機動戦士ザクレロSEED_第13話

Last-modified: 2008-05-08 (木) 18:14:12

 シルバーウィンドは、途中、漂流中のMSシグーとパイロットを回収するというトラブルこそあったが、順調に暗礁宙域へと向かっている。
 そんな、シルバーウィンドのパーティホールの中、航海の安全を祈るという名目で、ラクス・クラインのコンサートが行われていた。
 船の外縁に位置するこの部屋は、船の外殻をスライドさせて開く事で、壁の一面を窓とすることが出来る。
 ラクスは星々の輝きと地球光の差すホールの中央に浮かび、スポットライトに照らし出されながら、歌声を紡ぎ出していた。
 一方聴衆は光に浮かび上がるラクスを取り囲む闇の中にいて、ホールのあちこちに浮かんで漂いながら、音一つたてず、身動き一つせず、ラクスの歌に聴き入っている。
 ラクスは歌いながら僅かに眉を顰めた。ホールの暗がりの中、シルエットでしか見えない漂う聴衆が、まるで生きていない物のように感じられて。
 いつからだろう。ラクスが、歌う事に違和感を感じ始めたのは。
 歌う事は好きだった。人々が、ラクスを歌姫と褒めそやすのも最初は気分が良かった。
 しかし……何かが違う。
 他の歌手の歌を聴いた時、人は感動を見せるものだ。激しい曲に熱狂し、悲しい調べに涙を流し、滑稽な詩に笑う。
 しかし、ラクスの歌は、死んだような無反応を呼ぶ。
 人々は他にあり得ない安らぎを感じているのだという。忘我の彼方に送られるような強い安らぎを。それ故の無反応なのだと。
 実際、歌が終われば人々はラクスを褒め称えて止まない。人々に強い安らぎを与える歌い手、ラクスこそ平和の歌姫だと。
 だが、その評価にラクス自身が疑問を持ち始めていた。
 自分の歌を録音して聞いた事がある。しかし、その歌は……ラクスからするとそんな安らぎを感じるものではなかった。下手ではないにせよ心を打つ所のない空虚な歌だとしか思えなかったのだ。
 それでも、人が喜ぶならと請われるままにラクスは歌う。歌姫の役割を果たす為に。
 只一人、光の中で歌うラクス。それを聞く者達は闇の中にいて、まるで人形の様に、まるで死者のように、意思無く漂っていた。

 

 

 同じ頃、シルバーウィンドの船内、灯が落とされて薄暗い倉庫ブロック。そこに、つなぎの作業服を着た少年が忍び込んでいた。
 手に工具箱と機械部品を持った少年は、周りに注意を払いながら倉庫の中を荷物伝いに飛び、奥を目指す。そこには、回収されたシグーが、ワイヤーで床に固定されていた。
 少年は迷わずにシグーにとりつき、慣れた様子で工具箱を開いて、メンテナンスハッチを開ける。シグーの修理を始める為に。
 本来、軍用機であるMSに、民間船の雇われメカニック見習いの少年が手を付けて良いはずがない。
 しかし、少年は、何時か軍に入ってメカニックになり、MSに触れる事を夢見ていた。
 壊れたMSを、動かせるようにしたい。自分の手で。
 その夢に触れるチャンスが目の前にある。少年の好奇心と、MSを修理してみたいという夢は、少年には抑える事が出来ない物であった。
 少年はメンテナンスハッチに上半身を突っ込んで、懐中電灯の小さな明かりを頼りに修理を続ける。
 シグーは、腰から下を全損しているが、上半身……つまり、今残っている部分はほぼ無傷。動作不調の原因は、下半身が失われた事に起因する。
 下半身を付け直す事など出来ないので、少年の施している修理は、破損している下半身を完全に切り離し、上半身だけでも正常に稼働させるというものだった。
「よし、これで……」
 最後の部品交換を終えて、少年は機械油に黒く汚れた顔に笑みを浮かべた。
 これで直ったはずだ。自分が、このMSを直したのだ。そんな、満足感が一気に湧き出してくる……
 と、その次の瞬間、少年の身体はメンテナンスハッチから乱暴に引きずり出されていた。
「こいつ!」
 怒声と同時に、少年の頬を熱い衝撃が襲う。殴られたと気付いた時には、少年の身体はシグーを離れ、倉庫の宙を漂っていた。
 少年は眼下に、厳つい作業着姿の壮年の男……メカニック主任の姿を見る。彼は、顔を怒りに赤くして宙を漂う少年を見上げていた。
「何を勝手に弄ってやがる!」
「ご……ごめんなさい!」
 反射的に謝る少年は、そのままどうする事も出来ないままに倉庫の中を飛んでいき、反対側の壁に背を打ち付けて呻く。
 そんな少年に、主任は側を漂っていた工具箱を拾って投げつけた。工具箱は少年の後を追うように飛び、思わず身体を縮ませて身をかばう少年から僅かに離れた壁に当たり、大きな音を上げてその中身を吐き出す。
「馬鹿野郎が! ガキが玩具にしていいもんじゃないってぐらい、わからねぇのか! そいつを片づけて、とっとと部屋に戻りやがれ!」
「は、はい!」
 少年は慌てて、宙に舞う工具を集めて工具箱に放り込み、壁を蹴って倉庫の外へと向かった。
 主任はその背を見送り、少年が倉庫の外へと出て行ったのを見届けてから溜息をつく。
「わからないわけじゃねぇがなぁ……厄介な事をしでかしてくれるぜ」
 このシグーは、軍に返さなければならない。その時、勝手に修理した跡があれば、問題になるに決まっている。
 どうしたものかと考えながら、主任はメンテナンスハッチを覗き込む。
「こいつは……へぇ、上手くやってやがる」
 修理跡を見て、主任の顔に笑顔が浮かんだ。
 修理は完璧に近い。まだまだ技は未熟であるが、やるべき事は全てやってある。
「将来が楽しみな奴なんだが……」
 主任の見立てが正しければ、少年はメカニックとして大成するだろう。
 だからこそ、今回のこの悪戯をどうしようかと、主任は頭を悩ませていた。

 

 

 暗礁宙域。地球周辺を漂う宇宙のゴミが、最終的に集まる場所である。
 宇宙の塵と言うべき大小の岩塊、コロニーや宇宙船から不法投棄された廃棄物、宇宙開発時代やコロニー建設期に出た膨大な廃材、かつての戦争で破壊された兵器の残骸、様々なデブリが重力の関係でここに集まって澱む。
 それは危険な障害物が多いという事であり、宇宙船の航行には不向きだった。しかし、隠れ潜むには絶好の場所とも言える。
 アークエンジェルは、無数に浮かぶ岩塊を避けながら、暗礁宙域深く進入した。
 そのアークエンジェルのブリッジの中は、緊張が支配している。
 操舵手のアーノルド・ノイマンは、アークエンジェルの巨体を操り、障害物に当てないように細心の注意を払っていた。
 また、索敵手のジャッキー・トノムラは、アークエンジェルの進路上に無数にあるデブリをレーダーで把握し、致命的な衝突が無いようにチェックする作業にかかっている。
 それを見守るナタル・バジルールも、緊張を隠せなかった。
 ナタルは連合軍第81独立機動群から命令を受け、アークエンジェルをここまで運んだ。そして、指示された邂逅の時間は迫っている。
 しかし、ここで迎えに会えなかったら? そんな不安が、ナタルの心中に渦巻いていた。
 このデブリの多い暗礁宙域で、自分達は見つけてもらえるのか? 敵の方が先に見つけたらどうするのか? そんな不安。
 だが、幸いにもその不安は、杞憂のままに終わった。
「通信、来ました。ドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”です」
 通信士がナタルに報告し、通信をそのままナタルに回す。
『時間通りだな』
 通信モニターに映ったのは、顔の下半分を髭で覆った野卑な印象の男。黒い士官服を胸元を大きく開けて着ており、軍紀など気にしてない様子がうかがえる。ついでとばかりに制帽に髑髏のバッジが付けられているのをナタルは確認した。
 少佐の階級章を付けていると言う事は、彼が艦長なのだろう。
「こちらは、アークエンジェル艦長、ナタル・バジルール……」
『挨拶はいい。話は聞いている。俺は艦長の……まあ、黒髭とでも名乗っておこうか。本名はそうだな、後でベッドの中で教えてやるよ』
 男……黒髭はそう言ってナタルの挨拶を遮る。そして、髭を手で弄びながら、大儀そうに話を続けた。
『さっそく、ねぐらに案内して……と言いたい所だが、そうもいかねぇ。獲物が見つかったんでな。まずは一仕事。後は、それからだ』
「そんな……話が違います!」
 合流すれば補給と修理が受けられると思っていたナタルは、思わず身を乗り出して抗議した。しかし、黒髭は小指で耳をほじりながらその抗議を聞き流す。
『わかるが、こちらも見逃せない獲物でね。安心しな、チョロいヤマだ。あんたらにも手伝って貰えば完璧だ』
「アークエンジェルは小破している上に、避難した民間人が乗って居るんですよ?」
 手伝えと言われて、ナタルは難色を示す。とは言え、この意見は聞いてももらえないだろうという予感はあった。
 その予感は、黒髭の次の言葉で現実となる。
『任務は、この暗礁宙域に入ったプラント船の臨検。アークエンジェルは周辺警戒。船には俺達が踏み込む。楽な仕事だろう? 嫌なら、ここで待っていてくれても良いが?』
「ここで……ですか?」
 ナタルは考えた。
 とりあえず、抗弁してどうにかなる状況では無さそうだ。
 戦闘には参加したくない。では、ここで待つのか? しかし、この不慣れな場所で、敵に怯えながら時間を過ごすのは避けたかった。
 少なくとも、任務に同行すればブラックビアードの支援下で活動は出来る。この暗礁宙域での活動に慣れているだろう艦の支援下で。
「……わかりました。任務に協力します」
 選択の余地無しと諦め、ナタルは任務への協力を了承した。
 それを聞き、黒髭の口髭が僅かに動いたのは、笑ったからなのかも知れない。
『助かる。こっちは海兵どもこそ売るほど居るが、MAは在庫切れなんでね』
 彼がそう言った次の瞬間、ジャッキー・トノムラが報告の声を上げた。
「左舷、小惑星群の陰から戦闘艦出現! ドレイク級宇宙護衛艦です! こんな近くにいたのに、発見できなかったなんて……」
 アークエンジェルのかなり近くに、ドレイク級宇宙護衛艦が姿を現していた。
 それまで発見出来なかったのは、暗礁宙域での隠密活動に長けているからで、特殊な装備がついているわけではない。
 黒色に塗られたその艦は、ついて来いとでも言うかのようにアークエンジェルの先に立って走り始める。
 ナタルは、その艦をメインモニターの中に見ながらアーノルド・ノイマンに命じた。
「あの艦に続け。これより、アークエンジェルはドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”を支援する」

 

 

『砲撃!』
「っ!」
 シミュレーターのシートの中、サイ・アーガイルはムゥ・ラ・フラガの声に従って引き金を引いた。
 モニターの中、照準の中にいたジンが身を捩る。破壊された様子が無いという事は、砲撃は外れたのだろう。
 しかし、その動きはまだモニター上に捉えている。サイは照準を再びジンに合わせ、もう一発撃とうとした。
『撃ったら移動しろ! もう一機、来てるぞ!』
 ムゥの声がコックピット内に響いく。その声の直後、レーダーに目をやったサイは、接近してくる別のジンに気付いた。
 接近されては、ミストラルでは太刀打ちできない。サイは慌てて、ジンから離れる用にミストラルを動かす。
『戦闘中は移動、砲撃、移動を繰り返せ! 動かずに撃つ奴は落とされるぞ!』
 ムゥの怒声を聞きながら、サイは移動をして接近中のジンに砲の照準を合わせていく。何度かの移動の後、サイはようやくジンを照準の中に捉えた。
「よし、落ちろ!」
 命中を確信する。だが、そこに警告音が響いた。
 モニターは動きを止め、ジンの攻撃によってサイのミストラルが撃破された事をメッセージで表示される。
 サイを撃ったのは、最初に砲撃を加えた後に逃したジンだった。もう一機に気をとられてるうちに、接近を許してしまったらしい。
『また死んだぞ! 戦場を広く見ろ。敵は一機じゃないんだ!』
 通信機越し、ムゥにまた叱られる。
 サイは、コックピットの中で肩を落とした。
 砲戦型改造機とは言え、ミストラルでジン複数機を相手にしろと言うこのミッションに、サイはずっと失敗し続けていた。
 撃墜をする必要はなく、一定時間、後方にある艦への接近を阻み続ければ良いというものなのだが、それでも難易度が高すぎる。
 ただ、それを指摘して言い訳をすると殴られる事は経験済み。『敵が、こちらの実力を考えて手加減してくれる筈はない』などと言われれば、もっともだと認めるしかなかった。
『もう一度だ。勝てるまで、休ませたりは……』
 スパルタな事を言うムゥの台詞が途中で止まった。
 そしてそのままムゥは黙り込む。おそらくは何かがあったのだろう。シミュレーターの中のサイには知る事は出来ないが。
『サイ、予定変更だ。シミュレーターを出ろ。パイロットはブリーフィングルームに集合だ』
「了解です」
 サイは言われるままにシミュレーターのハッチを開けた。
 外の光に一瞬、目を細めながら、サイはシミュレーターを出る。
 そこに待っていたムゥが、サイにタオルとドリンクのボトルを投げた。
 無重力の中、宙を漂って飛んできたそれをサイは受け取り、タオルは手に握り込んでまずはドリンクボトルから伸びたストローに口を付ける。
 渇いていた喉に、冷たいスポーツドリンクが流れ込んでくると、シミュレーター訓練の疲れが退いていく気がした。
「まだまだだな。マリューよりはマシだが」
「あー……そうなんですか?」
 ムゥの評価に一瞬落ち込みかけたが、マリューよりマシと言われてサイは顔を上げる。
 ムゥはすっかり苦り切った顔で言った。
「あのデカ顔をつかまえて、甘いマスクがどうとか言いやがるんだぞ? 聞いて、耳があった事を後悔したね、俺は」
「シミュレーターの評価じゃないんですか?」
 半ば呆れたような口調でサイは聞く。
 ムゥは、軽く肩をすくめると、さっさとブリーフィングルーム目指して移動を開始した。気付けば、ムゥは何かのファイルを手に持っている。訓練中断の理由はこれだろう。
 サイは、ドリンクのボトルを手に、タオルで汗を拭きながらムゥの後を追った。
 艦内の通路に入り、ガイドレールに掴まって飛ぶ二人。と、居住区への分かれ道にさしかかった所で、壁に背を預けて通路にたたずむフレイ・アルスターの姿が見えた。
 フレイは、両の手を背に隠した姿勢でサイに一瞬だけ目をやり、すぐにその視線を下へと落とす。
 サイは、フレイに話しかけようとしたが、フレイの動作を拒絶だととり黙り込んだ。
 ムゥとサイは、フレイの目の前を通り過ぎていく。
 やがて、フレイが見えなくなった後に、ムゥはサイに聞いた。
「彼女とは上手くないのか?」
「え? ええ、まあ……何もかも僕が勝手に決めた事ですから」
 サイは諦めすら感じられる笑みで答える。
 いっそフレイがサイから離れて行ってもかまわない。ただ、フレイを守る事が出来れば。サイはそんな思いさえ抱いていた。
 いつ死ぬかわからない兵士の自分が、いつまでもフレイの気持ちを縛るべきではないとさえも。
 そんな思いこそがフレイを傷つけていると、気付く事はない。
 フレイは、そんな思いを抱いてまで、戦って欲しくなど無いのだ。
 ムゥはその辺りを察していたが、口を挟むべきではないと判断していた。
 言うべき言葉がない。フレイに、サイを戦場には出さないなどと約束する事は出来ないし、婚約者を諦めろとフレイに言う事も出来ないのだから。
「まあ……婚約者がいきなり戦場に出て、それで驚かない奴も居ないさ。きっと、その内わかってくれるよ」
 当たり障りのない事をムゥは言っておく。二人がわかりあった結果、二人がどうなるのかは想像出来ない……無責任な話だ。
 ただ、今の二人の関係が硬直するのは良くないと思った。
 何か、少なくとも話し合う切っ掛け位は必要だろう。
「そうだ、サイ・アーガイル。お前に特別任務を与える!」
「はい!」
 ムゥがいきなり声を上げたのに、サイは思わず声を大きくして返事する。
 そんなサイに、ムゥは大真面目に言い放った。
「彼女から、お守りを貰ってこい」
「え? お守り……ですか?」
 理解してないらしく、サイは首をかしげる。
 まあ確かに、一般人の知る事ではないし、ましてや相手はまだまだ子供だ。
「ん? ああ、知らないのか。彼女のな、その……あそこの……毛をだな。乙女だと効果が高いぞ。タマに当たらないなんつってな」
 ムゥはサイに良からぬ事を囁いた。サイの顔が、みるみるうちに紅潮していく。
「な……何を!? そんな事、出来るわけ無いじゃないですか!」
「命令だ、命令。やらなかったら、命令不服従で独房に入れる!」
「横暴ですよ!」
 上官命令だと言い切るムゥに、サイは必死で抗弁する。
 二人はそのまま、ブリーフィングルームに入っていった。

 

 

「……っ!」
 通路の向こうに消えていくサイを見送った後、フレイは後ろ手に持って隠していたドリンクボトルとタオルを、床に向けて乱暴に投げつけた。
 ドリンクボトルは床に当たって跳ね上がり、タオルの方は床に着く前に勢いを無くしてゆっくりと漂う。
「……何やってるのよ、私」
 投げた反動で天井近くまで浮かび上がりながら、フレイは悔しげに呟く。
 本当は話がしたかった。ドリンクとタオルを差し入れて、少し話をして……
 それだけの事だったのに、フレイは何もする事が出来なかった。
「サイが……悪いのよ。勝手に、軍隊なんかに入っちゃうから!」
 苛立ちをサイにぶつけてみる。
 だが、それが間違っている事はフレイ自身ですら理解していた。

 

 

 ブリーフィングルームには、先に来ていたマリュー・ラミアスが会議机についていた。
 彼女は、眠そうに目をショボショボさせながら、手にしたドリンクパックを揉んで中の黒い液体を掻き混ぜている。
 その泥水さながらの液体……スペシャルブレンドと揶揄される、超濃い口のコーヒーを毒でも煽るみたいに一息で飲み干し、マリューは死にそうな表情を浮かべた。
 そんなマリューを見ながら、サイとムゥは会議机に座る。
「……サイくん、調子はどぉ?」
 スペシャルブレンドを胃の中に納めきったマリューは、会議机の向こうから微笑みかけた。
「大丈夫です」
「そう。良かった。私の方はダメかも。眠ってから、一時間で起こされたのよ?」
 緊張しながらも答えたサイに、マリューは安堵して見せた後、不満を並べ始める。
 軽口で緊張をほぐそうとしてくれているのだとサイは好意的に受け取っておくことにしたが、本当に愚痴をこぼしたかっただけの可能性は否定出来なかった。
「寝不足で肌が荒れるわ、コーヒーで胃が荒れるわ、もう大変な勢いで……」
「ラミアス大尉。無駄話はそこまでにしておこう」
 ムゥが、滔々と流れ始めたマリューの愚痴を止める。
「任務を通達する。これよりアークエンジェルは、別任務にあたる僚艦ブラックビアードの支援を行う。資料を渡すから軽く見ておけ」
 言いながらムゥは、ファイルから紙を一枚取り出してマリューとサイに渡した。
「ブラックビアードの任務は、ユニウスセブンでの追悼式典に参加する政府要人を乗せていると思われる、このシルバーウィンドの臨検。となってるが、実際は拿捕するつもりだろう」
 政府要人なんて獲物を、臨検してそのまま素通しなどするはずもない。
「船足を止め、まずはランチに乗った海兵隊が移乗する。海兵隊が抵抗を排除したら、ブラックビアードはシルバーウィンドに接舷し、本格的に内部の臨検を始める」
 ムゥは話を一度切り、マリューとサイにこれからが重要だと無言で示してから、再び話し始めた。
「俺は海兵隊の乗るランチを護衛する。ラミアス大尉はシルバーウィンドに接近して待機。敵の抵抗があったら排除して貰う。サイは、アークエンジェルの直掩と、俺達への後方支援だ。何か質問はあるか?」
「ねぇ、この攻撃目標のシルバーウィンドって船、船種が客船になってるけど? まさか、軍艦じゃなくて民間船? 民間船への攻撃なんて……」
 マリューはシルバーウィンドの資料を指し示しつつ、非難がましく聞いた。
 そんなマリューに、ムゥは何言ってるんだとでも言わんばかりに呆れた口調で返す。
「通商破壊工作とかじゃ民間船でも容赦なく……いや、今回は要人誘拐か? 何にせよ、軍事作戦としては珍しくはない。主に特殊部隊の管轄だが、一般部隊でもやる事だ」
 要人を捕獲して、敵の政治活動を阻害したり、交渉材料として利用したりといった事は、軍事作戦の一種として普通に有り得る。
 ただ、そういった事があまり行われないのは、要人は大概の場合、敵に厚く守られた本国にいて手の届く所に出てこないからだ。
 逆に、敵の要人が手の届く所にいる場合には、積極的に行われた事ですらある。
「卑怯だわそんなの」
 マリューは嫌そうに眉を顰めて言葉を漏らす。マリューは、搦め手を嫌い、真正面から戦闘を挑みたがる性分であり、悪く言うと正義の味方ごっこがしたい軍人であった。
 しかし、嫌だからと言って命令を拒否出来るはずもない。
「命令だ。納得いかなくても飛んでもらう。面倒はかけさせるなよ。パイロットを抗命なんぞで独房に放り込んで遊ばせてる暇なんて無いんだ」
 すかさず、ムゥが釘を刺した。それを受け、マリューは少しだけムゥから視線を外し、それからムゥを見返すと吐き出すように言った。
「わかっております、フラガ隊長」
「結構だ。サイも良いな?」
 ムゥは頷き、そしてサイを一瞥する。それに答えて、サイははっきりと言った。
「はい。僕も軍人です、命令はこなして見せます」
「よく言った、サイ・アーガイル准尉」
 サイの返事を受けてムゥは口端に笑みを乗せ、サイを階級付けきで呼んだ。
「え? 准尉って僕がですか?」
 階級がついた事に嬉しさを感じ、笑顔を浮かべようとするサイに、ムゥは意地悪げな笑みに顔を歪めて、冷たい声で言う。
「ああ、戦時任官だ。これからお前にぶら下がる、責任の重さって奴さ。階級は飾りじゃない……常に、階級と相応の結果を求められる」
 学ばなければならない。階級とは、つきまとう責任の表れであり、見栄を張る為の装飾ではないのだという事を。
 しかし、ここまで言ってからムゥは表情を緩めた。
「と、脅かしすぎるのもなんだな。お前はまだ准尉、パイロットとしては下の下だ。まだ、周りに頼る位のつもりでいろ」
「は……はい」
 サイが複雑な表情で頷く。ムゥの言葉に気圧されているのが見て取れた。
 そんなサイをそのままに、ムゥはサイとマリューに言う。
「話がそれたな。任務について他に質問は無いか? 無いなら、格納庫へ移動しよう。各自、機体に搭乗して作戦開始まで待機する」

 

 

『これより、アークエンジェルは戦闘行動に入ります。危険ですので、避難民の皆さんは部屋からでないようにしてください』
 アークエンジェル内に放送が行われる。
 フレイはそれを、避難民に与えられている居住区の一室で聞いた。
 一般兵士用の大部屋だったそこは、天井まで届く大きさの無機質な三段ベッドがぎっしりと並べられているだけの場所で、生活するには窮屈な場所である。元々、兵士達が寝る為だけに利用する部屋なので、居住性は切り捨てられているのだ。
 そこに暮らす避難民達は、非難生活の今、こんな生活であっても仕方がないとは思っていても、ストレスが溜まる事はどうしようもなかった。
 今、避難民達は不安そうに顔を見合わせ、どうして早く地球を目指さないのかと不満を口にしている。
 不満の原因は一つとして、誰も現状がどうなっているのかを知る術がない事があった。
 時々状況説明はあるが、連合軍との合流の為に鋭意努力中といった説明にもならない事ばかりである。しかし、軍事行動である艦の動向を、民間人に教えるはずもない。
 正しい情報が与えられない事は人を不安にし、不安は人を苦しめる。
 フレイもまた、ベッドに横たわりながら、その苦しみに耐えていた。
 毛布と身体をベッドに固定するバンドに締め付けられるよりつよく、胸の中が押し潰されるような感覚に、フレイは身を赤ん坊のように縮こまらせて震える。
 戦闘が始まるという。そして、おそらくはサイも出撃するのだろう。
 今この瞬間、そして次の瞬間、サイは敵に殺されてしまうかもしれない。いや、フレイが知らないだけで、既に死んでいるのかもしれない。
 自分の知らない所で大事な人が死んでしまう。それを恐れる心が、フレイを狂わさんばかりに責め苛んでいた。
「サイ……死なないで」
 呟く祈りは、サイに届く事はない。

 

 

 パイロット控え室でヘルメットを手に入れてから格納庫に入り、サイは与えられた自機に向かって飛んだ。
 ミストラルなのは変わりない。しかし、その頭頂部に一門の砲が取り付けられている。
 M69 バルルス改特火重粒子砲。先の戦いで撃墜したジンが使っていた銃を、メカニック達がミストラルの武装強化の為に取り付けたのだ。
 他、有線誘導対艦ミサイルが四基、機関砲二門が武装の全て。先の出撃の時と違い、それなりの時間をかけて改造されているが、MSと真正面から戦える物ではない。
 砲戦型ミストラル改。不格好だが、これだけがサイの武器だった。
 サイはハッチを開け、コックピットに身を沈める。そして、ヘルメットを装着した。
 これで二度目の出撃となる。でも慣れはしない。戦場へ出る事は恐ろしくてたまらなかった。
 湧き出してくる恐怖を鎮めようと、サイは出来る限り別な事を考えようとする。
 シミュレーションの事を思い返し……敵にやられた事ばかりを思い出して不安がふくれあがり、慌てて頭を切り換えて次はムゥの指導を一つ一つ思い返していく。
 と、サイは関係のない事を思い出した。
「……お守りかぁ」
 効くのだろうか? 効くのなら、一つ位欲しいなぁと。
 しかし、その入手方法を思い返して、サイは顔を朱に染めて両手で頭を抱え込んだ。
「いや、そんなのどうしようもないじゃないか! どうやってもらうんだよ!」
『あら、お守りが欲しいの?』
 不意に、通信機から声が聞こえる。
 顔を上げたサイの前、通信モニターにマリューが映り、手を振っていた。
『お守りってアレでしょ? フラガ大尉ね、そんなの吹き込んだの』
「な……いっや、その!」
 変な発言を聞かれて狼狽するサイに、マリューは朗らかに笑ってみせる。
『こんなんで慌てちゃって可愛いじゃなぁい。お姉さんので良かったらあげよっか?』
「ええっ!? いえ、その、結構です!」
 慌てて断ったサイに、マリューの笑みは悪戯っぽく歪んだ。
『あ、やっぱり恋人の方がいっかぁ。そうよねぇ』
「からかわないでください!」
 サイが声を上げた直後、マリューの表情は優しいものへと変わる。
『元気良いじゃない。それだけ元気なら、お守りなんて無くても平気よ。それに、そのミストラルは、メカニックみんなと私が腕によりをかけたんだから……信じて頑張るの。いいわね?』
 言うだけ言って、マリューは一方的に通信を切った。
 サイは何も映さないモニターを見つめ、マリューは自分を激励しようとしていたのだと悟る。
 お礼でも言おうかと、サイは通信を送ろうとした。しかし、それよりも一瞬早く、ブリッジからの通信がつながる。
『目標発見。待機中のパイロットは出撃準備に入ってください』
「……了解」
 サイは操縦桿を固く握りしめ、再びせり上がってきた恐怖と不安を、湧き出してきた唾と一緒に飲み込んだ。

 

 

 暗礁宙域外縁。ローラシア級モビルスーツ搭載艦が、ゆっくりとその船首を暗礁宙域に向け、その中へと進んでいった。
 目的は通常の哨戒任務であるが、今回はシルバーウィンドの安否確認も含まれている。
 動かしているのがコーディネーターであろうと、暗礁宙域の危険さは変わりない。その為、航行は慎重な物となる。
 その為、艦のMSカタパルトでは、ジン二機とジン長距離強行偵察複座型が一機が出撃準備に取りかかっていた。
 偵察型ジンの任務は、艦に先行して障害や敵の存在を探る事。他のジンは、偵察型ジンの護衛とサポートである。
「隊長、シルバーウィンドにはラクス・クラインが乗ってるそうですよ」
 偵察型ジンのコクピットで、偵察小隊の隊長は、背後の席に座る情報収集要員の部下の言葉を聞いていた。
「そうか、サインもらえると良いな」
「ははっ、そうですね」
 隊長の言葉に、部下は笑う。降りてどうこうするわけではないので、ラクスのサインなんてもらえるわけもないという事はわかりきっていた。
『良いな。俺も欲しいですよ』
『ラクス様は俺の嫁だ。お前、恋人居るから良いだろうが』
「いや、もらえるわけ無いし、そもそもお前の嫁って無いから」
 仲間のジンから通信が入る。それに対して、部下が混ぜっ返しているのを聞いて、隊長は大いに笑った。
「はははっ! おいおい、そんな事より、お前ら周辺警戒を怠るなよ。デブリにぶち当たったり、敵の奇襲を受けたんじゃあ、サインどころじゃなくなる」
 今はまだ暗礁宙域とはいえ、浅い場所なのでデブリはそう多くない。しかし、もっと深部へ進むと、デブリはその量を増してくる。危険になるのはそれからだ。
 隊長もそう考えていた。そしてそれは油断だったと、すぐに思い知らされる事になる。
 その時、艦が、コロニーの外壁だったとおぼしき大型のデブリの横を通過した。
 直後、そのデブリに仕掛けられた爆薬が炸裂し、デブリを巨大な散弾に変えて、艦に叩きつける。
 同時に、デブリの背後に隠れて設置されていたミサイル衛星が、対艦ミサイルを射出した。
 デブリの破片が突き刺さり、あるいは衝突の衝撃に装甲が打ち砕かれ、歪められ、軋み出す艦に、追い打ちの対艦ミサイルが幾本も突き刺さり、爆発する。
 艦は一瞬のうちに炎に包まれていった……

 

 

 ブラックビアードの艦橋に、小さく音が鳴った。
 艦長である黒髭の手元のコンソールに、仕掛けたトラップが発動した事が記されている。
 戦果の確認は出来ないが、あれだけのトラップなら、相応の被害は受けただろう。最悪、シルバーウィンド襲撃の間だけでも、時間が稼げればいい。
 艦橋のモニターには、獲物のシルバーウィンドが映し出されていた。
 黒髭は、顔の半ばを覆う髭の中で確かに笑み、通信機を手に取る。そして、艦内の全員に向けて指示を下した。
「良いか野郎共、聞け。抵抗する奴は殺せ。降伏する奴は、全員引っ張ってこい。金目の物はもちろん、役に立ちそうな物は全部奪え。書類、写真、記録媒体は全部回収だ。鼻紙に見えても、字が書いてあったら拾ってこい。良いな。いつも通りだ!」
 艦内各所から、了解した旨の返答が返る。
 黒髭は満足げに頷いてから、大きく息を吸い込み、今まで異常の大声で言いはなった。
「かかれ野郎共!!」

 

 

『直ちに停船し、臨検を受け入れよ。従わない場合は撃沈する』
 シルバーウィンドの船橋は、突然送られてきた通信に動揺していた。
「連合艦に見つかったか……」
 船長は悔しげに船橋の大型モニターを見やる。
 そこには、デブリの陰から進出してくるブラックビアードとアークエンジェルの姿が映し出されていた。その砲は全て、シルバーウィンドに向けられている。
「ZAFTの救援は呼べないか?」
「通信妨害です。救難信号を打てません!」
 まだ若い女性の通信員が、絶望を露わにしながら船長の問いに答えた。
 ニュートロンジャマーの影響で通信が不確かな事に加え、連合艦からの通信妨害もある。民間用の通信機では限界があった。
「連合艦より再度通信! 停船を命じています!」
 通信員の泣きそうな声に、船長は苛立たしげに答える。
「出来るか! この船には、プラントのVIPが乗って居るんだぞ!」
 臨検などという言葉を正直に信じる事など出来るはずもない。乗客の安全を守るという立場に立った時、臨検を受け入れる事は出来なかった。
 しかし、抵抗のしようがない事も事実。
 悩む船長の思考を、レーダー手の声が止めた。
「連合のMAが接近! 正面に回り込まれます!」
「まさか攻撃する気か!? 映像を出せ!」
 船長はとっさに命じる。
 直後、船橋のメインモニターには、ザクレロの顔が大写しに映し出された。
 獰猛な魔獣を思わせる顔。牙に縁取られた口が威嚇し、鋭い目が睨み据える。船橋は恐怖に凍り付く。
 船長は視界の端で、通信員が声もなく気絶したのを見た。
 操舵士も、レーダー手も、他のクルーも、誰もが恐怖に凍り付いて声が出ない。
 船長は、遙か昔の大海原で海の魔獣と出会った船の話を思い出し、自分が同じ話の主人公になった事を悟った。
 ……主人公? いや、船は魔獣に呑み込まれるものだ。為す術もなく。主人公は、魔獣そのものに他ならない。
「て……停船だ。船を止めろ」
 船長は震える声で、やっとそれだけを言った。