運命のカケラ_01話

Last-modified: 2008-06-15 (日) 00:06:09

「――――」
 

 

 浮上する意識。だがそれ以上の何のアクションも起こせないまま、彼――シン・アスカは致命的な『何か』が全身から抜けていく感触だけを味わっていた。
 声にならないうめきが、狭く暗い空間の中に吐き出されて溶けていく。
 砕けて無重力の中を舞うヘルメットの破片、9割がた割れたモニター。球体になって漂う血。
しばらく火花を散らしていたコンソールはもはや完全に沈黙していた。
 意識を失う直前に見たのは、ジェネシス型兵器の放つ圧倒的な光。一次ミラーを体当たりで破壊した機体は、当然の如く中央部で起爆した核の爆風に直接曝されることになった。高エネルギーの影響か視界が歪み、次いで凄まじい衝撃と共にコンソールが吹き飛んで――そして今、機体の状態確認もままならないままに無重力に浮かぶ棺桶となったコクピットの中にいる。
 すべてをへし折られ、あの慰霊碑の前で差し出された手を取ってから数年。同軍――『英雄』達の手により構築された新たなザフトの皆からは危険分子と、テロリスト――古いザフトにいた者たちからは裏切り者と言われながらシンは戦い続けた。
 ただただ、平和な世界――戦争のない世界の為に。
 『正義』にへし折られ朽ち果てた『運命』から、予備パーツが残っていたという理由で『衝撃』の名を持つ以前の機体へと乗り換えて。
 ……彼らに従うのが平和への道。ならばそれを全うする事こそが自身の望みを叶える最短距離。その為ならば、例え負け犬と呼ばれようが裏切り者と呼ばれようが構わない。いつしか傍らにいたはずの赤い少女の姿がなくなっても、それどころか周囲に知った顔が一つもなくなっても、シンはひたすらに戦い続けた。
 そして、その末路が『これ』だった。どこかの過激派がひそかに復元し、放とうとしたジェネシスαの同型砲。その発射を阻止する為に機体ごと突っ込み、核の爆風を浴びたわけだ。流石はVPS装甲と言うべきか粉々になるのは避けられたようだが、コクピットが形を保っているというだけでほぼ全ての機能が停止している今、死への時間が引き延ばされるだけなのはむしろ性質が悪いかも知れない。核爆発後の電波障害やコクピット内の酸素量、それ以前に――コクピット内部の破片か何かが突き刺さったのだろう、パイロットスーツの下半身の隙間を満たすほどの出血量。助かる可能性は皆無だった。
 覚悟していた時が遂にきたのだ、という諦めの一方で、それでいいわけがないと叫ぶ部分がある。シンはまだ平和な世界を『守りきれて』いないのだ。
 まだ戦わなければいけない。まだ守らなくてはいけない。こうしている間にも誰かが死んでいる。自分が戦うことで救えずとも死なせずに済むはずの『戦いを選ばなかった人々』がいる。
 しかし。

 

「……」

 

 ぱらぱらとパイロットスーツに降り積もる透明の欠片と血球ごしに、隙間風のような音が漏れる。
 息は声にすらならず、口を動かすだけで底をつきそうになる力。手足を動かそうにも感覚はとっくになくなり、かろうじて感じるのは自分の身体が芯から冷えていくことくらい。
 不可避の死。シン・アスカという命の終焉。
 ろうそくの炎が消えるように薄くなっていく意識に最後に浮かんだのは暖かい――暖かだった、小さな手。

 

「俺は――」

 

 微かな光も消え、闇に包まれたコクピットの中で。
 シン・アスカの命は、燃え尽きた。

 

 静寂。細く続いていたシンの息遣いが止まり、完全な静寂の満ちるコクピット。そのコクピットを抱える機体は、満身創痍というのも生ぬるい状態だった。四肢と頭部は消滅し、コアスプレンダーを納める胴体部分が辛うじて原形をとどめている。背中に装備される増加機能パックどころかほぼ全ての装甲が吹き飛び、ねじ切れたフレームが露出し、コクピットの外殻にも大きな亀裂が入っていた。
 そんな機体が広大な空間の中を漂っている。
 ――漆黒の宇宙ではなく、異様な色彩を放つ空間の中を。やがて空間に満ちるのは光。
 赤い、赤い光。
 
 
 

 

 

 
 異様な色彩を放つ空間――次元と次元の間にある航路を、一隻の貨物船がゆっくりと進んでいた。
 少々どころではなく痛んだ船体はところどころが継ぎはぎに補修されており、少なくともまともな整備を受けている、とは言えなさそうだ。
 角ばった船首、操舵室とでも言うべき場所で数人の男が椅子にふんぞり返っていた。統一感のない服装をした彼らは、しかしだらけているという点においては同一だった。
 定まった航路の運行は自動操縦任せにし、コンソールに足すら乗せて雑談に興じている。

 

「しかし、今回は大漁だったな。シーリングはちゃんとしてるか?」
「当たり前だろ。あのデバイスもどきとジュエルシードは特にギッチギチにしてるさ」

 

 いくつも積みこまれたコンテナの奥。大小さまざまな謎の物品に混じって、深紅の宝玉が透明なケースに入れられて鎮座していた。大きさは指でつまめる程度、見ようによってはビー球そのものである。

 

「管理局も取締りに本腰を入れてきたって話だからな……その前に稼いどくぞ」
「そういや知ってるか?さっきぶちのめした連中、スクライアとか言う盗掘屋で――」

 

 爆音。振動。それを認識し、意味するところを理解した瞬間の男たちの行動は早かった。衝撃でずり落ちた身体を立て直し、一言のやりとりもしないままにコンソールに向かうもの達と立ち上がって工具を引っ張り出すもの達とに分かれる。

 

「状況確認……くそっ!コンテナが吹っ飛んでるぞ、12番ってジュエルシード積んだところだろ!?ああ、循環系もやられてやがる!!」
「場所を教えろ、修理してくる!」

 

 コンテナ部分から煙を吹く貨物船。その損傷部分から、いくつものきらめきがこぼれていった。
 
 

 

 ――外部での攻撃性現象を感知。情報収集開始、防御行動の必要性を検討開始。
 ――付近に不安定な高密度魔力を確認、防御行動の必要性あり。自立防御プログラム起動開始。
 ――エラー。本体内蓄積魔力量、少。プログラム基本モードでの実体化維持不可能、プログラム外殻形状縮小にて対応、形状選定……完了。
 ――設定変更完了、再起動……成功。プログラム実体化開始。
 
 

 

 ぱちぱちと唸る火花の音がして、彼は目を覚ました。完全に状況をつかめているわけではない。だが何をすればいいかは知っている。……そう、危険な場所から『本体』を遠ざけるのが今の自分の役割だ。
 まず自分の状態を確認。黒い毛に覆われた4本の足はガラクタが散らばる金属の床を踏みしめ、聴覚はいくつもの硬い足音や何かが噴出す音を捉えている。視覚も問題ない。
 頭上を煙が這っていた。足元に開く穴から外を覗く――次元間のもやもやとした色彩。本体が認識したところの『さしあたっての脅威』である高密度魔力の塊がいくつも落ちて行き、次元の裂け目に消えていく。
 その裂け目が視界に入った瞬間、不必要として停止されていたはずの『感情』が跳ねた。
 彼の胸中に沸きあがったのは懐かしさ。
 夜なのだろう、暗い地上にいくつもの光が点り、蜘蛛の巣のような模様を成している。それが建造物の、そしてそこに暮らす人びとが作り出す光であることを彼は知っている。
 知っているからこそ連想した。同時に頭の中で何かが「エラー発生」と叫ぶ。
 『脅威』がそこに降り注ぐ事で何が起こるか。
 連想したからこそその衝動は彼を動かした。頭の中で何かがエラーエラーと繰り返すが、そんな事は――『俺』にはどうでもいい。
 エラーを告げる声が聞こえなくなった代わりに去来するのは断片的な映像。光。細い腕。
赤。翼――そんな事をさせるわけにはいかない。それが意味するところだってわかりはしない。だが何故だか、それは許容できない。
 本能のようなものに導かれるまま、彼は床の穴から身を躍らせる。目指すのは閉じかけた次元の裂け目。人びとが暮らしているであろう、懐かしい香りのする世界。

 

 赤い瞳と黒い毛並みを持つ獣は、こうしてその世界に降り立った。

 

 守らないと。戦わないと。もう、あんな事を――

 

『許してなんかおけるか……っ!』

 

 知らず漏れ出した『声』。『この世界』の誰も聞くものなどいないはずのその声は静かに、だが力強く響いた。
 
 
 

 

 
 顔を出した太陽が、ビル街に長い影を貼り付け始める時間。
 ある民家の一室で、桃色の携帯電話が唐突に音楽を奏で始めた。ついでに振動まで始めてセットされた時刻が来たことを知らせるそれを、布団の中で小さな手が掴もうとして――ベッドの下に、ぽろりと落ちる携帯電話。
 それを追うように色白の腕がにょっきりと布団の塊から突き出し、手探りで携帯電話を拾い上げてから数秒。ぷつりと音楽が止まり、ベッドの主は寝ぼけた目を擦りながら起き上がってあくびを一つ。
 茶色いセミロングの髪のあちこちを跳ねさせた少女は、目じりに浮かんだ涙を拭きながら呟いた。

 

「なんだろう。ヘンな夢――声かな?聞いたような……」

 

 誰にも聞こえないはずの声。しかしその声は、確かに『聞こえて』いた。