黄色い塗装のメビウス・ゼロ……ラスティ・マッケンジーの搭乗機が、他でもない味方の筈のジンの攻撃によって落とされた。
ラスティを追って戦場を駆けずり回っていたミゲル・アイマンとオロール・クーデンブルグの前で全ては起きる。
戦場を駆けるラスティのメビウス・ゼロが、たまたま彼女と不仲極まりないMSパイロット達の側へと飛んだ瞬間の事だ。
奴等の内の2機が、いきなりラスティ機に銃撃を浴びせた。
止める間も、遮る隙もありはしない。元より、ラスティ機を追いかけていた位置からでは何をするにも遠い。ミゲルとオロールに手は出せなかった。
予期しない方向からの攻撃だったのだろう。ラスティ機はかわす事も出来ずにそれを浴び、機体後部を爆ぜさせている。
危険を薄々予想していたのにこれだ。何もしなかったし、出来なかった。
「まさか」「やるわけがない」
常識に足を引っ張られた……いや、それも言い訳に過ぎない。確証に至らなかったとは言え、予想は出来ていたのだから。
結果として、引き金は引かれ、ラスティは後ろ弾を受けた。
『ミゲル、撃つぞ!』
オロールからの通信。そして、オロールのジン・ハイマニューバが、ジンの小隊めがけて重機銃を撃つ。
その回避の為に、彼等は銃撃を止めた。
『何をする!?』
通信機からかえるMSパイロットの声。その声は笑いを押し殺した様で、そこに悪意が隠れ見えた。
今までの展開に唖然としていたミゲルは、その悪意に沸いた怒りで我に返る。
「何をだと? お前らこそ、何故味方を撃った!?」
即座にミゲルは通信機に怒鳴った。が、聞いても意味は無い。その理由については予想が付いたが、その真実を語りはしないだろう。そして、案の定。
『味方? ああ、モビルアーマーなんかに乗ってるから、判断出来なかったんだよ』
『モビルアーマーなんて、敵の兵器に乗ってるのが悪いんだぜ? うっかり、間違っちまった』
まるで最初から用意していた様な答が二つ返る。
『お……俺は撃ってない! 二人が勝手に……』
残る声の一つは戸惑いを見せていた。こいつをしでかしたのは、どうやら二人か。
『ミゲル! こいつ等、殺して良いか!? 良いよな? やるんじゃねーかと思っちゃいたが、本当に後ろ弾をやらかす屑だもんな!』
オロールが通信機の向こうで喚いた。その如何にもやらかしそうな声に、ミゲルは僅かに冷静さを取り戻す。
「オロール! ラスティを確保! 後退するぞ!」
ラスティ機は爆散したわけではない。
偶然か……それとも、とどめは連合機に任せようと姑息な事でも考えたか? 何にせよ、ラスティは無事である可能性が高い。
すぐ後ろに追いすがっていたメビウスは、衝突を恐れでもしたのか、とどめをさせる好機であるにも関わらずコースを変えていた。
しかし、他の機はそうではないだろう。撃墜された機体に興味を抱く者は少なかろうが、念入りにか戯れにでも撃たれれば確実にラスティは散る。
『了解……でも、あいつら、どうすんのよ?』
機動性が高いジン・ハイマニューバが、連合のメビウス部隊に牽制射撃を浴びせつつ、ラスティのメビウス・ゼロの元へと急いだ。
「ラスティの安全確保が先だ! 今は勝手にやらせておけ」
指示を返しながら、ミゲルもミサイルと重機銃をばらまき、敵のメビウスが舞う戦場に穴を開けて退路を確保する。
敵はまだ多い。だが、空間に濃密ではない。
MSの足止め、あわよくば撃破といった所だろう。積極的な攻勢には出てこない。
それに、まだラスティが掻き回した分の混乱が残っている。
ミゲルは、オロール機が先に進んだ後を進む。
『へへへ、すまなかったな。ま、代わりと言っちゃなんだが、戦功は代わりに俺が上げておいてやるよ』
『もともと、モビルアーマーの出番なんか無かったから、代わりってのは無いだろ』
調子に乗った笑い声が二つ通信機から漏れてきた。それに嫌悪と憎悪を抱きながら、ミゲルはそれを努めて無視する。
こうまでされるともう、ラスティの自業自得だなどとは言ってられない。
例え火を付けたのがラスティであろうとも、味方を撃つ事が許されるはずもない。
だが、戦闘中である以上、ここで再びの同士討ちを演じるわけにもいかなかった。
「後で譴責してやる!」
『おいおい、俺達は間違えただけだぜ? そう言ってるのに、MA女の肩を持つ気か?』
「言ってろ! その戯言を最後まで貫き通せると思うな!」
聞こえる通信に罵声で返しながら、その苛立ちをぶつけるように接近してくるメビウスの編隊に115mmレールガン“シヴァ”を撃ち放つ。
ろくに狙いもつけずに撃ったそれが当たる筈も無い。しかし、巨砲の一撃を察したようで、メビウスは回避運動の為、編隊を崩して散った。
敵はMAの性質上、一度通過した空間に再び戻ってくるまでは時間がかかる。
時間は稼げた。その間に、ミゲルはラスティ機とオロール機の元を目指す。
僅かな時間とはいえ慣性のままに進み続けていたラスティ機との距離は遠く、そう易々とは追いつく事は出来なかった。
『MA女にも穴はあるんだ。どうせ、よろしくやらせてもらってるんだろ? 頭がおかしくても、具合は変わらないってか』
『止めろよ。戦闘中だぞ……』
嫌な笑い声。それを諫める声も混じるが、どうにも力がない。
ミゲルが怒りを殺して砕けんばかりに奥歯を噛みしめていると、オロールからの通信が入った。
『ラスティ機確保! コックピット部分は無事だ。
こいつ、しっかりエンジン停止して、壊れたガンバレルを切り離してやがる。まったく、性格には難だが、腕だけは良いな』
オロールの声からは、安堵と賞賛が聞き取れる。
その報告にミゲルも安堵すると、さらにオロールの声が続いた。
『な、わけだ。そこの屑共の相手してないで行こうぜミゲル。
俺達がラスティと楽しく訓練してる間に、寂しく互いのケツを融通し合ってた様な奴等さ。
その顔の真ん中に開いたケツの穴から漏れ出す糞に一々構うなよ』
いつもの軽口……ではあるものの、その中には怒りが混ざり込んでいる。だが、オロールの言っている事は正しい。
ミゲルは、プールサイドでシャチの風船を小脇に抱えるみたいな格好でメビウス・ゼロにしがみついて戻ってくるオロールのジン・ハイマニューバに、自らのジン・アサルトシュラウドを急ぎ向かわせる。
つい先程までラスティ機は撃墜された残骸でしかなく敵の優先度は低かった。だが、オロール機が回収した事で、実質は重荷を背負ったオロール機とその重荷という形に変わる。
重荷を背負って性能低下したジン・ハイマニューバ。敵からは格好の餌食だろう。そして今、攻撃を受けたなら、ラスティ機も巻き添えとなる。
「コックピットぶち割って、ラスティだけ取り出せないか!?」
『半分の確率でラスティごと潰していいならやってみる!』
機体はともかく、ラスティだけ回収出来れば及第点。そう考えてミゲルは聞いたが、オロールからの答は芳しくない。
「わかった。そのままで脱出だ」
諦め、そしてミゲルは一番近くにいるメビウスの編隊にミサイルを放った。
ミサイルはメビウスのスラスターの熱を追って走る。が、近くとはいえ相当の距離はあり、対応する時間が有る。メビウスの編隊は、その場にフレアを撒き散らして退避した。
フレアが放つ欺瞞の熱に惑わされ、ミサイルは何もない宙を行き過ぎる。
撃ちっ放しのミサイルなど、そうそう当たるものではない。それでも、また僅かに時間を稼ぐ事は出来た。
撃墜できれば本当は良いのだが、じっくり狙って、タイミングを計って……などやっていたら、守るべき仲間が落とされてしまう。
今は適当に攻撃をばらまき、敵の牽制と、あわよくばとラッキーヒットを願うしかない。
「退路は確保する! 必要なら盾にもなってやる! 脱出するぞ!」
ミゲルは周りにメビウス部隊が居ないのを確認して、味方撃ちのMSパイロット共とオロール機を結ぶ直線上にジン・アサルトシュラウドを置いた。
流れ弾とでも何とでも言い訳して、また撃ってくる事を警戒してだ。
メビウス・ゼロとジン・ハイマニューバの装甲には期待できないが、アサルトシュラウドの追加装甲なら壁にはなれる。
『おう、任せた!
ところで、ヒロインを助けるのはヒーローの仕事じゃねぇかなぁ? いつ眠れるヒロインとまとめて火の玉になるか、ドキドキしながらベッドを運ぶのはモブには辛いぜ?
なあ、ZAFTのエース。その名も黄昏の魔弾?』
敵の攻撃を警戒しながらラスティの乗るメビウス・ゼロを押し運ぶのも大変なのだろう。オロールの愚痴混じりの戯言が返る。
「都合の良い時だけ黄昏の魔弾か? 俺はもう蜜柑色で良いよ。こんな面倒臭い思いをしなくて良いならな。
ヒーローは譲ってやるから、ヒロインへの目覚のキスでも何でも好きにやってくれ」
ミゲルの回答にも、本音と冗談が入り交じる。
エースだ何だともてはやされる事もあるが、面倒ばかりが肩にのしかかるだけで、良い事など何もない。緑服のエースなど、そんなものだ。
『ヒーロー譲ってくれるかぁ……いや、やっぱ俺もお前も柄じゃねーわ。
ヒーローだったらラスティが撃たれる前に割り込んででも防ぐだろうし、そもそもラスティと奴等を喧嘩させたまんまでいさせないだろ?
いや本当、そういうんじゃねーわ。安月給で兵隊やってんのがせいぜいだ』
「まーな」
オロールのその投げやりな言葉に、ミゲルは大いに賛同する所だった。
本当、自分らはただの兵士だし、それ以上のものにはなりたくもない。
MSに乗って、鉄砲を担いで出て行って、それで片付く仕事だけが能の筈なのに、どうしてこうも厄介事ばかりに見舞われるのか。
「それでも、真似事くらいはしないとな。ヒロインのエスコートくらいなら、兵士1と2のモブでも出来るだろ」
面倒だがやり遂げないとならない。
今のミゲルとオロールにとって、ラスティはヒロインなんてものでは当然ないが、それでも見殺しにして良い筈などないのだから。
戦況は変動する。
両艦隊は砲撃戦を継続中。互いに幾発ずつか被弾していたが、致命的な一撃はまだ両軍共に受けていない。
両艦隊の狭間、MSとメビウス部隊の戦場では、一時、メビウス部隊が攪乱され、MSの攻撃の前に出血を強いられていた。だが、今はそれも終わっている。
現在、3機編成3部隊のジンと、ラスティを回収して戦場から離脱しようとしているミゲルとオロールが、メビウス部隊と戦っていた
だが、ガモフ側の部隊の動きが悪く、またミゲルとオロールもその状態でまともに戦えるはずもなく、効果的な防衛ラインを引けていない。
ガモフ側の2部隊が動けない状況は、ツィーグラー側の2部隊への負担となって表れる。
結局、ZAFTのMS部隊は、連合のメビウス部隊の壁を抜ける事が出来ず、戦いは膠着状態となり、メビウス部隊は貴重な時間を稼ぎ出す事に成功した。
その事は結局、両艦隊の砲撃戦にも影響を及ぼす。時間は連合軍を有利にした。
「ツィーグラーに直撃!」
ミサイルの迎撃に失敗し、直撃を受けたツィーグラーの艦後方下部の装甲が砕ける。
モニターに映るその光景にガモフの艦橋はどよめいた。
「ツィーグラーが後退を打診してきています!」
「後退だと!? ガモフ一隻では支えきれんぞ!」
オペレーターからの報告にそう言い返し、ゼルマンは苦々しい表情を浮かべる。
「ええい、MS隊はどうした! 敵MAを突破して、敵艦に攻撃をかける事は出来ないのか!?」
本来なら、とっくの昔にされているべき事が、為されていない。苛立つゼルマンに、オペレーターは告げる。
「ミゲル機とオロール機は、ラスティ機を回収して後退中。他MSは完全に守勢に回っています。攻勢には出られません」
「くっ……ラスティは“誤射”だったな……」
全てはあの“誤射”から天秤が傾いた。
ゼルマンも、あれは誤射だと、撃った本人達から報告は受けている。だから今はそれを信じていた。
艦から撮れた映像では、ドッグファイトをしていたラスティに、ジン2機が射撃したという事が確認されたのみ。検証している間は無いので、それ以上の事は今はわからない。
実際に何があったのかを検証するのは、戦闘後の話になるだろう。しかしそれも戦闘後があればの話だ。
現状が続けば、自艦ガモフも致命の一撃を受ける可能性がある。
どうする? 単艦で支えきってみせるか……いっそ撤退するか?
敵に与えた損害も決して少なくはなく、それなりの時間は足止めしたと考えたい。しかし、それで十分だったかと考えると自信がない。
敵はここで叩いておきたかった。仕留められないにしても、敵にこそ撤退を余儀なくさせ、より多くの時間を稼ぎたかった。
今逃がせば、敵は連合MS輸送艦隊を再び追うだろうか? もし、敵がまだ推進剤に余裕を持っていたらならば追うだろう。追いつく追いつかないに関わらず、それは輸送艦の逃走に影響を及ぼす。
ダメか。やはり、退く事は出来ないか。
しかし、ツィーグラーにこれ以上の戦闘継続は可能なのだろうか? 後退を打診してきたと言うことは、相応の損傷を受けているのだろう。
ツィーグラーが後退するならば、後はこのガモフ単艦でこの戦場を受け持たなければならない。それは無謀だろうと察しはついた。しかし、この任務を請け負った軍人としては……
ゼルマンの思考は迷いの深みに落ちていく。答は出ない。
その間も、戦場に止まる事無く時は流れていた。
――わからない。
ガモフ所属の部隊……ラスティを撃った部隊。そのジンのコックピットの中、彼は混乱の波に翻弄されていた。
“何故、僚機は味方を撃った?”
彼と部隊を組む他2機によって行われた凶行。彼はそれを知っていた。直前に誘われたからだ。
MS同士の接触回線によって行われた密談。
彼は拒絶し、止めようとした。が、全ては実行された。
――わからない。
口喧嘩で女の子に言い負かされる。腹が立つ。
自分が命を預けるMSを侮辱される。腹が立つ。
レストランで売られた喧嘩で営倉入りになる。腹が立つ。
シミュレーターで負ける。しかもMAに。腹が立つ。
それらは理解できる。彼も同じ気持ちだ。彼等と自分は同じ気持ちだった筈だ。
だが、どうして?
口喧嘩なら口喧嘩で。侮辱は侮辱で。殴られたら、殴り返せばいい。
営倉入りは、対戦相手のミゲルとオロールも同じだ。ラスティことMA女は処分を受けていないが、そもそも彼女は殴り合いには参加してなかった。
シミュレーターで負けた事に至っては、単純に腕の差と受け止めるしかないだろう。
腹は立つ……当然だ。
でも、だから殺すだって?
同胞だぞ? 同じ艦の仲間だぞ?
世の中に嫌な奴、反りが合わない奴なんて幾らでもいる。
殺して良いとでも? そして全員殺していくのか? 狂っている!
湧いた怒りと背筋を這う恐怖に、闇雲な射撃を行う。
ジンの放った銃弾を示す火線は、メビウスを掠める事もなく宙の向こうへと消えた。
恐怖……そうだ、恐ろしい。
味方を殺そうと考え、そして実行に移せる人間と共に戦場にいる事が。
未だ、彼等は“誤射”で味方を殺そうと狙っているのだろう。
ひょっとすると、その銃口は自分に向けられているのかもしれない。彼等を怒らせた心当たりなどないが、どんな些細事でも彼等はそれを理由にするかもしれないのだから。
そんな想像に、彼は慌てて機体を操作し、視界正面に僚機を捉える。僚機は、彼の事など気にせずに戦っていた。
一瞬の安堵、そしてその安堵を塗りつぶす様に再び拡がってくる不安。今はそうかもしれない、しかし目を離した瞬間に僚機は自分を撃つかもしれない。
視界を僚機から外し、再び敵を警戒するまでには、若干の時間を要した。その隙を逃すはずもなく、敵機は彼に殺到する。
「うわああああああっ! 来るなあああああっ!」
敵機に気付いた瞬間にその数に恐慌を来し、銃弾をばらまいて壁としようとするが、敵機は臆する事無く抜けてくる。
助けてくれ。
誰に助けを?
仲間はお前を撃とうとしているぞ?
そんな事はない。味方を撃つなんて間違ってる。
でも、奴等は撃った。
そう言えば、自分は奴等が故意で撃った事を知っている。口封じ……
考えるな、戦闘中だぞ!
戦闘中だからこそ可能な謀殺だろう。
止めろ、今は敵を!
「モビルアーマー如きが俺を殺そうとしやがって!」
ジンを駆って彼は必死で銃弾を放ち、それに引っかかったメビウス一機が爆散する。だが、倒す以上に敵はおり、そして今の彼には満足な迎撃は出来なかった。
ああ、敵が! 敵が……!
助けを求めて宙を見渡す。僚機が、自分に銃を向けているのが見える――
「止めろ!?」
とっさに機体を動かして逃げた。
自分を狙ったのか? 本当の援護射撃のつもりだったのか?
実際にはそれは本当に援護射撃だった。彼の仲間に彼を殺すつもりはない。全て彼の疑心暗鬼である。しかしそれは彼にわからない事だ。
わからない。どうしたら良い?
敵が迫る。敵が包囲する。
背後には味方の銃がある。
敵が。敵が……
敵は…………誰が敵だ?
『敵の仇だが取らせてもらおう!!』
困惑を裂く、敵機の接近を知らせる警告音。それに紛れる様に共用回線から飛び込んだ敵機からの声。
モニターには、肉薄したメビウスが対装甲リニアガンを放つ所がはっきりと見えた。
一つだけ理解する。
ラスティの言っていた事の一つは間違いではなかった。モビルアーマーだって、こんなにも強い。
「もっと話を聞いても良かったな……」
台詞は脳内で組み上がるも口で発する間などなく、コックピットを貫いた砲弾に彼の思いも言葉も全てが粉微塵に砕かれた。
ガモフ側のMS小隊の一機が撃墜された。それとほぼ同じくして、ツィーグラーの船体に再び爆光が灯る。
「不甲斐ない!」
ツィーグラーの艦橋。艦長席に着く男が思わず口から漏らす。
ガモフのMS部隊。誤射で一騒動起こし、前線の負担増を招いた挙げ句がこの有様だ。
誤射というのは言葉通り信じるとして、その後のこの状況は許し難かった。
今すぐにでも叩きつけたい怒りと苛立ち。しかし、それは出来ない事ゆえ、押し殺して仕事を続ける。
「……艦の被害は? 修復は出来そうか?」
艦長はオペレーターに聞いた。
ツィーグラーは被弾している。その被害は実は深刻だった。
「……ダメです。未だに延焼中。やはり何処かで推進剤が漏れてるそうです」
「そう……か」
オペレーターからの返答に明るい要素はなかった。
艦内で火災が発生している。隔壁を閉じ、空気を遮断してなお火災が続くという事は、推進剤……燃焼剤が含まれ、真空中でも炎を上げるそれが漏れ出ているに違いない。
問題は、何処でどの規模で漏出が起きているかだ。
供給バルブを閉めるなどの対策は当然行われただろう。
なのに消えないという事は、最初に大量に流出して供給を止めてなお残った物が燃えているか、はたまたタンク本体などの致命的な部分からの漏出が起こっているのか。
こうなっては、対処のしようなど限られてくる。
「左舷推進剤タンク、緊急切り離し。投棄しろ」
「と、投棄ですか!?」
「何時、火が回って誘爆するかわからんだろ! 爆弾を抱えてる様な物だ。投棄しろ!」
オペレーターの戸惑った様な返事を、艦長は怒声でねじ伏せる。
問い返されなくとも、わかっているのだ。推進剤の投棄が、どんな意味を持つのかくらいは。
推進剤の量は、そのまま速度と航続距離に影響する。
つまり、味方に追いつけるか否か直結するわけで、この決定によりツィーグラーがこれ以降の作戦には参加出来なくなる事を意味していた。
また、敵から逃げられるか否かにも結びつく為、戦場からの撤退も難しくなる。
そう、撤退だ。
ツィーグラーは、この損傷を負ったまま、これ以上は前で戦うべきではない。
撤退。その前段階としてツィーグラーを後ろに下げ、ガモフにカバーして貰いながら損傷と戦況を見つつ、その機会を窺う腹づもりであった。
なのに、後退を打診したガモフからの返答は未だ無い。
勝手に下がるわけにも行かないと判断したのが悪く出て、ツィーグラーはズルズルと戦闘を長引かせていた。
「ガモフの動きはまだか! いつまで待たせる!」
催促をして、それでもグズグズするようなら勝手に下がってしまおうと心半ばに決め、ツィーグラーの艦長は怒声を張り上げた。
と――
激震。船体を通して響く爆音。
つい先程にも感じたのと同じ、着弾の衝撃だ。
揺れを艦長席にしがみついて耐え、オペレーターの悲鳴の様な報告を耳にする。
「後方右舷に着弾! 装甲貫通しました!」
「くたばれ、連合の豚が!」
艦長は罵声を上げて敵と運命を呪った。そして呟く。
「くそっ……怖い。死にたくない」
幸い、その言葉は誰の耳にも届かなかった様だ。
ややあって、オペレーターが報告を上げてくる。
「砲弾は右舷後方の施設を破壊。エンジンブロックにも被害が及び、推力が32%程低下しています」
「推進器が半分ダメになった。そういう事だな。そして遠からず右舷の推進剤タンクも捨てる必要が出てくる可能性が高い」
嫌な笑いがこみ上げてくる。笑い出せば、止まることなく笑い続けるだろう。それこそ死ぬまででも。
いっそ、何もかも忘れてベッドに逃げ込みたい。家に帰りたい。出来るはずもないのに。
死にたくない。
どうしてだ。どうしてこうなった。
「ゼルマン……臆病者が、連合のモビルアーマーを恐れて頭が鈍った等とは言わせんぞ」
恨み言が口をつく。
不意に、連合のモビルアーマーに怯えたゼルマンの様子が思い出されて、不愉快さは段を超えて上がった。
奴がもっと早くにツィーグラーの後退を許していれば……いや、ガモフを置き去りにしてでも後ろに下がらなかった自分の甘さが招いた判断ミスか。
くそっ! くそっ! くそっ!
今すぐにゼルマンを連れてきて、ツィーグラーの艦長席に座らせてやりたい。
しかし、現実には座ってるのは自分であり、誰であろうとその席を譲る事は出来ないときてる。
死にたくない。死にたくない。
死にたくないな……
逃げ場を探す様に、艦長の目は艦橋の中を彷徨った。無論、何処にもそんなものはない。
今なお必死で働く艦橋要員達の背中が見られただけだ。
……ああ、彼等もきっと死にたくはないのだろうな。
艦長は深く深く長く長く溜息をついた。
そして、思いの外静かな声でオペレーターに命じる。
「ガモフに通信を繋げ」
「ツィーグラー更に被弾!」
ガモフ艦橋にオペレーターの報告が上がる。
撤退か継戦かで悩んでいたゼルマンは、その報告に顔色を変えた。
判断に時間をかけすぎた……その結果が、ゼルマンの判断を待って戦っていたのだろうツィーグラーへの被弾である。
「後退もやむなしか……」
そう呟かざるを得ない。既に遅きに失してはいたが。
それでも出来る限りの事はしよう。
戦況がここまで一気に崩れるのかと、ゼルマンは歯噛みする思いをしながら、艦橋要員達に向けて声を上げる。
「ガモフは砲撃を続けながら移動。敵艦隊とツィーグラーの射線上に割り込ませろ」
せめて盾となって両艦の活路を開こうと判断したゼルマンだったが、それを遮る様にオペレーターが通信を受け取った。
「艦長。ツィーグラーより直接連絡です。艦長に通信回線を繋げます」
オペレーターの報告の後、艦長席のコンソールが通信が繋がった事を示すランプを灯し着信音を発するや、ゼルマンは即座に通信をオンにして、マイクに向けて話しかける。
「ガモフのゼルマンだ。大丈夫か?」
『こちらツィーグラー。やられた。推進器に異常が発生している』
ツィーグラーの艦長は苦々しげに答えた。
その怒りは連合に向かってはいるのだが、撤退の判断が遅れた原因であり、そもそもの戦線崩壊の原因となったMS部隊を抱えるガモフに対し、非難めいた気持ちもある。
それを感じ取りつつも、ゼルマンは自らに為せる事を探る為に問う。
「支援する。戦場を離脱できるか?」
『……無理だろう。追撃されれば逃げ切れない』
ツィーグラーの艦長は、僅かな時間を置いて答える。
それが、ツィーグラーに残された推力から計算して出た結論なのだろう。
「では、戦いを続けよう。何とか撃退を……」
『ダメだ。一緒にいれば、両艦共にやられてしまう』
逃げられないツィーグラーを庇って、戦いを続ける。ゼルマンがしようとした提案は、ツィーグラーの艦長に断られた。
『それより、二手に分かれるんだ。敵がどちらかを追うかはわからないが、片方は生き残る目が出る。敵が艦隊を更に裂いたなら、それで逆転の可能性が出てくるというものだ』
「しかし、それだと……!?」
ガモフが追われる。あるいは敵が艦隊を分ける様なら良い。しかし、ツィーグラーに敵が集中すれば、ツィーグラーは艦を守る事は出来まい。
そしてそれはツィーグラーの艦長こそが良く理解している事であった。
『そんなわけだ。後は任せる』
「何を言っている!? 死ぬ気なのか!?」
『ナチュラルでも、これぐらいはやってのける!
ましてや私はコーディネイターだ。今日の無様な戦いの恥を濯がんとする意地がある!』
ツィーグラー艦長の死を決意した叫びだった。
その決意をゼルマンは羨ましいとさえ思う。軍人として潔く散る事への憧れは、ゼルマンの中にいつも秘められていた。
いずれ、軍人として華を咲かせて死にたい。その瞬間にはどんな事を思うのだろう。
死にたい?
……ふと自分の思考に小さな疑問を抱いたが、為すべき事を前にして、深くは考えずその疑問を頭の隅に追いやる。
「わかった。ガモフは何をすればいい?」
『言わせるな。
MS輸送部隊を追え。何としても追いつき、その責任を果たせ。作戦を成功させろ!
ではな。武運を祈る』
そう言い残し、あっさりと通信は切れた。
『くたばれ』そう言ってやりたいのは抑えられた。
ツィーグラーの艦長は叩き切る様に通信を切り、納まらない気持ちにとりあえず一区切りを付ける。付けようとする。
戦況なんて一時の運だと覚めた風に思ってみても、ガモフのMS部隊の誤射や被撃墜がなければと思えてしまって納まらない。納まらない所を無理に区切る。引きずってしまう思いを断ち切る。
僅かな時間、気持ちの整理に苦労した後、それでもなお尻尾を引きずりながらも、艦長は仕事を始めた。
「オペレーター。MS部隊を呼び戻せ。一部隊はツィーグラーの直掩、そしてもう一部隊は撤退するガモフの為、敵の牽制に当たらせろ」
この糞の様な戦場の後始末はツィーグラーでつけてやる。だから、ガモフは栄光ある次の戦場へと飛んでいくが良い。いずれ、死神に捕まるまで飛び続けろ。
自分はここでリタイアだ。
「ツィーグラーは今すぐ転進。ガモフより先に済ませろ。敵の注意を引くつもりもある。全力で逃げるぞ。
それから、全乗員に脱出の準備をさせろ。最終的にこの艦は放棄する。
グズグズするなよ? 艦長が最後に降りる決まりなんだ。俺に『艦長の責任』を果たさせないでくれ。死にたくないんだ」
最後のは冗談のつもりだったが、艦橋要員達はニコリともしなかった。ただ、真面目に頷く。ギャグのセンスの無い奴等だ。
小さく溜息をつく。
「……とりかかれ」
「はい、艦長を死なせるわけにいきませんものね」
仕事に取りかかる前、オペレーターが艦長に返した。
やはり死にたくはない。しかしそれ以上に死なせたくはないと……
ZAFT側より撤退信号が出される。
偶然ではあるが、そのすぐ後にミゲルとオロール、そして回収されたラスティがガモフへ帰艦。
その後、ラスティを置いて再出撃したミゲルとオロール、ツィーグラーのMS部隊の支援を受けて、ガモフのMS部隊2機がようようやっとのていで帰艦した
その帰艦劇の最中にもジリジリと後退していたツィーグラーは、このMS部隊帰艦の段階で全力の逃げに転ずる。
それを支援するかに見せたガモフは、ツィーグラーが有る程度の距離を取った段階で、そちらとは逆方向に転進、逃走を図った。
ネルソン級宇宙戦艦“モントゴメリィ”の艦橋、艦長のコープマン大佐はその状況を見て、拾った勝利に安堵の息をつく。
実際問題、艦隊を守りきったとはいえMA部隊の損耗は激しく、またモントゴメリィ及びドレイク級宇宙護衛艦“バーナード”及び“ロー”にも多少の着弾はあり、致命的ではないものの損傷している。
ZAFTのMS部隊が十全の動きをしていたのなら、破れたのは連合艦隊の方だったかもしれない。そんな勝利だ。
だが、勝ちは勝ち。とは言え……
「ほぼ健在のローラシア級はやはり輸送艦隊との合流を目指すようです」
進路を計算した結果をオペレーターが伝えてくる。
片方の艦は撃沈寸前まで叩けたが、もう片方は仕留めていない。奪取した連合MSを輸送する艦隊に合流されると厄介だろう。
しかし、モントゴメリィはともかく、バーナードとローは推進剤が足りなく、おそらくは追撃しても追いつけない。
ならば、モントゴメリィだけでも追うか? 単艦で追ったところで、返り討ちにあうのが関の山だろう。
それに今から追った所で、単艦で輸送艦隊を追ったアガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”が、合流するその時まで無事でいるとは……
ここは、この勝利をもって、自らの役目を全うしたと思うより他無い。
「……艦隊前進。死に損ないを叩く。
モビルアーマー隊は継続して防空。敵艦の始末は、引き続き艦砲で行う」
自分達の役目を終わらせたとはいえ、それでも目の前に落ちてる手負いの獣を始末しない理由は無いだろう。
窮鼠猫を噛むという教訓を十分に意識しながらも、コープランド大佐は戦闘の継続を命じた。
敵艦の足は砕けたらしい。ならば距離を取って砲撃戦を継続する事で、MA部隊の損耗も少なく、堅実に勝ちを拾えるだろう。
これはもはや終わった戦だった。
しばらくの後、ツィーグラーはモントゴメリィからの容赦ない砲撃の前に轟沈。
燃え上がる艦からMS部隊と脱出艇が逃げた所に、連合のMA部隊が襲いかかり、脱出艇とそれを守って自由な動きのとれないMS部隊を鴨撃ちの如くに散々に叩き落とした。
無事に逃げ延びる事が出来たツィーグラーのZAFT将兵は僅かだったと言う。
こうしてヘリオポリス沖会戦の第二幕は、連合軍第8艦隊の勝利に終わる。
だが会戦は幕間へと入る暇もなく、ここより離れた宙域にて既に第三幕は始まっていた――