整備のされていない山道をただひたすらに走る一家がいた。
蒼いMSが大空を切り裂き、地上にいる重武装型のMSとビーム砲による銃撃を交わす。
「ハッハッハッ」
家族の上空を一機の黒いMSが通り過ぎる。
巻き起こる強風に一家は立ち止まり、吹き飛ばされてしまわぬよう身を縮こまらせる。
息が切れ、空を…………あたりを見渡し立ち止まった。
海岸線沿いに、オーブ軍による最終防衛ラインが見える。
もたもたとおぼつかない動きで、明らかにMS部隊の練度が低く突破されるのは時間の
問題と思われた。
「とうさん」
「あなた……」
少年は声が震えるのを押し殺し、父を呼ぶ。
母親は手をつないだ少女の体を強く抱きしめ、涙を零しそうになりながら夫の顔を覗く。
「大丈夫だ、シン。おそらく連合の目的はモルゲンレーテとマスドライバーだ。
とにかく、今は先を急ぐぞ」
彼は妻に抱きしめられた少女の柔らかな髪をそっと撫で、心の内にある恐怖をごまかす。
今、家族を守れるのは己の判断だけなのだと強く念じながら。
「おとうさん…………」
まだ幼さの残る少女が、父の顔を見上げる。
今、自分たちの置かれている絶望に気づかぬ少女は、ただただ頼りにしている父の手の
温もりに安らぎを感じ、泣き叫びたい思いを必死に我慢するしかない。
「いくぞ!走れシン、マユ!!」
肩に担ぐ荷物を抱えなおし、父は走り出す。
娘の手を引き、母もまたそれに続く。
少年は憎々しい思いで空をもう一度見上げ、呟いた。
『戦争なんかしやがって……』
我が物顔で戦う蒼いMSも、重武装型のMSも、オーブのMSも全てが彼の瞳に
憎らしく映った。
どれだけ走っただろう。森の終わりに差し掛かり、視界の先には避難のために準備された
軍艦が見える。続々と集まる避難民を軍人が怒声をあげ、誘導している。
先頭を走る父の顔に微かに安堵が浮かぶ。
これで助かる――――家族を守り、救うことができる。
そんな思いがこみ上げたのだろう。妻も、息子も、娘も……父と同じく心に張り詰めて
いた緊張が緩んだ。
その時。
「あ、マユの携帯が!!」
ポケットにしっかりとしまってあったはずの少女の携帯電話が、坂道を転がり落ちていく。
まだ買ってもらったばかりで、何かある度に開いては楽しんでいた少女の大切な宝物。
しっかりと母親が握り締めていたはずの手をするりと抜け、少女は坂道を転がるように
駆け下りていく。母親が悲鳴を上げた。
「マユ、そんなのいいから!!」
「心配しないで、かあさん。俺がマユのこと拾うから。とうさんと先に行ってて!!」
「シン、先に行って待ってるぞ。必ず来いよ!」
「マユのことお願いね、シン!」
坂道を滑るように降り、父と母の声を背中に受けながらシンは大切な妹の元へと急ぐ。
シンはちらりと背後に視線を向ける。父と母が互いを抱きしめ、心配そうに自分たちの
ことを見つめていた。
先に行ってくれって言ったのに…………こんな状況でも、自分たちのことを待っていて
くれる父母のことがたまらなく大切に思えた。
妹は木の根元で転がり止まった携帯電話を大切そうに取り上げる。
「行くぞ、マユ!早くしないと危ないんだからな!!」
「うん、おにいちゃん!」
幼い妹のか細い体を抱き寄せ、坂道を登るために振り返った――――そのとき、
『ドゴッ!!』
空から何かが降ってきた。シンにはそうとしか思えなかった。
「うわぁあああ!!」
「キャァアアア!!」
シンは思わぬ事態に叫ぶ。
反射的に抱きしめていた妹の頭を守るように左腕を回し、右腕で妹の体を少しでも
守れるように必死に力を込める。
シン・アスカの行動は正しかった。
何メートルも少年と少女の小さな体は吹き飛ばされ、アスファルトで整備された道に
叩きつけられる。
もし身を挺して守っていなかったら、妹はどれだけの怪我を負っていただろうか。
泥と砂埃にまみれ、あちこちが鈍い痛みで支配された体を叱咤し、身体を起こそうとする。
「だいじょうぶか……マユ」
「お、おにいちゃん――――なにがあったの?」
搾り出すように妹に声をかけようとする。
軽症のマユが先に起き上がり、あたりを見渡した。
少女の視線の先にはまるで爆弾でも落ちたのか、大きなクレータがあり、そこには――
「あっああっ…………」
「どうした、マユ。なにかあったのか」
体中が痛くて、視界がぼやけてなにも見えない。妹が何を見ているのかわからず
シンは心配になってマユに声をかける。
妹の震える声が聞こえる。いったいどうしたんだ、マユはいったい何を見てる?
背中が熱い、痛い。膝もズボンが破れ、ダラダラと血を流す。
それでも、それでもただただ妹のことが心配でシン・アスカは立ち上がった。
彼の視界の先にあったのは、グチャグチャになった父母の姿があった。
母は手足や首が通常ではありえない方向に折れ曲がり、血の海に沈む。
父は上半身だけが残り、倒れた木のそばにうつ伏せになって地面にめり込んでいた。
「いや、いやあああああああああああああああああああああああああああああ」
少女の絶望が木霊した。
いつも家族のことを考え優しかった父の笑顔が。
躾にはうるさかったが、常に自分たちに愛情を注いでくれていた母の面影が。
幾つもの家族みんなで過ごした光景が少女の目の前を通り過ぎていく。
小さな頃はよく家族で動物園や、遊園地に連れて行ってくれた。
泳げるようになると、必ず夏休みに海へ泳ぎに連れて行ってくれた。
何度かスキー旅行にも連れて行ってくれた。初めて触れる雪に感動した。
家族で近くのキャンプ場を借りてバーベキューをし、おにいちゃんと二人かくれんぼした。
店先で見つけた携帯電話が欲しくて、お父さんとお母さんを困らせもした。
ゆらりふらり。少女の小さな体が揺れる。
シンは倒れそうになる妹の体を抱きとめ、何度も揺さぶり声をかけた。
「マユ、おいマユ!!しっかりしてくれ、目を覚ましてくれ!マユ、なあマユ!!!」
死人のように青白い顔をする妹のことを何度も何度も叫び呼ぶ。
少年は、ただただ涙を流し、嗚咽した。
悲しくて、悔しくて、憎くて。
少年の純真な心に、怒りの炎が灯る。
空を見上げる。
蒼いMSが好き勝手にビームライフルを乱射し、その隙間を縫うように3機のMSが
反撃を仕掛けている。
あいつらが…………あいつらがいたから!!
「あ、ああぁ…………うぅあああああああああああああ!!」
幼い妹の小さな体を抱きしめ、少年の慟哭がむなしく戦場に響いた。
機動戦士ガンダムSeed Destiny -An Encounter with the Trailblazer-
プロローグ 『Destiny』
いま、少年の運命がはじまる。