機動戦士ザクレロSEED_第18話

Last-modified: 2008-11-15 (土) 20:16:54

 アークエンジェルがジンの襲撃を乗り切った後になっても、ドレイク級宇宙護衛艦ブラックビアードはプラントの客船シルバーウィンドと連結したままだった。
 まだ、必要な物の回収が終わっていないのだ。船の備品や物資、貨物、客の荷物、果ては客室のゴミ箱の中身に到るまでを回収しようと、海兵達は忙しく働いている。
 軍として必要なのは情報なので、客の荷物が最も重要となる。書類や手紙などがあれば、貴重な情報源となるのは言うまでもない。また、意外にもゴミ箱の中身の価値が高かったりする。書き損じのメモなどに、時に金にも変えられない価値がある事もあるのだ。
 それ以外の物……大方全部が、ブラックビアードの海兵達のアルバイト代だった。
 貴金属類は言うまでもない。物資も、手に入れれば幾らでも横流し出来る。放っておいても、ジャンク屋が禿鷹の様にあさり尽くしていくのが落ちなのだから、ありがたくもらっておくのが当然……そんな所だ。
 一方、乗客乗員のほとんどは死んだので、捕虜の移送は早々に終わっていた。
 捕虜がVIPなら相当の利用価値があるし、そうでなくとも射撃の的くらいにはなる。どうなるかはその時々だが、今回の場合は船内で起きた不可解な暴動の件があるので、その調査の為に温存する事が指示されていた。それを幸運だとは誰も思わないだろうが。
 それら楽しい略奪行為と平行して、船内では暴動参加者の掃討戦が行われていた。
「……全く、ゴミ箱あさりよりはマシかと思ったら。犬のゲロみたいな奴等をあさる羽目になるなんてな」
 一個分隊を更に分けた五人のチームで行動中の海兵一行の中、一人が愚痴りだす。
 通路……血に赤く染まったそこには、暴動に参加して死んだコーディネーター達の死体が無数に浮かんでいた。
 戦いの壮絶さを示す様に、多くが人の形を成していない。
「そう言うなよ。役得もあるってもんだぜ?」
 そう言った海兵は、漂っていた肘から先だけの死体を手に取り、薬指にはめられた指輪を抜き取っている。結婚指輪だろうそれは、血に濡れて輝きを失っていた。
「見ろよ。多分、ハネムーンだ。近くにペアのが無いか? こいつは男物だから、女がいる筈だ」
 女という単語を聞き、愚痴を言っていた海兵が僅かに喜色を混ぜて言う。
「女か……客室乗務員を何匹か捕まえたんだろ? そっちの相手が良かったな」
「やりたいのか? ちょうど良いのがあるぜ」
 更に別の海兵がそれに答えて、手近にあった物を投げた。
 上半身を失った、下半身だけの死体。足に破れかけたストッキングが絡んでいる所を見ると、恐らくは女性の物なのだろう。
「麗しの君は、スパム缶の中身よりも酷い有様だぜ」
 愚痴を言っていた海兵はその下半身だけの死体を受け止め、腰の辺りを掴むと自分の股間の前で前後に振ってみせた。
「OH! さいこー! もっとファックしてぇ!」
 気持ちの悪い裏声に、海兵達は皆、笑い声を上げる。
 と……一緒に笑っていた分隊長に当たる海兵が、軽く手を挙げて言った。
「おい、ちょっと静かにしろや」
 すぐに声が止む。海兵達は、全員が銃を改めて握り直し、分隊長に注目した。
 静寂の中、微かに声がする。
「……らく……す……さま……」
 その声は、通路の片隅にうつぶせで転がる中年男から聞こえていた。
 見れば、この男は一応、手足が全部ついている。身にまとう礼服を赤黒く染めていたが、仲間の血かもしれず、傷の程度は判別出来ない。
 男が苦悶の中から助けを求める様に伸ばした左腕が僅かに震えていた。
「ひっくり返せ」
 分隊長が、傍らにいた海兵に命じる。それは偶然にも、先ほどから愚痴をこぼしていた海兵だった。
 彼は不服を言う事もなく、慎重にその男に近寄っていく。そして有る程度近寄った所で、銃を向けながら、足を伸ばして蹴る事で男を裏返した。
「ぎっ!? あ……」
 蹴られた男が悲鳴を上げる。武器は持っていない。右手は腹に当てられており、その手の下は血に赤黒く濡れていた。男の顔は蒼白で、息は乱れていて早い。
 素早く簡単に観察して、海兵は報告する。
「腹に食らってますね。時間の問題では」
「情報源になりそうなら拾えって言われてるんだがな。難しいもんだ……抵抗しない奴は死んでるか死にかけかだし、そうでなければ死ぬまで抵抗しやがる」
 分隊長は、困ったもんだとばかりに溜息をついた。
 例外は、MSがあった倉庫にいたメカニック主任や、暴動に参加せずにホールに残っていた何人かが、大人しく捕まったくらいか。後は、愚痴った通り。
 コーディネーターの事など理解したくもないが、こんな異常な行動は本当に理解出来ない。
 分隊長は考えてもウンザリするだけだと考えるのを止め、そして部下に短く命令した。
「殺せ」
 その一言で、辺りの空気は先ほどまでと同様、多少、だらけたものに戻る。
「よーし、傷、見せてみろ。宇宙人の腹の中が、俺達と同じかどうか確かめてやるよ」
 男を検分していた海兵が笑い声混じりにそう言って、男の元へと接近した。
「が!? ぐぁあああああああっ!」
 男の悲鳴が上がる。海兵は、男の傷に指を突き刺して掻き回していた。
 溢れ出す血が、辺りに飛沫となって飛び散っていく。
「おい、こいつバージンだぜ」
 男の腹の傷を押し破り、拳を埋め込みながら言った冗談に、海兵達がドッと笑う。その笑い声も掻き消す程に激しく、男の断末魔の悲鳴は続いていた。

 

 

 ヒートナタで脱出ポッドを抱え込んだザクレロは、アークエンジェルではなくブラックビアードのMA格納庫へと帰還していた。
 捕獲した脱出ポッドを、ブラックビアードに下ろす為である。
 しっかり抱え込んできた脱出ポッドを格納庫内で放す。ゆっくり漂っていくそれを待ちかまえていたミストラルが捕まえ、格納庫の更に奥へと押していった。空気のある場所に持ち込んで、中を確認するのだろう。
 中に誰が入っているのか、それを捕まえたザクレロのパイロットであるマリュー・ラミアスは知る由もなかったし、特に興味も無かった。
 それよりは、母艦のアークエンジェルの方が気に掛かる。早く戻って、状況を確認したい……そんな事を考えるマリューに、通信機を通してブラックビアードの通信オペレーターが指示を下してきた。
『ザクレロ、任務完了、お疲れ様です。そのまま着艦してください。ザクレロの補給を行います。ザクレロのパイロットは、降りて休憩を取ってください』
「え? 自分の艦はアークエンジェルですが?」
 アークエンジェル所属のザクレロが、ブラックビアードに着艦するのはおかしい。そう思って聞き返したマリューに、通信オペレーターはその問いを想定していたのかすぐに答えを返した。
『アークエンジェルは、先の戦闘において大破したミストラルの回収作業を行っています。補給などを行える状況ではありませんので』
「大破!? パイロットは!?」
 マリューは思わず、意味もなく通信機に身を乗り出して聞く。それに答える通信オペレーターは冷静だった。
『通信途絶。状況不明。救出作業中です。ただ、大破した後に、意識的に敵を攻撃して撃破してますから、パイロットは無事でいる可能性が高いと思われます』
 パイロットは無事。少なくとも、アークエンジェルではそう判断して救助活動を行っている。
 実際、死んでいると見るよりは、どんな状態であっても生きている可能性が高いと考えられてはいた。どんな状態で居るのか……その事については想像に任せるより他無いとしても。
「そう……無事なのね」
 少なくとも、そう思って事実確認を待つしかない。そう悟って、マリューは深く息をついた。

 

 

 ミストラルに搭乗していたサイ・アーガイルは、ジン長距離強行偵察複座型を撃破した後、通信途絶。以降、ミストラルは能動的な動きを一切見せていない。
 アークエンジェルでは回収作業班を編成し、スペースランチを出して、大破したミストラルの回収を行った。
 そして、回収して来た結果が、アークエンジェルの格納庫内に置かれている。
 がらんとした格納庫。メカニック達がミストラルを前に居並び、緊張とも恐怖ともつかぬ表情でそれを見つめていた。
 対艦ミサイルの爆発に零距離で巻き込まれた為、機体正面の装甲は全て歪み、ミサイルの破片が無数に刺さり込んでいる。また、作業アームは二本とも欠落。武装は、機関砲を除いて全て失われていた。
 そして、狙撃ライフルによる攻撃で機体各所に開いた破口からは、中の機械部分までもが覗き見える。
 誰もが思うだろう。こんな機体で、よくMS二機を撃破したものだと。それを成し遂げたパイロットは今、この機体の中から出られないで居る。
 サイを外に出す為、メカニックのコジロー・マードック曹長が、ひしゃげたコックピットハッチの隙間に油圧式ジャッキを差し込み、こじ開けようとしていた。
 強大な機械の力が、分厚いハッチを少しずつ曲げていく。やがて、ハッチは悲鳴の様な金属音を立てて、弾ける様にしてコックピットから外れた。
「開いたぞ!」
 コジローは叫ぶと、ハッチを手で押して退ける。そして、コックピットの中を覗き込み……そこに、座席に埋もれる様にして力無く操縦桿を握るサイの姿を見た。
 死んだのか? 最初にそんな嫌な疑問が浮かんだが、コジローはそれを舌打ち一つして打ち消して、サイに向かって声をぶつける。
「大丈夫か!? しっかりしねぇか!」
 サイに触れはしない。頭を打っていたり、骨を折っていたりした時に、状況を悪化させる恐れがある。だから、もどかしく思いながらも声をかける。
「おい! 起きろ坊主!」
「ぅ……ぁぁ……」
 サイが呻く。そして顔を上げて、大儀そうに目を開けた。
 サイは焦点の合わぬ目をコックピット内にさまよわせた後、目の前にいるコジローに気付いて口を僅かに開く。
「死ぬ……かと、思い……ました」
 あのミサイルで敵のジンを殴りつけた時、サイは缶に入れられてバットで殴られている様な……無論、そんな実体験は無いから想像に過ぎないが、多分そんな感じなのだろうという目に遭った。
 耳が聞こえなくなるほどの轟音、自分がどんな状態で居るのかもわからない程の揺れ、身体が振り回されて頭の中と内臓がグチャグチャにされる様な感覚、操縦桿やフットペダルからもぎ放された手足が振り回されてコックピットのあちこちに叩きつけられる激痛。
 それは一瞬だったのかもしれないし、もっと長く続いていたのかも知れない。
 何にせよ、次にサイが意識をとり戻した時には、モニターにはサブカメラの一つからの映像だけが映されていた。他のカメラは、爆発に巻き込まれて死んだのだ。
 不明瞭な画像の中で、巨大な人影が動いているのをサイは見る。
 敵……ぼんやりとそう認識すると、サイは朦朧とした意識の中、腕を上げて操縦桿を掴み、トリガーを引いた。
 後の事は憶えていない。意識を再び失ったのだろう。
 その時には脳内麻薬でも出ていたのか、サイは痛みを感じていなかったが、自分がアークエンジェルにいると悟った今、サイの体中が激痛に悲鳴を上げていた。
「体中……痛い」
「機体が受けた衝撃でぶんまわされたな? あんな無茶したら当然だ! シートベルトに感謝しろよ。無ければ、お前はノーマルスーツの中で挽肉になってた」
 そう言いながらコジローは、慎重にシートベルトを外してやる。
 座席に縛り付けていたシートベルトから解放されたサイの身体は、ゆっくりと座席を離れて浮かび上がった。それでも、サイは動かずに、身体をダラリと弛緩させたままでいる。
「だが、よく生きて帰ってきたぜ。自分で出られるか? いや待て動くな。担架持ってくるから、ちょっと待ってろ。俺達に、英雄を運ぶ栄誉に預からせてくれ」
 コジローは口早にそう言うと、後に控えていた部下に手を振って合図した。部下達は合図に従い、用意していた担架をコックピットのすぐ横へと運んだ。
 それを待ってからコジローは、手を伸ばしてサイの脇の下を掴み、サイをコックピットから引きずり出す。そのままサイは担架に横たえられ、担架脇で控えていたメカニックの手により、拘束帯で軽く固定された。
「待った! モルヒネを打ってやろう」
 メカニック達と一緒に待機していた陸戦隊の衛生兵がそう言って、救急キットからピストル型の注射器を取り出す。負傷して苦しむ兵士の為の応急手当として、痛み止めのモルヒネを打つ為の物だ。これを使えば、苦痛を軽減してやる事が出来る。
「これで楽になるぞ」
 衛生兵はそう言いながら、ノーマルスーツの上からサイの身体に注射器を当て、引き金を引いた。一瞬で薬液はサイの身体の中へと撃ち込まれる。
 衛生兵の処置の後、サイはメカニック達の手によって医務室へと運ばれていった。
 コジローはその場に残り、サイとメカニック達、そして衛生兵が離れていくのを見送る。そして、全てがドアの向こうに見えなくなった後、改めてミストラルに目を戻した。
 本当に酷い状態だ。これでサイの怪我があの程度というのは、幸運だったと断言しても良いだろう。
 もっとも、ここまで酷い状態でなければ、最後に倒した偵察型ジンの油断を誘う事は出来なかっただろうが……全ては、ギリギリの勝利だった。
「だが、こいつじゃあ、ダメだな。次はねぇぞ」
 このミストラルは、廃棄処分にするしかない。部品取りに回せるかどうかさえ怪しいだろう。それはそれで悩むまでもない事であった。
 問題は、サイを乗せる次のMAだ。
 ミストラルの予備はまだ何機かある。それにサイを乗せるという事は可能だろう。しかし、今日の勝利が明日も続くと言う事はない。ミストラルに乗せ続けたなら、サイは死ぬ……遠くない未来、確実に。
「ザクレロ並のMAが有ればな……」
 重火力、重装甲、高機動を併せ持つ新型MAにサイを乗せれば、生存性は向上する筈。恐らくは戦果も今以上に。
 それは望み過ぎかも知れないが、何にせよもっと良いMAに乗せてやりたい。
「何か機会を見つけて、艦長に頼んでおくか。あの坊主に、もっと良いMAを用意してやってくれってな」
 コジローは、大破したミストラルに背を向けながらそう一人呟いた。

 

 

 独房。洗面台とベッド、部屋の隅のトイレ。それしかない部屋。フレイ・アルスターは、ベッドの上で膝を抱えていた。
 後悔に泣いているのではない。その証拠に、フレイの口元には笑みさえもが浮かんでいた。
 サイが生き延びたニュースを聞いた今では、軍務違反として営倉入りとされ、独房に入れられた事に後悔はない。サイが勝った……それだけで、行った暴挙の対価としては十分だ。
 問題は、今後はどうやってサイを助けるべきか。
 今回の事で軍を首になってしまっては、サイを助ける事は出来なくなる。下手な部署に回されてもそれは同じ……
 フレイは、サイを助けたいのだ。何があっても。
「考えなさい、フレイ。貴方は悪い子なんだから、また何か悪い事を思いつくでしょ?」
 呟く様にして自分に命ずる。
 今後、サイを助ける為に何をするか。どうすれば良いのか……
 幸い、考える時間だけは幾らでもある独房の中だ。フレイはじっと考えていた。自分に何が出来、どんな結果を呼ぶ事が出来るのかを。

 

 

 ブラックビアードのMA格納庫の中でザクレロを降りたマリューは、とりあえずエアロックを通って、空気のある倉庫区画へと移動した。
 まだ作戦継続中なので、補給中といえども機体から遠くへ離れる訳にはいかない。何より良く知らない艦内を無闇にうろつく気にはならなかった。
 となれば、パイロット待機室辺りで休憩するのが無難だろうと……思うのだが、ドレイク級でのそれの場所を知らない。
 ではと言う事で、少しの間でもヘルメットをとって休める場所でと思い、先ほど脱出ポッドが運ばれて行ったのを見た関係から場所が推測出来たここへと移動したのだ。
 そこには、シルバーウィンドから押収……あるいは略奪されてきた物が雑多に置かれ、ワイヤーで床や壁に固定されていた。
 さっきの脱出ポッドはどうなったのかと思い、マリューは雑然とした倉庫の中を見渡してみる。脱出ポッドはすぐに見つかった。ドアが開け放たれた状態で、壁に固定されている所を見るに、中にいた人物は既に海兵達が確保した様だ。
 ザクレロの着陸と固定作業に時間を取ったから、マリューが脱出ポッドの中身の回収に立ち会えなかったのは当然と言っても良い。
 今、海兵達は、時々荷物を運び込んでくる以外にはその姿を見ない。
 広い空間に雑然と荷物が詰め込まれた、くつろげない環境だが、他人に気兼ねなく休憩は出来そうだとマリューが思った時、マリューの視界にそれがかすめた。
 荷物の影に見えた白い物。シーツ? 動いた様な気がする。マリューは何故だか興味を引かれて、壁を蹴り荷物を蹴りしながらそれに近寄って行った。

 

 

 自分が誰なのか、そんな事すらもわからなかった。ただ、震えるより他になかった。
 酷く寒い……次の瞬間には灼ける様に暑い、自分を苦しめるだけの空気。何か人影の様な物が絶えず揺らぐ闇の中。寄る辺もなく、無限に落ちていく。
 聞こえるのは男の笑い声。惨めな自分を嘲笑う声。
 聞こえるのは男の怒声。自分を失敗作だとなじり、無駄だったと切り捨てる声。
 その男の声が、自分を切り裂いていく。
 悲鳴を上げ、助けを求めても、その声は音にはならず虚空に掻き消えていく。
 無力だった。絶望的なまでに無力だった。抗っても、抗っても、何をどうする事も出来ない。
「みんな嫌いだ!」
 叫んだ。みんなが自分を嫌いだから、みんな嫌いだ。
「みんな壊れてしまえ!」
 みんなが自分を傷つけるから、みんな壊れてしまえばいい。
 壊してしまおう……壊してしまわないと、自分が壊れてしまう。
 虚空に向けて腕を振り回し、足を蹴り上げて、全てを壊してしまおうとする。
 でも、その腕も足も闇の中でボロボロと崩れ去り、そして身体全てが崩れ去って闇に溶け落ちていく……何一つ成せないままに。
 繰り返される悪夢。しかし……何か様子が変わった。
 全て崩れ去ったはずなのに、何かを感じる。気付けば、頭を何か柔らかい感触が包んでいた。
 温かい。トクン……トクン……と小さく響くリズムが心地良い。
 声が聞こえる。
「もう大丈夫よ。安心して」
 優しい声。女の人だ。自分を抱きしめてくれている。
 そう察した時、闇が晴れて眩い光が目を刺した。閉じていた目を開いたのだという事にすら気付く事は出来ず、夢の続きを見る様に現実を覗き見る。
 自分の上半身を抱え起こす様にして抱きしめてくれている女性が居た。自分の頭は、柔らかな胸に埋もれる様になって支えられている。
「起きた? うなされてたのよ。怖い夢でも見たの?」
 優しく聞いてくるその女性に見覚えはなかった。
 誰だろうか? でも、凄く安心出来る。初めて会ったのに、そうではない様な……いや、求め続けていた者に今ようやく会えた様な、そんな気がする。
 自分にそんな者は居ないとわかっていた。ただ、言葉だけは知っていた。
「かぁさん?」
 女性は少し戸惑った後、にっこり微笑んで答える。
「……そうよ。もう大丈夫。母さんが一緒だからね」
 ああ、母さんが居た。自分にも母さんが居てくれたのだ。自分を苦しみの中から救う為に、母さんが来てくれた。
 今は無邪気にそう信じる事が出来た。
 あふれ出る涙が、顔に巻かれた包帯に染みこむ。そして、目元の傷に染みた。
「かぁさん……かぁさん!」
「はいはい。もう大丈夫よ。何も怖い事はないわ。ゆっくり、おやすみなさい。母さんは、ずっと貴方の側にいるから」
 母さんが優しく言ってくれる。ベッドにちゃんと頭を戻して、毛布をきちんとかけ直してくれた。
「そうね、歌を歌ってあげましょうか?」
「ぅん……おねがい」
 母さんが少し悪戯っぽく微笑みながら言う。返事は子供っぽすぎたかもしれない。でも、母さんの歌を聴いて眠りたかった。
 母さんは、ちょっと恥ずかしそうに笑った後、歌ってくれた。子守歌を。
 緩やかに流れる歌を聞いていると、まぶたが重くなってきて、母さんの顔が見えなくなってくる。少し堪えてみたが、抗えなくてまぶたは閉じられていく……
 もう闇の中に自分は居なかった。
 自分は小さな少年だった。夕焼けの赤い空の下、迫る夜闇に怯える子供。
 夜が怖いから、夜を壊そうと棒きれを振り回す子供。そして、何時かは夜に呑まれ、帰り道も見失う子供。
 でも、今は違う。夕日の下に母さんが居た。母さんが迎えに来てくれる。母さんと一緒に帰る。母さんの家へと……もう何も怖くない。

 

 

 倉庫の中に置き捨てられたベッドに寝かされた、顔に包帯を巻いた負傷者は、マリューの歌を聴きながら眠りに落ちた。
 彼を見つけたのは、何となく興味を引かれて見に行った物が彼が眠るベッドだったという事で、単に偶然である。
 こんな倉庫に置かれていた事を疑問に思ったのと、彼が酷くうなされていた事から、声をかけてみただけなのだが……思いもよらず、恥ずかしい事になってしまった。
 母さんと呼ばれて、それで安心してくれるならとそれらしく返事をした……子守歌の方は冗談だったのだが、それも頼まれてしまって、ついつい歌ってしまって。
 マリューは苦笑しながら、子守歌を止める。
「私はまだ、母親になる歳じゃないわよ。大きな、私の息子さん」
 同級生には何人かゴールインして子供が出来た人も居るが……一応、まだ早いと言える歳か。何にせよ、ベッドで寝てる彼ぐらいの子供を持つ歳ではない事は確かだ。
「それにしても、どうしてこの人ここにいるのかしら? 医務室に居るならわかるけど」
 マリューの知らない事だったが、彼はシルバーウィンドの医務室から回収された、宇宙で回収された酸素欠乏症のMSパイロット……ラウ・ル・クルーゼだった。
 シルバーウィンドの船医が彼の身分を隠し、ナチュラルかもしれないと海兵達に思わせておいた為、殺されたり放置されたりする事無く、他の略奪品と同じく海兵達の手で回収された。
 しかし、コーディネーターの暴動で海兵達にも少なからず負傷者が出ておりブラックビアードの医務室がふさがっていた事、また彼に行える治療は既に施されていたので放置しても問題ない事から、医務室へは送られなかった。
 とりあえずと搬入された所で、置き忘れられたのだ。酷い話もあったものだが、酸素欠乏症でほとんど意識がない状態だと思われていたのだから仕方がないだろう。
 それでも、彼にとっては幸運だったのかも知れない。この出会いがあったのだから。
「考えてもわからないわよね。事実を知りたいわけでもないし……ともかく」
 マリューは、負傷者に平穏を与える事が出来た事に満足して、他に行く当てもないので彼の横で休憩を取る事にした。
「まあ、大きな子供が出来たってのも、考えによっちゃあ楽しいわよね」
 マリューは、先ほどまでとはうってかわって安らかな寝息を立てている彼を見て微笑んだ。そして時折、傷に触れない様に彼の身体を撫でてやりながら、マリューはザクレロの補給が終わってアークエンジェルへ帰還する時が来るまでの間、ずっと彼を見守っていた。

 

 

 数時間後、略奪を完了した海兵達は、シルバーウィンドに幾つか仕掛けを施した。
 通信記録や監視映像など、艦内で起こった出来事を記録していたメモリーをバックアップ含めて全て破壊する。万一の場合でも、残ってしまわない様に。なお余談だが、これらの貴重なデータはコピーがとられ、それは海兵達が回収していた。
 次に、シルバーウィンドの通信機からSOS信号を打たせる。ニュートロンジャマーの電波妨害がある以上、誰も聞いていないかも知れないが念の為に。SOSの内容は敵襲ではなく、エンジントラブルとしておく。
 最後に、エンジンや推進器に最大限、細工を施す。船全体を木っ端微塵にするほどの大事故が発生する様に。
 要するに、事故に見せかける為の隠蔽工作だ。これらは時間があったからこそ出来た事。アークエンジェルが居なければ、先のジン襲撃の時に、証拠隠滅もしないまま逃げ出さなければならなかったかもしれない。
 何にせよ、プラントの客船シルバーウィンドは、エンジントラブルを理由としたSOS信号を辺りにばらまいてから数十分後、エンジンの暴走と推進器の誘爆によって爆発し、暗礁宙域の無数のデブリの中に散っていった。
 この事は、後にプラントへ、シルバーウィンド遭難事故として伝わる事になる。

 

 

 シルバーウィンドが爆散していた頃、ブラックビアードとアークエンジェルは、既にその宙域を離れていた。とは言え、いまだに暗礁宙域を移動中である。
 無数に漂うデブリの間を抜けて行くと、両艦の前にひときわ巨大なデブリが見えてきた。
『古い時代の宇宙基地だ。解体せずに放り出してあったのを利用させて貰っている』
 アークエンジェルのブリッジ。モニターに映るブラックビアード艦長の黒髭が、目の前に迫りつつある巨大なデブリを指して言う。
 それは、一見、宇宙ステーションの残骸と見える物。それが連合の秘密基地として利用されているのだ。
 基礎となっているのは、宇宙開発の初期に作られた古い物だろう。巨大な箱をつなぎ合わせたような武骨な外見は、実用性以外の一切が考慮されていない。
 それに、新旧のコロニーの残骸が食い込む様にくっついている。ぶつかり合って自然に固まった様に見えるが、実際には基地の機能を上げる為に、残骸を拾ってきて付け足した物だ。
『外見は古いが、中は弄ってある。なかなか快適だぜ? しばらく住む事になるからまあ、ゆっくりくつろいでくれ』
 黒髭は、まるで我が家を紹介するかの様に言う。そんな事を突然言われて、アークエンジェル艦長のナタル・バジルールは困惑気味に問い返した。
「しばらく……ですか?」
『基地内のドックでアークエンジェルの修理を行う。まあ、その間はどうしたって動く事は出来ないからな』
 黒髭はそう答えた後、ニヤリと笑って続ける。
『その間、乗員に休みを与えてやれ。基地内への上陸は自由。施設も自由に使ってかまわん。もっとも、荒くれ共の住処だ……お上品なお客様には向かねぇ場所だがな』
「……ご厚意に感謝します」
 ナタルは一応そう答えたが、上陸許可はあまり嬉しい事では無さそうだと思っていた。
 規律正しい軍隊とはとても言えそうにないブラックビアードの拠点だ。きっと彼らにとって相応の場所なのだろう。あまり良い環境では無さそうだ。
「一つ、お聞きしたいのですが、避難民の方達はどうしたらよろしいでしょう? 慣れない艦内生活で疲れが出ています。この基地に長く留め置かれるなら、もっと安らげる場所が欲しいのですが」
 長く留め置かれそうな気配に、ナタルが気になったのは避難民の事だった。
 軍艦の中での生活。二度の戦闘。限界とまでは行っていないが、彼らが避難生活に疲れ始めているのは明らかだ。アークエンジェルと共に足止めをくらうなら、彼らにももっと安心して暮らせる環境が欲しい。
 だが幸い、そのナタルの心配はしなくて良いものであったらしく、黒髭は僅かに考える様子を見せてから答えた。
『俺達は、今回の分捕り品を本隊に届けに行く。ついでに、アークエンジェルの避難民も送っていこう。標準時間で翌○六○○時までに、民間人の移動準備を終えておいてくれ』
 軍事基地を民間人にうろつかれるのは問題がある。それに、品行方正とは言い難い場所だ。あまり見られたくない物も多い。
 それに、隠密行動ではブラックビアードの方がアークエンジェルに勝る。安全に避難民を送る任務にはブラックビアードの方がふさわしい。
 そう考えた黒髭は、親切にも避難民を預かる事を決めた。
「……了解です」
 黒髭の様々な言動から、避難民達の安全に不安を抱かないではなかったが、ナタルは一言そう言って命令を受諾した。
 しかしナタルの不安は、黒髭の事を色々な意味で信用しなさ過ぎていると言えるだろう。
 黒髭も海賊まがいであるとは言え軍人である。自陣営の民間人に手を出すつもりはない。それに、ZAFTによるヘリオポリス襲撃の生存者と言うのは、少々看板が大きすぎる。手を出せば後々面倒になるのは目に見えていた。
 心情的にも損得的にも避難民に何かをする理由はないのだ。ならば、せいぜい丁重に扱って、地球にお帰り願うのが最良だろう。
 そういった細々とした事を考える能力がナタルには備わっていなかった。そんな“青さ”を察し、黒髭はナタルを前に失笑気味に笑う。
『安心しろ。俺達は、税金納めてる奴等の味方だ』
「!? いえ、あの……申し訳ございません」
 ナタルは、内心の不安を見透かされていた事に気付き、慌てて謝罪した。
 そんなナタルの姿に、黒髭は嗜虐心を少々満足させる。美女が弱みを見せている所を眺めるのは楽しい。
 そんな満足感をご褒美に受け取って、黒髭は上機嫌で別の話をし始めた。
『そうだ。本隊に補給も申請するから、アークエンジェルが必要としている物を全部リストアップしろ。この際、多めに頼んでおけよ。それから、所属兵士のリストも提出しろ。補充要員が必要なら、リストに付記しておけ。提出期限は、同じく翌○六○○時』
「了解です」
 ナタルは、先の事もあって今度は素直にそう答える。
 素直になってきたな。後は、俺のベッドの横に入ってくれれば完璧だ。黒髭はそんな事を考えたりもしたが、流石に口に出す事はなかった。
 かわりに、ブリッジの窓から見える風景に目をやり、大仰に腕を開いて歓迎の仕草をしてみせる。
 窓の外には、基地の入り口……壁が壊れて大穴が開いているようにしか見えないが、この基地のドックが口を開いて、両艦を呑み込もうとしていた。
『さあ到着だ。俺達のアジト“アイランド・オブ・スカル”へようこそ。兵士達諸君を歓迎する』
 
 この日、アークエンジェルはヘリオポリス襲撃の時以来ようやく、戦いで疲れ傷ついた体を休める事の出来る場所へと辿りついた。