TPOK_02話

Last-modified: 2014-08-06 (水) 20:05:03

静かにドアを閉めれば、シャマルは小さく息をつく。

 

「どうなった?」
「…ふたりとも寝付いたわ」

 

リビングに集合しているのはヴォルケンリッターの面々だ。
すでに深夜に差しかかろうとする時刻、はやてに夜更かしをさせてしまった。
マユと、タグから「シャニ・アンドラス」なる名を持つ少年を八神家まで迎えて数時間。

 

まず最初に、シャマル単体でマユのいきさつを聞き出せるだけ聞きだした。
判明した事実は歓迎できるものではなく、間違いなくこの世界の人間ではない事が分かってしまう。
事情を聞くために同席を強く希望したはやても、誕生日以来に教えられた魔法について広い度量を持ち合わせていた故に、

 

「そんな事もあるんやねぇ…」

 

の一言だ。

 

ロストロギア級に強大な魔力を秘めた宝石は、八神家の敷居を踏むまでにまるで夢幻であったかのように消えていた。
そこにきてようやくシャマルは、マユから無理にでも蒼い宝石を奪っておけば良かったとひどく後悔する。
すでにマユの体内に宿ってしまっているのだ。
見た限り、素人でも願うなり命令するなりのみの簡単な思念で発動し得る魔導の産物だろう。
異常なほどの魔力を秘めているが、とりあえず今のところ安定しているようだ。

 

「もうひとりの…少年の方は?」
「多分、あの子も違う世界の人間……あの子の体は異常すぎるわ」
「普通ではない苦しみ方をしていたらしいが?」
「禁断症状よ。とんでもない量の麻薬物質を感知したわ……あの子から」
「中毒者かよ。おい、そんなヤツはやてと一緒にしとけねーぞ」
「ただの中毒者じゃないわ。改造されてるの、あの子」
「改造?」
「そう。明らかに外的に肉体をいじられてるわ。脳から、体まで…」

 

第97管理外世界、つまりは地球の医療についてシャマルは全て把握しているわけではない。
それでも彼女はこの分野におけるエキスパートと言える実力があるのだ。
この世界の現行の科学ではあの肉体改造と強化は不可能だと断言できる。

 

そして、だからこそ「視える」。
シャニという少年が完成するまでに築き上げられた、「失敗作」による屍の山が。

 

「同情をするか?」
「当然でしょう!」

 

声を荒げてからシャマルがハッとなって口を紡ぐ。
そしてザフィーラから目をそらして、かつての自分を思い返した。
随分と、変わったものだ。はやて以前の主のに仕えていた自分と見比べれ、感情がとても溢れてくる。
それを、ザフィーラも好ましい事だと思いながら尋ねたと思い至ってシャマルも落ち着いた。

 

「しかし、これからあのふたりをどうしたものか…」
「……難しい問題だな」

 

それではマユさん、あなたの体内のロストロギアを取り出して、元の世界に返してあげますね。
それではシャニくん、あなたの体を完治させてから、元の世界に返してあげますね。

 

と、簡単に言える状況ではなかった。
まず、ふたりのいた世界が特定できない。むろん、ならば探せばいいのだが、時間が惜しい。
現在、彼女らヴォルケンリッターは主はやての病を治すため、寝る間、休む間を惜しんでリンカーコア狩り中だ。
人が住めるという条件付きでも、近場と言えるような次元世界はかなりある。さらにその世界の国についても調べるとなると難しかった。
管理局にふたりの身柄を預けようにも、のこのこ局員と接触して何者かを特定されるような真似もできない。

 

さらに言えば、シャニの肉体は手の施しようがないと言ってもいい。
いや、魔法による治療を長期的に施せば、障害は残るが支障なく生活できるレベルにまで回復し得る。
しかし長期が大前提だ。最終的に管理局に任せるとしても、今すぐにどうこうできる線をとっくに超えていた。

 

そして、マユ。

 

「あのね…みんな聞いて」

 

シャマルが一番の問題点であろうマユの体内に宿る蒼い宝石の話に唇を開く。

 

「マユちゃんの中にあるロストロギアなんだけど…」
「あれ、はやての足に使えねーのか?」

 

ヴィータの言葉に、皆が頷く。ヴォルケンリッター全員が、マユを一目見ただけで理解した。
莫大なエネルギーを保持している、と。
あれならば、闇の書の侵食を食い止められえるだろう。
だが、そこから先の思考を伸ばさざるを得ない事実は、先ほどシャマルが気づいたところなのだった。

 

「それが、できないの…」
「摘出できぬほど、強力に結びついているのか?」

 

ザフィーラの言葉に、シャマルが首を振る。

 

「マユちゃん、右腕がないの」
「…? あったぞ」
「違うの、マユちゃんの右腕、本当はないのよ…」
「それは…まさかあのロストロギアが代わりをしていると言う事か?」
「そう。だからたぶん、あのロストロギアを取り出しちゃうと、マユちゃんの右腕は……」

 

全員が全員、黙りこむ。
例えば以前の自分たちならば、マユからロストロギアを無理やり摘出して、はやてへ捧げた事だろう。
しかし、そうして他を落として助けようとする心をはやては持ち合わせていないと知っている。
そんな人道や倫理、人のぬくもりについて模範として自分たちに示してくれた者こそがはやてなのだから。

 

「それに…マユちゃん、たぶん自分の右腕がもうない事を知らないわ」
「……分かった、あのロストロギアを利用する案は忘れよう」
「ちぇ、あのロストロギア都合よく転がってねーかなぁ……蒼い宝石だったんだろう?」
「ふふ、公園に転がっていれば楽ね」

 

ヴィータの独白にシャマルがくすりと笑みを零してシグナムも頬が緩む。

 

「よし、引き続き、今はリンカーコアを集める事に専念しよう。あのふたりを管理局に預けるのは、私たちがやってきたことの裁きと共に、だ」
「闇の書が完成するまで…我慢してもらうしかないわね…」
「これ、監禁してる事になるんじゃねーのか?」
「今更罪をひとつふたつ重ねたとて、甘んじて受け入れるつもりではいるが、ふたりには気の毒な事をする」

 

どん、と音がした。一階。廊下をはさんだとなりの部屋だ。
すぐにシグナムとシャマルが動くが、遅かった。

 

「があああああああああああああああ!! うああああおおおおおああああああ!!」

 

寝かせていた、シャニ。
敷いていた布団を引っ掴んで、破ってしまっている。痙攣する体では呼吸するのにも難儀だろう。
そして、空気を吸った代わりは全て絶叫にとって代わる。

 

「ぐあああああああ!! ああああ!! あああああ!! ああ!! ああああああ!!」

 

無残にも二つに割れた枕の中から羽毛が飛び散る。その向こう、シグナムが暴れぬように取り押さえて、

 

「大丈夫…! もう大丈夫よ!!」

 

シャマルがそっと春の日溜まりに似たあたたかい輝きをシャニへ施した。一呼吸ごとに、深き森の清々しさがシャニの心身へ行きわたる。
すぐにシャニが我を取り戻せば、へたり込んで辺りを見渡す。見知らぬ部屋、見知らぬ者たち。

 

「…ここ……は?」
「さて、何から説明したものか」
「どないしたーん!」

 

慌ててはいるが、寝入って間もない頃にあの絶叫で起こされた眠そうな声。とん、とん、とん、と階段を下りてくる音。
マユと、マユおんぶされたはやてが、心配げに部屋を覗いてくる。

 

「目覚めてまったく知らない場所で彼が少し驚いてしまったようです」
「そうか…? それにしては、ちょぉ…尋常じゃなかったけど…」
「もう落ち着きました。ご心配なく」

 

不思議そうに場の全員を見上げるシャニと、どこか居心地悪そうなマユを見比べてシグナムは少し考える。
少しだけだ。すぐに口を開いた。

 

「主、お話しておきたい事があります」
「何や? ふたりについて?」
「そうです。マユ、シャニ、こっちに来てくれ」

 

はやてをおんぶするマユを、シグナムは丁寧にリビングへ導き、シャマルはシャニに手を貸して立たせてやる。

 

「まずふたりとも、私はシグナムという」
「あ、はい、マユです。マユ・アスカ」
「……」
「シャニくん?」

 

全員が着席するとシグナムが切り出すが、シャニはもう完全にそっぽ向いてた。
シャマルに寄り添うように座り、胡乱げにリビングに視線を彷徨わせるばかりだ。

 

「シャニ、不安なのは分かる。ひとまず私の話を聞いてくれないか」
「……」
「シャニくん、少しシグナムの話を聞いて。あなたにとっても、とても重大な事なの」

 

シャマルが切々と語りかけて、ようやくシャニが反応した。マユがかちこちに緊張しているのとは違って、どこかふてぶてしい。

 

「まず、ここはお前たちがいた世界ではない」
「……やっぱり夢じゃ、なかったんですね」
「残念だが、現実だ」

 

マユがおどけて自分の頬などをつねって笑うが、渇いた笑顔だった。一応、シャマルから一通りの話はされている。
年の割には状況を受け止める姿勢は冷静だ。激しい戦中から離れられて、ある意味ではホッとしていたらしい。
だから八神家までの道中における、自分の住んでいた日常とは違う日常を目の当たりにして心底驚いていた。
そしてその違う世界の営みが現実である事も、信じられないながらも触れているだ。

 

ただ、当然だが眠りにつく最後まで零し続けていたものは、一緒だった家族の安否である。

 

「お前たちの世界を見つける努力は、出来る限りする。ただ、それに時間がかかってしまうのだ」
「そこで、はやてちゃん、ふたりをこの家泊めておくのが良い、って話になったんだけど…」
「あ、ええよ」

 

返答の、その間二秒。実に朗らかな笑顔だった。

 

「ふたりとも、絶対に元にいた世界に返すと約束する。それまで、この家にいてくれないか?」
「えっと…」
「できる限り、きっと不自由はさせない……頼む」

 

しどろもどろになるマユに、シグナムは真正面から真摯に頭を下げた。向き合っていて、やはり強い魔力の波を感じる。
いつ不安定に陥るか分からないロストロギアを抱えたマユが飛び出して出歩いてしまうと、この世界の文明では危険だ。
少なくともマユだけは、悪いがヴォルケンリッターで束縛しなければなるまい。

 

しかし、意外にもシャニが最初に意思を示す。

 

「お前……ここの人?」
「え、私?」

 

シャニの紫の右目が熱烈にシャマルを見つめてくる。まるでシャマル以外の誰も目に入っていないような。

 

「えぇ、ここの家族よ。シャマルって言うの」
「…………………………じゃあ、いる」

 

二度、禁断症状を救ってくれているのだ。当然と言えば当然だろう、とヴィータは思う。
その横で、ザフィーラも同じ思考だ。しかし、彼からすればひとつ加わる事がある。シャマルの母性に触れ事も要因だ、と。
獣の彼が一番それを感じたかもしれない。

 

「家族…ですか?」
「あはは、そんな風に見えへん?」
「あ、いえ…」
「あたし以外のみんなはちょぉ特殊な人たちなんよ。でも、みんな一緒にいてくれる、家族や」
「……あの、本当に私を帰してくれるんですか?」
「それは誓おう。時間がかかってしまうが、絶対にお前を元の世界に返す」
「本当に? 本当に、本当?」
「無論、信用しろと言う方が無茶なのは心得ている。それでも我々にできる事はこれで精一杯なのだ」
「………そう言ったって、選択肢ないじゃないですか…」

 

痛むようにシグナムが目をつむった。シャマルもうつむく。

 

「あ、す、すみません! 違うんです、構わないんです。そちらさえよければ、構わないんです」
「それでは…?」
「は、はい。あの、本当は、まだ全部を信じられないんですけど…とりあえず、ここにいさせてください」
「おっし! 決まりだな、おい、あたしはヴィータだ。よろしくな」

 

それまでずっと黙っていたヴィータが、その場の緊張した雰囲気をぶち壊す勢いでようやく喋った。
強めにシャニとマユの肩を叩く。マユが苦笑した。
シャニはメンチを切った。シャマル以外にはまだ警戒を解いていないが、ヴィータへ敵意を抱いた瞬間である。

 

「ザフィーラだ」
「しゃべった!?」
「犬!?」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……………………………………………………わん」
「いや、いい。流石にここまで話したんだ。無理をするな」

 

八神家の夜は更ける。

 

 

「話は分かっ…………るかぁ!」

 

テーブルを叩いてシンが叫んだ。並んだティーカップがちょっとだけ飛び跳ねてかちゃりと着地する。
対面して座るフェイトは少しだけ退くが、アルフはムッとした顔である。

 

「なんだい、これだけ説明されて、まだ分からないってのかい」
「信じられるか! ふざけないで、ここがどこだか教えてくれよ!」

 

ここはあなたがいた世界ではありません。
私達は魔法使いです。

 

フェイトがシンをマンションの自室へ招き入れ、語った説明を要約すればこの二点だろう。
無論、シンからすれば信じられる話ではなかった。お行儀よくフェイトの話を聞いた時間が無駄にしか思えない。

 

「ふざけてないっての! ほら! ほれ!」

 

何回も意味不明の発光と共に、獣の姿と人の姿を行ったり来たりするアルフだがシンはけんもほろろだ。
はいはい、すごい手品ですね、お茶ごちそうさまでした、楽しいお話有難う、さようならと言わんばかりに無味乾燥した双眸で心のこもらぬ拍手をする。

 

「はいはい、すごい手品ですね、お茶ごちそうさまでした、楽しいお話有難う、さようなら」

 

ぷりぷり怒って出ていこうとするシンを、フェイトが引きとめる。ギュッと腕を掴んでくる握力は想像以上に強い。
少女を相手に邪剣に振りほどくのも気が引け、フェイトを双眸鋭く睨みつけるにとどまった。

 

「魔法と言っても、不思議なことじゃないんだ。科学の延長で、まだ発見されていないエネルギーを、まだ確立されていない理論で扱うって言うのが正しい」
「進んだ科学が魔法に見えるってやつ? じゃあ、すぐにその魔法で俺を元にいた所に帰してくれよ」
「それは…」

 

フェイトが黙り込む。シンの言うそれが、出来ないのだ。
まず、シンのいた世界が特定できない。むろん、ならば探せばいいのだが、(以下、だいたいヴォルケンズと同等の理由で略

 

「ほら見ろ、からかうなら別の奴を捕まえてくれ。俺は早く帰らなきゃいけないんだ」
「嘘じゃないんだ……ただ、私達にも事情があって…」
「もう魔法が嘘でも本当でもいいから、ここがどこだか教えてくれよ……」
「日本の遠見市」
「だからそれがどこだって…………ニホン?」

 

額に手をついてシンはようやく引っかかった単語を頭の中から引き上げようとする。
ニホン。にほん。日本。
国名だ。国名か? いや、確かに国名だ。オーブに縁があった。間違いない。歴史としてそれは、きちんと学校で習った。絶対に。
東アジア共和国。間違いない。東アジア共和国の…一部?

 

「思い出した。でも…」

 

でも、シンの知る限り主権国家としての日本は既に存在しておらず、オーブ建国の礎となっている。
現地人はどう呼んでいるか知らないが、東アジア共和国の一部として認知されているばかりだ。

 

「でも…バカな、なんでそんなに遠い所に?」

 

ジブラルタルはヨーロッパの端、日本はアジアの端。
確かに、海で意識を失っている間にこんな長距離を移動すると言うのはおかしな話だ。
ひとつ大波があってそれに流されたと聞かされたが、そんな問題や潮流がどうという話を超えている。
ゾッと、フェイトの言葉に現実味を感じてシンの背筋が凍えてきた。

 

「有り得てもアフリカ共和体に流れ着くぐらいだろう……どうなってる?」

 

本当に日本か?
しかし、こんな見ず知らずの少女が自分を騙してどうする?
魔法とやらを信じさせるためか?
信じさせて、どうする?
アスランはどうなった?
メイリンは?
レイは?
議長は?
デスティニーは?

 

いろいろな疑問が浮かんでは消えていく。その中で、ひとつ、この少女に問いかけてみようという気になるのはひとつだ。

 

「俺は帰れるか?」
「帰る事は、絶対にできる」

 

偶発的に次元世界を跳び越える例は枚挙にいとまがない。そして、そんな者たちの保護こそ管理局の本領だ。
そしてそれこそ今、フェイトが最も避けておかなければならない組織である。

 

「分かった、じゃあ帰り方を教えてくれ」
「……」

 

またフェイトが黙り込む。早くジュエルシードを回収しなければ街に被害が出得る。
シンのために次元世界を飛び回っていては、とてもではないが母からの頼みを消化できないだろう。
それはフェイトにとってもとても悲しい事だ。なにせ、フェイトを頼ってくれたのはこれが初めてと言っていい。
母の期待に応えねば、応えねば、応えねば。

 

そして、早急を要するのはシンも同じだ。
アスランを、討った。本心で言えば、好きだったと思う。
人から聞いたような英雄像こそあてはまらなかったが、激情を抱え、どこかで自分と同じ匂いもした。
そんなアスランを、討ってしまったのだ。後戻りはできない。してはいけない。

 

もう、道が定まった。議長の構想を助けなければ。誰もが幸せに暮らせる世界の実現。
進まなければならないのに、それに向かう、一歩さえ踏んでいないのだから。
受領したデスティニーで、戦うべき場所がある。戦うべき相手がいる。
戦争を終わらせると、議長は言った。議長の戦いは、それからだろう。戦争のない世界へ。
ならば、自分の戦うべき時こそ、今のはずだ。議長の期待に応えねば、応えねば、応えねば。

 

結局、フェイトは考え込んだまま返答をしなかった。シンがフェイトの掴む手を振りほどき、外へ出る。
肌寒い風。先ほどまで海水に体力奪われていたのだから一層冷たく感じる。

 

マンションを下ってしまえば、街並み。なんら変哲もない街の姿だ。
自動車は走っているし、学校帰りの子らが歩き、赤子を抱いた親が買い物袋を提げている。
無論、知っている街並みではないし、その情景に違和感があるのは当然だ。
各国を巡ってきたシンは、他国の日常を何度も経験している。つまり、知らない日常というものを見慣れている。

 

ほら見ろ、違う世界なんて嘘じゃないか。

 

全身があらわにならずに、物陰からその街の様子を観察するのは無意識だ。
デュランダルの対ロゴス表明に同調し、ジブラルタル基地に集結した海軍艦艇の一角に東アジア共同国も参加しているが油断はできない。
なにせ、ついこの間まで敵対していた関係だ。こんなザフトの赤服が堂々と歩けるはずがない。

 

シャツだけになって、マンションの住人であろう年配の女性に声をかける。

 

「あの、ここどこなんです?」

 

この寒い季節、上がシャツのみという服装に不思議そうな顔をするが、懇切丁寧に教えてくれる。このマンションの正確な住所を。
やはり、遠見市。加えて、日本であると言質を取る。この国で使える通貨も見せてもらったが、やはり見知らぬ物だった。
服装もそうだが質問も不思議なものだったに違いない。年配の女性は、訳の分からぬ顔でマンションへと入っていく。

 

数人に繰り返し同じ質問をした。答えは全部同じだ。
出来る限り人目につかずに移動して、適当な人選でまた同じ質問。
返ってくる答えに違う所があるとすれば丁の数字が変わっているぐらい。

 

かなり遠くまで走った。どこまでも、どこまでも、とても呑気でありふれた風景が広がるばかりだ。
長距離を疾駆しても息は乱れないが、どんどん心が乱れていく。
知らない街に放りこまれるのはなんて事はない。しかし、本当に知らない世界に放りこまれたとすれば。嫌な思いが沸き立つ。

 

「……俺は帰れるか?」

 

声が奮えるで自問自答。
近くに通りかかった車の騒音が遠くに聞こえ、ドップラー効果で間延びする感覚が異様に引き延ばされている気がする。

 

「帰る事は、絶対にできる」

 

答えは後ろ返ってきた。振り返ればフェイトがいた。

 

「なぁ…俺は帰らなきゃいけないんだ。教えてくれよ、帰り方」
「少し、待ってもらえないかな…? 時間か要るんだ」
「すぐに帰らなきゃダメなんだ…俺、やらなきゃいけない事、あるんだよ」
「あーもー、じれったいねぇ!」

 

苛立つシンと、懸命にシンの帰還方法を模索しようとするフェイトの間をアルフが割って入る。

 

「こんなヤツ、任せればいいんだよ!」
「任せればって……誰に?」
「あんたの母さんだよ! あたしたちに探し物させてる間、どうせ暇なんだから!」
「そんな事無いよ、母さんは研究で忙しいんだ」
「いーや、あいつは今ごろゆっくりオヤツ食べてるのさ。フェイトに面倒なこと押し付けてね!」
「母…親?」

 

目の前の少女にも親がいるのだ。当然だ。大人ならば話は通じる事だろう。
もしかすると、何とかなるかもしれない、と一抹の期待がシンによぎる。
そしてそれ以上に、「こいつの親も同様に自分は魔法使いだ」とのたまうイメージがわいてしまい頭が痛くなる。

 

「おい、俺は帰れればそれでなんでもいいんだ、あんたの母さんはどこにいる?」
「……ちょっと遠いところ」

 

そうして、フェイトが幾許かの葛藤を経て顔を上げた。
そうだ、流石にシンは不幸な漂流者なのだ。忙しい母さんとて、それは分かってくれるはず。
偉大な母さんでも、個人の情報を頼りに元にいた次元世界に帰すのは難しいだろうが、きっとやってくれる。
なにせ、母さんの優しさはきちんと知っているのだから。

 

「分かった、母さんの所に連れていこう」

 

力強くフェイトが頷いた。