TPOK_04話

Last-modified: 2009-06-11 (木) 21:59:36

「この辺りでいいんじゃないか?」
「は、はい……そうですね」

 

息も絶え絶え、公園までフェレット抱えて逃げたなのはとイザークは静かな湖畔のベンチに落ち着く事にした。
まだ遠く遠くにサイレンの音が聞こえる気がしてなのはの緊張はとれていない。
イザークは慎重に道のりから、今いる周囲までをきっちり頭に入れて入るが、まったく覚えがない土地だ。

 

いや、見覚えの有無どころではない。
見た事もない樹木や、知らない整備方法の道路、明らかに住んでいた文化とは違う住宅。
感覚もそうだ。いろいろな国を巡ったイザークは、見上げる夜空の色がおかしいと気づく。
匂いも、やはり経験したことのない国のものだ。

 

「どうなっている…?」

 

呟くが、今いるのは小さな女の子と珍妙な小動物ばかりだ。
どう切り出したものか、とイザークがベンチに腰かけて息を整えるなのはを眺めていれば、

 

「すみません…」

 

フェレットが身じろぎをして頭を持ち上げる。

 

「あ、ごめんね、乱暴で…起しちゃった? 怪我、痛くない?」
「怪我は平気です。もうほとんど治っているから」

 

するすると、なのはの腕の中で包帯を外せば健康そのもののフェレットの体。
まだ疲労が抜けないなのはと違い、余裕がたっぷりあるイザークも覗きこむ。

 

「本当だ、怪我の痕がほとんど消えてる…すごーい」
「助けてくれたおかげで、残った魔力を治療に回せました」
「良く分かんないけど、そうなんだ……そうだ、」

 

フェレットと、イザークを交互に見比べてなのはがそれが義務であると言わんばかりに、

 

「自己紹介しましょう」

 

フェレットはペースに乗せられ頷いて、イザークは訝しむ表情。
エヘン、となのはがひとつ咳ばらい。

 

「わたし、高町なのは。小学校三年生、家族とか仲良しの友達は、なのはって呼びます」
「ぼくはユーノ・スクライア。スクライアは部族名だから、ユーノが名前です」
「ユーノくん、か。可愛い名前だね」

 

そしてなのはと、その腕の中にいるユーノが渋面のイザークを見上げる。
腕を組み、イザークは何か考えをまとめる為に時間をいくらか費やすが、結局唇が開いた。

 

「………イザーク・ジュールだ。ここはどこだ? プラントではないのは分かる。地球か?」
「?? えっと、とりあえず、地球です」

 

なんでそんなに当たり前な事を言うのだろう、ともちろん思う。
しかしイザークの剣幕と挙動、そして纏う空気がなのはには重く感じる。

 

「地球の、どこだ?」
「海鳴市、です。あの、日本の海鳴市です」
「日本? 東アジア共和国か!」

 

一応、共通して話が噛み合っているようだがなのはには違和感がぬぐえない。
無論、イザークもだ。敵国圏内と認識して一層、その剣じみた迫力が濃くなるが、どこか心が締まり切っていない。

 

その他にも、イザークが次々となのはに質問を飛ばすが、日付から何まで、あらゆる認識にずれが見えてくる。
イザークの言い分は、自分は宇宙にある国に住んでいたコーディネイターだ。
なのはの言い分は、宇宙に国はなくてコーディネイターってなんですか?

 

そのやりとりを聞きながら、ユーノがみるみる青ざめていくのをイザークは見逃さなかった。

 

「……その喋る動物は、この国特有のものか?」
「そういうわけじゃ、ないと思うんですけど…」
「イザークさん、落ち着いて聞いてください」

 

そしてユーノが語る。ここは異世界である、と。
イザークもおよそ、フェイトと話をしたシンと同様の反応だった。懇切丁寧にユーノが説明をするのだが、イザークは突っぱねた態度。
だが、それでも、異常な事態が身に降りかかっていると言うのは嫌でも理解した。
結局、イザークもこんな疑問にぶち当たる事になる。

 

「俺は帰れるのか?」

 

ユーノが黙り込んだ。
帰れる事は確実に約束できる。ただ、問題は帰り方だ。
二通りある。ひとつはユーノがイザークを元の世界に案内する。もうひとつは管理局に保護してもらう。
共通して言えるのは、時間がかかると言う事だ。

 

ユーノがイザークを導くとなれば、ジュエルシードを封印が終わってからになる。それまでに時間がかかる。
管理局に保護してもらうとなれば、かなり複雑な手続きと様々な聴聞や審査が待っている。最悪、年単位で時間がかかる。

 

「おい、答えろ。俺は帰れるのか?」
「帰る事は、できます」
「……問題があるようだな」
「はい、簡単に言ってしまうと、時間がかかるんです」
「どのくらいだ?」
「何通りか帰り方があって、その都度かかる時間も違うんです。最悪、一年以上…」
「なん…だと…!」

 

どうも会話のうちからイザークが責任ある立場である事はユーノも察している。
部族のいちグループの指揮を執るユーノだから、その焦りはしっかりと伝わった。
確実な最遅か、それとも不安定な最速か…

 

「すぐに帰れるかと言うと……無理なんです。ただ」
「……ただ?」
「少しの間だけ待っていただければ、絶対にイザークさんを帰します。どうか、我慢してもらえないでしょうか?」
「その、少しの間というのは具体的に言えないのか?」
「すみません。はっきりした事は、言えないんです。先程の黒い影と関係するんですが……ぼくはあのジュエルシードという蒼い宝石を集めに来ました。その回収が終わるまで、待っていただけませんか?」
「あの怪物か。あれは何だ?」
「あれは魔法の産物……ジュエルシードが暴走してしまった姿です」
「ま、魔法?」
「魔法と言っても科学の延長で、論理の上に成り立った物理なんです。ぼくらの魔法は発動体に組み込んだプログラムと呼ばれる方式で、その方式を発動させるために必要な物が術者の精神エネルギー……そして、発動体が、」
「これだね」

 

なのはが赤い宝石を掌に乗せた。力なく頷いて、ユーノがうつむく。

 

「すみません、あなたがたを…なのはさんイザークさんと巻き込んでしまいました」
「あ、その…」

 

手の中のユーノを抱え、なのはは眼線を合わせて真っ直ぐ見詰めた。
瞳の中に光る誠実さを前にして、ユーノが申し訳なさそうにうなだれてしまう。

 

「多分、わたし平気。あ、そうだ、お話長くなりそうだし、わたしの家に行きましょう?」

 

そんなユーノの陰気やイザークの不安を和らげようとなのはが笑顔を振りまいて立ち上がる。
なのはの手の中のユーノは、一般人を巻き込んだ後悔の念の渦中。だが優しい言葉をかけてくれたなのはについていこうと顔を上げた。
しかし、イザークは、

 

「俺は……」

 

どうしていいのか、判断がまだついていなかった。
ユーノと一緒にいて離れないというのは、まず絶対だろう。だが、このままなのはについて行っていいものか…

 

「そっか、ユーノくんはともかく、イザークさんを家にお招きするのに何か理由を考えなきゃ。別の世界から来た人、っていうのは隠しておいた方がいいんだよね?」
「はい、その方がきっと都合が良いです」
「いや、待て、俺はまだ行くとは言っていない…」
「でも、寒いですし、知らない街でひとりなんて……」

 

生き倒れを助けた、とか、道に迷った外人、とかいろいろと提案を出すが、即交番になりそうなものばかりしか浮かんでこない。
そんな中でユーノがこう言うのだ。

 

「あの、こういうのはどうでしょう?」

 

夜の公園の一角に、意味不明の発光がイザークに施される。

 

 

「あーん…かわいー!」
「ふむ、なかなか賢そうな……イタチじゃないか」
「フェレットだよ、お父さん」
「何か芸とかできるのかな? ほれ、お手」

 

夜の無断外出から帰り、恭也の説教と美由希の諭しを受けたなのはは、リビングにてフェレットを家族に紹介する事になる。
ユーノを抱きしめる桃子はとろけるような笑顔で迎え、

 

(く、屈辱だ……)
「「おー」本当、賢いわねぇ」

 

差し出す手に応じるイザークに、士郎も感心した歓迎の微笑みを洩らす。

 

そう、金銀二匹のフェレットがそこにいた。
銀のフェレットこそ何を隠そう、変身魔法によって姿を小動物に化かされた、ジュール隊隊長であり最年少白服の若きエリート…イザーク・ジュールその人だ。
結局、高町夫妻にさんざん可愛がられてもみくちゃにされ、食事や飼い方などの話し合いでどたばたして夜が終わる。フェレットよりも桃子さんの方が三倍以上マジ可愛い。
出来た話は、普通に名前を呼び合い、普通に話をしようという程度のもの。
そして朝を迎えれば、学生は登校時間。バッグを背負ったなのはが、籠にタオルを重ねたベッドに座すイザークとユーノへ振り返る。

 

「じゃあ、わたし学校へ行かないといけないから。帰ってきたら、お話聞かせて」
「あ、大丈夫、離れていても話はできるよ」
「ふえ?」
『なのははもう魔法使いなんだよ』
「あ…これ、わたしを呼んだ時の」
『そう、レイジングハートを身につけたまま、心でぼくに喋って見て』
「えーっと…」

 

そっと、ハンカチに包んでいた待機状態のレイジングハートをなのはがつまみ上げた。
ぎゅっと、握り締めて胸元へ。そしてまぶたを閉じて、

 

『こう?』
『そう。ね、簡単でしょう?』
「わぁ…! 本当だ!」

 

驚きは大きい。しかしそれ以上に、楽しさというか、嬉しさがなのはに強かった。
まるで知らない新しい感覚の開拓に心が躍るのだ。

 

『空いてる時間にいろいろ話すよ。ぼくの事とか、魔法の事とか、ジュエルシードの事とか』
「うん……」

 

その様子を見ていたフェレットへとクラスチェンジを果たしたイザークは、無論の事念話なんぞできないので、

 

「…………何をやっているのかさっぱりわからん」

 

ちょっぴり淋しそうだったと言う。

 

かくして、さまざまな情報をやりとりしながらの登校となる。
途中、何度かユーノとの念話が途切れるが、イザークにも並行してあらゆる事情を説明しているらしい。
多数の事柄を同時に思考、進行する事も魔法使いに重要なスキルだというが、イザークには直接喋って説明しているから、なのはとの念話がいくらか切れてしまう。
なのはも授業前の友達との雑談とユーノとの念話を並列で処理してみようとしたが、流石に難しい。
難しいが、練習すればできるようになるかもしれない、と好感触を掴んだ所で学校に意識を向ける。

 

「あ、それでね、なんだかあの子、飼いフェレットじゃないみたいでね、当分の間うちで預かる事になったよ」
「そうなんだ」
「名前つけてあげなきゃ。もう決めてる?」
「うん、ユーノくんって名前」
「ユーノくん?」
「うん、ユーノくん」
「「へぇ」」

 

授業に入れば、ジュエルシードについユーノが語り始める。
桃子から与えられたクッキーを、イザークと一緒に頬張りながららしく、「あ、美味しい」と念話に漏れる声があった。

 

『ジュエルシードは、ぼくらの世界の古代遺産なんだ』
「いちきゅっぱのビデオデッキが二割引き! ボーナス一括払いで5%オフ! 今ならポイント還元が13%ついて、さて、いくら!?」

 

多少、先生の声が喧しいが仕方ない。
算数の授業も耳にしながら、海鳴にジュエルシードがばらまかれたいきさつやユーノの出自についてよくよく話を聞いた。
そんな事があった、という話を聞くなのはである。まるで知らない世界の話にただ、頷くしかない。

 

しかし、ひとつだけ…なのはが疑問を差し挟む。

 

『あれ? でもちょっと待って。話を聞く限りでは、ジュエルシードがちらばっちゃったのって、別に、全然ユーノくんのせいじゃないんじゃ?』
『でも、あれを見つけてしまったのはぼくだから……全部見つけて、ちゃんとあるべき場所に返さないと…駄目だから』
『なんとなく……なんとなくだけ、ユーノくんの気持ち、分るかもしれない。真面目なんだね、ユーノくんは』
『…え?』

 

重く責任を感じるユーノを好ましく思いながら、微笑に頬が綻んでしまう。

 

『えっと、夕べは、巻き込んじゃって…助けてもらって本当に申し訳なかったけど…この後、ぼくの魔力が戻るまでの間、ほんの少し休ませてもらいたいだけなんだ。一週間……いや、五日もあれば力が戻るから、それまで……』
『戻ったら、どうするの?』
『またひとりで、ジュエルシードを探しに出るよ』
『それはだぁめ』
『だ、駄目って…』
『わたし、学校と塾の時間は無理だけど、それ以外の時間なら手伝えるから』
『だけど、昨日みたいに危ない事だってあるんだよ』
「うふふ」

 

昨晩を思い返し、恐ろしさとなんとかなった安心を思い返してつい声に出る。
となりの席の男子がそれに反応してきたので、誤魔化すように慌ててペンを紙面に走らせた。

 

『だって、もう知りあっちゃったし、話も聞いちゃったもの。放っておけないよ……
それに、夕べみたいな事がご近所でたびたびあったらみなさんのご迷惑になっちゃうし、ね。ユーノくん、ひとりぼっちで助けてくれる人いないんでしょう…? ひとりぼっちはさみしいもん。わたしにも、お手伝いさせて』

 

結局、いくつかの問答やユーノの遠慮を経て、なのはがジュエルシードを集める事となればチャイム。
学校が今日の学習の終わりを告げる。

 

同時に、並行してユーノと話をしていたイザークがジュエルシード全てを集め終えるまで待つ事を承諾してくれたと聞く。
管理局へ助けを求めるためにかかる時間や、管理局が元にいた世界に帰してくれるまでの時間の総合を丁寧に説明して渋々といった風だ。
ジュエルシードを回収し終える時間なんてはっきり計算できるわけではないが、それでも管理局が通す手続きよりも早いと断言できる。
心底からこの理不尽な事故に怒っているイザークにユーノも心痛んだ。
自分が悪い事をしたわけではないが、何もできない事に対してなのはも申し訳なさが募る。

 

だが、しかし、三人だけの秘密を共有しているという気持ちに、なのはは心のどこかでわくわくがあったのを自覚した。
それからすぐに、不謹慎だ、と自重する念も湧きあがる。

 

「なに深刻な顔してんのよ」
「わわわわ」

 

もう下校の準備が完了したアリサが、おさげの片っぽを軽く引っ張ってくる。
慌ててなのはもすぐにバックを背負って席を立つ。いつもどおり、アリサとすずかの三人の帰路だ。

 

「また今度、ユーノくんに会いに行っていい?」
「うん、いつでもいいよ。それにね、実はユーノくん以外にもまだいるんだよ」
「え、あの怪我してた子だけじゃないって事?」
「そう、イザークさん」
「女の子のフェレットも拾ったんだ」
「あ、そうじゃなくて、イザークさんも男の子……男の人……男のフェレットなんだけど」
「じゃ、イザークくん?」
「そ、そう、イザークくん!」
「へぇ、同じ種類? 一緒に拾っちゃうなんて、ユーノと友達なのかしら」
「ぎ、銀色の毛並みで格好いいんだ」

 

イザークの見た目は成人かそれに近しい年齢だ、つい敬称が零れてしまうなのはが取り繕った。
親友たちに嘘を言って騙している気分が一抹だけよぎるのだが、それを押し込めなのは苦笑い。

 

そんなのどかな道すがら、絹を裂くような女性の悲鳴が三人の背後から響き渡った。

 

「ひったくり!」

 

街の往来。周囲の人々も注目する中、駆け抜ける男が一人、なのはたちとすれ違う。
明らかに身の丈に合っていない上下の衣服と、豪奢なブランドバック―――誰がどう見ても、ひったくり犯だ。
なのはたち三人の行動はそれぞれ違った。

 

「…え!? あの気配……!!」

 

なのはははっきりとジュエルシードの波動を察知しておののいた。
呆然とするのは一瞬。即座にユーノに念話を入れる。ユーノの方でも、ジュエルシードの気配を察知したらしい。家を出たと言う。
アリサは即座に携帯電話を取り出し110。
そしてすずかは、

 

「アリサちゃん、これお願い」
「え、ちょ、ちょっとすずか!?」

 

携帯を取り出したバックとカチューシャを親友に預けて、きゅっと髪を一本にゴムで結う。
警察へのコールのために片手が塞がっているおかげで、片手でバックとカチューシャ受け止るアリサ。
携帯電話を握り締め、すずかがスタートを蹴った。

 

 

「へっへー」

 

ぼんやりとした女からバックをひったくって全力疾走中、クロトは笑った。
なんて自由なんだろう。
このどことも知らない場所へついてもう数日経つが、これほど束縛されないと言う事が楽しいとは知らなかった。
いや、ただ覚えていなかっただけかもしれない。
自分の身体能力を自分のためだけに使えば、誰も自分に追いつけないのだ。これほど気分が良いとは。

 

見る物すべて、感じる物すべてが自分を祝福しているかのような気分だった。
禁断症状も、理由は分からないが起きないような確信が心のどこかにある。
なんとなくいつの間にか手にしていた蒼い宝石のおかげだと思っていたが、それもいつの間にか消えてしまっていた。
散々探したが、無い物は無いのだ。そして、最初に目覚めた廃ビルを住み家にして、クロトは街へ出る。

 

最初は服を盗んだ。
それであの忌々しいパイロットスーツとおさらばして、丈が余ってしまうサイズだが街にいる人間と大差なくなれる。
以降、強盗や泥棒を繰り返しながら、クロトは食べ物や携帯ゲームなどを購入したりもしていた。
強盗で金が手に入ると、買い物をしたくなってしまうのだ。奪う、盗むではなくて支払いを通して物を手に入れる事もまた楽しかった。

 

「さて…」

 

もう十分走っただろう。逃げきったと自信たっぷりに足を止めれば、ブランドバックの中身を漁った。
財布だけでもいいのだが、それ以外にもたまに面白い物が入っている事もある。
まるで宝箱を開けた気分で中身を物色していれば、ふと白い色が視界の端に飛び込んできた。

 

制服だ。おそらくアカデミーか何かの小等部生徒。
自分を追いかけてきたとクロトは理解する。
ぷっと、吹き出した。あれだけ目立ったのだから、誰か追いかけてくるかもしれないとは思ったが、まさか小さな女の子とは。
凛々しく眉根を吊り上げて、なかなかの健脚だ。
クロトの子供っぽい嗜虐心に火が付く。
逃げきって悔しがらせてやろではないか。再び駆けだせば、追いかけてくる女の子から距離を作る。

 

一所懸命に追いかけてくる姿を、時々ちらりと振り返りながらクロトが嘲笑う。
そのたびに目が合い怒っているのが良く分かって、その顔がまたクロトには楽しかった。

 

「ははは、ははは、ほら、こっちこっちぃ!!」

 

挑発の言葉も何度かかけてがむしゃらに逃げる。
ブーステッドマンとしての能力を制限なしに使える今のクロトに、女の子相手の負けはないだろう。
しかしひとつだけ、不安な要素はあった。
土地勘だ。
この街の知らない場所がまだ多い。
だから変な道を走ってしまう事がクロトにはちょくちょくあった。一方、追いかける女の子の方は近道を駆使して、クロトに張り付いて離れない。
どうやら、追跡する女の子を振りほどけないらしい事を察してクロトが意外そうな顔になる。
当然、クロトもまだ全力ではない。それでもコンパスの違い、体躯の違いは歴然だ。すぐ見えなくなるとばかり思っていたが、やるではないか。

 

ほんのちょっとだけ、本気を出してやろう、と意地悪く口角吊りあげてクロトが前を向けば、

 

「チィ!?」

 

舌打ち。青い制服、帽子、白黒の車……警察だ。

 

「そこの君! 止まりなさい!」

 

クロトを認めて、立ちふさがるように前から迫ってくる。
大地を全力で踏んだ。警察の顔ほどの高さまで跳躍すれば、手頃な一人の肩を蹴って壁を突破。
今日までの強盗、泥棒で何度か警察にはお目にかかっている。本気を出せば逃げられる相手だ。
信じられない身体能力に愕然とする警察を置き去りにしてクロトがさらに逃げる。
そして警察の位置を把握しようとして一度だけ振り返った。

 

「なッ、まだついてくる!?」

 

携帯電話を耳にあて白い制服の女の子の走る姿がそこにあった。

 

 

「はい、病院の前を通過しました!」

 

前方にクロトを捉えながら、すずかが短く通話して携帯電話を切る。
つなげるのはアリサの携帯だが、応答はアリサではない。ひったくりが起こった現場に駆け付けた警察である。
その警察を通して、実際にパトカーや白バイが急行すべき場所を通達されているはずだ。

 

また目ぼしい施設近くを通れば、すぐに連絡を入れる。その繰り返し。
自分が追いつかなくてもいい。最終的に、捕まえる為にただ見失うだけはしにようにすずかは走る。
しかし、警察が動員されればすぐ逮捕できると思っていたがどうも外れたようだ。
ひったくり犯は鮮やかに警察のバリケードを潜り抜け、飛び越えて、張り倒し、逃げ延びている。
身のこなしから動きまで異常な身体能力と言っていい。

 

「今、市民プール北口です!」

 

ただ、逃走経路がてんででたらめだ。地図を頭に思い描きながら、クロトの道筋をなぞれば要らないルートが多すぎる。
撹乱する動きではなく、慣れていないようにすずかが思う。
クロトが角を曲がった。徐々に市街地の外れに向かっている。
森林や、建設途中のビルといった中途半端に自然と文明が混ざり始めた景色にすずかも速力を少し上げた。
森に隠れられては厳しくなる。

 

角を曲がって、

 

「!?」

 

すずかが横方向へ転がるように飛んで逃げた。

 

「あ、クソッ!?」

 

角を曲がってすぐに、クロトが待ち構えていたのだ。
伸ばされた手をかろうじてかわして、道路に手を突くすずかが見上げてくる。

 

「お前だろ! お前が連絡してるからあいつらが先回りしてくる!」
「そ、そんな…ひったくりをするから悪いんじゃないですか。バックを返して、警察に行きましょう」
「バァカ! 誰が行くもんか! 僕はもう帰るんだ、邪魔すんなよ!」

 

対峙して、距離をうかがう二人だがクロトにはいささか焦りが滲んでいた。
入り組んだ道を走って、パトカーが来にくい場所に逃げ込んだが、こうして立ち止まってしまっては元も子もない。
対して、すずかの方はクロトが止まってくれれば止まってくれるほど警察のための時間稼ぎになる。

 

せわしなくクロトの目が上下左右に動く。
何か、この女の子を突き放すきっかけはないものか……

 

「…あ」

 

ふと、目に留まるものがあった。
金と銀――違う毛並みをした、二匹のフェレットがこちらをうかがっている。
クロトが発見した寸時を縫って、すずかもフェレットの存在に気付く。

 

「ユ、ユーノくん!?」

 

名前を呼ばれて驚いたのだろう。人間味のある顔でフェレットがすずかを見上げた。
眼線から外れた。その瞬間、

 

「そんなに返してほしいなら、返してやるよ! ほらぁ!!」

 

クロトがひったくったバックを二匹のフェレットにぶん投げた。
走力も並々ならぬものだったが、強肩も大したものだ。豪速でバックが小動物二匹に飛来してくる。

 

「危ない!」
「あはははは! ナイスキャッチ!」

 

フェレットを庇って飛んでくるバックをすずかが全力でダイビングキャッチ。
中に入っていた荷物のいくらかが散らばるがそれでも重かったようで、かなりの速度に乗って生まれる強烈な衝撃がすずかを襲う。
結局その隙にクロトが一目散に走り去っていく。立って、フェレットの無事を確認して、何呼吸かの遅れでもう追いつけない距離を作られてしまった。
そして、まるでクロトの後を追おうとするように、フェレット二匹が走り出そうとしている。
金色の毛並みのフェレットは、一度だけ振り返ってすずかを心配するような視線を投げかけてくるではないか。

 

「きゅ…」
「あ、待って!」

 

フェレットも走って行くのをすずかは止めようとしたが、そこに警察が駆けつける。
ひったくられたバックの受け渡しをするほんの手間に、すずかはフェレットを見失ってしまう事になる。

 

 

「クソッ! なんなんだよ」

 

開発の手が伸びていない森の、浅い場所でクロトが毒づいては手頃な木を蹴っ飛ばす。
今日の収穫をふいにしてしまった。特に痛手というわけではないが、それでも不愉快だ。
邪魔された、という気分でクロトの気分がどんどん悪くなる。

 

「邪魔なんかしちゃってさ、良い子ぶりっこ!」

 

何度も何度も木の根元を蹴り続けるが苛々は止まらない。
もう一度、街に出てもっと派手な事をしてやろうか、と考えていた所だ。

 

がさり、と茂みを踏む音。
睨むような目つきで見渡せば、

 

「み、見つけた…」

 

金と銀のフェレット二匹を従えた女の子。さっき追いかけてきた女の子と、同じ制服をしたふたつくくり。
なのは、ユーノ、イザークだ。
肩で息をしながら、なのはがクロトを見上げる。

 

「あ、あの、蒼い宝石を持っていませんか?」
「はぁ…?」

 

てっきりひったくりについて言及されるのかと思っていただけに、間の抜けた声が出る。
しかし、蒼い宝石については心当たりがある。いつの間にか握り締めていた手から消えたあの宝石だろう。
だからと言って、正直に答える気にはなれない。
すずかと同じ制服を着ているというだけで、クロトはむかむかしてくるのだ。なのはのぶしつけな質問に不機嫌そうな一言。

 

「知らないよ!」
「そんなはずは…あの、これくらいの大きさで、危険な物なんです」
「うるさいな、知らないって言ってるだろ!」

 

大きな声に怯えたように肩をすくめ、なのはがユーノに助けを求めるように視線を向けた。

 

『し、信じられないけど、ジュエルシードを使いこなしてるみたいだ』
『使いこなしてるって……じゃあ暴走してないの?』
『うん、何か正しく願いが叶えられている状態で安定してる』
『えっと、それじゃ、どうすれば……?』
『まずいくらか魔力の刺激を与えて、あの人の中にあるジュエルシードを引っ張り出さないと。封印はそれから……でも』
『でも、お、大人しくしてくれるかな…』

 

念話に集中するおかげで急に黙り込んでしまったようにしか見えないなのはを、クロトが訝しそうに見るばかり。
そのまま無視して帰ろうか、と一歩を踏んだ所でなのはが慌てて静止のジェスチャー。

 

「あ、あのちょっと待って下さい! ほんのちょっとだけですから!」
「うるさいな…僕もう帰りたいんだよ。お前も邪魔するの?」

 

そうだ、帰ってゲームの続きだ。残ったお菓子も食べて、たっぷり眠って。
そんな幸せ自堕落計画を描いていたクロトが、不穏な空気を感じ取る。
薬物と特殊訓練で磨き抜かれた感覚が、森の一角……とある大きな樹に不穏さを捉えた。
急激にそのクロトの四肢が緊張し、戦意に漲るのを目の当たりにしてなのはが一歩後ずさる。
そんななのはを無視して、戦闘態勢で辺りを睨みつけれていれば――いた。

 

「見つけた…」

 

黒いマントに映えるくくった金色の長髪。
真紅の双眸がクロトを見つめている。バルディッシュを手に、フェイトがクロトを補足した。