鎮魂歌_第01話

Last-modified: 2007-11-17 (土) 19:16:32

白い、まっ白い景色。
全周囲のモニターに映るそんな世界の向こうから、閃光が幾筋も自分へと走ってくる。
敵だ。その姿は自分のフリーダムに類似していた。ガンダムタイプ、とでも言うべきか。
避けた。防いだ。
反撃。
振動。
ビームライフルがやられた。
そこで敵艦の動きにキラは気づく。カタパルトから新たに武装を射出したのと、艦首砲が出てきた。
あの艦首砲は危険だ。対峙するガンダムから離れる。まずはアークエンジェルを逃がさなければ。カガリ
を逃がさなければ。
しかしついてくる。
射出された武装から、敵がある物をひっつかみ、投げた。
ビーム。ブーメランだ。
転回。防げた。
バランスを崩す。海に接した。
敵艦の艦首砲が、放たれたのが見える。
いけない。アークエンジェルは?
気を取られた。機体のバランスは崩れたまま。注意はアークエンジェルの安否にそれた。
敵は?
突っ込んでくる。対艦刀。刺す気だ。盾。
貫かれた。機体、腹部。

―――――――爆発。

そこに差し伸べられたのは、手。

「はっ!?!」

バネのような勢いで身を起こせば、そこは見知らぬ部屋の見知らぬベッドの上だった。

「はっ……はっ…はっ……」

動悸が止まない。震えの止まらない手を見れば、汗でぐっしょりと濡れていた。いや、手だけではない。全
身が汗で濡れ、べったりとシャツに張り付いて気持ちが悪かった。そしてそれ以上に、今しがた見た悪夢
に、気分はどん底まで沈んでしまっている。内容は覚えてない。ただ、これ以上なく恐ろしかった事は覚え
ていた。

「ここは…ぃっつ…」

動こうとした途端、体の各所に耐えがたい痛み。打撲、打撲傷、火傷。はっきりと、自分がズタボロである
事が自覚できた。
何故?
何故自分はこれほどの怪我をしている?

「……あれ?」

何故だ?
何があった?
どうしてこうなった?

「……え?」

思い出せない。
覚えていない。
いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように。
目覚める前の記憶が、ない。

「なんで……え…」

思わず、頭を無造作に掴んだ。汗でびしょびしょの髪が指の間から零れる。目線が虚空を当てもなくさま
ようが、見覚えのあるものはまるでない。大きな部屋に、大きな窓。壁をまるまる窓にしているようで、ここ
が2階以上であるのがわかる。眼下には、手入れされた庭が見えた。なんとも絢爛とした庭園だ。間違い
なく金持ちが管理しているのが一目で分かる。時はもう夕刻。茜色の、世界。
知らない。
ここがどこであるか、自分は知らない。
そして、どうしてここにいるのか、自分はわからない。
必死だった。
きっと思い出せる。目覚める前の記憶は、きっと思い出せる。
力の限り目をつむった。瞼が目を圧迫しすぎて、痛いほど目をつむった。一切の闇の中で、懸命に懸命
に過去を見ようとした。少し、混乱しているだけだ。すぐ思い出せる。そう、言い聞かせて。

「思い……出せない」

声に出すと、はっきりとその現実が叩きつけられる。
今しがた見たはずの、夢の内容さえも覚えていない。まるで、唐突に自分がここに現れたかのように。自
分に記憶がなくなっている。それを認めてしまった瞬間、彼に襲い掛かってきたのは不安だった。
ここはどこだ?
なぜここにいる?
だれがこのちかくにいる?
なぜここにいるんだ?
欠片も未来が見えない不安。過去がどうこう以前に、これからどうなるかの判断材料さえもない。
シャツとズボンで大きな部屋の大きなベッドに寝ていた。
ただそれだけしかわからないのだ。
いや、待て。

「僕は…誰だ……」

名。
他の何も思い出せない。
ならばこれも思い出せないのではないのか?
やはり、不安の海に身を浸していながら、微かな希望を掴みたい一心で考える。
自分の名。
名前。

「僕は……僕の…」

名は。

「僕は……」

まるで、誰かに囁かれたかのような錯覚が思考に差し込まれた。
誰もいない海に溺れていた自分へと手が差し伸べられたよう。じわりと確信が沸いた。間違いない。
自分の名前は、

「キラ……キラ=ヤマト」

その呟きに重なるように、部屋の扉が開かれた。

「おう、起きたか」

現れたのは、がっしりとした中年男性だった。ボサボサの髪に不精ひげ。そんな清潔ではなさそうな顔
で、着てるものは白衣だった。

「おう、鮫島! お譲ちゃん! 起きたぞ!」

響く大声で、誰かしらへ一声かければ、白衣の男がキラへと歩み寄ってきた。
酒の臭いが強い。

「気分はどうだ?」
「良く……ないです」
「そうか。俺は薮井信也。ヤブイ、シンヤだ。医者だ。お前、名前は?」
「キラ…キラ、ヤマトです…あの、ここは?」

場所。この家というか、屋敷について尋ねようとしたキラの耳に、ノックの音が転がった。
今度は2人。1人は長い金髪の可愛らしい女の子と、初老の域に達する口髭をたくわえた品の良い男性
だ。

「目が覚めたのね。大丈夫ですか?」
「動かなければ、何とか……」
「鮫島、この兄ちゃん汗かき過ぎだ。着替え持ってきてやれ」
「わかりました」

1人が、またすぐに出て行った。名は鮫島というらしい。
それを何となく追うキラの目が、少女とあった。

「あたしはアリサ。アリサ=バニングス。この家の娘です。あなたのお名前は?」
「キラ…ヤマトです。あの、なんで僕はここに…?」
「なんでって……その」
「兄ちゃんすっぽんぽんで倒れてたからよ、このお譲ちゃんが助けてくれたんだよ」
「ちょ、ちょっと薮井さん! 女の子の前なんだから、もうちょっと言い方が……」
「事実じゃねぇの」

ヒッヒッヒッ、と薮井が笑う。
それじゃあ、これは? と顔に出していたのだろう。薮井がキラが今着ている服をつまんだ。

「さっき出て行った鮫島ってやつのだ。しかしお前さん、全裸で火傷して打撲してって、いったい何があっ
た?」
「……わかりません」
「へ?」

面白半分に、聞き出そうとしていた薮井の眉根が釣り上がる。

「あの……僕は誰なんですか?」
「え? キラ=ヤマトさん、なんじゃないんですか?」
「違うんです…僕は何者で…どこから来て……そういう記憶が…ないんです…」
「……記憶喪失?」

アリサが信じられないように呟いた。
鮫島が、着替えを持って帰ってきた。

「シグナム、報告が入ったけど……」
「……成果なし、か」

エイミィがコンソールを叩き、捜索部隊からの連絡をモニターへ回す。
アースラのブリッジにて、キャプテンシートの横に立つシグナムは、それを眺めながら重い溜息を洩らし
た。捜索の範囲や人員、行方不明になった時刻やら目撃証言などがモニターに流れていくが、シグナム
の頭に入りはしなかった。これほど心が乱れているシグナムを見る事はクロノとリンディもなかった。

「そう気を落とさないでシグナム。きっと見つかるわ」
「提督……しかし……」
「あのヴィータの事だ。ひょっこり帰ってくるさ」
「……そうだな」

ヴィータが行方不明になって数日が経つ。
任務中、唐突に姿を消したのだ。転送機器を用いずに次元世界を跳躍していた時分で、連絡も一定間隔
で行われていた。それがふと、いなくなってしまったのだ。モニターはしていなかった。それゆえ、事故か
ら襲撃まであらゆる可能性が考えられる。

「ただの事故さ。そもそも、あの元気のいい娘が簡単にどうこうなるはずがない。大方、記憶喪失にでも
なってるんだろうさ」
「…あぁ、そうだな」

いつもよりクロノは饒舌だ。間違いなく、シグナムを気遣っての事だろう。その気持ちに感謝しながら、そ
んな心を表に出す自分に恥じながら、シグナムはエイミィにもう1度報告をモニターに流すよう頼む。今度
は、しっかりと頭に叩き込む。

「たるんでいるな。私も……」
「君が? 君がたるんでいるのならば僕は溶けてる」
「そう謙遜することもあるまい、執務官殿……今度ぜひ模擬戦に付き合ってもらいたいな?」
「……デュランダルが戻ればね」
「何? 手元にないのか?」
「今、ロッテとアリアとプランを出し合って、マリーにいじってもらってる」

対闇の書の闇においてその大出力を見せつけたデュランダルであるが、その実態は本当に対闇の書の
闇をしか想定していないデバスであった。セットされたエターナルコフィンは、確かに強力な攻撃魔法で、
地形や天候さえ左右する大魔法だ。そして、闇の書の闇との戦いの場において、デュランダルはそれの
みを使用して戦いの好機を引きずり出した。
と、いうよりも実はあの時点で、デュランダルはエターナルコフィン以外をセットされていなかったのだ。
いろいろと落ち着いた後、クロノはデュランダルの調整を行い、テストとカスタマイズを繰り返す。好みとス
タイルに合わせては、マイナーチェンジを繰り返したのだが、クロノ的にどれもしっくりこない。そこで、製
造元と意見交換、そしてマリーの手にある段階というわけだった。

「そんなに使いずらいのか?」
「いや、むしろ使い易すぎるんだ。S2Uよりも軽い感覚で大きめの砲撃が撃てるし。ただ、出力が大きい
から気付けば余分に魔力が持っていかれている事が何度かあってね。戦闘中は、もうちょっと魔力の出
入りはシビアにしたい」
「やはり、使い慣れた物が一番だな」
「そういうことだ」

ちらりと、2人の視線がシグナムの胸元へと行く。首にかかる、レヴァンティンの待機状態だ。

「君はいったいどれだけそれを使い続けているんだ?」
「さて、どれくらいだろうか。一番最初、作り出された時に渡されたからな。もちろん、時代に合わせて何度
も手を加えているが……シュランゲフォルムも、いつかの時代で新たに加えたものだ」
「君が改造したのか?」
「いや、その時の主だ。デバイスの技師だったのでな、敵対してきた輩に対抗するためにと強化してくだ
さったのだ……そういえば、その時の敵対者もレヴァンティンの使い手だったな」
「へぇ、レヴァンティンは他にもあるのか」

意外だった。確かに、商品化されているデバイスは同一の名前が多数あると言える。
しかしながら、性能で見ればレヴァンティンとは格が違うのだ。

「あぁ、今はレヴァンティンという名を失っているかもしれんが、杖のものや剣のものと、多様な種類のデ
バイスにレヴァンティンの銘が打たれているはずだ。知らなかったのか?」
「古代のベルカについては、それほど詳しくないものでね。なかなか勉強になるよ。グラーフアイゼンもか
い?」
「いや、あれはヴィータ専用だ。クラールヴィントは、誰かから譲り受けたようだが」

そう、会話をしながら捜索隊の報告データも頭に叩き込み、全員分のお茶がエイミィから配布された頃合
い。大きな欠伸をしながらアルフがブリッジへと入ってくる。寝ぼけ眼で、頭の幾房かがハネている。

「ふあぁあ~~、おはよ。あれ? フェイトは?」
「フェイトなら、食堂よ。漢字の書き取りの宿題をやってるわ」

養子として迎え入れたリンディからすれば、フェイトの真面目な態度は実に誇らしいのだろう。ニコニコし
ながら、リンディはアルフに自分のお茶を差し出した。目をこすりながらアルフはそれを口にして、むせ
る。

「げっほげっほ、甘いわ渋いわまろやかだわ……」
「あら、口に合わなかったかしら?」

「食堂で勉強って、学生時代を思い出すね、クロノ君」
「エイミィはあの頃からまるで変わってないな」
「え? そう? まだまだ学生で通用するかなぁ、あたし」

アルフの背中をさすりながら、えへへ、と照れ笑いをするエイミィ。そんなエイミィの手を、もういいよ、あり
がとう、と礼を言いながら柔らかくアルフがのければ、シグナムがお茶を差し出した。

「大丈夫か?」
「あぁ、大丈夫だよ、ありがと」

落ち着いた様子で、シグナムのお茶を受け取れば、鼻をひくひくさせてから、飲んだ。
渋い。飲み込めば、喉に程よい熱さ。香りが鼻に抜け、舌にじわり、じわりと甘味が花開く。

「ふぅ~……あれ? なんでシグナムがアースラにいるのさ?」
「……君は何も聞いていないんだな」

呆れるクロノ。苦笑するリンディとエイミィ。
そんな場の空気が気に食わないのか、アルフはムッとなったまま説明を求めた。

「ヴィータが行方不明になったのは聞いているだろう?」
「そりゃ知ってるさ。シグナムもやってた仕事終わったから、捜索に加わるんだろう? だからなんでアー
スラにいるんだってば?」
「じゃあ、僕たちはどこへ行こうとしている?」
「管理外世界……えぇっとナンバーは忘れたや。ロスト・ロギアの反応があったからアースラスタッフで調
べに行くんだろ」
「第83管理外世界だ。捜索隊の範囲が、明後日から広がるんだ。その範囲に、この世界も含まれること
になる。だから、ついでにシグナムも乗せていく事になったんだ」
「なんだい、アースラをタクシー代わりかい」
「捜索隊との合流まで、ロスト・ロギアの捜査を手伝うという事を代金としておいてくれ」

にやりと、悪戯っぽくシグナムが笑った。
もう3時間もすれば、目的地の宇宙へアースラがたどり着く。
そこで訪れる危機について、シグナムはこの時点で薄ぼんやりと感じ取っていたのかもしれない。