運命のカケラ_15話

Last-modified: 2008-09-23 (火) 00:40:44

「今回のジュエルシードは人間の『思念』をベースにした……要は幽霊だ。それを踏まえて聞くぞ。どうするつもり、なんだ?」
「それ、は」

 

 こくりと喉を鳴らすなのはの頭上で、歩行者用信号が『止まれ』を示す赤色に切り替わった。
 

 

 横断歩道を渡りきったところでなのはは顔をうつむけ、目線を横に逸らして立ち尽くす。

 

「それは……」

 

 シンは首を上向け、硬質の瞳でなのはを見続けた。
 本当は、こんなことを聞く必要はない。レイジングハートの一部である人工知能、シンとしてならば。道具は道具であり、主の願望を実現するために使われるモノでしかないのだから。
 だが一方で、改造により制限された部分がバグによって緩んだ『インデペンデントデバイス』としてのシンならば話は変わってくる。独自の意思を持ち、独自の思考で行動し、独自に主を選ぶ。魔法に関する全ての性能の為に『意思』を発生可能な程のココロを持たされたデバイスは安定性と運用性を無視し、誰にでも使われる『道具』ではなく選ばれたものの為にあつらえられる『武具』とでも言うべき性能追求の極致に位置するデバイスなのだ。
 主も含めた全体の性能の為に主を逆に乗っ取る事すらやりかねないという危険な、そして強力な存在。度重なる戦いの中で要求に要求を重ね、恐竜的進化の果てに生まれたイビツすぎる設計思想である。

 

――だけど、な。

 

 揺れ続ける藍色の瞳に、ため息をついて視線を和らげる。これではどうにも自分がなのはを咎めているようだ。少なくともシンはなのはを乗っ取る気はないし、そもそも今は結論を押し付けるのが目的ではないのだ。
 軍隊のように個人の思考と感情を抑制して無理矢理一つの方針に従わせるのでは、魔法の使い手は力を発揮できない。面倒くさい事だが。だからシンは押し付けられないし、押し付けようとも思わない。押してだめなら引いてみろとは、昔の人間はよく言ったものだ。

 

「――なのは。昨日の俺の話を聞いて、それでもお前のやりたい事があるならそれでいい」
「え」

 

 意外そうに漏らされた声は、随分と無邪気だ。口がうまいほうではないのは自覚していたが、やはり自分の言い方が下手だったらしい。というか、こんな幼い少女を相手に要求する水準がそもそも間違っているといえばそうなのだが。苦笑して言葉を続ける。

 

「どうせ言っても聞かないんだろ? ……ただ、決めてくれ。その時になって迷わないように、さ」
「決め、る」

 

 決める、と口の中でもう一度繰り返すと、なのはは正面に戻した目の焦点を外して黙り込んだ。じっと内面に潜り込んだ瞳が、瞬きのたびに光を取り戻していく。
 
「……決めたら、シン君は手伝ってくれる?」
「そいつはなのは次第だなぁ? 無理を通すんだ、気合入れないと助けてやらないぞ?」

 

 その素直な期待感をたたえた瞳の輝きを見ると、ついついからかいたくなってしまう。言っても聞かない主への反撃として、これくらいは許されるだろう。

 

「えー」
「言ったろ。データから考えるかぎりまず無駄だ。それを――」

 

――自己満足の極みだな。俺もバカな事をしてる。

 

 何をバカな事をしているのかと一方で考え、そうしたいのだともう一方で考える。
 被害を出したくはない。だが主の望みにも手を貸したい。いい加減うんざりする程衝突を繰り返してきている2つの規範が、またもや互いを押しのけようと軋みをあげていた。
 行動する理由を外に頼る。規範で縛られた人工知能の限界ではあるが、情けない話だ。

 

「――被害が出る可能性も含めて無理矢理試すって言うなら、それなりに覚悟がいるもんさ」
「う」

 

 なのはは口を開きかけるが、結局まとまらなかったらしく何度か口を開閉したあと黙り込んだ。そのまま忙しなく斜め上や左右に動き回っていた藍色の瞳が、しばらく経ってからようやくシンの方へ戻ってくる。

 

「う、ん」

 

 勿論、シンも以前の経験だけで無駄だと言っているわけではない。シンの中には先の戦闘で採取した暴走体のサンプルデータがあった。
 ジュエルシードが反応するのは基本的に『ココロ』に対してであり、更に言えばあの暴走体は人間の実体部分すらなく、完全に精神のみと反応して構成された類だ。幽霊と言う噂話は実は事実を言い当てていた事になる。
 故にある意味純粋な一つの意思の塊であり、今回の暴走体を構成するその意思はどんなものかと言うと――とてもなのはに見せられるような物ではない、余りにもどす黒いものだ。抽出されたデータに直接触れれば、汚染される可能性すらある。
 なのはの説得も考えないではなかったが、だからと言ってその為にサンプリングしたデータとなのはを接触させるわけにはいかない。この一件についての納得と精神汚染の可能性、どちらが重要かなど、天秤にかけるまでもない問題だ。
 それに、昨夜のデータが正確ならば『まだ』シンだけでも抑えようはある、はずだ。

 

「だからなのは。被害がこれ以上大きくなりそうなら、俺はアレを即座に殺す。そこは覚えておいてくれないか?」

 

 殺す、と言った瞬間に揺らいだ藍色の瞳を見ていられなくなって、シンは上向けていた顔を前に戻す。話し込んでいるうちに空は赤みを帯び始めており、高校生らしき自転車の少年と少女が並んでなのはの前を通り過ぎていった。
 なのはが迷うのは当たり前だ。人死にが出る可能性を呼び込むのだから覚悟しろといわれて、こんな子供が即座にうんと頷けるはずがない。
 それにこれは本来自分の、シン・アスカの責任だ。子供を扇動し、戦わせる等という許されない行為をしている自分が、責任を持って『そうならないように』事を収めなければならない。
 信号がまた切り替わる間の長いようで短い沈黙を挟んだ後、なのははこっくりと頷いた。

 

「――うん。その時は、大丈夫だから」

 

 
 
「これ」

 

 ずい、と目の前に差し出されたカード型簡易デバイスを、クロノ・ハラオウンはカップを口につけ、傾けかけた姿勢のままで見返した。座っている自分よりは当然高い位置にいるがさほど角度がきつくもなっていない腕の持ち主は、いつもの民族衣装に身を包んだユーノ・スクライアである。
 カップから漂う香り――ある種の興奮成分を多く持つ豆から作られた、眠気覚ましによく飲まれる豆茶の香り――を一度鼻に吸い込み、クロノは大きく息を付いて重心を背もたれから引き剥がした。
 右手の人差し指と中指で差し出されたデバイスを挟みつつ、クロノはここ数日の定型句になっている言葉を口にした。

 

「確度は?」
「まあ7割くらい、だね。裏づけはこっちじゃ無理だしさ」

 

 データの変換作業は既に終了し、チームの仕事はそれこそ機械に肩代わりさせることができない人間の力――文字通りマンパワー勝負になる分析作業に移っていた。専門の情報分析官は言うまでもないが『重要案件』に掛かりきりで、最初から頼りにならない。
 並んだデスクにこれまた首を揃えて並んでいる捜査チームの皆が、目を血走らせて空間ウィンドウを睨んでいる絵面はなかなかに壮絶だ。突然の配属からずっと涼しい顔を崩していないユーノですら、目元に疲労の色が浮かんでいる。
 クロノは湯気を立ち上らせているカップを置き、目の間を揉み解しながら先に机の上に展開していた空間ウィンドウをカードを持ったまま右手の甲で押しのけ、手首をくいと捻った。
 翻された事が合図になったようにデバイスが震え、新たな空間ウィンドウが開く。他のいくつものウィンドウと同じように無味乾燥な次元航行船の運航データが並ぶ半透明のウィンドウ越しに、クロノはユーノに問いかけた。

 

「位置は?」
「8571行目から。管理区域境界に近い航路の、この船」

 

 ウィンドウの反対側からユーノが手を伸ばして指を滑らせる。その動きに従って赤く強調された船名のデータは、確かにある区間で不自然な程時間がかかったという記録が残っていた。だが。

 

「――事故申請がされてる、ちょうどその期間だ。貨物の紛失届けも出てる……社内用什器類だそうだが?」

 

 クロノは机側から手を伸ばし、表の事故記録欄の印に触れた。圧縮された状態から一瞬で開かれたのは、事故申請の中身だ。貨物が特殊な機材でも物資でもない事務用品ということで、管理外世界非干渉の原則の下に貨物の回収は行われなかったらしい。これだけでは単に事故で時間がかかった、ありふれた航海スケジュールの変更としか思えない。

 

「違うよ、時間だけが問題じゃなくて」

 

 そう言いながらユーノは空間ウィンドウに触れていたのとは反対側の手を伸ばした。二人の間に開いていた船舶運航データのすぐ上に、もう一つの空間ウィンドウが開かれる。
 やや小ぶりな半透明領域に表示されたのは、そう大きくもない、むしろ小さい部類に入る運送会社の企業データだ。視線をタイプライターのように左から右へ、行を改めまた左から右へと動かして示されたデータを確認していたクロノは、ある場所で視線を止めて片眉を上げた。
 下の空間ウィンドウで赤く強調された港の場所、そして企業データに登録された所在地の二つが、余りに離れている。営業所があるわけでもないのに『社内用什器』の輸送というのはいかにも不自然だ。

 

「……なるほど。君はどう思う?」
「こういう規模のところなら、社員及び経営者が一緒になって私用に社用船舶を使うって事もよく聞く……わけじゃないけど、それなりにあるんじゃないのかな」

 

 ふむと相槌を打つ。規模が大きくなく、社員が皆共通の趣味を持っているようなところでは、いわゆる趣味の集いに会社丸ごと出陣してしまう、と言う事もないではない。クロノ自身、社長以下ほぼ全員が年二回の戦場に行ってしまい、事情を知らない新入社員が誰も出社していない事務所で呆然としたという半分笑い話としてだが聞いたことがある。

 

「だが、社員全員『貨物船』に乗って優雅な旅行というのも」
「考えづらいよねえ。実は会社ごと夜逃げとか」

 

 ふむ、とクロノが顎に手を当てて豆茶をすすった。夜逃げなら貨物船に何もかも積み込んで遠くに、というのはありえなくもなさそうだ。だが夜逃げというには前提からして合わない点が出てくる。

 

「だったら逃げ出したまま、元の場所に戻ってくるわけがない。個人的な関係に近いところからの業務って線は?」
「保険ナシで社外の貨物を運ぶバカがいると思う? 下手すれば賠償で首吊りだよ?」

 

 くい、と指で首周りをなぞってユーノが首を傾げた。二人とも本気でそういう可能性を考えているわけではない。否定するに決定的な材料がないだけで肯定する材料もない、そんな可能性を転がしているだけだ。そうして、二人で転がした先にぶつかる結論は。

 

「怪しいな」
「怪しいね」

 

 そう、今まで浮かんできた中でも抜きん出て怪しい。だが問題は怪しいだけだという事だ。

 

「現地に頼んで……ああゴメン、言った僕が悪かった」

 

 現地に裏付け捜査を頼んだところで、こちらからの要請で積極的な協力をしようと思うのは点数稼ぎの管理職など、腹に一物持ったような連中ばかりだろう。その下、実際に動く現場の人間に管理局がどう思われているかなど考えるまでもない。
 そうなれば、取れる手段は限られてくる。

 

「……直接出向くしかないか」
「君が? 直接?」

 

 指揮官は中央にいなければならない。それは当然だ。だがクロノはにやりと笑うと、机の表面を叩いて管理局の情報ネットワークの操作ウィンドウを呼び出した。指先が覚えるほど馴染んだ識別コードを打ち込む。コール中の表示と共に示された呼び出し先の名前を見て、ユーノが目を見開いた。

 

「……そっちを呼ぶの?」
「本来の責任者だからね。メンバーも含めた『船』全体の管理が仕事なんだ、きっちりそれをやってもらってもバチは当たらないだろう?」
『――あら。どうしたの?』

 

 数回のコール音の後に答えた声はクロノの母親、リンディ・ハラオウン提督その人の声だった。
 

 

 
 風呂上りにこっそり抜け出てきたからか保護機能を意識していないからか、バリアジャケット越しでも冷えた上空の風が昨日より冷たく感じる。
 なのははお座り体勢のシンの背中に寄りかかってその長い体毛に頬を埋めながら、小さく息を吐いた。場違いな感想だが、割と気持ち良い。普通の生き物ではないからか、シンは毛も抜けないし、特に手入れをされていなくともその感触はとても滑らかだ。固めのじゅうたんのような感触を顎と頬に擦りつけながら、なのはは家を出てからずっと浮かんでいた疑問を口にした。

 

「今日も、出るかな」
「多分な」

 

 多分といいつつほとんど確信しているような口調で、シンは頷いた。時折風に混じった何かを探すように鼻をひく付かせ、触れている身体の表面はリラックスしていてもその奥は半分戦闘態勢に入っているかのように固くなっている。

 

――やっぱり言わないんだ。

 

 こと戦いにおいては慎重なシンがこれだけ確信して待っているのだ、それに足る『何か』を知っているのだろう。そしてその何かを、なのはは知らない。知らされていない。
 シンが余り自分の事をいいたがらないのも含めて、なのははそれが不満だった。言っても仕方ないのかも知れないが、その仕方ないかどうかだって言わなければ分からないことなのではないのか?
 そんな考えを込めながら、なのはは無言でシンの尻尾を引っ張った。

 

「――ん? どうした?」
「教えて」

 

 自分よりも遥かに色々な事を抱え込んでいる癖に落ち着き払っているその態度が妙に気に障って、なのはは反射的にくすぶっていた思いを口にした。
 余りにも端的だったせいだろう、狼にしてはやたら表情豊かなシンは少々間の抜けた顔でなのはのほうを振り向き、見下ろした。足場になっている魔法陣の血色の光が下から反射し、血に浸されたような色合いになったシンは数秒間なのはを見つめた後、片眉を上げて首を傾げる。

 

「――は?」
「お願い。教えてよ、シン君。あのヒトって、人間だったんでしょ? なのにどうしてシン君は話しても無駄だって思うの?」

 

 あー、と声にすらなっていない息を吐き出しながら2,3度口を開閉させ、シンは何も言わずに硬直した。困ったな、と言わんばかりの表情。だがなのはは視線を外さない。
 人間だったら頭をガリガリ掻いていそうな迷いの表情を見せた後、シンは短く答えた。

 

「ああいう類は、会話はできないんだよ」
「どうして?」
「精神が固定されてるから、って言ってわかるか?」
「聞く耳持たないってこと……なの?」

 

 いや、とシンは首を振った。猫のようにするりとなのはの手から尻尾を逃げ出させ、なのはの鼻の頭を毛先でくすぐりながらゆっくり答えをつなぐ。

 

「聞く機能がないんだな。人間は猫や鳥になれないだろ? 同じように、一つの精神――おおざっぱに言って怒りでできた奴ってのは、それ以外になれないんだ。そうでなけりゃ、『それ』じゃなくなって存在の基幹を失う」
「ぇくしっ! ……くしゅ。じゃあ、もし『聞いてくれたら』、静かに終わってくれるのかな」
「耳がついてれば、な」

 

 普通はついてない、と言ってシンはまた眼下の高速道路に目を戻した。誘われるようになのはも腰を滑らせ、両足を魔法陣の縁から下ろして高速道路とその先――海鳴市の夜景を眺める。高さへの恐怖感がないではないが、それでも自分が飛べるという意識があるのとないのとでは大分違う。
 シンは聞く機能がない、と言った。だがなのはにはどうにも納得がいかない。試さないとわからないのではないか、そういった考えがどうしても捨てられないのだ。

 

「無駄かな」
「無駄だろうな」
「そっか――」

 

 ぶらぶらと膝下を揺らしながらまたシンの尻尾を弄っていたなのははやがてうん、と頷いた。

 

「――無駄かも知れないけど、でも。やっぱりやってみる」
「そう言うだろうと思ったよ」『皆、お前みたいだったら良かったんだけどな』
「え?」
「――まあ、わがままで済むくらいならいいさ。潮時を間違えなければ、な」
「う、うん」

 

 シンの声が二つ重なったような気がして首をかしげながらも、なのはは頷いて片手を挙げた。レイジングハート、と言う呟きに答えて一瞬で光が凝縮し、外装が構成される。
 両手で前に突き出したそれ越しに街の明かりを眺めながら、なのはは巨木の時に見た街の被害をもう一度思い浮かべた。
 『あれ』をもう一度起こすことなど、それこそ許されない。にも関わらず、説得を試すという自分の満足と被害の抑制、両方とも取ろうとしているのだ。上手く行けば穏便に、しかも被害をこれ以上出さずに終わってくれるかも知れない。だが上手く行かなければ、その時は。

 

――私が責任、とらないといけないんだ。

 

 その時を見極め、迷わず行動できるのか。絶対に失敗してはいけないというプレッシャーは、なのはの小さな肩に重くのしかかっていた。
 

 

 
 目を閉じていたなのはが身を震わせた瞬間、シンのセンサーにも大きな反応が引っかかる。やはり動き出すまでは捉えられないらしい。原理はともかく気に障る話だ。

 

「来た!」
「行くぞ」

 

 なのはが立ち上がって飛び乗ってくるなり、シンは鞍を構成して魔法陣を消した。昨日と同じように降下するが、昨日と決定的に違う点が一つある。
 暴走体――目玉モドキが真下にいること、そして最初から結界領域を広げていない事だ。その異様な風体を隠すことなく高速道路を突っ走っている。唯一の救いは昨日の『事故』の影響で高速道路が通行止めになり、一般車の姿が見えないことか。

 

「最初に動きを止めるんだよね」
「ああ。試すのはそれからだ。試している間、少しでも危険を感じたら即座に倒す」
「うん……!」
「撹乱素子、散布開始。フォースシルエット、ロード」
[Force Silhouette,ready]

 

 シンの周囲から赤紫の粒子が散り始めると同時、それに混じるように青色の光が凝縮してフォースシルエットになる。撹乱素子はシルエット固有の能力というわけではないが、シルエットの排気に乗せれば散布効率は上がる。
 垂直落下に推力までも加えて降下するシンの背で、なのはは目を閉じて静かにコマンドを口にした。

 

「ブラストシルエット」
[Blast Silhouette,ready]

 

 シンのフォースシルエットと同じように緑色の粒子が舞いながら次第になのはの背に集まって行き、湧き出た大量の粒子がバックパックと巨大な2つの砲、ブラストシルエットの形を取る。
 肩の後ろから突き出した推進器の上に沿って収納された2門の小型砲が起き上がり、なのはの両肩から正面、道路を走る目玉モドキにその照準を向けた。

 

「行くよ……デリュージ!」
[Deluge]

 

 独特の空気を引き裂くような音と共に黄色い高速弾が真下へ向けて吐き出され、目玉モドキの進路を塞ぐように着弾する。衝撃に意表を突かれたのかこちらを警戒したのか、目玉モドキが速度を落とした。
 好都合だ。手を焼いていたのは高速で逃げていくからであって、特に強いというわけではないのだから。
 目玉モドキが動きを止めたのを確認し、シンは即座に真上からチェーンバインドを放つ。

 

「追いかけっこに付き合う義理はないんだよっ!」
「リングバインド!」
『!?』

 

 シンが放った4本の血色をしたチェーンバインドが目玉モドキを取り囲むように路面に突き立ち、なのはが放った桜色のリングバインドがそれを更に外から絞る。
 2色のバインドで作られた即席の『檻』に囲い込まれた目玉モドキに、シンは間髪いれずに『波』を送り込んだ。
 微小構成がそれぞれ独立していると言うことは、つまり構成同士、魔力同士のつながりが弱いということでもある。圧縮していない魔力でもってそのつながりを妨害してやれば、混じったノイズの影響は通常の魔力構成体より遥かに大きいのだ。
 昨日より更に強い魔力の直接照射を受けて痙攣し、しおれた毬藻のように『檻』の中で潰れる目玉モドキから若干の距離を置いて、シンはチェーンバインドを維持したまま降り立った。
 背中でなのはがごくり、と喉を鳴らす。

 

「じゃあ」
「ああ。やってみるか」

 

 ゆっくりと背中から降り、『檻』に近づくなのはの後ろで、シンは目を細めて目玉モドキを観察した。
 こうして明るい場所に引っ張り出されると、その異様さと奇妙さは際立つ。光をまったく反射しない黒、というものは意外に目にする機会は少ない。夜の暗闇ではなく、曲がりなりにも形のある物質としては、だ。
 レイジングハートの外装を抱きしめながらなのはは『檻』に近づき、潰れたまま反応を見せない目玉モドキに視線を向けた。

 

「あの……」

 

 ぐ、と目を閉じ、改めて深呼吸。

 

「お願いです。もう、終わりにしてくれませんか?」
『――』

 

 終わり、という言葉に反応したように目玉モドキが潰れていた目、のような部分をなのはに向けた。

 

「こんなこと、誰も喜ばないんです。私、聞きました。憎い、って。でも憎いからってこんな事、してたら――」
『――にクイ』

 

 え、となのはが困惑したように呟いた。今までなのはの言葉が埋めていた沈黙を変わりに塗りつぶすように、低い『声』が更に続ける。

 

『妻も、娘モ殺さレた』
「え」

 

 その声に込められた憎悪にあてられたようになのはがよろめき、半歩下がる。硬直した視線の先でかっと見開かれた黒い目玉から、涙のようにどす黒い液体がこぼれ出していた。

 

『奴ハ! 笑っテタんだよ! 私の前で妻モ娘もひき殺して、笑ってやがっタ!!』
「なのは、下がれ!」
「……でも、復讐なんて! その人たちだって望んでないはず――」

 

 奇麗事。復讐心がどういうものか、知らない者にすら言えないその一言が引き金だったのだろう。

 

『貴様ニ何がわかる――!!』

 

 目玉がそれまでこぼし、道路に広がっていた黒い液体が『声』を合図に吹き上がる。間欠泉のように弾けたその流れは『檻』を破壊し、目玉モドキの中から元の姿、ぼさぼさになった髪と割れた眼鏡、破けたスーツ姿のサラリーマンが飛び出した。
 なのはは動かない。動けていない。脳裏でいくつもの手段を取捨選択し、シンはフォースシルエットを全開にしながら踏み切った。

 

『貴様に何が、貴様ニ貴様ハ殺す殺す殺すコロす!』

 

 指の捻じ曲がった右手がなのはの細い首に伸び。

 

「黙れよ」

 

 奔った光輪がその腕を切り飛ばす。

 

「――あ」

 

 呆けた声を漏らすなのはの肩に前足を当て、背後に向かって押し倒しながらシンは牙から伸びた光、ヴァジュラを身体ごと振り抜いた。精神体の腕を切り飛ばし、首にめり込んだ魔力の刃は干渉で火花を散らしながらぞぶり、と沈みこむ。

 

『ガ、ぎ、いぎ!?』

 

 先に飛んでいた『腕』に続いて怒りの表情に固まったままの『首』が舞った。ヴァジュラにまとわりつく残滓から薄く煙を引きながら、振りぬいた勢いのままに水平に回転してシンは口をがばりと開く。同時にシンの首の周囲で前から後ろに、まるでライオンの鬣や古代の恐竜、トリケラトプスの襟のように白い硬質のトゲが突き出した。
 その全てが震え、『音』が鳴る。いまだに回転を続けるシンが着地し、足を踏ん張りながら身体を捻り、その首が精神体のほうに向くに従って耳に聞こえない程のその『音』は圧力を増していき。

 

『――!』

 

 解き放たれた凄まじいまでの圧力変化に、シンの周囲がぐにゃりと歪んだ。
 人間の耳では聞くことが出来ない高周波数の音、いわゆる超音波を放つ。それ自体はコウモリやイルカと言った通常の生物も行っていることだ。コウモリは暗闇の中でレーダーのように自分の位置を把握し、イルカは更に仲間同士のコミュニケーションや狩りの際の武器として超音波を発することで獲物を気絶させたりすることができる。
 シンが放った音波はその『音量』こそ桁違いだが、純粋な音である。ただしその周波数は極めて精密にコントロールされており、精神体の構造を直接接触で分析した上で固有振動数――物体を共鳴させ、振動がどんどん増幅する周波数――に合わせてあるのだ。
 爆発的な振動エネルギー、固有振動数との合致による振動増幅。それらが合わさり、導く結果は速やかに現れた。

 

『ぴ、ギ――』

 

 一瞬にして伝わった凄まじい振動によって構造全てを隅々まで『引きちぎられ』、精神体の全てが塵になって流れていく。道路にもすぐ後ろにいるなのはにも何の影響も与えることなく、超振動は精神体だけを粉砕した。

 

「ふ、ぅ」

 

 首もとのトゲを収納し、姿勢を直すシンの前で、砂のように崩れていく精神体の残骸の中からジュエルシードがこぼれて道路に落ちる。
 きん、と澄んだ音が静まり返った道路に響いた。

 

「――シン、君」
「大丈夫か、なのは?」

 

 尻餅をついた格好で呆然としているなのはに声をかけながら、シンはゆっくりと振り返った。上から下まで眺めて傷がない事を確認すると、大きく安堵のため息をつく。どうにか、今度という今度は失敗せずに済んだらしい。

 

「あ、う……ん、うん。封印しなくちゃ」

 

 どこか呆然としたままでなのはが頷き、レイジングハートの外装を手に立ち上がるのを見ながらシンは歩き出して――がく、とバランスを崩した。

 

「な」
「?」

 

 首を傾げるなのはを気にする余裕もなく、左の後ろ下、自分の左足を見やる。
 ……人間で言う膝の部分から下が、ごっそり消えていた。『歯形の付いた』切り口から見る見るうちに循環魔力――血が溢れ、道路を濡らした。

 

「え」
『ぎ、ひHIヒャハ!』
「ぐ、がぁ!」

 

 耳障りな笑い声を上げて喉笛に噛み付かれ、転がりながら噛み付いてきた相手を見やる。ばさばさの髪、歪んだ表情、底の見えない濁った瞳――精神体。先ほど全て塵にしたはずの相手の、ジュエルシードが半分はみ出した虚ろな目がシンの血色の瞳を見返していた。
 首だけの精神体が、シンの喉笛に噛み付いているのだ。首も含めて塵にした事は確認した。ジュエルシードの位置も違う。ならこれは、再生したとでも言うのか? この短時間で?
 何がどうなっているにせよ、物質的にはともかく魔力が直接食われるのは危険だ。ずるずると音を立てるように吸われていく魔力に歯を食いしばり、シンは全身に流れる魔力を爆発させるべく加熱して。

 

『こ、の野郎――』
「あ――あぁああああっ!!」

 

 首元に突き立った桜色の光刃に、声を失って硬直した。魔力で作られた擬似肉体、精神体の首を焼きながらずぶずぶと突き立ち、更に深く抉りこまれる魔力刃はヴァジュラの物だ。その根元になっているのは金色と桜色、白で構成された杖、レイジングハートの外装。それを握っているのは。

 

『ギ! PI……ヴュ――』
[sealing]

 

 レイジングハートがヴァジュラを生首に突き立たせたまま封印プロセスの開始を告げ、激しい光がジュエルシードを包み込む。
 数秒間の光が収まり暗闇が戻った路上には、もはや精神体もその元であったジュエルシードも存在していなかった。

 

「は、っは、はぁ……はー、はー……!!」
『――っと!』

 

 よろめきながら立ち上がったシンは、覆いかぶさるようにぶつかってきたなのはの身体を受け止めて『声』を漏らした。喉が破られているので音が出せないのだ。
 仕方なくなのはをしがみつかせたままで身体の制御と再構成に気をとられていたシンは、なのはの身体が小刻みに震えているのに気づいた。同時に自分が『どうしたのか』気づき、愕然とする。

 

――そうだ。俺は。

 

 自分はどうすると言ったのか。自分がなんとかするはずではなかったのか。それをミスした挙句なのはに尻拭いをさせ、こんな、希薄さと虚ろさすら感じさせる感情を引き起こしているのは誰だ。

 

『――なのは』
「私……私が、やらないといけなくて。シン君が、でも私のせいであのヒト怒って、殺されたって言って――」

 

 ただ呼びかけるしかできないシンの首にますます強く抱きつき、瞬きもせず目を見開いたままのなのはがずるりとへたり込む。ぶつぶつと呟き続けるその腕に抱えられた首から煙を吹きながら、シンは宙を睨みつけ、無言で吐き捨てた。

 

――何が俺がなんとかする、だ。このクソッタレのできそこないが。