運命のカケラ_短編その5

Last-modified: 2009-06-28 (日) 07:53:07

「えぁ!?」
「あ、ミタマ君」

 

 妙な声を漏らしたことで教室中の視線が雄介に集まるが、当の雄介はそんなことを気にする余裕もなく視線を固定していた。
 長い束髪を揺らしてやっほーと手を振るのは、紛れもなく昨日海で出会い、今朝雄介の頭上を飛び越えていった栗色の髪の少女だったのだ。

 
 
 

「――あら、三珠君。この子と知り合い?」
「は」

 

 教師の一言に意識を引き戻された雄介が認識したのは、自分に突き刺さる数十の視線。具体的には教室内ほぼすべての人間が雄介を注視していた。
 指差しかけた右手を戻し、ぱくぱくと金魚のように口を開閉する。何か言わなければならない。何か。何か。何か!

 

「いや、あの……間違えました」
「あれ、ミタマ君じゃないの?」
「え、いや」

 

 そうなんだけど。もごもごと口の中で呟く雄介に、少女は悪意のない表情で首をかしげた。
そのやりとりに集中していた教室中の意識が、ぱたぱたと叩かれた出席簿の音で教壇へ向く。

 

「はいはい、なんだかわからないけど時間ないんだから次いくわよー。とりあえず自己紹介からね」
「はいっ。高町なのは、親の仕事の都合でこっちに来ることになりました。昔から色々なところを行き来していたので、この国はまだわからないことが一杯です。色々教えてもらえると嬉しいです。どうぞよろしく!」

 

 ぺこり、と勢いの良い礼にしたがって、束髪がぴこんと跳ねる。いかにも明るく元気、と
言った自己紹介の様子にほとんどの生徒、特に男子は軒並み盛り上がった拍手を贈った。

 

「出身は?」
「北のほうです」
「北って?」
「あー。えーっと、北アメ――」
「はいはいはい! 趣味は!?」
「――え、趣味? お散歩と、後はお菓子を作ったり――」
「はー……」

 

 何事かの質問とそれに対する答えが飛び交う中、雄介は頭を抱えてため息をついた。幸せが逃げるとはよく言うが、そんなどこの誰が言ったかもわからない言葉一つを知っていたところで無意識に出てしまうものが抑えられるはずもない。

 

「あーあーあー」

 

 がく、とそのまま抱えた手を崩し、支えを失った頭は横を向いた形で机に着地する。
 ぬるい空気と比べて、少しだけ冷たい板が気持ち良い、とリラックスしかけた脳をうぉぉぉう、と野太い声が揺さぶった。少女が何か答え、その度にいちいち沸く歓声だ。
 正直うるさい。しかも教室に万遍なく散らばっている男子のほとんどが発生源なせいで、窓以外の全方位から聞こえてくるような、むしろ声に包まれているような感覚さえ覚えた。

 

――勘弁して欲しいよ。

 

 遅刻という脅威が去ると、その原因となった事態が再び頭をもたげてくる。気にしてどうにかなるのかというとならないような気がしなくもないが結局自分も問題の一部な訳でだからどうにかしたいけれどどうにもならないこのもどかしさ。
 机に押し付けた頬を離し、首を回して空を見れば、昨日と同じような茫洋とした青色が広がっている。どこに雲がある、と言うにははっきりしないが快晴の空よりは濁った、湿気を感じさせる空。おぉぉぉぅとまた窓を震わせる歓声。
 悪いわけではない、むしろ平穏。だがすっきりしない。どこかすっきりしない。いや、どこかではない。何がすっきりしないかはわかっているのだ。
 前の学校の卒業式あたりまでは『それまで』通りだったのに、たった2,3ヶ月で何が変わったというのだろう。自分が変わっているようには思えず、なら彼女が変わったのだろうと考えつつもどう変わっているのかがまたわからない。
 昔とは違う、それは言うまでもない。お互いの自転車が赤い色をしているのを見て、おそろいだーなどと無邪気にはしゃいでいた頃と比べれば、両者ともに違うのは当たり前だ。だが。
 それなら『いつ』変わったのかという疑問に思い当たって、はたと雄介は思考の歩みを止めた。
 その時と今とを比べて考えたとき差がある、つまり変わったのは確かだ。ならばその変節点はどこなのだろう。昔喜んでいたものが今恥ずかしいと感じるならその中心、プラスとマイナスの境目になった部分がありそうなものなのだが。
 机に潰れた姿勢から頬杖を戻し、記憶を探り始めた雄介はふと外、窓の下を見る。ごま塩のような色合いの丸刈り頭――柔道部の顧問もやっている体育教師だろう、あの色合いとやや横幅の広い形は――が歩いているのを見つけて、何をやっているのだろうと気になった。教師は普通授業時間中、学校の外に出歩いたりはしない。

 

「……?」

 

「――はい、ちょっと運動は苦手――」

 

 興味の赴くまま、ごま塩頭が対する方向に視線を滑らせ――『それ』を発見してからきっかり2秒後、あぁとなんともいえない気分になる。
 まるで闇が固まったような、いたずらで黒ペンキでもかけられた狛犬のような、そんな『それ』が何なのか知っていれば、大抵の人間はどうしたらいいかわからなくなるだろう。
 じりじりと近づいていくごま塩頭とそれを支えるジャージに包まれた身体。流石に怖いらしい、生徒に対する時と違って酷く慎重な動きを見ていると笑えてきた。
 門柱の上に上半身、続く塀の上に下半身。門周辺以外の敷地を囲む金網ほどではないにしろ、その見覚えのある黒い獣、シンと呼ばれていた巨狼は細い足場に器用に身を預けて尻尾をぱたつかせていた。
 10メートル弱の距離からまた一歩体育教師が距離を詰め――瞬間、シンが頭を起こしてじろりとごま塩頭に視線を向ける。石化の呪いでも受けたかのようにびくりと固まる教師の身体。
 もっとよく見ようと首を伸ばした瞬間、雄介の視界はいきなり通路側から突き出してきた紺色の物体に占領された。

 

「!?」
「あー、またあんなことして」

 

 咎めるような声の主は、先程まで壇上にいたはずの少女――高町なのは。染めたものとは違う、むらのない栗色の髪は滑らかに背中を滑り落ち、雄介の目の前でブレザーが描くつつましやかな膨らみと共にやけにいい香りが雄介の意識を侵食しだした。
 そんなことも知らずに、あるいは気にしていないようになのははよいしょ、と窓枠に手をついて身を乗り出す。窓から吹き込む風に煽られた髪の先が、石鹸のような香りを直接雄介の鼻先につきつけた。

 

「周りの人怖がらせちゃ駄目って言ったのに。シーンくーん!」

 

 よく響く声。教室中ばかりか隣の教室の窓を通して飛んでくる視線すら平然と受け止めて、なのはは首を振り向けたシンに向かって言葉を続けた。

 

「だーめーだーよ! 怖がらせたらだーめ!」

 

 まるで子供で一杯の公園に犬でも連れてきたような風情の大声にシンはぱたりと耳を動かすだけで、吼えることも唸ることもなく、ろくなジェスチャーを見せずに顔を伏せてしまった。興味なしにしか見えないような反応が不満なのだろう。なのはは首をかしげながら上半身を戻して、もう一度もう、と息を吐く。
 静まり返った教室で、ふと気づいたように雄介を見下ろす藍色の瞳。あ、と小さく呟いたのは血色の良い唇。雄介の目の前に胸元を突き出していたことはおろか、周囲のこともまったく気にしていないらしい。ついでに『怖がらせた』相手が教師だったことも、カケラも気にしていなさそうだ。
 そんなことを考えていると、ぺちん、と柔らかそうな手が雄介の前で合わせられた。

 

「…………」
「えっと。ごめんね、ミタマ君。邪魔しちゃった」

 

 雄介に――この教室の中で雄介だけに向けられた、両手を合わせた謝罪のポーズのかわいらしさと、瞬間的に突き刺さってきた妬みの視線の感触を、雄介はしばらく忘れられなかった。

 
 

「ねねね、高町さん! 前の学校ってどこ? どんなところ?」
「あ、はは。えーっとね、外国だったから」
「凄-い! 外国って時間ごとに教室違って――」

 

 きゃいきゃいと甲高い声を発する肉壁の向こうに埋もれるようにして、目下の注目の的である転校生、高町なのはは席に座ったまま――のはずだ、見えないが――矢継ぎ早に投げかけられる質問に答えていた。
 趣味、好きなもの、芸能人、はたまた住居。よくもそんなことまで、と雄介が思うようなことまで質問が繰り返されるが、なのははそれに圧倒されることなく丁寧に答え、ごまかし、時には質問で返して盛り上げることすらしていた。もとが社交的なのだろう。一人にばかり構うわけでもなく、満遍なく会話をしているあたりも慣れを感じさせる。
 だがなんとなく、本当になんとなくだが雄介は違和感を感じていた。頬杖をついたまま、居並ぶジャンパースカートの壁がうねる様を観察し、耳に痛くなりそうな会話に聞き入る。
我ながら無意味な分析をしているとは思うが、どうせホームルームから授業の間など何をするにしても短すぎる時間だ。

 

「――だから……え? うぅん、そうじゃなくてね――」

 

 会話の背景になっている知識量が違う、とでも言えばいいのだろうか。まるで子供に話を合わせる保母のように、『なのはが』合わせている雰囲気が強い気がする。
 勿論やりとりにおかしいところがあるわけではないし、彼女達が気分を害するということでもない。つまり、何も問題はない。勝手に違和感を感じて雄介が眉を寄せている、それだけの話だ。
 そして自然、話題は今も門柱に寝そべっている黒い獣のことに移っていたようだった。つい先程の『怖がらせたらだーめ』からなのはと関係がある存在なのは明らかなのだから、そのことについて聞こうと思わないほうがおかしいというものだ。
 その話題についてやりとりが始まった瞬間、一瞬だけ教室内の空気が引っかかりを見せた。なのはの周囲に集まっていた女子達も、関係なく普段どおりにしていた生徒達も少しだけ物音を静め、なのはの発する一言一言に意識を傾ける。

 

「うん。シン君って言ってね? 私の家族っていうか、んー」

 

 シン。動物につける名としてはあまり一般的ではない感じがする。どちらかといえば人の名前のような。
 小さいころからずっと一緒だった、と昨日言っていたとおりほとんど家族のようなものなのだろう。が、どうやらそれだけではないらしい。続きを促す女子達にちょっと待ってね、と返したなのはは数秒間唸っていたが、やがて違う形で『彼』をあらわす言葉を見つけたようだった。

 

「相棒、が一番近い、ん、だ、け、ど――ふふ。そうだね、世界で一番大事な相手……みたいなものかなぁ?」
「!?」

 

 瞬間、雄介には冗談ではなく教室の空気が揺れたように感じられた。
 直後の反応はおおむね2種類に分かれた。世界で一番大事、と言ったその対象が何であるかを考える前にその言葉自体に目を輝かせるか、その対象が何であるかを最初に考えて驚愕と絶望に目を見開くか。

 

「っな――」
「えーっ! 何それ何それ、高町さん凄い!」
「それって何!? あのおっきな犬!?」
「違うって、あれ狼でしょ! それで高町さん――」

 

 破裂しかけた雄介を含む男子達の驚愕は、わずかに早く炸裂した女子達によって押しとどめられてしまった。
 出る寸前のくしゃみを無理矢理止められたような表情になった男子達は、皆一様に恨めしげな視線を爆発し続けるなのはの席周辺に向ける。

 

「えー、そのままの意味なんだけどな。そんなに変?」

 

 その注目を受け、2重の渦の中心にある彼女は、やはりどこかズレたまま周囲の反応に首をかしげていたようだった。
 当人を放ってひたすら盛り上がる空気に辟易して雄介は視線を巡らせ――ふと気づいた。
 こういうことが好きなはずの『彼女』があからさまになのはのいる場所から距離を置いている、のみならず警戒した視線を送っていることに。
 少なくとも雄介の覚えている限りでは滅多に見たことのない、敵意に近いものすら感じさせる眉をひそめた表情に漠然とした不安を抱えつつも、雄介は鳴り始めたチャイムを耳にして授業の用意を始めた。

 
 

 1時限目。

 

「えー……え、っと……ハムラビ法典?」
「中学で習いませんでしたか、高町さん? 歴史上、明文化された法律のはじまりは――」
「はぅ」

 

 かくりと頭を下げると、なのはは支えをなくした人形のように椅子――雄介の斜め前、窓際から2列目前半――に腰を下ろした。
 話を再開する教師をよそにがばりと顔を上げると、眉尻を吊り上げて親の仇のような勢いで真新しい教科書のページをめくり始める。

 

――苦手なんだ、社会。

 

 その教科書の範囲ではほとんど一文でしか触れられていないことを告げるかどうか、雄介が考えている間にもぱらぱらと紙の音は続いていた。

 

 2時限目。

 

「じゃあ高町さん、サーブお願い!」
「はーい!」

 

 体育館の半面ずつを使って男子はバスケットボール、女子はバレーボール。本来の広さより狭いコートは、それでも運動部以外の生徒達には丁度よい大きさだった。
 ネットから最も離れたコートの端でなのはが元気よく声を上げ、気合の入った表情で下手からサーブを――
 瞬間、ボールが破裂したのかと思うような凄まじい打撃音と共に『垂直に』白いバレーボールが跳ね上がった。大砲の砲弾のような勢いで発射されたボールはそのまま天井に激突し、体育館の屋根とそれを支える鉄骨との隙間に挟まってしまう。
 ぱらぱらとほこりが落ちてくる段になって、ようやく停止していた体育館の時間が動き出した。

 

「あー……」
「高町さんサーブ強すぎだよー」
「でも何気に凄くない?」

 

 びぃぃんとギターの弦のように揺れるワイヤーとがっちりはまってしまったバレーボールを見上げては各々勝手なことを口にしてはしゃぐ女子達の中、なのはは両手で頭を抱えていた。

 

――力、強いんだ。

 

 3時限目。

 

「それで、ここは原点と点Rを結ぶ直線を引けば3角形が二つになります。3角形の内角の和は180度、それとこの二つの角は、直線ABと直線OQが平行ですから同位角になります。だから角OQRは――」 

 

 すらすらと書き連ねられていく図に、生徒達の大多数はぽかんと口を開けて見入っていた。計算問題を図に置き換える速度、よどみのない説明に追随する板書の早さ、1時限目の社会で簡単な質問にまごついていた時とは比べ物にならない。
 かきゅ、と小気味いい音を立てて答えに下線が引かれた時には、良いとも悪いとも言えないあたりの成績の持ち主である雄介はようやく半分を理解したところだった。

 

――計算、速……あ、先生まだ消さないで!

 

 4時限目。

 

「この場所で主人公である『僕』が問題と考えているのが、あー、何なのかという説明は、あー、普通の、おー、日本語なら直後の文章になります。けーれーどぉ、ここは違いまぁす」

 

 60過ぎのハゲ頭が、黒板の前を左右に往復し続ける。教壇の端で止まっては切り返す一連のリズムと追随して左右の耳に揺さぶりをかけるとぼけた声が、まるで催眠術の振り子のように一往復ごとに雄介の意識を削り取っていく。
 何故授業中の眠気というものはこうも気持ちが良いのだろうか。目を閉じる、そんな簡単なことなのに、それだけで巨大な快楽の錘が絡み付いてくる。
 そして、並大抵のことではそれに抗う術はない。事実、教室の実に3分の2が既に睡眠の世界へと連れ去られていた。

 

「そう、そーしーてぇ、えー、ここで倒置を……」

 

 雄介が意識を失う寸前に見たのは、左下に揺れ右下に揺れ真ん中上へと戻る3角形、3拍子を規則正しく繰り返す栗色の頭と束髪だった。

 

――もう……だめ……だ……

 
 

「あれ? 高町さんは?」
「――え、どこだろ」
「購買の場所とか教えてあげようと思ったのにー」

 

 ようやくの昼休み。あまり自分とは関係のなさそうな疑問の声を背に、雄介はコンビニのビニール袋を手にして立ち上がった。
 ある者は弁当箱を鞄から取り出し、ある者は購買や食堂へ。『目的地』を目指して足を進めるごとに、そういった昼時の喧騒が遠ざかっていく。最上階の4階から更に階段を登り、使われていない机や椅子が積み上げられている間を抜けた、扉の先。それが雄介の目的地――屋上だ。
 本来は生徒の立ち入りは禁止されているのだが、雄介は以前ちょっとした事情で扉の鍵を手に入れていた。見つかれば没収されるのは間違いないが、雄介自身お気に入りというほど屋上へ出入りするわけではない。ついでに言えば屋上というだけで何か変わったものがあるわけでもない為、見つかったら仕方ない程度の意識だった。
 とにもかくにも、今まで雄介以外が屋上に出ていたことはなかった。故に、雄介はその違和感に即座に気づいた。

 

「?」

 

 立ち入り禁止の証である南京錠が外され、扉の取っ手にぶら下がっている。窓を塞ぐように積み上げられた机の隙間から光が差し込み、鈍い黄銅色に反射していた。
 前に鍵をかけ忘れたかな、などと考えながらノブを回した雄介は扉を引き開け。

 

「あれ、ミタ――三珠君。屋上って立ち入り禁止なんじゃないの?」

 

 予想外の人物の姿に固まった。
 雄介から見て右方向、校庭を見下ろしていた姿勢から振り返りながらぬけぬけと自分のことを棚上げした台詞をのたまうのは、わずかな間に強烈な印象を校内に撒き散らした転校生――つまりは高町なのはその人だ。
 もはやいちいち驚くことすら面倒になってきた雄介はため息を一つつくと、軽く手を上げ
て持っている鍵を示して見せた。

 

「……まあ、色々あってね。こっそり鍵、持ってるんだ」
「ふぅん」

 

 これまた何度も聞いたような気がする割とどうでもよさそうな反応を見せつつ、なのははつい、と身体の向きを戻した。屋上に吹く風を楽しむように目を細め、言葉をつなぐ。

 

「でも、一応校則で決まってるんでしょ? 気をつけないとね」
「ああ、うん。そうだね。そうだ」

 

――言ってることは正しいよ。正しいような。いや、気をつけないとねって何に対して?

 

 真意を計りかねて微妙に腰の引けた体勢になっている雄介に軽く顔を向けてくすりと笑いかけると、なのははシン君、と普通に会話するような声で空中に呼びかけた。

 

「え、それだけで来るの?」
「うん。シン君、耳いいから……ね、三珠君って屋上のドアがお気に入りなのかな?」
「へ」

 

 そう言われて、雄介はなのはの存在に気をとられてずっと屋上入り口の扉の前から動いていなかった事を思い出した。収まりの悪い気分に苛まれながらそそくさと『いつもの位置』――屋上の端近く、低く立ち上がった段状の部分に腰を下ろす。その時、ちょうど雄介の頭上を越えてシンがほとんど音もなく降り立ってきた。
 雄介の頭上を越えて。あの門柱から。つまり外側からだ。

 

「って――」
「ん、じゃあご飯にしよっか。シン君こっちね」

 

 思わず立ち上がって下を見下ろし、シンを振り返り、また下を見下ろして落差を再確認する雄介に構わず、なのはとシンは食事を始めようとしていた。腹ばいになったシンに優雅に背中を預けると、どこからか巨大な弁当箱を取り出した。
 箸で摘んだ肉やら野菜やらを顔のすぐ脇に来ているシンの口に放り込みながら、同じ箸でなのは自身もベーコンの野菜巻きやから揚げやらをほおばり始める。
 なんとなくエジプト辺りの壁画を思い出させる光景だな、などと思考が走り抜け――犬姫、等という言葉を思いついた。そこそこ語呂は良い気がする。

 

「…………」

 

 あ、犬といえば同じ場所でものを食べるのって犬のしつけに良くないんじゃなかったっけ、などと更に思考をあさっての方向に逃避させ続ける雄介に、やがて藍と血色の2対の瞳が向けられた。一つは不思議そうに、一つは無感情に。
 学校の敷地に満ちるざわめきも、今こうして自分を見ている彼らも。どこか別世界の存在のように思えてくる。自身が何か決定的な間違いを犯しているのか、世界が間違っているのか真剣に悩み出した雄介に、なのはが不思議そうに問いかけてきた。

 

「何してるの? 三珠君」
「いや……あー……」

 

 首をかしげるなのはも、どこか呆れたようなシンも、口を開けたままにしている雄介も。

 
 
 
 

初夏の太陽は平等に見下ろし、日差しを降らせていた。