TPOK_16話

Last-modified: 2009-07-31 (金) 21:58:00

「うっはー…凄いね、こりゃ」

 

旅館の木造りの廊下を歩きながらある種感動さえ含んでアルフは呆れた。
こんな山奥の旅館に、異常なほど強力な魔力が存在しているのである。場所は卓球場。
オルガ。
ジュエルシードをその身に宿し、滅びの未来を誤魔化す男についてはアルフもフェイトから説明を受けている。
ザフィ-ラと一緒にそれを目の当たりにしただけに、フェイトはオルガのジュエルシードの放置を決定していた。
それとなく何度かオルガの様子を覗いたのだが、何事もなかったらしい。つまり、ザフィーラもオルガのジュルシードを放置している。
ヴォルケンリッターの総意としてオルガを放置しているのかどうかは分からないが、とにもかくにも、無事ではあるのだ。

 

そんなジュエルシードひとつ放置についてアルフも仕方がないという思いがある。
出来る限りでいい。フェイトの手が後戻りできぬほどの汚れに染まるのは避けたかった。
ただ、本当に切羽詰まれば赤の他人であるオルガを殺す事になってもジュエルシードを抜き取るだろう。フェイトではなく、自分がだ。
しかし現状では殺してまでジュエルシードの封印をすまい。

 

さて、プレシアの衰弱が明らかになった今、アルフはまた深い気持ちでオルガについて考える。
同じようなものなのだ。
死ぬ寸前をジュエルシードで踏みとどまっているオルガは、プレシアと同じようなものだ。

 

だからまだ話で聞いた事しかないオルガなる人物について、どんな顔してるのか見物しにアルフは卓球へと足を運ぶのだった。

 

「ありゃ、シンもいるのかい」

 

大きい旅館だが卓球台はそんなに数多くはない。だから満員であるのは別段おかしいと感じないが、まさかシンが混ざってるとは。
シンと対戦をしている銀髪の男は知らない。というか、卓球場にいるシン以外をアルフは知らない。
知らないが、

 

「…あいつか」

 

分かる者はいる。奥で美人と卓球やってる男。ジュエルシードの波動をひしひしと感じる。
オルガ。
フェイトの話では、ジュエルシードの力をほんの少しだけ引き出すことで常人にあらざる運動を発揮したという。短時間だが飛翔までこなしている。
ザフィーラとフェイトの猛攻を、一時だけとは言え凌いだほどの事はしているのだ。
だから納得する。卓球をするオルガの動きはなかなかのものだ。十分、常人にあらざる動きだと分かる。
それだけに、同等のレベルで卓球をする美女の運動能力も卓越しいるのが理解できた。

 

いや、オルガとその対戦相手だけの話ではない。
卓球場の右半分で催されているフェイトぐらいの年齢の女の子たちの対戦以外、各人が目を見張る動きをしている。
野性の瞳を通してアルフはその場全員の四肢に、どれほどの力が漲っているかを知る事ができるのだ。

 

「こんにちは、あなたも卓球かしら?」

 

感心して観戦していれば、桃子が笑いかけてきた。

 

「いいや、あたしはあいつの保護者みたいなもんでね」

 

銀髪の男と卓球するシンを指さす。かなり、熱が入っているのが分かった。ピンポン玉を追う瞳は真剣だ。
眺めながら、遠慮もなしにばかりに桃子の隣にアルフが腰掛ける。

 

「ちょいとご一緒させてもらうよ」
「ええ、どうぞ」

 

もうひとり、アルフは知っているが顔まで見た事無い人物に視線を向ける。
なのは。
天才の類いだろう。いやに強い魔力を所持しているのが良く分かる。
おそらく桃子の膝にいるフェレットの姿をした魔導師よりも才能の面では上回っているはずだ。

 

もちろんこの山奥にあるジュエルシードを狙って来ているのだろうが、なぜ卓球なのだろう?
明らかにピンポン玉が通り過ぎた後にラケットを振る、へたくそななのはを眺めながらアルフは苛立ちさえ覚えてきた。
フェイトは真面目にジュエルシードの探索をやっているのに。

 

「どちらから来たのかしら?」
「ん? あぁ……遠見市さ。ちょっとした骨休めに三人でね」
「あら、もうひとりいるの?」
「真面目な娘でね、今ひとりで部屋にこもって宿題やってるよ。ったく、あたしに任せりゃいいのに…」

 

やっているのは、ジュエルシードの探知だ。アルフは自分がやると言ったが、リハビリだと言ってフェイトは譲らなかった。
結局時間制で交代という事で話は収まる。

 

「まぁ、せっかく休みに来たのにもったいないわ」
「母親がスパルタで、あの娘もまた根が真面目だからさ……」
「そりゃいかんな、男の子かい、それとも女の子?」

 

イザークとシンに卓球台を交代するために外れていた士郎も話に入ってきた。恭也も、話は聞いているようだ。

 

「女の子さ。ちょうど、あの子たちと同じぐらいねぇ」

 

なのはたちを指さす。
桃子が手を合わせた。

 

「じゃあ夜のお食事なんか、御一緒しません? 遠見市なら近いし、きっとあの子たちとお友達になれると思うわ」

 

内心、アルフは鼻で笑った。
リニスの一級の教育を受けて、エリートと言って過言ではないほどに成長したフェイトに比べて、なのはという娘はどうにも素人らしい。
そんななのはがジュエルシードに首を突っ込んでいる事に対して、アルフは遊び半分にしか見えなかった。
だから苛立つ。邪魔だという嫌悪の念さえある。
へたくそな卓球をやってる間にも、フェイトは真摯にジュエルシード集めに取り組んでいるのだ。一緒にするな。

 

―――そう思いながら、友達ができた時のフェイトのイメージがふつふつと湧き立つ。
なのはのような子たちと混じって一緒になって、例えば遊んだり、例えば学んだり、例えば笑ったり、例えば喜んだりするフェイト。
これまで、フェイトに友達という知己はいなかった。いたのはリニスと、自分と、プレシア、そしてシンだけ。そのはずだ。
だから、同い年の友達ができて、今以上に喜怒哀楽を表現して、友達と笑ったり泣いたりしするフェイトがいて、いったいどこに悪い事がある。
もっと、フェイトは自由で喜びに満ちた日々を送っていいはずだ。

 

だからアルフは、

 

(……あぁ、いいかもしれないね)

 

そう心の声だけで桃子に返事した。
ぬくぬくと育ったであろうなのはを好きになれない気持よりも、フェイトに豊かな幸せができる祈りの方が勝る。

 

しかし、それでもジュエルシードを争奪する相手だ。友達と言うのは、無理だろう。
だから自嘲気味にアルフが笑ってこう声に出す。

 

「さて、どうだろうね…ちょっと友達にはなれなさそうだ」
「え、みんな良い子ですよ?」
「ちょっと今、忙しくてね」
「ですから、今日はその骨休めなんでしょう?」
「そのはずなのにねぇ…」

 

話がアルフと桃子で噛み合っていない。混乱しはじめる桃子をよそに、アルフはひとつ溜息。
骨休めをしているのはシンの方だ。
当のシンはと言えば、イザークとの試合終了してなんかいい汗かいてる。まだ戦意の熱を立ち上らせながら、清々しい顔で握手なんかしちゃってる。
額を拭いながら、士郎と恭也に交代しようと近づいてきた。

 

「終わりましたんで次どうぞ」
「いい試合だったじゃないか、ふたりとも。本当に始めてかい?」
「始めてですよ」
「俺もだ」

 

ふと、シンとアルフの目が合った。

 

「アルフ」
「や」
「お前も卓球か?」
「そういうわけじゃ、ないんだけどねぇ」

 

オルガとなのはを見にきたというのが目的だ。それももう果たしている。

 

「フェイトは?」
「まだ部屋さ」
「なんだよ、こんな時ぐらいゆっくりすればいいのに」
「まったくだよ」
「フェイトちゃん、ってお名前なの?」

 

まだ桃子はなのはたちと友達になれないというのが釈然としないのだろう。
当然だろうね、とアルフも思う。

 

「一度だけでも、あの子たちと会えないかしら?」

 

きっといいお友達になれるはずよ。桃子の確信しているような瞳を見て、アルフは苦笑した。

 

「本人に聞いとくよ」
「え、なんでだよ、同い年ぐらいじゃないか。フェイトの友達作るいい機会だろ」
『…後で説明するよ』

 

念話でシンに一言。アルフが卓球場を出て行く。ピクリと、反応するようにユーノが顔を上げた。
不思議そうな顔してシンもそれを追い掛ける。

 

「もうひとっ風呂、浴びてくるかねぇ」
「おい、どういう事だ? おい、アルフ?」

 

そうして不満そうな顔する桃子が残る。いつの間にか、イザークも消えていた。
少し経って銀色のフェレットが桃子の元に戻ってくる事になる。

 

 

「アルフ!」

 

いやに速い歩調のアルフの腕を掴んだのは卓球場を出て随分経ってからだ。
ようやくアルフが止まる。風呂に行くと言葉にしたのに、全然違う方向だった。人気がなくなっている。
しんとした廊下。視線を周囲に巡らせてから、アルフがきちんとシンに向きなおる。

 

「ここらでいいかな」
「おい、さっきのはフェイトが友達作る、いい機会になるんじゃないか?」
「ジュエルシードを集めてるのはフェイトだけじゃない」
「? ……だからヴォルケンリッターってやつらだろ?」
「さらにもうひとり」
「……?」

 

いるから、どうだと言うのだ。フェイト。ヴォルケンリッター。他にいても、シンはおかしいと思わない。

 

「ジュエルシード集めてるやつが、何か関係あるのか?」
「さっきいた女の子のひとりがそうだ」
「!?」

 

四人。
卓球場の左半分で微笑ましい卓球をやっていた少女たち。
シンが閃くように「あの子か」と呟きを零す。白いカチューシャをした女の子。四人の中で、明らかに頭一つ抜けて動きが鋭利だった。

 

「金髪の子と対戦してた、白いカチューシャの?」
「いや、違う。ふたつくくりの女の子だよ」
「あ、あっちか」

 

抜群に運動が苦手なのであろう女の子だ。聡明そうではあったが、正直四人の中で最もイメージから遠い。

 

「……あんな子がフェイトを圧倒するほど強いのか?」
「冗談。あっちはてんで弱っちいよ。フェイトは問題にしないね」
「ヴォルケンリッターとは、違うのか?」
「全然違うよ」
「ん? ちょっと待てよ、あの子ともジュエルシードを取り合ってるって事だよな…?」
「そうだよ」
「なんで? 協力して分け合ったりすればいいんじゃないか?」
「……」

 

少し、アルフが黙る。しゃべっていいものか。逡巡の後、より一層アルフの顔つきが引き締まっているのをシンは見る。

 

「よく聞いておくれ、シン。実はね、あたしらがジュエルシードを集めてるのは、犯罪なんだよ」

 

いたたまれなさと、申訳なさと、後悔とためらいと、いろいろと混じったアルフの双眸は揺れている。

 

「それでもジュエルシードを集めてるのは、あのプレシアってフェイトの母親の命令だよ。犯罪の実行犯さ」
「……」
「だからできる限り、正規の回収を行ってるらしいあの子たちと接触は、避けたいんだよ」

 

言うだけ言って、アルフはうつむく。何も知らぬ民間人相手に、ここまで深くまで助けられて今の今まで黙っていた事だ。
怒りにかられて殴りつけられるなんて事も、覚悟せねばなるまい。
これまでの付き合いで、シンはぶっきらぼうだが筋はしっかりとした正しい人間だという事を知っている。
だから、これだけはっきりと法に触れると告白するには流石に覚悟が必要だ。

 

「やっぱり犯罪だったか」

 

溜息じみて、シンから濃い感情がこもった言葉が吐き出る。

 

「あのな、アルフ」
「ごめんよ、シン…流石にこんな事までは、言いずらかったんだ。でも、」
「いや、アルフ、あのな」
「何かあった時、絶対あんたを悪いようにはしない。それだけは誓うよ。無理に協力をさせられたって事にしてくれて構わない」
「おい、アルフってば!」

 

懺悔の思念にはまり込んで、一心に謝罪の気持ちをぶちまけるアルフだが一方のシンは妙に軽かった。
肩を掴んでアルフの顔をあげさせれば目が合う。

 

「まぁ、そんな事だろうと思ってたよ。だいたいあんな怪物が出てくる宝石を、女の子ひとりでどうにかしろって話がおかしかったんだから」
「怒りはないのかい? 道に外れた事を手伝わせてたんだよ…?」
「俺がやるって、言った事だ」
「…でも、大切な事は黙ったままだった」
「多分だけど、最初に犯罪に手を貸せって言われてたら断ってたと思う」
「……じゃあ、やっぱり」
「でも、プレシアさんのあんな様子を見た後だ……もう何も言えない」

 

色濃い衰弱。瀕死じみた気配。咳こむ様子の明らかな危険。
プレシアが死に片足を突っ込んでいるのは、シンにもよく分かる。
だから自分を治すためにもジュエルシードが必要だとプレシアは言った。つまりは、違法に踏み切ってまで治癒をしようとしている。
ならば迷う事はない。法に抵触するのであれ、命の方が優先だ。

 

「フェイトにとって大切な命を救う術があるのに、法にとらわれて正しいとか間違ってるとか言ってる場合じゃない……まず、命だろう」

 

強い語調のシンに、何か深い物を察してアルフが頷く。
シンに対して溢れるほどの感謝の気持ちがわき上がる一方、アルフの裡にプレシアに対する疑念が鎌首をもたげる。
オルガを見て、やはりプレシアの容体もジュエルシードひとつでどうにかできないか?
そんな疑念。やはり、絶対的に集めねばならない数が多すぎる気がする。
プレシアの言う夢とはなんだ?
フェイトをどうしてあんなに邪険に扱える?

 

「アルフ?」

 

思考が渦巻きはじめる手前、シンの声に我に返った。

 

「あ、いや、あんたにね、改めて言うよ……有難う」
「……いいよ、別に。それから…今さらかもしれないけど、本当にジュエルシードでしか治らないのか、プレシアさん」

 

ほとんど自分と同じ疑問を口にするシンに、いささかの驚きがアルフに灯る。
少しだけ、目が伏せった。さて順を追って複雑な経緯を話すか、簡潔に話をまとめるか…
ひとつ息をついて、アルフは後者をシンに語る。

 

「あの人、ミッドチルダでは大魔導師って呼ばれるほど凄い魔導師なんだ。そんな格のある人が、犯罪に手を染めるとなると…」
「…成程な」
「本当に、このまま手伝ってもらっていいのかい? フェイトの魔力も戻ってきた。シンが危ない橋渡ること、ないんだよ?」
「だからフェイトが危ない橋渡るのはおかしいって、俺は何度も言ってるだろう」
「……ごめんよ」
「俺は…早く帰りたいだけだ。絶対に、ジュエルシードってのを集めた後、俺を元にいた世界に戻してもらうぞ」
「あぁ、それだけは絶対に約束するよ」

 

意思強くアルフが頷いた。

 

「それにな、アルフ。俺じゃなくて、お前らの覚悟の問題だってあるんだ」
「あたしたち?」
「そうだ。お前は犯罪行為をしてしまっているって、言ったよな?」
「……あぁ、言った」
「だったら、最悪の場合、お前やフェイトが殺されてしまう事態だって、有り得ておかしくないんじゃないか?」

 

その通りだ。ジュエルシードは、特級のロストロギア。
違法に回収を重ねるフェイトが、正規の方の守護者に殺されて止められる事だって、さらなる悪徳な違法者が殺してでも奪い取る事だって考えられる。
管理局も次元世界の平和のため、手段としてのひとつとして殺しをする場合だってないでもない。
ヴォルケンリッターが本気でフェイトを追い詰めて殺すなんて事はあっておかしくない。

 

「護るよ、フェイトを…」
「死んでも、か?」
「……いいや、あたしは、」

 

アルフが首を振る。そして笑った。

 

「ずっとそばにいる」

 

 

昼とはまた違った深緑の匂いがオルガの鼻腔をくすぐってくれる。
嫌な匂いとは思わない。宇宙のコロニー出身者なんかは地球の土や樹の匂いを厭う者もいるが、オルガには好ましかった。
冷たい夜風だが高揚したオルガにはもはや心地よい。
ざわめく葉の向こうには夜天には星、星、星。
そしてひと際輝くのはまんまるの、満月だ。

 

森。
またオルガはひとりでせせらぎの近場に立っている。
美由希やノエルは土産物を見て回り、高町夫妻に恭也と忍は一献傾けているはずだ。
そして子供連中はすでに床につく。
ひとり、街よりもよく映える満天を見上げていた。
かつて住んでいた場所。月。あそこから、地球を見上げていたのに今は逆。地球から月を見上げるというのはなんとも奇妙な気分だった。

 

もしかすれば、以前見上げていた地球に今いる大地を見ていたかもしれない。
そして今見上げている月の面に、自分のいた都市が築かれていたかもしれない。

 

低く、オルガから笑いが漏れる。
いやに感傷的になる夜だ。いつものような張り詰めたものがなくなってしまっている事を自覚して自嘲した。
渋々ついてきた温泉旅行であるが、存外に自分もくつろいでしまっているようだ。

 

がさ、と茂みをかき分けて誰かが出てくる。
まさかまたイザークだろうか、と思えば、

 

「あんたは……」
「てめぇ…卓球場の」

 

シンだった。息を切らせて、オルガにずんずん近づいてくる。

 

「なぁ、女の子見なかったか? 金髪でツインテールしてて、赤い目なんだけど…」

 

総毛が走った。ひとり、その特徴に当てはまる誰かを明確に思い返せる。
ザフィーラという男と共に、自分を狙ってきた魔法使い。
まさか、と思いながら、しかし、ともオルガは思う。

 

「い、いるのか…ここに!?」
「? いや、旅館に見当たらないんだ。だから多分、森だと思うんだけど…」

 

シンたちはジュエルシードを探してここまで来た。
だからフェイトとアルフが部屋にいなくなってしまっているとすれば、十中八九ジュエルシードを封印に行ったとすぐに察せる。
納得できなかった。魔力が戻ったらしいフェイトだが、それでもジュエルシード封印を実行するのは自分のつもりだったのだ。
だから置いてかれたという気分がシンに強く残っている。

 

そんなフェイトの本心は、シンもしっかり読み取ってはいた。
即ち、これまでフェイトに代わってジュエルシードを封印していたシンには、ゆっくりしてもらいたいという気持ち。
それは、分る。分るが、しかし前線でジュエルシードみたいな危険物と立ち会うのは自分でいいと思うシンは、がむしゃらにフェイトたちを探すのだ。

 

「危険だからさ探してるんだけど…あんた見てないか?」

 

オルガに安堵がいささか生まれる。
あれだけの強さで空まで飛ぶ少女相手に夜の森が「危険だ」と探す事はあるまい。
息を切らせて捜索するシンの様子に嘘はなさそうだ。
つまり、こいつが探しているのは、自分を襲った魔法使いの少女ではない。オルガはそう思い込む。思い込みたい。
あんな恐ろしい少女に、もう会いたいとは思わない。

 

「……いや、見てない。その女の子ってのは、お前の妹か?」
「え?」

 

シンが素っ頓狂な顔になる。
自分に襲いかかってきた少女の強さを知らないらしいこの男の妹であれば、一層こいつが探しているのはやはり別人だ。
その確証を得るための質問だった。奇しくも、深紅の瞳どうし。自然と言えば、自然な質問だったかもしれない。

 

ただ、質問をされたシンの方はと言えば呆けたように驚く顔。

 

妹は、いた。大西洋連邦のオーブに侵攻で死んだ。もういない。
家族の事はずっと心のどこかをいつも占めている。
だから、もしかすると、ひょっとすれば、フェイトを妹のように思っている自分がいるかもしれないと省みて驚く。
多分、いる。フェイトを妹のように思っている自分は、きっといる。

 

自覚して、シンは強いめまいに襲われた。
フラッシュバックするのはあの日の悪夢のような現実。
落ちた携帯電話。高熱が通過した気配と、爆風。えぐれた山道。燃える森。
両親の屍。マユの右腕。

 

――あ、似てるかも知れない。家族と別れた場所と、この森と。

 

「おい、どうした?」

 

顔面蒼白になってしまったシンをオルガが訝しむ。我に返るように、シンの焦点がオルガに定まった。

 

「危険なんだ……俺が、行かなきゃ…」

 

ジュエルシードは危険だとフェイトが言う。アルフが言う。プレシアが言う。シンもそれを知っている。
なのに、なぜそんな危険に飛び込む。
俺がやるから。俺だってやりたくない。でももうあんな光景は見たくない。
危険だ。危険なんだ。危険なのに。

 

「フェイト…」

 

もうシンに気力が取り戻っていた。フェイトが危険に近づいているのだから、早く見つけねばという気構え。
焦りはあるが、不安と恐怖のような負の念はない。捜索を再開しなければ。足取りは、しっかりしていた。

 

両親の屍。マユの右腕。
まだ視界にちらつく。脳裏によみがえる。
しかし、まだ視界にちらつくから、脳裏によみがえるからこそ、早く見つけねば。

 

そして、さらに深い部分さえシンの記憶は鮮明に冴えていた。
この森が家族と走っていたあの山に似ていたからかもしれない。
低空を飛ぶ機体の轟音。大出力の砲撃の反動による地響き。ありありと、MSが戦うあの灼熱の光景を思い返せる。
特に焼き付いているのは二機。飛翔する白い機体。砲撃を駆使する緑の機体。
嫌でも思い出せる。
だって、きっと、絶対に、間違いなく、確実に、家族を奪ったのは、あの二機のどちらか。
一機は、葬った。
己の手で。家族だけでなく、さらに重なった仇を討つために。
そして、もう、一機。
調べた限り、第二次ヤキンドゥーエ攻防戦でロストしている。
家族の仇。
もう、一機。もう、一機。もう、一機―――

 

オルガとすれ違う。シンは森の奥へ。

 

一緒に探そうと言う気は、オルガには起きなかった。知らない子供だ。森で怪我しようがどうしようが、気にならない。
例え知っていても、多分捜索に加わる事も、ないだろう。

 

自分を襲った少女がいるかもしれないと、いらない心配をした。そんな安堵でオルガがひとつ息をつく。
本当はいらない心配でもなんでもなく、フェイトは近場にいるのだが…

 

またせせらぎの音と葉のざわめきだけが場を支配する。
空には変わらぬ満点の星。ただ、そうだ、木々が邪魔をする。
駆け抜けるように、木の一本を昇りつめてみれば一層空が近づいた。
むろん、月までまだまだ遠い。
木のてっぺん。見上げる視界にもはや枝葉の遮りはなく、一点の曇りない夜空にはもう星だけ。

 

見惚れていたのはやはり月。
ただ、うっとりと魅入っていたかと言えば、違った。懐かしんでいたのだろう。

 

ざっと、ひときわ強い風。
高い位置で身一つ。流石にいささかの寒さを感じたが、それもすぐに意識の隅に追いやられる。
夏であればさぞや虫の声が煩わしかったろうが、冬特有の静けさにオルガは浸った。
澄んだ夜空の向こう、満月をただ眺め続けていた。

 

そんな、静かな夜―――

 

「!?」

 

突如、あらぬ方向で桜色と金色の光が閃いた。ぶつかる。爆ぜた。
何事だ、とオルガが目を凝らせば、少女がふたり空にいた。

 

「!! あ、あの女…!」

 

なのはとフェイト。良好な視力が様子を捉えていれば、やがてなのはの首につきつけられる金色の鎌。
杖からゆっくりと離れる蒼い輝き。フェイトが掴んだ。取られたのだ、とオルガは理解する。

 

眼が合った。蒼い輝きを手にした金髪の黒衣の少女。
紅い瞳。

 

すぐに、木から下りた。
全速力で、遠く、遠くへ。川の流れをさかのぼる方向。なのはとフェイトがいた逆の方向。
逐一空を確認して、あの恐ろしい少女から離れようと―――

 

「!?」

 

とん、と実に控えめな音だった。緊張がオルガに漲る。獣じみた獰猛さをむき出しに睨みつける先。木の上。
オルガの走る方向。黒衣が降り立つ。
フェイト。

 

「て、てめぇ…! さ、っき…まで」

 

さっきまで、あんなに遠かったのに。オルガの全速力よりも、なお速い。
しかも正確に位置まで特定されている。
噛みつかんばかりに威嚇の構えを取るオルガだが、内心は恐ろしい。
警戒一色でフェイトの一挙一動から目を離さないが、

 

「安心して」

 

しかしフェイトから降ってくる声は優しいものだった。

 

「あなたはもう、襲わない」
「な…」
「あのザフィーラって人も、たぶんあなたをもう狙わない」
「…!?」

 

呆気にとられるオルガを置いて、またフェイトが飛翔する。ただそれだけ伝える事が目的だったのかと疑うが、本当にそれだけだったのだろう。
しばらくは周囲に油断ない緊張を張り巡らせて、なにもないと悟ってからオルガは膝から崩れ落ちた。

 

それからなのはたちとの合流で、フェイトと言う名を知る事になる。