00-W_土曜日氏_137

Last-modified: 2010-03-19 (金) 21:32:25
 

 世界政府の中心たるブリュッセルの裏町に、その建物はあった。
 小さなビルディングで、外見は薄汚れており、かなり年季が入った建築物であることがすぐにわかる。
 表には小さな看板がかかっており、そこには、『専用貨物・第一分所』という文字だけが書かれている。
 何の貨物なのか、第一というのが何の意味なのか、それらを示すものは一切無い。

 

「やれやれ」

 

 血の色に似た夕焼けの光を背に浴びつつ、一人の男が、その建物の入り口をくぐっていく。
 彼の名前はアリー・アル・サーシェス。
 だが、この本名よりも、ゲイリー・ビアッジという仮の名前の方が、まだよく知られている。
 良い意味では、無い。
 むしろ悪名である。
 それは、かつて数多の軍事組織で恐れられた、そして今でも恐れられている傭兵としての名前だ。

 

「手間のかかるこって」

 

 入り口のドアを開けると、細い通路の奥に、さらにまた頑丈に作られた鋼鉄製の扉がある。
 生半可な銃弾では決して貫通しそうにないそれの横に、古ぼけた建物には似合わない、
 番号入力式のロック・システムが、薄青い電子光を放っている。

 

「ピ・ポ・パ……じゃないってね」

 

 アリーは番号のボタンには手を伸ばさず、そのまた横にある、小さな液晶画面に親指を押しあてた。
 実は、ボタンはダミーで、本当は指紋認識型のロック・システムなのだ。
 数秒のブランクがあり、ガコン、という重たい金属音が、廊下に響く。
 分厚い鋼鉄扉の鍵が、開かれた音だった。

 

「邪魔するぜ」

 

 誰に聞かせるでもなく、アリーはそう呟くと、扉をゆっくりと押し開けて、中へと入った。
 ギギギ、と錆び付いたような耳障りな金属音が彼の耳に届いてきたが、特に不快がる素振りはアリーは見せなかった。
 扉の向こうは、さらに先へと続く通路があり、そのまた奥に、地下へと伸びる階段があった。
 アリーは、薄ら笑いを浮かべつつ、その階段を下っていく。
 周りは限りなく闇に近いが、足元を乱すことはない。
 優れた傭兵である彼にとっては、この程度の暗がりなど、たいしたことはない。

 

「よお、待たせたな」

 

 階段の下には、小さな地下室があった。
 そしてそこでアリーを、一人の男が待っていた。

 

「……遅いぞ、君」
「悪いね、何せこんなヘンピな場所にあるタテモンだ、いつまで経っても覚えられなくてね」
「それでは困る」

 

 その男の名前は、ラグナ・ハーヴェイ。
 世界の輸送・交通の大部分を仕切る、《リニアトレイン社》の総裁たる人物であった。

 

「四分と三十五秒の遅刻になる」
「だいたい五分ね」
「違う。四分と三十五秒だ」

 

 アリーは肩をすくめると、ラグナの前を通り、奥の戸棚へと足を進めた。
 リニアトレインの総裁であるラグナは、細かいことにやかましい。
 一分一秒の大事さは、傭兵であるアリーはよくわかっている。
 だが、遅れても問題ない時と、遅れてはならない時の違いもよくわかっている。
 今回は前者であると、アリーは認識していた。
 ラグナとは見解の相違があるだろうが、それについて議論するつもりは、アリーには毛頭無い。
 どうやっても歩み寄れないからだ。
 根っこの部分で異なっている以上は。
 ちなみに、一代で企業を興す男には、二種類あるという。
 数字にとことん細かくて厳しいか、それとも細かい部分と大雑把な部分を併せ持つか。
 とある企業家は、細君と口喧嘩をした際、
「何月何日何曜日の午後何時、おやつに食べたポテトチップスをお前の方がこれくらいの大きさのを何枚多く食った!」と罵り、
 それを聞いた細君は怒るどころかすっかりあきれ果ててしまったそうな。
 そいで最後には離婚したそうである。
 今際のきわに病室で、『結婚してからお前に対して使った金の額が云々』と言われたくない、という理由で。
 ……何の話だったったけ。
 ああそう、アリーとラグナが同志であっても歩み寄れない、というところである。

 

「こんな都会で、一分一秒違ったって死にゃあしねえよ。戦場じゃあるまいし」
「む……」

 

 ラグナは明らかに不快な表情を見せた。
 アリーの答えが気に食わなかったからではない。
 アリーが戸棚を開けて、そこにあった酒のボトルを取り、グラスになみなみと注いで、一気にあおったからだ。

 

「ん……ふいぃ、さすがにうめえな」

 

 そこにある酒はどれも高級なものばかりだが、アリーが手に取ったそれは、中でも最も値の張る物だった。
 無論、アリーはそれを承知で呑んでいるのだが。
 そしてさらにアリーは、机の上の葉巻きのケースにも手を伸ばした。
 酒と同じく、「貰うぜ」や「いただくぜ」という許可は取らない。
 ある意味、あてつけと皮肉である。
 この辺り、アリーは「意図的に他人を不快にさせる」能力も一流であると言えよう。

 

「……とにかく、もうすぐ通信がある」
「へいへい」

 

 アリーは葉巻きを口にくわえながら頷き、次いで部屋の中をぐるりと見回した。
 ここは、ラグナ・ハーヴェイの所謂『隠れ家』の一つである。
 リニアトレイン社の総裁として社会的に伸し上がる為に、彼は色々と汚いこともやってきた。
 ここは、そうした時に使われる『裏の商談場』なのだ。
 だから、酒や葉巻きだけではない、部屋の中にあるものは全て一流と言って良いモノばかりであった。
 長く裏社会で生きてきているアリーにしてみれば、その体面主義はいささか馬鹿らしいものに映る。
 それが必要であることも承知はしているのだが、何と言うか、この部屋はあまりにも「きっちりし過ぎ」ているように、彼には思えるのだ。
 ただ、あのアレハンドロ・コーナーよりかはラグナの方が趣味が良いのは、彼も十分認めるところであった。
 何しろあのコーナーさん、ほったらかしておくと部屋中をキンキラキンのキーンにしてしまいかねないので。

 

「今は火を点けるのはやめたまえ」
「わかってますって」

 

 これから、彼らの主から、重要な通信がある。
 何処に行き、そして何をすればよいのか。
 すでに計画は動き出している。

 

「―――時間だ」

 

 ラグナは、壁の大きなモニターに身体の正面を向けた。
 灰色の画面が一瞬青白く光ったかと思うと、次の瞬間には、そこにはとある人物の姿が映し出された。

 

『やあ、息災のようだね。二人とも』

 

「はっ……」
「大将も、お元気そうで」

 

 ラグナは小さく頭を下げ、そしてアリーは酒の入ったグラスを掲げて見せた。
 モニターの中の人物こそ、彼らの主にして、計画の立案者なのだ。

 

『さて、本題に早速入ろうか』

 

 リボンズ・アルマーク。
 世界的アイドルグループ、《イノベイター》のリーダー。
 それが、ラグナとアリーの『現在の主君』である。
 主君と言っても、心からの忠誠を捧げたわけではない。
 リボンズにはリボンズの、ラグナにはラグナの、そしてアリーにはアリーの思惑がある。
 利益が一致しているなら、当面は手を携えていけるはずである。
 未来永劫そうであるかは、今のところ定かではないが。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「イヤッホーウ! やっと完成するんだな」

 

 プリベンターの本部は今日も朝から賑やかだった。
 そうじゃない日があるのか、というツッコミすら入りそうだが、今日はとにかくいつもに輪をかけて騒がしかった。
 無論、理由はある。
 そう、とうとう今日、ビリー・カタギリによる新型MS(ミカンスーツ)がプリベンターにやってくるのだ。

 

「これでプリベンターの戦力も回復ですね」

 

 カトル・ラバーバ・ウィナーの表情も明るい。
 戦うことについては、一度ガンダムを捨てた身としていささか思うところもあるが、それでもやはり戦力が無ければ、アリーをはじめとする未だ世界に残る悪党たちに対抗出来ない。
 世界統一政府は未だ生まれたばかりの赤ん坊にも等しい体力しかない。
 コツンと脛を蹴飛ばされただけで、すってんころりんと転んでしまうかもしれないのだ。
 プリベンターとしては、せっかく人類が手に入れたこの平和を、そう簡単に覆させるわけにはいかない。

 

「で、やっぱりと言うか何と言うか、あのミスターサムライマンは本部にいないわけだな」
「昨日退出してからすぐさまポニテ博士の研究所に飛んでいったらしいぞ」
「……昨日今日なら一晩寝りゃあすぐだろうに、ホントに我慢弱い奴だな、あの人」

 

 そう、ミスター・ブシドーことグラハム・エーカーは、昨日の晩からカタギリ研究所に絶賛突撃中。
 ここ数カ月は自宅とプリベンター本部にいるより長い時間を研究所で過ごしてきたわけで、もういっそビリーに頼んで研究所に住まわせてもらったらいいのに状態だったのだ。
 とにかく自分の興味の対象というか、入れ込んだことについては一直線、他はお構い無しな人である、グラハム・エーカーは。

 

「とにかく、俺達も行こうぜ。ポニテ博士の研究所に」
「待てよ、サリィが確認取ってからにしろ」
「確認なんて今更いるかよ、ポニテ博士が完成だって言ってるんだろ?」
「手順が必要なんだよ、こういうのは。子供がオモチャを貰うのとはワケが違うんだぞ」

 

 コーラサワーにつっこむデュオの横で、小さくヒイロが「コイツは大きな子供だ」と呟く。
 それについてはほぼ同意見だったので、敢えてデュオはヒイロには何も言葉を返さなかった。

 

「でも全員で押し掛けるわけにはいきませんよ」
「そうだな、本部を空にするわけにはいくまい」

 

 カトルの言葉に、トロワが同調した。
 プリベンターは緊急時には速やかに出動しなければならないので、本部に誰もいないという状況が生まれてしまうのは確かにまずい。

 

「オデコ娘二号を残していけよ、どうせアイツには乗るMS(ミカンスーツ)なんて無いんだから」
「もとからヒルデは残留だぜ、いつだってほとんど連絡員として本部に残ってるだろ」
「ならそれでいいじゃねーか」
「いや、だから、連絡員だけが本部にいても仕方ねーだろって話だろうが!」

 

 怒鳴りながら、デュオは今日のこれからの流れというものが薄らとだが脳内で見えていた。
 どうせコーラサワーは止めても無駄、何だかんだで研究所に行くことになるわけで、そうなるとそのお守として自分が間違いなく同行者に選ばれるであろう、と。

 

「おーい、オデコ姉ちゃん一号! とっとと行こうぜ、ポニテ博士のところに!」
「誰がオデコ姉ちゃんよ」

 

 オデコ、もとい額を指先で押さえつつ、プリベンターの現場リーダー、サリィ・ポォは皆の前に姿を現した。
 丁度今、ビリー・カタギリと連絡を取り合っていたところである。

 

「……不本意だけど、アナタを連れていかざるを得ないわね」
「不本意って、どういう意味だ」
「そういう意味よ」

 

 コーラサワーを無理矢理残していっても、ギャアギャアとわめき散らすだけだし、仮に緊急出動せねばならなくなった場合、コーラサワーがそんな様子で本部に居残っていては、残留組の士気と仕事に差し障る。
 結局は、連れていくのが無難っちゃ無難なのであった。

 

「で、不本意だろうけど、デュオもお願い」
「ああ、不本意だけどお願いされたよ」
「あとはヒイロと五飛もついてきて」
「了解した」
「当然だな」

 

 ヒイロと五飛もプリベンターの中ではどちらかと言うと武断派であり、新型MS(ミカンスーツ)にはかなり期待を寄せていた。
 コーラサワーとは違った意味で、連れていくべき二人ではあった。

 

「ヒルデとカトル、トロワはお留守番をお願い。一応、ミレイナにも仕事に一段落ついたら本部に来るようには伝えてあるから」
「ちょっと残念ですけど、わかりました」

 

 残留組三人を代表して、カトルがサリィに答える。
 基本、カトルはサブリーダー的立場になので、プリベンターが別れて行動する場合は、サリィとは別の班になることが多い。

 

「よし、話はまとまったな。さぁ行こうぜ、今すぐ行こうぜ、ちゃっちゃと行こうぜ!」
「言っておくけど、向こうで面倒は起こさないでよ」
「すでに面倒な奴が先発で行っちゃってるけどな」
「その場合は俺が黙らせよう、二人とも」
「そうなったら俺も手を貸す、五飛」

 

 面倒なことが起こることがほぼ確定しちゃってる気もしないでもないが、まぁこれもプリベンターである。
 とにもかくにも、新型MS(ミカンスーツ)は今日完成する。
 無論、コーラサワー達は知り様も無い。
 ブリュッセルの、それほど離れていない場所で、彼らの敵となる者達が、世界的陰謀をさらに進めようとしていることを。
 プリベンターの戦力が新しく生まれた日、プリベンターの最大の敵もまた、生まれたのだ。
 新型MS(ミカンスーツ)を駆って、プリベンターが本格出動する日は、それほど遠くはない。
 もちろん、それを知っているのは、意地悪な神様だけである。

 
 

 プリベンターとパトリック・コーラサワーの心の旅は続く―――

 

 

【あとがき】
 コンバンハ。
 もうマジで残業はどうにかならないかしらサヨウナラ。

 
 

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