紅い死霊秘法_09

Last-modified: 2013-12-22 (日) 20:28:40

「我は神意なり」

議長が書斎の本棚から一冊の本を抜き取り、一言呟くと本棚は厚みの分だけ奥へ移動し、今度は横へ

スライド、そこには壁はなく書斎からいづこかへ通ずる暗い道があった。



「こんな仕掛けがあったなんて……」

「驚くのはこれからだよ、シン・アスカ君。

気をしっかり持つことだ。とりこまれるかもしれない。」

懐中電灯を片手に真剣な表情で忠告する議長。

ごくっと喉を鳴らし、シンは本を抱きしめ、議長とレイに続いて暗い道を歩み始めた。



こつりこつりと三人の歩く音と、懐中電灯の明かりの中、シン達は黙々と歩き続けた。

道は完全に暗黒。唯一の光源がなければ十分宇宙訓練に使えるほどの空間だ。

怖くてやらないが、右に行こうと左に行こうと果てがないような気がする。

はぐれたりしたら帰れないとばかりに、レイにくっついてシンは歩き続けた。



いい加減不安に耐え切れなくなったシンは言葉を発する。

「あの、この道何処まで続いているんでしょうか、とっくに外に出ていると思うんですけど」

振り向きもしないままに、議長は答える。

「その心配は杞憂だよ、この道は内でも外でもない場所に繋がっているからね。

クラインの壷なのさ。表も裏も、入る場所も出る場所もないのだよ」

頭部に大量のクエスチョンマークが浮かぶシン。

「不安になるのももっともだが、大丈夫。今ついたからね」

暗黒の道を抜けた先には、五茫星が刻まれた扉があった。



議長はその扉に手を当て、

「第四の結印はエルダーサイン、脅威と敵意を祓い、禁断の知を封ずるもの也」

またも合言葉を唱える、たちまちの内に重々しい音と共に扉は左右に開かれていった。

中は書庫と呼ぶに相応しい、小さな書店が開けそうなほどに本棚が並んでいる。

古い本の放つ独特な異臭が鼻をつく、だがそれだけではない。目に見えずとも臭わずともなにも

物質が検出されなくとも、その書庫は何か言葉にできないようなものが空気に充満していた。

例えるなら瘴気とでも呼ぶべきものが。



「この書庫は、この本は……」

「魔導書だよ、若きメイガス。

君の本と同質の、触れてはいけないものを綴った書ばかりだ」

周りを見渡すだけで眩暈を起こしそうなナニカ、強大な圧迫感で視界すら歪んでしまいそうな

通路、いやもうとっくに歪んでいるのではないだろうか。



「このような書籍は本来プラントではなく、アーカムのミスカトニック大学に保管されていた。

いや……保管では不適当だね、そう封印されていたのだよ。わざわざ地球外に移送されてきた

理由はただ一つ。リスクの分散だ」

「分散……?」

「そう、仮に今、此処にある書籍が氾濫、暴走したとしても、核攻撃ひとつで綺麗に

消し去れるからね」

「なっ……」

本が外に出たくらいで、コロニーを消し去ろうだなんて。





「此処にある本とて、ミスカトニック大学に封印されていたものの一部、一割ほどに過ぎない。

シーゲル様も一割ほどを管理していたが、今は私が代理人としてクライン家の地下から続く

書庫を管理させてもらっている。残りの8割は何処に保管されているかは私も知らない。

残りはミスカトニックにあるかもしれないし、地球のどこかにあるかもしれない。

あるいは火星に保管されているかもしれないし、他の評議員が管理している可能性もある」

議長は一度言葉を切ると、俺の瞳を覗き込んだ。



「シン・アスカ君、たかが本でコロニー市民を生贄にするなど正気の沙汰ではない。そう思うかな?

しかし地球全土、数十億の人間に災いが及ぶよりは、最大2千万そこそこの生贄でオカルトハザード

を防げると思えば安いものだ。それが数十年前のプラント理事国の決定だった。

その時代の評議会もまた、プラントの価値を高めると思えばこそ、その提案を受け入れた。

それが禁書がプラントにある真相だよ」

「ギル、そろそろ本題に入ったほうが」



「すまなかったね、レイやラウ以外に趣味を話せる知人が少なくてね、つい興が乗ってしまった。

君に見せたかったのは、そうこの書庫においてもっとも封じなければならないもの。

それは────ネクロノミコンラテン語版だ」

「はあ……この本の親戚でしょうか」

なんだか悲しそうな議長だった。

「研究者ならもう少し驚くところだったのだが。……仕方ないことなのだろうね」

きっと、なんだってーという反応を期待していたんだろう。自分の無知を呪ってしまう。

レイは視線だけで気の毒だと言わんばかりだ。優しさだけは受け取っとく。



三人は異様に長く感じる通路を端まで歩む、着いた先は、一つの本棚に一冊の書という妙な配置の

本棚。数秒してシンも気づく、これこそがこの書庫の最大の禁忌なのだと。



「これが件の書だ。この本を解読すれば、シン君の書への解明に一歩ちかづ───なんだと!」

言葉を紡ぎ終える前に、シンの持つ紅い書が分散し、嵐のように舞い散る。

昨日の契約と同じように少女の形を模ると思ったが、次に起こった現象は想像の埒外だ。

大切に保管してあったラテン語版までもが、中空に舞い上がり、その頁を散らし始める。

シンは猛烈に嫌な予感がした。なぜだか自分の持っていた書が、あの少女が何をする気か

おぼろげに分かってしまったのだ。



「わ、私のネクロノミコンが!」

もっとも貴重な封印物にして、最大のコレクションが紅い書の頁に巻き取られていく。

コーヒーに落としたミルクをかき混ぜるように、二重螺旋が収束するように、紅い書と写本は

一つに重なりあい、交じり合ってゆく。

シンはその光景を呆然と眺めた。もうどうしていいか分からない。





「シン、とめろ! ギルを殺す気か!」

「俺にも止めらないんだって! 元から俺のいう事なんて聞く耳ないんだよ彼女は!」

「いいからやれ!」

「わ、分かったよ!」

大きく息を吸って───

「コラ! やめないか! 人様の物を漁るな!」

シンは絶叫した、生まれてこの方、妹が死んだ時以来の大絶叫だった。



───イヤ、私の勝手でしょ───



最悪だコイツ。なんとも思ってない。俺はご主人様じゃなかったのか。

サラダを食べるんじゃなかったのか?



───契約通りだわ、実に正当な行動よ───



「一言断ってからやれ! この馬鹿!」



───今度から考えておくわ、それともう遅いから───



なんということでしょう。数十年以上この書庫で封印されていた禁書は跡形もなくなり、

その場に在るのは真紅の人影、二冊の魔導書が模った、紅い少女にすり替わっていたのです。



「ごちそうさま、とっても美味しかったわ。流石は私のマスターね。たった一日で私を世界に

固定させてくれるなんて。私は不幸の星の下だと思っていたけど、なかなかどうして」



真っ白に燃え尽きていたギルバート議長は彼女の姿を認めた瞬間、残像でも発生させんばかりに、

少女に詰め寄り、挨拶を始めた。凄い立ち直りだ。

「始めまして、私の名前はギルバート・デュランダル。後ろの金髪の少年が息子の

レイ・ザ・バレルと申します。以後お見知りおきください。

不躾ではございますが、是非ともご尊名を伺いたいのです。偉大なる書の精霊よ」



「あら、話の分かるヒトもいるのね。ふふ、私のコトを知りたいのね。嬉しいわ、私のことを認めて

くれるニンゲンが居てくれるなんて。───それでは名乗りましょう。

私は生まれざる生命。

私は望まれぬ生命。

私は呪詛を血に宿す『書』。

私は怨嗟で綴られた物語。私は──」

「ネクロノミコン────

………ネクロノミコン……

ネクロノミコン、なんだったかしら」

ずっこけた。大丈夫かコイツ。





「まあアル・アジフより産み落とされたることに変わりはないわ」

「なるほど、それでは貴女は如何なる目的を望まれるのです?」

いいのかなあ、まるで議長がコイツの手下みたいだ。昨晩ならいい奴かなあって思ってたのに……



「私が私として完璧になること。私は欠けているの。断章が地球圏のどこかに紛失している。

そのせいで、私も力と記憶が欠けているのよ。断章集め、手伝ってくれるの? ギルバート」

「是非とも」

「ええええええええええ!」

即決ですか!?



議長、もしかしてロリコンの気があるのか、それどころかブックフェチ? 魔法少女効果もプラス?

レイ、どうなってるんだ───って降参のポーズで首を振っている。お手上げってコトなのか。

「とりあえず議長に謝れ、この馬鹿!」

「許してくれるギルバート?」

「もちろんです、ミスネクロノミコン」



プラントの明日はどっちだ。





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