機動戦士ザクレロSEED_第14話

Last-modified: 2008-07-05 (土) 21:24:53

 暗礁宙域。
 民間船シルバーウィンドは、連合艦の臨検を受けていた。
 臨検を行っているのはアークエンジェル。そして、ドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”。その意は“黒髭”であり、海賊の名を冠した船である。当然、その任務の内容も推して知れた。
 ムゥ・ラ・フラガの駆るメビウスゼロの援護の下、ブラックビアードから発進したスペースランチがシルバーウィンドに接近していく。
 接すれば、シルバーウィンドの大きさに比して、ランチはあまりにも小さい。シルバーウィンドの外殻に一滴の影を落としながら、ランチは滑る様にシルバーウィンドの表面を移動していく。
 そして、宇宙港で乗員乗客の乗り降りに使われる搭乗口に寄せると、そこでランチは動きを止めた。と……搭乗口のハッチよりも一回り以上大きい移乗チューブがランチから伸び、ハッチを覆う様にしてシルバーウィンドの外殻に貼り付く。
 まず、移乗チューブの中で機械のアームが動き、ハッチに指向性爆薬の箱を貼り付けた。箱は搭乗口とほぼ同じ大きさがあり、ハッチをほとんど覆ってしまっている。
 そしてアームが離れた後に爆破。一瞬、箱とハッチの隙間が光り、ハッチの周りから黒煙が溢れる。
 アームが再び伸びて、ハッチを掴んで引く。ハッチは簡単にもげ落ちて、その中をさらけ出した。
 ハッチの向こうはエアロックなのだが、ハッチを貫通してきた燃焼ガスによる爆風が荒れ狂った為に滅茶苦茶に破壊されており、奥にもう一つあるハッチも奥にめり込む様にして壊れている。
 奥のハッチからは船内の空気が流入し、エアロック内に溜まっていた黒煙を移乗チューブ内に猛烈な勢いで流し込んでいた。
 ややあって、移乗チューブ内に空気が満たされると、アームが再び動き出す。今度は、アームが奥のハッチを乱暴に突いた。
 ハッチは船内側に倒れ、船内への道が通じる。
 そして、アームは内蔵されたカメラで、船内の様子を確認した。敵の待ち伏せがあったなら、アームに機銃なり爆薬なりを使わせて排除するのだが、その場に敵はいない。
 敵の抵抗無し。その情報は、ランチの中で待つ海兵達に伝えられる。
 ランチの中では、移乗チューブへ繋がるエアロックの前に海兵達が集まっていた。
 身じろぎも出来ないほどに密集してはいるが、時が来れば一斉に動けるよう全員が整然と並んでおり、素早く敵船の内部に突入できるように移乗チューブへ繋がるガイドレールを各々しっかり握っている。
 中の安全が確認された段階で、ランチのエアロックが解放された。
『GO! GO! GO! GO! GO!!』
 ランチの司令部より、突入を促す号令。直後、雄叫びを上げ、ガイドレールにすっ飛ばされる様にしながら、海兵達が次々にシルバーウィンド船内に突入していく。
 エアロックの向こうはロビーになっており、若干広い空間が広がっている。
 奥の壁際には無人の案内カウンターがあった。迎撃があるならば、カウンターは絶好の遮蔽物となる為、突入した海兵達はまずそこに飛び込んでいく。
「クリアー!」
 敵兵の姿無し。一番最初にカウンターの向こうへ飛び込んだ海兵が声を上げた。残る海兵達もまずはそこに飛び込んで、カウンターを盾にしながら周囲に銃と視線を向ける。
 そして一人の海兵が、このロビー全体を見渡せる位置の壁に設置されている、半球状をした黒く透けたプラスチックの小さなドームを見つけた。
 海兵は躊躇せずにそれにアサルトライフルを向け、引き金を引く。同時に三発の銃声が響き、ドームが砕け、中に隠れていた監視カメラもまた砕けた。
 他に撃つべき物は見当たらない。案内カウンターに橋頭堡の確保に成功。
 案内カウンターに入った海兵達は、そこを拠点に定めてとどまる。
 残りの海兵達は、ロビーから伸びる幾つもの通路の中から自分が進むべき道を選び、ガイドレールと背中に背負ったパーソナルジェットを使って進んでいった。
『アルファは艦橋を制圧! ブラボーは船室! チャーリーは機関室を制圧しろ! エコーは待機しランチを守れ!』
 海兵達に命令が再び出されて確認される。その命令に従い、海兵達は一隊三十二人ずつに別れ、船内各所に向けて移動を開始した。

 

 

 ランチから船内突入成功との報告を受け、ブラックビアードはシルバーウィンドに接近を始めた。
 船内の制圧が終わった後に、ブラックビアード自体がシルバーウィンドに接舷するのだ。そうして直接行き来が出来る様にして、中の物を洗いざらい奪う。
 ランチでちまちまやりとりするするよりも効率が良いが、敵船に接舷する事は危険を伴うし、接舷中はブラックビアードも移動できなくなるため外から来る敵に対しても対応が難しくなる。
 アークエンジェルは、ブラックビアードを守る為に周囲へ監視の目を光らせていた。
 アークエンジェルの直掩は砲戦型に改造されたミストラルだけというお粗末さだが、それでも与えられた仕事はしなければならない。
 そんな警戒態勢のアークエンジェルの中、避難民達を収容した大部屋で自分にあてがわれたベッドの中にいたフレイ・アルスターは、内心に押し寄せる不安と戦っていた。
 今、アークエンジェルを守っているミストラルには、フィアンセのサイ・アーガイルが乗っているのだ。
 前の戦いの時には知らなかった。しかし、今は知ってしまっている。
 サイが戦いに出ている……しかも、自分を守る為にと。
 戦うという事は、死ぬ事も有り得るという事。それに気付かないまま騎士に守られるお姫様の気分に浸れるほどフレイは幼くはなかった。
 今、恐れる事は、サイが死んでしまう事。それも、フレイが何も出来ずにベッドの上で転がっている間に、フレイの知らない場所で死んでいく事。
 フレイだって、このアークエンジェルが落とされれば終わりなのだから、死ぬ時は一緒となる可能性は高い。あくまでも今のところは。
 しかし、サイは志願して入隊してしまったのだ。フレイ達避難民とは違う。
 フレイがこのアークエンジェルを離れても、サイは戦いを続けなければならないだろう。そして、フレイが地球で暮らし始めた後、ある日届く一通の手紙でサイの死を知るのだ。
 フレイは、サイが何時何処で誰と戦って死んだのかも知らないまま生きる事だろう。
「嫌よ……そんなの!」
 フレイは身体を固定するバンドを乱暴に外すと、ベッドを蹴って飛び立った。
 そのまま部屋の出口に向かい、自動ドアが開くと同時に外へ飛び出す。
「ちょ……戦闘中は危険なので、部屋に戻って!」
 部屋の外で歩哨に立っていた兵士が、フレイを押し止めた。フレイはその兵士に向けて、苛立った声を上げる。
「入隊志願書を持ってきて!」
「え? 何を……」
 フレイは、戸惑っている兵士に向けてはっきりと言いなおす。
「連合軍への入隊志願書を持ってきてください。私、志願します!」
 何も知る事が出来ない立場にいるのが嫌なら、知る事が出来る立場になればいい。
 フレイの下した判断は論理的に正しくはあったが、フレイ自身にもわかるくらいに愚かな行動だった。自分から、危険な戦いの中に身を投げ出すなど……
 それでも、ベッドの中で恐怖に耐えながら待つ事など出来るはずもない。
 フレイは、自分に言い聞かせるように呟く。
「何も出来ないままなんて嫌なの」

 

 

 船橋の窓には、それを完全に塞ぐ様にザクレロの顔があった。
 最初はその凶相に取り乱した船橋のクルー達も、今では落ち着きを取り戻しつつある。
 とは言え、顔に慣れたとしても、敵の兵器が目の前を塞いでいる状況には慣れる事など出来ず、クルー達は不安の色を隠せないで居る。
 船長もまた、重苦しく迫ってくる恐怖感に耐えながら、船橋に立ち続けていた。
 と……船橋に満ちる沈黙を破り、船長の手元でインターホンが鳴る。
「私だ」
『警備室です。船内に連合兵が侵入したのを確認しました』
 警備室では、艦内の各所を監視している。海兵の突入は、既に知る所となっていた。
 船長は緊張した表情を少し苦悩に歪め、それから答える。
「わかった。乗客の安全を第一に、気を付けて対応してくれ。抵抗は……するな」
『……わかりました』
 抵抗をしても無意味だと判断し、船長は警備員達に抵抗を禁じた。
 警備員の声に無念さが滲む。彼らはナチュラルの無法を許す事が許せず、警備員達は船長に抗戦を訴えていたのだ。だが、それは受け入れられなかった。
 警備員は、拳銃程度の武装ならしている。しかし、それで海兵達と戦えるかどうかは疑問だ。コーディネーターが身体能力で勝っていようとも、それは武装や訓練の質、数の差を覆せる物ではない。
 それに、仮に船内での戦いに勝って海兵達を殲滅出来たとしても、外には敵のMAや戦艦がいるのだ。船ごと沈められる事が目に見えている。
 つまり、出来るだけ音便に事をすませ、早急に帰って貰う以外にとれる手はない。
 船長は意を決し、船橋のクルー達に行った。
「……さて、私は彼らを出迎えに行く。君らは自分の仕事を全うするんだ。もし連合兵から何か指示があったら従うように。無駄な抵抗はするな」
 その指示に返ったのは、無念さや不安、あるいはナチュラルに屈した船長への侮蔑。
 何でも構わない。今は、この状況を乗り越える時だ。
 船長はそう自分を納得させながら、船長席を蹴って宙を飛び、船橋の外へと通じるドアへと向かった。

 

 

 海兵達は進む。通路を飛び抜けて。
 ブラボーと呼ばれた小隊が向かったのは、乗客達がいる区画だった。
 しかし、彼らが先に訪れたのは、イベントなどで使われるパーティホール。以前、ラクス・クラインのコンサートが開かれた場所だった。
 そこは十分な広さを持っている。乗客やスタッフを一時的に入れておく檻として。
 海兵達は無人だったそこを確保した後、一分隊十名を残してホールを出て行く。
 残された海兵達は、持ってきた道具の中からバーナーをとりだし、一つを残し全てのドアを溶接し始めた。檻に、扉は一つで十分だ。
 残りの海兵達は、ホールへと通じる通路上の要所に二人ずつを残していって更に一分隊を消費し、最終的に一分隊十人が客室の並ぶ場所に入る。
 先頭の海兵に、通路に溜まる乗客達の姿が見えた。彼らは、その制服からして警備員であろう若い男に詰め寄っている。
「連合兵が入ってきたと言うじゃないか! 早く、脱出ポッドに連れて行け!」
「このまま殺されるのを待てと言うの!?」
 乗客達は男も女も関係なく、早く自分達を逃がせと、焦りと恐怖、苛立ちと怒り、様々な感情をむき出しにして警備員に詰め寄る。
 しかし、臨検の最中に乗客を脱出させた等という事になれば、確実に連合軍の怒りを買う事になるだろう。返って危険な事になるかも知れない。
 故に、警備員は乗客達をなだめようとしていた。
「落ち着いてください! 外にはMAも居るんです。脱出ポッドを使っても逃げられるかどうか……」
 警備員は言いかけて気付く。接近してくる連合の戦闘宇宙服の集団に。
 そして、警備員の言葉が途切れた事を切っ掛けに、他の乗客達も次々に同じものに気付いていった。
「う……うわ!? きた! きたぁ!」
「きゃああああああああっ! 連合よ! ナチュラルよ!」
 高価なスーツを着た中年男が、だらしない悲鳴を上げる。豪華なドレスに太めの身体を押し込んだ婦人が金切り声を上げて、自分の身体を抱きしめる。
「落ち着いてください! 安全になるまで、部屋で待機してください!」
 声を上げたのは、まだ若い警備員だった。彼は乗客達を押しのけて海兵達の前に出た後、抵抗の意思がない事を示す為に手を挙げる。
 警備員の背後、乗客達は思い思いに逃げ出し、各々の部屋の中に飛び込むようにして姿を消していった。
 海兵隊はそれら一部始終を銃の照準の中に捉えており、可能だったにもかかわらず撃つ事はせず、そのまま距離を詰めていく。
 ややあって、警備員の側まで銃を向けつつ通路を飛んできた海兵達の中、分隊長たる曹長が前に出て警備員に声をかけた。
「乗客は全員、客室の中か?」
「……はい。その、抵抗はしませんから、お客様に危害は加えないで……ぐぁ!?」
 返事の後、乗客達の安全を約束して欲しいと言いかけた警備員を、曹長はすかさずアサルトライフルの台尻で殴りつける。
 身体を回すようにして振り下ろされた銃の台尻に頬の辺りを打たれ、警備員は通路の壁に身体を打ち付けた。苦痛の声を上げる口からは、血の滴が吐き出される。
「余計な事は言うな。抵抗したら殺すだけだ。わかったか? わかったら、『はい、ナチュラル様』とでも言ってみろ」
 苦痛に呻きながら怒りと憎悪の目で海兵達を睨む警備員を、曹長は嘲り、そして後ろの部下達に向かって言った。
「予定通り始める。五人は、勝手に逃げ出す奴がいないか見張れ。殺してもかまわん。残りは俺と……この勇敢な警備員君と一緒に一部屋ずつ回って、クソ虫どもを檻に送り込む。で、警備員君、返事はまだだったな?」
 曹長は手にしたアサルトライフルを、警備員の顔の前に突きつける。その後ろで、海兵が五人、この場を離脱していった。
 曹長は、無言の警備員に、もう少しだけ言葉を続ける。
「これは悪い話じゃない。俺達が命令したんじゃ、ナチュラルを甘く見て反抗し、そして死ぬ奴が出る。今までにもよくあった悲劇だ。だが、お前が説得して歩けばどうだ? 素直に乗客が従えば、俺達も弾を無駄にしないですむ。どうだ? 良い話だろ?」
 曹長の言う事は事実だった。
 ナチュラルに対して従いたがるコーディネーターなどはほぼ居ないし、戦争で連勝を重ねている事もあって無意味な程にナチュラルを過小評価する者もいる。
 前線で戦う軍人には流石にいないが、銃を持っているか持っていないかという事は、コーディネーターであるか否かよりずっと大きな意味を持つのだという事を、理解していない者も少なくはないのだ。
 故に、無謀な抵抗をして死ぬ者は確実にいると言える。
 しかし、コーディネーターが説得して回るなら、ナチュラルに言われるよりは多少は言う事も聞きやすいはずであり、無謀な抵抗も減るはずだった。
 ついでに、これは海兵達の都合でしかないが、ドアを開ける者はドア向こうにいる者からの奇襲を受けやすいので、その肩代わりをさせるという意味もある。警備員が殺されてる間に、海兵は手榴弾を部屋に放り込めばいいと言うわけだ。
「返事の仕方はさっき教えただろう? 俺達はどっちでも良いんだぜ?」
 曹長はニヤつきながら再度問う。これで返答がなければ警備員はそのままホールに行かせるつもりだった。
 だが、警備員は一度強く奥歯をかみしめ、何かを吹っ切るようにして口を開く。
「はい、ナチュラル様。協力させて頂きます」
 出来る限り乗客に被害を出さない。その為に警備員が出来る唯一の事。
 その為に、警備員はプライドを捨てる決心をした。

 

 

 機関室周辺、メカニック達が常駐する整備室にも海兵達はやってきていた。
「ぐぁっ!?」
 鈍い悲鳴と同時に、銃床で顔を横殴りにされたメカニック主任の身体が宙を泳ぐ。
 高圧的な海兵に、主任が部下を守ろうとくってかかった為だったが、海兵達にしてはずいぶんと紳士的に応対したと言えるだろう。まだ、引き金に指はかけていないのだから。
「主任さん!」
 メカニック見習いの少年が、悲鳴のように叫びながら飛び上がり、主任の身体にを縋り付くようにして抱き留めた。
「大丈夫ですか!?」
「あ……ぐ……」
 少年の腕の中で、主任は顔を苦痛に歪めながらも目を開く。
「ああ……殴られて耳が良く聞こえん。もっと近くで話せ」
 言われて少年は、主任の耳元に口をやって話す。
「あ、はい……大丈夫ですか?」
 主任は苦しげながらもニヤと笑って見せて答えた。
「頭が割れそうだが、それ以外は大丈夫だ」
 そんな二人に、海兵は他のメカニック連中を追い立てる片手間に命令を投げつける。
「早くホールへと移動しろ! 小僧! 大事なお前の主任を連れて行ってやれ!」
「……主任、行きましょう」
 少年は、主任の身体に抱きつくようにしながらその身体を押して、ホールへと向かうべく廊下へと向かった。
 そして、廊下に出た後は、二人寄り添ったまま廊下をホール目指して飛ぶ。
 主任はふと、少年の身体が震えている事に気付いた。見れば、少年の表情は恐怖に強張り、目尻には涙が浮かんでいる。
 余程、怖いのだろう。それでも、主任を助けようと必死になっている。
「なあ、お前の夢って何だ?」
「え?」
「聞かせろよ」
 突然の問いに戸惑う少年に、主任は静かに笑いかけながら少年の答えを促した。
 夢見た未来を思い出そうとする少年の顔から恐怖が薄れていく。
「えと……軍のメカニックになってMSに触りたいんです」
「だから、あの悪戯か」
 得心がいったとばかりに主任は頷く。もっとも、少年がMSを弄り回していた事から、そんな所だろうとは思っていたのだが。
「ごめんなさい!」
 あの日、酷く怒られた事を思い出したのか、少年は慌てて謝った。
 主任はそれに笑いながら返す。
「良いって。気にするな。良く直してあったぜ、あれならきっと良いメカニックになれる。俺がお墨付きをくれてやらぁ」
「主任……」
 いきなりな褒め言葉に、少年は驚きを見せた後、少しだけ微笑んだ。
 恐怖を少しでも和らげてやれた事に安堵しながら、主任は表情を引き締め、少年に語りかけた。
「その為にも、ここは生き延びないとな。お前は絶対に無茶はするなよ? ここは戦うべき場所じゃない。メカニックになるお前には、もっと別の戦う場所がある筈なんだ。今は逃げて、隠れて、生き残れ。もちろん、俺もそうする。お前もそうしろ」
「はい、必ずそうして、生き残ります」
 少年はしっかりと頷き、主任と約束を交わした。生き残ると……

 

 

 医務室に海兵が二人入り込んで来た時、船医は救急箱に薬を詰め込んでいた。
「動くな!」
 突きつけられる銃。それに動じず、船医は救急箱を海兵達の方へと流す。
「……ああ、来たか。では、見て欲しい。応急手当の道具と乗客の常備薬しか入れていないのだが、これは持っていて構わないかね?」
 無重力の中を漂った救急箱は、海兵達の手元に届く前に銃で撃たれて弾かれた。
 銃声を聞きながら船医は落胆の声を漏らす。
「もったいない事を」
「応急キットなら、我々も携帯している。衛生兵もいるから、お前の出番はない」
 海兵の一人がそう言いながら、腰のポーチを叩いてみせた。
 それを見て船医は皮肉げに薄く笑う。
「その衛生兵は、コーディネーターも診てくれるのだろうね?」
「必要ならばな。無駄話は止めて、そろそろ移動して貰おう」
 海兵はもう船医に付き合う気はないようで、銃で船医を突くようにしながら言った。
「待ってくれ。病人が居る」
 と、船医は、医務室の片隅を指で差す。そこには、ベッドに横たえられ、バンドで動かないように固定された男の姿があった。
 顔は幾重にも巻かれた包帯で見えはしない。着ている物は何の変哲もない病院着。口には酸素マスクが付けられている。呼吸はしている様で、胸は僅かに上下していたが、それ以外の動きは一切していなかった。
「漂流者を回収してね。酸素欠乏症で、自分では動けない。酸素マスクは外さず、できるならベッドごと運んでもらえるかな」
「コーディネーターか?」
 海兵が問う。もちろん、コーディネーターなら死んでも構わないのだから、幾らでも乱暴な扱いが出来た。しかし、それを察している船医は、すまして答える。
「いや、確認していない。治療が先だったからな」
 確認していないのは事実だ。MSに乗っていた以上、ZAFTの兵士なのだから、コーディネーターだろうと誰も疑ってはいない訳で、確認などする筈もない。
 ともかく、海兵達にナチュラルである可能性もあると思わせておけば、そう酷い扱いをされる事もないだろうと船医は考え、そしてその考えは当たっていた。
「わかった。ともかく、お前が先に移動だ。出ろ」
 海兵はそう言って、船医を銃で追いやるようにして医務室から外に出す。
 医務室に残されたのは、海兵達とベッドに横たわる男。
 海兵は少し迷い、それから互いに顔を見合わせた。
「どうする?」
 問われた方が、少し考えてから答える。
「……面倒だ。後で回収しよう」

 

 

 船長と海兵達は、船橋からさほど離れていない通路にて邂逅した。
 海兵は十人に数を減らしている。他の場所の制圧に向かったのだろう。
 海兵達の前で手を挙げ、抵抗しない事を示しながら船長は、緊張を呑み込んでゆっくりと話し出した。
「私が、この船の責任者です。この船はプラント船籍の民間船ですが、軍とは……」
 緊張の面持ちで、民間の船である事を説明しようとする船長に、海兵達は改めて銃を向けた。そして、その内の一人……小隊長たる少尉が口を開く。
「お前達が民間人だろうと関係はない。抵抗する者は殺す。俺達は、無謀な抵抗者を、他の従順な者達の前で見せしめにする事を躊躇しない。だが、抵抗しない者の命の保証はしよう」
「……その言葉を信用します」
 船長も馬鹿ではないので、それを額面通り信じる事はなかった。しかし、だからとて抵抗をする事も出来るはずがない。
 少尉の言葉が嘘であっても、無駄に戦って今すぐに死ぬか、捕まって後で死ぬかの二択しかないのだから。
「船内放送をしろ。クルーと乗客を全員、ホールへと集める。抵抗せず、連合兵の誘導に従うようにとな」
「さ……最低限のクルーは、船橋や機関部に必要です」
 クルーが船橋や機関部から居なくなれば、船は本当に身動き出来なくなる。それを恐れて抗弁した船長に、少尉は冷たく拒絶の言葉を投げた。
「ダメだ。臨検が終わるまで、この船には行動を一切許さない。よって、クルーは不要だ。放っておいて船が沈むというわけでもあるまい」
「それは……」
 返す言葉を失う船長に、少尉は再度命じる。
「さあ、船内放送をしろ。拒否するなら、別の手を打つ」
 言葉の終わりに、音を立てて銃が構えられる。その筒先の真円を覗きながら、船長は恐怖を抑えつつ頷いた。
 自分が拒否しても、誰か別の者がやらされるだけだ。もしかすると、乗員乗客を従わせる為、もっと凄惨な手を使うかも知れない。
 ここで抵抗する事は意味がない。何度も繰り返し出た結論ではあったが、ナチュラルに従う事はコーディネーターとしての船長のプライドを傷つけた。
 おそらくは他の者も、同じく屈辱に耐えているのだろう。だからこそ、船長が率先してこれに耐えなければならない。
 乗員乗客の暴発を防ぎ、無事にこの臨検をやり過ごす事が自分の勝利となるのだ。
「わかりました。指示に従います」
 船長は素直にそう言って、船橋の方へと向き直った。そして、海兵達に促されて、進み始める。船橋で放送を行う為、そして残るクルー達に移動を命じる為。
 船長は、何としても今を平穏無事に終わらせようと決意していた。

 

 

 ランチから船内制圧成功の報告を受け、ブラックビアードはシルバーウィンドへの接舷作業を開始していた。
 その作業を見守りつつ、周辺宙域の監視を続けるアークエンジェル。緊張に咳き一つ起こらないブリッジ。その沈黙は、突然の闖入者によって開かれた。
「入隊志願書です! 戦わせてください!」
 書類一式を振りかざしつつフレイがブリッジに飛び込んで叫んだ時、ブリッジクルーはその突然の申し出に訝しがりつつも単純に驚く。
 普通、任務中のブリッジに怒鳴り込む奴など居ない。怒鳴り込む必要があるなら、まずは通信で怒鳴るはずだ。
 しかも、ブリッジに乱入したのは民間人の少女なのだから、驚かないはずもない。だからこそ、ブリッジクルー達は惚けたようにフレイを見返すしかなかった。
 そして、ややあってから、我に返った艦長のナタル・バジルールが声を荒げる。
「今は作戦遂行中だ! 後にしろ!」
「MAに乗せてください! でなければ、ブリッジでも、砲座でも何処でもかまいません、戦場が見える所に置いてください!」
 フレイは、ここで引き下がれば後がないとでも言うかのように、ナタルに向かって怒鳴り返した。そして、ナタルの元まで一息に飛ぶと、書類の束をナタルの膝の上に叩きつけるようにして置く。
「志願書です! お受け取りください!」
 フレイのその勢いに押され、ナタルは書類を手にとって流し見た。書類は揃っているし、必要事項も埋まっているようだ。
「まて、こんな物は事務に回せ! 私の所に持ってこられても……」
「仕事をくれと言ってるんです!」
 フレイは、勢いに任せてナタルに迫る。ナタルは、この突然の自体にどう対処した物か軍学校での士官教育を思い出し、ほぼ役に立たない事に気付いて困り果てた。
 基本的には、とりあえず誰かに命じて、この闖入者をブリッジから摘み出すくらいしかない。そうしようとナタルが考えた時、ブリッジの中で声が上がった。
「あの、良いですか?」
 声をかけたのは通信士。元は陸戦隊の通信兵で、専門外の通信任務に苦労をしている人だ。
 彼は、ナタルに提案した。
「通信オペレーターを増員して欲しいと頼んでましたが、人員不足で却下されてましたよね? いっそ、彼女はどうでしょう?」
「何も出来ない新人が使えるのか?」
 ついさっきまで民間人だった上に、いきなりブリッジに怒鳴り込むような者が使い物になるのか? ナタルでなくとも気にする所だろう。
 だが、通信士は肩をすくめて言った。
「自分だって専門外なんですから、何も出来ない新人と一緒でしたよ。専門家が居ないんじゃ、一から仕込む以外に無いじゃないですか」
 背中に背負うタイプの通信機が使えるからと言って、戦艦に積んである通信機を使わされる羽目になった彼なりの皮肉も混じってはいる。
 ともあれ、門外漢の通信士が一人で仕事を回しているのは辛い。
 それに、通信は時に理不尽な命令や悲惨な報告も飛び交う事から、ストレス緩和の為、通信オペレーターは若い女性がつくのが好ましいと慣習的にはされている。通信士は残念ながら男であり、別に見目麗しくもないので、ストレス緩和の役には立たない。
「難しい通信は自分がするしか無いでしょうが、通信オペレーターとして言われたとおり通信するだけならやれるのでは?」
「やります! やらせてください!」
 通信士のナタルへの申し出に、フレイは飛びついた。
 通信オペレーターなら、通信のほとんどを仲介するわけだから、サイに何かあればきっと知る事が出来る。知った後に何かが出来るのか……いや、何も出来ないかもしれないが、それでもそれは後で考えればいいと割り切った。
「……考えておこう」
 ナタルの方も、考えてみたが一応は異論はない。
 フレイが志願兵として扱われる以上、何処かに配属しなければならないわけで、とりあえず人手不足だと言われてる場所に配置するのは悪い事ではなかった。
 それに、これ以上、フレイにかまけていたくはない。今は任務中なのだから。
 それに、どうせ書類審査がある。身元が怪しくないかどうか調べないと、危なくて使えたものではないからだ。
 それにはかなりの時間がかかるので、しばらくは時間の猶予が得られるだろう。今すぐに戻ってくる事はあり得ない。
 そう考えると、ナタルはフレイに向けて言った。
「わかった。とにかく、正式な着任は、この書類を事務に届け、制服を受領してからだ」
「了解しました! すぐに行ってきます!」
 フレイは、ナタルから返された書類を受け取ると、素早く身を翻してブリッジの外へと向かう。

 フレイが、「大西洋連邦事務次官のご息女であり、身元はこれ以上なく確か。採用に問題なし」との報告と共にブリッジに帰ってきたのは、ほんの数十分後の事だった。

 

 

 デブリの漂う暗礁宙域。ジン長距離強行偵察複座型とそれに従うジンが宇宙を駆けていた。
「隊長、基地に報告はしないんですか?」
 ジン長距離強行偵察複座型のコクピットの中、後部座席の情報収集要員の部下がパイロットシートの隊長に聞く。
 彼らの母艦は、連合軍が仕掛けたトラップによって撃沈されていた。
 助かったのは、爆発を繰り返しながら崩壊していく母艦より、とっさに宇宙に飛び出す事の出来た彼らMS偵察小隊だけ。後は脱出する間もなく、暗礁宙域を漂うデブリの仲間入りをしてしまった。
 これを基地に報告しないわけにはいかない。部下はそう考えたのだろう。
 しかし、現在彼らは、母艦撃沈前に予定されていた偵察任務そのままのコースを辿り、民間船シルバーウィンドへ向かっている。
「なあ……あの攻撃は周到に用意された罠だった。なら、敵の狙いは何だ? 俺達を殺す事だけじゃない筈だ」
「そうか、シルバーウィンド!」
 隊長に言われ、部下は声を上げた。
 民間船シルバーウィンドと合流する筈の母艦が狙われた。ならば、シルバーウィンドこそが真の狙いだろうと、容易く推測する事が出来る。
「でも、それならなおさら報告して援軍を……」
「長距離通信が出来ない以上、基地まで帰って直接報告する事になる。だが、それまでに何時間かかる? もし、今襲撃を受けていたとしたら、援軍を呼んで戻った所で、残っているのはシルバーウィンドの残骸だけだ」
 隊長は、おそらくは既に襲撃が行われているだろうと推測していた。
 母艦への攻撃は、待ち伏せではなくトラップによるものだ。ならば、トラップを仕掛けた者は、必ず別の場所で行動を起こしている。
「報告はシルバーウィンドの無事を確認してからでも出来る。今は急ぐぞ……おい、そいつはもう捨てていけ!」
 隊長の言葉の後半は、通信機を通して後続のジンに向けられたもの。
 後続のジンは、もう一機のジンの腕を掴んで曳航している。
『な……何言ってるんですか隊長! 仲間を見捨てるんですか!?』
 後続のジンから、もう一人の部下の非難めいた声が返った。
『こいつ、艦が沈む時に俺を押して……ラクス様は俺の嫁だなんて、馬鹿な事しか言わない奴だったけど、俺の事を助けて……』
「死んでるんだ。反応が無いだろう」
 隊長は苦い物を噛むような顔で、重苦しく言葉を吐き出す。
『死んでなんかないですよ! きっと……きっと、機械の故障か何かで……出られないで、通信も出来ないで……きっと、あいつの事だからコックピットの中で文句言いながら、またくだらない事を……』
 通信から聞こえる部下の声は、狂騒的な物となっている。
 隊長の後ろの席から、いつの間にか啜り泣きが聞こえていた。
「畜生……畜生……」
 情報収集要員の部下が何度も繰り返し呟く。
 隊長は、通信機から溢れてくる部下の声には耳を貸さず、静かに問いかける。
「気付いているんだろう? コックピットなんて、もう無いんだ」
 曳航されているジンは、胸から下を食いちぎられたかの様にして失っていた。
 通信機から聞こえていた部下の声が途切れる。
 知っていたのだ。そんな事は皆が知っていた。ただ……認めたくはなかったのだ。
 しばらくの沈黙の後、部下の乗るジンはその手を放した。曳航されていたジンは、ゆっくりと隊列を離れ、デブリの中へと紛れていく。
『あいつ、良い奴でした』
「連合のクソナチュラル共に、それを良く教えてやれ」
 隊長はゆっくり息を吐くように言葉を並べる。彼も、母艦と部下を失った事に怒りを持たないわけではない。
「もうすぐシルバーウィンドとの合流予定地点だ」

 

 

 シルバーウィンドの中は、海兵達に完全に制圧され、乗員および乗客をホールへと集める作業が行われていた。とは言え、それなりの大人数である事もあり、作業はまだ終わっては居ない。
「止まらないで! 速やかに移動してください!」
「臨検に伴う一時的な処置です! 危険はありません!」
 警備員や客室乗務員といった者達が、乗客達の誘導を行っている。無論、海兵達がそれを監視しており、下手な動きを見せれば乗客ごと殺されるのは確実だった。
 コーディネーターである客達は、海兵とナチュラルの軍門に下った乗員達に侮蔑や憎悪の視線を浴びせながら、自らも為す術無く羊の群れのように追い立てられていく。
 抵抗した者がどうなるのかは、何人かがそれを身をもって教えてくれていた。廊下の所々に浮かぶ死体というオブジェクトとなって。
 その数は決して多くはない。多くの者達は、抵抗が得策ではない事を悟り、おとなしく指示に従っていた。抵抗したのは、ナチュラルへの憎悪を抑えられなかったか、ナチュラルを甘く見すぎた、極少数の例外に過ぎなかったのだ。
 海兵達も、必要以上の暴行は起こさなかった。これは、私掠は禁じられている事。そして何よりも、素早く事を終わらせる事が作戦で求められている為、無駄な遊びはしている暇がないからだ。
 状況は極めて静かに進んでいた。乗客も乗員もまだ残っているが、後僅かでホールへの収容を完了する。その後は、ある程度の選別を行いつつブラックビアードへと移送する手筈だ。
 イベントホールには、既に多くの乗客乗員が集められてきていた。広いホールは、その全員を難なく収用している。
 ホールの中は低く唸るようなざわめきに満ちていた。大きな声を出す事は許されていなかったが、人が多く集まればそれなりに音も出るし、聞こえぬほどの囁きも数が合わされば大きな音となる。
 人々が漂うように浮かび、不明瞭なざわめきに満ちたホール。扉は一つだけ開放されており、そこから次々に乗員乗客が送り込まれてくる。海兵達はホールの中には入らず、唯一の扉の外からホールの中に銃を向けている。
 船長も、船医も、メカニック達も、既にホールの中にいた。そして、ラクス・クラインもまた、ホールの中へと送られてきていた。
「ピンクちゃん、怖いですわ……」
 ラクスは、数日前に自分が歌ったこのホールの中に浮かびながら、ピンク色のハロを強く抱きしめて震える。
 婚約者のアスラン・ザラからもらったこのハロだけではなく、アスラン本人が居てくれたら、この状況から助け出してくれるだろうか? そんな事を考えて、その考えを振り払うように頭を振った。
 アスランは、プラントの為に戦いに出ているのだ。それを、自分の勝手な都合で居て欲しいと考えるなんて、アスランに悪い事だと。
 しかし、怖いと思う心と、誰かに助けて欲しいと願う心は消す事が出来なかった。誰でも良い。ここから助け出して欲しい……と。
 震えながらハロを抱く腕に力が入る。
「ハロォ……クルシーイ」
「あ、ごめんなさいピンクちゃん」
 ハロが潰されそうな声を上げたのに気付き、ラクスは腕を緩めた。そして、いつも通りに愛らしいハロを見て、少しだけ落ち着きを取り戻す。
 その時、子供の泣き声がラクスの耳に届いた。
 見れば、そう遠くない場所で、小さな女の子が声を上げて泣いている。女の子の目から溢れ出す涙が水滴となって、ホールの中に散っていた。
 そんな女の子を母親が必死でなだめようとしているが、女の子が泣きやむ様子はない。
 怖いのは誰だって同じ、まして子供ならなおさら。ホールの中には、泣いている子供も幾人か居た。泣かないまでも、恐怖に震えてじっと我慢している事だろう。
 何かしてあげられないかとラクスは思い、せめて少しでも心を安らげてやりたいと願い……ラクスは、自分にただ一つだけ出来る事をと。
 ラクスはホール内に配された手摺りを使い、女の子の所まで静かに移動した。そして、頑張って恐怖を押し殺しながら、泣いている女の子に笑顔を向ける。
「泣かないでください。大丈夫ですから」
 ラクスの笑顔に、女の子は泣き声を止める。涙は止まらなかったが。
 ラクスは笑顔を崩さぬように注意しながら、言葉を続ける。
「ほら……お歌を歌いましょう。きっと怖くなくなりますわ」
 そして……

 ラクスは……歌ってしまった。

 歌声がホールに満ちていく。歌声と共に、唸るようにざわついていたホールの中に静寂が広がっていく。
 静寂の中、歌だけが流れる。
 ……歌姫の歌が響き渡る。