プロローグ「邂逅」
意識が途切れる前。認識できていたことは、そう多くない。
傍らに居る彼女の温かみ。
アプサラスIIIに決定的な損傷を与えたこと。
最後に強い衝撃を受けて彼女の上に覆い被さり……シロー・アマダの意識は途絶えた。
「ああもう、どうしてこうなるんだよ!」
この日ユウナ・ロマ・セイランが公道を外れ、山中をドライブしていたのは全くの偶然だった。車内には彼一人だけ。気ままな旅といえば聞こえはいいが、些か寂しくもある。
留学先の大学は夏期休暇中で、早々に課題を済ませた彼には特にやることも無い。本当なら友人たちと同様に帰郷すればよかったのだが、世界の情勢がそれを許さなかった。ユニウス7への核攻撃、エイプリルフール・クライシス、世界樹戦役……ザフトと連合の全面戦争はあらゆる地域に飛び火しており、このためつい先日にユウナは留学先から出ないよう父のウナトに厳命されていた。夏期休暇になれば暖かいオーブに帰れるしカガリにも会える、と楽しみにしていたユウナにとっては不満だったが身の安全には代えられない。
どうせなら国許では出来ないことをしよう。
そう考えての一人旅としゃれ込んだのだが三日目にしてさすがに飽きが来ていた。元々賑やかしの性分があるユウナだ、いかにスカンジナビア王国の自然が観光資源の一つであるほど豊かとはいえ限界がある。
とにかく誰かと喋りたい。
その一心で町への近道を探したところナビゲータがあるルートを示した。それは山間部を抜けて小さな町へ行くルートで、細い道の連続になるがほんの二時間ほどでたどり着けるとあり、渡りに船、とばかりにユウナは広い道を外れて脇道へ入ったのだった。
結果を言えばこれが大失敗で、ナビのデータが古かったのかもう三時間以上も山中を彷徨っていた。
熱くなった頭を冷やすために道端に車を止めて外に出る。
整備された道があるということは、ここがどこかに通じているという事でもあるがこの数時間、まったく他の車に行き会わない事実がユウナの不安を増大させていた。これで行き止まりとかだったら笑い話にもならない。
それでもボンネットに腰掛けスカンジナビアの短い夏の空気を胸一杯に吸い込むと、気分も落ち着いてくる。特に意味もなく周りを眺めつつひとりごちた。
「とにかくあと一時間走ってみて――?」
ユウナが言葉を切ったのは人の声がしたのもあるが奇妙なものが視界の隅に映ったからだ。
木々の向こう。
カーキ色の何かは大きな人型に見え、ユウナは茫然と呟くほかなかった。
「まさかあれは……モビルスーツ?」
「ジンじゃない、ザフトの新型か?」
ふらふらと何かに魅入られたように近付くユウナ。
遠目には人の姿に見えたそのMSは、近付くにつれて大きく損壊している事が分かった。
左腕は無く足もひしゃげてまともに歩けるようには到底見えない。
何より、胸部装甲が無くコクピットがむき出しになっている。
声はそのコクピットから聞こえてくるのだった。
無意識にユウナは上着の隠しをまさぐった。手応えはない。そこでやっと銃は車のサイドボードに放り込んだままなことを思い出す。護身用に、と持ち歩いている小口径の拳銃だったが今から車に取りに戻るのは怖かった。背中を見せれば、パイロットに見つかって撃たれるのではないか――そんな妄想が頭をもたげたからだ。
「……女?」
進むことも下がることもできずに立ち尽くしてしまったユウナの耳に聞こえたのは、必死に誰かの名前を呼ぶ美しい女性の声だった。
その声に込められた切実な色に誘われ、ユウナは恐る恐るコクピットに近付いていった。
コクピットにはユウナより少々年上の男女が居り、女の方はアイナ・サハリンと名乗った。男はシロー・アマダというらしい。
アイナは目の覚めるような美人だが、男が目覚めないのだとユウナに訴える様子が明らかに恋人のそれであったので早々に興味が無くなった。
それでも、ユウナも男である。
美人のお願いに応えるのに吝かではないが、この場合状況が特殊すぎた。
MSといえばザフト。ザフトといえばコーディネイターであり、プラントだ。
普通に考えればこの二人はコーディネイターのはずである。しかしユウナはプラントとスカンジナビアが交戦状態に入ったなどとは聞いた事がなかった。
留学中とはいえセイラン家はオーブの有力家系のひとつ、嫡子のユウナにもコネや人脈の一つや二つはあり、また情報収集を怠ったつもりはない。
無論極秘だったり電撃作戦だったりという可能性もあるが、いまスカンジナビアを攻めてプラントに何か利があるとは思えなかった。
ひょっとしたら自分を引っ掛ける罠なのかも。その可能性を一瞬考えてすぐにまさか、と否定する。
今日この場に自分が居るのは単なる偶然にすぎない。
もし詐欺だとしたらあまりにも不確実すぎる。まだテレビのバラエティだと言われた方が納得できる。
しかし故郷のオーブでよくある悪趣味なバラエティのように看板を持ったタレントが彼の前に現れたりする気配は一向に無い。
加えて、目の前のMSは充分以上に現実の戦場の匂いがした。……無論彼自身は戦場に出たことなどないから単なる勘でしかないのだが。
(ま、いいか。もしペテン師か何かならそうと分かった後で放り出せばいいだろ)
何よりその方がはるかに面白そうだし。
そう楽観的に考えてユウナは休暇中ずっとオフにしておくつもりだった携帯電話の電源を入れた。
その日から暫く、モルゲンレーテ・スカンジナビア支社の技術者は世界がひっくり返ったと思うほどの衝撃を受けた。
事の始まりは一本の電話である。
優雅なことに一人旅に出たはずのセイラン家のボンボンが電話を掛けてきてセイラン家と縁のある医者、それに重機とトレーラーを要求してきた。
医者と重機、というあまりにも脈絡のない要請に首を傾げつつも、「至急」という言葉と支社長の鶴の一声により直ちに派遣されることになったのだが。
現場に着いた技術者はスカンジナビアの山奥でMSが大破している事実にまず驚き、ついでそのMSが体積の割に軽すぎることに首を傾げ、工場に持ち帰りひとまず簡単な調査を終えたところで担当者は揃って言葉を失うこととなった。
「信じられねぇこの装甲、なんて軽さだ! ありえない……」
「それでいて実に強靭だ。発泡金属並の比重でこの強度……
ええい、このMSは化け物か?! おい、サンプル取っとけ!」
彼らの驚愕と悲鳴はこの機体の動力源を知るにあたって極限に達した。
年配の技術者など感極まって卒倒するなどの騒ぎとなるがそれはまた別の話。
一方その頃。
「……えーと、ミズアイナ? 繰り返すけど、つまりこういう事でいいのかな。
君たち二人はそれぞれ地球連ご……連邦か、それとジオン公国の軍人で、
戦場で出会って、紆余曲折あったけど恋人同士になって?
東南アジアでアプサラスとかいう巨大なMAを倒した後、気付いてみればあの山の中に居たと?」
「ええ、そうです。信じてはもらえないでしょうが……」
「まぁ、そりゃ普通ね」
東南アジアとスカンジナビアはユーラシア大陸の反対側もいいところだ。
それ以前に彼の常識ではMAは宇宙用の戦闘艇であってそんな大軍を圧倒するような化け物は『モビルアーマー』とは呼ばない。
「ところで、本当にジオン公国という名に心当たりは?」
「無いなぁ。確かにコロニー国家はあるけど、僕らはプラントって呼んでるし。
そもそもコーディネイターが居ないってのがなぁ……」
「私たちにとっては、遺伝子を弄ぶそちらの方が理解できません」
ユウナはアイナと二人あまりにも食い違う互いの認識を前に頭を抱えていた。
「パラレルワールド、というのでしょうか、こういうのって」
「『夏への扉』かい? そんな、旧世紀の超古典SFじゃあるまいし」
「ユウナさん、それはタイムトラベルですよ」
「ああ、そうだっけ? というかハインライン居るのかそっちも。
……って話ずれてるよ!」
つい突っ込んでみたりもするが、目の前の現実は変わらない。
セイラン家の顔が利く病院に担ぎ込まれたシロー・アマダの怪我は重傷ではあるものの命に別状は無いとのことで胸をなで下ろしたのも束の間アイナ・サハリンから事情を聞いたところがこれだ。
(やばい人間に捕まっちゃったかなあ)
正直な話そういう気持ちが強い。ユウナが心持ち引いたのを敏感に察してアイナは言葉を継いだ。
「信じられないのでしたら、私たちの乗っていたあのMSを調査してみてはいかがでしょう?
もう取り掛かっておられるのかもしれませんが」
「いや……まぁ、ね。僕も一応、人の上に立つ人間だから善意ばかりじゃないし」
ユウナは図星を刺されまたアイナの強い視線に圧されて微妙に意味の通らないことをぼそぼそと呟いた。将来政治、またはビジネスに携わる者としてそれなりの教育は受けているが、彼にはまだまだ経験が足らない。
アイナは一見して柔らかげな雰囲気の女性だが、ここぞという時に見せる顔は人の上に立ちなれた者のそれでありある種の威厳、いやカリスマと呼べるものさえ有している。
それに圧されたせいでもあった。
元の世界ではノリスとともに兵の精神的支柱となっていた経験は伊達ではないのだ。
「まぁ、今日はこちらで休んで、明日MSの調査の立会いをお願いしますよ。それじゃ」
気まずくなったユウナはこれ以上余計な事を言う前に立ち去る他なかった。
翌日。
支社長からの報告を受けたユウナは掌を返したように親密に振舞い、アイナは目を丸くすることになる。
CE70年、初夏。
スカンジナビアの山奥での邂逅が、やがてこの世界の『運命』を大きく揺るがしていく。
――つづく