「ここまで壊されたんだから、追加で屋根の一枚くらい良いわよね」
マリューは、ザクレロの姿勢制御バーニアを使って僅かに機体を浮かせた。
そして、徐々に機首を上げ、ザクレロに上を向かせる。
「よし‥‥じゃあ、行ってみましょうか」
言うが、ザクレロは動かない。
何か問題があったのかと、コックピット内を見回したマリューは、操縦桿を握る指先の震えに気付き、安堵とも苦笑とも取れぬ顔をした。
緊張で、身体が動かなかっただけ。踏み込むべきフットペダルは、まだ軽く足が乗せられているだけだ。
「落ち着いて、マリュー。こんなの、入隊試験前の24時間耐久教科書丸暗記に比べたら、どうってことないわよ」
気休めを言う。それでも、多少なりとも落ち着きは取り戻せた。
こんどこそ‥‥行ける。
「マリュー・ラミアス! ザクレロ、行きまあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」
台詞の途中で、マリューの声は濁った悲鳴に変わる。
フットペダルを躊躇無く踏んだ直後、マリューの身体を凄まじい圧力が押し潰した。
ザクレロは、派手に噴射炎を吐き出した直後に飛び立ち、屋根を紙のように突き破って、コロニーの空へと舞い上がる。そして、そのまま一直線に加速を続けた。
その間にも、複眼に似た複合センサーは周囲の空間を見渡し、精細な情報をコックピット内にもたらす。
もっとも、中のマリューが、ザクレロの急加速で発生したGで押し潰されている状態では、その情報は何の役にも立たなかったが。
ザクレロはコロニーのガラス面へと真っ直ぐに向かいながら順調に加速を続け、そのまま愚直にガラス面へと突っ込み、大穴を開けて宇宙へと飛び出していった。
「何だ、あれ」
ZAFT製MSジンに乗っていたミゲル・アイマンは、格納庫を吹っ飛ばして一直線に空へと登っていった物を見送った。
機体のデータが無いので正体はわからなかったが、少なくともMSではなかった。宇宙に飛び出したことだし、当面の脅威にはならないだろう。それに、外には隊長が居るはずだ。
ミゲルは、MAを甘く見ている事に気付かないまま、今見た物のことを頭の片隅に追いやった。
「アスラン、ラスティ、撤退準備は?」
『OSの書き換え完了。大丈夫だ』
『‥‥‥‥』
通信機に問うと、イージスのアスランが通信で答え、ストライクのラスティは無言のままストライクの手を振って答える。脱出準備は完了。
「じゃあ、先行したイザーク達と合流する。俺が最後尾になるから、二人は先に行ってくれ」
ミゲルはそう言って、アスランとラスティを先に行かせた。
この作戦は、連合製MSの奪取が目的。量産機のジンで支援に出たミゲルが、盾になるくらいの事は最初から折り込み済だ。それに、もし連合MS強奪組に何か有れば、ただではすまないと言う予想もある。
「政治家のお坊ちゃん達は良いよな」
彼らを嫌いではないが、立場の違いはやりきれない。
呟きつつ、ミゲルはジンを歩かせた。
宇宙。そこでも戦闘は行われていた。
連合製MSのパイロットを運んできた輸送船が、折り悪く今日の襲撃に巻き込まれたのだ。
輸送船は、護衛の連合製MAメビウスの部隊を発進させて抗戦。
しかし、ZAFTの側はローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフとナスカ級高速戦闘艦ヴェサリウスという戦闘艦2隻にMSジンの部隊という戦力。
戦闘は一方的で、メビウスは次々に屠られていた。
もはや、残るメビウスは1機のみ。メビウス・ゼロという、有線式ガンバレルを装備した特殊な物だ。
最後に残ったそれも、白いカラーリングのシグーに一方的に追われ、苦戦の最中にある。
シグーの中、ラウ・ル・クルーゼは顔を覆う仮面から垣間見える口元を歪ませて言った。
「どうも、君との縁もここまでのようだな。エンディミオンの鷹くん」
皮肉げに追いつめつつある敵のことを考える。
エンディミオンの鷹‥‥ムウ・ラ・フラガ。連合のエースパイロットであるという以外に、色々と因縁のある相手だ。
もっとも、ムウの方はラウをZAFTのエースパイロットとしてしか見ては居ないだろうが。
だからといって、因縁をとくとくと語るまでもない。ラウにしてみれば、ムウは因縁があるにしても、歩む道に落ちた石に過ぎない。排除して進むだけだ。
ラウがトリガーを引くと同時に、シグーはその手の重突撃銃から銃弾を吐き出す。
銃弾の奔流が、宙を滑るように走るメビウス・ゼロの後を追った――
ラウが、メビウス・ゼロの撃墜を確信した瞬間。虚を突いて、コックピット内に警報が鳴り響いた。
コロニー方面に熱源反応。高速で接近中。
それだけの情報を読みとったその時には、メビウス・ゼロは既に攻撃から逃れてしまっていた。
タイミングの悪さを残念に思いながら、ラウは新たに現れた物を確認する。
「何だこれは?」
大きさからすれば、脱出艇か何かにも思えるのだが、それにしては速度が速すぎる。驚異的な速度で、それは真っ直ぐにこちらへと突っ込んでくるのだ。
ラウは、カメラの映像を拡大して見る。その時の操作‥‥拡大率を若干大きめにしたのは、ラウの失敗であった。
「顔!? 巨大な顔だと!」
拡大表示したモニター一杯に映し出されるザクレロの顔。
凶悪なその人相に睨まれた瞬間、原初的な恐怖感がラウの身体を襲った。
「MA風情が、大きければ良いという物では!」
僅かな恐怖が、判断を鈍らせる。
ラウは、躊躇することなくMAに対するのと同じ対処を行った。
その動作は正確無比であり、シグーの手にある重突撃銃から撃ち出された銃弾の奔流は、正確にザクレロを捉える。
MAならば、それで粉微塵になる‥‥そう、並のMAならば。
ザクレロは、全ての銃弾をその装甲表面で弾いた。
PS装甲ではない。ザクレロの重厚な正面装甲は、そんな物に頼らずとも、ZAFT製MSの基本装備である重突撃銃に耐えられる厚さが持たされている。
敵に正面から突っ込み破砕するのがザクレロ。
「ちっ‥‥」
手元で、重突撃銃が最後の銃弾を吐き出し、弾倉が外れた。
それを報せる警告音が、ラウを現実に引き戻す。あらゆる攻撃を正面から弾きながら迫る魔獣と言う悪夢から、現実へと。
「連合の新兵器‥‥MSだけでは無いというのか!」
回避をとラウは操縦桿を倒す。しかし、その動作は遅きに失していた。
いや‥‥それでもラウは早かったのかもしれない。致命的な直撃は避けられたのだから。
ザクレロの口から、前方に広がる様にビーム粒子が飛んだ。それは、回避するシグーをわずかの差で、その効果範囲に捉えた。
下半身にビーム粒子を浴びたシグーは両足を砕かれ、その衝撃は脱出の機会を奪う。
直後、ザクレロは、脚部の爆発に煽られて宙を漂うシグーに突っ込み、はじき飛ばした。
力の抜けた人形のように出鱈目に手足を振り回して回転しながらシグーは、宇宙の彼方へと飛ばされていく。
不規則な高速回転の中、コックピットの中で出鱈目に振り回され、ラウはその意識を失った‥‥
「!? あいつが消えた!」
その瞬間、メビウス・ゼロの中でムウはその事実に驚く。と、同時に、今が最大のチャンスと言う事も察した。
「やっぱり俺は、不可能を可能にする男だったってわけだ! ここで、戦局逆転させられるなんてな!」
ムウは即座にメビウス・ゼロを駆り、後方に位置するZAFT戦闘艦を目指す。
指揮官であるラウを失ったことで、ZAFT側は軽い混乱状態にある。その空隙を突いて、ムウはナスカ級高速戦闘艦ヴェサリウスに肉薄する。
機を逃してではあったが、ヴェサリウスは対空砲を撃ち始めた。
「遅いよ。残念だけど」
弾幕を抜け、メビウス・ゼロは対装甲リニアガンの射界にヴェサリウスを捉える。同時、有線式ガンバレルは既に展開を終えて、艦の要所に狙いを定めていた。
引き金を引く。
ヴェサリウスの艦橋が、対装甲リニアガンの直撃を受けて引き裂かれた。
そして、二つの有線式ガンバレルは砲塔に銃弾を浴びせ損傷を与える。残る二つ有線式ガンバレルは、艦の後方にまわって推進機に銃弾を叩き込んだ。
ヴェサリウスは艦橋を崩壊させ、そして砲塔二つを拉げさせた。推進機の損傷は確認できないが、無傷とは行かないだろう。
「撃沈とまでは行かないか‥‥っと」
艦橋を破壊されたせいで一瞬止まっていたヴェサリウスの対空放火が復活した。ついでとばかりに、ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフが接近し、対空放火をばらまき始める。
十字砲火でメビウス・ゼロを確実に仕留めるつもりだろう。
そうなる前に、ムウはこの空域から離脱する事を決めた。
「十分な戦果だね。で‥‥あの、不格好なMAはどうなったかな?」
一方でザクレロは、まるで何事もなかったかのように、そのまま飛行を維持していた。
かなりの速度で宙を突っ走ったため、敵のいる場所からは遠く離れてしまっている。
「は‥‥ははっ‥‥落ちた」
シグーを吹っ飛ばしたお陰で加速に歯止めがかかり、Gから開放されて座席から身を起こすことが出来たマリューは、フットペダルから足を放してコックピットの中でただ虚ろに笑う。
操縦不能のまま真っ直ぐ敵に突っ込んでしまい、恐怖にかられて拡散ビーム砲のトリガーを引いた。後は全部、ビギナーズラックとザクレロの高性能さ、そしてザクレロの顔の怖さのお陰。
誇る気分には全くなれない。というか、着ている作業服の、股間が濡れているのが不快で仕方なかった。
無事だったとは言え、自機に対して銃撃を行う敵に真っ直ぐ突っ込んだのだ。その恐怖は、なかなかの物だった。その恐怖の残滓に、呆然としてしまったくらいに。
と‥‥その時、通信機が叫んだ。
『ザクレロの搭乗者! もうすぐ奪取されたMSが宇宙に出るぞ!』
「‥‥うわ、そんなの相手するの無理。って、その声はナタル?」
怒声じみた警告。その声を聞いてマリューは、知り合いの連合少尉を思い出す。彼女は、最新鋭強襲機動特装艦アークエンジェルのブリッジ要員だったはずだ。
改めて通信ウィンドウを見れば、そこには思った通りの顔があった。
『ラミアス大尉? 正規のパイロットでは‥‥』
ナタル・バジルール少尉の声は少し戸惑った様子だったが、すぐに元の調子に戻って言う。
『ラミアス大尉。奪取されたMSが外に出ます。すぐに撤退してください』
「でも、敵はどうするの!?」
ZAFTがそこにいる以上、何とかしなければ殺されてしまう。ヘリオポリスを破壊されたら、民間人にまで被害が出る。
そして、誰が戦えるかと言うと、自分達しか居ないのだ。
しかし、ナタルは首を横に振って言う。
『ラミアス大尉が敵の指揮官を撃墜、また味方のメビウス・ゼロが敵戦闘艦に重大な損傷を与えたようです。敵もすぐには戦闘出来ません。今の内に、防衛体制を整えましょう』
「‥‥それは、基地司令の命令? それとも艦長?」
聞き返したマリューに、ナタルは深刻な声と表情で返した。
『‥‥お二方とも、ZAFTに攻撃を受けた際に戦死いたしました。現在、士官は私だけです。下士官も兵も被害甚大で、手が全く足りていないんです。だから、私が代理で指揮を執っています』
状況は、マリューの想像以上に深刻らしい。
「わかったわ。ザクレロ、これより帰還します」
答え、マリューは操縦桿を握る。そして、慎重にそれを動かして、ザクレロの進路をヘリオポリスに向けた。