運命のカケラ_08話

Last-modified: 2008-06-22 (日) 01:56:10

「……くそったれ」
「もう、どうしたの?」

 

 そんな不快感を露骨に出す年代を遥か過ぎ去ってしまったシンが万感を込めて口にしたのは、何かを罵る一言だけだった。
 

 

 
 
 どうしたの?
 ん? いや、なんでもない。
 もう、またそんな顔して。嘘下手な癖に。
 な、なんだよ。そっちこそすぐ顔に出る癖に!
 はいはい……で? まーた昔のこと、思い出してたとか?
 まあ、な。
 ねえ。前も言ったけどさ……
 わかってる。わかってるよ。俺は『今』、生きてる。俺が見てたのは『過去に生きていた人たち』だ、って言うんだろ?
 覚えてるならいいけどね。いっつまでも思い出すたびにトリップしてないでこの目の前の私を見なさい! 大体、私でなかったらとっくに愛想尽かしてるわよ?
 あーはいはい。アリガトウゴザイマス……感謝してるよ、ホント。
 なら感謝の印としておいしいものでもおごって貰わないとねー。……っと、こんな時にスクランブル? タイミングわっるいなあ。
 何言ってんだ、急ぐぞ!
 わかってるわよ! 私がアンタの――
 え? 何だって!?
 なんでもなーい! ほらGOGO!!

 

 
 それは彼が『生きていた』頃、赤い髪の『彼女』が、少女から女性へと成長し始めていた頃の思い出。今はもう、失われた時代の思い出。遠い遠い、思い出。
 

 

 
 
「……むむむ」

 

 夕刻の神社、恐ろしく長い石段を登りきった先にある人気のない境内。そこで黒い犬のような動物を伴い、黄色いシャツと橙色のミニスカートを着た10歳前後の少女が、立ったまま真剣な表情で手に持った小石を見つめていた。その反対の手には桜色と金色のおもちゃのような謎の棒、というか杖。

 

 
「リングバインドっ」
[Ring Bind]

 

 頭の両側に突き出した髪を揺らして少女――なのははその<コマンド>を口にした。傍らの黒い動物の指導を受けつつ慣れない空間投影インタフェースで組んだ魔法プログラム。訓練したい魔法の種類を尋ねられたなのはが選んだのは、攻撃でも防御でもないいわゆる『補助系』のものだった。
 きん、と金属的な響きと共に小石の周囲に現れた光の輪は、相手の行動を物理的に制限する『バインド』系統の術式の中でも最も基本的なタイプ、リングバインド。

 

「……成功、だな」
「うんっ!」

 

 判定を下して頷いた全身真っ黒の子犬に似たイキモノ――シンに、なのはが笑顔で頷きを返した。
 収束が甘く輪の形をとれずに魔力が霧散してしまったり座標がズレて空気を拘束してしまったりといった失敗を何度かしたものの、最終的には一日かからず『一応使える』レベルまで習熟した事になる。

 

「よくこんな早さで覚えたもんだ……でも、まだ魔力供給が多すぎるな。ほら」

 

 そう言って尖った鼻先が示す先には、粒子状に飛び散って薄くなっていく桜色の光。構成された術式枠に入りきらずに溢れたなのはの魔力が、形を成さないままに空気中に還っていく光だ。

 

「バインドだけでそんなに気合入れてたら、もたないぞ」
「うーん、それはわかるんだけど、つい。あはは……あ、ねえシン君」

 

 ごまかし笑いをしながら、なのはは宙に固定された小石の下に手のひらを差し出す。未だに光輪からこぼれ、小さな手の上を滑っては消える光の粒子を眺めながら湧いた疑問を口にした。

 

「このあまった魔力ってどうなるの? 集めてもう一回使ったりできないかな」

 

 魔力の知覚に慣れた今なら感覚でもわかる。発光しなくなっても、魔力となった元の魔力素そのものはなくならずに辺りを漂っているのだ。ならそれを集めて使う事もできるのではないかというのは、少なくともなのはにとっては自然な発想に思えた。

 

「ああ、できる。環境魔力収束って言って、要は普通に自分で魔力を作るときの応用なんだけど……でもなぁ」

 

 自分や他人が使用済みの魔力をそのまま取り込みなおして練り直すのは容易な事ではなく、魔法使い――魔導師としての技術の中ではかなり極まったレベルだとシンは言った。

 

「むー。じゃあ私じゃ無理だね……外の力を使えるなら色々楽そうだと思ったのに」
「それにしたって一時的に限界以上の出力を得られるくらいだぞ? 大体、基本だってまだだろ。そういうのはまだ目標くらいにしとくんだよ」

 

 シンの言うことはわかる、が。なのはは眉を寄せて唸る。今の自分が使えるのは、言わばシンの物を借りる形になる各シルエット、防御のプロテクションと攻撃のシュートというほとんど自動な物を除けば、今ようやく使えるようになったリングバインドのみ。それもシンの評価によれば完全とは言いがたいものだけである。
 当然、そんなもので満足しているわけにはいかない。魔力タンク扱いを脱しようにも『使える力』を手にしていなければ話にならないのだ。

 

「出力を絞って……もっと」
「ん……リングバインド」
[Ring Bind]

 

 シンに促され、何度も何度もバインドを繰り返しては魔力の『入力』を調整していく。
 足りなくなれば次は強く、強すぎればもっと力を抜いて。何度も反復しながらなのはが作り出す光輪は、回を重ねるごとにその精度を高めていった。

 

「リングバインド!」
[Ring Bind]

 

 練習を始めてから何十度目かのリングバインドは寸分のずれもなく小石を拘束し、かつ余剰魔力の拡散もほぼ見られない。
 これはどうだ、という期待を込めてなのははシンを見やった。数秒間の沈黙。

 

「基本ったってこの短時間で、か……うん。もうリングバインドは大丈夫だろ」
「やった!」

 

 何故かため息を吐いてから下された合格判定に、なのはは胸の前で小さく両手を握った。とりあえず一つ、お墨付きをもらった事になる。

 

「じゃあ。バインドは形になったし、別のこともやっておこう。んー……シルエット操作、やっておくか」
「はーい」

 

 光と共にバリアジャケットを装着しながら、なのははふと思いついてシンを見た。なのはにとって、この黒い子犬……のようなイキモノが魔法の師匠と言っていい。考えるまでもなくシュールだが、魔法などというものを習っているのだからいっそこのくらいが丁度いいのかもしれない。狼のような犬のようなイキモノの先生、いや師匠。狼師匠……は何だか合わないような。そうなると……

 

「……イヌ師匠とか呼んでみていいかな?」
「却下」
「ちぇ」

 

 ぶー。唇を尖らせたなのはの前髪が、シルエットを呼び出す際の風に煽られてふわりと上下した。
 
 

 

 
「はふー」
「どうした、なのは? 疲れた顔して」
「あ、ううん! 最近ちょっと体力つけようと思って」
「ああ、シンのお散歩か。マラソンでもしてるのか?」
「うん!」
「おお、いいな! 偉いぞ」

 

 そんな夕食時のやりとりを頭上にしながら、シンはオーソドックスな白い食器に盛られたドッグフードをごり、と噛み砕いた。慣れとは恐ろしいもので、最近ドッグフードも意外とイケる気すらしてきた。
 このままイヌ扱いに首まで浸かっていくのだろうかとは流石に考えたくない。道具扱いはともかく、イヌ扱いは流石に涙が……いや、しかし最近慣れてきてしまっているのは事実。脱しようにもその糸口すら見えない。

 

――……やれやれ。

 

 これから先、どうなるやら。
 思い返すのは、サポートAIとしての覚醒から現在までの『記録』。全ての記憶は記録という形で最適化され、自分の記憶でありながらよくできた映像記録を見返すように、その記憶には何の感情も付加されてはいない。ひたすらに戦闘戦闘戦争戦争、銃やMSに始まり世界をまたいで剣や魔法、空間を丸ごと抉り飛ばす戦略級兵器までが飛び交う幾多の戦場の記録。
 無生物の基準ならば決して長くないその記録の中でさえ技術体系はいくつか断絶している。最後の休眠からあの輸送船内での事故までにだいぶブランクがある為に、『今の』魔法を取り巻く社会環境がどうなっているのかは知らないが……自分の本体を含めてジュエルシードや他のガラクタ類が全てコンテナ内でシーリングを施されていた事から考えても、魔法関連の技術が完全に失われたという事は考えづらい。
 その社会がジュエルシードの危険性も理解しているならば外部からの介入が期待できる……だが、この世界に魔法が浸透していない以上、『魔法を使う民』にとって知ったことではない可能性の方が大きい。ジュエルシードの内包エネルギーと最悪の想定――連鎖反応によって相互増幅を繰り返す場合――を踏まえれば次元震で世界の一つや二つは木っ端微塵に破壊されるだろうが、逆に言えば吹き飛ぶのは無数に存在する世界の中のほんの一部だ。
 下手をすればそれこそ『いい実験になる』とか『劣等民族が死んで手間が減った』とか言わんばかりの連中が多数派になっている可能性だって――

 

――くそ。きりがない……どっちにしろ今は、手持ちの戦力でどうにかするしかないんだけどな。

 

 誰も彼も救うというわけにはいかない。『昔』と違って、今は自分の腕の短さと力の限界を自覚している。誰も彼もと抱え込んだ挙句その重みでもろともに溺死してはそれこそ本末転倒だ。
 なのはを魔力負荷の余り倒れさせないように。
 レイジングハートが破壊され、自分が消滅しないように。
 継続して活動できる事を優先して、最悪の事態――ジュエルシードが次元震を起こし、世界が崩壊する事を避ける。その為には恐らく、いくつかの暴走体による被害を見逃さなければならない時もあるだろう。
 世界は命の取り合い。多分親からそう教わったのだろう、なのははそう言っていた。だがその取り合いが『敵』と『守るべきもの』の間だけでなく、『守るべきもの』同士に及んだとき、幼い心は潰れずにいられるのか。
 そんな事にはさせない、等と無責任な事は言えない。どうにもならない事態、というのは余程運が……というより神か悪魔の作為でもない限りは必ず訪れる。

 

『ぐぐぐ』
『何唸ってるの? シン君』
『いや、なんでも……』
「あらあらシンちゃん、またかわいいポーズ覚えたのねー」
「!?」

 

 丸っこい前足で頭を抱えて唸る子犬は外見的にはどうあがいても『かわいいぽぉず』にしかならず。シンは夕食後のひとときの間、またもや桃子の頬擦り攻撃を受ける羽目になったのだった。
 
 

 

『ふふふ~ん』

 

 ぱちゃり、と階下で水音が響くたびに、シンの耳が反応してぴくりと動く。風呂場内部のタイルに反響する水音となのはの鼻歌は、床と何枚もの壁越しですら必要以上にシンの聴覚を刺激した。
 別の場所では恭也と美由希がそれぞれのレポートでも書いているのだろう、紙と鉛芯の擦れる音。メーカーの違いかそれとも美由希が安物好みなのか、美由希の部屋から聞こえてくる摩擦音はキィキィと甲高い。
 さらに別の場所ではうーんやっぱりママは若々しいなあいやだわあなたこそ引き締まってて素敵よその身体いやいやママこそこの瑞々しい――もうやめよう。

 

「ねえねえシン君も一緒に入「浴槽で溺れる!」えー」

 

 数分前の会話である。本当は呼吸の必要すらないのだが。とは言え、元が人間男性の身としては妹のような年齢といえど、女の子であるなのはと一緒に風呂に入るのははばかられるどころではない。
 ぶーと不満げな声を上げるなのはを無視してなのはの部屋に残ったシンは、もはや何度目かもわからないため息を吐きつつ空間インタフェースを広げた。複数のウィンドウを流れるのは、シルエットシステムの設定部分のプログラム。
 シルエットシステムはユーザーの魔力によって実体化される投影プログラムであり、デバイスの内蔵システムではあるものの、それ自体が演算や術式の記録といったデバイスの機能を持ってもいる。言うなればデバイスの簡易型だ。
 パーツサイズも含めて諸々のパラメータ設定はユーザーによって大きく変わり、その調整を怠るわけにはいかない。ついでにユーザー本人の協力がなくば調整は不可能。故にこの状況も主、つまりユーザーの生存率を上げるために仕方がないと思えばほら、こんなにも自然に振舞えるじゃないかはははとでも言うと思ってるのかよりによってイヌ扱いだし泣きそうだぜこん畜生。

 

「ああ、くそっ」

 

 一言吐き捨て、身体を子犬型から狼型へと変化させながら窓から外へ飛び出す。光を伴いながら丸っこいシルエットが細く大きく伸びていく。まるで地面がそこにあるかのように空中で拡大していく足を下ろし。
 とん、と軽い音を立てて空中、シンの足先に当たる位置に魔法陣が出現した。血の色をしたそれは縦横に現れてシンが踏み切る一瞬その体重を支えた後、速やかに宙に解けて消え去る。
 いわゆる浮遊とも飛行とも違う、『宙を駆ける』動き。3次元的な4足の動きを『記録』から引っ張り出し、慣れた動きでシンは宙を駆け上がって高町家の屋根に腰を落ち着けた。
 視界に広がる夜景。夜に沈む世界。

 

「海鳴市、か」

 

 潮の香りを含んだ風にヒゲを揺らし、シンは呟く。ぐるりと見渡す限りに広がるのは、次元の狭間から見たのと同じ人の営みを示す光。まだ夜も深くは無い為になおさらその光は街というカラダを巡る生命のように活発だった。

 

「……ロード、ソードシルエット」
[Sword Silhouette,Ready]

 

 夜の空気を押しのけて膨れ上がる赤い光、その中でシンの背に現れる小ぶりな1対の翼と巨大な2枚の、細く細く引き伸ばした5角形をした板。
 遠隔操作可能な魔力刃を持つブーメラン、フラッシュエッジと呼ばれる小ぶりの翼と、超圧縮した魔力によって『力ずくでバリアを吹き飛ばす』という、防御を抜くというより防御の上からでも関係なくダメージを与えるための巨大な左右一対の剣状武装であるエクスカリバー。
 他の武装よりも極めて頑丈な相手との戦い、別の言い方をすれば魔導師殺しに適した武装である。障壁系は完全に破壊されることを考慮しておらず、実は魔力負荷が高い。それをプログラム的に干渉・分解して破るバリアブレイクとは異なり高圧縮した魔力の『硬さ』に任せて丸ごと吹き飛ばすエクスカリバーは、それだけ相手に与えるダメージも大きくなるのだ。

 

――これを人間相手に叩きつける事にならなきゃいいんだけどな……なるよなあ。

 

『……なのははドン臭いし、さ』
『って、シン君。いきなりそれは酷いと思う』

 

 わざと聞こえるようにしたんだけどな、とまた念話には乗せずに心の中でつぶやき、シンはソードシルエットを背負ったままもう一度海鳴の街並みを見下ろした。

 

『なあ、なのは』
『シン君外……っていうか上? うん、何?』
『強くなってくれるか?』

 

 胸の奥に走る痛みを無視。主に裏切りを含んだ言葉をかけるからか、幼い少女に戦いを促すからか。あるいはそのどちらもかも知れないが。

 

『もちろん! シン君の主人になるんだもん、背中を守れるくらい強くなるよっ』
 

 

 朗らかに響いた『声』にシンは軽く目を見開いた。撫でられた記憶の糸。蘇ったのは遥か遠い記憶。
 私がアンタの――

 

 
『……そりゃ遠いな。なのはみたいな半人前魔法使いのチンチクリンにはまだまだ無理だって』
『ひ、酷い! さっきから酷いよシン君!』
『あっはははっ! なのは、上がってくるか? 街、綺麗だぞ』

 

 シンはひとしきり笑うと、半泣きになりながら窓から顔を突き出したなのはの許へ降りていった。
 
 

 

 
「参ったな」

 

 高町家のある海鳴市からは遠く……距離的な意味だけでなく遠く離れた場所。
 柔らかい日差しが差し込む清潔な個室のベッドに寝転がり、金髪の少年が呟いた。シャツの首元からは包帯が覗き、ベッドの脇に立っている点滴も合わせて彼の怪我が軽いものではない事を示している。
 沈黙の時間。少年――ユーノ・スクライアは、今回の『失敗』を思い返して深い深いため息を吐いた。

 

「参っちゃうなあ、本当」

 

 たった一人の空間に割り込む、ノックの音。看護士あたりだろうと思って生返事を返そうとした瞬間、つまり返事を待たず軽快にドアを開けて入ってきた人影は見覚えの無い、ついでに割と小さい黒服黒髪な人物だった。

 

「君は――っ!?」

 

 ベッドから半身を起こした瞬間、ユーノはうめきながら動きを止めた。傷に走る激痛に、声も出せず震える。その姿に何の反応も見せずに黒髪の少年は立ち尽くし、ようやく痛みの治まってきたユーノが顔を上げると同時に、極めて事務的に喋りだした。

 

「……僕は時空管理局執務官、クロノ・ハラオウン。君が先日ジュエルシードを発見・発掘したユーノ・スクライア君、だね?」

 

 時空管理局。それの意味するところを知らないわけはない。故にユーノは答えない。ただの確認事項だったのだろう、ユーノが無言であることも気にせずに黒髪の少年は片手を――右手をシーツから出そうとしたユーノに――挙げて動きを制止した。

 

「ああ、下手に動くと危ない。外に戦闘許可済みの武装局員が待機しているから」

 

 クロノと名乗った黒髪の少年はそう言うと、脇に挟んだケースから数枚の書類を取り出してにこりと笑った。

 

「ま、君たちの盗掘行為もだけど……それより、今日はジュエルシードについて聞きたいことがある。協力してくれるね?」