機動武闘伝ガンダムSEED D_SEED D氏_第十一話(前)

Last-modified: 2007-11-10 (土) 21:20:06

第十一話…の前に、エターナルにて

ダコスタ「斬新ですね、色の変わるコーヒーなんて。香りもいいですし、どろりとした口当たりがなんとも」
バルドフェルド「そうだろうそうだろう! どうだい、もう一杯」
ダコスタ「では、お言葉に甘えて!」
レイン「すいませーん、こちらで急患が出たって聞いたんですけど」
バルドフェルド「ああ、そこの歌姫をちょっと見てやってくれ」
レイン「ラクスさんですか? あの人が倒れるなんて珍しい……って泡吹いてる――!?」
バルドフェルド「アスラン君がいないので代わりに彼女にコーヒーを試飲してもらっていたんだが、いきなり倒れてしまってね」
レイン「……彼が何度もカフェイン中毒で運ばれてくる理由がよく分かったわ」
ラクス「ふう、死ぬかと思ったぜ! ですわ」
レイン「あ、あら? お早い復帰ね」
ラクス「うふふ、この程度で音を上げるようではスパコディにヘタレにツッコミを治めることなど出来ませんわよ」
レイン「その三人で問題になるのはキラ君だけだと思うけど……」
ラクス「しかしヘタレならともかく、受難などこのラクス=クラインにあるまじき行為!
    というわけで虎! 早速そのコーヒーのレシピをミネルバのおバカな子犬ちゃんに流しなさい!
    我こそ主役と舞い上がっている青二才にもカフェイン地獄を味わわせてやるのです!!」
バルドフェルド「はっ、直ちに!」

一方ミネルバでは

ハイネ「よぉし、ウォーミングアップ代わりに行くぜ! 俺の歌を聴けぇぇぇぇぇ!!」
ステラ「うぇぇぇぇぇい! ステラの歌もきけぇぇぇぇぇぇ!!」
レイ「ならば俺の歌も聴け、セリフつきだぁぁぁぁぁぁ!!」
シン「それを言うなら俺だって! 俺はこのラップバージョンで全てを薙ぎ払うっ!!」
ルナ「バラードもアップテンポの思いのままの私を忘れるなぁぁぁぁぁぁ!!」

アーサー「というわけでミネルバの録音機器がキャパシティオーバーしてます」
タリア「ほっときなさい。どうせ使うのは……」
マッド『(ピッ)監督! VF-19バルキリーのスピーカーポッド、外しましたぜ!』
タリア「ご苦労様。……というわけよ」
アーサー「はあ」

メイリン「お前ら撮影終わったときのこと考えてねぇだろ特に艦長ぉ――――っ!!」
アビー「一句出来ました。『嗚呼メイリン 遠い空から 有難ふ』。やあ、お茶がおいしいですねぇ」
メイリン「アンタまで現実逃避すんな! 季語も入ってねぇ! つーかどっから出したその湯飲みっ!」
アビー「女には不思議がありまして。……ってメイリン?」
メイリン「あー、ごめん、ツッコミの方が先に出ちゃった。ただいまアビー」
アビー「(……じわっ)」
メイリン「ど、どうしたの?」
アビー「うわあああああああん! 助けてメイリン、艦長がおかしくなっちゃったよぉ!!」
メイリン「待てぇぇ――――――ぃ!! い、いきなり泣き出すなんてアビーにあるまじき行為っ!?
     しっかりアビー! アンタまで音を上げたら誰が艦長の手綱を引くの!?」
アビー「でもでも私がいくら引っ張っても艦長は暴走するし副艦長はセクハラするし、
    みんなはあさっての方向に全力疾走しちゃうしぃぃぃぃ!!」
メイリン「ちいっ! とりあえずアーサーは後で抹殺確定!」
アーサー「ええぇぇ――っ!? お、俺ディスカァ!? 俺最近は何も……!」
メイリン「アビーよく聞いて、アンタは一人じゃない! アンタの苦労はあたしが一番よく知ってるわ!
     頑張れアビー! 今日も金髪がさらさらに輝いてかわいいよ! さすがミネルバのヒロイン!
     実はラクシズでもアビー人気は高いんだよ! そんなアビーに泣き顔は似合わないよ!
     ほらほら、ホーちゃんが見てるよ~こっちはアビーの大好きなふわふわの子猫だよ~」
アビー「ううっ……ホーちゃん……ネコちゃん……」

ドモン「うむ、仲良きことは美しきかな」
アーサー「すみませんドモンさん、そのスコップは一体」
ドモン「何、これが接近戦最強の武器だという噂を聞いてな」
アーサー「それで何で私に向けてるんでしょうか」
ドモン「お前がどこかに行こうとしていたからだ。そろそろ本番だろう」
アーサー「目がめちゃ怖いんですけど!? それにスコップ向けるならむしろ俺じゃなくてシンに…」
ドモン「ごちゃごちゃうるさい。ほら、恒例のコールを」
アーサー「(めちゃめちゃ殺気だってるぅ!?)ほ、本番行きまーす… 3・2・1・Q…」

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 雨音は静かなものだった。

 随分前から降り続けているが、未だ止む様子はない。既にネオイスタンブールの石畳は濡れそぼち、
歪んだ鏡の如くかすかな像を照り返しては、絶え間なく生まれる波紋に歪められ続けている。
 半ば瓦礫に埋もれたコンクリートの街並は、そうでなくても重苦しいのに、厚い雲と煙る雨に覆われて
更に色彩を失っている。空を動かす風はなく、雲はかけらも動かない。ただただ静かに雨が降る。
 さあさあ、さあさあと小声で囁き、石畳に辿り着いては、地に淀む。
 雨の囁きが支配する、全てが灰色に塗り込められた世界。その中で赤い姿は鮮明に浮かび上がっていた。
 集会場であろう建造物の軒下に、赤服の少女は赤い傘を差して立っていた。
 誰かと待ち合わせをしているのか、灰色の町と手元の時計をせわしなく見比べている。
 苛立っているのだろう、形の良い眉はほんの少ししかめられていた。
 特徴的な赤い跳ね髪は傘に守られていながら、湿気に押され、くたりと寝ている。
 さあさあ、さあさあ。雨は降り続け、囁き続ける。いつしか少女は時計を見るのをやめ、
変わらぬ灰色の光景を何するでもなく眺めていた。
 
 そこに、新たな色彩が現れる。
 
 橙に近い金の髪。少女と似た赤服。荒い息をつきながら、青年は傘も差さずによろめいてくる。
 左の二の腕を右手で押さえながら、足を引きずるようにして。前を見ることはない。
 石畳を、足元のみを見つめている。
 それは歩みと呼べるものではなかった。
 ともすれば倒れこみそうなのを何とか留まるため足を動かす、その繰り返しでしかなかった。
 濡れそぼった髪と服からは雨水が絶えず流れ落ち、青年がよろめくたびに大きな雫が生まれ、零れていく。
 少女がぼんやりと目を向ける。医者として声をかけようとする。
 その矢先、青年は呻いて、とうとう倒れてしまった。
 橙の髪が軌跡を描き、石畳に淀んだ雨水は音を立てて跳ねる。囁きを超えた飛沫の音。
 少女の記憶が弾けた。

「ハイネ!?」

 青年は動かない。少女は傘を放り出す。降り続く雨の中に自ら飛び込み、橙の髪の青年に駆け寄る。
 白くすらりとした脚が、淀んだ雨水を蹴っていく。
 開かれたままの赤い傘は通りの石畳に逆さに落ち、僅かに転がって、止まった。
 静かに降り込む雨は煙り、置き去りにされた傘までも灰色に塗り込めていく。

「雨。この天よりの恵みである小さな雫は、古来より我々に潤いと愁いを与え続けてくれた。
 時には優しく。時には厳しく。だが今宵この雨は、とある男と女の過ぎ去った日々に降り注ぐ。
 その結果、どのような運命に二人がその身を濡らす事になるのか……。
 もしかすると、この雨さえ降らなければ……二人はそう思うかもしれん。
 今日のカードはネオトルコのミナレットガンダム!
 それではッ!!」

 ドモンがマントをばさりと脱ぐ。
 下から出てきたのはピチピチの全身黒タイツ、即ちファイティングスーツだ!

「ガンダムファイトォォ! レディィ……ゴォォォ――――ッ!!」

 第十一話「雨の再会… フォーリング・レイン」

 
 カウンターには大きな蓄音機が乗っていた。随分と古い。手入れはされているが、その朝顔のような
スピーカーから音楽が流れることはない。
 ただの置物同然なのだろう、特に気に留めずバーテンはグラスを磨いている。
 音楽の代わりと言っては何だが、酒場には雨の囁きが満ちていた。
 さあさあ、さあさあ。静かで単調な音の流れは、時に人々の言葉を奪い沈黙を誘う。
 しかしその青年の声は、どこかやんちゃな響きを含んだまま、明確にシンの耳に届く。
「ああ、噂は聞いてるよ」
 こつり、とグラスをテーブルに置き、青年はしっかりと頷いた。
 寂れた酒場。それでも薄暗い照明の方が、窓の外から洩れる光よりも強い。
 青年の真摯な表情は橙の明かりに照らし上げられ、前髪に入った一房の金メッシュが否応なく際立つ。
「一週間前のことさ。この国のガンダムが突然暴れ出して、イスタンブールの西側を破壊しちまったらしい。
 こんな事が世界に広がれば国家の恥だからってさ……見てみなよ」
 青年は窓の外へと目をやった。つられるようにシンもまた外を見る。
 青年の、メッシュが入った青髪と、シンの黒髪がうっすらと窓ガラスに映っている。
 相も変わらず雨は降り、町は灰色に染め上げられていた。陽光は厚い雲に遮られ、ほとんど地上に届いてこない。
 時折窓ガラスに雨粒が辿り着くが、二人の像を歪ませることすらなく流れ落ちていく。
 そんな時の流れが停滞したような光景の中に、落ち着きなく動く影がある。一つや二つではない。
「武装警官だ。ファイターを血眼になって探してる」
 青年は、首から下げた一眼レフをひょいと掲げた。外の警官達をファインダーに収めるような仕草をする。
「撮る気なのか」
「当然。真実を伝えるのが俺の生きがいだからな。けどそれ以上に」
 青年はカメラを下げた。かと思えば真剣な目をしてシンを見てくる。
「この国のファイターをほっとくわけにはいかないだろ」
 彼のざくろ色の瞳には、何の他意も宿っていなかった。
 お節介だ、とシンは思う。
「神は何もかもお見通しです。真実はいずれ明らかになりますよ」
 ウェイトレスが新たなグラスを二つ運んできた。グラスを交換し、空のグラスをトレイに乗せて去っていく。
「デタラメ言うなよな」
 青年は肘枕をつき、ウェイトレスの後姿に悪態をついた。と思えば再度窓の外に目をやる。
 先程までいたはずの影たちは消えていた。灰色の中に塗り込められてしまったのだろう。
「誰かが調べなけりゃ、本当のことはすぐなかったことにされちまう。
 都合の悪いことは全部隠されてぼかされちまうか、そうでなきゃ嘘っぱちばかりが世に出回るんだ。
 それじゃあいけない」
 さあさあ、さあさあ。かすかな雨の囁きは消えない。
 シンは一つ溜息をつき、席を立った。琥珀色の液体が満ちた二つのグラスの間に、くしゃくしゃになった紙幣を置く。
 気付いた青年は、不思議そうにシンを見上げた。
「おい?」
「釣りはいらない。教えてくれた礼だ、あとは好きに飲んでくれ」
 背中で言って、シンは酒場を出て行った。

 ルナマリアの方が集合場所を変えるのは、ネオジャパンに連れ戻されたとき以来ではないだろうか。
 シンがその建物に辿り着いたときも、雨は変わらず振り続けていた。
 コンクリートの陰気な壁には黒いひびが無数に走り、雨水の浸食を許している。
 連絡では病院だと聞いていたが。中に看護士の姿が見えなければ、廃墟と勘違いをして、
気付かずに素通りしてしまっていただろう。
 中に入ろうとする。だが青白い顔の看護士に見咎められ、仕方なくシンは玄関先で立ち止まった。
 しっぽりと雨水を含んだ黒髪を、鉢巻ごと後ろにまとめて絞る。水滴は濡れそぼったマントに滴り落ちて消えた。
 
 あらためて内部に入る。マットなどという気の効いたものはない。歩くたび水の跡が床についていく。
 教えられた病室を探していれば、床や外壁に網の目に走る黒いひびにも否応なく気付いてしまう。
 一部など、崩れて中の石膏が露出していた。隅には蜘蛛が好き勝手に巣を張り巡らせ、無数の水滴をつけている。
 ふと甲高い鳴き声に振り向けば、鼠が一匹、壁際を走り抜けていくところだった。
 おかしいと思った。いくら地上とは言え、もっと清潔なところがあるはずだ。
 あのルナマリアが、鼠の存在を許す病院を集合場所に指定する? 余程のことがない限りあり得ない。
 またクルーゼから指令が出たのだろうか。
 そんなことを考えているうちに、指定された病室の前まで来てしまった。
 ままよ、とドアノブに手をかけ、思いとどまる。頬をぽりぽりと掻いて、右の拳を軽く握った。
 こんこん、と軽くノックする。
 返事はない。
「ルナ、入るぞ」
 声をかける。だがやはり返事はない。言い知れぬ不安が頭をもたげる。
 シンはドアノブを捻った。抵抗なくノブは回る。鍵はかかっていない。そのまま一気に引き開けた。
 錆び付いた蝶番の音が鋭く鳴って、扉が開く。
 果たして、ルナマリアはいた。薄暗い部屋の中、無人のベッドの隣の椅子に座っていた。
 背筋を震わせてこちらを振り向いてくる。だが相手が分かって安堵したのだろうか、徐々に体の緊張が消えていく。
 シンはほうっと息をついた。後ろ手で壁際の蛍光灯のスイッチを入れる。
 一瞬だけ蛍光灯は光り、すぐに消えた。切れているらしかった。
「……シン」
「いるなら返事くらいしろよ!」
 自らの安堵を誤魔化すように、シンは声を荒げる。

「ノックもしたし、声もかけたんだぞ!」
「……ごめん」
 肩透かしを食らった気がした。余りにもしおらしすぎる、と思った。
 特徴的な跳ね髪も、心なしかくたりと寝ている気がする。
 シンは何かばつが悪くなり、視線を逸らした。とりあえず扉を閉め、部屋に入る。
「それで? どうしたんだよ。こんな場所、コロニー育ちのお前が好きだとは思えないんだけどな」
 言いながら、部屋中央のテーブルに行儀悪く腰かける。木製のテーブルは釘がところどころ飛び出しており、
お世辞にも良品とは言えない。
立ち膝と肘枕をつき、横目で見てみれば、ルナマリアは無人のベッドを見たまま――こちらを振り向かぬまま俯いていた。
 横顔が暗い。
 ますます、彼女らしくないと思う。
「おい、ルナ」
「あのさ、シン」
 同時だった。シンはきょとんとする。ルナマリアは一瞬だけこちらを振り向いたが、すぐにまた視線を逸らし、俯いた。
「……何?」
「何もない。用件があるんだろ、さっさと言えよ」
「うん……」
 ゆるりと頷く。そのまま、沈黙。
 さあさあ、さあさあ。窓の外の雨は変わらず振り続ける。時計もなく日の光もないここでは時の経過が分からない。
 切れた蛍光灯が時折思い出したように光り、暗くなる。

「あのさ、シン」
 どれほど経ったか。既に一度使った言葉で、ルナマリアは切り出した。やはりこちらを見ようとはしなかった。
「アカデミーでのこと、覚えてる?」
 シンはまたもきょとんとする。
「そりゃ覚えてるよ。全部じゃないけど」
「ギアナ高地に――地球に降りる前のことも?」
「まあ、一応は」
 何故今、そんなことを聞くのだろうか。そう思いながらも、シンはパートナーの話に付き合うことにした。
「一年間、総合教育だったよな。お前や、ヴィーノやヨウランに会ったのもその辺だ」
「うん」
「授業は軽い訓練とか、戦術概論とか、薄っぺらいのばっかだった」
「うん。でもシンは、戦闘訓練の後には必ず教官《マスター》に質問してたわよね」
「……そうだっけか」
「気に入らないマスターにケンカ売ったり、ナイフ一本でKOしたりもしてたわ」
「ああ……そんなこともあったっけ」
 記憶の底を探る。確かに、アカデミー一年目の自分はひたすら、多くのマスターに噛み付いていた気もする。
 焦っていたのだ、と今にしてみれば思える。早く本格的な戦闘を教えて欲しいと思っていた。
 心構えや機械工学の知識などいらないから、さっさと自分を鍛え上げたかった。
 
 そんな自分を、あの人は――
「そうだ。そんなときは大抵、師匠に止められて、殴られてたよ」
「うん」
 ルナマリアは頷いた。少しずつ、言葉に張りが戻ってきていた。かすかに笑って、こちらを見上げてくる。
 大きな紫の瞳は、優しかった。
「絶対、仲悪いって思ってたわ。なのにアンタは、二年目になって師事するマスターを選ぶとなったら、
 真っ先にマスター・アスランについてったのよね」
「決めてたんだよ、最初から。お前だってそうだろ」
 肘枕をついたまま、シンは窓の外に目をやる。まだ雨は止まない。
「お前だって、入学した頃からマスター・ヴェステンフルスに師事するって言ってたじゃないか」
 返答はなかった。
「……ルナ?」
 返答はない。横目で見てみれば、ルナマリアはまた俯いていた。
 シンは体ごと彼女を振り向いた。少女の頬を、光るものが流れ落ちていくのが見えた。
 ルナマリアは慌てたように涙を拭った。
 シンの心臓が跳ね上がる。
「おい、まさかマスター・ヴェステンフルスに何か!」

「俺がどうしたって?」

 二人は弾かれたように戸口を振り向いた。病人用の白衣に身を包んだ青年が扉を開けていた。
 湿り気を含んだ橙の髪。狐目の奥に光る翡翠色の瞳。長身で痩躯、頬に浮かぶは人懐こい微笑み。

 シンはぽっかり口を開けた。しかし今の自分の体勢に気付くと、慌てて床に飛び降りて敬礼する。
「し、失礼しました、マスター・ヴェステンフルス!」
 狐目の青年は、少しだけ目を大きくしてシンをまじまじと見た。だがほどなくして理解の色を示し、破顔する。
「よおっ! 誰かと思えばシンじゃないか! 一瞬見違えちまったぜ!」
 大股で歩み寄り、シンの背中を景気よく叩く。たまらずシンは咳き込んだ。
「げほっ……ち、力強すぎますよ、マスター……」
「やあ、すまん。だが呼び方が違うぞ、シン! 俺はハイネだ!」
「は、そうでした」
 シンは思い出したように頷いた。確かに最初の授業で、この型破りな教官は言い放ったのだ。

『堅苦しいのは嫌いだからハイネと呼べ、教官とかマスターと呼ぶのもNG!』

「その固さは相変わらずだな。さすがアイツの弟子ってトコか?」
「い、いえ、そういうわけでは全然」
「ハイネッ!!」
 金切り声が上がった。
 赤い髪が跳ね、宙に軌跡を描く。驚いてシンは一歩下がる。その鼻先をかすめ、ルナマリアは青年に飛び込んでいった。
 胸倉を掴み、見上げる。
「どこに行ってたのよ! 勝手にベッドからいなくなって、心配したのよ!」
「わ、悪い悪い! ちょっと散歩に行ってたんだよ。車に雨水はねられて、着替えに時間かかっちまったんだ」
「散歩って、あなた患者なのよ!? 医者をほっといて消えないで! 私、もう手遅れになっちゃったのかと思って……!」
「ルナ……」
 シンは目を白黒させた。
 青年の胸を何度も殴りつける涙目の少女。彼女の背中を柔らかく叩く青年。
 この二人の間にあるのが師弟関係だけとはとても思えなかった。
 だがこれでルナマリアのしおらしさも納得はいく。
 彼女はこの狐目の青年が、ハイネ=ヴェステンフルスがいつの間にかいなくなってしまったと思い、落ち込んでいたのだろう。
 
 それにしても。

「早く寝て! そろそろ鎮静剤打つ時間なんだから!」
「分かった、分かったよ。そんな顔しないでくれ、女の子を泣かせる趣味はないんだ」
「だったら早く!!」
「はいはい」
 何なのだろうか、この胸のもやもやは。
 シンは戸口へと歩いていった。普段なら引き止めてくるだろうお節介な少女の声は、狐目の青年にのみ向けられていた。
 代わりにかけられたのは――
「お? シン、どこ行くんだ?」
「少し用事を思い出しただけです」
「傘差して行けよ、濡れるぞー」
「分かってます」
 背中で返事する。若干、嫌味な声になってしまったかもしれない。
 心の片隅でそう思いつつ、シンは振り返らずに戸口をくぐった。
 歩を進めるたび、部屋の男女の声は遠くなっていく。
「……邪魔しちゃ悪いよな」
 自嘲気味の呟きは、足音と共に廊下に吸い込まれていった。

「こんなところで会うなんて思わなかったわ……」
「そうか? ファイター同士が出会うのは当然じゃないか」
 診察しながら、ルナマリアはきょとんとした。久方ぶりの師匠は、ベッドの上でにこやかに笑っている。
「聞いてるぜ? ネオジャパンのガンダムファイターは稀代のトラブルメーカーだって」
 ルナマリアは顔を真っ赤に染めた。ワインレッドに近い赤髪とはまた違う、朱の濃い紅色。
「ネオアメリカではボクシングの試合に乱入して、ネオチャイナでは盗賊と一戦交えて、
 ネオフランスとネオカナダでは他人のファイトにまで乱入して……」
 指を折り、ハイネはシンの行動を数え上げていく。そのたび、ルナマリアの顔は更に赤みを増していく。
「ネオジャパンの狂犬・シン=アスカ。ファイターの間じゃあ、かなり有名になってる」
「すみません、あの馬鹿にはきつく言っときます……」
 口ごもるように言い、ルナマリアは頭を下げた。跳ね髪がひょこりと揺れた。
「いいって。それくらい元気な方が安心するよ」
 柔らかな声。それは厭味でも何でもない、とルナマリアには分かった。
 顔を上げれば、ハイネは真剣な顔をしていた。
「アイツがファイターだって聞いたときはほんとに驚いたからな。
 アイツ、ファイトで親御さん亡くしてコロニーに来たんだろ? ファイター嫌ってたんじゃなかったのか?」
「……事情があるの」
「ふ~ん?」
 ルナマリアは目を逸らす。ハイネは疑問の声を上げたが、それ以上追及してこなかった。
 
 ありがたい、と思う。

 ハイネ=ヴェステンフルス、元アカデミー所属教官、現ネオトルコガンダムファイター。
 人懐こくて愛想が良くて、他人を気遣える大人の男。肩書きは変わったが、中身は以前と何も違わない様に見える。

 しかし――
「それよりハイネ、左腕もう一度見せて」
 ふと、ハイネの目が泳いだ。しかし動きが止まったのは一瞬のこと、彼は自分で左腕の袖を捲り上げた。
 細身ながら逞しい筋肉がさらけ出される。肘まで捲ったところでハイネの手は止まった。
 ルナマリアは何も言わない。ただハイネの腕を注視しているだけだ。
 さあさあ、さあさあ。雨が囁く。静かに静かに、時の流れを止めるように。
 経過したのは数分か、数秒のみか。
 奥歯を噛み締め、ハイネは一気に袖を肩まで捲くった。下から出てきたのは筋肉ではない。
 ルナマリアの目が鋭くなる。
「やっぱり、広がってるわ……」
 
 師の二の腕は、銀の鱗に覆われていた。

 降り止まぬ雨は、特徴的な赤いマントすら灰色に隠してしまう。
 中古とすら呼べぬほど古い型の自動車が、雨の道を走っていく。
 磨り減ったタイヤは雨水を跳ね上げ、道の脇を歩くシンに盛大に被せていった。
 ぎらりと目を光らせ、シンは車の後ろ姿を睨みつけた。
 速度はたいしたことはない。本気で走れば追いつけるだろう。
 しかし何を思ったか、シンは溜息を一つつき、元のように歩き出す。
 古いライト特有の、濃くくすんだ光が雨を照らして流れていく。
 一瞬シンの姿もくすんだ黄色に照らし出され、しかしすぐにまた灰色に隠れてしまう。
 いくら地球の自然の姿とはいえ、この空は好きになれない。
 全くの闇でも広がる青空でもない、中途半端な空の色。厚い雲は動く気配を見せない。
 同じ時間の中を延々と彷徨っている――そんな錯覚すら覚える。

「あれ、アンタはさっきの」
 ふと、雨の囁きを縫って、聞き覚えのある声が届いてきた。
 そちらを見れば、先程の青年がビニル傘を差して立っていた。
 シンが気付いたと見て取って、真っ直ぐ歩み寄ってくる。
「何で傘持ってないんだよ。そんなびしょ濡れになっちまって、風邪ひくぜ?」
 透明のビニル傘は小さい。それを青年はシンに無理矢理被せようとしてくる。
 煩わしいと言いたげに、シンは錆びかけた傘の芯をどけた。
 青年は少し驚いたようだった。しかし眉をひそめ、再度傘を被せてくる。それをシンはまたどける。
 被せる。どける。被せる。どける。そんな不毛なやりとりを数回交わした後。

「お節介だよ、アンタ」
「ああ、よく言われる」
 シンと青年は同じ傘の下に収まって歩いていた。シンは仏頂面だが、青年の顔には満足感が窺える。
 二人の、傘からはみ出た肩は、もちろん雨に晒される。
 元から濡れているシンはともかく、青年の肩は容赦ない雫に濡れそぼっていく。
 首から下げたカメラにまで水の粒が飛びはね、付着していく。
「そのカメラはいいのかよ。濡れたらオシマイなんじゃないのか」
「防水加工くらいしてるさ。雨に濡れようが海に落ちようが大丈夫だ」
 その自信満々の声を聞き、シンは納得した。横目で青年を睨み上げる。
「……コロニーか、アンタ」
「あ? ああ、そうだけど……なんで分かったんだ?」
「ビニル傘に防水加工のカメラ、ついでにそのお節介加減」
 苛立ちと共に吐き捨てる。青年は片手を顎に当てた。邪気も悪意もない仕草が、妙にシンの勘に障る。
「そうかぁ。大分こっちに馴染んだと思ってたんだが」
「コロニーの余裕はそう簡単に消せないんだよ」
 むう、と青年は一つ唸る。
「やっぱりそれ、問題だよな」
「何が」
「コロニーが余裕あって、地上人は余裕ないっていうの。というか、それが当たり前に言われてること」
 それを聞いた途端、シンの中で何かが切れた。
「さすが奇麗事はコロニー野郎のお家芸だな」
 露骨な厭味に、青年は眉をしかめた。だがシンは止まらない。
「ああ、アンタは偉いですよ。そうやって広い視野で物事を見られるんですからね。
 だったら現地人にお優しくするのも当然ってか。モヤシ君でも文明の利器に頼れば豊かな生活できるしな」
「もや……!?」
「他人事って思ってるくせにジャーナリスト気取りで降りてきてさ。ピュリツァー賞でも狙ってるのかよ?
 さっさとお空の上に帰れ。半端な同情されるだけ迷惑だ」
 言い捨てて、シンは青年を後ろ手で押しのけた。そのまま雨の中へ駆けて行く。
 背後で青年の声が聞こえた気がしたが、すぐに雨音が隠してくれた。

 
 デビルフリーダム細胞、略してDF細胞。
 
 その名の通りデビルフリーダムを構成する自律金属。 
 金属の一種であるにもかかわらず、無機物・有機物に関係なく結合する事が出来る脅威の発明。
 これが生命体に注入された場合、まるで生きた細胞のように分裂を起こし体内に広がる。
 そして潜伏期間を経て、皮膚の金属化を始める。
 この段階ならまだ治療も可能であるが、脳まで蝕まれれば、デビルフリーダムの操るままに破壊と殺戮を繰り返す、
完全なマリオネットと化す。
 
 蝕まれる生命体が動物であろうと人間であろうと、結果は同じである。…………

「……いつからなの?」
「しばらく前だ。ファイトの途中で化け物と闘ってから」
 声のトーンが低くなった。鎮静剤を注射しながら、ルナマリアは漠然とそう感じた。
 ハイネは教え子の瞳を見ない。窓の外を、降り止まぬ雨を見ながら、ぽつりぽつりと話し出す。
「ファイトの最中に、あいつは割り込んできた。恐ろしく巨大で、はちゃめちゃなデザインで……。
 だが強さは桁違いだった。ファイター二人がかりで、かすり傷一つ負わせられなかった」
 ごくり、とルナマリアは唾を飲み込む。
 仮にも師はアカデミーでマスターの地位にいたのだ。その師が、他のファイターと共同戦線を取っても、
無力なままに倒されたというのか。
「散々叩きのめされた。そして気がつけば、俺は見知らぬ荒野を一人で歩いていた。
 自分でもどこにいるのか分からなくなってた。無意識のうちに逃げ出していたのか……
 一緒に闘ってた奴もどこにいったんだか……。ただひたすら足を動かしてたんだ。
 破壊されたはずのガンダムもなんともなくて、ただ頭だけがガンガンしてた。夢だったのかとさえ思ったよ。
 だが、それからだ。自分で自分が分からなくなってきたのは」
「自分が分からない?」
「ああ……」
 さあさあ、さあさあ。雨の囁きが部屋に満ちる。
 ハイネは何かを言いかけた。しかし言葉を紡ぐことなく口を閉ざす。ゆっくりと自分の左腕を見やる。
 かすかに木の幹が軋むような音を立て、新たな銀の鱗が浮き出てきた。痛みは全く感じなかった。
 いつの間にか銀の鱗は肘を越えて侵蝕していた。
 いずれ手首に、そして左腕全体が不気味な金属の鱗に覆われてしまうのだろう。
 そうなれば次は体全体か。
 眩暈を覚え、ハイネは瞑目する。

「ハイネ」
 ルナマリアはそっと声をかけた。師は虚ろに振り向いてきた。
 翡翠色の瞳からも白い肌からも、先程シンや自分に見せてくれたような快活さは消えていた。
 頬も全く動かない。死人よりも生気のない、そんな彼は見たことがなかった。
 別れの日でさえ、このハイネという男は笑ってみせた。最後まで自分に弱々しい顔を見せることはなかった。
 
 だというのに、今の顔は。

「話したくないことなら、無理に話さなくていいのよ。人には人の事情があるわ。
 あなただって私達の事情、聞かなかったんだし」
 言って、ハイネの右手を握る。
 ハイネはうっすらと頬を上げた。軽く瞼を閉じ、静かに息をつく。
「……神のお導き、なのかもな。こんな時にお前に会えたのは」
 ルナマリアは何の言葉も返せなかった。ただ黙って、曖昧な笑みをかすかに浮かべた。
 右手を通じ、脈と共に幹の軋むような音が伝わってくる。体内であの鱗が増殖しているのだろう。
 一応、シンが来る前に抑制剤は打った。なのに、そんなものは歯牙にもかけぬとでも言うように、銀の鱗は着実に増殖している。
 そもそも薬剤投与のみでは完全な治療は出来ない。DF細胞を取り除くには、手術で直接肉体から切り離すしかないのだ。 
 つまりハイネの場合、左腕のほとんどを切り捨てることになる。
 もしかすれば、左腕を切り落とすことになるかもしれない。 
 
 デビルフリーダムの操り人形になるくらいなら、片腕になった方がマシだとルナマリアは思う。
 だが、DF関連のことを知らせずに、どうやってハイネに納得させればいいのか。
 答えは出てこない。しかし、そうやって迷う間にも、鋼の病魔は師の体を蝕んでいくのだ。