、複数の車両を特殊な連結を行う事で、独力で大気圏を離脱する能力が与えられているはずだったが、それを成す為にはより多くの同胞が必要だった。
 今現在旋風寺コンツェルンが世に送り出した秘蔵っ子達は、残念ながら今この場に集められた三機だけで、彼らだけではこの星の重力の鎖から脱出する事が出来ない。その為、系列会社の施設を借り、突貫作業で打ち上げの用意を整えている。
 そこかしこで作業する人々の掛け声や作業音がひしめく工場内で、ただ一人じっとシャトルを見上げている少年の姿がある。いつものスーツや私服ではなく、赤い袖無しのジャケットと、左手に赤いヘルメットを抱えた旋風寺舞人その人だ。
 齢15の少年の顔には年に似合わぬ風格と、自分がこれから赴かんとする場所がどんな所なのか、また、これからする事の意味と責任を十分以上に理解した色が浮かんでいた。この星の命運の一端を担いに行くのだ。たった15歳の少年が。
 作業の手こそ止めぬ者の、その悲壮とも、あるいは戦を前にした戦士の様な後ろ姿に目を向けていた作業員達の中から、一人だけ場にそぐわぬスーツ姿がひょっこりと顔を見せた。
 金髪碧眼、ジブリールとは異なるベクトルで冷淡な印象を与える理性と押し込めた狂気を内包した顔の主は、ムルタ・アズラエルだ。レッドワインのシャツに白のネクタイと水色のスーツと、場所が変わってもスタイルは崩さぬ主義らしい。

 

「柄にもなく緊張しています? マイトクン」
「まさか、と言いたい所だけど、少しだけね」

 

 背後から無遠慮に掛けられた声に、舞人はウィンクを一つ浮かべ、おどけた様子で答えた。いかに若くして地球圏屈指の大財閥を支配する若獅子といえど、緊張の色は隠せない。むしろそれを隠さず吐露し、おどけてみせたのだから大した胆力と言えるだろう。
 ふうん? とアズラエル。皮肉っぽく歪められた口元は笑みを刻んでいる。舞人を買ってはいるものの、必要とあれば寝首をかく、背後から銃を撃ちこむ、出したお茶に毒を入れる位は笑顔でやってのける。

 

「いえいえ、君も人の子という事ですねえ。ちょっと安心しましたよ」
「ひどいなあ、俺を何だと思っていたんだい?」
「そうですねえ、たかが十五のガキの癖に、過分な能力を持って生まれたせいで余計なものを背負込んだ苦労人って所ですか。普段はキザな二枚目なトコもありますが、無理をしすぎてある日ポックリ逝ってしまうタイプなんじゃないですかね?」
「ますます酷い」
「それは失礼。口にチャックしておきますよ」
「……ところでロゴスはどう動いているんだ? 下手をすれば地球滅亡なんてシナリオも在り得る」
「もちろん地球各国に避難勧告や迎撃の為のミサイルや宇宙の軍を動かす要請はしてますよ? まあ位置的に難しいでしょう。月の艦隊ではまず間に合わないですし、パトロール艦隊の装備ではさして役にも立たないのがオチ」
「……」
「目下の頼みはプラントが手配した隕石破砕用の装備を持った艦隊くらいですか」
「そうか」

 

――ま、他にもファントムペインとガイスターも動いてくれているとは思いますがネ――

 

 舞人には聞こえぬ声で呟き、アズラエルはやれやれと空を見上げた。地上からは見えない、地球と比べれば砂粒みたいにちっぽけな岩の塊が落ちてくるだけで、人間が築き上げた文明が大打撃を受けてしまう。
 何百年、何千年という歳月と何千万、何億という莫大な数の人類達の残してきた足跡と、これから刻まれる筈だった歴史の歩みが跡形もなく消し飛ばされてしまうかもしれないのだ。
 確かに途方もなさ過ぎて実感の湧きにくい悪夢のような出来事だ。アズラエルは、凛々しく表情を引き締めた舞人を励ますように声をかけた。

 

「ま、そう力まない。君の所だけに苦労させるのは申し訳ないので、ぼくの方でも手駒と傭兵を用意しておきましたよ。ちょっと遅れるとは思いますが、ま、なんとか間に合うでしょう」
「貴方自身は動かないのかい?」
「真逆? 生憎とぼくは肉体的には三十過ぎのおっさんでして、体を動かすのは苦手なんです。社長業なんて若い身空の内からやったら、すぐにメタボです。気をつけましょうネ?」
「そいつはどーも」

 

 心の籠っていない声で返事をして、舞人はマイトウィングへと歩を向けた。旧世紀において実用されていた400系新幹線《つばさ》に酷似した車両は、普段は内蔵されている翼やノズルを展開する事で超伝導ジェット機へと早変わりする。
 小型のミサイルランチャーも備え、最大走行速度820km、最大飛行速度マッハ1.5を誇り、現在の地球の技術を鑑みれば規格外の可変型列車だ。
 形状が数世紀も昔の列車のものが採用されている理由などに関しては、過去、もっとも列車が普及し活躍した時代のものをリファインしたため、とも舞人の父である旭個人の趣味に依るともいわれ、関係者内でも諸説が入り乱れて正確な所は判然としない。
 ヘルメットを被ってマイトウィングのコックピットに座り、すぐに手元の通信機を操作して宇宙旅行の相棒に声をかけた。相手は300系新幹線《のぞみ》をそのまま持ってきたような列車のガインだ。

 

「調子はどうだ、ガイン? 緊張しているんじゃないのか?」
『私は大丈夫だ。マイトこそ大丈夫か? 犯罪者やテロリスト相手に私達が出撃した事はあるが、本格的なMSとの戦闘は今回が初めてだろう』
「それはお互い様さ」

 

 明らかに舞人の身を案ずる情緒を乗せた声は、ガインの内部ではなくガインから発せられていた。この時代、人間を模したドールに情緒エミュレートや感情スクリプトを搭載し、擬似的に人間の所作を真似させる愛玩人形も存在する。
 だがガインの声とその響きから感じられる人間らしい情緒は、一部のペットロボなどにも搭載されるそれらの擬似感情、擬似人格と呼ばれるものとは、明らかに一線を画した、生身の存在の発する感情と極めて酷似していた。
 この時代、この地球においてとあるジャンク屋の保有する謎の人格搭載型コンピュータを除き、唯一の自我を備えた超AI搭載型ロボット、それがガインである。
 落ち着いた二十代後半ごろの青年の声を乗せたガインの声は、ガインの姿を見ずに声だけを聞けば、人間が発したと誤解するほど生の感情めいたものが含まれている。
 機械的に合成された音声や、解析されて再現された擬似人格の発するデジタルな感情とは異なる響き。
 旋風寺コンツェルンが世の外に漏らさず、先代総帥旋風寺旭の提唱の元数十年の長きにわたって研究・開発し、実現を夢見た心を備えたAI。その実例こそがガインであった。
 では、なぜ旋風寺コンツェルンが人ではなく、超AIというそれまで人類の誰もが到達し得なかった存在に注視したのか? 
 理由はいくつかある。生身の人間に比してプログラムであり機械の体を持つ彼らは、修復や生産が比較的容易である事。
 また、十数年ないしは二十年前後の育成期間を要するであろう人間に対し、極めて短時間で必要な量の知識、経験をコピー、インプットが可能であり、素体とデータさえ用意する事が出来れば、以降は即座に即戦力としての使用が可能である事。
 その他にも、開発に関わるコストと引き換えにしても超AIの開発が行われた理由はあるが、最大の理由は、いわば『人類の夢』とでも呼ぶべきものとなる。
 すでに故人となった舞人の父・旭が存命の折、既に火星への移民船団やジョージ・グレンによる木星への惑星間航行などが行われ、宇宙開発への熱意が人類の単位で向けられていた時期に端を発する。
 今もなお火星のテラフォーミングさえおぼつかない人類が、広大で果てしない宇宙へと進出しようとするにあたり、最大の障害となるのは何か? 
 空間を跳躍するワープ技術を持たぬ事か? 宇宙へ旅立つ切符を手にしてなお母性の中で争い合う唾棄すべき非業か? 見果てぬ暗黒の海に耐えきれず何れは病んでしまうであろうあまりに脆い精神か?
 どれ一つをとっても人類が母なる地球の腕の中から飛び立ち、広大無辺な宇宙を新たな庭とするには乗り越えねばならぬ途方もない事態だろう。
 見果てぬ夢想の中の未開の星へと船を進める人々を待つ、想像にもつかぬ宇宙的規模の自然災害。閉鎖された環境の中で過酷な宇宙の旅を長期間に渡って行わなければならぬことから生まれるストレスや、人間関係の摩擦。
 夢と希望と無限の未来を乗せて青き星から飛び立った人々の前に、絶望と恐怖と不信と争いが、大きな顎を開き、鋭い牙を尖らせて待っていはしないなどと誰が口にできようか?
 そしてもうひとつ、絶対的な障害が人間の前に立ち塞がる。『時間』だ。人類が空間を超越し、数万光年を一日で飛ぶ技術を得るまでに一体どれだけの年月と人と夢と資源を消耗しなければならぬのか。
 宇宙に存在する新たな知を余すことなく手にするためにはどれだけの年月を費やし、その過程でいくつの犠牲を出さねばならぬのか。やがていつか辿り着く無限のフロンティアへ一派を刻むために、人間は何度世代を重ねれば良い?
 たかが百年も生きられぬちっぽけな生物の嘆きへの答えの一つとして旋風寺旭が見出したのが、超AIとそれを搭載したロボット達だった。
 前述したとおり、人間の備える生身の血肉に比べはるかに耐久性に優れ、人間には到底耐えられない過酷な環境も、専用のボディの開発や外装の交換によって適応する汎用性、取り換えや後付けや改造による機能強化や複製が容易かつ長い年月に耐える鋼の肉体。
 その肉体を自在に操る、人間の脳をはるかに凌駕するスペックと人間と同等以上の柔軟な思考を可能とし、造物主をはるかに上回る速度で学習し成長してゆく超AI。
 この二つを掛け合わせた存在こそが、人類が無限のフロンティアを切り開くために極めて重要な意味を持つと考えられたのだ。
 旋風寺コンツェルンが計画した人類史上最大にして最も滑稽な宇宙開発事業“銀河鉄道計画”の実現の為に。
 今舞人が計画し、実行に移している地球を一周する超巨大鉄道網も、地上から延びる軌道エレベーター建造計画も、はるかな未来に完成する銀河鉄道計画の為の大きな布石に過ぎない。
 地球と静止軌道までを繋ぐ天の道を行くリニアトレインや、蒸気機関車や新幹線を模した専用の列車達が休むことなく数万キロを走り、その終着駅として建造された低軌道ステーションは更なる宇宙開発の為の基地として機能する。
 三基の軌道エレベーターと中継ステーションを通って、地球をぐるりと囲む超巨大建造物オービタル・リングをさらなる一歩となる。
 月と火星への人類の移住及びテラフォーミングを成功させ、ジョージ・グレンが羽クジラの化石を持ち帰った木星も同様に新たな人類の生活圏へと組み込んで計画の第一段階はようやく第二段階へと駒を進める。
 人類が太陽系と呼ぶ狭隘な宇宙の片隅を踏破するだけでも、はたして舞人の生きているうちに可能かどうかと危ぶまれる遠大な計画だが、その為の超AI搭載型ロボット達がいる。
 細胞の劣化による老いを持たぬ彼らは、装甲やパーツの交換さえ行えば、初期に施されたプログラミングに従い、人類の世代交代が進もうとも己の職分を過つ事無く道を開拓する最先端に居続けるだろう。
 だが、ただ人類の宇宙進出の為の道具であるだけならば、何も超AIに人格を搭載する必要性はない。
 宇宙空間や閉鎖環境における人間のストレス緩和の為に搭載されるような擬似人格などとは違う、真性のモノといって差し支えが無いほどにガインらの超AIは奇跡的な完成度を誇る。
 旋風寺旭が単なる希代の大企業家で終わらなかった由縁がそこにある。旭は超AIに求めたのだ。宇宙にたった一人の孤独な生物である人類の、“友達”即ち心許せるパートナーである事を。あるいは儚い願いであったかもしれない。
 単なる道具として作られた超AI搭載型ロボット達とではなく、人間と同じように学び、成長し、怒り、悲しみ、喜び、笑う、対等の存在こそが人類を新たなステージへと導く存在であると結論した。
 造物主と被造物との間にはたして対等な関係というものが築けるかどうかは分からない。人間は不完全な生き物だ。故に失敗を犯し、同じ過ちを繰り返す。ならばその人間が作り出した超AI達も不完全な存在で終わるかもしれない。
 だが不完全であるからこそ、完成されて“いない”が故に、人は成長し変化する。ならば超AIもまた成長し変化し、あるいは進化してゆくだろう。
 ともに完全ならざる人類と超AI達が協力し合い共存する事で開かれる未来に無限の望みを乗せて、超AIは人格を――“心”を持つものとして開発された。
 あらゆる場所で、様々な識者たちに嘲笑を浴びせられた超AI搭載型ロボット“勇者特急隊”の今の姿は、父の遺志を継いだ舞人と共にある。
 かつて旭の夢を笑った者達は驚きに目を見張れ。人は諦めぬからこそここまで来たのだ。他者の嘲笑と侮蔑と誹りに塗れてなお立ち上がり、胸を張り、その顔に希望と笑顔を浮かべられる者にこそ、輝かしい未来の扉は現れるのだ。
 旭の夢が結実した証拠のひとつガインは、今、たしかに父の遺志を継いだ少年のパートナーとして傍らにある。これこそが、旋風寺の夢の実現を約束する何よりの証拠であるだろう。
 作業を終えたスタッフが車両から離れて行くのを外部モニターで確認し、舞人がガインに声をかけた。

 

「よし、準備はオッケーみたいだな。大気圏ぎりぎりでの行動になる。クレバーに行こう、ガイン」
『マイトこそ、緊張しすぎて地球の重力に引かれないように気をつけるんだぞ』
「ああ、分かっている。……ユニウスセブンを、地球に落とすわけにはゆかない。これ以上何の罪も無い人たちが、宇宙からの災害のせいで苦しむのは間違っている。たくさんの人々の悲痛な叫びを止める為に、おれ達ができる事をしに行くんだ」
『ああ。地球に生きる全ての命の為に、だな』

 

 ヌーベルトキオシティの地下深くに存在するシェルターに向かっていた少女が、地上から天に向かってさかしまに飛ぶ流星を見たのは、それから数十分後の事だった。

 

「なにかしら? 流星? それとも雷? こんな晴れの日のお昼に?」

 

 風にたなびくスカートを抑えながら、少女は青空に白煙をたなびかせる流星を見上げた。ピンクのリボンに飾られた亜麻色の長い髪を、風が愛しげに撫でている。
 可憐という他ない繊細な顔立ちだが、少女の纏う雰囲気は、決して病弱さなどは感じさせない、春の日向の様に穏やかな母性に満ちていた。
 線の細い柔和な輪郭に、ようやく蕾を開いた桜の花びらのような唇。朝露に濡れたように潤むつぶらな瞳。ゆるやかな弧を描く鼻梁のラインは類稀な天の与物だ。
 少女から女性へ日々変わりゆく過渡期にある未成熟と艶とが不可思議に混ざり合った年頃特有の、味わう前からどこか甘酸っぱさを匂わす体に、清楚さを香水の様に纏っている。いずれどこに出しても賛美を惜しむことなく向けられる美女になるだろう。

 

「姉ちゃん、はやくはやく、間に合わなくなっちゃうよ!」
「ごめんなさい、すぐに行くわ」

 

 弟の呼ぶ声に応え、小走りに弟の方へ向かう少女は、それでも途中何度か青空を見上げていた。もう、流星は見えなかった。
 輝く、というよりも透き通るような少女の名前が吉永サリーという事を、この時舞人は無論知る由もない。サリーもまた、自分が見上げた流れ星に乗る少年がいて、その名が旋風寺舞人である事を知る筈もなかった。

 

          *          *          *

 

 徐々に大きくなってゆく地球へ向かい落下し続けるユニウスセブン。太陽風を受けて稼働するフレアモーターを取り付け、ユニウスセブンを動かして地球への落下軌道に乗せた者達が、この悲しみの墓標が落ちるその時をいまかいまかと待っていた。
 今頃大慌てでナチュラルや軟弱なクライン派が支配するザフトが、ユニウスセブンの落下を阻止すべく動いているだろうが、既に時遅し。ユニウスセブンを阻止ないしは破壊できるだけの戦力が動く頃には、落下阻止限界点を超えてユニウスセブンは地球へ落ちる。
 これから起きる惨劇こそがナチュラル共に下されるべき天罰であると、いや、子の、親の、妻の、恋人の、兄弟の、家族の無念を晴らす為の“人誅”を果たすべき時であると、ユニウスセブンに集った者達は信じて疑わなかった。
 今では旧式に属するジンハイマニューバ2型で統一されたMSの集団が、ザフトでも連合でもない予想だにしなかった勢力の襲撃を受けたのは、数年に渡る怨念の成就に暗い情熱で胸を焦がしていた時だった。
 突如地球から成層圏を突破した物体が、三つに分かれてユニウスセブンに向かって迫って来たのだ。やにわにユニウスセブンの廃棄された港湾施設内に身を潜めていたMSが動き出す。

 

「HLV? いや、大気圏を突破できる兵器か?」

 

 断じて単独で大気圏を突破できるMS、トールギスでない事だけは確かであった。
 望遠モードのカメラが捉えた物体に、ユニウスセブンを落とさんとする集団のリーダー、サトーは眼を剥いた。見間違えようにもそれを許さぬ度肝を抜くその姿は……

 

「列車か!? それになんだあのSLの化け物は!」

 

 左右に別れたマイトウィングとガイン、そしてSLの化け物呼ばわりされたロコモライザーだ。大気圏突破用に後付けされた巨大なブースターをパージし、ユニウスセブンの表面に地響きと土煙を上げて落着し、ロコモライザーはその場で停車する。
 港湾施設のほかに、身を潜めていた場所から姿を見せたジンHM2の姿と機影の数に、さしもの舞人も緊張に手に汗を握る。

 

「行くぞガイン! ザフトの艦隊がメテオブレイカーを持ってユニウスに向かっている。ここの連中が作業を妨害する前に少しでも数を減らすんだ!」
『了解!』

 

 車体の両側部下方のスラスターを噴射し、ユニウスセブンの地表から高度を取ったガインが、青き星を背に負い、車両から姿を変える。

 

『チェェンジ!』

 

 車両の後部が折れ曲がり、下側の装甲が開いて折りたたまれていた両腕が左右に展開し、後部がそのまま縦に割れて両足へと変わる。瞬く間に形を変えた車両が変形を終えた時、そこにあったのは全高15メートルの人型のロボットだった。

 

「なっ!? 列車がロボットに、変わる!? ふ、ふざけているのか」

 

 テロリストの一人が信じがたい事態を前に悪罵を吐く間に変形を終えたガインは足裏からスラスターをふかしながら軟着地し、左手の人差し指でジンHM2の部隊を指さす。

 

『お前達! 多くの人々が眠るこのユニウスセブンを地球に落とさんとする非道、このガインが許さん!!』
「得体のしれぬMSと、MAもどきのジェット機だが列車だけで、我らの想い、阻めると思うな!」

 

 ――このユニウスセブンに眠る死者達の嘆きを知るからこそのこの行動であると知らぬ、わけのわからぬロボット風情が何をほざく!!――

 

 復讐者たる彼らにとって、ガインの物言いは彼らの心にともる負の感情を暗く燃やすに足る、何も分かっていない者の言葉でしかなかった。
 左脇の収納部から、側面にMGのエンブレムと列車を模した銃身を持つビームガン『ガインショット』を抜いたガイン目掛け、ジンHM2が一挙に襲いかかった。
 数の不利と、慣れぬ宇宙での戦闘を考え、ガインの援護に徹する舞人は、この戦いが厳しいものであると、認めざるを得なかった。

 

――続く。