TPOK_11話

Last-modified: 2009-06-11 (木) 22:09:25

「動きました」
「「ほー…」」

 

感心する声は、ふたつ。

 

カラミティの右腕がうぃんうぃん動いとる。地面をごりごり削りながら左右に手を往復させていれば、次第に腕が持ち上がっていく。
ついには安全距離で眺めていたオルガと、そして恭也を扇いでくれるような形になった。

 

恭也とオルガの顔合わせは、これで三度目になる。忍の恋人という事で、月村家に置いてもらっているオルガのチェックに来たのが最初だ。
第一印象は、双方ともに芳しくない。
あまり柄のよろしくないオルガは隙がなく、それでいて穏やかな立ち振る舞いをする恭也相手に苦手意識を持ったようだ。さっそくどうでもいい事にいちゃもんつけるが、恭也は鮮やかにこれをスルー。そして、高校生時代から月村家と親しくしてきた恭也にとって、この不良に良い顔は出来なかった。

 

事情を聴き終えて「危険じゃないか?」と恭也は忍に難色を示すが、夜の一族としてオルガを預かると言う。
なんでも、異世界から来たブーステッドマンだとか。
これには恭也も首をかしげたが、常人ならざる強さと気配に、少なくとも普通ではないと理解はできる。
しかも、いくらか記憶を操作できる忍の催眠がまるで効かないらしい。人ならざるらしいオルガに、恭也は結局、忍の決定を尊重する事にした。

 

ちなみに「あのカラミティって機械について詳しく知りたいってのが理由じゃなくて安心した」という恭也の言葉に目をそらした忍と、恋人会議が一悶着あったのは秘密だ。

 

そんなこんなで恭也もオルガを好ましく思ってはいないわけで、とりあえず月村家に何かと足を運んで監視的な役割をできる限りはするつもりだ。
ノエルの強さを信頼しているし、忍自身もちょっと普通ではないが、すずかやファリンは幼い。

 

ただ、忍が言うには素行や態度こそ悪いが悪徳な人物ではないらしい。
それまでいた場所が劣悪だったおかげで、普通の生活を恵まれたものだと感じる…そう、オルガは零しているという。
性根がひねくれてるだけだ。それも元来のものではなくてかつての職場で家畜じみた扱いされたせいと予想できる。
体躯と本を好む静かな知性により、優秀さがありありと目に見えるだが性格だけが残念である。

 

そんな誉め言葉じみた見解を忍は提示しているが、腹を割って話をしている時ひとつだけ、

 

「悪いやつじゃないけども、危険なやつではあると思う」

 

とはっきり恭也に伝えている。クロトが街で大人数に多大な迷惑をふりまいている事実からして、忍のこの見立ては正しかろう。

 

特に何もない時分のオルガは、むしろ万物に対して無関心で読書にふさぎ込むきらいがある。
しかし、ささいな事でも癪にさわればなにかと難癖をつける習慣が見えてきた。好ましくない人物や事象に対して、壊す叩くメンチを切るといった負の応じ方しか知らないのだろう。大人ではないのだ。
それらを合わせて考え、つまりのところ忍とノエルはオルガを月村邸に封じておこうとしているわけだ。

 

「この腕の振りで、稼働領域のおよそ40%ほどですね」

 

むきだしのコックピットでノエルが操作を続けている。
オルガは簡単な操作方法を超絶に適当に面倒くさそうに断片的に教えただけなのに大したものだった。

 

「うーん、完治にはまだほど遠いわね」

 

そして、カラミティの背部から顔をのぞかせるの忍は子供じみてはしゃいでいる。
やっぱりオルガが電気系統や駆動系をさっくり大雑把に断片的に教えただけなのに、見事に忍はスクラップ寸前のカラミティを復旧してみせた。
上半身だけの残骸じみたカラミティに再び火が灯ったというわけだ。

 

「上半身全部直す気か?」
「チッチッチッ、下半身も一から作るわ」
「無理に決まってるだろ」
「さっきコックピットからノエルがカラミティのマニュアルを見つけたの。基本的な外観が分かったから、それを元にすれば大丈夫でしょ」

 

ちなみにカラミティのほとんどのデータは吹っ飛んでいる。OSから戦闘記録まで全ておじゃんだ。急ごしらえでプログラムを組んでようやく腕がちょっと動いた。
ブラックボックスを解析すればかなりの情報が吸いだせるだろうが、まぁ、無理だ。
冗談か本気かはともかく張り切って楽しそうに笑う忍を、恭也が穏やかに眺めている。その恭也を見て、嫌いなヤツが良い気分なのが気にくわない心理真っ只中のオルガがメンチを切る。そのオルガに氷の眼差しを投げかけるノエル。つまりこんな感じ。
忍←恭也←オルガ←ノエル。

 

「しかし、しまったわね、もっと時間かかっちゃうと思ってたのに…すずかが帰ってくるまでに動くようになっちゃった」
「まだ完全ではありません」
「次はもっと動くようにしてあげなきゃね」

 

ぶぉんぶぉんと空気をかき分けるカラミティの腕が止まった。ハッチがどっかいっている今、中身丸見えの青空コックピットからノエルが下りてくる。
オルガはカラミティ背部まで足を運んで、電気系統とつながっているファリンを小突いた。
背丈ほどのバックパックを背負って、何本ものコードが接続されたファリンは眠るようにカラミティに背を預けたまま反応しない。

 

「おい、終わったぞ?」

 

また頭を小突いた。
やはり、目覚めない。

 

「おい」
「あ、電気切れちゃったみたいだから起きないよ」

 

指をファリンの眉間の前に持っていき微小な空間を開け始めるオルガを、ノエルとあーだこーだ話していた忍がカラミティの向こうから声をかけてくる。
しかしオルガは指をファリンの眉間の前に持っていき微小な空間を開ける事を止めない。心なしか、ファリンが困った感じの表情をした気がする。しかし動力が切れてる今、動ける道理がない。だからファリンが「やめて」という顔をしているのはきっと錯覚だ。

 

「本当に、ロボ…か」

 

乙女のやわ肌と遜色ないファリンのほっぺをつねりながら、オルガがしみじみ接続されるコードを見やる。
ファリンはロボです。
一番最初にすずかから聞かされた事だ。宣言されたとて、オルガからすれば「はいはいすごいすごい」としか思っていなかった。
しかしいざ共に過ごしてみればどうだ、「あ、こいつロボだわ」と理解せざるを得ない。ノエルがロケットパンチを放つ様も、一度目の当たりにしている。
そして現在、ファリンに接続されたコードを通って大型のバッテリーの電力はカラミティに供給された。電力の中継を担うなんて荒技までやってのけているのだ。

 

コズミック・イラの歴史にもこれほどに精巧な機械人形を完成できる者はいまい。つまりカラミティよりもノエルやファリンの方が複雑なはずだ。
それでも忍がはしゃぐのは、なんでもノエルもファリンも遺失された技術によって生み出されたかららしい。
だからどうした、とオルガは思う。それゆえ、ファリンの扱いも手荒だ。多分このままの流れであれば、ファリンを運ばされる羽目になるだろう。だから起こそうと肩を揺さぶるが、ちっこい方のメイドに目覚める気配はない。

 

「おい、起きろ。鼻にコンセント差し込んで充電するぞ」
「オルガ、ファリンを運んでください」
「自分でやれよ」
「晩御飯は猫たちと同じものでいいですね」
「おら、エーディリヒ式だろうがGAT-Xシリーズだろうが何機でも運んでやらぁ!」

 

ぶっつんぶっつん乱暴にコードを剥がしてから、オルガがファリンを背負って屋敷に戻ろうとする恭也たちの後を追う。
すぐに森は抜ける。広々とした庭。ふと、遠くに黒塗りの高級車が見えた。坂を昇ってくる目的は、間違いなく月村家であると分かる。

 

「あれは、アリサお嬢様でしょうか?」
「ああ、運転席に鮫島さんが見えた」

 

ノエルが静々と玄関まで開門しに行く。さっさと屋敷に戻ろうと思ったオルガだが、恭也も忍もその場を動こうとしない。
居心地悪そうに、見た目よりも遥かに重量があるファリンを背負い直してしばらくすれば、小動物二匹と小学生三人を伴ったノエルが戻ってくる。

 

ユーノとイザーク、すずかとアリサ、そしてなのは。

 

 

ユーノが新たなジュエルシードの気配を察知したのはなのはがその日最後の授業中であった。
通分を間違えた分数計算を直しながら、詳しく話を聞いていればなのはが気づく。月村邸に近しい位置だ。
森と山に囲まれた場所。そして、ジュエルシードの反応に動きはないらしい。転がった状態で起動しているのだろう。例えば森の小動物が接触すれば、一発で発動だ。

 

授業終了のチャイムと共になのはが席を立つ。

 

「今日、すずかちゃんの家に遊びに行ってもいい?」
「うん、いいよ」
「なのは、ユーノとイザークつれてきなさいよ」

 

アリサに釘を刺されるが、無論言われずともそうしなければなるまい。

 

「出でよ、鮫島」

 

アリサが携帯電話でお抱えのドライバー召喚の呪文を唱えている間、なのははすずかと喋りながら並行して念話でユーノと話を詰めていく。
玄関待機と逐一ジュエルシードの状況報告、それに加えていくらかイザークとも念話をかわす。
イザークも、ユーノから簡単な魔法の施しは受けてみたが、それほど才覚があるわけではないらしい。現状、レイジングハートの補助を受けてユーノとなのはの念話に入れる程度だ。
校門までゆったり足を運ぶ三人娘がそれほど待つことなくバニングス家最速の男が到着する。
立てば紳士、歩けば紳士、座る姿は紳士でお馴染みの老運転手、鮫島である。

 

「ずいぶん急な訪問ですな」

 

後部席のドアを開いてアリサたちを導きながら、鮫島がちょっと不思議そうな顔になっていた。
基本的に、遊ぶ約束は事前にかわしているアリサたちだ。今日の月村邸訪問は、先ほど決定した。
もっとも小学生なのである。そんな事も、あるだろうと微笑ましく鮫島は運転席に戻ればシートベルトを締めた。

 

「すずかの家に行く前に、ちょっとなのはの家に寄って欲しいの」
「かしこまりました」

 

静かに発進する車に揺れて、アリサとすずかと喋りながら、やはりユーノたちともなのはは念話をつなぎ続ける。
話題つきる事無く、姦しくアリサとすずかと楽しみながら、ユーノとイザークの言葉も決してなのはは聞き洩らさない。
つまりのところ、総計四人、二グループとの会話をなのはやってのけているのだが、こんな並行会話も苦労こそするがきっちりこなせるようになっていた。

 

魔法を覚えてから訓練している並行処理の技術だが、すでに実用してしまっているのはなのはの天賦に依る。いわく、最初は大変だったができるようになれば楽しい。特に魔力が必要というわけではないので、同様にイザークも似たような思考作業を出来るようになっているが、なにぶん話相手が限られている現状ではあまり発揮できそうにないと苦笑していた。
そして、

 

「帰ったら、軍務に利用させてもらう。部下にも覚えさせてみたい能力だ」

 

とも言っていた。
言っている姿を、淋しそうだとなのはは感じてまた強くジュエルシードを早く集めてしまいたい想いに駆られたものだった。フェレット姿のくせに哀愁漂わせて違和感ないんだからイザークのイザークっぷりは、そりゃ、大したもんだよ。

 

そんなイザークと、そしてユーノをなのはが抱きあげた。高町家の玄関での事だ。流石に車を使えば学校から家までの道程は短い。
ふたりを拾ったなのはが再び車に乗り込めば、ユーノをアリサがひったくる。そして抱きあげて眼線の高さを合わせてこう言うのだ。

 

「あたしの事覚えてる?」

 

覚えてます、と危うくユーノが零してしまいそうになる。なんとか、きゅ、と鳴き声ひとつ上げて小首をかしげるだけに留まった。
もちろんアリサも人語での返答が欲しかったわけではないので誤魔化されるままニッコニコだ。

 

「なによぉ、覚えてないの。薄情なやつね」

 

撫でたりこちょこちょしたりユーノをもみくちゃにする横で、すずかはイザークを膝の上に乗せてやる。
その首には赤い宝石。紐を通したレイジングハートがかかっている。

 

「はじめまして、イザークさん。きれいな宝石ですね」

 

なんのかんの言って、結局アリサとすずかに話題としてイザークを出す時、なのはは「イザークさん」という呼称を直せなかった。
そのまま定着してすずかも出会ったことのないイザークを、雄と認識しながらさんづけである。
そしてまた、なのはも家ではユーノとイザークに喜々として学校の事を話すのだから、初めて顔合わせをしながら双方が双方ともについてそこそこ知識はある。ユーノが見た限り、すずかもアリサもなのはから聞いた通りの印象だ。

 

「あーあ、なのはとすずかはいいわね。一気にふたりも友達が増えちゃって」

 

なのはにはユーノとイザークが。すずかにははやてとオルガが。それぞれに友達が増えたとアリサは羨ましがる。
正直な話、とても特殊な出会いである事を考えれば、ごくありふれた出会いはすずかとはやての邂逅ぐらいだ。そのすずかとはやても、家庭事情がやはり特殊ではあるのだが。

 

「私たちのお友達だから、それはつまりアリサちゃんのお友達だよ」
「今日はオルガさんに会えるよね?」
「うん。はやてちゃんは…病院の都合とか、私の都合が、ちょっとつかないからまだ会えないみたいだけど…」
『なのは、オルガさんって?』

 

アリサにうにうにされてるユーノが念話で話しかけてくる。

 

『すずかちゃん家の居候さんなんだって』
『…それは、いつ頃から?』
『えっと、先週かな』

 

アリサにふにふにされているユーノの翠の瞳に厳しさが宿る。ユーノは、月村邸付近の探索は今日までしていなかった。
もしもの事である。もしも、イザークと似たような状況の人間がいたとすれば…
そして、それにジュエルシードが絡んでいたとすれば…

 

「あら、どうしたのよ、ユーノ」

 

嫌な予感にユーノの肌が粟立つ。触ってるアリサはそれを敏感に察知するが、ユーノは必死で小動物を演じて見せた。

 

お手と言った、芸なんかもアリサに見せるがイザークは絶対にすずか相手に小動物の振りをしない。終始、むっつりつんつんである。
不機嫌そうなイザークの様子を、しっかり感じてすずかもそれほど触ったりせずに膝に乗せたまま。ただただ、すずかはイザークの毛並みを愛でた。

 

「イザークさん、猫たちと仲良くしてくれるかな?」
「大丈夫だよ、ユーノくんもイザークさんも優しいもん」
「オルガさんは猫大丈夫な人なの?」
「うーん、結構好きだし好かれてもいるみたい」

 

ひとりでいる時に、オルガが猫をじゃらしていたのを目撃したのはファリンだ。ファリンに気づいて、顔赤くしながら無言で「べ、別に猫なんかに興味ねーし。こいつらが勝手に付いてくるだけだし」といった態度でカラミティの所に逃げたとすずかは聞いている。

 

「家族に男の人、いなかったから…ちょっぴり嬉しいんだ」

 

そう言ってすずかは微笑んだ。両親が亡くなったのはすずかが生まれてすぐだ。以来、忍が、ノエルが、ファリンが姉であり母である。
しかし父や兄については、すずかはただ憧れるだけだった。だから高町家の士郎と恭也を、バニングス家のディビットや鮫島を淡い気持ちで眺めていた。

 

そんな眺めてきた男たちと、不良じみたオルガはまるで違う。しかし、それでもすずかは嬉しくて新鮮な気持ち。
穏やかだが鋼じみた気配を醸し出す恭也はどちらかというと爺くさい。
そんな彼よりも、見ようによってはむしろオルガの方が兄らしさが強いかもしれなかった。
忍やノエルは、オルガに対して油断ならぬ構えを決して解かないが、聡明だが幼いすずかにはそれはできなかった。兄という、想像の中だけだったものに近しい存在が出来たから歓迎をする。

 

月村邸が、見えてきた。

 

『なのは…あの家にジュエルシードがある』
『うん、わたしも感じる…』

 

ノエルも鮫島の運転する車が見えていたのだろう。開門とともにお辞儀する彼女の姿がある。
車が停止すれば、ノエルがドアを開けてくれた。小動物伴った三人娘が下車。

 

「おかえりなさいませ、すずかお嬢様。いらっしゃいませ、なのはお嬢様、アリサお嬢様」

 

運転席から鮫島が顔を出す。

 

「それではお嬢様、お帰りの時はご連絡を」
「いえ、鮫島さん、私が送りますよ」
「いえいえ、ノエルさん、アリサお嬢様を送り迎えするのは私の仕事ですよ」
「いえいえいえい、鮫島さん、お客様の送迎は私の仕事でもあります」
「いえいえいえいえ」
「いえいえいえいえいえ」
「いえいえいえいえいえいえ」
「いえいえいえいえいえいえいえ」

 

どちらも相手を決して貶める事無く、情熱の限り自分の仕事である事を筋を通して主張する。その場に割り込んで「じゃあ俺が」と言っても「「どうぞどうぞ」」と言われる空気ではなかった。
丁寧合戦の応酬をしばらく眺めていると、渋々ノエルが鮫島に送迎の仕事を譲る運びとなる。
鮫島の紳士然とした物腰とバニングス家の命を預かる覚悟に、さしものノエルも退かざるを得ない。

 

「それではこちらにどうぞ」

 

いつもどおり玲瓏たる面だが、いささか残念そうな表情な感じがほのかに漂うノエルが三人と二匹を導いた。
すぐに、庭に出る。そこに立っているのは、三人。
そのうちの、ひとり。ファリンをおぶっている男。
なのはとユーノは一目で分かった。あの男が、ジュエルシードを持っている。

 

「なのはも来たのか、それにアリサちゃんも。おかえり、すずかちゃん」
「お兄ちゃん…あ、忍さん、お邪魔します」
「お邪魔しま-す」

 

オルガに目を奪われたなのはが、一拍を置いてお辞儀する。それと一緒にアリサも腰を折った。

 

「お姉ちゃん、ただいま」
「おかえり、すずか。ふたりも、ゆっくりしていってね。それと、」
「……」

 

なのは、アリサという客人に対して、だんまり決め込んでいたオルガを忍が前に出す。

 

「こっちはオルガ君。新しいメイドの不良君よ」
「よろし……メイドじゃねぇよ」

 

心の底から無関心そうにオルガが肩をすくめる。すずかから聞いた通りの無愛想だが、実際に見れば無気力そうな男だとアリサは思う。

 

「はじめまして、高町なのはです」
「アリサ・バニングスです。すずかから、お話聞かせてもらってますよ」

 

活発を画に描いたかのような元気に満ちたアリサにとって、陰気さえ匂わせるオルガに対する心証はこの時点でかなりよろしくなかった。
だがアリサの印象も、なのはのやけに強い眼差しもオルガの心に留まらない。もういいだろう、とばかりに背負ったファリンと一緒に屋敷に足早に帰っていく。

 

「なんか、あんまり感じの良くない人ですね」
「照れ屋なの」

 

ばっさりと評価を口に出すアリサだが、忍もあんまりフォローするつもりなく笑う。オルガはああいう人間だ。別にそれでいい。

 

「猫にも結構好かれてるみたいだしね」
「ファリンも、自分の作ったものを美味しそうに食べてくれるのが嬉しいそうです」
「……結構月村家に馴染んでるんですね」

 

アリサが小首かしげた。百歩譲って無理やり好意的に解釈すれば、オルガの落ち着きいたたたずまいは月村家特有の静謐な空気にあうかもしれない。
しかし月村家の雰囲気は上品さが随所で香る。オルガに到底、それは感じられなかった。

 

「それじゃ、ノエル、みんなの分の飲み物を用意してね」
「かしこまりました」
「あたし前に飲んだアップルティーがいい!」
「俺もたまにはノエルの紅茶が飲みたいな」

 

親友や兄たちがノエルを取り巻く横で、なのはに冷や汗が滲む。
ジュエルシードの気配はとても大きい。しかし、それでも安定して機能しているのだ。
とりあえず屋敷に戻るオルガを見送りはしたが、こんなに知り合いがたくさんいる場所であんな爆弾があっていいものか。

 

『ユーノくん、あんな風にジュエルシードって機能するものなの?』
『ジュエルシードは願いを叶えるロストロギア……だけど、すぐに暴走するって説明したよね?』
『うん』
『それでも例外があるんだ。使用者の体内で機能させる場合、かなりの確率で安定する』
『じゃあ、危険じゃないって事?』
『……分からない。確かめなくちゃ』
「なのはお嬢様はいかがいたしましょう?」

 

急にかけられた声になのはがギクリと身を震わせる。

 

「え、えっと、み、みんなと同じ物で……あ、あの、そ、そうだ! お手洗い…借りていいですか?」
「ええ、どうぞ」

 

嘘だ。オルガの所へ行こうと、なのはが駆けた。すぐに、ユーノとイザークも付いてくるが…止められた。

 

「おっと、あんたたちはあたしたちと一緒よ」
「あ、アリサちゃん、えっと…」
『念話があるから俺たちは別に現場にいなくていい。先に行け』
『あ、そうですね』「うん、じゃあ、ふたりをお願いね」

 

アリサにユーノを、すずかにイザークを抱かせてなのはがオルガの後を追う。
場所は分る。あれほど巨大な波動だ。嫌でも位置を特定できた。

 

 

ファリンを部屋に運んだ後、オルガはすぐに書庫にこもった。
数多い部屋に、こんな場所があると知ってからなにかと書庫に足を運ぶ事が多くなっている。日当たりは悪いが、オルガにとって最高に居心地が良い。

 

月村邸に集められていた蔵書は膨大で、図書館と錯覚してしまうほどだ。忍が自らの家を由緒正しいと主張するだけの事はあるのだろう。
しかし書かれている言語は統一されていないらしい。
古めかしい漢字のタイトルから流麗な英語のタイトルと、異なった国の書物が混沌とした様子で並んでいる。
一冊、手に取った。埃かぶったカビ臭さが、ページを開かずともオルガの嗅覚に届いてくる。
少年向けの、小説だ。
ジュブナイル小説。
いつも、このジャンルばかり読んでいた。
連合で、嗜好品を望めば調達してもらえるだけの扱いになってから、趣味としてこればかりを読んでいる。
ずっと、まるでそれが当たり前であるように、読んでいた。気づけば読んでいたと言ってもいい。

 

だから、なぜ、このジャンルが好きなのかをオルガは考えようとする。
いや、そもそも好きなのかも分からない。読まなければならないという強迫観念もない。
ただ読んでいた。読むと言う行為が好きと言うわけでもない。ジュブナイル小説だけを、読み漁っていたのだ。

 

連合にいた頃は少しでも気を抜けば即、死につながった。技能が足りなければ処分として放棄され、これも死につながっていただろう。
そんなギリギリの現実からひとときでも目をそむけたかったのかもしれない。
だからもう綱渡りの人生ではないらしい今、こうやってどうしてジュブナイル小説を読んでいたのか、なんて事を考えられる。

 

なんとなくだが、現実逃避に読みふけっていたというのは違う気がする。

 

もっと昔。連合にいた頃よりももっと昔。きっと、そこに理由があるような…

 

(……あるような、気がするんだがなぁ…)

 

親の顔。
育った土地。
きっといた幼少のころの友。
何を好み、何を厭ったか。

 

生体CPUとして扱われていた折、何度も振り返っていたが思い出せなかった記憶。思い出。自分の足跡。
しかし思い出せない。薬と洗脳で壊れた記憶。まるで脳のどこかが欠落したかのよう。
いや、実際に頭の中が壊れて欠落しているのだろう。

 

俺の親は? 俺はどこに住んでいたんだ? 俺はなんでここにいるんだ?
いろいろと、疑問をぶちまけた事はあった。

 

「そんな事を考える必要はありません。君はコーディネイターを殺す術だけを詰め込めばいいんです」

 

とアズラエルに言われたのを思い出す。そんな事を、思いだしたいわけじゃない。
昔を、思い出したい。
思い出したいか、本当に昔を?

 

久方ぶりに、オルガが自問する。
最後に、記憶を欲したのは、いつだったか。それすらも、あいまいになっているほど生体CPU生活が板についてたのだろうか。

 

「…思い出してぇよ」

 

つい、呟いてしまう。言葉に出る。まるで、願うよう。
同時、唐突に淡いやかな蒼い光がオルガから湧き出る。

 

「……なんだ、こりゃ!? なんだよ、これ…!」

 

驚き飛び退くが無論、光は離れない。纏わりつくように溢れ出る。
そんな不気味な現象に戸惑い、両手両足を振って払おうとするがどんどん輝きは増していくではないか。
即効性の害はないようだが、もちろん気持ちの悪いものは気持ちの悪い。怪訝な顔をしながらオルガが立ち上る蒼い光に触れたりしていれば、

 

「!?」

 

思考にノイズが入る。
視界が一寸、真白に染まる。
めまい。立ってられない。眼も開けていられない。
それでも白一色だと感じていた視界に目を凝らす。
まぶたを閉じたまま、目を凝らす。意識を保とうとする。
思考を塗りつぶしてくる何かを、丹念にすくいあげた。

 

知らない味が口に広がる。知らない香りが鼻腔をくすぐる。知らない感触が掌に伝わる。知らない音が聞こえた。
そして、見た事もない顔が脳裏に浮かぶ。
知らない男と知らない女。
違う。知っている。
男と女の顔が遥かかなた、遠くに消えていくように見えなくなっていく。

 

知っていた。今、流れ去っていった知らない女と女を、オルガは知っている。
知らない声が聞こえてくる。
大きな鳴き声。産声。開き切っていないまぶたから照明のまぶしさを感じる。
窮屈な痛みから、やっと出られた開放感と初めての呼吸。生まれた雄たけび。

 

オルガは自分が生まれた瞬間を体感しなおす。
誰かに抱きあげられる浮遊感の中で、やっとこの視界を真白く漂泊する正体が、膨大な記憶の津波であるとオルガは悟る。

 

淡く蒼い光と共に、濃密で膨大な情報が頭に噴き出してくる。捌き切れない、処理できない量。
滝のように景色や文章、誰かの顔、味、匂い、痛み、恐怖や悦楽が自分に降り注ぐ。今日に至る全ての行程がオルガの中で再生されていく。

 

見た事がある。覚えている。知っている。忘れられない。感じた事がある。
見た事がない。覚えていない。知らない。忘れている。感じた事がない。

 

もはや細かい小説の誤字さえ思い出せるオルガだが、知らない顔、知らない風景もある。
いや、脳裏に浮かぶ以上、間違いなく自分と出会った何かだ。この情報の海の中に存在するものはすべて、記憶なのだから。
知らない顔の女と食事をした、覚えのない物に触れた、見た事もない風景で遊んだ記憶。何もかもが嘘じゃない。本当にあった事。

 

ではこれは誰だ? そこはどこだ?
記憶であるはずなのに、記憶にない場所や人や物。

 

きっと、連合にいた以前の記憶。記録。思い出。
もはや鮮明に幼少をオルガは思い出せる。しかし、まるでその記憶が自分の物ではないかのような違和感。
自分が生まれた事を祝福し、感謝してくる親を思い出せる。自分だけを助けようと必死で銃弾の盾になって死んだ親の顔も思い出せる。
どれもこれも、まるで虚像のように現実味がない。つまり、覚えていない。
覚えていないはずなのに、覚えている。思い出したというよりも、フィクションを見ているかのよう。
なんだこれは?
劇や芝居を見ているかのように、親の幸福な顔、激怒に赤くなった顔、悲しみに泣く顔、死に絶望する顔が次々と脳裏に浮かんでは消えていく。

 

知らない。
見た事無い。
覚えていない。

 

しかし、それでもオルガは泣いていた。
気づけば倒れていた。起き上がる。
思い出せる。ジュエルシードにより引き上げられた、記憶の全てをきちんと引き出せる。めまいはもうしない。
流れる涙を一度だけ拭った。拭っても、また溢れるから無意味だと分かれば流れるままにした。

 

月で生まれた。育ちも月だ。両親は厳格な方だったのだろう。誉められた回数よりも怒られる方が多かったらしい。
それでも甘えは通った記憶もある。良い両親だったのだろう。

 

見上げる地球に憧れを抱いて、行きたいと父にねだった記憶。
もっと大きくなったら連れて行ってやろう、と笑いながら頭に手を置かれたという思い出を、冷めた感情でオルガは見つめた。
どのくらい大きくなったら?
少しだけ、考え込む様子を父は見せた。それから指さされるのは父の持っていたいくつかの児童文学書。これを全部読めるようになったらだな。

 

オルガが大きく息をつく。
くだらない理由だと鼻で嗤う自分と、父である人物とふれあった過去を神妙に受け止める自分がいる。

 

結局、約束を果たされることはなく終わる。父も母もテロで死んだ。親戚をたらいまわしにされて、最後に行き着いたのは連合。
記憶を掘り返せば、連合にいた時間は短い。せいぜい四年から五年だだ。それよりも以前の、全てを忘れ去って今日まで生きていた。
忘れていた記憶に感激して、連合にいた記憶にこそ嫌悪感を持つべきなのだろう。

 

しかしオルガは、欠落していた記憶にこそ違和感がある。連合で縛られていた時の方に現実を感じてしまうのだ。
それが淋しかったのだろうか、それとも実感こそないが失った記憶が返ってきた歓喜だろうか。オルガは勝手に流れる涙の理由を考える。

 

書庫の扉が開いた。
涙を流す瞳が、なのはを捉えた。

 

「え、え!?」
「お前…」

 

まさか対面一番、泣いているとは思わずなのはがぎょっとなる。

 

「えっと、その…」
「…なんだよ」
「すみません…」
「別に…怒ってねぇ。俺が勝手に泣いてただけだ」

 

乱暴に涙を拭ってオルガがいつもの声調でぶっきらぼうに言った。涙は流れるが、悲しいわけでもない、嬉しいわけでもない。
ただ戸惑っているだけだから、感情はいつものまま。

 

「何だ、お前。迷子か?」
「…あの、オルガさん」

 

オルガの様子に、なのはも戸惑って入る。しかし、なお毅然とした目をオルガに向けた。
庭で自己紹介した時も、オルガもその目は気になっていた。いやに強い眼差し。まるで戦う者であるような。

 

「蒼い宝石を、拾った事はありませんか?」