運命のカケラ_14話

Last-modified: 2008-09-15 (月) 18:49:51

――別の街、少しだけずれた所にある別の世界、か。

 

 視線を下にずらす。ここ数日の間にすっかり見慣れてしまった黒い背中は、ニセモノの世界にやけに馴染んで見えた。

 

 
 
 
 ぎり、と手綱を握って体重をかけたなのはの背中、ブラストシルエットの両肩後ろにある砲門が起き上がった。

 

「デリュージっ!」
[Deluge]

 

 高速で乱射される黄色い魔力弾は、高速道路をひたすら突っ走る目玉モドキに当たっては突き抜けてしまって効果があるかどうかすら判然としない。シンから送られてくる視覚情報は魔力に色がついており、それを見れば確かに黒い霧状の物で構成されている目玉モドキの身体は、デリュージが当たった部分から飛び散っているのだが――湯船からコップで水を掻きだすようなものだ。量の基準が違いすぎる。
 とにもかくにも猛スピードで逃げに回られてはやり辛い、だから動きを止めなければいけないのはわかるのだが。唸る風に前髪を嬲られながら、なのはは目を細めた。

 

「うぅ……ん」
「考えてても動け、なのは。止まってる暇はないんだ――っと!」

 

 言葉を途中で切り、シンが一気に足で路面を蹴りつけて横へ飛んだ。途端斜め後方――さっきまでの二人がいた位置に槍のように尖った靄が突き刺さる。細かい靄の粒子一つ一つがヤスリのように路面を削るらしく、次々に繰り出される靄の槍は勢いで突き刺すというよりは潜り込むように高速道路を穴だらけにしていく。
 フォースシルエットによる空力・推力制御と脚での蹴りつけを全て組み合わせ、シンは迫る槍の隙間に身体をねじ込んだ。蹴りつけた足の裏と靄の槍の間で火花が散り、意識に走ったシンの警告に従って上体をずらしたなのはの頭があった位置を、うねる靄が通過していった。

 

「考えるって言っ、たっ、てっ!」
「考えて分析すりゃいいんだよ! こんな風に――チェーンバインド!」

 

 ジグザグに走りながら叫んだシンの身体から、4本の赤い光鎖が伸びた。捕縛用の魔法だがあくまで『縛る』為の物だ。靄のように文字通り掴み所のない相手をどうにかできるとは思えない。
 抉る為に目玉モドキが意図的に密度を高めているからか、靄の槍とお互いすり抜けずに弾きあいながら光鎖は伸び、本体である目玉モドキを左右斜め4方向から取り囲んでそのまま突っ込んだだ。だが一体ではなく小さな粒子が寄り集まっているだけの靄の中には引っかかりも何もなく潜り込み、絡み付こうとしても先ほどのデリュージと同じく突き抜けてしまう。
 それをわかっていたはずのシンは何故か構わず光鎖を操り、ぐるぐると靄の周囲を締め付けずに回りこませた。

 

「構成密度がもとから低いなら……!」
「?」

 

 歯を軋らせたシンの身体から『波』が走り、なのはの髪がふわりと浮き上がった。かすかな空気の歪みが光鎖を伝って行き、それを追ったなのはの視界の中心で目玉モドキが一瞬大きく震えた。球体のあちこちが無秩序に尖り、全体の形も含めてぐねぐねとのたうつように伸びたり縮んだりしている様子は何が何だかよくわからないが、苦しんでいるように見える。

 

「どうだ?」

 

 4本の光鎖を引き戻しながら言ったシンの狙い通り、さっきまで一直線に飛んでいた目玉モドキは不安定に揺らぎ、その速度を大きく落としていた。
 シンの速度は変わらない。むしろ回避行動がなくなった分直線では速くなっている。これなら追いついて、どうにか対処もできる――そのどうにかの中身が問題ではあるのだが。

 

「っ、とにかく、これで……!?」

 

 レイジングハートを左手に構えたなのはと走り続けるシンの前で、ぶわりと世界が『裏返しなおされた』。色彩を失っていた景色が目玉モドキの周囲からどんどんと色を取り戻し始め、二人のいる場所を越えて境界面が地の果てまで走っていく。
 星の光というのは紅かったり緑だったり随分いろいろな色があるんだな、等と場違いな感想を抱いていたなのはは、ふと視線を下ろす。ガラスの向こうからぽかんと見つめてくる若い男性と目が合った。

 

「――あ、あれ?」
「結界が解除されたのか……ち、あいつ」

 

 そう、結界が解除されたからか、いつの間にかシンとなのはは渋滞の真っ只中に出現していた。前後左右から驚きの視線を向けられ、なのはは思わず身を縮めた。そんななのはの太もものすぐ脇でフォースシルエットの推力偏向板がかすかに動く。そこからこぼれる淡い青色の粒子に、赤紫色の粒子が混じり始めた。

 

「――よし。どうせやる事は変わらない。行くぞ」

 

 なのはと違ってシンは周囲の状況を気にする様子もなく、居並ぶ自動車の列の隙間を駆け抜け目玉モドキとの距離を詰める事に専念していた。
 余り意味はないかも知れないがとりあえず身体を前に倒し、シンのふさふさした首元の毛に顔をうずめる。多少は見えづらくなる、はずだ。
 そんな事をしながらも目玉モドキの姿はどんどん近づいてくる。
 未だふらつく相手との距離が10メートルを切ろうとしたその時、いきなり黒い靄が『声』を上げて弾けた。

 

『邪魔をする……な!』
「あ」

 

 無数の粒子が互いにこすれあう耳障りな音と共に輪郭が崩れるほど自分の身体を引き伸ばし、目玉モドキの靄は高速道路の路面スレスレ、渋滞で間の詰まった自動車たちのすぐ下を伸びていく。
 振り向いた目玉モドキが、まるで嘲笑するような不快なカタチに歪む。

 

『ケヒHIヒひヒ!』
「何を――」

 

 瞬間、轟音と共になのはとシンの周囲で衝撃が起こった。

 

「……!」

 

 目の前に展開される光景に、なのはが息を漏らして顔を上げた。伸びた何本もの黒い靄、その全てが思い切り跳ね上げられる。当然その上に位置していた物体も含めて、だ。
 宙を舞うのは大小、10台近くの自動車。列を成していた鉄の塊全てがそのまま下からすくい上げられ冗談のように弾き飛ばされる景色の向こうで、その元凶たるジュエルシードの暴走体――目玉モドキが再び速度を上げた。
 追いついた目玉モドキ・自分たちの速度は十分・追跡可能。
 縦長の放物線を描く自動車達・運動ベクトル計算・窓から覗く人の顔。
 現状認識は一瞬。
 演算と思考も一瞬。
 そして、続く一瞬の間にシンとなのはの口が動く。

 

『――バインドッ!』

 

 
 2つの声が重なると同時、ほぼ垂直上昇から落下に移ろうとしていた自動車全てを血色と桜色、2色の光輪が拘束した。
 リングバインドを覚えた当初から数日しか経っていないにも関わらず具現化している数は20にも届くほどという凄まじい能力の向上ぶりを見せるなのはだが、そんな事を気にする余裕もなく集中を続けている。一瞬でも気を逸らせばその途端に全て取り落としてしまいそうな負荷に、呼吸すら忘れていた。
 完全な固定こそかなわないものの、結果的に固定力と重力とが相殺して落下速度を大幅に緩める自動車がやや乱暴な着地をしていくのを確認して、なのはは大きな安堵の息を吐いた。
 反応がなくなった、と首を振って素早く踵を返すシンの背中で手綱を握りなおし、緩めていた顔をしかめる。

 

「見失っちゃった?」
「ああ。あの野郎、わざと結界領域を解除しやがった」

 

 高速道路の防音板を軽々と飛び越え、騒ぎが起こっている道路上から飛び降りながらシンが吐き捨てた。明るい路上からいきなり暗い場所に降りたせいでなのはは視界が利かないが、シンは光量の差など気にもしていない。

 

「――失敗、だね」
「ああ。失敗だ」
「はぁ……」

 

 くそったれ、というシンの呟きを聞きながら、なのははまたシンの首元に顔をうずめた。

 

 
 
「ふぁ……ひゅ」

 

 どうにか一日を乗り切った、という安堵のせいで加速度的に体積を増す眠気に押しつぶされそうになりながら、なのはは一日の終わりという解放感に沸く教室でカバンに教科書を詰め込んでいた。
 前に倒れそうになる頭を強引に起こすと今度は後ろに倒れかける。いっそこのまま教室で眠ってしまうのもいいか、などという考えが頭をよぎった時、揺れる頭の上にぽんと色白の手が乗せられた。

 

「んに?」
「やっほ。後ろから見てるとカックンカックン面白かったわよ、アンタ。眠れなかったの?」

 

 ぐにぐにと背後からこね回してくる手に反対に頭の重みを預け、なのははうんと頷いた。シンと一緒に記録映像を見返していたはずが、気がつけば毛布を被って丸くなったいつもの体勢で携帯電話の目覚ましを止めていたのだ。途中で寝てしまったのだろうが、無意識に毛布を被る程自分は『動き』が良かっただろうかと疑問だった。
 ふと気になってすずかの姿を探すと、海草のような軽いウェーブのかかったロングヘアの下からスカートと脚を生やした塊が黒板の前で背伸びをしている――ああそうか、日直だ。

 

「ま、そ、れ、よ、り。前話した高速道路の幽霊! また出たらしいわよ」
「!!」

 

 高速道路の幽霊。その言葉を理解した途端、カラカラだったパイプに水が通るが如く意識が覚醒する。その話題はまずい。まずすぎる。

 

「しかも写真までアップされてたのよ!……はっきりは映ってないんだけどさ」
「!?!?」

 

 泡を食って顔を上げるなのはが話題に食いついたと思ったのか、アリサは楽しげに、しかしまったく自覚はなしにとどめの一言を放った。

 

「その上今度は白い服の子供みたいな死神まで出たらしいわよー!」
『シ、シン君! シンくーん!!』

 

 写真。白い服の子供。そこから結論を導き出すのは容易極まることだ。魔法の存在が広くばれれば何が起こるかわからない、そう言ったシンの言葉と共に嫌な汗が次々と背中に浮き上がっては流れ、もはやなのははまとまらない思考のままにシンに向かって念話で叫ぶしか出来なかった。

 

『ん? 何だ、なのは?』
『どどどどうしようどうしようどうしよう! っていうかなんで落ち着いてるの!?』

 

 いつも通り落ち着き払ったシンの反応に理不尽な怒りさえ覚えつつ、なのはは無防備に念話を送り続ける。念話と言うよりも、もはやデータ送信になっているそれを即座に読み取ったのか、シンは半秒ほど沈黙してああと納得の声を上げた。

 

『大丈夫だよ』
『でもでもでも写真、写真にも撮られてるのに!』
『知ってるって。ジャミングが上手く行ってたのも確認した。だから大丈夫だ』
『ふぇ?』

 

 
 
 軽い車輪の回る音と吸排気音を立てる本体を引っ張って、桃子が鼻歌交じりに掃除機のヘッドを動かしていく高町家のリビング、そこにある家族共用のパソコン。後ろ側の目立たない端子に、USB延長ケーブルが何にもつながれずぶら下がっていた。

 

 
 
『ネット上を調べた限り、はっきり映った写真はなかったさ。こういうのはネットが一番早く広がるもんだしな』
『ジャミング……って、シン君がやったの?』
『他に誰がいるんだ……』

 

 呆れた『声』と共に送られてきたイメージ。あの時フォースシルエットからばらまかれていた赤紫の粒子は、ごくごく小規模な認識結界のようなものを散布して人間の感覚や機械の一部に干渉する為のものらしい。魔法とも呼べない微弱な効果だが、基本的に魔力を扱えるものがいないこの世界ではカメラにも人の目にも、なのはとシンの姿をはっきり捉えられることはなかったと言うことだ。

 

「――はぁ」
「黒くておっきな動物に乗って幽霊を追いかける死神なんて、ここまでハマってると作り物臭いわよねー」
「ん、んん!? そ……だね。本当。あはは」

 

 会話を平行させる余裕すらなかったなのはは、とりあえず理解できた部分には深く同意して乾いた笑いを漏らした。それそのものである当人すら胡散臭く感じるのだ、話が伝わっただけの世の中の人々やアリサがどう感じるか考えれば、確かにそれほど心配することではないのかもしれない。写真ははっきり写らないということだし。

 

「なのはちゃん、アリサちゃん。お待たせ」

 

 アリサの腕と顎を頭に乗せたまま声に振り向くと、日直の仕事を終えたすずかが教室に戻ってきたところだった。アリサやシンと話している間にクラスメートはどんどん帰って行ったらしく、気がつけば騒がしかった教室は随分静かになっていた。

 

 
 
 広い昇降口から出て、舗装された道を3人で並んで校門に向かってゆっくりと歩く。まだ日は高いが陸と海の気温差がついてきたのだろう、海の方向から吹いてきた風になのはは手をかざして目を細めた。
 アリサの言った『作り物臭い状況』でも、色彩を失った『ニセモノの世界』でもない、なのはが9年間生きてきた本物の世界。ことさらに自分だけに優しいわけではないがトゲトゲしくもないこの世界は、なのはにとっての全てだった。なのはだけではない、アリサにとってもすずかにとっても今見ているこの世界こそが唯一の世界だろう。
 だがなのはは出会った。あの紅い宝玉と黒い獣に。出会い、自分から関わったのだ。あの危険が溢れるニセモノの世界に。放っておけない、ただそれだけを理由にして。

 

――それだけだっけ?

 

 そんな事を考えていたからだろう、校門に差し掛かった瞬間なのはに向かってに走ってきた誰かに気づくのが一瞬遅れた。

 

 
「わっ」
「ちょ……何すんのよ!」

 

 衝撃。軽く弾き飛ばされてよろめいたなのはをアリサが受け止め、ぶつかってきた相手――クラスメートの少年に向かって声を荒げた。その手に掴まれている物を見て、なのはが声を上げる。

 

「あ、私のカバン」
「へへっ。高町のカバンもーらいっ」

 

 少年は口の端を吊り上げて笑うと、ぶつかったときに奪い取ったなのはのカバンを戦利品のように掲げて駆け出した。

 

「え? ええ?」
「あ、この! 待ちなさい!」
「アリサちゃん……!」

 

 こんな事をしかけられる理由がわからずに混乱するなのはと心配そうなすずかを置いてアリサがそれを追いかけるが、校門の前は長い直線である上にスカートが足にまとわり付き、スタート位置の差がなかなか縮まらない。
 いらだたしげに歯を食いしばり、翻るスカートにも構わず加速しようとしたアリサの視界の中心近く、前方を走る少年の足元付近に黒い物が唐突に降って来た。とん、と4つの脚で軽々と着地したその小さな身体には見覚えがある。

 

「……シン?」
「うわっ!」

 

 シンの着地地点は少年の進行方向であり、見えていなかったのか止まれなかったのか少年の脚はシンに見事なサッカーボールキックを食らわせ、そして理不尽にもそのままシンに引っかかった。
 まるで道路に固定された彫像か何かのようにシンは動かず、逆に遥かに大きな少年の身体が足払いを食らわされた格好になって前方に向かって吹っ飛んでいく。次の瞬間には目にも留まらない加速を見せた黒い影によって、その手からひょいとカバンが取り返された。

 

「おお」
「へぶぅっ!」
「あれ、シン君?」

 

 自分の身体よりも重そうななのはのカバンを平然と頭上に載せながらアリサの前に再度の着地を決めるシンとその向こうで豪快なヘッドスライディングを決める少年。
 少年の方を見て小さく鼻息を漏らし、次いでアリサに目配せするような視線を向けてからなのはの方へ歩いていくシンのその後姿は、子犬の癖にやけに貫禄が溢れていた。

 

 
「じゃ、また明日ね」
「うん、さっきはありがとう」
「あははっ、それはシンに言ってあげなさい。めったにそんな良い犬いないわよ……じゃね、なのは!」

 

 3人で乗り込んだアリサの迎えの車からすずかが降り、アリサの屋敷近くで降りる事にしたなのははシンを抱きながら車内から手を振るアリサに手を振り返した。
 様々な車種のエンジン音がいくつも通り過ぎる中、しばしの沈黙が降りる。信号を待つ間、なのははなんとなく真正面のブティックのショーウィンドウを眺めていた。
 待ち時間を示すバーの表示が一つずつ減っていき、半分を切った頃になのはが口を開いた。

 

「――出てきて、いいの?」
「桃子さんにしっかり見送られてきた。迎えに行って来いってな」

 

 見送られてきた。その言葉を何度か理解しなおすうちに信号機のバー表示は更に減り、隣、交差している側の歩行者用信号機が点滅を始める。

 

「喋った……の?」
「いや、行って来いって言われたよ。ちょうど良かった、良かったんだけど、な」

 

 なあ? 等とシン自身も納得が行っていないような声で同意を求められてもなのはも困る。そもそも桃子も割と何を考えているかわからないタイプだ。実の娘がさっぱりわからないのだから相当だが、それでも何も考えていないとは思わない。あくまで『何を考えているのかわからない』のだ。
 もしかしたらシンに関しても何かを勘付いているのかも知れない。
 まあ、それはともかく。

 

「じゃあ、何かあった?」
「いいや」

 

 音もなく信号が青に切り替わり、詰まっていた自動車たちが一斉に動き出した。なのはもまばらな人の流れに乗って横断歩道を渡る。この交差点はタイミングが早いらしく、なのはが渡り切る頃にはもう歩行者用信号が点滅を始めていた。

 

「?」
「一応、直接聞いておきたくてな。なあ、なのは」

 

 足を止めてシンを見下ろした藍色の視線を、血色の瞳がまっすぐに見返す。無表情な瞳がどこまでも冷徹に脳の奥まで見透かそうとしているように感じて、なのはは息を呑んだ。

 

「今回のジュエルシードは人間の『思念』をベースにした……要は幽霊だ。それを踏まえて聞くぞ。どうするつもり、なんだ?」
「それ、は」

 

 こくりと喉を鳴らすなのはの頭上で、歩行者用信号が『止まれ』を示す赤色に切り替わった。