機動武闘伝ガンダムSEED D_SEED D氏_第八話(前)

Last-modified: 2007-11-10 (土) 21:17:49

ミネルバinロッキー山脈

ルナ「ひゃー、高いわねー」
ステラ「うぇーい! 滝! 滝! シン、行こ!」
シン「あ、待てよステラ!」
レイ「ギアナ高地もマイナスイオンの宝庫だったが、ここもなかなかいいものだな。体が癒される」
ヨウラン「ずっと廃墟だの室内セットだのでやってたからな、さっさと終わらせてハジけようぜ!」
ヴィーノ「よしきた!」
ドモン「お前たち、浮かれてばかりもいられんぞ」
シン「どうしたんですか、師匠?」
ドモン「あれを見ろ」

サトー「よし、分かった。つまり自然体でやればいいのだな」
アビー「その通りです。思い切り憤りをぶつけてください」
サトー「承知ッ!」

ステラ「あのひと、怖い…」
シン「すげぇ気合入ってる…」
ドモン「うむ、動作の一つ一つに切ないまでの感情が込められている。あの気迫、危ういが強烈なのは確かだ。呑まれるなよシン、主役はお前なんだからな!」
シン「はい、師匠っ!」

アーサー「本番いきまーす! 3・2・1・Q!」

************************************************************

 ネオカナダ、ロッキー山脈。
 北アメリカ大陸最大の山脈、そのとある中腹に、一つの山小屋がある。
 丸太で作られ、防寒のため二重窓にしてある、典型的な北国の小屋。深い緑の針葉樹林と白い朝靄に囲まれ、静かに佇んでいる。
 丸太で組まれた壁の際には薪が積まれ、煙突からはゆるゆると煙がたなびいていた。
 コロニー育ちの人々が見れば、童話の中の小屋と思ってしまうだろう。
 周囲には雑音はなく、白い朝靄に包まれた森の小屋は、確かに幻想的な長閑さがある。

 しかし、扉を開けて小屋から出てきた一人の男の姿が、穏やかな印象をいっぺんに吹き飛ばしてしまった。
 顔を横切る大きな傷。筋骨隆々の体。全身から発する殺気。
 男は薪と斧を取り上げ、手馴れた動きで岩に腰掛けると、薪を割り始めた。
 切り株に薪を乗せ、斧を木目に当てる。そうして斧を振り上げた瞬間、男の殺気はより強まる。
(アラン、クリスティン…! もうすぐ、お前達も、俺も!)
 固い音が辺りに響き、消えていく。
 この界隈には雑音がない。鳥の鳴き声、獣の気配すらない。皆、この男の殺気を感じ取り、息を潜めているのだ。
 こん、こん、からからり。
 薪割りの音だけが、ただただ響く。男の空虚な心をそのまま映すように。

 薄暗い無人の小屋。机の上にはフォトスタンド。セピア色の写真にあるのは、家族という幸福の残滓。
 優しげな少年。太陽の如く笑う女性。傍らには未だ傷を持たない男。
 彼らの幸せそうな姿の隅には、小さく文字が捺されている。
 ――F.C.55、宇宙警備ステーション『ユニウス7』にて――

「さて… 今日のガンダムファイトは、五年前の事件が始まりのようだ。
 だが、一体何があったのか、これがシン=アスカとどのように結びついていくのか。
 また、デビルフリーダムと共に地球に落ちた義兄キラの手がかりを掴む事が出来るのか。
 全ては今日の対戦相手、ネオカナダのランバーガンダムとの結果次第…」

 ドモンがマントをばさりと脱ぐ。
 下から出てきたのはピチピチの全身黒タイツ、即ちファイティングスーツだ!

「それではッ!
 ガンダムファイトォォ! レディィ…ゴォォォ――――ッ!!」

  第八話「仇は討つ! 復讐の宇宙刑事」

 大自然の前には、人は小さな存在だ。
 ネオカナダの名所、ナイアガラの滝。大瀑布という言葉さえ生ぬるいほどの威容は、見る者を圧倒し、己の存在の矮小さを知らしめる。
 幸い、ここはガンダムファイトの場所には未だなっていないようで、地上では珍しく、旧世紀の様相をそのままに残していた。
 深い緑の針葉樹林。ごつごつとした岩場、しかし遠目から見れば素晴らしく調和した傾斜、滑らかな絶壁。
 自然の生み出した芸術の前には、人はただ頭を垂れるしかない。
 
 ……が、しかし、この二人は相変わらずであった。
「どうしてよ! せっかくナイアガラに来たんだから、少しは楽しんだっていいじゃないの!」
「冗談じゃない! 俺の目的はネオカナダのガンダムだけだ! 観光に来たんじゃない!」
 ネオアメリカチームが聞けば赤面しそうな言葉である。
 レインコートを着て準備万端のルナマリアに、いつも通りの格好のシン。二人はわざわざ観光用の展望台にまで来て口論していた。
 轟々と凄まじい爆音を立てるナイアガラの滝を目の前にしても、ルナマリアとシンは臆さない。
 むしろ滝の音に負けじと双方声を張り上げる。
「何よ、その言い方! 疲れてるみたいだったから、ちょっとは気分転換を、って!」
「余計なお世話だ! ったく、わざわざ引っ張ってくるから何かと思えば!」
「いーわよ! アンタがそのつもりなら、もう口利いてあげないんだから!!」
「はっ、絶交か? いいよなぁお前は、それで済むんだからな!!」
 その言葉を聞いて、ルナマリアははっとした顔になる。
「ご、ごめん…」
 肝心な呟きは、滝の音に掻き消されてしまう。
 
 苛立っているのはネオメキシコの空振りのせいだろう、とルナマリアは承知している。
 期待しないようにと思った矢先にニアミスがあったのだ。普段よりも受ける精神的ダメージは大きい。
(結局コーヒー飲んでくれなかったし…)
 だからこそルナマリアはここに連れて来たのだ。もろにリバウンドとなり、以前以上にささくれ立ったシンが、
 ひとときでも己の宿命を忘れられるように。
 しかし。
「でも、あたしだって気を使って…!」
 それを口にしたのはまずかった。
「うるさい!!」
 心底煩わしい、とばかりに腕を振るシン。赤い瞳がぎらついている。
 それでも何か言い募ろうとしたルナマリアに、シンは決定的な一言を放った。
「お前とはここまでだ! あとは俺一人でやる!」
 その瞬間、何かがルナマリアの中で切れた。
「いいわよ。やれるもんならやってみなさいよ馬鹿! あたしだって好きでパートナーになったんじゃないんだから!!」
 腕を組み、ぷいと背を向けてしまう。
 シンも鼻を鳴らして、いつものようにマントを翻し、展望台の階段を下りていってしまった。

 そんな痴話喧嘩には関わりなく、ナイアガラの大瀑布は轟音と共に流れ続ける。
 一人残ったルナマリアは、滝を見上げた。充分に遠いはずなのに滝の飛沫は、冷気を伴ってうっすらと届いてくる。
 徐々に頭を冷やされたルナマリアは、展望台の手すりにもたれかかり、癖になりつつある溜息をついた。
 そのまま両手で頭を抱える。
 今日は気分転換のつもりだったのに。
「どうしてこうなっちゃうんだろ」
 どうどうと流れる大瀑布は、人間の呟きなど気にも留めない。
(メイリン、どうしてるかしら…)
 遠いコロニーにいるであろう妹を探すように天を仰ぐ。青空に、癪に障るほどのんびりと白雲が漂っている。
 ルナマリアはまたも溜息をついた。一体ファイトを開始してから幾度目になるだろう。
 自分のこれはホームシックというわけではない、と思う。ただ気兼ねなく愚痴れる相手が欲しいだけだ。
 ナイーブなパートナーでも、マッドな整備士でも、変態仮面上司でもイヤミな政治家でもない、普通の相手が。

 シンはシンで、腹立ち紛れに肩を怒らせ展望台を下りていった。
 気遣いだろうが何だろうが、今は何もかもが気に障るのだ。
 こういうときはさっさと相手を見つけて殴って憂さを晴らすに限る。
 自分が負けるかもしれないなどとは欠片も思っていない。最も、自信のないファイターなど底が知れている、と言えばそれまでだが。
 しかし、自信と傲慢とは別物なのだ。
 殺伐とした気配を隠そうともせず、激流の縁を歩いていくと、横手の林からがさりと音がした。
 この音は、獣ではない。口元を歪め、シンは身構える。
 予想通り、針葉樹林帯を抜けてきたのは人間だった。ただし、熊とも見紛うような筋骨隆々の大男。
 目つきは今のシンに負けず劣らず鋭く、抜き身のナイフのようにぎらついていた。
 顔を横切る大きな傷跡が、強面をさらに際立たせている。泣く子も黙る、という言葉がぴったりだ。
「アンタがネオカナダのファイターか」
「ネオジャパンのシン=アスカだな」
 二人の言葉は同時だった。気を殺がれたように、シンは目を丸くする。男も薄く笑みを浮かべた。
「いかにも。私はサトー。ネオカナダのファイターだ」

 現実逃避を打ち切り、最後にまたも一つ溜息をついて、ルナマリアは大瀑布に背を向けた。
 どうせ逃げられやしないのだ。
 ガンダムファイト国際条約第七条、『地球がリングだ』。
 本人の希望がどうであれ、負けるかファイトが終わるかするまでファイターとそのクルーは逃げられない。
 地球に縛られた囚人も同然――
(そういやナタルさん元気かしら)
 ネオロシアで出会い、自由を求め逃げ続けると宣言した彼女が、ふと思い出された。
(あたしも逃げちゃおっかな…)
 魅力的な空想であった。しかし、もしも本当に自分がいなくなったらシンはどうなるのだろう。
 今の彼は目に映る全てを憎悪しているかのようだ。
 本当に、一人で旅を続けることが出来るのだろうか。
 と、下界を見れば、シンと見知らぬ男が対峙している。
「シン? 何してるの?」
 手すりに手をかけ、身を乗り出すルナマリア。

「何だって!? ソキウスがここに来るのか!」
 思わず大声を上げるシン。瞬時にネオロシアでの出来事が鮮明に思い起こされた。
 強制的な収容所生活。世話になった元ファイターのナタル。戦うことなく解体されたガンダム達。
 ネオロシアへの絶対服従を運命付けられた戦闘用コーディネイター・ソキウス。女王のような女・ミナの威圧感……
「そうだ。ネオロシアのチームは君に敗れた後、作戦を変更したのだ」
 サトーの声が、シンを現実に引き戻した。
「うって出てひとつでも多くの敵を叩くという方針にな。その最初の標的が、我がネオカナダだ」
 確かに、一度でも脱走を許してしまったなら、収容所の罠は使えない。どんな噂が立つか知れないのだ。
 アリ地獄がいると分かっている場所に、わざわざ近付くアリはいない。
「そこで、君の持っているボルトガンダムの情報が欲しい」
 瞬間、シンの瞳が再びぎらついた。

「それじゃ何か!? お前を探してここまで来た俺たちは、無視ってことかよ!?」
「そうだ。私の狙いはネオロシアだけだ。闘いが終わったら私のガンダムの首をやろう。それなら納得してくれるか?」
「するわけあるか、馬鹿野郎!」
「ならばどうする?」
「こうするまでだ! インパルスガンダァァァァム!!」
 右手を高々と掲げ、シンが指を弾く!
 三機の飛行物体が爆音と共に大瀑布を割って飛来、空中で高速変形合体! 白き巨人インパルスガンダムが激流へ着水する!
 展望台のルナマリアは思いっきり滝の飛沫を浴びた。顔を引きつらせ、咄嗟にうずくまったが、波のように飛沫がレインコートにかかってくる。小さな悲鳴は、当然の如く掻き消された。
 インパルスガンダムの出現に応え、サトーも拳を掲げる。
「行くぞ! ランバーガンダム!!」
 野太い声に応え、トゲ付き肩を茶色に塗装した巨人が、針葉樹林を飛び越えて現れた。
 大柄な体躯、腰に二丁の手斧。ネオカナダ代表、ランバーガンダム!
 二人のファイターは各々のガンダムに乗り込んだ。

「さあ、俺と闘え! 話はそれからだ! ガンダムファイトォォ!! レディィィ……」
「断るっ!」
 ファイト開始と共に突進しようとしていたシンは、肩透かしを食らったようにこけた。
「何でだよ!?」
「先程も言ったはず! 我が敵はボルトガンダム一体のみ! 君と正式なファイトをするつもりはない!」
「ふざけるなッ! そっちがその気でも、こっちは納得いかないんだっ!!」
 拳を振り上げ、突進するインパルス。右のストレートをランバーの頭にぶちこもうとする。しかし――

「――消えた!?」
 シンの拳は虚しく宙を切る。
 と、そこに下から突き上げてくるのはランバーだ。
 しゃがみこんで拳をかわしたサトーは、インパルスの右腕が引っ込む前に素早く掴み、そのまま全重量をかけてねじ伏せた。
 右の関節が悲鳴を上げる。そう来るとは予想していなかったシン、たまらず激流へと叩きつけられ、苦悶の息を吐き出す。
 大きな飛沫がインパルスの姿を隠す。
 そのままサトーは、押し潰さんとばかりにインパルスの上へ肩からのしかかった。モビルトレースシステムを通じて巨大な圧力がかかる。
 更にサトーは両の拳を合わせ握ると、インパルスの、人で言う鎖骨の辺りへと振り下ろす。カエルの潰れたような苦鳴を上げるシン。
 激流の中のインパルスが動かないのを確認し、ランバーは身を起こした。

「あーもう、何だって言うのよっ!」
 ようやく飛沫を払い、身を起こしたルナマリア。
 彼女が目にしたのは、激流の中に倒れ伏したインパルスと、傍らに立つランバーであった。
「ち、ちょっと…シン!?」
 目を逸らした一瞬の内に何が起こったというのか。大きな目をさらに大きくして、慌てて展望台を駆け下りるルナマリア。
 それに気付いたようで、ランバーガンダムはゆっくりとルナマリアを振り向くと、右手を突き出してきた。
 ひっ、と小さく声を上げるが、生身の人間がガンダムに敵うはずもない。……ごく一部を除いて。
 アカデミー出のルナマリアだが、さすがにシンのような人外の境地には至っていなかった。
 あっさりランバーに捕まえられ、顔の真ん前まで持って行かれてしまう。
「シン=アスカのパートナーだな?」
 巨人が巨大な顔を突きつけて問いかけてくる。さすがにルナマリアも怯んだが、
「だったらどうするっての!?」
「人質になってもらう!」
「じ、冗談じゃないわよ! それにあたしを捕まえたってシンは」
「こんな事はしたくないんだがやむをえない!」
「したくないなら初めからやるな!」
「シン=アスカ! ボルトガンダムの情報を教える気になったらロッキー山脈まで来てもらおう。それまでこの女性は預かる!」
「話聞けぇぇ――――っ!!」
 久々にルナマリアの絶叫が響く。しかしサトーは全く意に介さない。
 激流の中から辛うじて顔を上げたインパルスのシンは、去っていくランバーの後姿を睨みつけ――気絶した。

 翌日のこと。ネオロシアチームはネオカナダの領地に既に入っていた。
 軍艦を泊め、盆地でキャンプを設営しているネオロシア一同。さすがに訓練された軍人、表情は引き締められ、
 動きはきびきびとしている。数分と経たずに設営は終了し、兵士達は指揮官の前に整列した。
 指揮官――即ち黒髪長身の女性、ロンド=ミナ=サハクである。
 若い一人の兵士が一歩踏み出し、ミナに報告書を手渡した。受け取り、さっと目を通したミナ、軽く眉をひそめる。
「ネオジャパンのシン=アスカが来ている、だと?」
 ミナに見下ろされたその若い兵士は、がちがちに固まりながらも口を動かした。
「はっ、昨日ナイアガラにて、ネオカナダとの非公式ファイトを行っております」
「ならば第一級警戒態勢を敷け」
「は…」
「疑問か?」
「い、いえ、決してそのようなことは!」
 慌てて早口になる兵士。ミナは表情を動かさない。
「奴は何をしでかすか分からん男だ」
 言うが早いか。

 低い爆発音が次々に轟き、設営したばかりのキャンプが吹き飛んで炎に包まれる!
 あの収容所の最期を再現したかのように、辺りは紅く染まり、炎が風を煽ってゆらゆらと揺らめいた。
 運悪く爆発に巻き込まれた軍人達が倒れ、助かった同僚は慌てて駆けずり回り、彼らを運んでいく。
 脇には燃料の入っていたドラム缶がひしゃげ、破裂した無残な姿を晒していた。
 若い兵士はぎょっとしたが、我を失うのは一瞬のこと。すぐさま事態の収拾のために救助と消火に走る。
 慌しい部下達の動きの中、ミナは動かず、歩み来る人影を見据えていた。
 揺れる炎の中から現れたのは、炎と同じ色のマントと鉢巻をし、なお暗い赤の瞳を持った黒髪の少年。
「悪いな、少しやりすぎたみたいだ。軽く驚かすだけのつもりだったんだけどさ」
 意地の悪い笑みと共に、シン=アスカは嘯く。
 対してミナは、やはり表情を変えず、ぴしゃりと言った。
「ならばお前も消火と救助を手伝え」

 少しの口論の後、ネオロシアキャンプではネオジャパンファイターの働く姿が見られた。

 数十分後、そこにはすっかり元のようにキャンプが設営されていた。
 灰も残骸も綺麗に片付けられ、火傷を負った数人の兵士は手当てを受けている。
 その中でミナは簡易テーブルでティータイムを過ごしていた。黒髪と黒マントを椅子の背もたれに無造作に流し、 小指をぴんと立ててティーカップを口元に傾ける。余裕たっぷりの仕草だ。
「サトー? それが相手の名か、シン=アスカ」
 自分の部下であるフォー・ソキウスを脇に立たせ、優雅に紅茶を飲み干し、ミナが問いかける。
「ああ、随分アンタ達にご執心だったぜ!」
 空になったミナのティーカップに、乱暴に次の紅茶を注ぎながら、シンは苛立ちを隠さずに吐き捨てた。
 要救助者の確保、消火、キャンプ再設営の上に、ゴミ処理と軍艦内トイレの掃除までやらされ、
 更にミナの給仕まで言いつけられたのだ。ミナの図々しさもそうだが、何より彼女に従っている自分の情けなさに腹が立つ。
 色素の薄いネオロシアファイター、フォー・ソキウスが無表情のままに視線を向けてくる。
 哀れみも同情も嘲笑も諦めも、何も含むことのない彼の瞳が、妙に勘に障る。
 最も、もしそんな感情をソキウスが瞳に浮かべていたなら、迷わずシンは拳をぶちこんでいたのだろうが。
 カップ一杯に紅茶を注ぐと、ちょうどポットが空になった。
 わざと耳障りな金属音を立て、ポットをテーブルに乱暴に置く。カップが揺れて、紅茶が溢れソーサーにこぼれた。
「どうした? やけに不機嫌ではないか」
「ああ、おかげさまでな!」
「実害を被ったのは我々だ。この程度の労働など罰則のうちに入らんぞ」
「俺はネオロシアの軍人じゃないんだぞ!?」
「軍人でないなら好きに爆薬を仕掛けてもいいのか?」
 鋭く横目で睨みつけられ、シンはぐっと言葉に詰まった。
「それとも…」
 ミナはさらに目を細める。二杯目の紅茶には手をつけない。
「ルナマリア=ホークが捕らわれ、いきりたっているのか」
「あいつは関係ない!」
 間髪入れず叫ぶシン。
 ミナの笑みが深くなる。興味深い、ではなく、面白い、と言いたげに。
「事情は分かった。協力しようではないか」
「……はぁ?」
 またも肩透かしを食らったように、シンはぽっかり口を開けた。
 

 ロッキー山脈の一角に、薪割りの音が響く。
 こん、こん、からからり。固く乾いた音が、白い靄に包まれた森へと消えていく。
 ひたすらに斧を振るうサトーは、背後に扉の開く音を聞いた。振り向かず、また一つ薪を手元に立てる。
 小屋の中から現れたルナマリアは、じっとりとこの男の背中を睨みつけていた。だがそれだけだ。何も言わない。
 彼に話は通じない、と、たった一日の付き合いで承知してしまったからだ。
 こん、こん、からからり。
 薪割りの音だけが靄に響き、消える。

 昨晩に、ルナマリアは事情を聞かされていた。
 サトーは元宇宙刑事。だが、五年前の事件をきっかけに退職した。生涯をかけて、ある男を追い詰めるために。
「あの日の光景は生涯忘れることはない…単身赴任で警備ステーション『ユニウス7』に勤めていた私の元へ、
 妻と息子が来た日だ。あと一週間で勤めが終わり、私達は家族で地球に戻れるところだった…。なのに!」
 目を大きく見開き、唾を飲み込んだルナマリアに、サトーは語ったのだ。五年間蓄積してきた憎悪を剥き出しにして。
 
 
 突如ユニウス7に突っ込んできた所属不明船。
 鳴り響く警報、ひしゃげる壁、非常ランプの赤に染め上げられるステーション。
 壁は引き裂かれ、亀裂がどんどんきしんで広がり、机もパイプも人間も、
 あらゆるものが暗黒へと飲み込まれていく。びゅうびゅうと耳をつんざくエアの音。
 息子は片手で床の割れ目に掴まり、片手で吸い込まれかけている妻の手を握り締めていた。サトーは比較的上部に掴まっていた。
 強風などという言葉では生ぬるいほどの吸引力。闇の亀裂から助けようと、サトーはじりじりと家族の元へ手を伸ばした。
 視線が絡み合った。互いに互いの名を呼び合い、助かろうとしていた。

 だが、そこに招かれざる人物が出現した。
 ノーマルスーツに身を包み、天井からロープを伝って現れ、今まさに繋がろうとしていた家族を引き裂いた男。
 色素の薄い少年。
「その後、私は運良く、パトロールでやってきた警備艦隊に助けられていた。
 しかし気が付いた私の目の前にあったユニウス7は、焼け崩れたただの岩の塊にしか過ぎず!」
 語るサトーの拳が震える。拳だけではなく、体全体が。目許はぎらついている。涙のせいでは、決してない。
 ルナマリアは何も言えない。ただサトーの言葉を待つしかなかった。
「そこにはもう、誰もいなかった! だが! 私の目には妻と息子の姿が焼きついて離れんのだ!!」

 こうして薪を割る背中のみを見ていれば、サトーは普通の、どこにでもいるような男だ。
 ファイターの心得が多少なりともあると、こういうときに不便だ、とルナマリアは思った。
 一見穏やかな情景の中にも、殺気を感じ取ってしまう。
 ソキウスがファイターになったのなら、民間人は彼に手出し出来ない。だがこちらもファイターになれば、
 確かにファイト中の事故を装って殺すことが出来る。
 ガンダムファイト国際条約補足、過失によるファイターの殺傷。しかし…
(どんな理由があろうと、相手のファイターを直接攻撃するのはルール違反…ううん、立派な殺人罪よ)
 殺人に手を染めようとしている人間が目の前にいるのなら、医者として、人として、止めるべきだ。分かっている。

 だが、止められない。

 彼を止めようというなら、シンは一体何なのか。
 彼女はずっと支えてきたのだ。サトーと同じように、復讐に身を焦がす少年を。
 彼を止めずに、どうしてサトーを止めたいと思ってしまっているのだろう。
 何かがもどかしい。何かがルナマリアの中で引っかかっている。喉まで出かかった反論の正体が掴めない。

 天高く飛ぶネオロシアの戦艦からは、山脈の中の小屋は点にしか見えない。
「復讐鬼、か」
 甲板で風に吹かれながら、どこか自嘲するようにシンは呟いた。サトーの事情は、ついさっき隣に立つミナから聞かされていた。
 聞いた直後、シンは迷わずソキウスに殺気を向けた。殴り飛ばし、甲板に叩きつけ、胸倉を掴み上げ、叫び、詰問し――
 それでもソキウスは抵抗しなかった。今は彼は船内で手当てを受けている。
 
 気に入らなかった。
 復讐を、憎悪を向けられた相手は、動揺するか逃げ惑うか、あるいは憎らしく笑い飛ばすべきではないか。
 無表情で、釈明も何も言わず、何も抵抗しない仇など、ただ苛立つだけだ。
「準備をしろ、シン=アスカ」
 勘に触る声。ミナが傲然と命令してくる、とシンには思えた。
 ミナにすればそんなつもりは一切ない。自然体でシンを促しただけだ。
 鼻を鳴らし、シンは腕を組む。
「ここまで連れてきてくれた礼に、奴とは俺が先に闘う。その後生き残った方とあらためてファイトする…か。
 あんたらしい効率のいい作戦だよ」
「分かっているなら…」
「断る」
「何?」
 ミナの声が剣呑なものを帯びる。普段なら…事情を聞く前までなら、彼女の声に潰されていたのだろう。
 しかし今は違う。
「連れてきてくれたことには礼を言う。けどな、俺は奴の復讐を邪魔するつもりはない」
「約束を違えるか?」
「『そういう』事情だと知ってたら、最初から奴にソキウスのことを教えてたさ」
 眼下の小屋を見つめ、シンは吐き捨てた。
 てこでも動かない、と了解したか、ミナは小さく息をつく。

 山中に、爆音が近付いてくる。
 空を見上げたルナマリアは、一隻の戦艦がこちらに向かってくるのを捉えた。
「来たか…!」
 サトーもまた天を仰ぎ、立ち上がる。斧を切り株に突き立てると、
「君にはもう用事はない! 好きに帰りたまえ!」
 そう言い放ち、森の山道を走り出す。
「あ、ちょっと!?」
 慌ててルナマリアが追いかける。
「アンタ本当にやる気なの!?」
「無論だ!」
「相手の事情も知らないのに!?」
「事情だと!? 奴のことなど知ったことか! 妻と息子の仇、この手で裁かねば、私はっ!」
「……ッ!」
 カッと頭に血が上るのを、ルナマリアは自覚した。
 山道は終わり、面前には湖が広がっている。主の気配にか、盛大な水音と共に、ランバーガンダムが水面を割って現れた。
「君には関係のないことだ。余計な口は挟まないでもらおう!」
 とうとう最後までルナマリアを振り返ることはせず、サトーはコクピットに乗り込んでしまった。
 ルナマリアの中で、何かが切れる。
「どいつもこいつも…ふざけんじゃないわよッ!!」

「気になるのだ」
「は?」
 ちらりとミナを横目で見る。ミナはシンを見ることなく続けた。
「ソキウス・シリーズは我々ネオロシアの管理下にある。ましてフォー・ソキウスは成功体だ。
 所属不明艦に乗ってステーションを襲撃することなど…」
「何だよ、それ」
 シンは、今度ははっきりミナを振り返った。彼女は形の良い眉をひそめ、変わらず眼下を見下ろしている。
「その辺りの事情はアンタたちがよく知ってるんだろ?」
「正確には、ソキウスとネオロシアの諜報部が、だ」
「……へえ」
 シンはにやりと笑う。鬼の首でも取ったかのような笑み。
「アンタにも分からないことがあるわけか」
「一人で全て出来ると思い上がるほど堕ちてはおらん」
 間髪入れず切り返され、またもシンは言葉に詰まった。赤毛の少女の姿が一瞬脳裏をよぎる。
「そして、回ってくる情報が全て正しいと妄信してもおらん。シン=アスカ、
 貴様は上からの情報を何一つ疑わずにいられるか」

 す、と目線を上げられる。何気ない仕草のはずなのに、ミナの金色の瞳はこちらを射抜いてくるように思える。
「……信用できないのは確かだな」
 逃げるように視線のみを森に落とし、シンは呟いた。
 クルーゼの情報はことごとく空振りだった。初めからネオメキシコに行けば、少しは奴に近づけていたかもしれないのに――
 
 と、爆音と共に戦艦が大きく揺れる。
 いきなりのことに二人はよろめく。振り向けば、爆風を伴い右手の中空を切り裂いて飛んでいくのは、重量感ある白と黒の巨体。
「ボルトガンダム!?」
「フォー・ソキウス! 何をしている!」
『申し訳ありません、ミナ様。しかしこれは私の戦いなのです』
 それだけ対外スピーカーで言って、ボルトガンダムは地上へと行ってしまう。
「あいつ…」
 自分のマントを風になぶられるに任せ、シンはボルトガンダムを見送った。
「……ふむ!」
 ミナは一つ唸ると、甲板を歩み去っていく。

「ほう。シン=アスカ、律儀な男だな。だが私は二対一でも一向に構わん!」
『いいえ。あなたと戦うのは私のみです』
 声と共に、天から降りてきたのは白と黒の巨体。
 周囲の木々を薙ぎ倒し、重い地響きをたて、ボルトガンダムが着陸した。同時に通信が入ってくる。
「シン=アスカは介入しません。彼を誤解しないでいただきたい」
「ソキウス!」
 ランバーのディスプレイに現れたのは、紛れもなく、夢にまで見た少年の顔であった。
 全体的に色素は薄く、水色の髪に白い能面のような顔。鍛え抜かれ盛り上がった筋肉。
 口元が腫れているが、そんなことはサトーには関係ない。
「やっと会えたなソキウス…この日をどれほど待った事か…!」
 ぎらりと目を輝かせ、笑う。五年間待ちかねた復讐の時がやってきた。
 ソキウスは無言で両手を広げ、構えを取る。いつでも来い、と言っているのだ。
 サトーに否はない。拳を握り、ゆっくりと構える。
「我が妻、我が息子の無念! 貴様の命でしか贖えんのだ! あの世で二人に詫びろ、ソキウス!」

「ざけんなぁぁ――――ッ!!」

 いきなり近くで覚えのある声がした。と思えば、コクピット内の天井から降ってくるのは、先頃別れたはずの少女である。
 さすがにサトーも予想外で、まともに覆い被さられ、倒れた。ファイターの動きを忠実にトレースし、ランバーも勝手に倒れる。
「!?」
 ディスプレイの中でソキウスが驚く。
「ど、どういうつもりだ君は!?」
 床に押し倒されたサトー、急いでルナマリアを引き離そうとするが――
「どうもこうもないわよ馬鹿ッ!!!」
 
 一喝。
 有無を言わさぬプレッシャーに、サトーは思わず黙り込む。
 紫水晶にも喩えられるほど美しい少女の瞳、しかし今は燃えるような激しさを持っていた。

 少女の叫びは、スピーカーを通じて外部に響き渡っている。
「ルナマリア!? ランバーの中にいるのか!?」
 戦艦の甲板で、シンもそれに気がついた。

「ようやく分かったわよ、アンタがなんでこんなにイラつくのか!アンタ、死んだ奥さんだの子供さんだの
 引き合いに出してるけど、結局アンタがソキウスを許せないってだけじゃないの!
 ソキウスが許せなくて憎いから殺したいだけじゃないの!」
「な、何を…」
「アンタだって分かってんでしょ、これが殺人だってことは!
 だから一々家族を引き合いに出して自分の中で正当化してるだけじゃない!」
「正当化だと!? これは元より正当な裁きだ!」
「自分の怒りにばっか拘っといて何言うかアンタはぁぁ!!」
 耳元で絶叫。思い切り顔をしかめるサトーに、まだルナマリアは叫び続ける。
「いい、殺人ってのはどう言いつくろっても殺人なの! 理由がどんなんでも許されないことなの!
 アンタこのままソキウス殺したら一生罪を背負うわよ、一生!」
「私の残りの人生など、妻と息子の死に比べれば…!」
「自分の夫が殺人犯になって喜ぶ妻がどこにいるの!!」
「ッ!」
「息子さんだってそうよ、自分の父親が人を殺しました、それ聞いて喜ぶ!? どこの子供が!? 喜ぶどころかグレるわよ絶対!
 自分のことばっかじゃなくて、ちょっとは将来だの周りのことだの見なさいよ!」

 ネオロシア戦艦のブリッジで、ミナはルナマリアの叫びを聞いていた。
「飾りかと思えば、なかなか根性の座った娘だな、ルナマリア=ホーク」
 薄笑いで呟く。
「だが、彼女も自分自身の視点に捉われていると気付いていない」

 復讐にかられる人間達の心境は、ルナマリアには分からない。
 いくら傍らにいても、自分がその立場に立ったことがないからだ。
 いくら想像しても、彼らの深い憎悪を完全に知ることは出来ないだろう。
「あたしにどうこう言えたモンじゃないのは分かってるわよ! でもねぇ、アンタらは…」
「すまない、少女よ!」
 話を最後まで許さず、サトーはルナマリアの眉間に頭突きを入れた。
 たまらずよろめくルナマリア。その隙にサトーは彼女のこめかみを打った。
 くらりとよろめき、ルナマリアは倒れ伏す。
「君の話も尤もだ。妻も息子も、私の行動を喜んではくれんだろう」
 彼女が気絶したのを確認し、サトーは立ち上がる。同時にランバーも立ち上がる。
 視線の先に、ソキウスを捉えて。
「だが、もはや私にはこの道しか残されていない!」
 ずっと通信をつなげ続けていたソキウスは、やはり眉一つ動かすことなく、構えを直した。

「余計な手間かかせやがって…! コアスプレンダー!」
 主の声に応え、どこからともなく小型戦闘機、コアスプレンダーがシンの元へと飛来。さっと乗り込むと、一つ指を弾く。
「ガンッダァァァァァム!!」
 残り二機の飛行物体、チェストフライヤーとレッグフライヤーもどこからともなく飛来、空中で高速変形合体する!

「行くぞ、ソキウス! ガンダムファイトォ!」
「レディィ…!」
『待てぇぇ――い!』
 その声と同時に、地を揺るがし天から落ちてきたのは三体目の巨人、インパルスガンダムである。