機動武闘伝ガンダムSEED D_SEED D氏_第九話(前)

Last-modified: 2007-11-10 (土) 21:18:30

第九話…の撮影直前、ミネルバ

シン「た…ただいま…」
一同『遅いッ!!』
シン「すんません…」(バタリ)
ルナ「ち、ちょっと何してんのよ! もう本番直前なんだから、ほら! しっかり!」
シン「ああ、紅葉が見える……マユ~待てよ~」
ルナ「ヘラヘラ笑ってあの世に行くなーっ!」
レイ「…………。師父……」
ドモン「む、今回は少しばかり気合を入れすぎたかもしれんな」
一同『少しじゃねぇ――――ッ!!』
ヨウラン「おい、マジで危なくないか? 死んだりしないだろうな?」
ヴィーノ「あ、馬鹿!」
ステラ「死ぬ? シン、死ぬ!? 死ぬはダメぇ!!」
ヨウラン「やべ! まずい!」
ヴィーノ「お、落ち着けステラ! シンは大丈夫だから」
ネオ「はい、ちょっとごめんよっと」
ヴィーノ「うわっ!?」
ネオ「ステラ、安心しろ。この坊主はそう簡単にどうこうなる奴じゃない」
ステラ「ネオ…」
ネオ「こいつはお前を守ると言ったんだろ?」
ステラ「うぇい…シン、ステラ、守るって…」
ネオ「それとも、こいつは嘘つくような人間か?」
ステラ「うぇい! シン、嘘つかない!」
ネオ「だったらお前をほっといて逝っちまうはずがないさ。信じてやれよ」
ステラ「うぇーい! ステラ、シンを信じる!」
ヨウラン「す、すげぇ、暴走ステラをあっさりと…」
ネオ「ふ、任せろ! 口と手だけは達者だっ!」
ルナ「うわ自分で宣言してるし」
マリュー「胸張って言うことじゃないわよ、ムウ…」

アーサー「本番行きまーす! 3・2・1・Q!」

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「――の野郎ッ!!」

 気配を感じ、インパルスがフォールディングレイザーを振り回す。確かな手ごたえを感じ、一気に突き刺した。
 聞きなれた金属の破砕音。霧を割って、巨大な影が倒れこんでくる。
 しかし、それと知ったシンは舌打ちをした。
「またダミーかよ……っ!?」
 背後、濃霧の向こうから数条の光線が飛んでくる。背中に数発の衝撃。視界を封じられた現状では避けきれない。
 装甲が削られ、トレースされた痛みがシンを苛む。
 慌ててダミーロボットの残骸を突き飛ばし、建物の影へと隠れるシン。しかしそこには先客がいた。
「もう終わりかい?」
 かちり、と音を立て、インパルスの額に銃口が突きつけられる。
 それと悟ったシンは、目の前にいるであろう敵を鬼のような形相で睨みつけた。
「霧に紛れて伏兵を使って…それでもチャンピオンかよ、アンタって人はぁ!」
「言ったろ? 闘いってのは非情なものなんだよ。勝つ者がいれば必ず、負ける者もいる」
 霧の中から顔を見せたのは、赤と黒のカラーリング、縦長の頭部のガンダム。
 ライフルの銃口をインパルスに突きつけ、余裕を見せてか、言葉を続ける。
「じゃあな、威勢のいい坊主クン」

 甲高い銃声が一発、夜のロンドンに響く。
 レイは足を止めた。怜悧な顔を僅かに歪め、軽く彼方を振り仰ぐ。
 
 しかしそれも一瞬のこと、再び音もなく歩き出す。
 金色の髪と白の服が、はらはらと揺れながら霧の闇へと消えていく。

 少年の背が闇に消えるや、裏の路地に浮かび上がるは一人の男。
 癖のある黒髪は風に揺れ、また赤い鉢巻の尾も静かにたなびく。赤いマントを羽織ったままに腕組みをし、
 真っ直ぐにこちらに向けるは切れ長の目。鋭い光を宿した黒い瞳は強靭な意志を感じさせる。
 どこかで見た格好であるが、彼は我々のよく知るあの少年ではない。
 誰あろう、語り部たるドモン=カッシュその人である。

「さて…あってはいけないことが起きてしまった。シン=アスカは敗北を喫してしまったのだ。
 相手の名はムウ=ラ=フラガ。『エンデュミオンの鷹』の二つ名を持ち、かつてネオイングランドの
 ジョンブルガンダムを三度も優勝させたガンダムファイト史上最強の男だ。
 そして時期を同じくし、ネオフランスのファイター、レイ=ザ=バレルもまた、彼を探してこの街にやってきた。
 果たして年若き少年達は、この英雄に打ち勝つことが出来るのだろうか?
 それではッ!」

 ドモンがマントをばさりと脱ぐ。
 下から出てきたのはピチピチの全身黒タイツ、即ちファイティングスーツだ!

「ガンダムファイトォォ! レディィ…ゴォォォ――――ッ!!」

 第九話「強敵! 英雄『エンデュミオンの鷹』の挑戦」

 霧の都ロンドン。しかし実際には、霧が見受けられなくなって久しい。
 元々この地の『霧』は、工場の煙に含まれる有害物質が原因でできたスモッグのことである。
 技術の進歩と環境への配慮が重なり、旧世紀には既に『霧』は消えていた。
 地球の技術レベルが低下している今も、かつての産業革命時代ほどの工場の乱立が起こっていないために、スモッグは発生していない。

 そう、普段であれば。

 ロンドンの一角、街を見渡せる小高い丘に、レンガ造りの大きな屋敷がある。
 夜だというのに明かりは浩々としている。繊細な細工を施されたシャンデリアには闇を払わんとばかりに光が灯され、
 床に敷かれた赤い絨毯は光を受けて優雅に黙する。
 周囲に配置された家具はどれも一級品であろう。そしてこの部屋に立つ人々もまた、下賤な身分とはかけ離れた者たちである。
 カードに興じる男達。それを見守る女達。全員が盛装してはいるが、ネオフランスの迎賓館ほど華やかでもない。
 女達が着こなすのは、ふわりと広がるパーティードレスではなく、しっとりとしたシルクのローブ。
 男達もまた全員が背広姿で、静かな威厳を見せている。
 ここがフォーマルな場であることを意識しているのだろう。立ち居振る舞いも、外の浮浪者とは違う。
 大声も出さなければ、負けたからと言って泣きもしない。あくまで穏やかに、そして真剣に。この場には暗黙のルールがある。
 その中に一人、異質な男がいた。

「スリーカード」
 すっと自分のカードを卓に広げる。誰からともなくどよめきが広がった。
「おお…またフラガの勝ちだ」
「しかし強すぎる。またイカサマをしているのではないだろうな?」
「昨日の今日でそんなわけあるかよ。俺には幸運の女神様がついてるのさ」
 口の端を歪めるその男。整った顔立ちではあるが、美しいというより愛嬌のある顔である。
 顔面を横切る大きな傷痕は掻い潜ってきたであろう幾多の修羅場を想像させるが、口元といい目つきといい、
 どうにも軟派な雰囲気が拭えない。セミロングの金髪に青い瞳、背広に包んだ細身だががっしりした体つき。
 屋敷の主であるこの男、名をムウ=ラ=フラガという。
 彼の言葉に苦笑する女ディーラー。ドレスではなく固いスーツに身を包んではいるが、
 目を見張るほどの大きな胸が強調されており、十二分に男の目を惹きつける。
 栗色の長い髪を背中に流した彼女の名はマリュー。ムウの妻であった。

「ふむ…ではもう一度」
「やめておいたほうがいいと思うけど? 何事もほどほどにしとかなきゃ」
「一理ある。が、私もこのまま引き下がっては我が家名に傷が付くのでな」
 そう答える相手の目は真剣だった。
 ムウは呆れたように一息ついて、マリューに頷いてみせた。マリューは少し困ったように笑って、カードを切り、回す。
 かちりと柱時計の針が動いた。二本の針が八時ちょうどを指す。ごおん、ごおん、と鐘が鳴り響いた。
 どうしてかこの古い柱時計は、示す時間より一つ多くの鐘を鳴らす。
 壊れているのは明白だが、特に困ることはないからと、ムウは修理を頼むことはしていない。
 九度目の鐘が鳴り、その余韻も消えかかった頃――
「うん?」
 何かに気がついてムウは部屋のドアを振り向いた。手にはカードを広げたままだ。
「どうしたムウ?」
「いや、『また』お客さんが来てるみたいでね。入ってこいよ!」
 しばしの後――

「さすがに分かるか。ムウ=ラ=フラガ」
 氷のように冷ややかで鋭い声。同時にドアが静かに開かれる。そこにいたのは金髪碧眼の美少年。
 白を基調とし、諸所にフリルのついた服。肩の青いガーダーはシャンデリアの光を照り返す。
 何より特徴的なのは腰の細身のサーベルであろう。旧世紀の銃士を髣髴とさせる、
 一目でネオフランスの人間と分かる服装であった。
 少年は優雅に一礼する。フリルが揺れ、はらりと金の髪が一房こぼれた。
「夜分に失礼する。俺はネオフランスファイター、レイ=ザ=バレル」
「こりゃ丁寧にどうも」
 対してムウは、ほんの少し肩をすくめた。
「ムウ=ラ=フラガ。貴公にファイトを申し込む」
「後にしてくれないか? 今、大事な勝負の途中でね」
「それでは終了まで待たせていただこう」
「やめとけ、朝までかかるかもしれないぜ。泊まっていいから、今日は先に寝とけよ」

 驚いたように、一瞬だけレイは目を見開く。しかし部屋の人々をちらりと見回すと、
 皆が好奇か、あるいは不快の目を己に向けているのが見て取れた。
 場の空気をわざわざ乱すのは、レイの思うところではない。
「では、明日に?」
「ああ、明日」
 流れるような動きでレイは一礼し、部屋を出た。
 見送った部屋内の一同は、何事もなかったかのようにカードを再開した。

「初対面の人間に向かって、泊まっていい、とは…」
「ええ。おかげで私の苦労も絶えません」
 前を歩く執事が苦笑交じりに答える。
 レイを遊技場へと案内し、今また寝室へ案内してくれているこの執事。彼は若いという以外、特徴のない男だった。
 青ばんだ短い黒髪に黒目、中肉中背。どこにでもいるような平凡な顔。
 美男でもなく、醜くもなく、鍛えているわけでも弱々しいわけでもない。
 カリスマの塊と言えるデュランダルを見慣れているレイにとっては、逆に新鮮に思えるほどの平均的な男であった。

「客人は屋敷に泊まっていただくのがこの家のルールなんですよ。しかし無尽蔵に客室があるわけでもありませんので…」
 執事が足を止め振り向いた。脇には、これもまた飾り細工を施された一つの扉がある。
「ですからバレル公、申し訳ありませんが本日は相部屋となります。ご不満であれば街の宿を取っていただくほかありませんが…」
「野蛮人でないなら誰が一緒でも構わんさ」
 執事は苦笑した。邪魔にならないように一歩下がる。
 レイはかすかに扉を開けて――

「こぉぉの馬鹿シン!!」
「だからあれは仕方ないんだ…ってぇ、殴るなよ! 俺は怪我人だぞ!?」

 迷わず閉めた。執事を振り返る。
「別の部屋は空いていないのか?」
「残念ながら」
 分かっているのかいないのか、執事は苦笑を浮かべたままだった。

 古風な木のベッドに横たわる傷だらけの少年。やはり木製の椅子に座って彼を看病している赤い跳ね髪の少女。
 どちらもレイには見覚えがあった。あまりいい思い出はないが。
「レイ!?」
 ベッドの少年が気付いて声を上げる。それに弾かれたように、少女もこちらを振り向いた。
 部屋に入り、ドアを閉め、あらためてレイは溜息をつく。
「久しぶりだな。シン=アスカ、ルナマリア=ホーク。出来ることなら会いたくなかったが」
「ちょっと、いきなりそれって失礼じゃない!?」
 レイはルナマリアの声を無視して部屋中央のテーブルに向かい、椅子に腰掛ける。背もたれが軽く鳴く。
「前回のファイトを根に持ってるわけ!? こっちはアンタんとこの議長に振り回されたのよ!?」
「議長を危険に晒したのはどこの誰だ」
「うちの馬鹿とそっちの議長自身ね」
「俺のせいかよ!?」
『お前(アンタ)はもっと自覚しろ(しなさい)!!』
 二人に同時に突っ込まれ、さすがのシンも怯む。

 ちなみにそのころネオフランスの議長はといえば。
「タリア、君達はレイを追いかけなくていいのかい?」
「ええ、ネオイングランドだけは一人で行かせてほしいと頼まれましたので。それに貴方が勝手にどこかに行かないように監視も」
「はっはっは、心配性だね君達は」
「前科を作っておいて何を言いますか」
 地上ネオフランス迎賓館のバルコニーで、タリアと二人、ワイングラスを片手に北西の夜空を眺めていたりする。

 さてこちら、場面戻ってネオイングランドのフラガ邸。
「大体今回だって一人で突っ走ってコレじゃない! いい加減学習しなさいよ!」
「あれは俺のせいじゃないって言ってるだろ! 奴が卑怯なだけだ!」
「卑怯なら卑怯でその前に気がつくことも出来るでしょ! 馬鹿みたいに正面から当たってたらいつか砕けるわよ!」
「そうか、まだ猪突猛進癖は治っていないのか。やはり会いたくはなかったな」
「お前も乗るなよ! こっちの事情も知らないくせに!」
「なら、教えてもらおうか」
 す、と氷の瞳が流れ、シンの赤い瞳を捉える。
 雰囲気が変わったのを見て取ったか、ルナマリアも黙った。
 シンは傷だらけで、頭にはいつもの赤鉢巻の代わりに白い包帯が巻かれていた。
 布団の上に出ている腕にも包帯が巻かれており、頬にはガーゼも貼られている。
 口論――じゃれ合いと言った方が良いか――が出来るほどには元気のようだが、やはり気になった。
「お前ほどのファイターがここまでやられるなど、並の相手ではあるまい。
 やはり老いたりとは言え百戦錬磨のベテランファイター、『エンデュミオンの鷹』か」
「…………」
 ぷい、とシンは壁を向く。
「ちょっと、シン」
 たしなめるようにルナマリアが声をかけると、渋々ながら、再びシンはレイを向いた。
「あいつはファイターじゃない」
「何?」
 眉をひそめるレイ。
「あいつは、悪魔に魂を売ったんだ」

 シンの話を要約すれば、こういうことだった。
 ファイト中に霧が発生し、それにやられてかセンサー類が全て機能不全に陥った。
 メインセンサーさえ働かなくなり、盲目のまま闘うことになった。
 さらにムウは霧に紛れてダミーMSを多数配置し、一対多で攻めて来た。シンを追い込み、疲れさせ、そこを狙ってきた。
「……そんな陰湿な手を使うというのか、ムウ=ラ=フラガは」
 ざわりとレイの気配が変わる。目は底冷えするほど険しくなり、心の底から憤っていると見て取れた。

「ムウ=ラ=フラガ、ネオイングランドの英雄、どんな時にも正々堂々王者としての貫禄を見せ付ける――
 そんなのは評判だけだ。奴はファイターの風上にも置けやしない下衆だよ」
 吐き捨てるシン。ルナマリアは、先程までの剣幕はどこへやら、一転して心配そうにシンを見やっている。
「下衆…か」
 ぽつりと呟き、目を伏せるレイ。と、何かに気付いたように顔を上げる。
「それではお前は、負けたのか」
「負けちゃいない!」
 シンは激しい剣幕で上体を起こしかけたが、途端に顔を歪める。
「馬鹿、自分の体のこと考えなさいよ!」
 ルナマリアはシンの頭を枕に押し付け、再び強制的にベッドに寝かせた。すぐさまガーゼで彼の額の汗を取る。
 苛立ったようにシンはルナマリアを睨んだが、ガーゼの感触は素直に受け入れられるものだったらしい。
 ゆっくりと目を閉じ、息を整える。そんな二人を、レイは黙って見ていた。
 ややあって落ち着いたのか、再びシンは口を開く。
「確かに勝負には負けたさ。だが、あいつは最後の最後で、俺にとどめを刺さなかった」
「何?」
「奴は俺を撃てたんだ。なのに、あいつの弾は俺の頬をかすめただけでさ」
 自分も不思議だと言わんばかりに、シンは続ける。
「そのまま俺を放っといて、霧に消えていったんだ。しかもなんか苦しそうだったぜ」
「ふむ」
 一つ唸るレイ。
 ごぉん、ごぉん、と遠くから柱時計の鐘の音が響いてくる。鳴った数はちょうど十。
 レイは懐に手を入れ、懐中時計を確認した。ちょうど九時だった。
「あいつ持病でも持ってるのかな?」
 特に鐘の音を気にせず、シンが呟く。
「でも、ムウ=ラ=フラガが病気持ちなんて聞いたことないわよ?」
「開示されている情報が全てとは限らん」
 言いながらレイは懐中時計をしまいこんだ。代わりというわけではないが、携帯用の薬箱を取り出す。
 それを見止めたシンとルナマリアは、少し驚いたようだった。
「なんだよ、お前も病気持ちか?」
「ああ、生まれつきな。委員会には教えていないが」
 レイは何でもないことのように答え、慣れた手つきで蓋を開けた。カプセルを一つ、水なしで飲み下す。

 屋敷に静寂が訪れるのは、全員が寝静まった後だ。
 薄暗く明かりを落とした寝室のテーブルで、ムウは苦しげに息をついていた。
 手先を小刻みに震わせながら薬瓶を掴み取ると、カプセルを一つ取り出し紅茶で飲み下す。
「かなり量が増えているわ。もうやめた方が…」
「心配するなよ、マリュー…俺は不可能を可能にする男だぜ…?」
 傍らで焦るマリューに笑ってみせて、さらにムウは紅茶をあおる。
「けど…」
「大丈夫だって。この大会が終わるまでさ…」
 紅茶を飲み干し、ムウはカップをソーサーに置く。喉の異物感がなくなり、体が軽くなっていく。
 岩が乗っていたかのような頭の痛みも嘘のように消え、感覚が冴え渡る。
 ほうっと一息ついて、背もたれに身を預けた。椅子が小さく鳴いた。
「終わったら火星にでも行こうぜ。あっちはここより温暖で、過ごしやすくなってるそうだ。
 うるさい周りもいないだろうし」
「そう…ね…」
 夫の笑顔に、少しだけ潤んだ目で体を起こし、マリューは頷いた。自身もゆっくりと椅子に座る。
「ねえ、あの子達」
「ネオフランスの坊主クンかい?」
「ええ。それとネオジャパンのあの子も。午後のティータイムに誘ってもいいかしら?」
「あ、気に入ったんだ、お前も」
「気に入ったっていうより、放っておけないのよね。あなたと似てて」
「おいおい、そりゃ俺が子供並みって言いたいのか?」
「冗談ばっかり。分かってるんでしょ?」
 マリューは笑顔だった。だが瞳は濡れている。
 シャンデリアから洩れる僅かな光を照り返し、マリューの瞳は橙の輝きを浮かべていた。
 ムウは虚を突かれたように、しばし妻を黙って見ていた。しかしそのうちに了解したか、長い溜息をついた。
 
 部屋の壁には、全部で五枚のセピア色の写真が額縁に入れられ飾られている。
 一枚目は背広姿の金髪の壮年。ムウに似てはいるが、こちらは静かな威厳を漂わせている。
 目元もムウのように緩んではおらず、厳しく引き締められている。
 その隣は、若かりし頃のムウ。髪は短く、目元も幼い。未だ顔の傷跡もない。
 さらに隣の三枚は同じ場所を写したもの。一枚目は虚しく風の吹きぬけるような焼け落ちた骨組み。
 二枚目は木製のこじんまりとした小屋。三枚目は今の、レンガ造りの屋敷の外観。
「あんな坊主どもがガンダム乗りだなんてな…。時代は流れてるってことか」
 吐息と共に言葉を紡ぐと、そっとマリューが手を重ねてきた。
 振り向けば、彼女は優しく、しかしどこか儚げに微笑んでいた。
 何の言葉を返すこともなく、ムウもまた妻に微笑みを向けた。
 マリューの手は温かい。その分、己の手の中の薬瓶が、やけに冷たく重く思えた。

 翌日の午後、あの執事に連れられ、レイとシンとルナマリアは屋敷の応接間へと足を運んでいた。
 旧世紀から続くネオイングランドの伝統、三時のティータイム。それに三人が呼ばれたのである。
「まったく、体力だけは人一倍なんだから」
「少しは復帰したこと喜んでくれたっていいだろ、ルナ」
「体力馬鹿は頭が足りん。世の常だ」
「キザ野郎は打たれ弱いってのもな」
「俺のどこがひ弱だと?」
「へえ、自分がキザだって自覚はあるわけか」
「少なくとも野蛮な馬鹿でないのは自覚しているな、お前と違って」
「何だと…」
「ちょっと、廊下のど真ん中で睨み合わないでよ」
「あなた方は、仲が良いのか悪いのか理解に苦しみますね」
『余計なお世話だ(です)』
 などと言葉を交わしながら、着いた応接間は昨日の遊技場である。
 
 カードの卓となっていた大テーブルは今は綺麗に拭かれ、塵一つない見事な様となっていた。
 既にフラガ夫妻は席についていて、四人の到着を笑顔で待っていた。
「ありがとう、ノイマン」
「はっ」
 微笑むマリューに一礼し、執事が身を退ける。
(ノイマンって名前だったんだ)
 小声でルナマリアが呟いた。が、レイとシンは言葉を返さない。既に二人の意識はムウに向けられていた。
「怖い顔しなさんな。好きにかけなよ」
 笑みを含んでムウが言う。
 レイは静かに、シンは大股に、ルナマリアはパートナーの挙動を気にしつつ――何をどう怒り出すか分からないので――
 三人並んで席に着いた。フラガ夫妻とは向き合う形だ。
 ノイマンがティーポットを携え、紅茶を五人のカップに注いでいく。
 そのティーセットもまた、花と蔦を模した美しい細工と塗装が施されていた。
「いい香り…」
「ありがとう。ウェールズのものなのだけど、気に入ってもらえれば何よりだわ」
 ルナマリアの感嘆に、マリューがにっこり笑う。自分の呟きが聞こえていたことにか、ルナマリアは顔を赤くした。

「それじゃ…いただきます」
「どうぞ、お嬢さん」
 ゆっくりとカップを口元に持っていくルナマリア。
 対してレイもシンも動かない。
 ムウは自分の紅茶が入ると、カプセルを一粒割って、中身を紅茶に入れてかき混ぜた。
 レイが目を見張った。
「どうした? 坊主クン達は飲まないのかい?」
 カップを手に持ち、何気ない調子で問いかけるムウ。
「ネオジャパンの子には、紅茶より玉露の方が良かったかしら?」
 笑顔を崩さずに言うマリュー。
「生憎、人に親切にされるのは慣れてな…あぁぁっ!!」
 嘯くシンの足を、テーブルの下でルナマリアは思いっきり踏みつけた。
 シンは目を剥いてルナマリアを睨みつけるが、彼女はどこ吹く風で紅茶を口に含む。
 その様子をにこやかに見ながら、ムウも一口紅茶をすすった。そうしてカップを置いて、三人に笑いかける。
「別に毒なんて入ってないよ?」
「そういう問題ではない、ムウ=ラ=フラガ」
 レイが口を開いた。
「我々はここにファイトをしに来たのだ。正々堂々、騎士道に乗っ取ったガンダムファイトを」
「ファイト…ね…」
「何か?」
「どいつもこいつも、ファイト、ファイト、ファイト……」
 小さく俯き、含み笑いをするムウ。レイは真っ直ぐに彼を見据えた。
「何がおかしい?」
 傍らのシンも、苛立ちをむき出しにして食ってかかる。
「いやねぇ、若いってのはいいことだと思ってね」
 顔を上げたムウは、笑っていた。気持ちのよい笑顔ではない。多分に哀れみが含まれた、上の立場からの笑顔。

「自分の可能性だけを信じて突っ走れる。未来のことなんてこれっぽっちも考えずに、上を目指して、
 ひたすら敵を倒して…それで満足できる」
「何が言いたいんだよ」
「若さってのはいつか朽ちるものだってことさ」
 ムウは笑みを消した。
「どんなにのし上がっても、上には上がいる。どこまで行ったって果てはない。それを悟ったときは、もう手遅れだ」
「だから昔にしがみつくのかよ。卑怯な手を使ってまで、若い頃の栄光を取り戻したいってのかよ!」
 シンは思い切りテーブルを叩き立ち上がった。紅茶が揺れてソーサーにこぼれる。
 ルナマリアは焦ったように、シンのマントの裾を引っ張った。しかしシンには、彼女のサインに従うつもりはない。
 燃えるような目でムウを見ている。レイもまた、凍りつくような目線をムウに向けていた。
 マリューは聞くことすら辛そうに目を伏せている。ノイマンは無表情のままティーポットをテーブルに置いた。
 しかしムウは薄笑いすら浮かべている。
「若さ故の過ちって言葉を知らないらしいな」
「何だと?」
「お前こそどうなんだ、坊主。そんなに闘いたいのか? 何のために? 俺を倒して新しい英雄にでもなりたいのか?」
 ぎり、と奥歯を噛み締めるシン。しかしムウは飄々と口元にカップを傾け、シンの焼け付くような怒りさえ受け流す。
 
 胸が痛くなるほどの緊迫感の中、レイは静かに口を開いた。

「アル=ダ=フラガ、か」

 ムウの顔色が変わる。
 一気に空気が張り詰めた。シンは毒気を抜かれたように――もしくは勢いを殺がれたかのように、レイを見やった。
 レイは氷柱の如く鋭い視線を冷たくムウに突き刺している。
 シンはばつの悪い顔をして、元通り椅子に座った。
 
 かちりと一つ、時計の針が音を立てる。