待ちに待ったモノの完成。
液体が満たされた小さなフラスコに押し込められたソレは、長い触腕のような臍帯をするする蠢かせ踊っていた。
ホムンクルスの胎児、しかし内包した遺伝情報は動物のそれではない。
人間。それも創造主・天使覆面、自分の遺伝子だ。
それは、人を人のままバケモノへと昇華せしめる邪悪な種子。
一刻も早くこれを用いてしまいたいという衝動を、今しばらく辛抱すれば得られるだろう恍惚への夢想で抑え付ける。
嗚呼、楽しみで仕方ない。
眼の前で華麗に変身し羽撃いてみせたなら、あの女はどんな顔をするだろう。
困惑、絶望、嫉妬。
きっと、スカした顔を負の感情が示す形に歪めてくれる。
加速する夢想、零れた笑みが止まらない。
そんな楽しい楽しい時間を、不躾な声が破った。
「一応、聞いておきたいんですけど。どうしてもヤるので?」
「ふん、何を今更。怖じ気付いた?」
「…………いえ、単に確認しただけです」
気分を害したように一つ舌打ちし、フラスコのついた装置を抱え座り込む少女。
呆れた顔で、男はそこから離れる。
少女の伝手により所謂裏側の組織から出向した者、それが彼だ。他にも20人程が今回のために集まっている。
どうやら何処かの家に乗り込んで何かをするらしいが、詳しい事は彼も知らない。
まぁ組織の長が直々に行って来いと言った以上、若衆である自分がガタクサ言う権利などありゃしないのが現状だ。それに元々脛に傷持つ身、罪の一つ二つ増えたところで変わりなかろう。
目の下に深いクマを浮かべた男は、そうタカを括り煙草を銜えた。
と、横合いからライターを握った手が伸びてくる。
「あ、すいません」
「礼代わりに一本寄越せ。七ッ星だろう?」
「うわケチ臭っ」
苦々しげな物言いとは裏腹に、何処か和らいだ雰囲気で煙草を隣にきた者へ差し出す男。
朝の清涼な空気に紫煙が溶けた。
「しかし、堪ったモンじゃないな」
「え、何がです?」
「ヨップ。お前だって何となく嫌な予感ぐらいしてるだろう?」
「…………そりゃあ、まぁ、やっぱり」
「だろう。二十歳にもならんメスガキが長にカラダで取り入って、一回り上の大人衆揃いも揃って20人を我が物顔で動かそうというんだ…………普通じゃ有り得ん」
「って、あんまり大っぴらに言わない方が…………ブンヤが何処で嗅ぎ付けるか」
「知らん。それにどうせ上が隠す」
「相変わらず素直ですね、いやもうホントに」
一気に煙草を吸い進め、もう一人の男は吸い殻を土の乗った床に落とし踏み付ける。
屋根の所々朽ちた廃倉庫は、少し厄介な事情を抱えた者達が一時の休憩所として用いるのに最適な風合いをなしていた。
開いた穴からぽつぽつと突き刺さる太陽光。
「どうせオレらが消えたところで、あの組織が変わるわけでもない」
「あれ、アッシュさん世直し願望があったんですか?」
「バカ言え、逆だ。今のままが良いんだよ、適当に理由付けて人を撃てる今がな」
ふん、鼻を鳴らす男と男。
見上げてみた空には、お天道様がイヤミなくらい輝いている。
「武装錬金っ!!」
シンの胸部が跳ね、真赤な長剣へと変化。
剛刃は姿を変えた勢いそのままに、小さな鋼の蝿を抉って擦り潰した。
壁へ突き刺さる前に柄を握って制動を掛け、部屋を傷つけぬよう静かに降ろす。
「…………人質」
「くそっ、巫戯蹴やがって!」
「こういう手を使う事は予想出来たのに、対処する方法を考えてなかった…………私の、落ち度」
怒りに拳を血が出る程握るシン。
後悔に膝を折り打ち震えるステラ。
傍らで佇むガイアの顎には、小蝿が運んできたメモ用紙が銜えられていた。
新聞紙の切り抜きで作られた文面曰く。
『仲間を預かっている 無事に返して欲しくば 午後6時丁度に寄越す迎えと共に一人で来い』
同封されていた紅い髪の毛数本とポラロイドの写真一枚。
写真にはルナマリアが、そしてその周囲に蠢く雲霞のごとき数の小蝿が写し出されている。余りに数が多すぎて、周囲の状況が判らないくらいだ。
ガイアの捜索可能な範囲は最大でも直径2km、遠くなればなる程精度が落ちる。正直、現状では到底探しきれるものではない。
かといって刻限をただ座して待つのも腹に据えかねる、だが打つ手立てが見えないのも確か。
日曜の朝8時、何も知らない風に惨然と輝く太陽が恨めしい。
天へ八つ当たりじみた感傷を抱きながら、シンは武装錬金を核鉄に戻した。
ふと横を見てみると、ステラが酷く落ち込んでいる。
一体何と声を掛ければ良いのか、迷った。
錬金の戦士にあるまじき失態が続き、その果てにこんな始末であるステラ。見習いという名目でありながら既に独力で1騎ホムンクルスを討っているシンには、その心中など掴めよう筈もない。
しばらくの沈黙の後、ステラは口を開いた。
「…………シン、少し独りにさせて」
「ステラ?」
「おねがいだから」
解きほぐすものが見つけられなかった少年は、有無を言わさぬ静かな懇願を受け入れるより他なく。
数秒程何か言いたげに佇み、しかし結局何も言葉に出来ずシンは部屋を辞する。
ぱたり、後ろ手に閉まる扉。
去って行く足音を耳朶に捉えながら、ステラはその場に蹲り顔を伏せた。
主の帰らない部屋は、再び静寂の帳を落とす。
午後、クライン邸の庭園。
ヒルダと共にお茶を楽しんでいたラクスの元へ、一人のメイドが楚々と近付いてきた。
「ラクス様、お客様がいらっしゃったのですが…………」
「あら、私にですの? どなたかしら」
「それが、そのー…………『海』と言えばわかる、とだけ」
「うみ?」
言葉を濁すような、もにょもにょした言伝。
不可思議なその言伝に、ラクスはこてんと首を傾げる。
海。命の源。
しかし、それだけでわかる、とは?
深く考え込み始めたラクスの傍で、彼女だけがそれに気付いた。
静かに確実に忍び寄る、悪意。
「――――ラクス様ッ!」
座っていた椅子を弾くように立ち上がり、ヒルダはラクスとメイドの前へ身を移す。
刹那、乾いた炸裂音が庭内に響いた。
ごりりと肉へ突き刺さる異物感、覚悟していたため声は漏らさない。
日常ではまず有り得ない事に、悲鳴を上げるメイド。
銃撃。ヒルダにしてみれば蚊に刺された程度のモノでしかないが、ただの人間である二人には十分致命傷を創り得る代物だ。
断続的に響いて魂を削る異音、何故か警備装置が作動しない。
もしかすると屋敷内を落とされたか、思って舌打ちする。
ぱぁん、ラクスが精魂込めて咲かせた薔薇を、また一つ撃ち抜き駄目にする弾丸。
無数散らされ地へ落ちた花弁が、黒服の男に次々蹂躙された。
あれよあれよと言う間に、3人は強面の男10人に囲まれてしまう。
10人全員から同時に守るべき人を狙われては、流石のヒルダも動けない。
変身すれば抜ける事は容易だが、その過程で10の死骸が出来る事をラクスは良しとしないだろう。なればこの選択肢は絶対選べない。
息の詰まる、開いた閉塞。
“だが”と言うべきか“やはり”と言うべきか、すっかり怯えて縮こまるメイドの肩を抱き、ラクス・クラインは朗々と言葉を紡いだ。
その目に、正しき怒りを秘めて。
「貴方達。何故このような事をするか、ここが何処だと知っていながらの行いか、それは敢えて今問いません。
…………しかし、花を何とお思いです。その足が踏み付ける命を、何として蹂躙するのです」
3人が銃持つ手を揺らがせた。
「この花はただ無為に咲いているわけではありません。花弁に色を乗せ、芳香を織り、虫に力を借り、次の世代を残しながらも言葉のごとく咲き誇っております。
それを、その誇りを、貴方達が散らし奪い去っていい法は何処に有りますか」
更に2人が銃身を軽く下げた。
「何故銃を持つのです。何故力で押し進めようとするのです。何故言葉を交そうとしないのです。
このか弱い小娘一人に銃を突き付ける事が貴方達の正義ですか、そのために無数の花々を散らしても良いとお考えですか」
残る4人が狼狽し始めた。
彼女の言葉に、自らが危機へ陥っているという認識はない。無惨に砕かれた花達の無念を訴えるだけだ。
そして、それこそがラクス・クラインの持つもの。
悪徳を為す者には断罪の刃を。善行を働く者には不朽の祝福を。
彼女が意思を込め紡いだ言葉には力が宿る。
謳い上げる姿はまさしく『言霊』を繰る呪術師のよう、シーゲルがラクスを外に出したがらぬ理由はここにあった。
…………されど、それが通らぬ者もいる。
――ぱぁん
殊更よく響く破裂の音。
「っあ!?」
一瞬の間隙をおいて、メイドの口から悲鳴が出た。
蹲る少女、スカートに朱が滲む。
「お喋りは程々にしな、ラクス・クライン。お前らも何口車に乗せられてやがる、足引っ張る積もりなら消すぞ」
銃を撃ったのは、彼女の言葉に最後まで心を動かさなかった男だった。
眉に目を描き、両頬へ線を三条記した奇抜な顔。他の者と同じ画一的な黒服を着ているだけに、例に漏れず形容し難い髪型などの異質さが際立つ。
ヒルダは直感で悟った。
この男は、危ない!
「貴様、ラクス様を一体どうする積もりだ」
「知らん。『海』に聞け」
一時シン達に向けたあの威圧を差し向けるも、男は意に介さず標準をメイドの体にポイントしている。剛胆か、はたまた異常者か。
この状態では、狙いが己であろうとラクスは逃げる事を考えない。そこが彼女を彼女たらしめる美徳であるのだが、この時ばかりは大問題だ。
「貴方は…………人を撃つ事に抵抗を抱かないのですね」
「趣味が仕事と一致してるんだ、有り難く思いこそすれ気が引けるなどあるものかよ。逆に問うが、何故その程度の事に抵抗など感じねばならない?」
「っ!?」
人を傷付けるのに一握の躊躇さえ持たぬ、彼女が今まで出逢ってきた人々とは明らかに異なった精神構造。
ラクスは、ただその存在に瞠目した。
静かに息を吸い、吐き、そして毅然とした表情を取り戻す。
不安と痛みにおびえるメイドを、視線で元気づける。
何であれ、人が傷付く姿をこれ以上彼女は見たくなかった。
「わかりました、貴方達の指示に従います」
「ラクス様!?」
「ほぅ、意外と物わかりが良い…………素直なお嬢さんにはプレゼントをやろう、使用人どもの安全だ。
そっちの娘に包帯でも巻いてやれ。その後は屋敷に他の使用人共々一纏めで閉じ込めろ」
「はっ」
「ラクス、さま…………」
黒服に挟まれ連れて行かれる主を、ヒルダは歯噛みしながら見詰めた。
やがてメイドの方も黒服に抱え上げられ、屋敷へと消えて行く。
残されたのは、ヒルダと奇抜な男とその仲間3人。
「で、お前はどうする?」
標準をヒルダの額に変え、奇抜な男は問うた。
あの行け好かない娘からはラクス・クライン以外に対する指示を受けていない、それが故の言葉だったのだが。
「どうするも何も、どうしようもないじゃないか」
「そうかい。悪い事聞いたな」
「あぁ、どうしようもない…………このままで終わる気もないがね」
言い終えた瞬間、ヒルダの姿が消失する。男達は知らないだろうが、旧校舎の教室でステラを惑わせたのと同じ動きだ。
突然標的を見失った一般的黒服は、慌てに慌てて銃の構えを崩してしまった。
大地を踏み抜く衝撃。
奇抜な男だけは一瞬動きを捉えられたが、2度3度動かれ追い切れなくなる。
結局、ヒルダは3m近い高さの塀を飛び越え消えてしまった。
面白くなさそうに鼻を鳴らし、男は銃を撃つ同僚達に制止をくれる。
「待てお前ら、もう撃つな。弾が無駄になる」
「し、しかし…………追わなくても?」
「知らん。あのメスガキに言われた事は全部やってやった」
すっかり硝煙の臭いがわだかまってしまった庭園で、奇抜な男――アッシュ・グレイは嘆息する。
嗚呼、そろそろ発作が来そうだ…………殺してェ。
17時。
ふと顔を上げたステラは、今の時間を知って拘泥たる思いに囚われた。
ルナマリアは無事か。
シンはどうしている。
…………私は、何だ。
この任務に就いて早一週間が経とうとしているが、戦闘行為以外では何ら成果を上げられていない。実際は違うが、彼女はそう思い込んでいる。
短い期間で己の武装錬金を理解し、飛行形のホムンクルスも撃破したシン。
今の自分は果たして、彼へ胸を張れるような立場か?
マイナスの思考ループに落ち込み、再び顔を下に向ける。
昨日ヒルダが言ったには、今回の件、別に錬金術を繰る者がいるとの事。彼女もその存在にホムンクルスの胎児を植え付けられたらしいが、創造主をラクスと認識している理由は判らないそうだ。
もしそれが真実なら、この街にはもう一つ錬金術に関与した団体なり個人なりの存在があるという事になる。
最早、我が手には余るか…………?
途轍も無く弱気な考えが脳裏を駆け巡り、しかし巻き込んだ二人を思い出して呻く。
自分は、こんなに弱かっただろうか。
叱咤し支えてくれる■$#と%▲@:○がいないだけで、こんなにも――――
「あれ」
誰だ。
「え、だれ?」
今、私の脳裏に浮かんだのは、誰だ。
「…………いや、」
知らない筈はない、なのに記憶が否定する。
「いや、いやっ」
誰だ。
「いやぁ、いやだぁ…………」
あの、二人は、ダレダ?
齟齬をきたした記憶に脳がフラッシュバックを起こしかけた、丁度その瞬間だった。
――かららっ
「ステラ、ご飯買ってきたよ」
両手にコンビニの袋を持ったシンが、おずおずと部屋に入ってくる。
割引サービスの期間中で良かったよーなどと庶民臭い事を言っていたが、尋常でないステラの様子に気付き、慌てて彼女に走り寄った。
息が荒い、目も虚ろ、体はガクガクと震えている。
「大丈夫か、ステラ!」
「…………し、ん?」
「そうだよ、俺だ! シン・アスカだ!」
声を掛けた事で何とか己を取り戻したか、瞳に少し力が戻った。
震える手がシンの服の袖を掴む。
「何があったんだ、まさかホムンクルスが何かしたのか!?」
「ちがう、ちがうの…………わたしが、わたしじゃなくなりそうで、こわくなって」
「ステラ?」
「シン、わたしは、ステラだよね?」
「…………うん、ステラはステラだよ。それ以外の人になるわけがない」
目尻に涙を溜める少女へ、シンは出来るだけ優しく言う。
錬金の戦士と言えど、詰まる所は人間。喜怒哀楽はあるし恐怖も覚える。
しかし、ステラが抱え込んだモノはそんなに生易しい存在ではなかった。それをシンは、今この瞬間に悟る。
手を握ってやり、隣に座って待つ。
黙る事数分、ステラはようやく落ち着いてきた。
まだ呼吸は気持ち激しいくらいだが、先程よりは大分良い状態になっている。
「シン、ありがとう。もう平気」
その言葉に一息ついて、シンは空いているもう片方の手でコンビニ袋を取った。
中には、おにぎり。更にサンドイッチ。そしてジュース。おまけにプリン。
「取り敢えず、何か食べようかと思って」
「うぇ…………今はちょっと」
「そう?」
「あんまりお腹空いてないの」
言い終えた瞬間だった。
――ぐー。
額に紅い宝石がくっ付いた黄色いうさぎ(?)の鳴き声と同音異義の音が響く。
一瞬の沈黙、シンはそれを聞かなかった事にし。
「取り敢えず、何か食べようかと思って」
「………………いただきます」
今度はちゃんと食べられました。
そして、時刻は17:55。
玄関前までふらふら飛んできた一匹の鉄蝿を前に、ステラはシンへ告げる。
「ルナは絶対に助ける。前と何も変わらない日常は無理でも、せめて命の危険がない世界へ帰すから」
「ステラ?」
「私、情けないから信じられないかもしれない。だけど、絶対助ける」
意志を取り戻し、前を向くステラ。
その瞳に、シンは初めてこの少女と出逢ったあの日の鮮烈を思い出した。
一度目を閉じ、握り拳を作る。
「大丈夫、信じるよ。信じるから、ステラもルナも無事で帰ってきてくれ。約束だ」
「シン…………」
ステラも手を固めた。
軽くぶつかり合わせた拳と拳の先で、二人は笑う。
「うん、約束」
終わるのを見計らったか、ただ時間になっただけか、蝿がふらりと動き出した。
その後を追うステラを、シンはじっと見送る。
見えなくなるまで、ずっと。