機動戦士ザクレロSEED_第29話

Last-modified: 2012-04-18 (水) 01:11:49

 今は、ZAFTで会計などやっていて、任地を飛び回る日々だが、子供の頃は、工場の側に住んでいた時がある。プラントでは珍しくもない事だけど。
 朝、工場が動き始めると、金属のぶつかり合う音が響いてうるさかった。
 その音が聞こえると、布団の中に頭を突っ込んで騒音に無駄な抵抗をした後、ついには負けてベッドから這い出て、それから食卓のある居間へと向かう。そこに、一足早く出勤した母の用意した朝食があるのだ。
 ああ、音が聞こえる。もう起きないと……起きないと……
 頬に感じた固い感触に彼女は違和感を覚える。ここはベッドではない。でも、工場の音は聞こえる……いや、ここは?
 夢の中から急速に現実へと引き戻された彼女の意識は、すぐに現状を把握した。
 ここは装甲車の中。装甲車は……そうだ、外で凄い音がしたすぐ後に、ガタガタと揺れて……記憶はそこまで。彼女自身は兵員ベンチに座したまま、頭を垂れさせていた。
「う……」
 小さく呻き、頭を上げる。途端に、身体に軋む様な痛みが襲う。シートベルトで締め上げられた所が特に酷い。擦り傷になってないと良いのだけど……と、場違いな事を思いながら装甲車の中を見やった。
 装甲車の中、兵士達の多くは兵員ベンチにシートベルトで固定されたままでいる。身じろぎしたり、呻きをあげている者が多く、動かない者もいたが気絶しているのか……それとも、死んでいるのか? 見ただけでは判別はつかなかった。
 そして、既に何人か動き出している者も居て、彼等は一様に強ばった表情で銃を固く握りしめ、一方を見据えている。操縦席の方を。
「……どうなったんですか?」
「事故を起こしたんだ……見ない方が良い」
 シートベルトを外し、彼女は聞く。聞かれた兵士は苦々しくそう言って立ち上がり、その身で視線を遮って操縦席を隠そうとした。
 それでも彼女は、何も知らない事での不安から、兵士の肩越しに操縦席を覗く。
 操縦席は、ビルに突っ込んだ後にその崩落に巻き込まれ、前後と上下に潰れていた。
 ひしゃげて中の機械類を吐き出した操縦席と、天井を破って落ちたビルの破片と、そこにいた筈のパイロットとガンナーが混じり合い、赤黒い奇妙なオブジェと化して、血混じりのオイルの池を広げている。
「!? ……ぅぐっ」
 その悪夢の様な光景と、血とオイルの混じる匂いに、彼女の胃の中の物が全て喉に迫り上がり、溢れだそうとした。
「大丈夫か!? 見ない方が良いと言っただろう!」
 気付いた時、先程の兵士が彼女の目線に割り込み、車内備え付けのエチケット袋を彼女の口に押し当てていた。
 彼女はその袋を奪う様に受け取り、何も出なくなるまでその中に吐き出す。いや、何もなくなってもなお、吐き気が止む事はなかった。
「座るんだ。今は、救助を待つしかない」
「外は……外はどうなってるんです?」
 彼女は兵士の指示には従わず、銃眼の一つに取り付く。
「よせ! 見るんじゃない!」
 兵士は制止の声を上げる。だが、彼女は外の光景を見てしまった。
 立ち上る黒煙。そして、まるで祭りの日の群衆の様に楽しそうに街路にひしめく人々……いや、暴徒。その暴徒達の中に取り残されたもう一輌の装甲車。
 横腹に大穴を開けられて燻っているその装甲車には暴徒達が取り付き、何やら蠢いていた。何をしているのか……?
 暴徒達は、装甲車の穴から中に入り、何かを運び出している。その度に暴徒達は沸き立ち、歓声や怒声、銃声を響かせた。夢の中で聞いた工場の音は、暴徒達が掻き鳴らすその音か。
 そして装甲車側の街灯。暴徒達はそこに縄をかけた何かを吊り上げていき、先に吊ってあった物の仲間入りをさせる。一端に縄を掛けられた、細長くて途中から四本に枝分かれした形の、赤黒く汚れた……
「っ!?」
 それが、首に縄をかけられたZAFT兵の成れの果てだと気付いた時、彼女は恐怖に銃眼の前から後ずさった。
 吊られたのが誰なのかなどわかりはしない。人の形をしてるから人だとわかるだけで、殴られ、蹴られ、撃たれ、刺され、切られ、焼かれたそれは男女の区別すらつかなかった。
 そして、吊り上げられた後もなお、それは棒で打たれ、銃で撃たれ、石をぶつけられ、力無くゆらゆらと揺れている。
「そ……外のアレ……みんなを……つ、吊るして……」
「わかってる。黙ってくれ。どうする事も出来ないんだ」
 兵士は、彼自身も吐き気をこらえる様な苦痛の表情で言う。
 暴徒を攻撃して止めさせる程の戦力はない。ほとんどの兵士が怪我を負って動けないし、砲塔を動かすガンナーシートは潰れている。
「わ……私達も……あんな……吊ら……吊られて……」
「だ、大丈夫だ! この装甲車はまだ装甲が保たれている! 中なら、外の暴徒の攻撃も効きはしない」
 兵士のその言葉は、自身に言い聞かせている様なものだった。
 確かに、暴徒達がこれ見よがしに持っている銃器による攻撃は効かない。破壊された車輌前部は瓦礫に埋まっていて、そこが弱点となることもないだろう。
 しかし、ロケットランチャーやミサイルの様な対戦車火器が無いという保証はない。現に、一発はあったのだから。
 それに、ハッチは全て外部から開く事が出来る。戦闘時の即応性や、緊急時の脱出などの必要から、ロックなどはされていないのだ。そもそも装甲車には、停車した状態での籠城戦など求められてはいないのだから。
 つまり、相手が小銃しか持っていないとしても、接近されてしまえばそこまでだ。
「奴らが来るぞ!」
 別の銃眼から監視をしていた兵士が叫んだ。
 もう一輌の装甲車の“中身”の処理を終えた暴徒達は、次の仕事に取りかかろうとしていた。
 最初は数人、吊り上げられた死体に集っていた群れの中から外れ、こちらにふらりと足を向ける。それに従う様に更に何人かが動く。その動きがより多くの暴徒を動かし……群れが動き出す。
 一人が走り出せば、後は全員が走り出す。群集心理に突き動かされ、ただ獲物を求めて、暴徒達は走り出す。
「動ける奴は銃眼から撃て! ハッチを開けられたら終わりだぞ!」
 装甲車の中、兵士が叫んで銃眼から銃を撃った。
 迫ってくる暴徒が数人倒れる。暴徒達は攻撃を受けた事で、恐慌を来して逃げ惑う者と、狂気に駆られて応射する者とに別れた。装甲車の表面で幾つもの銃弾が跳ねる。
 装甲車の中、頭を抱えて震えていた会計の彼女は、雨音の如く響く着弾音に大きく身を震わせた。
「応戦しろ! おうせ……がぁっ!?」
 後部ハッチ。運悪く銃眼から飛び込んだ銃弾に貫かれ、兵士が装甲車内に倒れ込み、床を転がった。その兵士は胸の辺りから血を溢れさせながら体を大きく震わせる。その溢れさせた血は、彼女の前へと飛び散り、流れた。
「ひっ……ああ……」
 赤い血。流れる血の赤さだけが彼女の目に残る。
 赤……赤い血。世界から、それ以外の色が失われた様に感じた。
 目線を上げると、灰色の世界。空虚で、現実感の無い……現実。
 ――ああ、ここは私の居る場所じゃ無い。
「帰る……」
 彼女はふらりと立ち上がり、後部ハッチへと歩いた。
「何してるんだ!?」
 別の銃眼で外に応射していた兵士が声を掛けてくる。彼女は、ハッチの開閉バーに手を掛けた。
「帰ります」
「何を言ってる!? ダメだ! 外に出たら殺されるぞ!」
 兵士が制止の声を上げる。だが、それは彼女の耳には届いても、本当の意味では伝わらなかった。
「私、会計ですよ? お仕事が残ってるんです。こんな……こんな所に居たくないの! お仕事をさせて……」
 恐怖に心を乱された彼女は、妄言を吐きながらハッチの開閉バーをひねり、ハッチを押し開ける。
「だってこんなの! こんなの私の仕事じゃない!」
 悲鳴の様に声を上げ、彼女は全てに目も耳も閉ざして走り出した。銃撃を行う暴徒達の前へと。
 が……その時、取り囲んでいた暴徒達が一斉に空を見上げ、彼女への攻撃はなされなかった。
 彼女は仲間が居る装甲車から一人離れ、そして気配を感じて振り返り、空を仰ぎ見る――

 

 空を覆うモノが居た。天空より睥睨する鋼鉄の蜘蛛。その姿を目に留めた一瞬の時が、意識の中で永遠に引き延ばされる。
 逃げる事は出来ない。彼女は察した。
 何処に逃げ場があると思ったのか? 何処に行けると思ったのか? そこにはもう絶望しか無いというのに。
 それを魔獣が教えてくれる。狂気が――喰われる。

 

 直後、魔獣から放たれた閃光が装甲車を貫き、彼女は襲い来た爆風に煽られて意識を失った……

 

 

「何故、攻撃を?」
 シグーのコックピットの中、ユウナ・ロマ・セイランは通信機に向けかって聞いた。
 通信機の向こう、ミステール1からはトール・ケーニヒの平坦な声が返る。
『敵ですよ?』
「……敵ねぇ」
 少し、影響が残っているか? シミュレーターでは散々見た異常な戦闘能力を発揮する状態のトールだが、それを実戦に使ったのは初めてだ。エルを使って戻したと思ったが、戻しきれなかったのかもしれない。
 しかし、“敵”とは……
 ユウナは無貌のマスクの下で微かに笑みを浮かべた。
 今の状況を見るに、装甲車は暴徒の襲撃を受けていただけだ。戦闘能力などなかっただろうから、装甲車の中の彼らが素敵なショーに招かれるのは時間の問題だった。
 いささか風情が無くて参加したいとは思わないが、こういう祭りを眺めるのも心が沸き立って楽しいもの……と、思考が脇道にそれた事を悟ってユウナは頭を切り換える。
 さて、その実態を知っても、果たしてトールは彼らを敵と呼べただろうか? それとも、敵と定められたもの全てを無慈悲に敵と呼ぶだろうか? 本来はもっと単純に、戦う必要のある相手のみを敵と定めて欲しい所なのだが……
「感情で敵を定めると苦労するぞ、トール君。それとも、君は“敵として存在する全て”を敵と見るのかな?」
 誰にも届かぬ様に口の中で呟いたその言葉が終わるや、それを待っていたかの様に通信機がコール音を鳴らした。通信を繋げっぱなしにしていたトールのミステール1が相手ではない。
 パイロットのレイ・ザ・バレルがそのコールサインを確認して、ユウナに告げる。
「ZAFTヘリオポリス守備隊指揮所からだね。たぶん、降伏の申し出かな」
「そうか……ま、受けようか。エル様も無駄な戦いは好かない。返信できるかい?」
 ユウナはそう返しつつ、返信をレイに促す。
「通信機はMAに繋いで置いた方が良いんでしょ? じゃ、発光信号が良いかな? モニターしてると思うし」
 レイはユウナの指示に従って、シグーに装備されたライトを点滅させるべく操作する。その動作を見ながらユウナは、思い出した様に皮肉げに呟いた。
「それにしても……通信がもう少し早かったら、あの装甲車の諸君は生き延びたかもしれないのに。惜しいねぇ」

 

 

 全身に感じる熱さと痛み。遠ざかっていくざわめきを耳が拾う。
 ZAFTの会計の彼女は、ミステール1のビームの一撃を受けた装甲車が起こした爆発に煽られて倒れ、今は瓦礫と破片の転がる路面に空を見ながら倒れている。怪我はしているが、生きていた。
 これで暴徒達の手にかかれば、彼女の運命は先に死した者達を羨む様な悲惨なものとなっていただろう。だが、ミステール1は、暴徒達にも大きな影響を与えていた。
 ビーム一発とは言え、圧倒的な破壊を至近で見せつけられた暴徒達は、まるで魂を抜かれかのた様に呆然とし、その後は一人二人と櫛の歯が抜ける様に散り散りになっていく。倒れる彼女が動かない事もあってか、注意を向ける者は一人として居なかった。
 しかし彼女は、生き延びたその喜びを感じず、死した仲間達を思って悲しむ事も無い。ただ、彼女は恐怖に震えていた。
 頭上を擦過し、装甲車にビームを打ち込んだほんの一瞬。その一瞬に見たミステール1。その姿に彼女は震える。今の彼女の中には、恐怖しか残ってはいなかった――

 

 

「タグボートとMAを全て出動させろ! パイロットが足りないなら、オーブ人に渡してもかまわん!」
 ZAFTヘリオポリス守備隊指揮所。ギルバート・デュランダルは指示を下す。
「しかし、非武装の作業用MAでも戦力になります」
「とっくに負けた戦闘だ! それより手の確保を優先しろ!」
 通信オペレーターが心配そうに声を返すのに、デュランダルは敢えて厳しい言葉を発する。
 オーブ人に渡した物が戦力となって自分達に向けられる事を恐れているのだろうが、そんなものは敗北した今となってはどうでもいい話だ。ザクレロの圧倒的な戦力が背後にある以上、オーブ人が棍棒を振りかざして襲ってきても大した違いは無いのだから。
「降伏の信号は確実に打ったのだろうな!?」
「は、はい! 通信の他に、発光信号でも降伏を申し出ました!」
 デュランダルは守備隊司令戦死の報告の直後に降伏を指示していた。確認しなければ、敗北を認めたくない兵に勝手に握りつぶされかねない……何処まで信用できない軍隊なのだと、デュランダルはZAFTの歪さに苛立つ。
 幸い、この通信オペレーターは仕事をした様だ。
「返答は?」
「まだ……いえ、たった今、鹵獲されたシグーから発光信号を確認しました。『降伏を受諾する』以上です」
「シグーから?」
 あの子……レイ・ザ・バレルはどうやら当たりを引き当てたらしい。抵抗勢力の中枢に接触が出来たか。
 デュランダルは、レイの無事と勝利への安堵と、手塩にかけたスペシャルな子のレイならばそれくらいはして当然と誇る気持ちで頷く。
「いや、状況は把握した。降伏が受諾されたなら問題無い。後は全力で、接近しつつある大型輸送船に対処しよう」
「あの、装甲車で出撃した仲間は……」
 今、このヘリオポリスに突っ込んでくる大型輸送船よりも気になるのか? いや、気になるのだろう。通信オペレーターが不安をはっきりと顕わにしながらデュランダルに聞いた。
「きゅ、救出や支援は……」
「そんな余裕は無いよ。今は無事を祈ろう」
 装甲車三両が全て撃破された事は、港湾ブロックから市街を眺める望遠映像からでも察する事が出来た。ただ、撃破されたそこで何が起こったかはわかっていない。
 デュランダルは、彼らが悲惨な末路を辿っただろうと確信を持って言えたが、それを言えば降伏に反対する人間を増やすだけだと考え、確信があるとは言え予想に過ぎない事を語る事は止めた。
 予想? 予想に過ぎないだと? 先のZAFT襲撃の前後に何が行われたのかを知っていれば……
 いや、今はそれを考えるべき時では無い。デュランダルは、不快な確信を頭の中から追い払う。
 それよりも今は、目の前に迫った現実的な脅威の対策に当たらなければならなかった。

 

 

 宇宙。ヘリオポリスへと突き進む大型輸送船。その船内。
 開け放たれた整備ハッチから伸びたケーブルが通路を長々とのたくり、別の整備ハッチへと飛び込む。それが無数になされている光景は、通る者を捕らえんとする地蜘蛛の巣を思わせた。
 仕組まれたバグによりコンピューターでの制御が行えないスラスター。それを強引にでも動かす為に、ケーブルで無理矢理つないでいるのだ。
 ケーブルによって船内の既存の回線は複雑に繋げ合わせられ、その末端にある全スラスターのon/offを、機関室に置かれた、丁字の棒が生えた箱形の押し込みスイッチ一つに集約させていた。
 スイッチとその前に待機した機関員を見ながら、機関長は通信機を使って船橋にいる船長に最終報告を行う。
「船長! 準備完了です。いつでも行けます!」
『……転進開始!』
 返事には僅かに躊躇の間があった。それもそうだろう……これは賭けなのだから。
 失敗しても、座して見送っても死を免れない賭け。成功のみが生へと繋がる賭け。それでも、躊躇しないわけが無い。自分のみならず、全乗組員、そしてヘリオポリスに住まう全ての人々の運命のサイコロを振る事に。
 だが、船長は指示を下した。
「了解、転進開始! コンター――クっ!!」
 機関長は船長の意を汲み、決めておいた声を無心で上げる。船長の意思は、迅速に遂行されなければならない。彼の数瞬の迷いと、それを断って下した決断に応える為にも。
「コンタクっ!」
 機関員が応え、全身の力を込めてスイッチを押し込む。一抱えほどの大きさがあろうと、船全体に比べればあまりにも小さなスイッチを動かすだけ……しかしその直後、大型輸送船左舷前方と右舷後方のスラスターが爆発した様に火を噴いた。
 圧倒的な力が船体を激しく軋ませ、その音は船内に大きく響き渡る。
 船体も激しく振動し、乗員のほとんどが揺れに姿勢を崩して宙に足掻いた
 これで、船体がへし折れれば、船に乗る者達はもちろん、大質量の破片を浴びる事になるだろうヘリオポリスも終わる。
 地震に見舞われたかの様な船内で、船員達は祈っていた。
 ――神がいないこの世界で、何に?
 その答は誰も知らない。
 船内には重苦しい沈黙が満ちる。誰も話す言葉を持たないかの様に。
 いつ船体が崩壊するかわからない。それを免れたとしても、回頭が間に合わずヘリオポリスに衝突する事になるかもしれない。押し潰される様な不安の中、船内に居る者達には無限とも思える時間が流れる。
 実際にも、相当の時間が経った。大質量の大型輸送船が回頭を開始するのには時間を必要としたのだ。
「回頭開始!」
 船橋。激震に揺れる中に響くオペレーターの報告に、船長は僅かに頷いた。
 大型輸送船は前進を続けつつも、その向く先を変えつつある。しかし、慣性は前進を続ける事を強いる為、その進路はなかなか変わらない。まして、大型輸送船の質量ならなおさらだ。
 そう、進路は変わりつつある。だが、それでもなお……
「本船は依然、衝突コースに有り」
 進路をシミュレートしていたオペレーターが、落胆と憔悴の色に染まった報告をあげる。
「機関室! 出力はどうか!?」
『最初から全力だ!』
 即座に船長が送った問いに、機関長が悔しげに答える。もともと機動性など有って無い様な船だ。仕方が無いでは済まされないとはいえ、限界はどうしてもある。
 早くも手が尽きたか……歯噛みする船長の耳に、オペレーターの声が飛び込んだ。
「ヘリオポリスから、タグボートやMAが本船に向けて集結中です!」
「今から押して動かすつもりか!?」
 宇宙を映すモニターに数多の光点が表示されている。その全てが、接近しつつあるタグボートやMAのスラスター光だった。それらは大型輸送船に衝突する様な勢いで突っ込んできて、船体左舷前方を中心に取り付き、その持てる推力の全てを大型輸送船の回頭の為に費やす。
 大型輸送船が持つスラスターに比して極小と言わざるを得ないそれらタグボートや作業用MAのスラスターだが、それでも数がそろえば効果が無いわけではない。
「回頭速度が先程の予想値を上回りました!」
 オペレーターが、手元に表示される数値の変動を報告した。
「再計算中。後続のMAやタグボートが全部手伝ってくれれば、予想が変わって衝突コースから外れるかも……」
 僅かな期待を逃すまいとする様に、オペレーターの手がコンソールの上を素早く動き回る。
 船長、そして全ての船橋要員はオペレーターの再計算を固唾を呑んで見守っていた。
 ――が。
「ダメだ……まだ、足りない」
 手を止めたオペレーターの声が、死刑宣告の様に船橋に冷たく響く。
 船橋が絶望に沈む。そんな船橋の沈鬱な空気を大きな警告音が引き裂いた。
「何だ!?」
「これは……大型MA、高速接近! さっき軍を蹴散らした奴です!」
 そしてオペレーターは、先程から響いている警告音の意味を告げる。
「しょ、衝突します! いえ、今……衝突!」
 オペレーターは報告を上げるが、MAの衝突といえど船橋までは何の影響も及ぼさない。だが、オペレーターの手元のモニターには、船体が受けたダメージについて、ある程度の報告が上げられてくる。
「外壁が歪んで空気の漏出が始まりました! 通路を三カ所で封鎖、気密は守られてます! あ……それと……」
 オペレーターの声に、僅かな期待の色が点る。
「回頭速度が更にアップしました。再計算を開始します」

 

 

 ヘリオポリスから、つい先だって自らが採光部のガラスに開けた穴を通過して改めて宇宙に出たミステール1。そして、それに随行するシグーは、そのまま大型輸送船へ直行した。
「大型輸送船がヘリオポリスに突っ込んでくる!? ちょ、大事じゃ無いですか!」
『だから出てきたんだよ。座標データを送るから、対象をモニターで確認してみてくれ』
 ユウナの通信に添付されてきたデータを使って、トールはモニターに大型輸送船の姿を映す。未だ遙か遠くにあれど、宇宙空間では至近距離と言っていい位置にあるその大型輸送船にトールは背筋を寒くした。
「こ……この距離で衝突コース?」
 最初にこの大型輸送船の随伴艦を撃破した時に比べ、大型輸送船はかなりの距離を詰めてきている。まだまだヘリオポリスまでは距離があるとは言え、衝突を回避するというのならもうギリギリの距離の筈だ。
「と……止めないと」
 焦るトール。そんなトールを見て、そしてモニターの中の大型輸送船を見、エルは聞いた。
「後ろで火を噴いてるのは止められないの?」
「メインスラスターを止めても、慣性で直進するんだよ。船の方は回頭しようとしてるみたいだけど、回頭してもメインスラスターが無いと進路は変わらないから、避ける為には止められないんだ。学校で習っただろ?」
 スラスターを止めたら大型輸送船も止まるのではと言う単純なエルの発想にトールは軽く説明して返す。それから、トールはユウナに聞いた。
「それで、どうしたら良いんです? あんな大きい船、壊しても……」
『どうって、押すのさ』
 ユウナは事も無げに返した。
「押すって……あんな大きい船を!?」
 いかにミステール1が強大な推進力を持つ戦闘用大型MAだからといって、大型船を押し退ける事が出来るとは思えない。
『なーに、僕らだけで動かそうってわけじゃ無い。タグボートやらMAやらを総動員して押させてもいるみたいだしね。僕らは更にもう一押ししてやるだけさ』
 通信機の向こう、ユウナは気楽そうに言ってのける。
 これが賭だという事は言わない。成功する方にユウナは賭けるしかなく、エルやトールやこのヘリオポリスにいるほとんど全ての人間にとってもそうであり、賭けをしないという選択は存在しないのだから意味が無い。
 幸い、関わった誰もが事態を何とかしようとしている様で、当の大型輸送船はもちろん、意外な事にZAFTの動きも良い。タグボートやMAを差し向けたのは良い判断だ。無駄に戦いたがる馬鹿ばかりでは無かったらしい。
 後は、ユウナやトールも出来る事をするだけだ。
「わかりました。やってみます」
 ユウナの気楽な様子に釣られた訳では無く、トールは自分の成すべき事を成せば良いと理解した事で肝が据わった。
「ミリィ。ちょっと荒っぽい運転をするから、補助席に移って。足下の床を開けたら、そこに隙間があるから」
「え? う、うん……」
 トールに言われてエルは、トールの体に掴まりながら体の上下を入れ替え、トールの脚の間に上半身を突っ込む様に移動させる。
「うわ、ミリィ! ちょ、前が見えない!」
 エルのスカートがふわりと広がり、トールの視界を遮っていた。
 視界の全てがエルのスカートの中身、健康そうな細い足の間に垣間見える小さな布きれの事で一杯になって、トールは慌ててスカートの布地を押さえて視界を取り戻す。
「ご、ごめんなさい。でも、お兄ちゃん、補助席あったよ」
 エルは、自分が見せていた姿の意味には気付かないまま、純粋にトールの視界を遮った事だけを詫びる。そして、操縦席足下の床板を開けて、そこに開いた穴を覗き込んだ。
 中は非常に狭い空間で、一応はモニターやコンソールがついているものの、操縦桿の様な物はついていない。これは、機体の試験中にエンジニアが機体の状態をチェックをする時などに使われていた名残であり、ミステール1の運用には本来不要な席だった。
 エルはトールの体の上を這う様にして再び体の向きを変え、トールの足下の補助席へとその身を滑り込ませる。下に降りた反動で捲れ上がったスカートを脚の間に挟む様に押さえつけてから、エルは補助席のシートベルトを締めて体を固定した。
「い、いいよ。お兄ちゃん」
「しゃべったり動いたりしないで、じっとしていろよ」
 頭上を見上げると、フットペダルに置かれたトールの脚の間から、エルの方を伺うトールの顔が見える。トールはエルに頷き、それから目線を上げて、操縦桿を握り込む。
 そしてトールは、チラとヘリオポリスに目をやった。
 そうだ……あそこは。
 一瞬、脳裏にヘリオポリスでの思い出がよぎる。子供の頃、家族と――カレッジに進学して友人達と――そして、ミリアリア……
 美しい思い出が、赤黒く爛れた記憶に浸食される。忌まわしい記憶が、美しい思い出を塗り潰していく。
 そうだ……あそこは……あそこは……
 断片的な記憶の中、少女の破片が微笑むのが見えた気がした。
 そうだ、あそこには、きみがいた……
「ミステール1。行きます」
 トールが抑揚の無い声で呟く。そして、フットペダルを強く踏み込んだ――

 

 

 ミステール1が行く。大型輸送船へ向かって。そしてそのまま、ほぼ減速もせずに船体へと突っ込んだ。
「僕らが利用するんだから、あまり傷はつけないで欲しかったなぁ」
 ミステール1が突っ込んだ辺りの外殻が大きく歪んだのが、後続のシグーのモニターを見てもわかる。ユウナは苦笑いをしながらそんな事を呟いた。それを聞いて、レイが悪戯っぽく笑いの色を含めて問う。
「私達もやります?」
「やめてくれ。こっちには補助シートなんて無いんだ。僕が血達磨になっちゃうよ」
 軽く返すユウナ……と、その眉間に皺が寄った。
「逃げる?」
 ユウナが見たのは、小魚の群れに大魚が飛び込んだかの様に、ミステール1が突っ込んだ周辺のタグボートやMAが動揺を見せ、その場から逃げようとする様子さえ見せた所だ。
 ミステール1が加わっても、他の連中が抜けたのでは意味が無い。それは誰にだってわかるはず……いささか過激な出現だったのは認めるが、果たして逃げなければならない事なのか?
 ユウナがそんな疑問を抱いたその時、通信機からトールの声が溢れた。
『――逃げるな! 押せ!』
 逃げ出す者が表れたのを見て、共用回線でとっさに叫んだのだろう。とは言え、そんな事で、一度逃げようとした者が戻るはずも……
 そんなユウナの考えは、その予測が外れた事によって中断させられた。逃げようとしていたタグボートやMAの内の何機かが、まるでぶつける様な勢いで再び船体へと取り付き、そのスラスターを今まで以上に噴かし始めたのだ。

 

 

 彼はZAFTの港湾要員だった。
 このヘリオポリスの危機にMAでの出動を命じられ、ミストラルを駆って大型輸送船を押しに来ている。
 中途半端な気持ち出来たわけでは無い。ヘリオポリスには、ZAFTの同僚はもちろん、、同胞であるコーディネーターも多数居るのだ。彼らを救おうという気持ちはあった。
 しかし……それが現れた瞬間、そんな気持ちは崩壊する。
 大型輸送船の船体を通して伝わった衝撃、その衝撃を起こした存在を見ようとモニターを切り替え、そして彼はそれを見てしまった――ミステール1の姿を。
「ひっ!?」
 その存在自体に心が締め上げられる。果たさねばならない任務も、守るべき同僚達の事も一切が彼の中から消え去った。
 残ったのは恐怖のみ。彼はとっさにその存在から逃れようと、無意識にMAを操作する。が……それは果たせなかった。
『――逃げるな! 押せ!』
 MAが船体から離れた直後、通信機から声が届く。その声は、恐怖心に縛られた彼の心を捕らえた。
「あ……ああ……」
 脚は踏み抜かんばかりにフットペダルを踏み込む。操縦桿に掛けた手は強ばって動かず、その行く先を大型輸送船へと向け続けていた。
 恐怖で真っ白になった心に、魔獣からの命令だけが響く。
 押さなければ…………押さなければ……押さなければ!
 機体内に警告音が響いている。スラスターのオーバーロードを知らせる音だ。止めなければ大変な事になると心の中の冷静な部分が囁く。
 ああ……でも……押さなければ……………
 彼はフットペダルを更に強く踏み込み――直後に起こった爆発の中で千々に砕かれた。

 

 

「何だ? 連中の反応がおかしい?」
 考えられない反応だ。ユウナは思考を巡らせ、モニターの中に映るタグボートやMAを見る。そんなユウナとは違い、レイは喜悦の情を顕わに叫んだ。
「怯えているんだよ! アレは、とても怖いモノだから!」
「怯え?」
 確かに、最初の動揺も、そして今見せている船を押している必死な動きも、恐怖から来るものだと言われれば納得できない事も無い。だが、それほどの恐怖をミステール1から感じるのか?
 ユウナが考え始めたその時、大型輸送船の表面でMAが一機、閃光に変わった。残された機体の残骸と煤が、そのMAが今その瞬間まで押していた船体にべたりと張り付き、そこで何があったのかを教える。
「爆発した……まさか、オーバーロードで自爆したってのかい?」
 スラスターの限界以上に船を押し、オーバーロードを起こして自爆。だが、その理由が、自己犠牲の精神からだとはユウナには思えなかった。何せ、ついさっきは逃げようとした機体なのだ。
 理解が出来なくて困惑するユウナに、レイは艶言めいた口調で声を投げる。
「わからないの? 宇宙に恐怖を撒いているのが!」
 シグーも大型輸送船へと辿り着き、こちらは緩やかな速度で接して船体を押し始める。
「恐怖だって? 君は何を言って……いや、君には何が見えているんだい?」
「宇宙を塗り潰すほどの憎悪と狂気……それが……んっ……」
 レイは操縦桿から片手を放し、その手を自分のスカートの中に入れた。レイの荒いだ息づかいの合間に甘い声が混じる。
「ぁっ……ダメ……凄く感じる……のぉ……」
「……トール君の事か!?」
 ユウナには、レイの言う事は理解できなかったが、何を指しているのかは察する事が出来た。
 この場で狂気を放つものなど、ユウナは彼の他に知らない。
 とは言え、トールの狂気とて、自身や周囲の者を破滅に引きずり込んでいく程の“ありふれた”狂気でしかないと考えていた……実際、戦渦に巻き込まれたヘリオポリスにも同程度の狂人は居るだろう。
 では、彼らとトールは何かが違うのか? それともその程度の狂気でも宇宙は塗り潰されてしまうのか?
 と、ここまで考えた所で、ユウナは思考を改めた。全ては単にレイの妄言であり、タグボートやMAの異常な行動には何か別の妥当な答があるのかもしれない。実際、そう考える方がまともだろう。
 だが……ユウナはそんな“まとも”な考えを一笑に付し、喉の奥で笑う。その押し殺した笑いは、すぐに哄笑となってコックピットの中に響いた。
「いや、何だかわからないけど、そういうのも面白いぞ! 宇宙に恐怖を撒くもの。宇宙を憎悪と狂気で塗り潰すものか! 良いじゃないか! 僕にお似合いのメルヘンだ!」
 トールが宇宙に恐怖を撒くというのなら、自分が導いて恐怖を色濃く撒かせたらどうだろう。
 トールの憎悪と狂気が宇宙を塗り潰すというのなら、自分が手を貸して更にそれを塗り広げてやればどうなるだろう。
 そんな考えでユウナは、モニターに映る星空を見渡す。この全てが恐怖で満ち、憎悪と狂気に彩られるのだ。
 星を眺めて夢を見るなんて、まるで子供じゃないか。ああ、でも、それも悪くない気分だ。
 ユウナは、宇宙の漆黒に見た夢想に心を躍らせながら、大型輸送船を押すミステール1を見遣る。
「これじゃ、もったいなさ過ぎて、なおさらこれで終わらせるわけにはいかないな。頑張ってくれよ、トール君。ヘリオポリスが守られないと、お話は始まらないんだから」
 逆に言えば、全てはここから始まるのだ。

 

 

「い……行ける。もう少しだ……良いぞ……あと少し!」
 大型輸送船の船橋。オペレーターが一人、うわごとの様に言葉を紡いでいる。
 他の者は誰一人口を開かない。ただ声なき祈りのみが船内を支配する。
「い……行け! 行け!」
 オペレーターの言葉が興奮の色を帯びていき、そしてそれを最高潮に達させて彼は叫んだ。
「越えたぁ!!」
 ――――っ!!
 船橋に――いや、船内全ての場所で人々が歓声を上げ、それ船体を通じて船を押す者達にも通じるのではと想う程に響く。
 階級も役職も何も無く、ただ人々はその事実に喜び、感謝し、それを言葉にならぬ声で現して叫んだ。
 大型輸送船はついに、ヘリオポリスへの衝突コースから外れた。ヘリオポリス市民と、なによりこの大型輸送船の乗組員達の命は守られたのだ。
「後は停船させるだけだ。それで、全て終わりだ!」
 船長は、喜びの中で叫ぶ。
 何も知らずに。何も理解せずに。
 まだ何も終わってはいない……むしろ、ここから始まるのだという事を。